本編
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水の底に沈んだ女神
「平助達が言ってた噂、随分広がってんだね。」
「そーだろ?寧ろ知らなかったお前が凄いって。」
「そう?…じゃあ噂ついでに見に行ってみようかな。」
『んじゃあ私も連れてって。』
門を潜ろうとした2人は突然目の前に現れた千鶴に言葉を止めた。
しかしその瞳が金色だと気付くと沖田が片眉を上げる。
随分面白い登場の仕方だね。
嫌味に言った沖田に黒凪がニヤリと笑う。
「つかどうなってんだそれ?なんで逆さま?」
「うお、すげーな千鶴ちゃん…じゃないか黒凪だな」
「おー…」
黒凪は門の上に足を掛けて逆さまにぶら下がり沖田達を見ていた。
しかし背後から声を掛けて来た永倉と原田に目を向ける為腹筋で体を起こす。
そうして門に座る形になった黒凪は2人を見るとニヤリと笑った。
『おはよ。…ねえ、その池連れてってよ。』
「池?…あぁ、血生み池か?」
『そうそう。連れてって。』
顔を見合わせた永倉と原田は「丁度暇だから良いけど、」そう言って振り返る。
彼等の背後には仏頂面の土方が立っていた。
良いだろ?土方。
ニヤリと笑って言った黒凪に深く息を吐き「行くなら出来るだけ少人数でな」と眉を寄せて言う。
しかしその言葉に沖田がすぐに口を挟んだ。
「え、僕も行きたいんですけど。」
「はぁ?」
「俺等は案内するし…4人か?」
「ちょ、俺も暇だからどうせなら連れってってくれよ!」
じゃあ総勢5人だな。
黒凪の言葉に土方がまたため息を吐いて目元を覆う。
分かった分かった、なら5人で行け。
よっしゃ!と笑った平助に小さく笑って黒凪が地面に降りる。
そうして振り返ると彼等が羽織っている浅葱色の羽織に目を向けた。
『その羽織脱いできなよ。…目立つしサボってると思われると面倒だからさ』
「あ、そうだな」
「待っててやるから着替えて来いよ。」
走って行った平助と沖田を見送って黒凪が空を見上げた。
…芹沢さんが作った羽織、似合ってんね。
静かに言った黒凪に原田と永倉が眉を下げた。
「あの人は良くも悪くも周りに凄く影響を与える人だったよな。」
『うん。』
「…俺達の事、恨んでるか?」
眉を下げて問うた原田に土方もその問いの答えを聞く様に沈黙した。永倉も口を閉ざしている。
意外にも黒凪はすぐに返答を返した。
恨んでないよ、と。
『多分殺される事があの人の本望だったと思う。…土方なら分かってんでしょ?』
「!」
『…あの人、最期はどんな感じだった?』
「…。それで良いと言ってた」
最後まで本心の分からねえような顔で。
目を伏せて言った土方に「あの時、酷い事言ってごめん」とボソッと言った。
その言葉を偶然耳に入れた沖田と平助が思わず足を止める。
黒凪が眉を下げたまま振り返った。
『あんた達は結果的に芹沢さんの望みどおりにあの人を殺してくれた。…感謝してる。』
何かの為に何かを捨てられる奴は嫌いじゃない。
そんな人間が非道だなんて思わない。
小さく笑って言った黒凪が徐に歩き始める。
『ね、池ってどっち?連れてって。』
「…あぁ」
「っし、行くか」
特に何を話すでもなく5人で歩き始める。
その背中を見ていた土方は何も言わず背を向けて屯所に戻って行った。
やがて数十分ほどかけて山の中を歩き1つの大きな池に辿り着く。
その池を見た途端に起きた動悸に黒凪が胸を抑えた。
『――此処だ』
「え?」
『…いや、なんでもない』
思わず出た声だった。
静かに周りを見渡す黒凪に千鶴も中で彼女と共に周りの様子を窺う。
慣れた様に池に近付いた原田が近くの木を掴んで池に身を乗り出した。
あっちからここら辺まで血で染まってた事もあるそうだ。
かなり大きな池だがその血は池の大半を赤く染めた事もあるらしい。
そんな説明を聞きながら黒凪が徐に腰にある小太刀を鞘から抜いた。
その様子に平助達がぎょっと目を見開く。
「お、おいおい」
「何する気だよ、」
『…ちょっと斬るの。』
袖を捲り一気に手首を斬る。
溢れ出す血に「それちょっとじゃねぇ!」と目をひん剥いて原田が懐から布を取りだした。
その布をすぐさま手首に巻き付けるが血の勢いはすぐには収まらずどんどん溢れてくる。
「…相変わらず凄い血の量だね。」
「うわ、左之さんの布真っ赤…」
「…はぁ!?」
酷く驚いた様な永倉の声に「今度はなんだ」と振り返る。
すると彼と同じ方向に目を向けた沖田達も大きく目を見開いた。
黒凪もその様子を見ると徐にニヤリと笑う。
「…池が、」
『血の出どころ探して!』
「うえ!?」
『早く!』
お、おう!と永倉が赤く染まっている場所へ走り出す。
その後を黒凪も追った為原田や沖田、平助もその後を追った。
足を止めた永倉の側に寄ると確かに池の西側から血が溢れ出している様に見える。
迷わず池に足を踏み入れようとした黒凪の手を原田が掴んだ。
「待て!まさか行くつもりか!?」
『死体があったら上げないと。』
「だったら俺が行く、お前は休んでろ!」
そんだけ血が出てんだ、池に入ったら余計に流れ出ちまう。
腕を捲った原田が徐に池に入っていくと永倉も彼を手伝う為に入って行った。
その様子を岸辺で見守る沖田と平助、黒凪。
赤く染まった池の底に手を伸ばしていた原田は池の底で揺れる着物を見つけるとザバッと顔を上げた。
「死体だ!そっちに持ってくから受け取ってくれ!」
「っ、重てぇ…っ、左之!手伝ってくれ!」
永倉の言葉に原田も再び潜り着物の端を掴んで引き上げていく。
確かに鉛でも括り付けられているかのように重たい。
水の中では浮力が働く為余程重たいのだろうと目を見開くと2人が同時に顔を上げた。
「くそ、意図的に沈められてるな…」
「全然上がらねぇぞこりゃあ、」
大きく息を吸ってもう一度潜る。
そんな様子の2人に岸辺に居る3人で顔を見合わせていると暫くしてまた2人が水の上に上がった。
ざばざばと水を掻き分けて此方に向かってくる2人に死体を引き上げたのだろうと沖田と平助が水辺に近付いて行く。
水深が浅くなるごとに原田の腕に抱かれた人物の着物が見えてきた。
「っ、鎧が重たいな…」
「鎧が重たいならそこで剥がしてよ。陸に上げたら更に重いんだし」
随分と色褪せているが辛うじて赤い着物だと言う事が分かる。
そして丈夫そうな上に重量がある黒い鎧も。
一旦持ち上げていた体を降ろした左之の側に寄って水中で永倉が黒い鎧を体から剥がす。
剥がされた鎧は一直線に地面に落ちて行き水中に深く沈んだ。
それで一気に軽くなったのだろう、原田がぐっと持ち上げその顔が水から上がる。
「女、だな」
「にしてもこの死体妙だぞ、」
「そうだね。着物と鎧は随分と昔の物なのに本体が全く腐ってない」
体を持ち上げて陸に降ろした沖田が顔を覗き込んで言った。
顔に張り付いている黒く長い髪を掻き分けるとまるで眠っている様な穏やかな顔が覗く。
その顔を見た黒凪は微かに目を見開いた。
「…しかも血は出てないし。」
「確かにな…。何なんだこの死体…。」
「おまけにかなりの別嬪さんときた。」
『…この死体、屯所に持って帰って。』
突然言われた言葉に「は?」と4人が一斉に振り返る。
静かに死体を見ていた黒凪が手を触れると千鶴の身体が倒れた。
そしてすぐさま起き上がると瞳が金色ではなくなっている。
千鶴は何が何だか分からない様子で周りを見渡していた。
「…千鶴、黒凪は?」
「そ、それが、…いなくて、」
「いない?」
「は、はい」
全員の目が倒れたままの死体に向いた。
…とりあえず屯所に持って帰るか、
微妙な表情で言った原田に一様に頷きぐったりとした死体をまず彼が持ち上げる。
不思議な事に池の底にあった筈の死体は微かに暖かい。
そんな死体に少し眉を寄せつつ山を下って行った。
「…おい…」
「あ、あはは…」
「何だこれは。なんで死体なんざ持って帰ってきやがった」
それがさぁ、土方さん…。
少し混乱した様子で言った平助に彼の目が向いた。
コイツ生きてるみたいなんだよ。
その言葉に真剣に聞いていた土方の顔が微かに歪む。
「何言ってやがる、明らかにこの女が見に着けてる物は何年も前の代物だ。しかも池の底に沈んでたんだろうが」
「でもなんかこう、…生温かいし…」
「はぁ?」
「まあ触ってみたらどうです?ホントに生きてるみたいですよ」
眉を寄せて土方が額に触れる。
予想以上の温かさに目を見開いて手を引っ込めた。
信じられないものを見る様に見ていた土方は「あの、」と控えめに掛けられた声に顔を上げる。
「黒凪さんも居なくなってしまって、…もしかするとその中に」
「…この死体の中に入ったってのか」
「はい。…黒凪さん、池に付いた時゙此処だ゙って…。」
理由は解りませんが、きっとその方を探していたんだと思います。
目を逸らして言った千鶴にため息を吐いて目元を覆う。
分かった、その女を別室に寝かしておいてやれ。
その言葉に沖田が水を含んだ女の髪を摘まみ上げる。
「でもこの死体、池の底に沈んでいた所為かベタベタしてますよ?」
「あー…このまま布団に入れるのはなぁ…」
「…千鶴、風呂の場所を教えてやるから入れてやってくれるか」
「は、はい!」
他の隊士達が居ない事を確認して風呂場へそそくさと死体を運ぶ原田。
その後をついて行った千鶴を見送った土方は静かに沖田と平助と永倉に目を向けた。
とりあえずあの死体が本当に生きているかを確認し、生きているなら目覚めるのを待つ。
それまではあの女については他言無用だ。良いな。
彼の言葉に頷いた3人は静かに部屋から出ていく。
「千鶴、どうだ?風呂入れられたか?」
「しんぱっつぁん死体だからって裸見ようとしてんだろ」
「ばっ、んな下心ねぇよ!」
「じゃあ僕は見ようかな」
おま、総司!
どたどたと外で暴れる永倉達を呆れた様に見ていた原田は風呂場から名を呼ばれ戸を開いて中に入っていく。
その様子にばっと目を向けた平助と永倉は布に包まれた死体に落胆した様に肩を落とした。
「総司、寝間着あるか?」
「男物しかないけどね。…はい。」
「ありがとな。千鶴、これ着させてやってくれ」
「はい。」
男は出るぞ。
そう言って永倉達を押し退け出て行った原田。
彼等を見送った千鶴は着々と着物を着させていく。
白い寝間着に負けぬほどの白い肌色に不安になり頬に手を添える。
ほんのりと温かい肌にほっと息を吐くと再び外の原田を呼んだ。
寝間着姿の女の姿を見た4人は少し目を見開いた。
「やっぱり改めて見るとすげぇ美人だな」
「…ふーん。思ってたより小さいんだ、この子。」
あんなごつい鎧付けてたからどんな屈強な女の人かと思ったら。
そんな沖田の言葉に確かになぁ、と永倉も同調した。
この細く華奢な体に不似合な黒く重たい鎧。
それを着けて歩いていたとは到底想像出来なかった。
「んなじろじろ見るモンじゃねえよ。」
「おー…、軽そうだな。左之さんが持つと」
「重さはどれぐらいなんだ?左之」
「思ってたより軽い…って何言わせんだ。」
ひょいと持ち上げて速足に部屋へ運ぶ原田。
幸い誰にも見られる事無く寝床に運ぶと寝かせて布団をかぶせた。
最後に長い髪を邪魔にならない様に流すとその姿は只眠っているだけの少女に見える。
落ち着いて見てみると胸も微かに上下しているし生きている事は間違いないのだろう。
「…千鶴。」
「はい!」
水を絞っていた手を止めて顔を上げると静かに襖を開き土方が入って来た。
彼はまだ眠っている女の顔を見ると静かにため息を吐く。
「まだ目覚める気配はねぇな」
「はい…。もう随分と食事も取っていない筈ですし、生きてらっしゃるのが不思議なぐらいで…。」
「…。お前、鋼道さんを探す為に巡察に加わりたいと言ったそうだな」
「は、はい!」
刀の腕は。
率直に問われた問いに護身術なら、と千鶴がすぐに返答した。
それを聞いた土方は背後に目をやり斎藤の名を呼ぶ。
すぐに呼ばれた斎藤が顔を見せた。
「コイツの刀の腕前を見てやってくれ。巡察に出しても問題が無いなら連れて行ってやってほしい」
「…承知しました」
「千鶴、刀を持って外に出ろ。今日の巡察はもう少しで始まる」
女の額に冷水に浸した布を置き急いで立ち上がる。
そんな千鶴と共に外に出ようとした斎藤はチラリと眠っている女に目を向けた。
しかし何も言わず静かに出ていく。
「…。良かったんですか?土方さん」
「?」
「一君、見てましたよ彼女のコト。」
チラリと閉められた襖を見て言った沖田。
彼は刀を抜いて向き合っている斎藤と千鶴を横目に土方を見上げる。
土方は斎藤を見て静かに口を開いた。
「仕方ねぇだろ。お前にアイツの腕試しをさせる訳にもいかねぇし、他の奴等は今手が離せない」
「…あぁ、枡屋とか言う店に長州の間者が居るだとかって言うあれですか?」
「そうだ。島田や山﨑にも既に監視を任せてある。」
「ふーん。…ま、僕ならあの子を殺しちゃいかねないですもんね」
今なら黒凪ちゃんも居ませんし。
だからお前には頼まなかったんだ。
そんな会話を交わした途端に勝敗が付く。
勿論の事、勝ったのは斎藤だ。
刀を仕舞った斎藤に目を向けると彼が千鶴を見つつ静かに口を開く。
「問題ありません。巡察に付いて回るぐらいなら構わないかと」
「そうか。なら早速総司と斎藤が率いる班に入れてやってくれ」
「はーい。」
「承知しました」
すたすたと歩き始めた斎藤の後を既に羽織を羽織っていた沖田がついて行く。
その後を千鶴も小走りについて行った。
それを見送った土方は背後の襖を少し開き中を覗き込む。
そして思わず息を飲んだ。
「お前…!」
『……』
目が開き金色の瞳が覗いていた為だ。
しかし話す事はおろか動く事も出来ないらしく何も反応を示さない。
ただ金色の瞳だけは土方を捉えていて。
「…黒凪、なんだな」
『……。』
やはり何も答えない。
しかし金色の瞳は間違いなく見覚えのあるもので。
そしてそこでやっと、これが黒凪の本当の姿なのだと理解した。
白い肌、黒い髪、そして金色の瞳。
今まで龍之介の中に居た時や千鶴の中に居た時の違和感など皆無のこの姿に土方が眉を下げる。
『…、』
金色の瞳が瞼に隠れていく。
恐らくまた眠るのだろう。
千鶴の事を心配したのか、それとも単に目が覚めただけか。
様々な考えが頭を巡るがそれを確認する手立てはない。
静かにまた眠る様に目を閉じた黒凪の様子を見守るしかなかった。
池の底にずっと、
(恐ろしいと言葉を浴びせられ)
(抵抗する気力を無くした事を覚えている。)
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