世界を救ったのは【 × ぬら孫 】
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ぬらりひょんと珱姫編
【…生肝】
『ん、』
【生肝ォオオ!!】
「御免!」
『こちらこそ。』
すかっと空を切った己の刀に是光が大きく目を見開いた。
そして目付きを鋭くさせてゆっくりと振り返る。
彼の視線の先では黒髪の少女が姫様の側で行儀悪く寝転がっていた。
そんな少女の人差し指と中指はぴんと立てられ綺麗に揃えられている。
その様子を無表情に見つめ、やがて是光は目の前に目を戻した。
『いやー、また汚してしまったねえ』
「…そう思うならさっさと塵にしろよ。結界師。」
『そう無下にしないでおくれ。我々の仕事が重なったのは私の所為では無い。』
「だ、大丈夫だったかい!?お前にもしもの事があったらと思うと…!」
珱姫に物凄い勢いで駆け寄った男。彼こそが今の状況を作り出した張本人だ。
娘である珱姫の不思議な力によって金を稼ぎ、高い給料を払って結界師と陰陽師を珱姫の側に遣わせている。
黒凪が徐に妖を結界で押し潰すと珱姫を気遣っていた男がばっと振り返った。
「全く、高い金を払っているのにこんなものを屋敷に入れるとは…!」
『いっそこの屋敷を結界で囲みましょうか?ちょっとお高くなりますが』
「ぐぬぬぬ…、花開院殿はどうなさるおつもりか!」
「…更に人数を増やします。勿論お代は頂きません」
そうか、なら人数を増やす事にしよう!
ぱっと顔を明るくさせて言った男に内心でため息を吐く。
まあ此処で花開院が帰らされてみろ、元から険悪な間柄が更に悪くなる。
商売敵である両者は元々京と江戸で活動範囲が綺麗に分断されていた。
…先に相手の領域へ土足で踏み込んだのは結界師の方だ。
裏会を立ち上げ日本全国の異能者達を管理する様になり陰陽師が請け負っていた様な依頼を横取りする様になった。
『(それしても同じ親子とは思えぬほどの強欲な男だ)』
ちらりと黒凪の目が先程結界で滅せられた妖の居た場所で両手を合わせる珱姫に向けられる。
彼女は謙虚に病の人間を治し、自分を襲わんとした妖にさえも慈悲の心を見せる美しき女性。
対してその父親は大金を積んで大層にも結界師と陰陽師を城に縛り付け金を持っている人間から娘を使って金を巻き上げている外道。
「…ねえ、結界師様?」
『はい?』
「今もずっとあの結界を広げたままなのでしょう?お身体は大丈夫?」
『…あぁ、これぐらいなら大丈夫ですよ。正直な所、私は眠らずとも生きて行けるのです。』
姫様が休めとおっしゃるから態々眠っているのですよ。
目を細めてそう言えば彼女の眉が下げられる。
すると暫し珱姫から離れていた是光が1本の刀を持って再び顔を見せた。
「姫様、良い機会ですからこれをお持ちください」
「…刀、ですか?」
「はい。これには我々陰陽師の念を籠めてあり、妖を斬る事の出来る代物でございます」
刀を受け取る珱姫を素知らぬ顔をして眺める。
この場で顔を見合わせた時から結界師と陰陽師は互いに介入しないことを決めている。
…とは言っても結界師は黒凪1人。それに対し陰陽師はかなりの数が居る。
そこまで張り合う気はないのだが。
「――私のこの力の所為で沢山の人に迷惑をかけているわ。…それに父様も変わられてしまった」
『…姫様、そろそろ結界を張り直しても構いませんか』
「まだ駄目です。しっかり休んでください。」
『…姫様は分かってませんね。』
その甘さが新たな犠牲を生むのですよ。
無表情に黒凪が言った時、小馬鹿にするような笑い声が部屋に響いた。
そして続けざまに「それは儂の事か?」とこれまた気に障る程の余裕な声が掛けられる。
珱姫は目を大きく見開いて振り返り、部屋に何食わぬ顔で座っている妖に固まった。
「…嘘、」
【…ほう、成程な】
「っ!」
『……』
確かに噂通りの絶世の美女だ…。
そう言った妖は瞬く間に珱姫を抱きすくめ、ニヤリと笑った。
珱姫の焦った様な目が黒凪に向くが彼女は珱姫を無表情にじっと見つめているだけ。
さて、どうします。そう問いかける様な黒凪の目に珱姫が覚悟を決めた様に刀に手を掛ける。
「は、離してください!」
「おおっと」
微かに斬られた腕にぬらりひょんが目を見開いた。
それを見た黒凪は小さく笑い、足を踏み出しぬらりひょんの身体に結界を突き刺した。
ごふっと血を吐いたぬらりひょんに珱姫が怯えた様に目を見開き、黒凪が珱姫を引き寄せる。
『…なんだ、思っていたより果敢ですね姫様。』
【……儂も江戸の出だからな、お前の噂はかねがね聞いている】
ぽた、とぬらりひょんの口元から流れ落ちた血液が畳に染み込んでいく。
結界師。確かそんな名だったな…。
確かにこの有様を見れば、その噂も自ずと理解出来る。
突き刺さる結界を掴んでみるがビクともしない。…ぬらりひょんが眉を下げた。
【…大した術だ】
「っ…!」
『え』
苦しげに眉を寄せたぬらりひょんを見ていられなくなったのだろう、走り出した珱姫が突き刺さっている結界の部分に両手を向けた。
そして塞がる事のない傷口に彼女の目が黒凪に向けられる。
今すぐこの術を解いてください、この人はきっと悪い人では…!
涙目になって言った珱姫に固まり、徐に結界を解く。
【…お前、その力】
「な、治った…?」
完全に塞がった傷口を何度か手で触り、そして驚いた様な目が珱姫に向けられる。
珱姫は少し疲れた様に眉を下げるとほっと息を吐いてその場に座り込んだ。
その様子を見ていた黒凪は襖の向こう側で「姫様、何か変わった事はございませんか」と声を掛けて来た是光に目を向ける。
ぬらりひょんも声に振り返ると珱姫に近付き何かを囁くと窓から颯爽と出て行った。
「――姫様?」
「は、はい!何もありません、大丈夫です」
「…そうですか」
『…。姫様、先程あの男は何と?』
ただ一言、…ぬらりひょん、と。
ああ、関東任侠妖怪総元締の極道一家か。
その名の通り関東の妖達をまとめている組織である奴良組には我々も何度か奇襲を目論んだ事がある。
しかし結局面倒な妖達の抑止としても働いている為に見逃していた。
ぼうっと空を見上げる珱姫にため息を吐いて共に窓の外に目を向ける。
姫が雇い主である以上命令は聞き入れるつもりでいる。
しかし随分と甘い人だ。その内本当に殺されても知らぬふりをしよう。…そう思った。
「え、あの…!」
【良いから儂に身を委ねよ。外に連れて行ってやる】
「ちょ…!」
知らぬふり知らぬふり。
あの妖に喰われた所で私が損をするのは金銭面でだけだ。
これで一月ほど彼女を護衛しているが、それだけでもかなりの額を貰っている。
そろそろこの任からも離れようかと思っていた所だ。
だから連れ去られた珱姫を素知らぬ顔で見送った。
「――結界師」
『ん?なんだい、陰陽師。』
「姫様はどうしている?同じ女子だからと同室にしたのはお前の方だろう」
『もう眠っているよ。彼女の周りには結界も張っているし問題無い。』
しっかり側に着いていろ。何かあっては…。
私はね。遮る様にそう言った黒凪に是光が口を閉ざした。
私はあの子に思い入れなんて無いし、正直喰われた所で何とも思わん。
ぴくりと是光の眉が寄せられる。
『ただの金蔓だ。過剰な護衛はやらぬ』
「…貴様、それでも人間か」
『あぁ。私は確かに人の子だよ。少しあちら側に近いとは思うがね』
「…下衆が」
何とでも言えば良い。
ゆるく微笑んで歩いて行った黒凪に是光が舌を打つ。
――とは言っても、妖に好き勝手されていると言うのも面白くなくなってきた所だ。
そろそろ久々に妖の本拠地でも滅ぼしに行こうかね。
【――今日も楽しんでるな。珱姫】
「はい。とても楽しゅうございます」
【そうか。…そう言えば考えてくれたか?儂と夫婦になる話は】
「っ!」
一気に顔を赤らめた珱姫に「可愛い奴じゃ」とぬらりひょんが微笑む。
その様子を遠目に幹部達はやがて呆れた様にため息を吐いた。
初めて彼が夫婦になろうと珱姫に言った時には随分と過剰に反応して反対もしたものだが、今となっては奴良組に馴染んだ彼女に反対の声も少なくなっている。
…本当に人間と夫婦になられるつもりだろうか、我等の大将は…。
そう考えて鴉天狗がため息を吐いた時、屋敷全体を覆い尽くした気配に大きく目を見開いた。
他の幹部や妖達も顔を上げ、振り返って襖に目を向ける。
『――…失礼。此方に珱姫はおられるだろうか』
「!(結界師様…)」
【総大将、あの者は】
【珱姫の護衛に付いとる結界師だ。ずっと儂を見逃しておったが、遂に乗り込んで来よったか】
答えて下さらぬのなら私が自分の目で判断致しますが?
再び掛けられた声に「あぁ、此処に居る」と馬鹿正直に答えた総大将に幹部達が驚いた様に目を向ける。
元々江戸に屋敷を構える奴良組には痛い程に結界師と言う存在の話は耳に入っていた。
神にまでも干渉出来る異能者であり、人でありながら妖の天敵とも言われる――。
『ならば返して頂こう。…あぁついでに、此処の妖全ても殺して行こうかね』
【何を世迷言を…】
襖を吹き飛ばした力に妖達が眉を寄せ、キッと黒凪を睨む。
その顔を見て小さく笑った黒凪は絶界を身に纏ったままゆっくりと足を踏み入れた。
悍ましい彼女の力にぬらりひょんが薄く笑みを張りつけ刀に手を掛ける。
【おいおい、人ん家に土足で上がり込むなよ】
『今から塵になる屋敷の事など考えていられんな。』
【…姿に反して随分と荒い奴だな】
『屋敷を護りたければ私を殺してみろ。死にたくてうずうずしてるんだ』
微かに眉を寄せてそう言った黒凪にぬらりひょんがピクリと片眉を上げる。
舐めるなよ人間風情が――!
そう啖呵を切り刀を振り上げた一ツ目入道が突っ込んでいく。
そうして絶界に触れた刀が熔ける様に無くなり、その勢いのままに一ツ目入道が絶界に飛び込んで行った。
まずい、とぬらりひょんが目を見開く。
すぐさま雪麗が吹雪で一ツ目入道を吹き飛ばし、涼しい顔をして立つ黒凪を睨んだ。
「止めてください結界師様!妖様も、…2人共いがみ合わないで…!」
『…姫様、何か勘違いなさっていませんか』
「え、」
『もう十分貴方のお父上にはお礼を頂きました。貴方が生きていようと死んでいようと構いません。』
にっこりと笑った黒凪にひゅ、と珱姫が息を飲む。
恵まれた人間は嫌いでねえ。不思議ですよね、妖や神様相手にはそこまでの嫉妬は無いんですが。
ゆっくりと珱姫に伸ばされた黒凪の手を阻止する様に絶界と珱姫との間にぬらりひょんが入り込む。
そのあまりにも危険な行為に幹部達も息を飲んだ。
【…てめぇ、その力をどうやって手に入れた?】
『……』
【その力は見ている限り気分の良いものじゃねえ。人間のどす黒い憎悪の塊って感じがする】
自分以外のものを全て塵にするその力…決して見せびらかす様なもんじゃねぇな。
ぬらりひょんの言葉に顔色1つ変えない黒凪に怯えた様子で珱姫がぬらりひょんの着物の裾を掴む。
その間にも黒凪に一矢を報いようとぬらりひょんの仲間達が様々な武器を犠牲にして攻撃をし続けていた。
【…おい、何とか言えよ。】
『……』
【死人みたいな顔してるんじゃねえ!】
『死人も同然さ。私はこれからもたった独りで生きてゆく。…その目的が達成されるまで』
その為にはまず金が必要だ。それは揃った。
…後は私が只管強くなるだけ。
腕試しに百鬼夜行でも滅ぼして見ようと、そう思っただけだよ。
笑って言った黒凪にぬらりひょんが眉を寄せる。
『…さてそれじゃあ』
【っ、】
『やろうか』
≪――…ご主人様、病状が悪化致しました≫
頭に響いた声に黒凪がピタリと動きを止める。
そして乱れた絶界に「好機だ」と妖達が一斉に斬りかかった。
その中の牛鬼の一撃で絶界に穴が開き、そのまま刃先が黒凪の背中を斬り付ける。
大量の血を流して倒れた黒凪にぬらりひょんを押し退けて珱姫が駆け寄った。
【っ、珱姫!】
「そんな、結界師様…!」
【ちょっと何やってんのよあんた!その女は奴良組を潰そうと…】
「でもこの方はまだ子供です!それにきっと、…きっとこの子、誰かの為にお金を…」
顔を青白くさせて回復しようと力を使う珱姫。
それでもピクリとも動かない黒凪に目を伏せて牛鬼が刀を仕舞った。
もう死んでいる。無駄な事は止めておけ。
そう声を掛けた牛鬼にぬらりひょんも同意する様に珱姫に手を伸ばす。
しかしゆっくりと起き上がった黒凪に皆が目を大きく見開いた。
『…、』
【な…】
【牛鬼様の一撃を受けてまだ生きているなど、】
『…だから言ったろう。殺してみろ、と』
無理だったじゃないか。
無表情に牛鬼を見て言った黒凪に妖達が息を飲む。
そんな中で彼女の背中に力を使い続けている珱姫に黒凪がチラリと目を向け、その手を掴み取った。
ビクッと固まった珱姫に黒凪が眉を下げる。
『無駄な事は止めておけ。もう傷なんてありゃしないよ』
「え、」
『…また日を改める。邪魔したね』
血塗れの着物を持ち上げ動き辛そうに立ち上がりのそのそと屋敷から出て行く。
突然何の前兆も無く引き上げた黒凪にぬらりひょん達が顔を見合わせた。
そしてぬらりひょんが再び黒凪が去っていった方向を見ると珱姫を持ち上げ屋敷から出て行く。
外にぬらりひょんと共に出た珱姫は己を持ち上げるぬらりひょんを見上げた。
「…妖様?」
【なあ珱姫、少し後を付けてみないか?】
「!」
【どうもあいつのあの態度が気になってな。…珱姫もそう思うだろう?】
はい。としっかり答えて頷いた。
そんな珱姫に小さく笑ったぬらりひょんは気配を絶ち、存在さえも極限にまでこの世界に溶け込ませて。
そうして黒凪の後を追った。
『医者が来ただろう、なんと言っていた?』
「…もう駄目だそうです。どれだけ腕の立つお医者様でも…もう…」
『諦めるな。今裏会の方に病に強い異能者が居ないか問い合わせている所だ、直に連絡が来る』
「……、私、もう疲れてしまったんです…」
身体の節々が痛んで、辛くて。
もう私は眠ってしまいたい。
消え入るような声で言った女性に黒凪が眉を寄せた。
『そんな事を言わないでおくれ。…子供に勉強を教えてやるんだろう。生きておくれよ』
「…もう…疲れ…て…」
『………』
ゆっくりと閉ざされた目に顔を伏せ、徐に掴んでいる手を揺する。
反応の無い女性に手を置いて肩を揺すってみた。
それでも反応は返って来なくて。
それを確認すると何を言うでもなく黒凪はその場に座ったままで固まった。
【………】
「…妖様、」
【あぁ。…あいつが金を欲した理由はこれか】
床に伏した友人を救う為に金を必要とし、病状の著しい友を哀れに思う気持ちが苦しかった。
もしかするとそんな理由で意味も無く妖を抹消しようと考えたのかもしれない。
そう言った所は珱姫の言う通りに子供なのかもしれないなと思った。
子供故に己の苦しみを吐き出そうと周りを巻き込んで。
『…。裏会に連絡を取れ、医者はもう必要無いと』
「はい」
『この子の亡骸を埋める。良い場所はあったかな』
「…確か裏に開けた場所があった筈です。其方でどうでしょう」
分かった。そう言って眠る様に息を引き取った女性を持ち上げ引き摺る様にして外に出て行く。
その様子に思わず手を伸ばそうとした珱姫はぬらりひょんに制され動きを止めた。
丁度2人の真横を通る時、ちらりと黒凪の冷え切った目が向けられる。
『――…今は争う気力が無い。見たいものは見れたろう』
【「!」】
『去れ。去らぬのなら殺す』
あと。
足を止めずに続けた黒凪に珱姫が目を向ける。
私の事は忘れて下さい、姫様。
珱姫が微かに目を見開いた。
『私は既に仕事を放棄する事をお父上に報告済みです。精々殺されぬよう花開院の秀元にでも護ってもらいなさい』
「…結界師様、」
『光秀では駄目ですよ。才能が無い。…話は通じる利口な男だから側に置いていて損はしませんがね。でももしもの時は秀元を頼りなさい』
彼は裏会にも登録されている数多い異能者の中でもかなり強力な術者だ。
分かったらさっさとその妖と共にお行き。
そう言って建物の裏に姿を消そうとした黒凪。
それを見た珱姫は焦った様に再び彼女の名を呼び、鬱陶し気に黒凪が足を止めて振り返る。
「っ、これでお別れなの…?」
『…何ですかその顔は。そんなに花開院だけではご不安ですか』
「そう言う事じゃないの、私は…」
『ではこれを貴方にお渡ししておきましょう。もしもの時は相手に投げつけなさい。』
ぴっと差し出された呪符に珱姫が駆け寄り黒凪の手から受け取った。
珱姫は呪符をじっと見つめると嬉しそうに小さく微笑む。
その様子を見て黒凪は珱姫に背を向けぬらりひょんの名を呼ぶ。
わかっとる、と返答を返したぬらりひょんは珱姫を抱えて姿を消した。
『…それじゃあね、名も知らぬ人間の子よ。』
《私の病は治らないものなのです。徐々に記憶が消えて行き、自分が誰なのかすらも分からなくなる》
『人間らしくこのまま安らかに』
《もはや私は人と名乗るにも値しないものなのかもしれません。…己の名前すらも思い出せないのですから》
名前を無くした程度で人から外れたと思うだなんて、なんと人は弱い生き物か。
そう考えて目を閉じた時、背後に先程去った筈の気配が戻ってきた。
その気配に目を開いた黒凪がゆっくりと振り返る。
背後に立っていた男は感情の読めない顔で此方をじっと見ていた。
『…何故戻ってきた?』
【その娘、京のもんじゃないだろう。方便が東言葉だったからな。】
『…』
【…これは儂の勝手な考えだが、】
不治の病を抱えるその娘がこの京に来た理由は珱姫だったんじゃないのか?
ぴくりと黒凪が眉を寄せた。
だがあの強欲な父親の事だ、門前払いでもくらったんだろう。
図星なのだろう、彼女は否定をしない。
『……。この子は江戸の武家の娘だ。床に伏せっているこの子を妖が喰おうとしたから助けたんだ』
【……】
『でもこの子は病の影響で生きる事を諦めていてね。…それがどうにも気になって』
その頃に京の珱姫を護る任に付く様にと裏会から連絡が来た。
聞けばその珱姫はあらゆる難病を治す事が出来るそうじゃないか。
…だから報酬の前払いのつもりで診てもらおうと連れ出した。
『だがあの男と言ったら…』
《駄目だ駄目だ!貴様への報酬はその働きに見合った分だけを払う!前払いなど以ての外だ、自惚れるな!》
『…心底軽蔑した。珱姫の事もあの男の娘だと思うと気に食わなかった』
だが珱姫のあの男とは全く違う考えや行動にいつしか憎しみも薄れてね。
だからさっきはお前達が居る前で珱姫の話はしなかったんだ。
…裏会に連絡を取っていたなんて嘘だ。私が大金を積んで連れて来たかったのは珱姫だけ。
『…先程無理矢理にでも珱姫を攫えば良かった。脅してでも治療させれば良かった。』
【……】
『でもこの子が死ぬかもしれないと聞いた時には頭が真っ白になって。……何も考えられなかったんだ』
項垂れてそう言う黒凪に目を逸らす。
掛ける言葉が見つからない様子のぬらりひょんに黒凪が「去れ」と一言言った。
これ以上私を見るな。妖に弱みを見せるなど反吐が出る。
その言葉に目を伏せ、ぬらりひょんが闇に溶けて行く。
…もうこれ以上に人と関わる事は止めよう。
完全に消えた気配に静かに立ち上がりそう考えた。
――…そう考えた、矢先だった。
「助けて…」
「っ、珱姫ぇ…っ」
「助けて…!」
何度も珱姫の声が頭に響く。
珱姫に持たせてある式神によって大体の事は理解していた。
異能者の肝を求める羽衣狐が大阪城に能力のある姫達を集め、現在その肝を食している。
その集められた姫達の中に珱姫も居るのだろう。
『……。』
≪妖様…!≫
『…私かぬらりひょんが大阪城に着くまで護っておやり』
≪はい≫
さあ、肝を寄越せ。
そう言って珱姫に近付いた羽衣狐の前に式神が黒凪の姿になって立ち塞がる。
珱姫はそんな式神の姿に「結界師様…?」と呟いた。
その言葉には何も返さず式神が羽衣狐を睨み微かに目を細める。
【なんじゃお前は。…妖でもなければ人でもないな】
「…主人に代わり、相手をさせて頂きます」
【主人?】
眉を寄せた羽衣狐の背後から物凄い勢いで迫る妖気が現れる。
其方にちらりと目を向けた式神はその妖気と羽衣狐の側近達の妖気から珱姫を護る様に彼女を抱きかかえて飛び退いだ。
ガキッと刀がぶつかり合う音が響き、現れたぬらりひょんと羽衣狐の側近達の妖気がぶつかり合う。
一旦離れたぬらりひょんに側近の1人が攻撃を仕掛け、その衝撃で着物が破れた。
そしてその背中に見えた刺青に羽衣狐が目を細める。
【ヤクザ者か】
【…儂は奴良組総大将、ぬらりひょん。そいつは儂の女じゃ、返して貰うぞ】
ぬらりひょんがそう啖呵を切った途端に大量の妖気が屋敷に充満し、彼の背後に奴良組の百鬼夜行が現れた。
なんじゃお前等。来たのか。
あっけらかんと言ったぬらりひょんに小さく笑って百鬼夜行達が羽衣狐達を睨む。
目を細めた羽衣狐が側に立っている凱郎太に目を向けた。
【我が名は凱郎太。貴様等など塵にしてくれる!!】
巨大な棍棒を振りかざし、その爆風で妖達を吹き飛ばしていく。
そうして姿を消したぬらりひょんに彼がニヤリと笑った時、一瞬でぬらりひょんが姿を見せ凱郎太を真っ二つに切り伏せた。
舞った鮮血から珱姫を庇い、式神の頬に血が掛かる。
式神は羽衣狐達と戦いを始めた奴良組にチラリと目を向けた。
「(――…ご主人様、奴良組と羽衣狐達の勢力はほぼ互角です。少しお急ぎくださ、)っ!?」
【黒凪!】
【なんじゃ、呆気ない】
羽衣狐の尾によって貫かれた式神が放り投げられる。
それを受け止めたぬらりひょんは捕まった珱姫に眉を寄せた。
ぴく、と動いた式神にぬらりひょんの目が向く。
薄く開いた式神の瞳がゆっくりとぬらりひょんに向けられた。
「…1つ頼みがあります」
【おい、お前話せるのか?腹に穴が空いてんだぞ】
「3秒以内に私から離れて。…3、」
【は?お前何を、】
2、…1。
ぼふんっと現れた煙に羽衣狐が眉を寄せる。
ぬらりひょんは突然の重みにその場に尻餅を着き、己の上に座っている黒凪に目を見開いた。
黒凪は地面に落ちた呪符を拾いぬらりひょんの上から退くとゆっくりと立ち上がり、羽衣狐に目を向ける。
『さっさと立ちなよぬらりひょん。そりゃあ突然の事で驚きはしただろうがね』
【おま、さっきまで腹に穴が…】
『あれは私の分身だ。いくつも代えが効く』
迫った尾を結界で突き刺し羽衣狐の血が床に落ちる。
黒凪の目と鼻の先で止まっている尾にぬらりひょんが微かに眉を寄せた。
チッと舌を打った羽衣狐が周りに目を向け奴良組の方に向かっていた妖達が少しずつ黒凪に向かっていく。
【結界師の相手は好かぬ。部下達と遊んでおれ】
『お前の部下ごときで足止め出来ると思っているのか?』
【そう長くはもたぬ事は承知の上じゃ。お前が此方に戻る前にあの馬鹿な男を葬っておく】
押し寄せる妖達に眉を寄せ絶界で応戦する。
しかし怯む事もせず一心不乱に突っ込んでくる羽衣狐の部下達に微かに眉を寄せぬらりひょん達が見えなくなった。
その様子を見ていたぬらりひょんは刀を構え羽衣狐に向かっていく。
しかし羽衣狐の尾が次々と彼に攻撃を仕掛けその威力と速度になす術も無く数秒で傷だらけになってしまった。
倒れ込んだぬらりひょんに珱姫が息を飲む。
「妖様…っ」
【なんじゃ、お主もあの男を好いておるのか?苦しそうな顔をするではないか】
「もう止めてください、そんな無茶を私の為にする事ありません!」
【馬鹿な事を言うな…】
涙ながらに叫ぶ珱姫に羽衣狐がクツクツと喉の奥で笑った。
噂ではその能力故に外に出た事すらないと聞くぞ、珱姫。
羽衣狐の言葉に涙を浮かべた珱姫の目が向く。
【ろくに男も知らぬまま育ったのだろう。可哀相にねえ、初めての男があんな馬鹿な男だとは…】
【…珱姫、今のお前には儂はどう映ってる】
「!」
【そいつの言う通り、馬鹿な男に見えるか】
見えません!そう叫ぶ様に言った珱姫に眉を下げてぬらりひょんが微笑んだ。
儂はな珱姫。お主が側におるだけで心が綻ぶんじゃ。
あんたが側に居てくれれば儂は幸せだ。…だがあんたは不幸な顔をしてる。
【だから儂があんたを幸せにする。あんな不幸な顔なんざさせねえ】
「…妖様…」
【儂を信じろ珱姫。必ず幸せにする。…必ず其処から助け出す】
あんたを護る為に全力を尽くそう。
刀を持ち上げすっと向けられたぬらりひょんの目が普段とは全く違った雰囲気を醸し出す。
その様子に気が付いた羽衣狐が微かに眉を寄せた。
【…此処からが妖の本来の戦じゃ。覚悟しろ】
【!?(姿が闇に溶けて行く…尻尾が反応しない、其処に居るのに見えな――)】
はっと目を見開いた羽衣狐の目の前でぬらりひょんが刀を振り上げる。
尻尾が即座に反応しその刀を弾き飛ばした。
しかしぬらりひょんはそれを想定していたかのように一瞬で持って来ていたもう1つの刀を抜くとその勢いのままで羽衣狐を斬り付ける。
斬り付けた場所から溢れ出す妖気に珱姫が目を見張った。
【何じゃ…何じゃその刀は!!】
『!(妖気が空に…勿体無い事をする)』
【待て、我が子の為に集めた力…!愛しいこの子の為に…!!】
『そんなに大事なら私が貰い受けよう。…貴様になど一寸たりとも返してやらぬ』
屋敷を包み込んだ黒凪の力に羽衣狐の血走った目がぐるりと向けられる。
空に抜けて行った妖気が方向を変え瞬く間に黒凪に呑まれて行く。
ぬらりひょんや珱姫の目も黒凪に向いた。
『ほう、これは凄い』
【おのれ、貴様魂蔵を持っておるのか…!】
『神にも勝る力だ。私を喰いたいかい』
【喰ろうてやる…貴様を喰らえば力が戻る…!!】
羽衣狐の尾が一瞬で黒凪を引き摺り外に飛び出していく。
その衝撃に目を細めたぬらりひょんは珱姫を探し牛鬼の背で無事に立つ彼女を見て眉を下げた。
しかし珱姫の目はぬらりひょんではなく羽衣狐が出て行った天井に向けられている。
「妖様!結界師様を…!」
【行け総大将。此処は俺達が食い止める、止めを刺して来い】
【…任せるぞ、牛鬼】
背を向けて走り出したぬらりひょんに「あぁ」と頷いて牛鬼が刀を構える。
一方で大阪城の屋根の上に連れてこられた黒凪は表情1つ変えずに羽衣狐を見下した。
その様子に羽衣狐が眉を寄せ睨み付ける。
【人間風情が…よくもわらわの力を…】
『そんな文句を言う為にこの場に連れ出したのかい?喰いたければさっさと喰えば良いものを』
絶界で羽衣狐の尾を消滅させ屋根に降り立つ。
そうして顔を上げた黒凪は小さく笑った。
『元々京に来た理由は力を蓄えているお前からその力を奪い取る為。その目的が達成されて心から嬉しく思う』
【貴様…!】
『恨むなら私を恨むが良い。お前を斬ったあの男も今からお前を押さえつける花開院の人間も』
【っ!!】
大阪城を札が囲み小さく笑った花開院秀元が印を結び破軍を呼び起こす。
秀元によって搾り取られる様に羽衣狐の中に在った妖気がまた外に溢れ出した。
その力を飲み込みながら黒凪が口を開いた。
『私に比べれば可愛いものだろう』
【返せ…!わらわの力を返せぇえええ!!】
「はは、めっちゃ怒っとるやん。何したん黒凪ちゃん」
『見れば分かるだろう秀元。力を掻っ攫ったのさ』
大阪城の屋根に到着したぬらりひょんに秀元と黒凪の目が向いた。
ええとこ持って行き。そう言った秀元の言葉に彼を唖然と見ていたぬらりひょんがはっと刀に目を向ける。
黒凪も肩を竦めて退くと小さく笑ってぬらりひょんが走り出し刀を振り上げた。
【待て、わらわを誰と…っ】
真っ二つに切り裂かれた淀姫の亡骸から羽衣狐の本体が姿を現し醜悪な姿を晒した。
呪うてやる。響いた言葉に皆が顔を上げる。
呪うてやるぞ、貴様等全員…!!
羽衣狐の言葉に微かに眉を寄せ黒凪が構えた。
【貴様等の子は、孫は!この狐の呪いに――】
『呪いなんて陰険な事はお止めよ。』
【結界師…間一族…!!】
『呪うなら呪うが良い。私は子を成さぬ。これからお前に殺されて悲しむ人間など1人もおらぬよ』
羽衣狐は黒凪の結界を突き刺され闇に溶ける様に消えて行った。
残った淀姫の亡骸は屋根から真っ逆さまに落ちて行き姿が見えなくなる。
傷だらけのぬらりひょんが己の腕や身体を見下し眉を寄せた。
秀元はその場に座り込んだ黒凪へ近付いて行く。
「お疲れ様やねぇ黒凪ちゃん。」
『其方こそ。破軍まで出してくれるとはね』
「そりゃあ魑魅魍魎の主が相手やからね。僕も本気でいかんと。…あぁでも魑魅魍魎の主は今日から君か、ぬらちゃん」
【!】
振り返ったぬらりひょんに笑ったままで秀元と黒凪が構える。
その様子をぬらりひょんが真顔で見つめた。
そんな反応に「なんやおもろないなぁ」とどちらからともなく構えを解くと秀元が徐に口を開いた。
「さあて、魑魅魍魎の主になった君はこれからどうするん?これから先、妖は今以上に生き辛くなるで」
【んな事は分ってる。…だから儂はそんな風に生き辛くなった奴等を護る為に魑魅魍魎の主になるんじゃ】
「人間と共生していくって言うてんの?それはむずいで、だいぶと。」
【問題ねえ。儂が最強になりゃいい話だろ】
刀を肩に担いで言ったぬらりひょんに黒凪が徐に立ち上がる。
そして屋根をよじ登る珱姫にチラリと目を向けた。
妖様、と言った彼女のか細い声にぬらりひょんがばっと振り返りすぐさま珱姫の手を掴み引き寄せる。
【珱姫…なんで此処に、】
「お怪我を治させてください。…これからもずっと、貴方様の側で」
【!】
『あぁやだやだ。幸せな人間は嫌いだよ。』
あ、僕も嫌いやわ。奇遇やねえ。
にこにこ笑って言った秀元に目を向けず黒凪は空に片手を伸ばした。
途端に空が曇り巨大な龍の身体が雲に紛れて見え隠れする。
空を見上げた秀元は小さく笑って黒凪に目を向けた。
「凄い妖気やけどまだ子供やねぇ。しかも半妖や」
『…竜姫って言うんだ。龍仙境に行った時に出会ってね』
「子供同士やから気が合うんや?」
『まあ、そんな所だ』
だって君まだ7つらしいもんなあ。
秀元の言葉にぬらりひょんと珱姫が目を見開いて黒凪を見下した。
黒凪も年齢の事を秀元が知っていると思わなかったのか、少し驚いた様に秀元を見上げている。
「その魂蔵の所為で身体だけがどんどん成長して行ったんやろ?でも経験だけはどうにもならへんからなぁ。秘術で時間を止めた。」
『……』
「君も大変やねえ。…良かったら僕と夫婦にならん?」
『は?』
眉を顰めて言った黒凪に続いて「え、えええっ!?」と珱姫が叫ぶ。
一方のぬらりひょんは「おいおい、文脈が可笑しいぞ…」と呆れた様に言った。
それでも秀元はにこにこと笑ったまま。
『…確かに夫婦になれば互いに利益はある。』
「うんうん。花開院と間が結託すれば江戸の妖も京の妖も敵やないわなぁ」
『だが今となってはそこまで真剣に妖を殺す必要も無いさ。新しい魑魅魍魎の主がしっかりと統括してくれるのなら』
【…ん?あぁ、儂に任せろ。】
ちょ、妖様…!
焦った様に言った珱姫に「ん?」と振り返るぬらりひょん。
しかし秀元の言葉も珱姫が思っている様なつもりで言ったのではないのだろう、彼は微笑んだまま頷いた。
『それじゃあ私は江戸に戻る。まだまだやる事は山積みだからね。…あぁそうだぬらりひょん』
【ん?】
『羽衣狐が言っていた呪いが気になる。もしも何か可笑しな事があれば些細な事でも私に言え。後継ぎが早死にする、子が生まれない、身内が死んで行く。そんな事でも構わない』
【あ、あぁ…】
秀元、お前もだ。
分かっとるよ。あ、せや黒凪ちゃん。
続けて声を掛けられた黒凪が振り返る。
秀元が彼女の手首を掴むと珱姫が頬を染めてぬらりひょんの服の袖を引いた。
「もうちょっとだけ京に居とき。聞けば奴良組に奇襲掛けたんやろ?」
『…そんな情報何処から』
「ちゃんと謝っとき、これからの魑魅魍魎の主の組や…仲良くしときたいやろ?」
『……』
それに僕も君に話したい事あるし。
きゃーっと珱姫が顔を両手で覆う。
そんな様子をぬらりひょんは怪訝な顔をして見ていた。
結界師の黒凪
(…京に結界を?)
(うん。上手く行けば400年は妖が好き勝手出来んようになる。勿論羽衣狐もなぁ)
(己にとって関係の無い未来の為にそんな無茶をするのか)
(関係ない事あらへんやん。きっと400年後にはまだ君もぬらちゃんもおる。)
((!))
(僕かてもしかしたら400年後に破軍としてまた君等に会うかも知れんしね。その時はまたこうやってお酒でも飲もうや。)
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