本編
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『…ねえ』
「っ!?」
あ、ごめん。驚いた?
眉を下げて笑った彼女は驚く程に美しくて。
名前は?と再び掛けられた声は、随分と綺麗な声をしていた。
「え、と…雪村千鶴です」
『何処に向かってるの?』
「…京、に」
…これは私に京に戻れって事かな、神様。
固まりかけた笑顔を解して彼女に向けた。
『そっか。…ねぇ千鶴』
「?」
『これから私が貴方を護ってあげる。』
どんなに恐ろしい化け物が来たって倒してあげる。
…だから貴方の中に居させてくれないかな。
人懐こい笑顔に一瞬でも恐怖を感じた私は、彼女に対して警戒し過ぎなのでしょうか。
突然彼女は現れる
「(…黒凪さんは一体…)」
『ん?』
木と木の間を走り抜けながら黒凪が頭の中で語り掛けて来た千鶴に片眉を上げた。
千鶴ば中゙で物凄い勢いで通り過ぎていく景色に目を見開いている。
言ったでしょ?と木を踏み越えて口を開いた。
『私は人間じゃないの。だからこれぐらい出来る』
「(人間じゃないだなんて、)」
『怖い?』
「(怖くないです!)」
間髪入れずに返されて微かに目を見開いた。
黒凪さんは昨夜に私を護ってくださいました。
…怖い筈がありません。
足を止めて照れた様に眉を下げる。
『あれは君の刀を狙って襲って来たから、…咄嗟にだよ』
「(でも、…護ると言ってくださって、)」
それから京へもずっと休まず向かってくださって。
…再び走り出した。
そこまで言って千鶴は一度言葉を止め、見える景色に目を細めた。
「(…黒凪さんは一度京に言った事があるんですか?)」
『なんで?』
「(道を知っていらっしゃるようなので…)」
…昔、千鶴の中に入る前に入ってた奴と行った事がある。
そう言うと千鶴が怪訝に眉を寄せた。
私の前に?…そう言えば、どうしてこんな不思議な事が起きるんでしょう。
いつの間にか自分の中に居座っていた自分に対する事だろう。
そう理解して、不思議気に言った彼女に困った様に笑った。
『解んないよ、そんなの』
「(…不思議な事もあるんですね)」
『うん。…ホントに不思議。』
そこまで言って、一拍置いてもう一度口を開いた。
千鶴の前に入っていた男の名前は龍之介と言ってね、…随分と臆病な男だったんだ。
思い出話を話すと言うよりは、まるでおとぎ話を聞かせる様に。
彼女はそう淡々と話し始めた。
『いつ何処であの子の中に入ったのかは分からない。…でも武士である親を嫌い、独りで何も考えず家を出て…』
「(そして京に…?)」
『そう。でも道の途中で行き倒れてしまってね。』
そこでとある男に出会うんだ。
男の名前は芹沢鴨。…彼は新撰組の局長だった。
しん、せんぐみ。
聞き慣れない名前なのだろう、千鶴が戸惑った様にそう復唱した。
『新撰組。京の治安を護る武装組織だよ。…元々は浪士組って名乗ってた』
「(京にそんな組織が…)」
『最初は幕府に認められてなかったんだけど、その芹沢さんや他の隊士達の活躍で有名になって。…やっと最近正式に認められた所。』
それから新撰組と名前を改め、今も京の治安を護る為に戦ってる。
それじゃあ、京に行けばその芹沢さんに…
そこまで言った千鶴だったが、唇を噛んだ黒凪に思わず言葉を止める。
『いや、もう芹沢さんには会えない。』
「(…殉職、されたんですか?)」
『……まあ、そんな感じ。』
でもきっとそれがあの人の望みだったと思うんだ。
呟く様に言った黒凪に千鶴が顔を上げる。
少し前の新撰組にはまだまだ決意が固まってない奴等が多くてさ。
いざと言う時にどうしても厳しくなれなかったり、非情になれなかったり。
『そんな隊士達をいつも芹沢さんは厳しく叱っていた』
「(…凄く強くて優しい人だったんでしょうね)」
『え?』
「(誰かの為に、何かの為に自分を押し殺して怒る事が出来る人は立派です。…そしてとても優しい人。)」
だって、その人のおかげで新撰組が京を任される程の組織になったんでしょう?
微笑みながら言う千鶴に黒凪の瞳に涙が溜まる。
黒凪さんも、その龍之介さんも。…大好きだったんですね。
その言葉に涙が零れた。
『っ、』
「(黒凪さん?)」
『…そうだよ。最期は私と龍之介を護ってくれたんだ』
涙が落ちて行く事を気にせず走り続ける。
少し歪んだ視界の中でどうにか木の葉っぱなどを避けながら進んだ。
人間なんて、自分の事しか考えてないんだと思ってた。
だから一瞬理解が出来なかったんだ。…なんでそんな事が出来るんだろうって。
『どうしてあの人は誰かの為に鬼に成れるんだろうって』
「(…、)」
『…自分より弱い奴に護られたの、初めてだよ』
涙を拭って一層強く踏み込んだ。
バサッと木を抜けて大きく跳び上がる。
見えた景色に千鶴が大きく目を見開いた。
『そろそろ京だよ、千鶴』
「(…はい。)」
『話を聞いてくれてありがとう。…京についても、私は必ず君を護る。絶対に怪我なんてさせない』
「(…黒凪さんも、怪我だけはしないでくださいね)」
…それは約束出来ないかなぁ。
再び木に着地して走り始めた。
でも出来る限りは怪我をしない様に務めるよ。
笑って言った黒凪に千鶴も小さく頷いた。
「…兄様、」
響いた声に薄く目を開く。
兄様、何処。
また響いた声に目線を上げる。
千鶴の記憶の断片なのだろう、龍之介の中に居た時も時々あった。
夢の中で昔の事を思い出していたり、…似たような状況下に遭った時にふと思い出したり。
「黒凪、さ」
『――!』
はっと目を見開いて起き上がる。
千鶴が息を切らせて走っていた。
やっと意識が覚醒した。恐らく京に付いた途端に寝ずに走り回っていた所為で今まで眠って…。
「待て小僧!」
「っ、」
『(千鶴、)』
「!」
頭に響いた声に目を見開いた千鶴が道を曲がり建物の影に隠れる。
酷く息を切らせている千鶴に黒凪が眉を寄せた。
『(ごめん、寝てて)』
「(い、いえ…)」
『(一体何が、)』
「(そ、それが、…っ、)」
苦しげな千鶴の息が整うのを待つ。
はー…、と息を吐いた彼女は「刀を寄越せと迫られて、」と声を殺して黒凪に伝えた。
その言葉を聞いた黒凪は「またそんな理由で…」と頭を抱える。
そんな黒凪に千鶴が「え?」と少し眉を寄せた時、先程まで追って来ていた男達の断末魔が響き渡った。
「なんでコイツ等死なな…、」
「お、おい!何殺られて…っ」
ざしゅ、と嫌な音が響く。
そしてピッと飛ぶ鮮血に千鶴が零れかけた悲鳴を抑え込もうと口を両手で塞いだ。
ヒヒヒ…と不気味な声が静かな夜に木霊する。
丁度千鶴の真横まで死体を刀に突き刺したまま進んできた男を見上げた。
「ぁ、」
「!」
思わず出してしまった微かな声に真っ赤な瞳が千鶴を映した。
白い髪に赤い瞳。見覚えのある姿に黒凪の顔に思わず笑みが零れる。
退いて千鶴。黒凪の声に千鶴がビク、と反応した。
『(今すぐコイツ等殺して、)』
「ぐ、」
聞こえた声に顔を上げる。
それと同時にゴト、と首が地面に落ちた。
それは先程まで千鶴を笑顔で見下していた白髪の男で。
その男を斬ったのは、
「あーあ。もう殺しちゃったの?一君。」
「…何か問題でも?」
「いーや?…ただ僕はその子も死んじゃってた方が色々と楽なのにって思っただけ。」
「その判断は俺達が下すべきものではない。」
血に塗れた刀を一振りして鞘に納めた男。
斎藤。ボソッど中゙で呟いた黒凪に千鶴がはっと目を見開いた。
相変わらず堅苦しい奴。
黒凪の言葉に一瞬其方に意識が逸れるが「運のない奴だ」と言う低い声に意識を外に向ける。
「逃げるなよ」
「っ、」
「背を向ければ…」
「黒凪、さん」
目を見開いたままぼそりと呟かれた言葉に千鶴に刀を向けている男の言葉が止まる。
月を覆っていた雲が動き男の顔がやっと見えた。
それとほぼ同時に、
沖田、斎藤、土方が息を飲む。
瞳の色が、…金色に染まって。
『はは、』
「っ…!?」
微かな笑い声と同時にガッと掴まれた刀身に土方が目を見開いて咄嗟に刀を引き抜いた。
右の手の平から一気に血が溢れ出す。
すぐさま刀に手を掛けた斎藤に目を向けた黒凪は勢いよく右手を彼に向けて横に振った。
手の平から溢れた血が斎藤の目に直撃し視界を奪われた彼の代わりに沖田が刀を抜く。
「君ってまさか、」
『…』
ブンッと横一文に振り降ろされた刀を避けて沖田の懐に入り込む。
続けざまに迫った刀身を難なく躱して彼の腹部に拳をめり込ませた。
その激痛に刀を落とした沖田は腹を押さえて倒れ込む。
それを見下した黒凪に土方が刀を振り上げた。
「テメェ…!」
『おっと。』
刀を紙一重で避けて刀を握る手首を掴み血がべっとりと付いた右手で土方の頭を掴んだ。
そしてそのまま地面に彼の背中を叩きつける様に押し倒す。
刀を持った右手に何度か力を籠めるが黒凪の力に敵う筈も無く。
ニヤリと笑った黒凪がゆっくりと土方に顔を近付けた。
『…よう、芹沢さんに勝ったらしいな』
「っ!」
あれだけの人数で斬りかかれば殺せるか。
死体は粗末に扱ってないだろうなぁ。
低い声に土方が眉を寄せて黒凪の額にガッと額をぶつけた。
額当てが付いているにも関わらず彼女の額には傷一つ付いていない。
「さっさと退きやがれ…!」
『…女の顔に何してくれてんだよ、ったく』
「あぁ!?」
『俺はもう龍之介じゃないんだぜ。』
ブンッと振り降ろされた刀を避ける様に土方の上から退いた。
刀に目を向ければ血を拭った斎藤が黒凪を睨んでいる。
今のこの子は女なんだ。
ふらりと立った黒凪に苦しげに腹を押さえている沖田も顔を上げる。
『そんな手荒に扱ってほしくないねえ』
「…黒凪、」
「やっぱり黒凪ちゃんか…」
「おい黒凪…、」
まず最初にぼそりと名前を呟いた斎藤。
それを聞いた沖田もやっと確信が持てた様に呟いた。
そして最後に土方がゆっくりと立ち上がり金色の瞳を見据えて口を開く。
「…なんで戻ってきた」
『……。』
「龍之介は、…一体どうなって」
『死んだ。』
即座に答えた黒凪に全員が口を噤んだ。
川に落ちて溺れた。
続けざまに吐き出された言葉に沖田が息を飲む。
『だから今はこの子の中に居る。』
「…なんでさ、君が居れば助かった筈だよ?」
『助からなかった。』
黒凪、さん?
戸惑った様な声が頭に響く。
千鶴だけは龍之介と言う男が死んでいない事を知っている。
しかし生きて居る事を教えてはいけないと言う事は知らない。
『この子も殺せばお前等全員皆殺しだ』
静かに発せられた言葉に誰も何も言えない。
普通の浪士なら適当に聞き流していただろう。
しかし彼女の言葉だけは、…彼女の実力だけは鵜呑みにする事は出来ない。
本当に全員を殺す事など造作も無く出来てしまう。
そんな自信が彼等にはあった。
「…殺さねぇよ」
「!副長、」
「殺さねぇ。…だがお前にも分かる筈だ」
゙あれ゙を見られて野放しには出来ねぇ。
ぽたぽたと滴り落ちる血が彼女の足元に水溜りを作っていた。
お前に誓って殺さないと約束する。
…だから。
「屯所について来てくれ」
『……。』
「…戻って来てくれねぇか。」
新撰組に。
土方の言葉に何も返さず殺された羅刹の刀を手に取る。
その様子に斎藤が苦しげに眉を寄せて刀を構えた。
酷く眉を寄せて土方もゆっくりと立ち上がる。
「ま、待ってください」
『(!)』
押し退けられた事に黒凪が目を見開いた。
そして瞳の色が変わった千鶴に土方と斎藤も動きを止める。
ついて、行きます。
不安気に震えた声で言った千鶴に黒凪がすぐさま反論した。
『(駄目だ、ついて行ったら外に出られなく…!)』
「それでも!…それでも。」
突然声を荒げた千鶴に怪訝な顔をするがすぐに゙中゙に居る黒凪と会話をしているのだろうと理解する。
土方と斎藤はそんな千鶴に刀を手に構えたまま目を向けた。
これ以上新撰組の方々と黒凪さんが戦う所を見たくない…!
悲痛に発せられた彼女の言葉に話を聞いていた3人が少し目を見開いた。
『(千鶴、)』
「新撰組について私に教えて下さった時、…とても楽しそうでした」
本当は戦いたく何て無いんでしょう?
彼女の言葉に目を伏せて後頭部を掻いた。
…代わって。と頭に響いた声に千鶴が少し迷った素振りを見せる。
大丈夫だから、続けざまに掛けられた声に素直に主導権を引き渡すと己に向いた金色に土方達が身構えた。
『…ついてくよ。』
「!」
『…。沖田を運ぶ。』
「え、嫌なんだけど…」
ひょいと持ち上げられた沖田は「ほら、これが嫌なんだよ…」と眉を寄せる。
しかし余程腹部の痛みが続くのだろう、珍しく大人しくしていた。
そんな沖田を抱えたまま屯所に向かう黒凪は疲れと恐怖の為かいつの間にか眠っている千鶴に気付く。
眠っている事を確認した黒凪は静かに口を開いた。
『…ごめん、沖田』
「…は?」
『お腹痛かったでしょ。…ごめんね』
気持ち悪いものでも見る様に眉を寄せる沖田。
斎藤はそんな黒凪をチラリと見ると徐に目を逸らす。
土方は目を逸らす事無く黒凪を見たまま口を開いた。
「成程な。」
『?』
「龍之介の中に居る時は男の様に振る舞ってただけか、お前。」
『…当たり前でしょ。あのナリでこの口調は気持ちが悪いし。』
アイツ自体が臆病な奴だから態度を大きくしてたの。
空を見上げて言った黒凪に沖田が嫌味に言った。
ナリで言えば今入ってるその子も女の子らしくないよね。
そんな言葉に黒凪が振り返る。
『よく見ろ馬鹿。可愛い顔してんでしょ。』
「そもそも君が入ると可愛いどころじゃないし。寧ろ物騒。」
『あ?』
「屯所に着いたぞ」
呆れた様に掛けられた声に目を向けて視線を正面に移す。
大きな屋敷に゙新撰組゙と書かれていた。
その様子に眉を下げた黒凪に土方が小さく笑う。
「立派になったもんだろう」
『…無暗に笑ってんじゃないよ土方』
「!」
『あんた、どうせ今は芹沢さんの役に回ってんでしょ』
顔が緩み過ぎ。
無表情で言って中に入って行った黒凪。
そんな彼女を見た土方はやはり小さく笑うと中に入っていく。
「にしてもお前、相変わらず血の気多いのな。」
「全くだぜ。手の平ちょっと深く切ったぐらいで斎藤の目ぇ潰せるか?普通。」
「平助、新八。それは血の気が多いって言わねぇ。」
あ、あのー…。
そんな困った様な声に平助達の目が千鶴に向いた。
ん?聞こえてんだろ?黒凪にも。
あっけらかんと言った原田に少し困った様に千鶴が眉を下げた。
「その、…黒凪さんは今眠っていて…」
「はぁ!?」
「寝てんの!?じゃあ今まで散々俺が話しかけてたのは!?」
「多分聞こえていないかと…」
んだよそれー…と項垂れた平助に沖田が小さく笑った。
だって黒凪ちゃん、その子が僕等に何もされない様に一晩中起きてたもん。
金色の目って夜に見ると結構怖いよね。
薄く笑って言った沖田に「そうだったのか…」と少し心配した様子で近藤が言った。
「…すまねぇが起こしてくれるか?」
「え、あ…はい、」
「黒凪がいねー所で話進めたら屯所ぶっ壊されそうだしな」
「言えてる!」
だろー?そんな会話をしてげらげら笑う2人を横目に「そう言えば土方さんよ、」と原田が口を開く。
また茶屋のばーさんが池の話してたぜ。
その言葉に土方が原田に目を向ける。
「゙また血生み池で血が流れてだってよ」
「…それは昨日の話か」
「あぁ。前に血が現れた時から随分経った頃だったんでな、一応報告しとくぜ。」
「分かった。ご苦労。」
何それ。死体は浮かんでないの?
それが全く見つからねえんだよ。
しかもその血の量もスゲー多い日もあれば少ない日もあるってんで…。
…ねえ、それ何処の池?
女特有の少し高い声。その声に話していた永倉や土方達が振り返る。
『それ何処の池の話?』
「あ?…あー…確か京からそう遠くない山の中の池だったと思うぜ。」
「いつの間にか大量の血がその池に浮かんでるんだとよ。それを気味悪がった町の婆さん達が噂して俺等の所まで流れて来たんだ。今でば血生み池゙なんて名前まで付けられてやがる」
「1回俺と左之さんとしんぱっつぁんで見に行ったんだけど死体とかそれらしいものは無くてさ。でも確かに血みたいなのは浮かんでた。」
てかやっと出たな黒凪…。
平助が少し眉を下げて言うと彼女は「よ。」と長らく会っていなかった様な素振りも見せず当たり前の様に片手を上げた。
そんな彼女の右手の傷は今では完全に塞がり傷跡すら見つからない。
右手をじっと見る土方と斎藤に気付いたのだろう、黒凪も同様に右手を覗き込んだ。
『…血が池に浮かぶと。』
「おう。」
『……私が怪我した日にねえ』
「……。」
てか千鶴をどうするつもり?
ぱっと顔を上げて話題を変えた黒凪に山南が咳払いをした。
そうですね。その話をしなければ。
仕切る様に話し始めた山南にニヤリと笑って黒凪が背中を示す。
『あの時の背中の恨み、忘れてないよ山南さん。』
「…。雪村千鶴さんと交代出来ますか、黒凪さん。」
そう言った山南に小さく笑って千鶴と交代する。
表に出た千鶴は崩れていた姿勢をすぐさま正した。
では雪村千鶴さん。改めてそう言った山南に千鶴が少し首を傾げる。
黒凪が千鶴と自分の事を呼んでいたにしても本名を教えた覚えは…。
しかしそんな疑問はすぐに差し出された文を見て消え去った。
「貴方の荷物を調べさせて頂きました。…貴方は鋼道さんのお嬢さんで宜しいですね?」
「はい。父を捜して江戸から京に参りました。」
「…ふむ…、鋼道さんのお嬢さんをぞんざいに扱う事は出来んし…どうしたものか…」
「斬る…のは駄目なんでしたっけ。」
駄目だ。即座に沖田の言葉を一刀両断した土方に千鶴が少し驚いた様に目を向ける。
…約束したんでな。黒凪の顔色を窺う様な素振りをして言った土方に己の゙中゙へと意識を向けた。
黒凪は何も言わず千鶴の中で大人しくしている。
「…なぁ、アンタ黒凪に鋼道さんについて何も聞いてないのか」
「…え…?」
「あー…聞いてねえな、この反応は。」
「…黒凪、さん…?」
不安気な声に顔を上げて千鶴の隣に並んだ。
右目だけが金色に染まった千鶴の様子に土方達がピクリと反応する。
その様子に千鶴が少し眉を寄せると黒凪が静かに口を開いた。
『何だ、アンタ等こそまだ鋼道さんの行方を掴めていないのかい』
「…その通りだ。まだ行方は知れてねぇ」
『ったく。少しでも進展を期待して戻って来たのにねえ』
もう半年も経ってるだろう。あの火事から。
黒凪の言葉に千鶴が確認する様に「火事?」と復唱した。
小さく頷いた山南が半年前に鋼道が居た診療所が火事に遭った事を手短に説明する。
それを全て訊き終わった千鶴は思わず口元を抑えた。
「父は、…父は無事なのでしょうか、」
「無事である可能性は大いにあります。その為我々も彼を探している。」
「!」
「そこでどうだろう、よければ我々と此処で暮らしながら鋼道さんを共に探さないか?」
笑顔で言った近藤に千鶴が顔を上げる。
――ほうら、外に出してくれないだろう?
ニヤリと笑って放たれた言葉に「黒凪」と咎める様に土方が言う。
しかし黒凪は笑顔のまま言葉を続けた。
『昨晩の男を見た者は死ぬか、新撰組の支配下に下るかの2択しかないんだよ。』
「こらこら、物騒な言い方は…」
『だってそうだろう』
「…確かにその通りだ。だが生憎俺達はアンタを殺す事が出来ない」
その理由は分かってる筈だ。
千鶴が゙中゙で隣に立つ黒凪に目を向ける。
だからアンタに頼みこむ形になる。
俺達は昨晩に暴れていた男の存在を世に知られるわけにはいかねぇ。
此処に居てくれねぇか。勿論鋼道さんの行方は探す。
「……、」
『逃げるってんなら協力するよ千鶴。…私なら逃げられる。』
細められた目に土方達が一様に眉を寄せる。
その様子を見て千鶴が静かに口を開いた。
本当に父の行方を捜してくださいますか、
不安気な声だった。その声に近藤が大きく頷く。
「勿論だ。我々も鋼道さんの捜索に全力を尽くすよ。」
「…分かりました。此処に置いてください。」
「っ、あー!良かった!」
「ホントだぜ…もしも゙嫌でずなんて言われたら…なぁ?」
死ぬ覚悟で黒凪に挑むところだった。
げんなりと言った原田に皆が一様に頷いた。
もうあんな痛い拳は受けたくないし。
腹を擦って言った沖田に黒凪が千鶴の隣から退き彼女の目が元の色に戻る。
「あ、逃げた。」
「あの…黒凪さんはそんなにお強いんですか?」
「…え、知らねーの?黒凪って滅茶苦茶強いんだぜ?」
「なんてったって左之を片手で放り投げたらしいしな!」
あれはビビったぜ…。
眉を下げて言った原田に彼を放り投げたのだと理解した千鶴は大きく目を見開いた。
あの子の拳を受けた時、僕本当に死んだかなって思ったし。
…しつこい。ボソッと口から洩れた声に千鶴が驚いた様に塞いだ。
「そろそろまた殴られるぜ?総司。」
「わー、それは止めてほしいなー」
「…副長、その者は新撰組の一員として扱うのですか?」
「あぁ。ただ常に黒凪ってわけじゃねえし女の身だからな…隊士は無理だろう」
え、女として此処に置くの?
そんな平助の問いに首を横に振った土方。
黒凪がすぐさま表に出た。
『ちゃんと楽な仕事あげてよね。』
「出た!黒凪の過保護!」
「龍之介の時も凄かったからなぁ…。あ、そう言えば龍之介はどうした?元気なのか?」
『だから死んだって。』
ピシッと空気が固まった。
…え。と零れた平助の言葉に黒凪が眉を寄せる。
彼の反応に言いよどむ黒凪に千鶴が心配げに目を向けた。
『(何?本当の事言えって?)』
「(はい。…駄目、なんですか?)」
『……。』
あー、と空気を変える様に一言発した黒凪が後頭部を掻いて口を開く。
記憶を無くして、…今は江戸の方に住んでる。
その言葉に平助がばっと顔を上げた。
『死んだってのは記憶を無くしたって事だ。…もうあの頃の龍之介は居ない。』
濁流に呑まれた時にその影響で記憶が抜けたんだ。
だから羅刹の事も新撰組の事も全部忘れてる。
…本当に死んじゃいない。
目を逸らして言った黒凪に土方が目を伏せて小さく笑った。
平助は安心した様に「そっか、」と呟くと顔を伏せる。
『…。で?千鶴の役職は?』
「…そうだな、誰かの小姓で良いだろう。近藤さんとか山南さんの…」
「何言ってんですか土方さん。そう言うのは言い出しっぺが責任を取るものですよ。」
「…は?」
トシの小姓か…。良いんじゃないか?
沖田の言葉に同調した近藤に土方が驚いた様に振り返る。
その様子を見ていた黒凪も小さく笑った。
『土方の小姓なら文句なし。アンタ女に弱いし。』
「な、」
「それではそう言う事で。よろしくお願いしますね、土方君…っと、」
『おおっと』
立ち上がろうとしてふらついた山南を咄嗟に支える黒凪。
彼女は包帯に覆われた山南の左腕を見ると少し眉を寄せた。
どうした、その腕。
そんな黒凪の言葉に薄く笑って「怪我です」と当たり前の事を言って歩いて行く山南。
その後に続く様に他の隊士達も部屋から出て言った。
「…っ、黒凪、」
「え?」
金色でなくなっている瞳に「う、」と眉を寄せる土方。
千鶴の中に引っ込んだ黒凪はくす、と小さく笑った。
新撰組へ。
(血生み池。)
(そう呼ばれる様になったのは、)
(…つい半年前の事。)
.