世界は君を救えるか【 結界師長編 】
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
志々尾限への一歩
「――! (この臭い…!)」
『うわっ』
とある日の、放課後。帰路についていた志々尾限は隣に歩いていた黒凪を抱えて走り出した。
「奴の匂いがする。」
『奴?』
「…多分お前が警戒してた "火黒" ってヤツだ。」
そうとだけ言うと、敵はそれほど離れた場所にいなかったのだろう。
すぐに目的の場所にたどり着き限が勢いよく足を止める。
こちらに背を向けていた男はそんな限に嬉しそうに振り返ったが、黒凪を見つけると残念そうに笑みを引っ込めた。
なーんだ。その子も一緒か。
そう言った声は間違いなく火黒のものだった。
『…火黒だね。』
「あぁ。…やっぱり人皮かぶってるとそこの妖混じり君しか気づいてくれないみたいだなァ。」
「テメェ一体何しに…」
「この間はどうもォ。君を斬った感触、あれは良かった。自分の姉貴を斬った感触はどうだった?」
そんな火黒の言葉に眉を寄せ、手を変化させる限。
しかしそんな限を静止するように出された黒凪の手を見て火黒が鬱陶し気に黒凪を睨む。
「…ま、良いか。俺はさ妖混じり君。キミはこっち側だと思うんだよねェ。」
「…何言ってやがる」
ニヤリと火黒の口元が弧を描き、それを見た限が一歩動く。
そんな限を見て今度が彼の腕を掴む黒凪。
動きを止めた限にまた火黒が眉を寄せ、少し声を低くして言う。
「そんな奴に押さえつけられてるタマか? 君は俺と同じで力を奮う事に快感を覚えるタイプだろ?」
『限、まじめに聞くんじゃないよ。』
「あ。ちなみにそこの結界師は駄目だね。…そいつは確かに人の枠から外れてるが "こっち" 側じゃない。」
だったら何だ。限が火黒の言わんとしていることを引き出す様に言った。
ずっと彼も感じていたのだ。黒凪と自分とのズレを。
今火黒の言葉を聞けばやっと分かる様な気がした。
黒凪が何者で、自分が何者なのか。
その限の考えを読んでか火黒がまたニヤリと笑う。
「"神" さ。そこの結界師は薄汚ェ俺たちのような妖じゃなく、その妖を無慈悲に踏んづける神サマって所だな。」
『――限。』
黒凪の声にふるふると頭を横に振る限。
しかし彼は感じていた。ストンと何の違和感もなく自分の中に降って来たその言葉に。
きっと俺は何処かでヤツの言葉に共感している。同じ考えだと。
「なぁ…"こっち" に来いよ。俺達は自由だぜ? こっちなら裏切られる事も無い。」
そう言った火黒が一瞬で限に迫り、限を蹴り飛ばした。
吹っ飛んでいった限にかすかに目を見開く黒凪。
『(驚いた、あれだけ邪気を一皮に封じ込められながらもこれだけ速く動けるとは…)』
「おおっと」
火黒が黒凪の喉元に刀を這わせ、口元を吊り上げる。
黒凪が静かに火黒を睨み上げる中、先程火黒に蹴り飛ばされた限が瓦礫を退けて立ち上がった。
「…黒凪、」
「おいおい、この女に依存するのは無しだぜ? こいつは神サマだ。俺達の孤独何て理解してくれやしない。」
途端に黒凪が絶界を発動し
それを避けるように飛び上がった火黒が電柱の上に立つ。
「おお怖い。…ま、一度考えてみな。神は薄汚い俺達を同等として見てくれるのか。」
火黒がひゅんと何かを限に投げつけ、限はそれを反射的に掴み取る。
そんな限に電柱の上の火黒がにやりと笑った。
「それは俺からの土産だ。孵化すればお前に見合った醜い姿で生まれてくる。」
「!」
「一度自分で見てみると良い。自分の醜さ、恐ろしさ…そして神サマとの身分の差ってヤツをさ。」
そうとだけ残して火黒が姿を消した。
それを見送り、限が徐に掌の上にある卵を覗き込む。
途端に黒凪が徐に卵を結界で囲んだ。
ハッと驚いた様に黒凪を見る限。
その目を見た黒凪はため息を吐き結界を解く。
『…限。その卵は自分で処分しなさい。』
「…あぁ」
【――動揺してない。やっぱり次元が違うんじゃないのか?】
自分の脳内に直接響くような声に目を見開き周辺を見渡す限。
しかし自身の周辺には黒凪以外に誰もいない。
そこで気づいた。この声が卵のものだと。
【コイツが信用ならない神様だと思うと、その言動の全てが信用ならない…】
『…あんたも私も、人間なんだよ。それは分かってるね?』
しばしの沈黙ののち、少し困った様に笑って限が頷いた。
すると限の携帯が鳴り、その相手が正守だと確認するとすぐに通話を繋げ、黒凪にも聞こえる様に音声をスピーカーに切り替える。
≪もしもし限? どう、そっちは≫
「あ、えっと…1つ気になる事が」
≪何?≫
「俺の情報があっちに洩れてます。俺の姉貴の事も知ってて。」
すると正守が嫌に納得した様に「やっぱりそうか」と呟いた。
やっぱり? と限が訊き返すとどうやら「それがさあ」と正守が困ったように言う。
≪夜行の中に裏切りものがいるみたいで、こっちの情報が黒芒楼に漏れてるみたいなんだ。俺の方でも対処するから、そこは安心して。≫
「…はい。」
≪あと、黒凪は近くにいる? ちょっと変わってくれるか?≫
限はそんな正守に返答を返すとスピーカーモードを解除して携帯を黒凪に放り投げ、そのまま背中を丸めてアパートへ歩き出す。
その背中を困った様に見た黒凪は携帯を耳に押し当てた。
もしもし、と声を掛けると「黒凪、」とやけに安心した様に正守が言う。
黒凪は微かに首を傾げて「どうしたの?」と声を掛けた。
≪前に言ってた烏森への増員の話なんだけど、少し遅れると思う。急な任務が入ってさ。≫
『急な任務?』
≪あぁ。それも扇一郎から…あっちの魂胆は分かってるけど、今はまだ従うしかないしさ。こっちとしても。≫
『そっか、分かった。気を付けて。』
頼む。じゃあ。
そう言って正守は通話を切った。
すでに黒芒楼へ情報を流している人間のことは全て分かっている。
黒芒楼に情報を流しているのは扇一郎で間違いなく、その扇一郎に夜行の情報を流しているのは夜行のNo.3である細波。
細波の方は正守がどうにかするとして…そう呟いて黒凪が自分の携帯を取り出し、扇七郎に電話を掛け始めた。
≪…はい。扇七郎です。≫
『こんにちは、七郎君。任務の件はどうなっているかな?』
≪あ…はい。すみません。色々と立て込んでいまして、少し保留していました。≫
『…もしよければキャンセルさせてくれるかな。』
え? と少し驚いた様子の七郎の声が耳に入る。
そんな彼に「いやなに…」と続ける。
『私が直接手を下そうかと思っただけだよ。こちらとしても堪忍袋の緒が切れそうでね。』
≪それは…≫
≪代れ≫
≪あ、≫
おう。と七郎とは違う声が耳に入る。
黒凪はその声の持ち主…扇二蔵に目を細めた。
≪偉く焦っとるな。≫
『そりゃあね…、私は君の面子を護ってそちらに依頼したんだよ。でもこれ以上手をこまねいている様なら致し方ないからさ。』
≪分かっとるよ。今夜にでも行かせる。≫
『…じゃあ、よろしく。』
ブツッと通話が切れ、二蔵が携帯を七郎に投げ返す。
じっと携帯を見つめる七郎に二蔵が「言っておくが」と口を開いた。
「口調はどうであれ、あれはかなり苛立っておる。必ず今夜一郎を殺してこい。」
「…分かってます。」
それにしてもどうして兄さんもあの人達に手を出すかなあ。
あんなにおっかない人達に…。
そう、七郎が一人ため息を吐いた。
「……るさい。…だまれ、…」
壁一枚を挟んで着替えていた黒凪は限の声に其方を覗き込んだ。
そこには卵を見下し何やら呟いている様子の限。
眉を潜めた黒凪は「まだ処分してなかったの、」そう言いたい気持ちを抑えて彼の肩を叩く。
すると限は大きく目を見開き一瞬で手を変化させ黒凪の喉元へ。
予想外の彼の行動に動きを止めた黒凪は限を見るとゆっくりとその瞳を限の手に移動させる。
『…限』
「っ!」
途端に変化を止め、その手をひっこめる限。
そして卵を乱暴にポケットに突っ込み限は逃げる様に窓に足を掛けた。
しかし一瞬はっとしたように黒凪を振り返り、黒凪の前に戻ってくる。
「悪い。…ごめん。」
その怯えたような顔に黒凪が眉を下げ、ちらりと烏森の方向に目を向ける。
そして徐に限に背中を向けた。
『限、先に烏森に行っててくれる?』
「え」
『後で行くから。ね。』
「…。」
限は一瞬黒凪の背中に手を伸ばしかけたが、結局何も言わず背を向けて走って行った。
そんな限を見送り、黒凪が再び烏森に目を向ける。
そしてものすごい力ををふつふつと湧きあがらせんとする烏森の気配に眉を寄せ白杖を手に取った。
何か起きる。直感でそう感じた。
そして烏森が"それ"を酷く楽しみにしている事も。
『(参ったなあ…)』
近付く度に感じる。
私に近付くなと言っている、あの声が。
烏森の門の前に来れば微かな声が聞こえた。
中に入ればその声は頭を掻き乱す様に物凄い大きさで流れ込んでくる。
「姉上」「今日は要らない」「これでは面白くない」「何かが起こるのだ」
『(何かが起こることは分かっている。…でも限を放ってはおけないから。)』
「躊躇っただろう」「そして思ったはずだ」「あの小僧」「そう、妖が混じったあの小僧」
『(そう。その通り…思った。――…ああ、"また" だと。)』
見透かされたという事実に少し苛立った黒凪。
しかし烏森は怯えた様子も無くこれから起こらんとする "何か" に意識が向いているのだろう。
黒凪の鋭くなった空気に気付いてはいない様だった。
まるで玩具を与えられる前の子供の様。
今の烏森に私は見えていない。
「あの小僧も面白い」「これからどうなるだろう」「姉上」「お主がいなければ…面白くなりそうなのだが」
『…。』
「…ほうら」「来たぞ。」
空を見上げれば確かに巨大な妖気が迫ってきている。
息を吐き、烏森へと足を踏み入れた途端にこちらの力を奪わんと身体に烏森の力がまとわりつく感覚がした。
万が一にでも気を抜けば、一瞬で力を持っていかれてしまうかもしれない。
「…黒凪、お前志々尾と何かあったのかよ?」
『ああ、おはよう良守君、時音ちゃん。』
「…今日、限君が1人で来たから何かあったのかと思って…」
『うん…。でもまあ大丈夫、心配しないで。』
「はぁ!? お前な…アイツとお前が一緒に来てねえ時点でおかしーんだよ! さっさと仲直りしろ!」
ずびし、とこちらに指を指して言う良守に黒凪は少し微笑んだ。
「本当、そうだよね。」そう言った黒凪は困った様に笑っている。
そんな、珍しく少し落ち込んだ様子の彼女に良守は微かに目を見開いて動きを止めた。
しかしそんな良守には目も向けず黒凪は限の元へ歩き始める。
限は黒凪の気配を察すると逃げ出そうとするが「何をしてるんだ俺は」とその場に留まった。
しかし卵はそんな限を嘲笑って言う。
【逃げろよ。お前殺されるかもしれねぇぜ?】
「…黙れ。」
【あんな命令ばっかりする奴のドコが良い? お前も感じてるんだろ? …あの女、何か隠してるぜ。】
「…それでも俺は、」
限が閉じていた目を開いた。
振り返った先の木の下には黒凪が立っている。
また卵が言った。
" やっぱり何考えてるか読めたもんじゃねぇ "
あぁ、こいつは本当に俺の本音ばかりを口に出していく。
『限。』
【また妙な説教が始まるぜ。信用ならねぇ口先だけの言葉だ。】
「…俺は、」
俺は。もう一度呟いた。
黒凪がチラリと卵を睨む。
しかし滅する事はしない。
これはあの子自身が乗り越える事だから。
そして彼女の目が限に向き、限はその目をじっと見て口を開いた。
「俺は、黒凪を信じてる。」
【――あ?】
「…信じ、たい」
【信じ "たい" だぁ?】
アイツだけは完全変化をしても逃げなかった。
アイツだけはずっと信じてくれた。
アイツだけは。…ずっと側に居てくれたんだ。
ピシ、と卵にヒビが入る。
【…誰も信用しない方が良い。独りになっちまえよ、そうすりゃ自由だぜ。】
「あぁ。…俺は黒凪以外は信用しない。お前の言うとおりかもしれないが…。…信用ならなくても、俺が信じたいんだ。」
またヒビが入った。
黒凪は何も言わず限の目を見つめている。
空が暗くなっていく。
限も黒凪も徐に空を見上げた。
「黒凪」
『うん?』
「…悪かった」
『良いよ。…それより厄介なのが来たね。』
ぐっと踏み込み、黒凪の横に降り立った限。
限は徐に卵を持ち上げ、その中身を空かすように光に充てる。
それには無数にヒビが入っていて、卵はもう何も言ってこなかった。
『それどうするの?』
「…生まれた姿を見てみる。多分今なら見れる…」
『……いや、多分見れないよ。』
限の目が黒凪に向いた。
あんたはきっと、良守君と時音ちゃんとも解りあえないとそれを見られない。
黒凪の言葉に限が微かに目を見開く。
『ま、まずは敵が最優先だけどね。』
「…あぁ」
見上げた先には大量の虫型の妖が徐々に烏森に降りて来る。
黒凪が徐に結界で虫達を囲んだ。
大量の邪気に空を見上げていた良守、時音も虫達とその先にある黒い雲を見上げている。
滅。と無機質な声が響いた。
結界が潰れる音。その音に雲の上に居た巨大な妖気が微かに揺れた。
『…雑魚ばっかり。』
ボソッと呟いて限を見れば彼は随分と静かに戦っていた。
粗っぽさは無い。只々着実に妖を倒している。
『…限。見える?あの虫』
「あぁ」
『多分見られてるね。…鬱陶しいから狩ろうか。』
「分かった」
白は烏森の様子を映す虫越しに黒凪と目が合い微かに目を見開いた。
その様子を背後から黙って見ていた紫遠は「嫌なのがいるな」と白に目を向け声を掛ける。
眉を潜めた白は途切れた映像に目を伏せ、姫が隠れる装置の中から現れた彼女の尾に目を向けた。
「姫?」
【やぁねぇ…懐かしいのが居るわ】
【 "懐かしいの" ? おいおい、姫さんの知り合いだったら今いくつだよ。】
「どれでしょうか。」
白自ら装置に近付いて姫に声を掛けた。
んー…。と少し探る様に尾を動かした姫は「見つけた。」と口元を吊り上げる。
【ホント、変わってないのねぇ…】
『ねえ。』
耳に直接届いたような声に白と姫が同時に目を見開いた。
恐らく姫にのみ向けられた声なのだろうが、それは白にも聞こえているらしい。
得体の知れない気配が流れ込んできた。
『随分とゆっくり攻めてくるんだねえ。』
【…白。】
「はい」
『早くしないと…』
烏森が巨大な結界に覆われた。
ビリ、と怒った様に烏森が黒凪の力を奪いに掛かる。
しかしそんなことなど気にせず、眉を寄せて黒凪がその結界を押し潰した。
烏森に来ていた妖が一瞬で殲滅され、白は目を見開いてその映像を見ている。
【早くして頂戴。あの子本気よ。】
「その様ですね。…牙銀!」
【あいよぉ!!】
牙銀がニヤリと口元を吊り上げその体が炎で覆われる。
そのまま物凄い勢いで降りて行った牙銀は黒凪の目の前に巨大な衝撃と共に着地した。
土煙が晴れるとそこには衝撃から逃れるためのものだろう、黒凪の結界と、その中に限。
チラリと黒凪が背後を振り返れば同様にして良守と時音も立っていた。
『あーあ。校舎が火の海だね。』
「んのやろう…!」
「凄い邪気…、並の奴じゃないわね」
燃え盛る炎の中で膝をついていた牙銀がゆっくりと立ち上がる。
黒凪と良守、時音はほぼ同時に結界を解き、牙銀を睨んだ時、彼らに物凄い熱気が襲い掛かった。
そんな中で限が静かに腰を落とし、黒凪に目を向ける。
【…お前等4人だけか?】
「あ?」
【お前等4人だけかって…聞いてんだー!!】
どおおん、とまた巨大な爆発。
うおおおお…と良守が4人を結界で護りつつ愕然とする。
やがて炎が収まるとギロッと牙銀の目が4人に向いた。
【こちとらやる気で来てんだよ…舐めた真似しやがってー!!】
『喧しい。』
【うぉおっ!?】
思い切り牙銀の眉間に結界をぶつけ、奴が数メートルほど吹き飛んで行く。
少し離れた位置で立ち上がった牙銀には傷1つ付いておらず、むしろ先ほどの衝撃で
多少冷静になれたのか、肩を鳴らしながらこちらに歩いてくる。
【しゃーねぇなぁ…。やるしかねぇわな、姫の時間も残り少ねぇし。】
牙銀が4人に手を向け炎の玉を作り始める。
黒凪が限をチラリと見ると彼は一気に走り出し木に紛れる。
それを横目にしながらも牙銀が黒凪達3人に炎の玉を投げつけた。
それをすぐさま結界で受け止める良守。
それを見た牙銀は次に両手に炎の玉を作りあげ、正面からではなく3人の両サイドから攻撃を仕掛ける。
『一旦ここから出るね。』
「おう!」
「結!」
黒凪は良守の背後から結界をすり抜けて脱出すると絶界を身に纏い、牙銀へ向かっていく。
一方、迫ってくる炎の玉を防いでいた良守の結界が音を立てて破壊され
それを見た時音が足元に結界を作り2人は上空へと離脱する。
その間にも迫ってくる火の玉を良守の結界が跳ね飛ばし、タイミングを見計らって限が木を牙銀に投げつける。
そして投げつけられた木を殴り飛ばした牙銀の背後に黒凪が迫った。
『消飛べ。』
【消飛ぶかよ!!】
『!…おお』
炎を纏った拳が黒凪の絶界にぶつかり、その力が均衡しているように絶界もその拳も消滅しない。
まさか黒凪の絶界に対抗できるほどの拳を奴が持っているとは。
限がその光景に目を見開いて固まる中、黒凪は小さく笑みを浮かべる。
そんな黒凪を見て牙銀が眉間に皺を寄せて吐き捨てるように言った。
【…よぉ、お前それで集中してるつもりかぁ? 痒いったらありゃしねぇぜ!!】
再び牙銀が拳を振り上げ、力任せに黒凪を絶界ごと殴り飛ばした。
ゴロゴロと己に直撃する木や岩などを消滅させながら転がっていった黒凪に
すぐさま限が駆け寄り、絶界を解いて頭を押さえて立ち上がった黒凪は困った様に限に笑顔を向けた。
すると見計らった様に烏森が力を奪いに来る。
目を見開いた黒凪は再び地面に膝をつき、ぐっと眉を寄せた。
「黒凪、」
『っ、…大丈夫。ありがとう。』
差し出された限の手を握って立ち上がる。
限自身も烏森の挙動がおかしいことには勘づいているのだろう、黒凪を心配げに見つめつつ牙銀に目を向ける。
一方の牙銀は火傷をした様に爛れた己の拳を見下してニヤリと笑い、上空で己を睨んでいる良守と時音を見上げた。
【単純なパワーと技術は白髪のガキ…。で、コンビネーションはお前等2人の結界師。スピードはそこの妖混じりって所だが、今のお前の攻撃は駄目だ。】
牙銀が限を見て言った。
眉を寄せた限は黒凪の横で構える。
【見くびってて悪かったなァ。思ってたより楽しめそうだぜ。】
そう言って再び笑った牙銀の周りに炎が渦巻き、その一瞬で牙銀の姿が変化した。
人型だった牙銀の姿は6本の腕を持ち炎を纏った半人半馬の様な姿になる。
背中には巨大な炎の翼が揺らめいていた。
【やっぱこっちの姿に限るぜ…】
『限、あんた行けそう? 奴の周りの熱が邪魔だけど…。』
「…どうにか俺のスピードで突っ切る。援護を頼む。」
『分かった。…とは言ってもどうしようかねえ。』
そうこうしていると同時に良守達と黒凪達に向かって牙銀から放たれた炎の玉が迫る。
結界で弾く良守と黒凪、すると限と黒凪の背後に牙銀が現れた。
予想以上の速度に目を見開いた限は足を踏み出すが黒凪が限の腕を掴み、防御するように結界を作る。
結界は牙銀の拳にぶつかると粉々に砕け散った。
『(結界の強度が足りない、でもこれ以上力を振り絞ると…!)』
「っ、」
【うぉっと。】
限がすぐさま牙銀に向かって足を振り降ろすが、牙銀がそれを片手で掴み取りその手の平から物凄い熱が溢れ出した。
焼け爛れるような痛みに思わず顔を歪んだ限を見かねた黒凪が牙銀の横っ面を結界で殴り、牙銀が吹き飛んでいく。
そして黒凪を抱えてすぐさま牙銀から距離を取った限は右足に目を向けた。
『大丈夫?』
「少し焦げただけだ、問題ない。」
「…結!」
【!】
黒凪の攻撃で吹き飛んでいった牙銀の隙をついて、奴を結界で囲んだ良守。
そんな良守の結界の中から何もせずに良守を見上げる牙銀。
「滅!」
渾身の力を籠めて結界を押し潰した良守だったが、中にいたはずの牙銀には傷1つ無かった。
その光景に少し眉を寄せる黒凪と、時音もその体の強度を見て貫くのは無理だと判断し、同様に眉を寄せる。
『(烏森が奴に力を与えている…。)』
【…さーて。面白そうな奴といっちょやるかねぇ】
『(奴が私たちのような結界師よりも、限のようなタイプと戦うことを好んでいる所為か…)』
烏森はただ限と妖との戦いを楽しみたいだけ…。
牙銀の目が限に向き、その視線に構えた限の前に黒凪が手を伸ばした。
『限。動かないで。』
牙銀の目が黒凪に向き、黒凪も牙銀から目を離さない。
その意図を悟った限は「駄目だ、」と黒凪に声を掛けると走り出した。
そんな限に笑顔を見せて牙銀もついて行く。
『(やっぱり直接触れて牙銀から力を抜き取るのは、限が許してくれないか…)』
限が暴れていた時の様に捨て身で終わらせようと思ったのだが。
途端に頭に流れ込んでくる声に目頭を押さえる。
「面白い」「久々に強いのが来たな」「面白い」「見ていて飽きぬ」
そうこうしている間にも牙銀が限に炎を放ち、限を護るように良守達がそれを結界で止めようとするも難なく破壊され、突破されてしまう。
限は逃げてばかりでは埒が明かないと考えたのか、炎を真っ向から受け空に逸らそうとした。
しかしそんな芸当が簡単に行く事もなく、勢いに負けて吹き飛んだ限は吹き出す汗に眉を寄せながら牙銀を睨む。
「志々尾!」
「限君!」
「こっちに来るな! 巻添えになるぞ!」
「っ!…でもお前、腕が…!」
良守の声に黒凪が顔を上げた。
限の両腕が無い。恐らくさっきの炎で吹き飛んだのだろう。
眉を寄せた限はぐっと腕に力を籠め、黒凪に集中していた烏森の力が微かに限の元へ集まる。
限の腕は瞬く間に再生し、その様子に良守と時音が目を見開いた。
「…これぐらい、俺ならすぐに治るんだよ。」
「ち、ちげーよ! 治れば良いってもんじゃ…!」
【まとめて吹き飛べ!!】
『っ!』
黒凪がすぐさま自分と良守達の前に結界を張り牙銀の攻撃を受け止める。
烏森からの力は弱まらない。物凄い頭痛に黒凪の頬を汗が伝った。
良守達は黒凪の結界に護られながら彼女の姿を探す。
「おい! 黒凪いねーぞ!」
「でもこの結界黒凪ちゃんでしょ!? だったら無事な筈…!」
「……。」
良守と時音が焦ったように辺りを見渡す中、限も何も言わずに周りを見渡した。
するとしゃがみ込み肩で息をしている黒凪を見つけ目を見開く。
遠目に見てもかなり消耗していた。
ギリ、と歯を食いしばった限は牙銀を見て目を閉じる。
「おい、そこ退け。」
「はぁ!?」
「俺が完全変化して戦う。」
限の言葉に目を見開く時音と良守。
2人の脳裏に翡葉が過った。
完全変化をすれば夜行に居られなくなるんじゃないのか。
危険な事なんじゃないのか。
「駄目だ! 俺等でなんとかするから…!」
「うるせぇな! わかんねェのか!? あんな化け物相手にお前等が何処まで通用する!」
「っ!」
「…化け物相手には化け物じゃねぇと駄目なんだよ。」
途端に黒凪が倒れ込んだ。
その音に良守、時音、限が振り返る。
そして眉を下げた限の周りに邪気が溢れ出した。
眉を寄せた良守が限の肩を掴み、「まだわかんねェのか…!」と限が振り返ると良守は限を睨み返し口を開く。
「お前は化け物じゃねぇ!」
「あぁ!?」
「お前が戦うのはいっつも俺達や黒凪の為だっただろうが! 化け物はそんなことしねえ、お前の根っこは絶対化け物なんかじゃねーんだよ!」
限は良守の言葉に目を見開いて動きを止める。
そんな様子を見ていた黒凪は息をゆっくりと吐くと、足に力を超めて立ち上がろうとした。
途端に烏森が圧力をかけるように黒凪を地面に押し付ける。
「姉上」「面白い所だ」「姉上」「立ち上がるな」
『邪魔をするな…!!』
烏森の力が怯える様に逃げていき、すぐに黒凪が牙銀を結界で殴り飛ばした。
その影響で牙銀から攻撃が止んだ事を確認した黒凪は徐に限の元へ歩き出す。
振り返っていた限はふらふらと此方に向かってくる黒凪を見ると急いでそちらへ走っていく。
途端に再び倒れかかった黒凪を限が寸での所で受け止め、その顔を覗き込んだ。
『限、よかったね。』
「!」
『良守君が居てくれてよかった…』
ずるずると倒れていく黒凪。
そんな黒凪を支えた時音を見ると限が牙銀に向かって歩き出す。
志々尾! と良守が彼の名を呼ぶと限が微かに振り返り笑みを見せた。
その笑顔を見た良守は目を見開いて言葉を止める。
「大丈夫だ。…俺は暴走しない。」
『…時音ちゃん。限の所に連れて行って。』
「…わかったわ」
限は時音と共に近づいてくる黒凪を振り返り、伸ばされる黒凪の手に己の手を伸ばした。
ぐっと手を握った黒凪は一気に限に力を流し込み、同時に限も力を解放する。
ミシミシと音を立て始める限の身体に時音と良守が眉を寄せ、心配げに彼を見つめた。
『限。あんたに懸けるよ。』
「…あぁ」【…ありがとな】
限が完全に変化し黒凪に目を向け、そして少し遅れて良守と時音を見る。
良守は正面から限を見つめると「カッコいいじゃん」と笑顔を見せた。
時音も小さく頷くと黒凪を座らせ牙銀を見上げる。
牙銀は元の位置に戻ると巨大な炎の玉を作り始めた。
邪気が周りに蔓延り、その炎の色はどす黒い紫に変わっている。
「あの一撃は俺に任せろ。」
「限君へのサポートは私。…限君は何も気にせず本体に集中して。」
【…任せられんのかよ】
「「勿論。」」
小さく笑った2人を見た限は「フン」と背を向けると歩いて行く。
するとパキ、と音を立てて卵から羽化したように虫が現れた。
それを見た限はその醜い姿に目を細め握りつぶす。
すでに大分と弱っていたらしく、無視は至極簡単に死に至った。
【(心が驚く程静かだ。…黒凪の言う通り、俺はあいつ等に認められないと此処まで来れなかったのか?)】
【良いねェ…!! まとめて殺してやる!!】
限が牙銀を睨んだまましゃがみ込み、途端に牙銀が炎の玉を放った。
黒凪は疲れ切った様子で炎の玉を見、そして時音と良守の背中を見る。
その瞬間、限が動いた。
ドシュ、と鈍い音がする。
空を見上げれば時音の結界を足場に牙銀に接近した限が奴の腕を斬り落とした所だった。
その様子に笑った良守も放たれた炎の玉を真正面から受け止める。
ぐぐぐと力を籠めた良守は眉を寄せ、踏ん張っている。
「馬鹿! そんな真正面から受けたら…!」
「うるせぇ! アイツだって命張ってんだ、俺等が逃げてどうすんだよ…っ」
巨大な炎の玉を見て黒凪が徐に立ち上がった。
結界の前で止まっている炎の玉に手を伸ばす黒凪に時音と良守が目を見開く。
物凄い熱気に眉を寄せた黒凪だったが、その炎に込められた力を一気に吸い取り良守も突然軽くなった炎の玉に目を見開く。
『さあて――…限!』
「うお、」
黒凪の結界が良守の結界を後押しし炎の玉が牙銀に返った。
限がそのタイミングを見計らい距離を取り、炎の玉は牙銀に直撃しかなりのダメージを与えたらしく、牙銀の動きが鈍る。
それを見た限が牙銀の背後に移動し、爪を振り上げた。
【これで終わりだ…!】
「あ、おい黒凪!?」
急に結界を作り上げ急いで限の元へ向かう黒凪。
何事かとそちらに目を向けた良守が、その視界に入った黒い影にやっと黒凪の行動の意味を理解する。
限の背後に迫っていたのは火黒だった。
【ぐっ!?】
限の体を火黒の刀が貫き、時音が口元を覆う。
黒凪はその様子に眉を寄せると、足を止めず限が止めを指し損ねた牙銀を結界で滅した。
その様子を見ていた限が痛みに眉を寄せ、背後の火黒に目を向ける。
「一応答えを聞いておこうか。"こっち" に来る気は?」
【…はっ。ねぇよ。】
なら仕方ない。限の体に突き刺さっている刃がかすかに動く。
するとそれをさせまいと上空から降りてきた黒凪が火黒の腕を左腕で固定し、火黒の顔を見て挑戦的に笑った。
火黒はそんな黒凪の姿にまた鬱陶しげに舌を打ち、こちらもまたにやりと口元を吊り上げる。
「相変わらず邪魔ばっかだなァ。お前。」
『限は殺させない。…少なくとも "あんたには" 。』
「あ?」
黒凪が結界で限の背中を前に押し、火黒の刀が限を逃す。
落下した限は時音がすぐさま受け止め、それを横目に黒凪の右手から念糸が大量に現れる。
それを見た火黒は目を見開くと刀を思い切り振り降ろし、刃が黒凪の胸元を斬り割き血が溢れ出した。
空中に舞った血に良守が目を大きく見開き、火黒は落ちていく黒凪の体を踏み台に跳びあがり傍にいた妖の背中に乗り上空の雲へと向かっていく。
「く、そ」
「駄目よ限君、動かないで!」
落下していた黒凪はそんな火黒の背中を見ると結界を作って落下を止め、そして徐に足場を作り雲へと向かっていく。
そんな黒凪を見て向かってくる妖達は皆彼女の絶界にやられ、黒凪は特に苦労することもなく雲の中へと到達した。
そこには姫が入る機械を護る様に立つ白、此方を睨む紫遠、そして心底面倒くさそうに肩を竦める火黒がいる。
紫遠と火黒は本能的に近付くべきではないと悟ったのか此方には近付こうとせず、黒凪の挙動に目を凝らしていた。
『…そこにいるかな?』
【うふふ、久しぶりねえ…】
『…随分と、弱っているらしいね。』
着物に滲んだ血が黒凪の足元を支えている結界に滴り落ちている。
白はそんな傷を負ってもなお何食わぬ顔をして歩いている黒凪を見て
得体のしれない恐怖を感じているのだろう、無表情な彼の額に汗が滲んでいた。
徐に黒凪が絶界を解き、すぐに白が虫を向かわせるが「手を出さない方が良いわ」と姫が声をかけ、白の手が止まる。
『良ければ私が治そうか? 力が必要だというのなら、それも少しぐらいなら分けてもいい。』
「止めといた方が良いぜ白。そいつ寿命と力を吸い取る。」
「近付くな…!」
不気味な力を溢れさせる黒凪に目を見開き白が彼女を突きとばす。
黒凪は触れた白の手から力を抜き取ろうとするが
それが出来ず微かに目を見開いた。そんな黒凪の目が白のものとかち合う。
『…人間臭いのが居るとは思っていたけど…』
「!」
『君か。』
「っ、紫遠!」
血を這う様な黒凪の声に白は後ずさり
紫遠が気だるげに立ち上がり黒凪を見ると心底嫌そうな顔をした。
【火黒。お前の刀貸せ。】
ひゅんと投げられた火黒の刀をパシッと掴み取った紫遠が雲から降りていく。
落下している黒凪に追いついた紫遠は黒凪の胸元に刀を投げ、突き刺した。
血を吐いた黒凪の目が雲から紫遠に向き、その瞳に宿る底知れぬ暗闇に紫遠が目を細めた。
【お前は此処で死ねってさ。】
『…そう。』
【…得体の知れない奴。お前何なんだ?】
『人間、かな。』
見えねぇな、そうとだけ言って紫遠が黒凪に突き刺さった刀を蹴り、黒凪の落下する速度が上がりそのまま烏森へ落ちて行く。
限はそれを見るとふらふらになりながら黒凪に駆け寄り彼女を受け止めた。
腕に飛び込んできた時には既に息絶えていた黒凪に、限が彼女をぎゅっと抱きしめる。
「志々尾! 黒凪は!?」
「死んでる。」
「は、…嘘だろ、」
「大丈夫だ。…その内生き返る。」
何言って、と良守が呟いたとき。
言い知れぬ力が黒凪から溢れだし、その傷が一気に塞がり彼女が薄く目を開いた。
目の前には虚ろな目をした限がいる。「よかった。」そう小さな声で言って限が目を閉じると、今度は烏森から力が溢れ出し彼を包み込む。
その様子を見た黒凪と良守は目を大きく見開き、黒凪がばっと限の腕から起き上がる。
「駄目だ志々尾! 死を受け入れるな!」
『…限、』
「今までありがとな。黒凪」
『……あんた死ぬの?』
薄く目を開いて黒凪を見ると限は「あぁ」と小さな声で言った。
そう、と黒凪は目を細め、彼の前に腰を下ろす。
「おい黒凪!」
『…』
良守の怒ったような声に顔を上げた黒凪の目に動揺はもう見えない。
そんな彼女を見下ろす良守の目はそれはもう、不安そうに揺れていた。
「なんで止めねぇんだよ! 志々尾が死んじまうぞ!?」
『…仕方ないよ。死にたいんだったら。』
「お前が諦めてどうすんだよ! 志々尾を止められんのはお前だけだ! …お前だけなんだよ…!」
『…私の前から消えようとする者を引きとめた所で、』
脳裏に過去の記憶が蘇る。
"置いて行かれる事は無い"? そんな事は無い。
結局一緒だ。物事にはいつか終わりが来る。
だから私はもう、天秤に物を乗せることすら止めたんだ。
『自分を置いていこうとする人を引き留めたところで…』
「だからって諦めんなよ! 人の命を、大事な奴の命をそんな簡単に諦めんな!!」
『…良守君、』
「コイツのことがそんなに信用ならねーのかよ! コイツはお前の為なら何があっても生きる! 絶対だ! そういう奴だろ!」
良守の涙が彼の膝に落ちる。
その傍にある彼の両手はそれはそれは強く握られていて、震えてさえいる。
「…お前が信じてやらなかったら、誰が…!」
涙をボロボロこぼしながら言った良守に黒凪が眉を下げる。
この子も分かっているんだ、自分がどんなに言ったって限が戻ってきてくれないこと。
私じゃないと、ダメなんだと。
限の命が消えかかっているのが分かる。限の望むがままに、烏森がその命を奪っていることが。
『(いつからだろう、私が誰かに傍にいてもらうことを諦めたのは。)』
いつからだろう、居なくなってしまうことを前提に誰かを大切にすることにしたのは。
いつから…相手の死を受け入れるようになって、努力も怠って。
今まで失ってきた人達の中に、1人も、本当に助けられた命はなかったのだろうか。
…私が諦めたことに、悲しんだ人はいなかったのだろうか。
「…!」
良守と時音が息を飲む。
視界が涙で歪み、大粒の涙が黒凪の頬を伝っていた。
本当に生きてくれるのだろうか、この子は。…私が望めば。
『…げん、』
「……」
『死なないで、どうか。』
まだ私を、置いて行かないで。
限の頬に黒凪の涙が落ちて、かすかに彼の目が開いて、涙を流す黒凪をその目に映した。
お願い。そう言って限を黒凪が抱きしめる。
「俺は、」
『生きて。』
「…何の為に」
『これは私の我儘だ。…どうか私がもう良いと言うまでで良い、それまでで良いから、…生きて。…私のために…。』
黒凪の肩に顔を埋めながら限が目を閉じる。
黒凪から力が溢れ出し限を包み込んだ。
限の体につけられた傷が塞がっていく。黒凪は受け入れられた事に安心して、一層強く彼を抱きしめた。
「(…痛みが消えていく)」
『…限』
「…多分俺、」
黒凪が徐に限の顔を見て、限はそんな黒凪を見て言った。
お前が居れば強くなれるんだ。
黒凪にしか聞こえない様な、小さな声だった。
限の体の傷がすべて塞がり、黒凪が彼から体を離す。
それと同時に良守が目に涙を浮かべながら限に飛びついた。
その勢いで限と良守は一緒に倒れ込み時音も眉を下げながら駆け寄る。
するとまだ烏森の上に留まっていた雲から巨大な尾が現れ、こちらに伸びてくる。
狐の尾だと気付いた黒凪は立ち上がり、それをまるで援護する様に溢れ出す烏森の力に苦笑いをこぼした。
「十分だ」「十分楽しんだ」「もう良い」「去れ」
『――お前じゃあ、此処は落とせないよ。』
空に向かって言った。
その声は黒凪の気配と共に黒芒楼の面々に響き渡き、一瞬で無数の結界が雲を貫き、
また狐の尾は烏森の力を感じるとすぐさま逃げるように引っ込んでいき「ぎゃあああ」と叫び声が烏森に響き渡った。
「姫! 姫、ご無事ですか!」
【白…、早く此処を離れて…!】
微かに震えながら言う姫に白が眉を寄せ、烏森を今一度見下ろす。
また響いた。「去れ」と。黒凪の声と混ざる様に他の声も聞こえた様な気がした。
火黒はチラリと此方を見上げている黒凪を見下し、少し口元を吊り上げる。
【なんなのよ此処…!】
「姫、」
【あの子とこの土地が共鳴してる、】
生え抜きではないにしろ、主である私とも黒芒楼がここまで共鳴したことはない。
ここまで共鳴していると…まるで黒凪自身が烏森であるように、
烏森が彼女自身であるように錯覚してしまう。
【おい! 殺られちまうぞ!】
紫遠の言葉にモニターで黒凪を確認すると、彼女の周りには目に見える程の力が溢れていた。
脅しではない。恐らく本当に滅せられてしまう。
白はすぐさま虫達に指令を送り烏森から撤退した。
その様子を黒凪達が下から見ていると遅れて正守達が姿を見せ、こちらに駆け寄ってくる。
「皆無事か!?」
「…はい、」
まず倒れていた限の様子を見て正守が安堵の息を吐き、次に黒凪に目を向ける。
そして、彼女の背中を見て動きを一瞬止めた。
「…黒凪?」
『、うん?』
黒凪の頬に残る涙の後を見た正守が近付き、恐る恐るその手が彼女に伸ばされる。
指が彼女の目の下に触れて、少し拭えば涙が指に付着した。
「(…よかった、此処にいる)」
一瞬、目の前の少女がこの烏森と同化したような、そんな不思議な感覚に陥ったのだ。
そう考えて、次は血で赤く染まった黒凪の胸元へ目が向き、そして限の体に目を向ける。
そんな風に焦り、混乱している正守の様子を弟である良守は驚きを交えてじっと見つめていた。
「限、お前炎縄印は…」
「え」
そこで限も己の体に施されていた炎縄印が消えたことに気づいたらしい。
突然のことに言葉が出ない限に代わって黒凪が口を開いた。
『多分、私の力を受けて耐えきれなくなったんだと思う。』
「…頭領、俺もうコントロール出来ます。…体ももう傷みませんでした。」
何? と訊き返して正守が黒凪を見る。
そして改めて思う。
俺が裏会に入る前、そう。まだ墨村にいた時。
嫌になるほど毎晩感じていた…烏森の力に、とても彼女が似ていると。
そんな正守の視線には気づかず、黒凪が呟く様にして限の名前を呼んだ。
生きていてくれて、ありがとう。
(こりゃあお嬢が此処に帰ってきたくなかった理由も分かる気がするぜ…。)
(…そりゃあ、長く此処にいれば飲み込まれても仕方がないからねえ。)
(だから時守様も此処の守護をあの子じゃなく、墨村と雪村に任せたんだろうよ。)
.