世界は君を救えるか【 結界師長編 】
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扇七郎への一歩
【黒凪。】
『うん?』
突然耳元で囁かれた己の名前と肩の微かな重み。
ばっと右側を見れば人影は無く次は左側から「こっちだ」と声が掛かった。
小さくため息を吐いて振り返る。
今度はそこに居た。全身が包帯で覆われた妖が此方を見て笑っている。
『火黒…あんた毎回夜になったら人皮脱ぐね。』
【あの皮かぶってると肩凝るんだよなァ…】
『ふーん。…ま、皆慣れたみたいだし良いけどね。』
火黒が妖だとカミングアウトした日はそれはそれは煩かった。
包帯人間だーとか強そうだとか目がでかいとか口がでかいとか。とりあえず箱田が煩かった。
それでも今日で黒芒楼から帰って1ヶ月。烏森では今の所大きな事件は起きていない。
…此方はそうでもないけれど。
「頭領は何処だ !?」
「お、黒凪。」
せわしなく夜行に戻ってきた戦闘班主任、巻緒。
そしてその後ろについていた実質夜行 No.3 である細波。
ここだけの話…細波は以前我々夜行の情報を扇一郎に流しており、今の今まで軟禁状態だった。
とは言っても、今は人員があればあるだけありがたい状態…彼も駆り出されている様だ。
『…また神佑地狩り?』
「あぁ。また力のある土地から力がごっそり奪い取られてる。ただ…それだけじゃない。」
黒凪の目がちらりと細波に向けられる。
細波は継続して正守を探し回る巻緒にちらりと目を向け、そして口を開いた。
「…お前が疑われてる。」
彼女の目が細まり、その目がつい、と東の方向に向けらえる。
そんな様子を見つつ、細波が続けた。
「今夜にでも裏会の人間が此処に来るはずだ。お前を拘束するために。」
【クク、コイツを拘束出来たら誰も苦労しねェけどなァ。】
「ただ…何処からこの話が出たのかが分からないんだ。十二人会の幹部だと俺は睨んでるが、正直…あの人意外にわざわざ信ぴょう性もないのに俺たちをを煽るようなこと…」
『…そう。』
そう返すと黒凪が徐に立ち上がり、探査用の結界を夜行全体に広げ、限と閃を呼び寄せた。
限と閃は黒凪と火黒、そしてそんな2人を見上げるようにして立っている細波を交互に見る。
「細波さん? なんかあったんですか…?」
「いや、その…」
『軽く2人にも説明してあげてくれる? 細波さん。』
「…まあ。うん…。」
怪訝に己を見る限と閃の視線を見返しながら細波が先ほど黒凪に伝えた事をまた復唱するようにして説明すると、明らかに2人の機嫌が悪くなったのが分かる。
その様子を見つつ、ちらりと黒凪に再び目を向けるようにした細波が冷や汗を流しながら焦ったように彼女の名前を呼ぶ。
「いやいや、頼むから大人しくしといてくれよ…? さっきも言った通り裏会の連中が来るし…」
『あんたは保守的だから分からないだろうけど…仮に裏会の使者が来たって、正守は私を簡単には渡さない。それよりもあの子は今何が起こっているのか知りたいはずだし。』
…ま、いい加減あの子も神佑地の修復ばかりに駆り出され続けている上、そんな話を聞いたらキレても仕方ないけど。
途端に何処からともなく冷たい殺気が流れてくる。正守のものだろう。
以前扇一郎との件でこっぴどく脅されている細波にはきついらしい、彼の言葉が止まる。声さえも出せないらしい。
『それじゃあ私は少し裏会の方に行ってくるから。』
「ぉ、おい、頭領が来る。」
細波の震える声にちらりとそちらに目を向けると、それはもう、恐ろしい形相の正守が歩いてきていた。
ぞぞ、と危機を察知したように鳥肌を立てて限と閃が黒凪の後ろに避難する。
そして彼の目が此方に向き、後ろの限と閃が更に縮こまった。
『正守、あんたもう休んだら?』
「…いや。そんなことをすると君にしわ寄せが行くしさ。」
正守のイライラが少しだけなりを潜めたような気がした。
しかし彼は依然苛立っていて、黒凪の後ろにいる限と閃は目線さえ彼に向けようとしない。
「…黒凪。俺後で奥久尼に会ってくるよ。」
『奥久尼って?』
「十二人会の。…ちょうどさっき、まるで巻緒からの報告を待っていたように奥久尼からの使者が俺に連絡を寄こしてさ。」
君が今回の神佑地狩りの主犯かどうかは別として、その噂を流した人物には心当たりがあるってさ。
勿論その情報をもらうには色々と要求されるだろうけど…ま、上手くやっておく。
そう眉間を抑えながら言った正守に黒凪が目を逸らし、口を開いた。
『扇一郎はまだ生きているらしいんだよね。』
「…やっぱり?」
『うん。七郎君取り逃がしたらしい。まあ…扇一族の中には扇一郎の腹心も多いみたいだし、何処からか私の依頼が漏れたんだろうね。』
今扇一郎は身を隠していて、まだ見つけられてないらしい。
どうせ上手く部下を使いながらこっちへの嫌がらせを続行している感じだろう。
『だから奥久尼と取引をするなら扇一郎の居場所を知っている場合のみにしておくこと。いい?』
「…扇一郎は俺がやっていい?」
『…何、怒ってるの?』
「うん。それはもう、かなり。」
うすら笑みを浮かべて言った正守。
限と閃の鳥肌がすべてを物語っている。本気だと。
『…まあ、いいけど。あまりあんたにはお勧めはしないけどね。』
「…その忠告、無視をすれば後悔するかな?」
『するね。』
黒凪の目を見て小さく笑った正守は何も言わずに背を向け、どこかへと歩いていく。
その背中を同じように何も言わず見送った黒凪は限と閃、そして火黒に目を向け小さく笑みを浮かべた。
『じゃあ行くよ。あの様子を見ている限り…私ももう少し手を貸してあげないとね。』
「行くって…何処に?」
『――…裏会総本部。』
「はあ⁉ 自分から捕まりに行くわけじゃないんだろ⁉ まさか喧嘩でも売りに行くつもりか…⁉」
まさかの発言にさらに焦った様子の細波。
しかし振り返った黒凪の目を見た彼は直感で自分の予想が外れていることを感じたのだろう、口を閉ざして息を飲んだ。
「何を、するつもりだ…?」
『…この事件の大元らしき人と…少し交渉をね。』
「この神佑地狩りの犯人を知ってるのか⁉ なんでそれを頭領に言わない!? 全員で結託して叩けばまだ…」
そもそも、ここまで被害が出るまで放っておいたなんて知れれば…
あながちお前が疑われていることも間違いじゃないんじゃ…。
『いや、今でも半信半疑だよ。…ま、手を子招いていた理由は、』
今でも信じがたいから、なんだけどね。
眉を下げて笑った黒凪の表情には、微かに失望と…悲しみと、色々な感情が見え隠れしていた。
『(…ま、ある意味育ての親でもあるわけだし。)』
そんなことを考えて黒凪が独り自嘲を浮かべる。
いや、言い訳か。こんな自分の人間臭いところが時折嫌になる。
『細波さん、貴方の好きに正守に報告してくれればいいよ。私は私で動く。』
「(よく言うぜ…。俺が何を言ったって、頭領はあんたを信用するに決まってる。)」
心を読まずとも分かる、あの人が…あんたの周りにいるそいつらが。
細波の目が限、閃、火黒に向く。
…どれだけあんたに心酔してるか。
それ以上は何も言わずに歩き去っていく黒凪の背中を見送り、細波は一人ため息を吐いた。
数時間後、黒凪達は既に裏会総本部へと侵入を果たしており、黒凪は裏会の総帥がいる異界への道を限達と共に進んでいた。
そして数分ほどして道を抜け異界へと入り込むと、静かに周りを見渡す限、閃、火黒の3人の隣を通り黒凪は1つの屋敷へとまっすぐ歩いていく。
突然入り込んだ黒凪に警戒してか、総帥の部下である零号と参号が黒凪達の前に立ち塞がった。
『限、火黒。』
【俺1人で十分だって】
瞬く間に零号と参号の目の前に移動した火黒が不気味な笑みを浮かべたままその手にある刀を振り下ろす。
その様子を見た黒凪は忘れていたという様に微かに目を見開くと「殺しは無し。」と火黒に声を掛けた。
チッと舌を打った火黒の手から刀が消え、斬撃の代わりに首に手刀が入る。
倒れた2人を横目にそのまま屋敷に入ると高い子供の声が黒凪の耳に飛び込んできた。
「随分ご挨拶だな。」
『…日永殿?』
声がした方向に目を向ければ、そこには黒髪に特徴的な瞳を持つ少年が1人。
無表情に己へ近付いてくる少年の顔…もしくは瞳をじっと見つめた黒凪がそう声を懸けると、少年が口を開く。
「あぁ。体を入れ替えた。」
『…これはまた随分若い憑代に入りましたね。』
黒凪が少し腰を屈め、改めて日永の目をじっと見つめる。
『(…おかしいな、この憑代を選んだ理由が分からない。特別力も感じないし…。)』
何も言わず見つめ合う日永と黒凪を怪訝な目で見つめている限達。
そんな中、火黒が此方に向かって近付いてくる足音にちらりと目を向けた。
「遠!」
「…遥。」
遠(えん)。笑顔で此方に走り寄り、そのまま日永に抱き着いた少女。
当の本人、遠の体を憑代とする日永はそんな少女を抱きとめ、彼女を遥(はるか)と呼んだ。
黒凪は何も言わずその様子を眺め、徐に目を見開き遥の手を掴み取る。
遥はびくっと肩を跳ねさせ、黒凪の手から逃げるようにおずおずと後ずさった。
「…その手を離せ、黒凪。」
『…。』
再びかち合う日永と黒凪の目。
今回の彼らは互いを睨み合うようにしていた。
その様子を見て遥がぶんぶんと黒凪の手を振り払おうと腕を振り、黒凪が徐に少女の手をぐっと真上に持ち上げる。
「いたいっ」
「お、おい黒凪…」
目に涙を浮かべる遥に焦ったように手を伸ばす閃。
しかし黒凪の目を見るとびたっと動きを止めた。
日永はその瞬間、己の目から黒凪の視線が離れたと同時に日永が力を行使するように目を微かに見開く。
途端に黒凪の腕に無数の海蛇が絡みつき、その様子に閃だけが目を大きく見開き、黒凪の腕をつかんで無理くり遥の手を離させた。
「遠…!」
遥はすぐに黒凪から逃げるようにして遠、日永の元へ。
日永はちらりと閃に目を向け、自分の力のイメージである海蛇を的確に黒凪の腕から払う様を見てその目を細める。
「(俺と同系統の力を持つ妖混じりか。)」
「お、おぉぉ…ビビった…」
『…ありがとう。閃。』
そしてちらりと日永は少し離れたところに立つ限と火黒にも目を向ける。
あの2匹は似たような系統の力を持っているな…あの金髪の妖混じりとは違って戦闘に特化したタイプ。
黒凪に手を出せばすぐにでも飛び込んでくるだろう。
「…遥。このお姉さんと少し話がしたいんだ。向こうに行っててくれるか?」
「わ、分かったぁ…」
まだ涙をその目に溜めたまま、また逃げるようにして屋敷の奥へと引っ込んでいった遥。
その背中を見送り黒凪が徐に日永に近付きその肩を掴んだ。
日永はそんな黒凪に抵抗する様子もなく、その視線だけを彼女に向ける。
『貴方がその憑代を選んだ理由がわかりました。…確かにあの遥ちゃんを乗っ取っても、あれでは力を使えない。』
あの少女には異能者としての才能がまるでない…。
あれではたとえ、魂蔵があっても彼女自身力は使えないでしょうからね。
魂蔵。その黒凪に限と閃が反応し、黒凪に目を向ける。
『となると方法は1つ。彼女の共鳴者かつ、まだ才能のある人間に乗り移ること。』
「あぁ…この短期間でそれほど良い共鳴者が見つかる筈もなく、結局はこの憑代に落ち着いた。憑代事態に力はないが、遥が居れば事足りる。」
『…まだ引き返せます。もう止めませんか。』
「俺が今更、お前の言葉を聞いて止まるとでも?」
その言葉に黒凪の表情が微かに歪む。
それを見て限が直感する。
今黒凪は微かに悲しんでいるのだと。
『…8つもの力がある土地が消え、その土地神も死んだのですよ。どれだけ甚大な被害か…』
「お前ならわかるだろう。俺の覚悟も…それをお前が止められるのかどうかも。」
黒凪が眉を下げ、日永もまた、それを見て微かに眉を下げた。
奴を生かす価値は何処にもない。
黒凪の目が日永に向いた。
「…お前には、あるらしいがな。」
『…そりゃあ私も人間ですから。情というものがね。』
日永の目が黒凪から離れ、異界の空へとその視線を移す。
そして徐にその口を開いた。
「月久も動き出してる頃だぞ――今頃は」
『――!』
突然目を見開いて固まった黒凪に日永が嘲笑すると
ぼそりと「馬鹿な奴だ。」そう言った。
「お前の監視下でなく力のある土地の力はすでに俺が根こそぎ奪ってある。今更あいつが俺に追いつくためには…多少のリスクを取ってでもお前の監視下を狙うほかにはないからな。」
『…急いで移動するよ。』
「え…いいのか?」
閃の言葉に小さく頷いて日永に背を向ける黒凪。
限と火黒もちらりと黒凪を見送るだけの日永に目を向け、その後をついていく。
「(…何故攻撃してこない? 黒凪は奴の計画を邪魔する筆頭のはずだ…。)」
火黒が目を逸らしても、限だけは日永の姿が見えなくなるまでその警戒を解くことはなかった。
もう一度振り返り、最後に日永の顔に目を向ける。
そして限は微かに目を見開いた。
その日永の、黒凪を見つめるまなざしに。
途端にその腕を黒凪に捕まれ、限の目が彼女へと向く。
そして次に黒凪が式神を取り出し、それを含め限達全員を1つの結界で囲む。
「…やはり、同族の人間が疑われたとなるとそう悠長には構えていられないようですね。」
お忙しい中、よくおいで下さいました。
顔全体を覆っている布の目元の部分からきらりと両目を光らせ、目の前に座る正守に向かって奥久尼がそう言った。
穏やかに構える奥久尼とは違い、全くの隙を見せず…笑顔すらも見せない正守。
奥久尼はそんな正守からひしひしと感じる静かな怒りに目を細めた。
「随分とお怒りの様で。少し落ち着かれては?」
「…すみません。」
そう口では言っていても、全く収まる様子のないその怒りの感情。
奥久尼は着物に覆われた右手を口元に持っていき、静かに口を開いた。
「ここまでくれば一郎さんもかなり躍起になっている事がわかりますしね。」
「…。」
「以前十二人会で貴方と共にいらっしゃった方。彼女が一郎さんの暗殺をもくろんだ様でしたが…身内に依頼したことが仇となったのでしょう。」
正守の目がちらりと奥久尼に向けられる。
その視線に奥久尼が微笑むようにその目を細めたのがわかった。
「扇一族にも何人か私の部下を送り込んでいますから。」
これで私の情報の信ぴょう性を理解頂けたかしら。
正守はその言葉に何も言わない。
それを肯定と取ったのだろう、奥久尼が続ける。
「一郎さんの居場所を知りたいですか?」
「…対価は?」
「貴方達結界師の能力について。」
内容によっては間黒凪さんに懸けられた疑いを晴らすことも出来ます。
「裏会がすでに黒凪さんの捕獲に動き出しています。早く手を打たれては?」
ふ、と小さく正守が笑った。
「疑いを晴らすことにはそれほど俺は興味がない。…彼女を捕まえられる存在なんて、いませんから。」
「…。」
「俺は何より…怒っているんです。奴の私利私欲のおかげで部下を幾度も危険に晒し…果てには彼女の動きを鈍らせうるような疑いまでかけて。」
いい加減…鬱陶しい。
正守の暗く冷たい目が再び奥久尼に向いた。
「…扇一郎の狙い…それから奴についての情報。それが対価です。」
居場所だけだなんて、そんな薄っぺらい情報だけでは遠く及ばない。
挑戦的に言った正守に奥久尼の目がすっと細められる。
「…なるほど。分かりました。」
その奥久尼の返答に正守が小さく笑みを浮かべる。
奥久尼は暫く間をおいて語り始めた。
「…まず一郎さんという人物について話しましょうか。」
あの方は、ある種あなたに何処か似た…悲しい人なのですよ。
その言葉に微かに正守の目が見開かれる。
「一郎さんは正統継承者となるために…様々なことに手を染めておられました。肉体改造、禁術の行使…。上げるときりがないほどに。」
「…」
「それでも結局正統継承者は他のものに内定してしまってね。それが貴方が十二人会に入る少し前のことです。」
自身を含めた6人の兄弟全員と…肉体改造によって合体までしたと言うのに。
目を見開いた正守の脳裏に以前の黒凪の発言が蘇る。
1、2…そんな風に扇一郎を見て数字を数えていた。
「とはいえ、今はその数を4人に減らしているはず。」
「…じゃあ見つかった死体は…」
「一郎さんによって切り捨てられた力の弱い兄弟達でしょう。」
「…屑が…」
正守の言葉に目を伏せ、奥久尼が続ける。
「一郎さんの今の狙いは、恐らく烏森を何らかの手を使って手に入れ、自身の力を高めること。」
その為、間黒凪を烏森の警護から離す為にあらぬ疑いをかけ…彼女と墨村さん、貴方の邪魔をしている。
そこまで聞いて正守がちらりと奥久尼に目を向ける。
「貴方の狙いは?」
「…私はただ真実が知りたいだけ。それから…」
過去の例、事件の記録を見ても烏森は危険視され、手を出すべきではない禁断の土地…。
あれほど危うい土地に手を出され…世の混乱を招きたくないだけですよ。
「さて。ここからは貴方の番です、墨村さん。」
あなたの話を聞いてから…一郎さんの居場所をお教えしますよ。
細められた奥久尼の目を見返して、正守が徐に口を開いた。
「…え、」
『此処は夕上家が所有する神佑地でね。』
瞬きをした瞬間、どこか開けた神社のような場所に立っていた黒凪達一行。
驚いたように周りを見渡す閃の横で一歩を踏み出した限はカサ、と音の鳴った足元に目を向け、そこに落ちている結界師が扱う式神の呪符を拾い上げる。
すると近くの草木が揺らぎそこから1人の女性が血相を変えて飛び出してきた。
「あぁ結界師様! ご到着に感謝します…!」
『夕上さん…』
「此方へ! どうやら神佑地の中心に何かまじないを掛けられている様で…!」
黒凪と話している女性はすらりと身長が高く、長い黒髪が癖毛の為かうねっている。
先程まで異能を使ってその神佑地にかけられているというまじないを解こうとしていたのか、彼女の周りには赤黒い液体が浮いていた。
その液体をじっと見ていた火黒はすんと臭いを嗅ぎニヤリと笑う。
【それ血だろ? 人間ってのは変な異能ばかり持ってんだなァ。】
怪訝な目で火黒を見た女性だったが、すぐに黒凪を見ると現場に急ぐように歩き出す。
それから数分、現場へと向かう最中に閃が耐え切れなくなったのか黒凪の名を呼んだ。
「此処までどうやって移動したんだ? てか、一体何が…」
『この神佑地にはあらかじめ私の式神を付けておいたの。』
【成程なァ。さっきの話を聞いてる限り、この土地もあの神佑地狩りとかいうのに襲われてるんだろ? それをその死神を通して感知したってところかァ?】
『ま、そんなところ。』
暫く草木をかき分けて進んでいるとやがて視界が開け、黒凪の視線が平原の真ん中に咲く小さな一輪の花に向いた。
『…あぁ、代替わりを。』
「ええ。つい1月前に。」
そんな言葉を聞きつつ花の元に向かい、黒凪が徐にしゃがみ込む。
『起きていらっしゃいますか?』
途端に微かな光が灯り、いつの間にか花の側に現れていた小さな少女に黒凪が微かに微笑む。
少女は花の色と同じ桃色の着物を身に着け、その大きな瞳を黒凪に向けていた。
【…この忌々しいまじないを今すぐに解け。お前なら出来よう。】
ぎろりと向いた目に眉を下げ「分かりました」と頭を下げた。
ふん。と顔を背け少女が周りを見渡す。
悲しげに見渡す少女に夕上が眉を下げた。
「まじないの所為で枯れてしまいましたが、ここらには沢山の花が咲いていました。…咲耶姫様が代替わりをなさってすぐの事でしたから悲しんでおられるのです。」
分かっていますよ。
そう返して目を閉じる黒凪。
彼女から白い結界が広がり神佑地を包み込んだ。
その様子を咲耶姫は目を見開いて眺めている。
【おい人間。…この力、本来ならば貴様の様な人間風情が扱ってはならぬ代物よ。…あまり乱用はするでないぞ。】
咲耶姫(さくやひめ)の言葉に微かに目を見開いた黒凪は眉を下げ「はい」と笑った。
それと同時にパキ、とまじないにヒビが入り弾け飛ぶ。
途端に咲耶姫の元に本来の力が戻り彼女が微笑み、その手を上げると限達の足元に花の芽が生え成長していく。
「花が…!」
『咲耶姫殿、お調子はどうでしょう』
【うむ、悪くない。】
笑った黒凪が真界を解き咲耶姫が立ち上がる。
彼女が「出て来い」と声を掛けると花達が一斉に咲き誇った。
その様子に夕上が安心した様に息を吐くと「姉さん!」と男の声が響く。
夕上が振り返ると彼女とよく似た細身の長身な男が走って来ていた。
「…清輝、貴方どうして」
「神佑地狩りに遭ったと訊いたから帰って来た。それより一体何が……」
【――…む、】
咲耶姫が徐に視線を上げ、空に浮かぶ巨大な絨毯に目を細める。
黒凪も同じようにしてそれを見ると、徐にその視線を限と火黒に向けた。
『…火黒、限。あれ落とせる?』
絨毯の上には2人の女と1人の少年がまず見え、その後ろには男の様な影が2つほど見える。
2人の女は黒装束を着ていて顔が見えない。
「…黒凪、足場をくれ」
【どう落とす? 斬り刻むか?】
爪をゴキ、と鳴らしてしゃがんだ限と両手に刀を出して殺気を空に向ける火黒。
その様子を見て眉をひそめた夕上家の男…清輝と呼ばれた彼が口を開いた。
「待て、余計な戦闘は避けた方が良い。美しいこの土地が荒らされる。」
【其奴の言うとおりだ。これ以上土地を荒らすでない。】
清輝に続いて言った咲耶姫の言葉に小さく舌を打った黒凪は神佑地を結界で覆い侵入を防ぐ様にガードした。
黒凪の結界に微かに目を見開いた黒装束の女はまじないを発動させ結界にぶつけ、眉を寄せた黒凪は女が乗っている絨毯の様なものを結界で貫いた。
その衝撃で敵のまじないが解け、絨毯も結界の影響で動くことが出来ずその場で結界から逃れるように動いている。
【諦めの悪い奴よのう】
黒凪が目を細め、その力と気配が上空に広がっていく。
黒凪の力に呑まれると上空の異能者達が目を見開き、頭に直接響く声に思わず己の耳を抑えた。
去れ。とそんな言葉が異能者達の頭に直接響き渡り、ミチルの頬を汗が伝う。
「…帰りましょう、カケル」
「え!? なんでさミチル! あんな奴1人ぐらい…!」
食い下がるカケルの肩をぐっとミチルが掴んだ。
去れ。…また声が聞こえる。
ミチルは苦しげに眉を寄せた。
「お願いカケル、私に此処は辛い…」
【よォ。】
聞いたことのない…低い声。
背後に誰もいるはずがないのに、真後ろから聞こえた。
驚いて振り返った時、此方に手を向けて走ってくる壱号、弐号が見えた。
「ミチル様、カケル様!」
ミチルとカケルの目が、自分たちを至近距離で眺めている包帯男…火黒へと向かう。
途端に火黒の後ろに壱号、弐号と向き合うようにして限が降り立ち、戦闘態勢に入る両者を見たミチルが「止めて!」と声を張り上げた。
「…もう帰ります。此処にも手は出しません。」
【へぇ?】
「どうか此処は穏便に…。」
「妖が粋がるなよ…!」
カケル! と焦った様な声が響き、火黒の目がぎょろりとカケルに向いた。
彼女がまじないを作るしぐさをし、火黒を睨みつける。
――途端に、目にもとまらぬ速度で火黒の刀が彼女の脳天からつま先までを駆け抜けた。
血が舞い、ミチルにもそれが降りかかる。…しかし彼女は叫ぶ事はせず、また頭を下げた。
「どうかお許しください。」
【チッ】
ただただ頭を下げるしかないミチルを暫し見つめ、火黒がつまらないものでも見るように舌打ちをした。
限は微かに眉を寄せて倒れているカケルと、そして「お願いします」と許しを請うミチルとを交互に見る。
『――火黒、限。もう良い…戻っておいで。』
「…火黒」
【…わぁったよ。】
黒凪の言葉を聞いて限が火黒に目を向け、火黒も吐き捨てるようにそう言った。
そして遥か上空に浮かぶ絨毯からためらうこともせず降りて行った火黒と限を見送ったミチルは壱号と弐号に指示を出し、絨毯を貫いていた結界が解かれたことを確認すると神佑地から逃げるようにして去っていく。
その様子を見ていた黒凪は地上に降りてきた火黒と限に小さく微笑むと咲耶姫と夕上姉弟に目を向ける。
『とりあえず難は去ったかと…。』
「ええ…ありがとうございます。」
「?…花子に随分とそっくりな姿をしているな。」
突拍子もなくそう放たれた清輝の言葉にそちらに顔を向けると、彼の視線はまっすぐに黒凪を指している。
すると黒凪は合点が言ったのか「あぁ、」と式神を取り出し、その場に放り投げた。
途端にボンッと煙を吹き出しながら黒凪にそっくりな式神が現れ、ちらりと清輝に目を向ける。
「結界師様の式神だとは知っていたのですが、お花が好きな子なので"花子"と…。」
「ボクが直々に付けた。華麗だろう?…それにしても花子。まさか君が式神だったとは…。」
「申し訳ございません。清輝様。」
「別に構わない。それより本人の方だ。…この式神は300年も前から我が家に居ると先代に聞いたが?」
ええ、300年前にこの屋敷に置いて行きましたから。
あっけらかんと言った黒凪に「ほう、」と笑う。
清輝は胸元から数枚の写真を取り出し、ぴっと黒凪に向ける。
そこには彼等の先代と、そして無表情に写真に写る黒凪の式神が映っていた。
「この写真を見る限りずっと君の式神だ。…まさか不老不死だとでも?」
『少し特殊な事情がありましてね…400年程生きて来ました。』
「それは面白い。是非君と少し話したい事が…」
『そろそろ帰っても?』
すちゃ、と片手を差し出した状態で固まった清輝。
もう一度「君を、」と言いかけた彼の前に次は限が入り込む。
徐に閃も清輝の手首を掴んだ。
そんな限と閃をちらりと見て閃の手を払うようにすると、そのまま眼鏡をくい、と上げる。
「…ボクの誘いを断ると?」
『時間が無いものでね。』
徐に黒凪が式神と手を繋ぎ、そして余った片手を限、閃、火黒に差し出した。
すぐに閃は手の平、限は手首と言った具合に黒凪に捕まり、ちらりと火黒を見ると彼は黒凪の頭に手を置いた。
「フッ…残念だ。君にはとても興味が湧いたのに。」
眼鏡をもう一度くいと上げ、やっと諦めたらしい清輝が笑顔で手を振った。
そして瞬く間に消え去った黒凪達を見送り、残った黒凪の式神 "花子" は何事も無かったかの様に歩き出した。
咲耶姫も目を細め姿を消し、夕上姉弟は咲き誇る花畑を見渡すと顔を見合わせ笑った。