世界を救ったのは【 × ぬら孫 】
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百物語編
此処数十年程、何度も文は届いていた。
婚礼の儀を見守り、ぬらりひょんと兄弟の盃を交わしてから随分と経つ。
既に文で彼等に鯉伴と言う息子が生まれた事は知っている。
毎月送られてくる文の中には主にその鯉伴についての成長の記録が綴られていた。
『………。』
「…また文ですか。連絡をロクに返さない貴方によく毎月送り続けていられるものです。」
『まあそう言わないでくださいよ月久殿。私も色々と忙しいのです。…それより日永殿の容体はどうですか?まだ床に伏せっておられるのでしょう』
「ええ。相も変わらず動き回る事は辛い様です」
また新しい憑代に移してやらなければならないでしょうね。
困った様に言った月久に緩く笑顔を向けて文に目を落とす。
今回の文には前回に仲間に引き入れた青田坊についてと――…。
『…、…そろそろ返事を返してやらねばなあ』
裏会総本部の1室にてぼそっとそう呟いた彼女の手にある文はこの1文で締め括られていた。
…鯉伴が妻にしたいと1人の女性を連れて来ました。と。
【な、な…】
『どうした、早く中に入れておくれよ。鴉天狗』
【そっ】
総大将――!!じゃなかった先代―――!!!
ぴゅーっと中に引っ込んで行った鴉天狗の言葉に「ほう、先代か…」と呟く。
するとドタドタと足音が聞こえ「そうじゃ、いかん!」と久方ぶりに聞く声が聞こえた。
どうやら途中で道を引き返したらしく、急いで此方に向かっていた足音が遠ざかってゆく。
『(…やはり驚いたかな)』
あれからロクに歳を取っていない私の姿は…。
焦った様な足音が聞こえる。しかし先程よりは静かなもので、その足音を聞きながら玄関を見つめた。
そうして現れたぬらりひょんはあの頃から何一つ変わっていない。…変わったのは。
「…あぁ、黒凪さん…」
『…珱姫』
随分と歳を取ったねぇ。
…覚悟はしていた。数十年も放っていたのだ、変わり果てた彼女と再会する事になる事など。
だがそこまでの実感は正直自分には無くて。
今日だって文で彼女の息子が妻を連れて来たと言う話題に、その月日を妙に痛感して慌てて駆け付けた訳で。
『(…来て良かった)』
「ごめんなさい、もう私は1人であまり動き回れなくて…」
『…いや、此方こそ』
連絡を返さなくて悪かった。
呟く様に言ってぬらりひょんの腕に抱かれた珱姫の頬に片手を添える。
まだまだ美しいままで安心したよ。
彼女の言葉に珱姫が困った様に微笑んだ。
【よく来たな、上がれ上がれ!】
『あぁ。遠慮なく』
【にしてもお前は変わらねえな、それが秀元の言ってた秘術って奴か?】
『まあね。』
ぬらりひょんの部屋へ向かう最中に通る台所や脱衣所からも数十年ぶりの来客に驚き、喜ぶ妖達が溢れ出す。
そんな中で己の妻との居室の中で昼寝をしていた鯉伴が自分の部下達の騒ぎに目を覚まして起き上がった。
昼間になれば働き者の己の妻は部屋からは居なくなっており、恐らく今は家事を手伝っているのだろう。
「―――何の騒ぎだよ、こりゃあ」
【あ、二代目!】
【いやー、先代と兄弟の盃を交わした黒凪って奴が久々に顔を見せたんですよ!】
「あぁ?黒凪?」
そいつぁどんな妖だよ。
そんな鯉伴の言葉に「いやいや妖じゃないんですよねそれが!」と小妖怪が上機嫌に言った。
相手は人間、しかも結界師なんです!
…結界師と言う名は初めて聞いた。
口には出さずそう思った鯉伴は上機嫌に去っていく小妖怪達を見送り、徐に部屋の外に出る。
「(なんだ?"けっかいし"ってのは。陰陽師みてぇなもんか?)」
【いやー、でも変わってなかったな! 全然!】
【おうおう。髪も白いままで…】
「(白髪…。そうだよな、親父と兄弟の盃を交わしたって事はもう随分と長い時間を生きてる筈だ)」
ぼさぼさの髪を揺らしてぬらりひょんの部屋へ向かっていく。
単純に興味が湧いたから見に行くだけだ。
今まで親父と人間が盃を交わした話なんてお袋以外に聞いた事が無い。
それに結界師が何なのかも気になる。
「(まだまだこの組にも俺の知らねえもんがあんだなぁ…。)…親父、入るぜ」
【ん?おう】
「…おはよう鯉伴。今起きたの?」
「なんだ、お袋も一緒か。そんなに今日来た黒凪ってのは――…」
鯉伴の目がぬらりひょんと珱姫に向かい合う様に座る黒凪に向けられた。
確かに妖怪達が噂していた通りの真っ白な髪…。
…しかし些かそこに座る"少女"は、
「…おい、この子供が黒凪か…?」
『あぁ。如何にも私が黒凪だ。…君は鯉伴かい?』
思わず姿に見合わぬ程に落ち着き払った口調に固まった。
その姿はどう見たって子供で、そんな子供がぴっしりと背を伸ばして座っている姿は不思議でならない。
ぽかんと見つめていると「突っ立ってねぇで座れよ」とぬらりひょんが座布団を投げる。
雑に置かれた座布団に黒凪を見つめたまま鯉伴が心此処に非ずと言った様子で座った。
『…そんなに可笑しな姿をしているかな、私は』
【そりゃあ可笑しくて堪らねぇだろうよ。なんせ年端もいかねえガキが流暢に話して、行儀よく構えてるんだからなぁ】
「…親父と兄弟の盃を交わしたって聞いたぜ、俺ぁ…」
『確かに交わしたね。確か50年程前に』
50年…?
唖然と聞き返した鯉伴に黒凪の感情の読めない笑顔が向けられた。
私にはとある秘術が掛けられていてね、歳を取るのが極端に遅いんだ。
そんな言葉をぼーっと聞いて、理解に努める。が…俄には信じ難い。
【にしても黒凪よぉ、お前よっぽど裏会で忙しくしてるらしいなぁ】
『あぁ。奴良組が余計な抗争に巻き込まれぬ様に裏で手を回したりと大変だった。随分と人が増えて人間の方にも可笑しなのが生まれたりしているしね』
【あー…儂も何度か聞いとる。妖混じりってのだろ?そんな奴等の管理もしてるのか】
『本当は列記とした異能者だけを管理する組織なんだがね、妖混じりの方も放ってはおけないのさ』
我々が野放しにすれば誰も管理出来なくなってしまう。
本当に忙しいよ。多少疲れた様子で言った彼女にぬらりひょんが「そうか」と笑った。
それだけの会話だけでも分かる、2人がどれだけ対等な存在であるか。
【…あの、お義父様、お義母様。此方に鯉伴様がいらっしゃって…は……】
『…え?』
黒凪の言葉と同時に襖を控えめに開いた女性の手から洗濯物が落ちた。
そして瞬く間に涙を溢し始めた己の妻に鯉伴が驚いた様に立ち上がる。
どうした山吹、そんな鯉伴の声など耳に入らぬ様子で山吹と呼ばれた女性が走り出した。
そうして彼女は唖然と座っている黒凪に抱き着き肩を震わせる。
【やっと、やっと会えた…!】
『…お前なんで…』
【…あ。】
ぬらりひょんの声に固まっていた鯉伴が振り返る。
彼は息子の妻である山吹乙女を見て「あー!おま、お前…!!」と心底驚いた様に叫んだ。
なんだ、どうなってる。焦る鯉伴の脳裏にその言葉が過る。
【私、ずっと後悔していたんです…っ】
『!』
【私の事を必死に生かそうとしてくださったのに、私ったら簡単に諦めて、それで…】
涙ながらに言った山吹乙女は鯉伴すらも見たことが無い程に泣き、震えて。
鯉伴と同じく状況を理解していない様子の珱姫にぬらりひょんが「ほら、京で見た、あの」と説明すると彼女も理解した様で。
大きく目を見開いて口元を抑えていた。
自分だけが取り残された鯉伴はとりあえずと父親に詰め寄り状況を理解しようと努める。
「何だ、何が起こってんだよ親父!」
【そ、それがだな…】
【っ…、ご、ごめんなさい~…】
『泣くな泣くな、とりあえず落ち着きな。ね?』
涙で顔をぐしゃぐしゃにして謝る山吹乙女に黒凪が困った様に眉を下げる。
そんな様子を横目に「親父!」と迫ればぬらりひょんが話し始めた。
その内容を訊き終わる頃には山吹乙女も落ち着いていて、そして改めて全員で顔を見合わせる。
『そうか、お前あの後妖に…』
【どうしても未練が残ってしまって。…そうして蘇った後に夢だった寺子屋の先生を始めたんです】
『…そうして鯉伴と出会ったと』
【…はい】
頬を赤く染めて頷いた山吹乙女に眉を下げて鯉伴に目を向ける。
鯉伴はゆっくりと向けられた彼女の目に少し固まった。
『ありがとう、鯉伴。この子に名前を付けてくれたんだね』
「あ、あぁ…」
『…山吹乙女か。良い名前だ。』
【山吹と呼んで下さい。…黒凪さんを探して江戸に戻った時に、暮らしていた屋敷の裏に咲いていた花の名前です】
…本当に会えてよかった。
眉を下げてそう言った山吹乙女の目は涙を流した所為で赤く腫れている。
その様子を見ていた黒凪は突然ぴくりと片眉を上げると徐に立ち上がった。
『悪いね、式神が1つ消された。行かないと』
【式神だぁ?また何か探ってんのか】
『まあね。気性の荒い神様を宥めに行くのさ』
山吹、達者で。…珱姫。
山吹乙女から珱姫の元へ近付いた黒凪は力なく微笑む彼女に笑顔を見せた。
どうかこれからも幸せに。
黒凪の言葉に「はい」と嬉しそうに珱姫が微笑む。
その様子に眉を下げた黒凪は次にぬらりひょんに目を向けた。
『ぬらりひょん、何かあれば言うんだよ』
【ん、分かっとる】
ぬらりひょんに1つ手を振って結界の足場を作り玄関を通らずに去っていく。
そんな黒凪を見送った鯉伴は「おい鯉伴」と掛けられた声に振り返り父を見た。
鯉伴の表情にはまだ余裕は見えない。黒凪が来てからずっと気を張っていたのだろう。
【くく、珍しいな。お前がそんなに焦った顔をしてるなんてよ】
「俺だって焦るさ…。」
【良い良い。あやつは人を驚かせる天才みたいな奴だからな】
初めて出会った日もそりゃあ驚かされた。
笑いながら言ったぬらりひょんに「どんな初対面だったんだよ、ったく」と鯉伴が呆れた様にため息を吐く。
そして再び黒凪が去って行った方向に目を向け「また来ないだろうか」そう思う自分に眉を下げた。
奴良組を訪問してから程なくして届いた文に黒凪は涙を流さなかった。
ぐっと流れかけた涙を抑えて。
あぁ、よかった。と。
…引き止める事をしなくて、良かったと思った。
『(人はやがて寿命で死んでしまう)』
「…どうした、泣きそうな顔をして」
『……。いや、……、…大切に思っていた人間が死んだだけですよ』
将棋の駒を指しながらそう言えば「そうか」とただ一言、少し気遣った様子で返された。
気を紛らわせようと将棋を指してみても彼女の事を頭から抜き去る事は出来ないらしい。
やがて黒凪が目の前の日永に負けた時、彼女は特に悔しがる様子も見せずに立ち上がった。
「…。あまり思いつめないようにな」
『…分かってます。こんな事ばかりじゃ駄目ですよね』
沈んだ様子で外に出て空を見上げる。
各地に放っている式神達から大量の情報が頭に流れ込んできていた。
…現在江戸で不穏な動きを見せている妖や人間は特別存在しない。
この平和が続いているのも奴良組のおかげだ。感謝している。
『…さようなら。珱姫』
意地悪を言って悪かったね。…花嫁姿は美しかった。
幸せに暮らしていた様で安心した。手紙を返す事をせず、申し訳ない。
鯉伴は立派に育っていたね。子供が立派なのは親が立派な証拠だ。
彼女にもう一度伝えたかった言葉が次々に溢れ出す。
あぁ、この思いは確かつい5年程前にも京都で味わったなあ。
《――なんや、来たん…》
《危篤だと聞いたからね。…君とは同業者として仲良くさせて貰ったから》
《…あーあ、綺麗な黒髪やったのに…もう真っ白や…》
僕もだいぶしわしわになったやろ…?
力なく言って笑った秀元に目を伏せる。
思えば秀元とはあれから一度も会っていなかった。
もっと会っておけば良かっただろうかと思う。
《…君には言うてなかったけど、ぬらちゃんにあげた刀あるやろ…?》
《あぁ》
《あの刀の名前、鵺切丸って言うんよ》
《…ふ、そんな大層な名前の刀をぬらりひょんにあげたのかい》
鵺は花開院の大敵だろうに。…そんな刀が魑魅魍魎の主に渡ったのはもしかすると運命なのかもしれないねえ。
笑って言った黒凪に秀元もしわくちゃな笑顔を向けた。
そんな秀元の布団を少し整えてやり、黒凪が口を開く。
《それにしても随分と長く生きたね。…呪いなんてこのまま無かった事になれば良いのに》
《…その口振りやと、君は何かあったん…?》
《裏会には呪いに詳しいのが居てね。診て貰った所、人間との間に子が産めない身体になっているらしい》
《……》
結界術が扱う呪力と妖の持つ妖力は共存出来ない。
つまり私は妖との子も産む事は出来ないから、間の血は私で途絶える事となる。
まあ私が生き続ける限り完全にこの世から間の血筋が消える事はないがね。
それに私自身が元々子供なんて生む気も無かったし、どうって事はない。
《なんやそれ、勿体無いなあ…僕の息子でもあげよ思てた…のに…》
《残念だったね。…ほら、もう眠れ。また来るから》
そう言って去ってから程なくして秀元は眠る様に息を引き取ったらしい。
それにしても子を成せないと伝えた時の秀元の表情には驚いた。
そこまで悲しんでくれる必要は無かったのに、可笑しな奴だ。
…本当に、最期まで可笑しな奴だった。
珱姫や秀元がこの世を去って40年程経った。
彼女の事を忘れた訳ではない。だが時の流れと言うものはある意味残酷で、既に何年も前からあの頃の悲しみは心内から消え去っている。
命日の度に彼女を思い出して悲しんではいるが、その悲しみも年々薄まっている印象だった。
『山吹』
【…あ、黒凪さん】
『今日も楽しそうだね。』
【ええ。最近は寺子屋の子供達が噂話をよくするものだから、それを聞くのが楽しくて】
噂話?
そう聞き返せば「ええ、妖がどうだとか…」そう言った彼女に黒凪の表情が一瞬だけ曇る。
そしてすぐさま表情を元に戻すと「それはどんな噂?」と訊き返した。
考え込む様に空を見上げた山吹乙女が少しの沈黙の後に口を開く。
【確か今日は噛まれるとたちまち死んでしまう百足の妖のお話でした。】
『百足…(つい数日前から目撃情報が出ている怪異か)』
【あの、もしかして何か…】
【山吹乙女様】
黒凪の背後から掛けられた声に2人が同時に目を向ける。
そこに立っていた青年は黒凪を見るとさっと首元の布を持ち上げた。
その仕草に黒凪が片眉を上げると山吹乙女が「首無」と彼を呼ぶ。
その名を聞いた黒凪は「あぁ、」と目を微かに見開いた。
『やっと会えた。君が首無か』
【え?えぇ…】
『山吹から文で話は聞いている。鯉伴の側近だろう?一緒じゃないのかい』
【!…組の事を、】
にっこりと微笑む黒凪の背後に立っている山吹乙女も頷いた。
その様子を見た首無は首元の布を解き、その"存在しない首"を晒す。
初めまして、二代目の側近をしている首無です。
そう言って頭を下げた首無に「よろしくねえ」と緩く微笑んで黒凪が返した。
【あ、の。貴方は…】
『あぁ、私は間黒凪と言うものだ。結界師をしている。よろしくね』
【!…貴方が…】
『うん?私の事を知っているのかい』
そりゃあ知っています、先代と兄弟の盃を交わした人間なんて貴方様だけですし…。
…そんなにあの盃は凄いものなのか…?
こう鯉伴や首無に続けざまに言われると思わずそう考えてしまう。
あの盃は殆どぬらりひょんに上手く丸め込まれ無理矢理交わしたようなものだ。そこまで此方は深く考えていなかったのだが…。
『(少し考え無しだったかな)』
【ところで山吹乙女様、鯉伴様をお見かけしていませんか?】
【鯉伴様?いいえ、此処最近は…】
『また放浪しているのかい?全く、親が親なら息子も息子だね』
本当に。ぬらりひょんの子ですものね。
困った様に笑って言い合う2人に首無がため息を吐く。
全くこのご時世に…。妙な妖もうろついていると言うのに。
眉を寄せて言った首無に「え」と山吹乙女が目を見開いた。
【うちの妖じゃないの?】
【?…どの妖の事を言っているか測りかねますが、最近噂になっている様な妖は全てうちの者では…山吹乙女様!?】
『山吹?』
血相を変えて走り出した山吹乙女に顔を見合わせて後を追いかける首無と黒凪。
山吹乙女はやがて草むらに辿り着くと忙しなく周りを見渡した。
すると草むらの中に立つ1人の子供を見て息を飲んで走って行く。
『!(草むら…)』
その百足に噛まれれば即死する。それ程の猛毒を持った百足の怪異が出るらしい――。
子供の足元から現れた巨大な百足に目を見開いて首無が走って行く。
そんな首無より早く子供に近付いた山吹乙女は子供を抱きかかえて百足の鋭い牙から子供を遠ざけた。
彼女の足首にじんわりと血が浮かんだ様子を見て舌を打ち黒凪が構える。
「俺が行く」
『!』
隣を物凄い勢いで走り去った影に徐に構えを解いた。
山吹乙女に襲いかかろうとした妖の前に先に走り出していた首無を越えて鯉伴が立ち塞がる。
そして大きく刀を振り下し巨大な百足を真っ二つに切り伏せた。
「てめぇは誰の女に手ェ出してんだ」
【あ、あなた…】
「よう山吹。悪ぃな遅れて。」
【鯉伴様…!】
駆け寄った首無が痙攣する百足の身体を紐で締め付け「よう」と笑顔で片手を上げた鯉伴を睨んだ。
今まで何処行ってたんですか!
そう声を掛けると「まあ色々なぁ」と返答したものだから、彼の額にビキッと青筋が浮かんでしまう。
【あんた今ここらで何が起こってるか分かってんですか!勝手な行動は、】
「んだよ、お前もやっと気付いたか。」
【!…その口振りですと、鯉伴様も】
「まあな。…あんたもだろう、黒凪さん」
黒凪の目がちらりと鯉伴に向けられる。
その目を見つめ返した鯉伴はふ、と笑うと子供を帰した山吹乙女に近付き彼女を抱えて歩き出した。
その様子をじっと見つめて背を向けかけた黒凪に気付いた鯉伴が「黒凪さん!」と彼女の名を呼び引き止める。
『?』
「一緒に来てくれよ。丁度今晩幹部どもを交えてちと話をしようと思っててな」
『…それに参加する義務は無かろう』
「あんた親父の兄弟分なんだろ?ちょっとぐれえ手ェ貸してくれや。」
『今の奴良組を仕切っているのはお前だろう。私はぬらりひょんの頼み以外は聞かぬ』
すたすたと去っていく黒凪をじっと見つめて鯉伴が首無に目を向ける。
その目を見返した首無は「え゙」と眉を寄せると気乗りしない様子で紐を彼女に伸ばした。
黒凪を紐が即座に捕え、ぐっと腕を引いた首無の元へ彼女を運んで行く。
【…すみません、ご一緒して頂けますか】
『……。』
【ほー。お前が鯉伴に引き摺られてなぁ…】
『……』
【…妙な気は遣わんで良いぞ?別に気に入らんかったらボコボコに…されると困るが】
『喧しい。それよりお前はその無精髭をどうにかしろ』
部屋中に充満するキセルの煙に眉を寄せつつ黒凪が言った。
それを聞いていた一ツ目が煙を吐きながら徐に「おい黒凪。てめぇなんか知ってんだろ」とぶっきらぼうに声を掛けてくる。
すると狒々も同調した様に「確かにのう。お前が何も知らぬわけはあるまいなァ」とニヤリと笑って言った。
『…名も聞いた事の無いような怪異が暴れている根源は百物語に在る』
【百物語ィ?】
『人間のくだらない遊びだよ。百つ怪異についての話を終えれば本物の妖が現れる。そんな趣旨のくだらない暇潰しさ』
【くだらねえ、ってあんたも人間だろォがよ。】
あ?と目付きを鋭くさせた黒凪にぬらりひょんが肩を竦める。
そこまで分かっておるのなら勿論その百物語が行われている場所も知っておるのだろうな。
そう言った木魚達磨に黒凪が小さく頷いた。
「っし。じゃあそこに乗り込んで…」
『それは必要無い。私が1人で方を付けに行く。』
【あぁ?お前1人でどうにかなるのかよ】
『どうにかするさ。私はお前達奴良組に無駄な気苦労はかけたくないんでね』
今回此処に来たのは私の邪魔をするなと釘を刺す為だ。
ゆっくりと立ち上がった黒凪が襖に手を掛け小さく笑う。
随分と勢力の強い相手だからねえ、何年後かあとに復讐なんてされちゃあ堪ったものじゃないだろう。
「んな事言ったって俺ぁもう既にやっこさんにちょっかい出してんだ。今更雲隠れした所で意味ねぇと思うぜ?」
『…はぁ。二代目総大将、あんたとはじっくりと話し合う必要があるらしいね』
「同感だな。外でも一緒に歩くかぁ?」
『良いだろう』
立ち上がって共に出て行った2人にぬらりひょんや牛鬼が目を細める。
2人は玄関から外に出ると近場の川に向かって歩き出した。
そうして川の船着き場に着いた頃に2人は同時に足を止めて振り返る。
その先には漆黒の着物に身を包んだ1つの怪異が立っていた。
「よう、狙いは俺等だろ?」
『…ふむ、二対一は好かんな。任せる』
「おいおいなんだよそりゃあ。さっきまで1人でやってやるーって意気込んでたくせによォ」
【…構わん、同時に来るが良い】
そう言って飛び上がり怪異が武器を振り上げる。
それを見上げて鯉伴が笑ったままに声を掛けた。
あんたはなんて怪異だい?
…その言葉に怪異が答える。
【百物語"黒田坊の怪"。貴様等の命を貰う】
「黒田坊の怪、ねえ」
飛び込んできた黒田坊に応戦したのは鯉伴。
その様子を傍観する様に黒凪は一歩下がった。
激しい攻防戦を繰り返す2人を眺め、黒凪は小さく欠伸をする。
それにしても妙だ、黒田坊と言う妖は決して最近に生まれた怪異では無かった筈。
しかもその出所は百物語ではない筈だ。
何故ならその怪異の内容はとても大人が思いつく様なものでは――。
「てめぇは一体何の怪異なんだ?」
【自分が何者かなど知るつもりも無い。拙僧は只の暗殺者…それ以外に生きる意味など無い】
『(おや?黒田坊は"そんな怪異"だったかな…)』
「んだよそりゃあ。面白くねえ奴だな…」
そんな軽口を叩いて戦闘を続ける2人にまた欠伸を1つ。
数十分ほどの攻防の末に明らかに2人の間に差が付き始めていた。
勿論勝っているのは奴良組総大将、奴良鯉伴。
やがて膝を着いた黒田坊に鯉伴がにやりと笑って顔を覗き込む。
「もう一度聞くぜ、あんたは一体何の怪異なんだ?」
【っ、その問いには答えた筈だ…!】
「そんなだから俺1人にも勝てねぇんだよ。何の為に戦うかで強さなんていくらでも変わるぜ?」
【ふざけるな、拙僧は貴様を殺す為だけに――】
そこまで言って黒田坊がぴたりと動きを止めた。
考え込む様に固まった黒田坊に目を細め、近付いてくる気配に顔を上げて構える。
鯉伴に飛び掛かった複数の妖達を一瞬で結界に閉じ込めた。
初めて見る結界術に鯉伴が驚いた様に顔を上げる。
『相も変わらず妖は無粋だねえ』
【な、なんだこれは…!】
『そんな妖には仕置きだ』
滅。その言葉と同時に押し潰され塵となった妖達に「おおお…」と鯉伴が笑顔を引き攣らせた。
結界術によって殺された同胞を見る事は随分と堪えると聞く。
あの箱に自分が閉じ込められたら。自分も奴等の様に押し潰されたら。
それらを考えると気の弱い妖はすぐに縮み上がってしまうのだとか。
『さて行こうか鯉伴。あぁ、黒田坊との傷が響くなら来なくて良いがね』
「馬鹿言っちゃいけねえ。こんぐらいどうって事ねえよ」
刀を肩に担いで歩き出した黒凪に鯉伴が付いて行く。
鯉伴はちらりと背後を振り返るとにやりと笑った。
ぬらりひょんと牛鬼が引き連れて来ていたのだろう、鯉伴の視線の先には奴良組が立っている。
恐らく黒凪も気が付いているのだろうが、此処まで来て追い返すつもりはないのだろう。
大量の妖達を引き連れて徐に鯉伴と黒凪が江戸の闇夜を闊歩し始める。
真夜中の江戸は随分とひんやりとしていた。
『さあて、もう既に百物語は始まっているだろう。さっさと割り込んでぐちゃぐちゃにしてやろう』
「お、随分とやる気だなぁ。」
屋敷に張られた結界をいとも簡単に破って中を進んで行く。
襲い掛かってくる妖達をまるで埃を払う様に結界で次々と一掃して行く黒凪に後ろをついて行く妖達はヒューヒューと口笛を吹いた。
やがて百物語が行われている会場に着き、鯉伴が足で襖を蹴り開けると黒凪がすぐさま結界を中央に置かれた壺に突き刺す。
無様に砕け散り中身を溢した壺に一瞬だけ沈黙が降り立ち「なあああっ!?」と山ン本五郎左衛門の叫び声が響いた。
「材木問屋、山ン本屋五郎左衛門。こんな場所が百物語の巣窟だったとはなぁ」
「ぐ、ぬぬぬ…!!出あえ、出あえ――!!こいつらを皆殺しにしてしまえええ!!」
どっと現れた山ン本五郎左衛門が作り出したであろう怪異達に奴良組が向かっていく。
既に山ン本五郎左衛門が作る先程の壺に納められていた"茶"の虜になっている百物語の客人達は妖怪達に恐れ慄き、どうにか我が身を護ろうと駆け回っていた。
そんな中で劣勢を強いられている己の怪異達に気付いた山ン本五郎左衛門はこれならどうだと巨人"大櫓威の怪"を出現させる。
「んだよあのデカブツはよぉ」
『君にやるよ鯉伴。私に良い所を見せておくれ』
「あんたにゃさっきも良いトコ見せてんだろ。」
軽口を叩きながら一撃で巨大な怪異を倒し、鯉伴が笑顔を見せた。
惚れたか?その言葉に「ふざけた冗談はおよしよ」と黒凪も笑顔を見せて返す。
それじゃあ私は山ン本五郎左衛門を殺るからお前はその破戒僧の相手をしておきな。
彼女の言葉に鯉伴が片眉を上げた時、それを見計らうかの様に黒田坊の一撃が鯉伴に迫った。
「っ!てめぇ、」
【奴良鯉伴…貴様は拙僧が…!】
「く、黒田坊か!?よよよ良く来た!さっさとそんな妖など倒してしまえええ!!」
そう叫んで奥へ走って行く山ン本五郎左衛門に黒凪がついて行った。
己の後を付いて来る黒凪に気付いた山ン本五郎左衛門は走りながら握りしめていた半紙と筆を持ち筆を走らせる。
それを見た黒凪は結界で山ン本五郎左衛門を屋敷の外へ放り出した。
そして周りに奴良組の者達が居ない事を確認すると山ン本五郎左衛門に目を向ける。
『さあて、どうしてくれようかね』
「き、貴様は一体…っ」
『私は結界師の間黒凪と言うものだ。よく覚えておくんだね』
「い…嫌じゃあ…儂の…野望は…」
儂の…儂の野望…。
ぼそぼそとそう呟きながら血に塗れた指を筆代わりに走らせる。
半紙に乱暴に描かれた絵に血で名前を書いて行く。
その赤い血文字は"山ン本五郎左衛門"と半紙に記し、瞬く間に妖気が溢れた。
『!』
【 恨めしや 間黒凪 】
『…はは』
巨大化する妖気と山ン本五郎左衛門、そして先程の恨み言。
それらを目の当たりにして安堵した様に息を吐いた。
それで良い。恨まれるのは私だけ。…呪われるのも私だけで。
百物語・その百
ある所に大商人がおりました。
金も女も、手に入らぬものは何1つありません。
やがて欲しいものがなくなってしまった男は
全ての畏を手に入れて仏様や神様の様な存在になりたいと思いました。
しかし残念な事にその野望は畏を滅ぼさんとする結界師や畏を啜って生きる妖怪共に潰されてしまったのです。
恨みを持って死んだ男は自らを怪談とし、男を追い詰めた結界師を滅ぼすまで決して滅びぬ妖怪となったのです…。
その妖の名は 魔王・山ン本五郎左衛門
『憎いかい』
【――!】
『私が憎いか?ほれ、此処で今もお前を嘲笑っている――』
【おのれェエエエ!!】
低い低い声が響き渡る。
その様子に満足げに笑う黒凪に鯉伴が微かに目を見張る。
そして振り下された山ン本五郎左衛門の拳から彼女を助け、変わり果てた奴の姿に眉を寄せた。
「おいおい、なんだよこの有様は…」
『どうやら山ン本五郎左衛門が怪異になったらしいね。ほら、周りに散らばった奴の肉片1つ1つが怪異になって行く』
「…!」
『随分と大がかりな怪異を作ったものだよ』
禍々しい畏が溢れ出し低い声が響く。
間黒凪。この恨み、はらさでおくべきか。
ふらふらと山ン本五郎左衛門がそう呟きながら側に立つ鯉伴と黒凪に目を向けず江戸の町へ歩いてゆく。
舌を打った鯉伴は黒凪を抱えたまま町に向かって走り始めた。
「くそ、これじゃあ埒が明かねえ…!」
『ふむ…ここら一帯を更地にして良ければ短時間で一掃出来るんだがな』
「んな時にふざけた事言ってる場合かよ!」
『おやおや、そんなに焦るな鯉伴。焦りは禁物だ』
山ン本五郎左衛門の怪異達を結界で倒しながら黒凪がそう言えば鯉伴は舌を打って息を吐いた。
そうして再び人を護りながら怪異達と戦っていく。
その様子を呆然と見ていた黒田坊は眉を寄せて周りを見渡している。
【(何故だ、何故山ン本様が妖となって人を襲っているのだ)】
「っ、黒凪!」
『私には構うな、しっかりと江戸の人間を護れ。お前の領地の者だろう』
【(何故悪の根源である筈の奴等が人を助けている!?その役目は―――、)】
ズキッと痛んだ頭に黒田坊が頭を抱える。
拙僧は、…拙僧は何をしている?
山ン本五郎左衛門の肉片の相手に追われていた黒凪は本体が居ない事に気付き周りを見渡した。
すると路地の方に入って行くのを目撃しそこに逃げ遅れた人間がいるのではないかと気付き走り出す。
思った通りそこには子供が2人居て、どうやら兄弟の兄の方が山ン本五郎左衛門に襲われているようだった。
「た、助けて…!」
『手を伸ばせ、今…』
「たすけてくろたぼー!!」
『!』
大きく目を見開いた黒田坊が手を伸ばした少年を山ン本五郎左衛門から救い出した。
咄嗟に動いたのだろう、はっと気が付いた様子の黒田坊が座り込んでいる兄弟に目を向ける。
その背中を見た黒凪が小さく笑った。
『やっと思い出したかい、黒田坊』
【…あぁ】
『君は黒田坊。子供達が生み出した正義の妖だ。』
――そのお坊さんは背が高くて強い。それに武器を無限に持ってて、どんな悪い奴でも倒しちゃうんだ。
黒田坊が目を細めて武器を構える。
背に隠れる様にした兄弟に彼の目がちらりと向いた。
【拙僧から離れるなよ、護ってやるからな】
「う、うん!」
「本物だ…本物の黒田坊だ…!」
歓喜の表情を見せたのも束の間、すぐに周りを山ン本五郎左衛門に囲まれると兄弟は震えて黒田坊の裾に縋り付いた。
それを見た黒凪はこの場を任せる様に背を向け山ン本五郎左衛門の本体へ向かっていく。
鯉伴も本体を叩くしかないと気付いているのだろう、彼も黒凪について行った。