世界は君を救えるか【 結界師長編 】
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火黒への一歩
【なァ、アレ見せてくれよ。】
『 "あれ" ?』
【あのどす黒い力さ…全てを拒絶し、塵にする。】
黒凪が火黒の言葉に目を細める。
しかし何もしようとしない彼女に小さく笑い「まあいいか」と火黒が両手に刀を出して言う。
【自分で引っ張り出せば良い。】
黒凪が徐に火黒の真上に結界を作り上げる。
小さく笑った火黒はその結界を斬り黒凪の背後に移動した。
それに目を向けず再び結界を配置し、それも無残に斬り割かれる。
そして火黒の邪気が乗った刃が横一文字に黒凪の首に向かった時…ついにそれが姿を現した。
【やっぱり君のソレ、昔見たのにそっくりだ。】
君の目つきも…その底の見えないどす黒さも。何もかも。
さらに目に見えるほどの邪気が刃に込められ込められ、振り下ろされる。
ぱっくりと紙の様に切れた絶界に目を見開いた黒凪は勢いを落とさず己の眉間に振り降ろされていく刃を見ると、即座に結界をぶつけ火黒を殴り飛ばした。
そしてすぐさま距離を取った黒凪だったが、背後に目にもとまらぬ速度で火黒が現れ次は黒凪が蹴り飛ばされる。
ごろごろと転がりながら着地した黒凪は火黒を睨んだ。
【良いねェ…。もっと本気出してこうか。】
『…っ、(骨が折れた)』
【はは、良い目だ。…ついでに聞くけどさァ。】
君は "こっち" に興味ないの?
すぐ目の前に顔を近づけて言った火黒に黒凪は「ないね」と即答した。
その答えにまた笑った火黒は「おっかしいな」と更に顔を近づける。
【君も感じた事あるだろう? 自分とこの世界とのズレを。君みたいに人並み外れた力を持ってたら一度ぐらいはさァ…】
『…ズレ?』
【あぁそうだ…この世界が自分を受け入れてくれないような感覚、自分がまるでこの世界の異分子の様な感覚さ。】
受け入れてくれない様な、感覚。
異分子。…生まれて来なければよかったような存在?
脳裏に父の顔が過った。そして宙心丸の無邪気な笑顔も。
黒凪の表情に変化があった事に気付いた火黒はニヤリと笑った。
【君の大事な妖混じりクンだってそうさ…どうやら君も彼も "それ" について悩んでたらしい。】
『…そのズレ、あんたは解消出来たの?』
【さあねェ。ただ解消するやり方は知ってる。】
黒凪の目がゆっくりと火黒に向いた。
火黒が更に笑みを深める。
『…そのやり方を知ったのはあんたが人間だった頃?』
【あぁそうさ。ま、俺が人間だった頃は何の能力も無いちっぽけな存在だったんだけどなァ。】
『……』
【それでも日々感じてたよ。世界と自分とのズレを。】
だから俺は斬り離したんだ。己と、この世界を。
黒凪はそこまで黙って聞いていると、徐に立ち上がった。
おっとっと、と火黒は黒凪から身を離し刀をトンと肩に当てる。
『それであんたは楽になったの?』
【あぁ。そりゃあ楽なもんさ】
『嘘だね。あんたはまだ迷ってる。…前に言ったよね。染まり切ってないって。』
【だったらなんで…】
君は周りを拒絶し続けてるんだ?
確信をついた言葉だった。黒凪が黙り、火黒を見上げる。
【こっちに来いよ。楽になれるぜ?】
『…確かにあんたのいう通り、私は周りを拒絶し続けているのかもしれない。けどね』
あんたのやり方が意味がないってことだけは分かるんだよ。
火黒の表情から一瞬、笑みが消える。
『…特に、あんたを見ているとね。』
【――そんなに言うならお前の底力、俺に見せてくれよ。俺も本気で行くからさ。】
禍々しい邪気が火黒の刀に纏わり付く。
黒凪の周りにも力が渦巻き始めた。
ギロリと向いた黒凪の目が火黒を奮い立たせる。
ニヤリとそれはそれは嬉しそうに火黒は笑った。
【それじゃあこの刀に特別強い思いを乗せる事にしよう。全てを絶ち、斬り裂いて…何も残らなければ良いと…!】
『…私も思った事があるよ。』
【あ?】
『この世界など無くなってしまえばいいのに。…なんて。』
黒凪から巨大な力が溢れ出し火黒が足を踏み出した。
ぐわ、と振り降ろされる刀。
それを黒凪が絶界で受け止めた瞬間、物凄い衝撃と爆発が起きる。
そして煙が履けた先に立つ火黒は蹲る黒凪を見てため息を吐いた。
【…あーあ。惜しいなァ…、君こそ何迷ってんの?】
『……。』
【あ! さっき肋骨折ったの効いてる? …でもそんな柔じゃねぇよなァ…?】
『…火黒。』
立ち上がった黒凪の右腕からは血が流れていた。
着物が腕に張り付きその部分は赤黒く染まっている。
火黒は此方を真っ直ぐと見て口を開いた黒凪を見返し、小首を傾げた。
『世界なんて結局壊せやしないんだよ。…自分なんて、結局消せやしないんだ。』
【……】
『…受け入れるしかないんだよ、火黒。私達は。』
【…何を言い出すかと思えば…。なら決着を着けようじゃないか。受け入れるお前と、断ち切る俺。】
どっちが強いか…!
黒凪の言葉でスイッチが入ったのか、先程までとは比べ物にならない速度と威力で攻撃を仕掛け始める火黒。
その攻撃を結界で防ぎながら黒凪は逃げる様に走り始めた。
しかし時折傷が痛むのか、黒凪は走るのをやめ絶界を張りその攻撃を正面から受け止める。
その度に火黒は刃に力を籠め絶界を相殺した。火黒もその繰り返しで体に無数の傷が入っていく。
「くそ、なんであいつさっさと火黒を滅さねえんだ!」
「…あいつ、多分」
良守が限の声に振り替える。
限はただただ耐えるような顔をして黒凪と火黒を睨んでいた。
「火黒を連れ帰るつもりだ」
「…は? 連れ帰る?」
「昔からよくするんだよ、ああいう行動。」
限を補足するように閃が続けて言った。
どういう意図があるのかは正直分からない。
強すぎる力を持ちすぎたが故に他人に興味がないのかと思えば、そうではない…特定の人間に進んで関わりに行く。
「いわば俺や翡葉さん…そんで限も、その類の人間になる。夜行にはもっと他にもいるはずなのに、俺たちだけ特別扱いして。」
かと言って、執着してる風ではないし。
そんなふうに呟く閃の言葉を聞いて、良守の脳裏に限が烏森で死にかけたあの夜を思い出した。
と、黒凪が火黒に吹き飛ばされ屋根の上を再び転がっていく。
その様子を見て限と閃が顔を見合わせ、小さく頷いた。
「墨村、結界解いてくれ。」
「え…」
「ああなっちまうとあいつ、絶対諦めねえからさ。」
「でも、危ないわよ!」
時音の静止の声に限が振り替えり、小さく笑みを見せる。
”あれ” に救われた側からなら分かる。
あんな風に振舞っている火黒もきっと孤独に苛まれていて、そして…この世界に、その人生を狂わされた1人なのだろう。
「ちょ…」
限が良守の結界を斬り割き、それを見た閃が限と共に黒凪の方へと向かっていく。
そんな中で閃がちらりと限に目を向けた。
「…いーのかよ、お前火黒を倒したがってただろ。」
「…いや。正直あいつが黒凪を傷つけたことがずっと心につっかえてたけど」
いいんだ。黒凪がそれでいいなら。
そんな限を見て閃が嬉しそうに笑った。
よかった、こいつもう…寂しさや怒りに囚われてない。
『…あんたはずっと限に "こっちに来い" って言い続けてた。』
それが何だってんだよ。
一層強い一撃が黒凪に振り降ろされた。
それを絶界で受け止めぐっと黒凪が持ち堪える。
しかし彼女の絶界は震え、その存在をかろうじて保てているのが分かった。
『染まり切ってない。』
【?】
『…結局あんたも独りは嫌だったんだ。仲間が欲しかったんだよ。』
【…あ?】
『あんたも結局、根っこは人間なんだ。』
ギリ、と歯を食いしばりまた火黒から邪気が溢れ出す。
一旦黒凪から離れ、そして一層強く踏み込み彼女に迫って行った。
邪気に塗れた鋭い刃が黒凪に降り掛かる。
その目の前に飛び込んだのは限と閃だった。
『っ!?』
【…だったら思い知れ…!】
火黒が刀を両手に出しその腕を交差させた。
3人まとめて斬る気だと良守が直感で感じ取る。
「(2人で受け止めれば、最悪真っ二つにはならないだろ…!)」
閃が拾っておいた火黒の折れた刀を持ち上げ、限が両手を変化させる。
そして一瞬だけ黒凪に目を向けた限が微かに目を見開いた。
彼女の目が、閃と限を驚いたように捉えていたから。
【結局受け身になってる奴は独りになるんだよ!】
火黒が言った。だから俺は自分から絶ち斬ったのだと。
黒凪の目が火黒に向く。その目には何か決意のようなものが浮かんでいた。
それを瞬時に見た火黒が笑う。
「まずい、あのままじゃ…良守!?」
良守が黒凪達の方へと走っていく。
ずっと思っていた。限が火黒に殺されかけたときの恐怖を、火黒に会えばまた思い出すのではないかと。
今まで何度も時音と死線をくぐってきた。
だけどあれほどまでに死を意識したのは、初めてで。
「(志々尾も黒凪も、影宮も殺されちまう…!)」
「良守! 戻ってきな!」
「3人共目の前で失うなんて嫌だ…!」
ずっと思っていたんだ。
火黒が相手だったら、また誰かが傷つくんじゃないかって。
だから自分1人で行こうと思った、なのに。
火黒の刃が閃の持つ刃を半分ほど斬り割き、限も押されていく。
「(間に合わない――)」
その一言が良守の脳裏に過った。
同時に良守から力が溢れ出し、一気に広がり始める。
良守の力を背中で感じ取った黒凪はその瞬間――久方ぶりに、恐怖を感じた。
『っ…!』
そして瞬く間に自分の身を護るように絶界が形成され、良守から溢れる巨大な力が広がり黒凪を絶界ごと押し出していく。
黒凪の目の前にいた限と閃は黒凪の絶界を通り抜け、そのまま白い光に呑まれて行った。
『(まずい、)』
【!】
黒凪が絶界を身に纏ったまま火黒に近付いて行く。
このままでは火黒を滅してしまう。
『(絶界が解けない…っ)』
ああ、私――怖いんだ。
良守君から溢れ出すこの力の質が、私とは全くの別物だから。
火黒も咄嗟の事で動けていない。
黒凪は思わず目を強く閉じた。
その時、火黒は目の前の少女の背後で膨張した巨大な力…ただただ純粋で穢れのない力の塊を見て鳥肌が立つ己の肌の感覚と。
そして目の前に迫るそれとは相反した孤独を煮詰めたような力を前に感じる、心臓を冷たく撫でるその感覚。
その2つを前に自身の死を確信していた。
【(分かる。…俺はこの瞬間、負ける。)】
しかし "負ける" という事実に、後悔も悲しみも…悔しさもない。
感じるのはただ、この肌がひり付くような緊張感。
そして心臓を掴まれたような、むず痒さ、恐怖…いや、高揚感。
【(そうだ、この感覚はまだ…俺が "生きていた" あの頃の。)】
そこで気づく。
俺はずっと死んでいたんだ。今まで。
そして今、この瞬間…俺は息を吹き返したのかもしれない。
【…そうだ、この感覚だ。】
俺に "死" を意識させることで――。
良守の力に押し退けられてそのまま向かいの建物へ。
物凄い勢いで膨張した力に弾かれた黒凪はその勢いのまま建物に落下した。
絶界を身にまとっているため痛みはない。
黒凪は眉を寄せ、その目を開いた。
『…え、』
【っ…、ってえな】
『…火黒…』
はっと周りを見渡せば依然絶界は発動している。
火黒自身も自信が黒凪の術の中にいることを察すると、黒凪に目を向けた。
同じ時、城の中にいた姫が静かにその顔を上げ、そして微笑んだ。
【破壊する為に力を使うかと思えば、誰かを護るために使ったのねえ。…それにあの子…】
目を細め、数百年前…初めて黒凪と出会った光景を思い起こし、目を伏せて呟く。
【この数百年の間に、色々と遭ったのね――】
突然の事態に頭が追いついていない黒凪自身も何も言えず火黒に目を向ける。
火黒もしばし黒凪を見つめた後、ゆっくりとその瞳は彼女の背後に向けられた。
【おいおい…何だありゃあ。アンタの絶界より遥かにヤバい術に見えるが】
『…術者以外が共に入る、絶界とは明らかに別の術…』
【?】
『父様を差し置いて新しい術を生み出すとは思えない。…と言う事は』
唯一私が父様から受け継ぐ事の出来なかった術。
火黒はその時、悲し気に細められた彼女の目を見て微かに目を見開いた。
そして起こしかけていた体を地面に倒し、息を吐く。
【…なァ、】
『?』
【なんで俺は負けたんだ?お前等みたいな不自由な奴等に…】
『…それはもう分かってると思うんだけどね、あんた自身が。』
黒凪が火黒の上から退き立ち上がった。
少し背を起こしその背中を見上げる火黒。
俺には無いものを持った奴等に負けた。
何故負ける? 俺が捨てたものしかお前達は持っていないじゃないか。
…だから、なのか?
逆の発想だ。だから負けたのか? その疑問が頭を駆け巡る。
『妖に身を落とす人間は皆、何かを追い求めている。でもあんたはそれにどうも納得できていないようだから…その “何か” は求めていたものと違ったのかな。』
求めていたものと違った? …そうだ、その通りだ。俺はあの時思った。
妖となり長い年月を生きた末に思った。
何かが違うと。
何故だ? 何故違った? 一体何が、
【…】
そしてはたと、再び己と目の前の少女を包む絶界に目を向ける。
…そうだ――。人間だった時…この術に出会って衝動的に力を求めた。
それはたった1つしかない己の命を懸け、あの身震いするような緊張感の中で相手を切り伏せる高揚感を、人間のままでは長く感じる事が出来ないと気づいたからだ。
そして人間のままでは…力を持つ人間や妖…そして神にも対抗できないと、そう悟ったから。
ならば今はどうだ? 妖となり、簡単には壊れないこの体になって――俺はあの高揚感を忘れてしまったんじゃないのか?
【(ああそうだ…そして俺は気づいたんだ――)】
その時、既に俺には何も残っていないことを。
そしていつしか自分を肯定するため、そして孤独にならない為に…俺と同じく孤独の中にいる奴等を…
――俺を置いて、孤独から抜け出そうとする奴等を許せなくなった。
なぜなら俺は、いつまで経っても孤独のままで、失くしてしまったものを取り戻せずにいたから――。
そして俺は、きっとこれからもずっと…
『…火黒、あんた私と来な。』
【…何?】
私が “そこ” から引っ張り出してあげるよ。
小さな少女の手が差し出される。
…代わるのだろうか、この手を掴めば。
そんなことを考えているうちに、俺の手は差し出された手を掴んでいた。
その一本の手が、自身の手を蔦って闘争心やどす黒い殺気を一気に取り除いた。
そんな気がした。
「黒凪ー!」
黒凪が火黒から視線を外し、改めて良守が作り上げた青白い球体状の結界に目を向けた。
目を凝らして中を覗けば結界の中で限と閃が黒凪を呼んでいる。
『…火黒、傷は痛む?』
【別に死にゃしねェよ。行ってきな。】
ありがとう。
そう言って結界を足場に良守たちの方へと近づいていく黒凪。
「正守さんー!」
『正守?』
時音の声に振り返り空を見上げる。
そこには黒芒楼の上空に浮かぶ巨大なムカデがこちらの様子を伺うように彷徨っていて、その上には正守の他に繁守と複数の夜行の戦闘班や諜報班の異能者が乗っていた。
蜈蚣が出した小さなムカデが時音の元へ向かい彼女を巨大なムカデの元まで連れて行く。
その様子を横目に黒凪は深呼吸をするとゆっくりと結界に手を伸ばした。
「黒凪、これって触って大丈夫なやつなのかよ!? お前さっき押し出されて…」
『…大丈夫。私はこの術をよく知っているから。』
黒凪の手が結界に触れた途端、そこを中心に結界の表面に水の波紋のようなものが広がっていく。
術の掛かり方、結界の構造。出力、そして術者の状況。全てを読み確実に覚える。
大丈夫。こんな荒療治は昔何度もやって来た。
『…読めた。』
やはりこの術は私が…いや、父が待ち望んでいたものだった。
1匹の小さなムカデが黒凪に近付き、黒凪がそちらに目を向けて眉を下げて微笑んだ。
その上に乗り正守達の元へ向かう途中、ちらりと火黒を見れば彼は此方に呑気に手を振っていた。
「黒凪、あれは何だ?」
『あれは結界術の1つ。本人が自分の意志で解けないとなると、無理に破壊するしかないだろうね。』
「…中にいるのは限と閃だな?」
小さく頷くと正守が蜈蚣に目を向け、ムカデが結界に近付いて行く。
目を凝らせば結界の真ん中に倒れている良守とその側に居る閃と限が目に入った。
「限、閃! 無事か!? 良守はどうした!」
「なんか動かなくて…! 目ぇ開いたまま倒れてます!」
「おい墨村。墨村!」
「全然反応無いです…っ、それに息してない!」
じいっと結界を見ていた黒凪は腕まくりをするとムカデから降りて結界の真上に移動した。
正守の焦ったような目が黒凪に向けられる。
『正守、とりあえず中に入ってくるね。』
「…分かった。」
「!…雪村の小娘、よく見ておけい。恐らく間殿は今から "空身" をなさるつもりじゃ。」
「うつせみ?」
黒凪が徐に目を閉じ、そして結界から飛び降りる。
ふっと黒凪が身に纏う力が消え、他のものに入れ替わった様な気がした。
そして彼女の体は良守の結界に波風一つ立てることなく、その表面をすり抜けていく。
限がすぐさま走り出し、黒凪を受け止めて着地した。
『正守、あんたは外側から結界に圧力をかけて。私は内側からやるから。』
正守が静かに頷き、同時に黒凪と彼が絶界を発動する。
外側の面々は正守の絶界の威力に、内側にいる限達は黒凪の絶界の威力に少し後ずさった。
『あんたたちは良守君を叩き起こして。』
「わ、分かった」
黒凪の言葉に頷き限と閃で良守を起こしに掛かる。
そしてほぼ同じタイミングで正守と黒凪が絶界を良守の結界にぶつけた。
『…ん、の…!』
「ぐ…!」
『(予想以上に密度が濃い…狐に貰った力を全て注ぎ込んである…っ)』
「…黒凪ちゃん、正守さん!」
時音の声に2人同時に顔を上げると、先程黒凪が空身をした位置に時音が立っている。
彼女の表情を見た黒凪は時音の意図を理解し一言「いいよ」と言い放った。
時音は息を吐き飛び上がり、落下しながらその右手を真っ直ぐに結界に伸ばす。
『限、時音ちゃんが来る! 受け止めて!』
「っ…!」
再び限が走り出し、結界に入り込んだ時音を受け止め着地した。
時音は限から離れすぐさま良守の元へ。
彼女も良守を揺さぶるが、彼の目は依然虚ろなまま。
「良守、良守…!」
『キスでもなんでも良いから早く起こして!』
「キ…!?」
『早く、っ…!』
時音が困った様に眉を下げ良守を覗き込む。
ぐらぐらと焦点の合っていない良守の目を見て眉を寄せた時音が徐に良守をぎゅっと抱きしめた。
「良守、戻ってきて…!」
ハラハラと良守を見ていた閃の動きが止まる。
良守の目の焦点が合ったためだ。
お願い…! そんな切実な時音の声に良守の目が彼女に向いた。
途端に結界がぐにゃりと歪み、黒凪と正守が絶界越しに目を合わせる。
「今だ !」
『よし、』
一気に絶界を押し込み、途端に結界が破壊されガラスのように飛び散った。
そして降り注いでくる細かい破片に触れた時、その中に混ざっていた姫の力が一気に黒凪に流れ込む。
目を見開いて結界を足場に着地する黒凪。
「全く…無茶するね。時音ちゃんも。」
少し上空では正守がムカデに乗って時音、良守、限と閃を乗せている。
そんな彼らから目を離して黒芒を見渡した黒凪は徐に目を伏せた。
大きな音を立てて城が崩れて行っている。
「よし、戻ろう。早くしないとこの異界が滅びてしまう。」
「はい!」
正守の声と夜行の面々の返事が耳に届く中
夕方の様な空を見上げ黒凪は目を細めた。
「黒凪、どうした? 早く…」
『正守、先に帰っていてくれるかな? 私は此処を修復してから向かうから。』
正守が一瞬驚いたように言葉を飲む。
…確かに異界の修復は結界師の仕事だ。
だけど…此処までダメになった異界を立て直すつもりか?
「…危険だ。」
正守の静かな声に黒凪が笑顔を向ける。
でも、誰かがやらないと。
その言葉に正守の表情が歪む。しかしすぐに彼女の自信満々な顔にその表情を崩した。
『大丈夫。前にも異界から一緒に切り抜けたでしょ。』
「…分かった。」
その返答に黒凪が更に笑みを深めた時
ムカデの上に乗っていた限と閃も黒凪の傍に飛び降りた。
「おい! お前等まで何してる!」
「俺達も黒凪と残ります。」
「絶対戻ります。…お願いします。」
限と閃を眉を下げて見る正守。すると異界の崩壊が進み、繁守が彼を呼ぶ声がする。
その声に振り返った正守は3人に「必ず帰って来い」と声を掛けてムカデに乗り込む。
そのままムカデは来た道を引き返すように、時子が作ったであろう穴へと入り込んでいった。
『よし、やってみようかな。』
「本当にこの異界の修復なんて出来るのか?」
【修復? へぇ。碧闇が言ってた事も強ち間違いじゃなかったんだなァ。】
現れた火黒にすぐさま殺気を放った限と閃。
しかし黒凪が目を向けるとそれが萎んでいく。
そして目を閉じてその魂蔵に蓄えられた力を解放する黒凪に限と閃の目が向いた。
『(…この術が出来れば完成する。…私の生まれてきた、意味が。)』
目を見開き一気に力を放出した途端、そこには先ほど良守が作った結界と同じものが何倍もの大きさとなって黒芒楼全体を包み込んでいた。
その光景に目を見開く限と閃を横に火黒はニヤリと笑うと「何だ、あんたも出来たのか」と黒凪を振り返る。
その言葉に黒凪が小さく笑って言う。
『私、センスだけは良いから。』
そんな風に彼女が軽口を叩いている間にも、崩れていた城が徐々に再生していき、そして。
負傷したり瀕死状態になっている妖達の傷も癒えていく。
それは勿論、此処の主である黒芒の化け狐も。
…やがて黒芒楼全域が修復された時、微かに聞こえた足音のようなものに閃が振り返る。
そこには姫を背中に担いだ白がこちらに向かってきていた。
『…』
「あ、おい…」
何も言わずそちらに向かった黒凪が白の背にいる姫に手を伸ばす。
白も姫も、それを拒むことはない。
『もう貴方が、その寿命に全てを委ねるつもりであることは…よくわかっているつもり。』
【…】
姫が笑顔のまま肩を竦める。
次に黒凪が言わんとしていることを察してのことだろう。
『でもこのまま力のある土地とその主を失うわけにはいかない。』
【それが、あなたのお父上が言った “均衡を保つ” ということかしら。】
『…うん。』
【ふふ、】
本当、自分で崩しておいて何を言うのかしらねえ。
そう言って向けられた姫の目に、黒凪は困ったように眉を下げて応答した。
【…いいわ、貴方に力も分けてもらったことだし…もう少し踏ん張ってあげる。まがいなりにも貴方は私よりもずぅっと不自由だから…。】
姫の言葉に無表情ながらも嬉しそうに目を細めた白。
黒凪はそんな白に目を向けると、彼にも手を伸ばした。
『それじゃあ貴方の大事な白にも、それ相応の時間を与えようか?』
【そうねえ…】
黒凪の手が白に触れる手前で止まり、姫の目が白に向く。
白は数秒も迷うことなくその手を取った。
彼には毛頭人間としての生への執着など無いに等しいらしい。
そんな白にも力を分け与え、そして全ての修復が完了した。
【…さて。じゃあ私は城に戻ろうかしらねぇ。】
「!…お待ちください、姫。」
もう甲斐甲斐しく世話を焼かなくても大丈夫よ。
そんな事を言いながら歩いて行く姫とそれについていく白。
その背中を見た紫遠が何処からともなく現れ、小さく笑うと黒凪に一言「アリガトな」と言って歩いて行く。
ほかの幹部の面々も各々元に戻った黒芒楼に満足しているようだった。
『さて、火黒…あんた異界の出口の場所は知ってるよね?』
【…】
首を傾げて言った黒凪に面倒臭げに「分かったよ」と火黒が歩き出した。
黒凪は小さく笑って火黒の背後で人皮の箱を開く。
人皮は瞬く間に飛び出し火黒の身体に纏わり付いた。
『これで外にも出られる。』
「…用意が良いねェ」
そして相変わらずの速度で走り出した火黒に焦ったように黒凪を閃が抱え、限と共に走り出す。
しかし流石は火黒。人皮を被っているとは言えとても追いつけない程の速度に黒凪が閃と限に手を触れた。
途端に力を流し込まれた両者の脚力が飛躍的に上がり、すぐに火黒に追いついてしまう。
それを見た火黒がにやりと笑い、やがて3人同時に異界と現世をつなぐ異空間に入り込んだ。
ぐるぐると歪む周囲に思わずと言った様に閃が顔を青くして「うぷ、」と口元を抑える。
その様子を見た火黒は馬鹿にするように笑った。
「後ちょっとだから我慢しろよ?」
「お、おう…」
『…仕方ないなぁ』
ひょいと念糸を前方に投げた黒凪は異空間の外にある岩に括り付けると思い切り引き寄せる。
すると閃と黒凪が前のめりになり一気に異界を抜け出した。
勢いのまま穴から抜け出した閃と黒凪に数秒ほど遅れて地面に着地した火黒と限が同タイミングで足を踏み込む。
やはり先に2人に追いついたのは火黒で、彼が閃と黒凪を抱え着地した。
『お見事。』
「どーも。」
『とりあえず正守と合流だね。…閃。』
「わ、分かった」
火黒に降ろされた閃はしゃがみ込み一気に自分の意識を広げて始め
中々捕まらない正守の気配に徐々にその範囲が徐々に大きくなっていった。
「…見つけた。あっちだ。」
大雑把な事で。そう言って火黒が閃を再びひょいと持ち上げた。
そんな火黒に思わず目をひん剥いた閃だったが集中が切れない様ぐっと平常心を保つ。
閃を見て笑った黒凪は徐に己を持ち上げた限に笑顔を向けた。
そして一行が正守を含める、異界に先ほどまでいた面々が集まる場所へと辿り着いたとき。
パン、と乾いた音が耳に入り込んだ。
顔を上げると振り下ろされた後の時音の右手と、赤くはれた良守の左頬。
それを見て4人全員が何が起こったのかを理解した。
「勝手な事ばっかりやって!!」
「うお、」
火黒がその時音の怒りに満ちた声に手前で足を止め、限も同じようにして足を止める。
そして改めて時音と良守の様子を見ると、そこには怒鳴る時音と左頬を抑えてぼんやりと時音の話を聞く良守が。
しばしそれを眺めていると、時音の様子を見ていた限がぽつりと言う。
「…行きたくないな」
行くの。そう言って黒凪が限の頭を軽くはたき、ついに一行が正守達の元へ。
ちらりと時音に目を向ければ以前彼女は左頬を赤く腫らせた良守に怒号を浴びせている。
次第に涙声になっていく時音に良守の顔が歪んで行った。
良守もやっとそこで自分が何をしたのか理解したのだろう。
「あ、アンタも居なくなったら私…っ」
「ご、ごめん! ごめんって、時音、」
「…泣かせるねぇ」
火黒の声に時音と良守がばっと顔を上げた。
その反応に目を見開いた繁守や正守も火黒を見る。
そんな周りの反応にニヤリと笑った火黒は「なぁ?」と隣の黒凪を見下した。
「火黒!? お前なんで此処に…!」
良守の声に顔を上げた黒凪を睨み、良守は涙を流す時音を背に火黒を顎で示した。
火黒を見上げた黒凪は「ああ、」と小さく笑うと彼の首に腕を回しぐっと引き寄せる。
身長差がかなりある事でぐきっと変な音が鳴り火黒が「いて、」と小さく呟いた。
『哀れな妖ちゃんは私が面倒見るっていうあれだよ。』
「あんだと?」
「 "あれ" ってお前、大雑把な…」
『とにかく! 火黒は今日から私の "お気に入り" です。手出し厳禁。』
お気に入りー!?
夜行の面々が一斉に叫んだ。
彼等の中では有名な話である。
黒凪の "お気に入り" に手を出せば黒凪がそれはもう誰も止められないほど怒り狂うだとか、その “お気に入り” は精神的に成長するとか前向きになるとか優しくなるとか諸々…。
「すっげー…また黒凪チームに1人増えたよ」
「妖混じりかな、なんか人間っぽいけど。」
『黒凪チームって何よ。』
「あいつ等が勝手にそう呼んでるんだよ。…ちなみに最近俺も加入したって専らの噂。」
あ、そうそうアンタもお気に入りなのよ!
そう言った黒凪に困った様に笑った正守。
するとやはり夜行の面々は「やっぱそうだったんだ…!」とヒソヒソ話始める。
そんな夜行に「だー! もう! だから…!」と火黒に突っ掛る良守。
しかしそんな良守の肩をがしっと掴んだのは涙をぽろぽろと零す時音。
ギクッと良守の動きが止まった。
「分かったの?」
「え、あ、えと…」
「私が言ってたことはちゃんと分かったの!?」
「はいっ!」
ビシッと背中を伸ばして言った良守。
時音は涙を指で拭いキッと良守を見た。
やはり彼女の涙はまだ止まらず良守は変わらずあたふたとしている。
なんと声を掛けようか迷っていた様子の良守はぐっと拳を固めた。
「お、俺、どうしても火黒をぶん殴ってやりたくて…!」
「…アレ俺の所為?」
『どう考えてもそうでしょ…。』
「ずっとつっかえてたんだ! 志々尾も黒凪もあんなに傷つくし、黒芒楼にもムカツク事いっぱいあって…!」
あいつら、あんな意味分かんねーレベルの妖連れて来るし、烏森だって荒らすし…!
時音だって、怪我しただろ?
涙がぽたぽたと時音の頬を伝って落ちて行く。
「だから俺、何が何でも黒芒楼は潰さなきゃって…! 時音や俺の周りの人が傷つく前にって、」
「…アンタにはまだ私の言いたい事、全部届いてない。」
「え、」
時音が良守を抱きしめた。
突然の出来事に目を見開いて固まる良守。
ぎゅう、と時音の腕の力が強まった。
「アンタが私や限君の事に対してそう思う様に、皆アンタが傷つくの見てられないんだよ。」
「!」
「私だって、周りの人が傷つけられたら1人でこんなトコ潰してやりたいわよ! …でも絶対しない。…だって、それをしたらあんたが怒って、悲しむことを分かってるから。」
あんたはもっと自分を大事にしなきゃ。
時音が諭す様に言った。
目を見開いた良守が徐に眉を下げ、「ごめん」と良守が小さな声で言った。
やっと時音の言葉が彼に届いたらしい。
そんな良守に周りの面々が頷いていると…。
「きゃあっ⁉」
良守が次の瞬間、突然意識を失い倒れた。
時音は大きく目を見開くとすぐさま良守の顔を覗き込み、遅れて正守も良守に近付いた。
「どれどれ…」
「よ、良守大丈夫ですか…?」
「…うん。大丈夫。寝てるだけだよ。」
よっこいせと良守を肩に担いだ正守が時音に笑顔を向け、「とりあえず帰ろうか。」そう言った彼に夜行の面々が返事を返す。
蜈蚣がぐっと体を伸ばし巨大なムカデを出現させ、全員でそれに乗り込み日が落ちる様子を横目に墨村家と雪村家への帰路に就く。
そんな中で時音は隣で座っている黒凪と火黒を困った様に見て口を開いた。
「…あの、黒凪ちゃん?」
『ん?』
「本当にその、火黒を…?」
『うん。もう無害だから大丈夫。』
ちょんと火黒の横腹を突いて「ね。」と笑う黒凪に火黒は表情を変えず「ははは」と笑った。
その奇妙な光景に顔を引き攣らせて時音は改めて前を向く。
太陽も完全に沈み辺りは暗くなっていた。
「んじゃあ帰ります。限と黒凪も、晴れて任務完了ということで夜行に帰還するから。」
「…おう。」
正守の言葉に仏頂面ながらも頷く良守。
そんな彼の後ろから大きな弁当箱を抱えた修史が笑顔で顔を覗かせる。
「また帰ってくるんだよ? いつでも大歓迎だから。」
「うん。ありがと父さん。」
修史から弁当を受け取り正守が少し笑った。
すると夜行の人混みから「ほらほら」と声が聞こえ良守が其方に目を向ける。
正守のすぐ後ろに姿を見せたのは黒凪と限だった。
2人は少し困った様に良守を見るとどちらから共無く口を開く。
『またね良守君。多分すぐ会えるだろうけど。』
「…また。」
「あぁ。…じゃあな。」
片手を上げた良守に限も徐に上げる。
その様子を微笑ましげに見ていた正守は「それじゃあ行くよ。」と声を掛けて背を向けた。
最後に手を振った黒凪に良守は再び手を振り、正守の言葉に持ち上げていた手を下ろした。
「それでは全員、解散!」
暫く今まで夜行の面々が屯していた位置を見ていた良守は何も言わず背中を丸めて家に戻っていく。
時音も外に出ていたらしく、同じように暫く夜行の面々が居た場所を見ると中に入って行った。
救済しまくりEND
(…時守様。さっきお姫様から連絡が。)
(うん? …おお! 遂に黒凪がやったか!)
(準備も整ったのでそろそろ…)
(ああ。よろしく頼むよ、墨村守美子さん。)
(はい。)
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