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 相克せし


「…入るぞ」



 聞こえた声に少し目を開く。
 開かれた襖から入った日の光に目を細めるとすぐに戸が閉められた。
 そして微かに顔を照らす光を遮る様に土方が座る。
 彼は部屋の中を何度か黙って見渡した。



「山﨑が妙な奴を見たと言っていた」

『……』

「…お前か?」



 遠慮気味に問う彼の様子から断定は出来ていないのだろう。
 生憎この部屋には黒凪が外に出たという痕跡はない。
 …それは山南の手助けによるもの。
 彼は帰って来た黒凪の部屋に着替えを用意し、着替えて床に戻った彼女の部屋を訪れ血に塗れた偵察用の服を処分したのだ。
 そこまでしてくれたのは芹沢暗殺の際に怪我を負わせた負い目だと、服の回収の際に言っていた。



『(土方の様子だと、山南は本当に黙っているらしいな)』

「……。声は出せねぇのか?」

『…まだ身体は思う様に動かない。』



 そこまで言って黙る。
 決してあの時外に出たか出ていないか等については何も言わなかった。
 沈黙の後、千鶴は?と掠れた声で問い掛ける。
 土方が少し目を逸らした。



「…池田屋で捕まえた奴等の仲間が布陣を構えているらしい」

『…』

「そいつ等を迎え撃つ為に会津から正式な要請が下ってな。俺達も出陣の準備をする事になった」



 それに千鶴も同行するそうだ。
 ピクリと黒凪の眉が寄せられた。
 今日はその事も合わせてお前に報告しとこうと思ってな。
 チラリと黒凪の目が土方が羽織る浅葱色の羽織に向けられる。



『(コイツ…出陣する直前に来やがったな)』

「…お前もあまり過保護になり過ぎるな。あいつは池田屋でも決して足手まといだったわけじゃねぇ」

『……』

「アイツを、俺達を信じて此処で待ってろ」



 土方の言葉に目を細め、やがて閉じる。
 その様子に小さく笑みを見せた土方は羽織を翻し部屋を出て行った。





























 どれほど時間が経ったのだろうか。
 静かに開かれた襖は同様にして閉じられ、眠っている黒凪の側に沖田が座る。
 気配に目を覚ました黒凪の金色の瞳が彼を映した。



「やっぱり意識は戻ってたんだ?」

『…。…傷はどうだ』

「…やっぱり"あれ"、君だよね」

『……』



 土方には誤魔化しが効くが、流石に直接会った沖田には効かない。
 ゆっくりと腹筋を使って起き上がった。
 その様子に沖田が小さく笑う。



「…ねえ、君と龍之介って芹沢さんの病について気付いてたよね」

『…あぁ』

「なんで?」



 沈黙が降り立つ。
 やがて黒凪が正直に話した。
 それが勘である事、…だが外した事は無い事。



「ふぅん。…じゃあ君が病を抱えてるって言えば、そうなんだ」

『…あぁ』

「……僕は?」



 目を逸らして言った沖田に目を細める。
 何かは持っていると思う。
 ボソッと言われた言葉に分かっていた様にため息を吐いた。



『その内症状が出てくれば、…そう言う事だろうな』

「…そ。」

『……人とは弱いものだ』



 どんなに強くても、どんなに強い意志を持っていても。
 …どうしても人には勝てないものがある。
 顔を伏せている沖田の頭に黒凪の手が乗った。



『なんでお前なんだろうね』

「……」

『もっとどうでも良い者が病に罹れば良いのに。…新撰組に必要のない奴がなれば良いのに。』



 どうしてだろうね。
 黒凪の言葉に沖田は何も返さない。
 嫌味が出て来ない彼は珍しいものだった。
 …表情が見えないのも、珍しい。
 徐に手を伸ばして抱き寄せる。



『(これだから嫌なんだ)』



 また同情してしまっている。
 この男は龍之介を川に突き落とした男だ。…芹沢を殺そうとしていた男だ。
 千鶴の事も殺せば良いと言っていた。
 それでもこんなに弱った部分を見せられてしまったら。



『沖田。』

「!」

『…受け入れろ。そしてこれからどう自分が生きるべきか考えるんだよ』

「……」



 自分の思う様に一生を終えられたら、…それが病に負けた結果だとしてもお前の負けじゃない。
 ほんの少し他の奴等より生き辛いだけだ。
 …ほんの少し他の奴等より不憫なだけ。
 黒凪に抱締められたまま沖田はずっと黙っている。



『…落ち着くまで此処に居れば良いさ。』



 まだ土方達は帰ってこない。
 沖田の腕が背中に回った。
 …本当は1人でずっと悩んでいたのかもしれない。
 池田屋での事件から随分と時間が経っている。
 あの日から悩み続けているなら、それは随分と長い時間の事だ。



「……」



 嗚咽も聞こえない。震える息も聞こえない。
 彼は今も必死に感情を押し殺して、色々な事を考えているのだろう。
 本当は知りたく何て無かった筈だ。自分が病である事など。
 それでも気になって、仕方が無くなって。
 遂に聞きに来てしまった。



「…、ありがとう」



 暫くして背中に回っていた手が肩に回り、身体が離される。
 くしゃ、と髪を掴んだ沖田は沈んだ顔のまま小さく笑った。
 そんな表情に眉を寄せるもすぐにけろっとした表情をして顔を上げる。



「夜兎はさ、病には罹らないの?」

『…そだね。私は大丈夫』

「…そっか」



 その笑顔のままゆっくりと立ち上がり襖に手を掛ける。
 開く寸前、沖田が振り返った。



「君も早く元気になりなよ。千鶴ちゃんの事、護るんでしょ」

『…あぁ』



 黒凪の返事を聞いて襖を開き沖田が去っていく。
 その影を見送った黒凪は再び床に戻り目を閉じた。




































「千鶴」

「!…はい、」

黒凪はどうだ?」

「あ、ええと…沢山ご飯を食べています」



 またか。と土方が眉を顰めた。
 黒凪が十分に身体を動かせぬ状態のまま何か月も経つ。
 その間もずっと彼女は寝たきりの状況で食事だけをとっていた。
 しかし病人にしては聊か食べる量が多すぎる。



「ったく…、最近は隊士も増えて飯の量も部屋の数も足りてねぇってのに」

「…あ、そう言えば屯所を移す話はどうなったんですか?黒凪さんは耳が良い様で、幹部の皆さんでお話していた内容を知っている様です」

「は?…耳が良いどころじゃねェなそれは…」



 部屋はそこまで遠くはないと言っても幹部同士の話が筒抜ける筈の無い場所だ。
 話を聞きたがっていましたよ、と言うと土方がため息を吐いて静かに彼女の元へ向かう。
 開かれた襖に黒凪が小さく笑った。



『よう、来たな』

「…テメェ、俺達の話…」

『あぁ。あれは嘘だ。』

「…は、」



 屯所の移転の件は千鶴がぼそぼそと独り言で漏らしていた。
 それを聞くと土方が目元を片手で覆う。



『詳しい話を聞きたかったんでな、お前を千鶴に呼ばせたんだ』

「…ったく…。で、何が聞きてぇんだ」

『そうだな…まずは最近新撰組に加わった参謀の伊東と言う男について』



 ピクリと土方が眉を寄せた。
 そんな土方を見つつ「あの男の声は耳につく。…気に食わない男だ」と言う。
 するとその言葉に同意する様に土方も小さく頷いた。



「あぁ。どうも生簀かねえ。…山南さんの事も遠まわしに貶しやがった」

『へえ。…ならなんで破門にしない。一思いに新撰組から放り出せ』

「総司と同じ事言ってんじゃねえ。近藤さんが心酔しちまってんだから仕方ねぇだろ。」



 俺は無茶を通す為に居るんじゃないんでな。
 不機嫌に言った土方に「そうかい」と軽く返し天井をじっと見つめた。
 少しの沈黙の後「その伊東、」と声を掛けると目を伏せていた土方が顔を上げる。



『山南に何て言ったんだ?』

「…。剣を握れねぇ事を話に出しやがった。遠まわしに新撰組をまとめるには力不足だってな」

『ふーん。…誰か言い返しただろう、それこそ永倉や…』



 目を伏せた土方に言葉を止める。
 …お前何か言ったのか。
 次は目を逸らす。
 山南の事について多少なりとも悩んでいる彼の事だ、咄嗟とはいえ自分でも失言だと気付く様な事を言ったのだろう。



『…間抜け。』

「るせえ。…咄嗟に言っちまうほど、嫌味な言い方しやがったんだよ」

『…ま、ちょっとぐらい抜けてるぐらいが可愛いさ』

「あぁ?」



 眉を寄せて聞き返した土方に小さく笑って「早く出て行け」と軽く手を振った。
 私は眠い。そう言うと深いため息を吐いて土方が出て行く。
 彼の気配が十分に遠ざかった事を確認するとゆっくりと起き上がった。



『(あいつ、何をしでかすか分かったものじゃない)』



 土方に黒凪の事を報告しなかったり、寧ろ勝手な外出を許可したり。
 およそ彼は"彼らしくない"行動を繰り返していた。
 …利口な男だとは思うが、人間追い詰められると分からない。



『(どうする、山南の元へ行くべきか)』



 夕食も食べ終え、既に外は暗い。
 …胸騒ぎがする。
 音を消して立ち上がった黒凪は気配を絶ち屋根に上る。
 そうして闇に目を凝らし山南の姿を探していると八木邸の広間の前に千鶴が居るのが見えた。
 彼女はためらった様子だったが中に居た人物が気になったのだろう、徐に中を覗き込む。



『(――まずい、)』



 あの子、山南を探して八木邸に行ったんじゃ。
 今の山南は何をしでかすか分からない。
 …変若水を飲んで羅刹にならないとも―――…。
 すぐさま八木邸に向かい気配を消して居間の側に立つ。
 中から山南の声がして、やはりそうかと眉を寄せた。



「これは鋼道さんが幕府の密旨を受けて作った薬です。」

「…父が…?」

「ええ。元々西洋から渡来したものだそうでね。人間に劇的な変化をもたらす秘薬です」

「劇的な、変化」



 変若水の話をしている。
 鋼道の説明を直接聞いていた黒凪はすぐに勘付いた。
 すぐに千鶴をこの場から遠ざけなければ。
 そう思って足を踏み込む。



「但しこの薬はその強すぎる効力から人の精神を狂わせる。」

「っ、」

「その人間は君もご覧になっていますよ」



 はっと千鶴が目を見開いた。
 …潮時だ。今すぐ山南を止める。
 黒凪が姿を見せた途端、山南が変若水の入った瓶を開き口元に持って行った。
 その手首を掴む。黒凪の力に山南が敵う筈がない。



「っ、離してください…!」

『…。人として死ぬつもりか』

「そうすれば良いと言ったのは貴方だ!…私の腕はもう、」



 変若水を持っていない方の手で空の瓶を掴み、千鶴に向かって投げる。
 その瓶に黒凪が意識を向け手を伸ばした。
 その一瞬の隙に山南が変若水を飲み込む。
 空の瓶を掴み取り山南に目を向けた途端に彼の手が黒凪の首を掴んだ。



『…、そんな弱い力で、』

「ぐ、…う…!」

『私の首を折れるかっての。』



 山南の腹を蹴り飛ばし黒凪の金色の目が千鶴に向いた。
 土方達を呼べ。真剣な彼女の声に頷き千鶴が走っていく。
 起き上がった山南は黒凪に掴み掛ると苦しげに眉を寄せた。



「…殺、…て…くださ…」

『……』

「貴方…は…」



 私を恨んでいるでしょう。
 途切れ途切れに発せられる山南の声に少し眉を寄せる。
 生憎だが、そこまで新撰組の人間は嫌いじゃないんでね。
 黒凪の声に山南がぎり、と歯を食いしばった。



「馬鹿な…事を言ってる…場合、では」

『…アンタの事だ、その薬を多少なりとも改良はしているんだろう』

「っ、…う、」

『成功するかどうか見定める。…駄目だったら殺してやる』



 掴みかかってくる山南の両手首を掴みぐっと踏ん張る。
 …夜兎には劣るとはいえ、その力は強い。
 八木邸の居間に入り込んだ土方、沖田、斎藤は掴み合う2人に眉を寄せた。



「くそ…っ」

『待て、斬るな』

「!」

『山南は決して馬鹿じゃない。…どんなに小さくとも可能性があるから飲んだんだ』



 山南を信じているならそれを待つのも手だろう。
 体を捻じり山南の腹に足をめり込ませる。
 ごほ、と息を吐いた山南はそのまま意識を失った。
 そんな山南を抱え、振り返る。
 斎藤は振り返った黒凪の金色の瞳に目を細めた。



『…千鶴の事、殺そうとしたらどうなるか分かってるな』

「!」



 千鶴が目を見開いた。
 そこで彼女も気付いたのだろう、此処で見てしまったもの、知ってしまったものは新撰組が隠していたもの。
 自分が新撰組の監視下に下る事になった原因である事に。



「…分かってる。こうなりゃ説明するしかねえだろうな」

「そうですねぇ。何も話さずいてぽろっと口走られたら敵いませんし。」

「……。千鶴、ついて来い」

「は、はい」



 土方について行った千鶴を見送りぐったりとしている山南を沖田、斎藤と共に彼の部屋へ運んで行く。
 山南をあまり揺らさぬ様にと気遣いながら歩く黒凪に気付いた沖田が緩く笑って言った。



「君、山南さんの事嫌いな方じゃなかった?随分優しく扱ってあげるんだね」

『…別に。好きではないが嫌いじゃない』

「それってどうなのさ」

『……困っていたら助けてやるぐらいはしてやる』



 じゃあどちらかと言えば好いてる方なんだ。
 笑って言った沖田にチラリと目を向け特に否定も肯定もせず目を逸らす。
 そんな黒凪に息を吐いた沖田は次に何も話さない斎藤に目を向けた。



「一君、この子誰だか分かるんでしょ?」

「…黒凪だろう」

「そうそう。やっぱり一君は一目で黒凪ちゃんだって分かるんだね。」

「…何が言いたい、総司」



 別に?…ただ不思議だなぁって。
 笑ったまま目を細めた沖田をじっと見つめる斎藤。
 もしかして眠ってる黒凪ちゃんを見た時から気付いてたの?
 答えない斎藤に「どうなの?」としつこく問いかける沖田。
 ため息を吐いて仕方無さ気に一言斎藤が答えた。



「あぁ。気付いていた」

「…へえ」

『おい、部屋何処だ。何いがみ合ってる』

「そこを右に曲がった所だよ。…にしても君の口調っていまいち定まってないよね。」



 男っぽくなったり女っぽくなったり。
 少し機嫌が悪い様子で言った沖田に怪訝に眉を寄せ言われた通りに右に曲がる。
 部屋の扉を開き山南を寝かせて先程の沖田の言葉に返答を返した。



『龍之介の時にこの口調であんた等と話してたから。…つい出るんだよ』

「ふーん。そう。」

「…手間をかけた。山南総長についての会議は明日になる、あんたは自室に戻って寝ると良い」



 小さく頷いた黒凪が一旦庭に出て屋根に飛び乗り自室に戻っていく。
 その様子を眺めていた斎藤は小さく笑みを見せた。
 そんな斎藤をチラリと見て沖田も自室に戻っていく。



 宵闇の緋


 (首元に)
 (震える手の感触が今でも残っていた)


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