世界は君を救えるか【 結界師長編 】
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志々尾限への一歩
「…志々尾、黒凪ー…ってあれ?」
「2人なら夜行に帰ったわよ。」
「何ぃ!? …ってあれ? 時音なんで中等部に…」
「どーせアンタ、何にも知らずに2人に会いに行くと思って。」
あ、ありがと…。
と微かに頬を染めて言った良守の頭を時音が思い切り叩いた。
前のめりになった良守は数秒程黙ると「もう帰ってこねぇのかな、」と悲しげに言う。
それにため息を吐いた時音は「馬鹿ね。」と笑うと空を見上げた。
「きっと帰ってくるよ。もうコンビネーションも完璧なんだから。」
「そ、そうだよな! …きっと夜行から新しく仲間を連れてくるとか…そんなんだよな、」
「…うん」
『ただいま~』
「…」
「これでも皆心配してたんだぞ? 烏森が奇襲に遭ったっていう情報はすぐに入ってたしな。」
「――黒凪!」
ほら。と駆け寄って来た閃に正守が笑みを浮かべる。
黒凪はそんな閃を見ると大きく両腕を広げたのだが、閃はそこには飛び込む事はせず、代わりに彼女の両肩をガッと掴んだ。
大丈夫なんだな!? と何処か青い顔で言った閃に黒凪が笑顔を返す。
『それよりも限の方が一大事。1回死にかけたもんね。』
「お前は1回死んだだろ。」
「死っ…!? やっぱお前全然大丈夫じゃねーじゃん!」
『いやいや、むしろ一回リセットされたおかげで体調は万全。』
笑顔で言った黒凪を困った様に見て次にギロ、と閃は隣に立つ限を睨んだ。
限は少し身構えたようにたじろぎ、閃の目を見返す。
閃はずかずかと限の前に行くと何も言わず顔を伏せたままで彼の胸元に拳を軽くぶつけた。
「…お前も、死ななくてよかったな。」
「…あぁ。…ありがとな」
「な、別にお前を心配した訳じゃねぇし…!」
「いや、…お前はいつも俺を放っていかなかったから。」
限の言葉に閃が大きく見開く。
この夜行には、若いながらも大きな力を持ち、強い限を疎むものは少なくはない。
時にはその協調性のない性格が災いして、仲間を傷つけてしまったこともあり…それは黒凪も例外ではない。
でも閃だけは、何があっても限を心のそこから拒絶することはなかった。
《おい、お前大丈夫なのかよ!》
《…煩い。俺は大丈夫だ。黒凪の所に行けば傷も癒える。》
《待てよ!》
雨の中、巨大な妖に1人で立ち向かい傷だらけになった限。
そんな限の肩を掴んだ閃は限を背に負ぶって走り出した。
限は怪訝に閃を見て、暫しの沈黙の後にぽつりと言った。
《…なんで》
《お前こそ "なんで" だよ! なんでそこまで…!》
《…これが俺の仕事だから》
《!…だったら動けなくなったお前運ぶのも俺の仕事だ! 探し出すのも俺で、…お前が居なくなった時、黒凪を護るのも!》
閃、あんたは限を護ってやって。
黒凪の言葉が脳裏に浮かぶ。
戦闘班になりたくて、努力して、頑張って…それでも自分が思い描いていたようにはならなかった。
何年たっても、仲間の支援をするだけ。戦えない俺の代わりに傷だらけになっていく仲間を、草の陰から見るだけ…。
そんな役立たずだった俺を、黒凪は頼ってくれたんだ。
だから俺は…危なっかしい限を、絶対に独りにはしない。
「…。とにかく! お前はあれだ、…あー。」
「?」
「…死ぬなよな。お前が死んだら誰が黒凪を護んだよ。」
「……あぁ。分かってる」
ありがとな、ともう一度言った限に微かに頬を赤く染めてそっぽを向いた閃。
限と黒凪は顔を見合わせて少し笑うとそのまま本部に入って行き、荷物をまとめ始める。
今日の夜には烏森に戻って結界師の補佐を続けなければならない。
必要最低限の追加荷物をまとめた黒凪と限が外に出ると、そこには蜈蚣と、そして正守が立っていた。
「忘れ物は無いか?」
『うん。』
「…俺も大丈夫です。」
「よし。じゃあ蜈蚣、頼む。」
はい。と無機質な返事と共に巨大な蜈蚣が現れ全員が乗ると烏森へ向かった。
そうして夕方頃に墨村家へ到着し、正守が墨村家へ足を踏み入れると嬉しそうに修史が正守を含め、限と黒凪を笑顔で向かい入れる。
そんな修史に適当に挨拶をして、3人はすぐに学校からすでに帰ってきているであろう良守の部屋へ。
「良守」
「ん? うおぉ! 兄貴…」
「限の実家に行くんだけど、お前も来る?」
「!」
ばっと顔を上げた良守が正守の後ろに立つ限に目を向ける。
「いいのか?」そう言った良守に小さく頷いた限。
そして簡単に準備を済ませた良守を連れて雪村のインターホンを鳴らすと、時音が顔を出す。
「やあ、時音ちゃん。今から限の実家に行くんだけど…来るかい?」
「え、あ…は、はい! ちょっと待っててください!」
「急がなくていいからね。」
どたどたと中に引っ込んでいった時音を見送った良守が
じと、と正守に目を向ける。
「事前に言っとけっての。」
「いやあ、アポが急に取れたもんだからさ。」
「…お待たせしました…」
「お婆さんは大丈夫だった?」
「あ、はい…。今は黒芒の方に出かけていて。」
へぇ、と興味深げに正守が言った。
やがて皆でムカデに乗り込み、限の実家へと向かう。
「ところで、実は限のご家族に今回の事がもう知られてるみたいでね。」
「今回の事、って…」
「戦いで限がかなり危ない状況に置かれたこととか。」
「…それって兄貴めちゃめちゃに怒鳴られるやつじゃ…」
良守の言葉に「まあな。」と眉を下げて言う正守。
しかし限は間髪入れずに「いや」と良守の言葉に返す。
「怒らない。あの人たちは…。」
「限君…」
「志々尾…」
目を伏せて言った彼に黒凪が限の頭に手を乗せた。
『じゃあ私や良守君、時音ちゃん…そして正守君は、あんたが傷けられたら怒ると思う?』
「それは…」
「そりゃあもうめちゃめちゃに怒るぜ、俺は!」
「私だって!」
限が顔を上げ、最後に正守に目を向ける。
正守も笑って「そんなことがあったら、何があっても俺が敵を討つよ。」そう言った。
そんな彼らの言葉に少し照れたように顔を伏せる限。
『だから大丈夫。何があっても私たちがいるからね。』
黒凪の言葉に小さく頷き、限が徐に視線を落とした。
徐々に彼にとって見覚えのある場所へと近づいて行っているようだった。
そしてやがて少し開けた場所にある集落にひときわ大きな一軒家が立っているのが視界に入る。
その家を見た限は微かに緊張したように表情を固めると、黒凪の影に隠れる様にした。
玄関前に降りれば表札には "志々尾" と記されている。
「…ホントに志々尾の家なんだな…」
早速正守がインターホンを鳴らし、暫くその返答を待つ。
限はまだ黒凪の後ろに隠れるようにして俯いて立っていた。
「はい」そんな低い返答にびくっと肩を跳ねさせる限。
「こんにちは。連絡させて頂いた墨村正守です。」
「…良守。ピシッとしなさい。」
暫くして開いた戸に良守がピンと背を伸ばす。
限は顔を覗かせた男性を見るとすぐにその目を逸らした。
男性の顔は何処と無く限の面影を持っていて良守たち全員が直感で限の父親であることを悟る。
「…どうも。話しは聞いています。どうぞ中へ…」
「限!」
ビク、と体を硬直させた限。
扉を開いた父親を押しのけ、少ししか開いていなかった扉を力任せに開き切ったのは
長い髪を一つに縛った女性だった。
限とよく似たその風貌に彼女があの、限の姉だと直感する良守達。
「限、大丈夫…」
「…っ」
伸ばされた手から逃げる様に一歩下がった限に、彼女が眉を下げその手を引っ込める。
男性が女性を「涼」と呼び、彼女はその声に振り替えると再び限を見て、そして悲し気に目を伏せてしまう。
すると黒凪がバシッと限の背中を、叩きその音に涼が顔を上げた。
『ほら、ちゃんとしなさい。あんたが来たいって言ったんだから。』
「…限が…?」
「…あの、姉ちゃん」
「まずは中に入れば良い。…な? 限。」
男性の言葉に限が徐に頷いた。
中に通され客間に移される一行。
限を真ん中に左側に黒凪、右側に良守。
限の背後に正守、その右隣に時音が座った。
限達の正面には涼と父親である鉄斎が座っている。
…最初に口を開いたのは正守だった。
「…まず、この度は」
「貴方からの言葉は聞きたくない!」
途端に立ち上がって怒鳴り声を正守に浴びせる涼。
限が傷つき、危ない状態にあったことを聞いたときからきっとこうして正守を怒鳴りつけたかったのだろう。
それを分かっていたように正守が口を閉ざした。
「14歳の子供に重傷を負わせたですって!? ふざけないで! そんな所だと知ってたら私…!」
「姉ちゃん。」
静かな限の声が響き涼が言葉を止める。
正守はそれ以上何も言う事は無かった。
全員が黙っていると意を決した様に限が口を開く。
「…姉ちゃんごめん。傷付けて。」
「!…ううん、全然大丈夫。私もごめん、…ごめんなさい」
「…それだけ、言いたくて。…もう俺は、これで…」
「待って!」
立ち上がろうとした限の手をすぐさま涼が掴んだ。
そこで初めて涼の顔をしっかりとその目に映す限。
久々に見た限の顔に感極まったのだろう、涼が掴んでいる手の力を少し強めたのがわかった。
「限、…アンタ大丈夫なの? …辛くないの?」
「…うん」
「もしも辛い思いをしているんだったら家に…」
「辛くない。…俺は今、楽しくやってる。」
する、と抜け出した限の手に涼が眉を下げた。
限は扉を開くと逃げる様に屋根の上に登り、その後をすぐさま涼が追おうとする。
『涼さん。』
「!」
立ち上がりかけた涼がぴたりと動きを止め、声の主に目を向ける。
涼はそこで初めてここに来ていた正守以外の人物である良守、時音、そして黒凪を見た。
「…貴方達、は」
「お、俺は志々尾の友達です!」
「私も、」
『…』
「…貴方は?」
黒凪を見てそう言った涼。
涼は黒凪のその瞳をじっと見つめると、途端に背中が冷えるような感覚に襲われる。
そして言った。
「…貴方、限をあの日、連れて行った…」
きっと彼女自身、あの日のことは脳裏に焼き付いていたのだろう。
弟に傷つけられ意識が朦朧としていた中…きっと、意識を失った限を連れてやってきた黒凪を見ていたのだろう。
「貴方、あの日みたいに限を傷つけてないでしょうね⁉」
『!』
すぐに涼が怒りを顔に浮かべながら黒凪の胸倉を掴んだ。
そんな涼を静止するような父、鉄斎の声も今の彼女には届いていないらしい。
「あの子を今もあんな風に扱っていたら…、あの子を化け物だなんて呼んだら、私が許さないから!」
『彼を化け物として扱ったことなんて一度たりともありません。』
まっすぐに涼の目を見て言った黒凪に涼の勢いにブレーキがかかる。
そして、と言葉に詰まった様子の涼に黒凪が続けた。
『彼も、私を人として扱ってくれた。…とても優しい子です。』
そんな黒凪の言葉に目を見開いた涼。
そんな彼女の手を屋根から降りてきた限が黒凪の胸元からやんわりと離した。
途端に涼の脳裏にあの日の記憶が過る。
「(そういえばこの子…)」
『…』
「(どうしてあの日から…全く姿が変わっていないの…?)」
姉ちゃん。
そんな限の声が涼を現実に引き戻した。
涼がはっと限に目を向け、笑顔を見せる。
「俺はもう此処には戻らない。」
「! …え…」
「多分ずっとこの人の傍に居ると思う。…ずっと護り続けるって、決めたんだ。」
俺が死ぬまで。
そう言った限にショックを受けた様に顔を青ざめさせた涼はその場に座り込んだ。
それを見た限は徐にしゃがみ込むとぎこちない様子で涼を抱きしめる。
限に抱きしめられた瞬間、涼の両目から大粒の涙が零れ落ちた。
「傷つけてごめん。…俺の事、護ろうとしてくれてありがとう。」
「限…っ」
「…俺は黒凪の為に生きるよ」
涼から離れ、限が黒凪達の元へ向かって行く。
立ち上がることができない様子の涼の側に寄り沿い、その肩を抱いた鉄斎は徐に笑顔を限に向けた。
「…強くなったな。」
何年かぶりにかけられた、父からの一言だった。
それは限の父親らしく、短く率直で。
限はよほど嬉しかったのか、微かに微笑み眉を下げた。
「頭領、姉ちゃんから預かっている手紙…あれ何処にありますか」
「お、やっと読む気になったか?」
「はい。…今なら、読める気がします。」
その言葉に良守や時音が笑顔を見せる中、正守が徐に黒凪へと目を向けた。
「ああそうだ黒凪…」
『うん?』
「ちょっと話があるんだけどいいかな。」
並んで良守たちがいるムカデから遠ざかり田んぼの前で足を止める正守と黒凪。
その位置は丁度限達がどれだけ耳を澄ませてもこちらの声が聞こえないほどの距離だった。
黒凪が「どうしたの、」と正守を見上げる。
正守が徐に腕を組んで言った。
「扇一郎が死んだ。…それもバラバラになって。」
『へえ…』
「犯人は扇七郎。確かに身内としても放っておけない程、奴は色々なことに手を染めすぎていた。…でも正直引っかかってる。」
殺しを仕事として受けているような奴が死体もろくに処理せず、こうして表ざたになり、挙句犯人まで特定されている始末。
まるで後処理の仕方が ”仕事” なんだよ。個人的な事情が絡んだ事の様にはとても思えない。
そこまで言って沈黙が降り立った。
「――君が依頼したのか?」
率直な質問だった。
少し笑った黒凪は特に間を開ける事も無く頷き、それを見て「やっぱりなあ」とため息交じりに言って頭を掻く正守。
『扇一郎が黒芒楼と繋がってるのは分かってたんでしょ?』
「うん。」
『後にも先にも、烏森に手を出したんだから…私たちの誰かがやらなければならなかった。』
彼に依頼をしたのは、これでも扇一族に配慮をしたかったから。
私のような部外者が呆気なく彼を倒して扇一族の汚名が広がるか…それとも身内間で全てを終わらせるか。
『何が彼らにとって、そしてこちらにとって最適だったかはあんたも分かっているはずだよ。』
「…ま、そうだね。」
『…それに…個人的にあんたにはこの処理を任せたくなかったからさ。』
ボソッと言った言葉に正守が片眉を上げる。
すると志々尾家の門が開き、目元を赤く腫らした涼が周りを見渡した。
そして彼女はムカデの上にいる限ではなく、黒凪達の方へと走ってくる。
『…私かな?』
「そうじゃない? 俺なら夜行に連絡を入れればいつでも話せるわけだし。」
そう言って正守が徐に1人ムカデの方へ向かっていく。
案の乗涼の目的は黒凪だったようで、正守に軽く会釈をして、そのまま黒凪の目の前へ。
「よかった、まだ居てくれて…」
『どうしたんです? 何か忘れ物でもありましたか。』
「いえ、…貴方の名前だけ聞いておこうと思って」
『あぁ…間黒凪と言います。』
そう名乗り、軽く頭を下げた黒凪。
そんな黒凪を見つめたまま、涼が復唱するように言った。
「…はざま、さん」
『はい』
「……。限をよろしくお願いします。」
深々と頭を下げられ黒凪が微かに目を見開いた。
頭を上げてください、と声を掛けるとゆっくりと頭を上げる涼。
そして涼はチラリと限を見ると黒凪の目を真っ直ぐと見る。
「あの子は人を傷付ける事を酷く嫌がる様な優しい子でした。…カッとなって暴れちゃう事もあるけど根っこはとても優しい子なんです。」
『はい』
「…限は私の宝物なの。…どうか、無茶はさせないで…」
もう一度深く深く頭を下げられた。
微かに肩が震えている。
眉を下げた黒凪は涼の肩を掴み顔を上げさせた。
涼の頬を涙が伝う。
その顔はやっぱり限に似ていて。つい、少し笑顔を見せてしまった。
『限にとても似ているんですね。』
「!」
『…限はまだまだ不器用だけれど…。沢山友達出来たんですよ。』
今日来てくれた限と同い年の男の子は今限と一緒に仕事をしている子なんです。
限をとても大事にしてくれていて、よくお互い文句を言いあってますが…とても相性がいいと思います。
女の子も仕事仲間なんですよ。限はあの子を貴方と時折重ねていました。
貴方と同じで芯が強い女の子なんです。限を沢山サポートしてくれています。
他にも、限をずっと気に掛けてくれている同じ妖混じりの子もいます。
ぽろぽろと涼の両目からまた涙が溢れ出した。
『限は貴方が思っているより皆に受け入れられてますよ。』
「…はい…っ」
『泣かないで。最後ぐらい笑顔で送り出してあげて下さい。』
徐にムカデが浮かび上がり、黒凪が一瞬で上空に結界を5つ程作り上げた。
すると限がムカデから飛び降りて黒凪を瞬く間に抱え、彼女が先ほど作った結界を足場にムカデに飛び乗る。
それを見上げていた涼は突風で靡く髪を抑え「限ー!」と声を張り上げた。
「頑張って…! 姉ちゃんずっと応援してるから!!」
「…頑張る!」
「!」
限も姉に負けじと声を張り上げた。
その声をしっかりと聞き届けた涼は溢れ出した涙にすぐさま顔を両手で覆う。
その姿を見た限は眉を下げ背を向けた。
これで本当に最後だ。…帰ってくることは無い。
「…よう」
「……あぁ」
屋上に上り顔を覗かせた良守は既にその場所で寝ていた限を見て一言そう声をかけた。
限もチラリと良守を見て返事を返す。そんな当たり前の様で当たり前でない短い会話でさえ、良守はとても嬉しく感じられた。
良守は限の隣に寝転び空を見上げる。
「…お前さ、あの時死にたかったのか?」
「あの時?」
「火黒に斬られた時。…烏森がお前の死を受け入れてたから」
「!」
限が微かに振り返る。
良守はそんな限に顔を見られまいと寝返りを打ち背を向けた。
微かに良守の肩が震えている。
泣いているのか、と声には出さず限は目を見開いた。
「もうそんな風に思うなよ」
「…あぁ」
「お前が死んじまったら、…俺すげー悲しいから」
あぁ。とまた限が返事を返す。
ずずっと鼻を啜る音がした。
限は眉を下げ目を閉じる。
数秒程沈黙が続くと「だぁ!」と良守が起き上がった。
「志々尾!俺は!」
「……」
「…俺は、お前に生きたいって思わせられなかった。結局お前は黒凪の為に生きる事を選んだんだろ。」
「……あぁ。そうだ。」
俺はそれがすげー悔しいんだよ! 良い事だけど!
胡坐を掻いて顔を伏せた良守の前に限も起き上がり胡坐を掻いた。
ばっと良守が顔を上げる。目には涙が沢山溢れていた。
「俺、お前の友達なのに。」
「!」
「俺はお前に生きたいって思わせたかった」
「…俺は、…今日まで十分楽しかったからもう良いと思ったんだ。」
良守が言葉を止める。
限は空を見上げ微かに笑った。
脳裏に姉が思い浮かぶ。
子供の頃に苛められた記憶も浮かんだ。
「お前みたいにぬるい奴、初めてで。…楽しかったから、満足した。」
「…っ」
でも今は。
良守が目を見開く。
限は照れた様に笑っていた。
「生きてて良かったと、思う」
「…っ、じじお゙ぉ…」
だーっと涙を流した良守にどうすれば良いのか分からない様子の限。
そんな会話をこっそりと聞いていた時音と黒凪は顔を見合わせ眉を下げる。
すると授業の予鈴が校内に鳴り響いた。
『限、偶には体育の授業出ようよ。』
「黒凪…」
「ギャー! きゅ、急に出てくんなよぉ!」
「あーらみっともない。泣いちゃって。」
また「ギャー」と良守の悲鳴が響く。
さすがに好きな女の子に泣き顔を見られて恥ずかしいのだろう、良守がぐしぐしと服の袖で顔の涙を拭う。
「…いや、俺が体育に出ると…」
「良守もたまには授業に出たら? 黒凪ちゃん達と合同でやるみたいだし。」
「ずび、へ、へー…合同なんだな…。」
『いい機会だし、ちょっと体を動かす程度でさ。ね?』
しーんと沈黙が降り立ち、限と良守が顔を見わせる。
そして黒凪が限を、時音が良守を連れて屋上から出ると、2人をそれぞれの教室に放り込む。
どうやら男子は別の場所で服を着替えるらしく、限と良守はしぶしぶそれぞれの体操服を抱え更衣室に向かって行った。
ちなみに、良守と限の体にはわりと傷が多く、2人は他の生徒たちに見られないように隅っこの方で互いに体を隠しながら着替えたのだとか。
そしてそれを見た他生徒達が2人に関する変な噂を広めるのは、また別の話。
「はい、今日も前回に引き続きマット運動だ。今日は各自考えた技を披露する日だぞー。」
『え゙』
「…その "技" って側転とか?」
「その通り。ま、俺のデータベースではお前の運動神経は良い方だからどうにかなるだろう。」
良守のクラスメイトはノープランである良守に気付いているらしく半笑いでそう言った。
そんな会話を訊き限と黒凪で顔を見合わせる。
限は即興でもどうにかなる。…と言うより、むしろ中学生ではあり得ない技を連発して高得点を叩き出してしまうかもしれない。
それに比べて私はどうだ、何も出来ないんだが。
黒凪は他の生徒達が技を披露する中胡坐を掻きうんうん唸っていた。
すると良守が隣にドカッと座り込む。
「よう。」
『どうしよう良守君。私運動全然出来ないんだけど…』
「え、マジで? あ、だからいつも志々尾に担がれてんの?」
『うん。どうしようかなぁ、私足も壊滅的に遅くて。』
これはもう年とか関係なくそうなんだよねえ。
困った様に言う黒凪に良守は乾いた笑みを溢す。
すると良守の名が呼ばれ彼は気だるげに立ち上がった。
えっと、とマットを数秒程眺めた良守は走り出し軽い身のこなしで側転とバク転を披露する。
まさかバク転が出るとは思っていなかったのか教師も唖然とし生徒達は凄い凄いと互いに話しながら拍手を送った。
『凄いねえ。』
「伊達に毎晩走ってないからな。あんな奴等相手だったら無茶な避け方とかもしてるし。」
『あ、それ昔からでしょ。結構生傷多いもんね。』
「うん。…時音を抱えて走ったりもしたしなぁ。」
懐かしむ様に言う良守に「ふぅん。」と返して黒凪は天井を見上げた。
確かに昔は走り回ってた時もあったなぁなんて思う。
それに父が弟につきっきりだったあの頃、寄ってくる妖の退治は私が主に引き受けていたし。
…あの頃は傷も沢山あった筈なのに。
『…いつからだろう、ほとんど無傷で戦えるようになったのは。』
「え?」
『いつの間にかそこらの妖なんて、一瞬で倒せる様になっちゃったんだよねえ。』
「…すげーよな、」
凄くないよ、と即座に返した黒凪に良守の目が向く。
彼女は困った様な顔をしていた。
黒凪は教師に呼ばれて前に出る限を目の隅に捕えながら再び口を開く。
良守の目も限に向いていた。
『まだ完成してないの。…1番必要な術がまだ出来ないんだ。』
「1番必要な術?」
『うん。…この世の全てをひっくり返せるような、そんな想像を超えた術。それが出来ないと…』
ダン、と踏み込んだ音がした。
限に意識を映せば彼は多少なりとも良守に対抗したのだろうか、側宙、バク転、バク宙と物凄い勢いで、且つ美しく披露する。
黒凪の式神の事だ。毎回適当にこの体育の授業も切り抜けていたのだろう。
予想外の出来栄えに教師も生徒も呆然としていた。
『あーあ。どんどんハードルが上がっていく…。』
「おい志々尾、何マジになってんだよ。」
「…別に。」
そんな風に会話をする限と良守を横目に黒凪は徐に目を閉じる。
…そう、まだ完成していない。だから父様も私の元に姿を見せない。
完成させないと。私がこの世界から消えてしまう前に。必ず。
「おーい。間、お前の番だぞー」
『え、嘘! ちょっと待って私何も出来ない…』
「昔の記憶を呼び覚ませばどうにかなるんじゃねーの?」
『…仕方ない。ちょっとアレだけど。』
黒凪の周りに力が溢れた。
その力に気付いたのは良守と限のみ。
離れた位置で授業を受けている時音も気付いたが力の根源が黒凪だと悟ると怪訝に思いながらも授業に集中する。
以前にもやったように、魂蔵にある力で無理やり体を "少し作り変える" 。
息を吐き黒凪が足を踏み込んだ。
『う、わっ』
「おお…すげー跳んだ」
「…(やり過ぎだろ、あれは)」
思い切り踏み込むとかなりの距離を跳び上がり、限と良守が呆れたようにそんな黒凪を見守る。
当の本人、黒凪は微かに目を見開きながらも体を捻りそのまま側宙。
トンと足を着きその勢いのまま2回ほど側転をして回った。
更にその側転で勢いに拍車がかかり、黒凪は前のめりになりながら動きを止める。
ご、合格…。と先生が笑顔を引きつらせながら成績表に書き込んだ。
体育の授業を終え、そろそろ屋上でサボろうかと限が立ち上がった時。
珍しく良守と時音2人で黒凪達の教室にやって来た。
限と黒凪2人して目を丸くしていると良守が自分の携帯をばっと此方に向けてくる。
そこには烏森の前の主であるウロ様の居る神佑地、無色沼の映像。
その映像を見た黒凪はばっと立ち上がった。
『干上がった…?』
「ああ。…今から早退して行こうと思う」
『解った。限、』
「あぁ」
既に鞄を持っている良守達に続いて限と黒凪も鞄を持ち上げる。
そのまま急いで無色沼に向かった。烏森から数10分程歩く着く程度の距離にある無色沼。
辿り着けばその光景に時音と良守が愕然とする。普段は市民の憩いの場となっている巨大な無色沼の水がすべて干上がっていた。。
『…とりあえずウロ様の所に行こうか。』
「!…知ってんのか? ウロ様が居る場所…」
『ん? うん。昔にお会いしてそれきりだけど。』
広場の様な場所には大量に警察やテレビの報道陣などが居て、とても近付ける雰囲気ではない。
そのためそれらを掻い潜る為に森の中の獣道を進むことにした。
途中で時音と黒凪の制服が木や草に引っ掻からないように限が手を変化させ木や草をなぎ倒していく。
そうしてたどり着いた場所には…
「え、何これ…。ウロ様はこんな所に住んでるの? ただの穴じゃない。」
「こんな所じゃねーよ。なぁ?」
『うん。おかしいなあ…こんな穴はなかった筈なんだけど。』
4人で不自然に地中深くまで掘られた穴に近付き
良守が1人しゃがんで穴の中を中を覗き込む。
「おーい。ウロ様ー。ウーローさーまー。」
そう良守が穴に向かって声を掛けた。
そんな適当な呼び方に時音はハラハラしていた訳だが、良守の背後にニョキッと現れた豆蔵が良守の呼びかけに応える様に彼を穴に落とす。
ギャーと落ちて行った良守に焦ったように穴の中を覗き込み、良守を念糸で救出する時音と限。
そんな2人を横目に黒凪は豆蔵に目を向けた。
【ふん。いついかなる時も背後からの攻撃には注意せんか!】
「んなこた言ったってなぁ…!」
「良守、この方は…」
「そいつは豆蔵…。ウロ様の付き人的な奴。」
ちょこんと座る豆蔵はうんうんと頷いた。
穴から這い上がった良守は豆蔵の前に座り、限や黒凪も座る。
ウロ様は無事なのか? と心配げに訊いた良守に「無論。」と豆蔵が即答した。
【あの程度の妖がウロ様の眠りを妨げようなど100年早いわ。】
「よかった…。でもこの穴大丈夫なのかよ。」
【この程度の穴を掘った所で神の領域には近づけん。】
『ああ、じゃあこれは妖が掘ったものですか…。直しておきますね。』
そこで黒凪に気付いた豆蔵。
ん?と微かに眉を寄せた豆蔵はザワ、と異様な力を感じ取ると「おい娘」と黒凪を睨む。
黒凪は「はい?」と豆蔵を振り返った。
【お前、もう少し力を抑えんか。】
『あぁ…すみません。』
【…思えばあの頃からだな、お前の力が喧しいのは。】
今は既に昔程の力は蓄えていないようだが。
黒凪は微かに目を見開くと「ご名答」と目を細める。
再びフンと目を逸らした豆蔵を見ると黒凪は眉を下げ口を閉ざした。
次に時音が「どんな奴等だったか覚えていませんか」と問いかける。
豆蔵は静かに首を横に振った。
【某もウロ様も昨晩は深い眠りに入っておった。全く見ておらん。】
「でも多分、こんな事したの黒芒楼だと思うんだよ。」
【こくぼうろう?…もしや黒芒の化け狐の事か?】
「…狐?」
時音の脳裏に黒凪の言葉が過る。
"へー…。狐も粋なのを作るね。"
ばっと時音が黒凪に目を向けた。
その様子を見た豆蔵はため息を吐くと黒凪を見上げ「しっかりと情報はやらんか」と一喝する。
黒凪は「あはは、」と眉を下げると良守達の視線を受け口を開いた。
『遠い昔に一度だけ会ったことがあるんだ。黒芒と呼ばれる異界の神佑地の主の事だよ。』
「それが黒芒楼なの…?」
『うん。黒芒の主である狐は元々は妖でね。そろそろ寿命で体にガタが来ているはず。だから…』
「烏森の力を使って、治療というか…延命しようとしているって事?」
『か、新しい神佑地として烏森を狙っているかだね。だとすると見当違いも良いところだけど。』
うむ。と豆蔵が頷いた。
そんな黒凪と豆蔵に良守たちが小首を傾げ、ため息を吐いて豆蔵が口を開く。
「もともと土地というものは主に呼応しているもの。つまり、黒芒にガタが来ているのは主である化け狐の影響なのだ。」
「ということは、黒芒がダメだからって烏森に移っても…結局は主が弱っている所為でいずれは烏森もダメになるってこと…?」
「うむ。」
まあ、世間話はここまでとして。
豆蔵が続けて言って立ち上がると、さっさと帰れと4人の背を頭の蔦で押した。
どうやらこれから無色沼の修復に入るらしく、4人がいると邪魔になるのだと言う。
『限、その黒いのさっさと狩って』
「あぁ」
「志々尾! なんかあの妖速くて掴まんねー!」
「私が足場作るからお願い!」
良守と時音の声にも「分かった」と一言返して走り出し、瞬く間に影の様な妖を斬り伏せ着地した。
流石だぜげんげん~。などと言いながら白尾が限の周りをクルクルと回る。
それを横目に限がゴキ、と首を鳴らすと斑尾と白尾が同時にピクリと反応を示した。
【…また何か変なのが来たねぇ。】
【ハニー、奇妙な気配だぜ。気を付けた方が良い。】
2匹の言葉に頷き走り出す良守と時音。
黒凪は限に抱えられ良守達より一足先にその妖の元へ辿り着いた。
校舎の前にぽつりと立つ人型の妖。彼は何も言わず此方を見ると良守たちが到着したことを見届け、目を細めた。
途端にその背後からまばゆい光が溢れだし、その光景に眉を潜めた良守が結界を妖囲うために結界を配置する。
しかし妖は瞬く間に移動すると、再び何も言わず周りを見渡し始める。
「んのやろ、…!?」
「っ、体が動かない…!?」
妖から視線を映し、少し前に立つ良守と時音の陰に目を向ける。
まばゆい光によって出来たそれぞれの影に1本の釘の様な物が刺さっていた。
『…限、私の影にも釘は刺さってる?』
「ああ」
【それは "影縫い" と言う術です。あなた方は厄介なのでね、動きを止めさせて頂きました。】
動けない。その事実に冷や汗を流す時音だったが
そんな彼女の心境を察してか妖がいたって冷静に続ける。
【何もあなた方に攻撃しようとしている訳ではありません。…ただ、少し調べ物をしたくてね。】
そう言って妖は地面に右手を向けた。
その右手の指の先、それから手の平に目がぎょろりと開き、地面…いや、正確にはその奥へと視線を走らせる。
すると黒凪の耳に烏森の声が届いた。
「此方を見ようとしているな」「気味の悪い奴」「邪魔だ」「…姉上」
途端にぐん、と黒凪が背中を押されたように前のめりになり、反射的に己の影に目を向ける。
自分の影を縫い付けていた筈の釘は、ひび割れた地面の所為でその場にぱたりと倒れていた。
ちらりと自身の後ろに立っていた限を見た黒凪は、その表情を見てこの地面がひとりでに釘を倒したのだと理解した。
そしてすぐに構え、それを見た妖が驚いたように飛び退いだ。
【…何故動けるのです?】
『結。』
妖の質問には応えず、黒凪が結界を配置する。
しかしそれを良守にしたように避けると、妖の手にある目が閉じられ
ため息を吐いた妖が呟くように言う。
【…まあ、ある程度奥まで見ることは叶ったので良しとしましょう。】
『あらかた…無色沼を調査しても何も出てこなかったからこっちに来たといった所かな。』
【ええ。それにしてもこの地は何処までも興味深い…。】
たいていの作りは他の神佑地と同じ、この地面の深い深い奥には異界が広がっている。
…ただ、その異界を形成しているもの。正確には “術” 。それが…
そこまで言った所で黒凪が巨大な結界を作り上げる。
しかしまた数秒間に合わなかったようで、その上に妖が立ちこちらを見下ろした。
【…ふむ。今あなたの術…いや、正確にはその力の質。それを見てもう一つ疑問が。】
人差し指を立ててそう言った妖に黒凪が細長い結界をいくつか放つ。
しかしそれも交わすと、手の平を黒凪に向け再びその指にある目を開眼させた。
【貴方は烏森に酷似している。】
その言葉に良守、時音、そして限が黒凪に目を向けた。
途端に黒凪が絶界を発動させ、暫し彼女を見つめていた妖がその目を閉じる。
【止めておきましょう。その術は私の目さえも通さないようだ…。】
また何処かで。
そう言って妖は姿を消し、その気配も完全に途絶える。
途端に良守たちにかかっていた影縫いも解け、自由になった良守が黒凪の肩を掴んだ。
「お前…烏森について何か知ってるのか?」
『今はまだ…言えない。』
「はあ⁉ なんで…」
『…許可が、降りていないから。』
目を逸らしてそう言った黒凪が嘘をついているようには見えない。
言いたいことはたくさんあるらしい良守だったが、黒凪の心情を察してそれらを飲み込んだ。
そしてすぐに限が良守と黒凪の間に入るようにして黒凪を己の背に隠す。
「…悪い、墨村。」
「~っ、分かったよ! お前にも色々と事情があることは俺も分かってる。ただ…」
志々尾だけは、裏切るなよ。
念を押すような良守の言葉に黒凪が小さく頷いた。
そしてずかずかと去っていく良守の背中を見送る。
それは、出生の秘密へと遡る。
(生まれ落ちて最初に感じたのは、生命を脅かされる恐怖だった。)
(だから私の魂蔵は私を急速に成長させ…)
(己の身を護る術を与えたんだ。)
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