本編【 原作開始時~ / 劇場版 】

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  甘く冷たい宅配便


「先生バイバーイ!」

『はーい、気を付けてね。』



 友達と楽しそうに話しながら帰る子供たちを見送り帰路につく。
 思えば、小学生ぐらいまではあんな風に友達と家に帰ったりもしていたのに…組織に連れていかれたせいで、そんな青春もこの人生では結局経験することが出来なかった。



『(本当、父さんと母さんが組織に目さえつけられなければ…。)』



 なんて、そんなことを考えていても意味はないけれど。
 ため息を吐く。学生たちをよく見る所為か、最近はよく…自分が学生だったころを思い出す…。



「おい、早くしろよ。」

「あ、ああ…でも気持ち悪くてよ。これ動かすの…」

「ったく、しょうがねえな…。」



 会話を交わしながらトラックの荷台に積んでいる荷物をごそごそと移動させる、クール便の配達員たち。
 そんな彼らを横目に通り過ぎようとしたとき…配達員のうちの1人のボールペンがトラックの外に転がり落ちたのが見えた。



「それにしても、悪かったな…巻き込んじまって…。」

「仕方ねえよ…届け先の家が偶然お前の浮気相手の旦那で…お前のせいで離婚することになった! って掴みかかってきたんだろ?」

「こ、殺す気はなかったんだ! 捕まれた手を跳ねのけようとしたら、その反動でぶつけた場所が悪かったのか動かなくなっちまって…」

『(あ。しまった。)』



 と、思ったのも時すでに遅し。
 配達員2人の目が私の目とばっちり合わさった。
 こんな状況で今の会話を聞いていなかった、なんて言い訳が通じるはずはない。
 …逃げないと。



『っ…』

「ま、待て…!」



 ボールペンを放って走り出そうとしたところですぐさま腕を捕まれ、男2人がかりが相手のためあっという間にトラック内に引きづり込まれた。



「いてっ! こいつ、嚙みやがっ…」

「うわあぁあっ!」



 最後に聞こえたのは男の野太い叫び声。
 次の瞬間には目の前が真っ黒になった。



































「…よし…」



 腕の中で必死に押さえつけていた灰原を離せば、灰原は半泣きになって配達員たちによって荷物の陰に隠された黒凪さんの元へと駆け寄った。
 灰原に続いて俺も黒凪さんの元へ近づき容体を確認すれば…黒凪さんは配達員の1人に頭を強く殴られ、気絶しているようだった。



「は、遥さん…!」

「死んじゃったのか⁉」

「そ…そんなあ…」

「いや、大丈夫だよ。気絶してるだけだ…。」



 今は、としか言いようがないが。
 滲んだ血のおかげで今はまだ目立っていないが、ぱっくりと変装用の皮膚に亀裂が入ってしまっている。
 血が乾いたり、病院に見せれば黒凪さんが変装をしていることは一発でばれてしまう。
 このままではまずいのは確かだ…。



「と、とにかく早くこのコンテナから出ないと…!」



 そう言った灰原に頷く。
 俺たち少年探偵団は公園でサッカーをしていたのだが、偶然見かけたポアロに足しげく通う野良猫…大尉を追っているうちにこのコンテナに紛れ込んでしまった。
 当初はすぐにこのコンテナから配達員たちの助けを借りて脱出する予定だったが…先ほど黒凪さんが聞いてしまった話を聞いてしまった上、奴らが隠した死体を見つけてしまった。
 今となっては、彼らに俺たちが紛れ込んでいることがばれると命が危ない状態だった。



「(でもどうする…⁉ さっき話していた通り、大尉に暗号を書いた紙を括りつけてポアロの安室さんに助けを求めることもできるけど…そうなると黒凪さんの正体がバレかねない…。)」

「…っ、どうするの、江戸川君…」



 灰原に目を向ける。きっと灰原も、黒凪さんがこんなことになってしまった以上安室さんを頼るのはリスクがあると考えているのだろう。
 …そう、思っていたのだが。



「…貴方には言ってなかったけど…」

「え…」



 声を潜めて言った灰原に目を見開く。
 あの日…ベルツリー急行でのバーボンとスコッチとの会話を知っているのは、現場にいた怪盗キッドと黒凪さん…そして無線で指示を飛ばしていた灰原だけ。
 俺もある程度は聞いていたが、この場で灰原が言った内容は初耳だった。



「…つまり、バーボン…安室さんは黒凪さんを見つけても、組織に差し出したり…殺したりするつもりはないってことか?」

「確証はないけど…。でも、確かにあの2人はお姉ちゃんを傷つけるつもりなんてないように…むしろ、助けたいように聞こえた…。」



 あの後お姉ちゃんにもあの時の会話のことを聞いたの。でもはぐらかされて…。
 黒凪さんへと目を向ける。



「お姉ちゃんは…私たちの敵には容赦がない人なの。それなのに彼らを守ろうとするっていうことは、そういうことなんじゃないかって…ずっと、考えてて。」

「……。(そうなのか? 黒凪さん…。)」



 バーボンとスコッチは…味方、なのか…?



「…とにかく、脳震盪を起こしているお姉ちゃんをこのまま長時間放っておきたくない。私は…安室さんにかけてもいいと思ってる。江戸川君はどう思う…?」

「…。」



 安室さんは以前、テニスラケットで脳震盪を起こした俺も助けてくれた。
 俺が誘拐された時も…車を犠牲にしてまで救出に来た。
 信じていいのか? 安室さんを…。



「…分かった。かけてみよう。安室さんに…。」

「…。」



 神妙な顔をして頷いた灰原に俺も小さく頷いて、光彦が持っていたタクシーのレシートへと目を向ける。
 このレシートは感熱紙。熱で黒く変色させて文字を書いている…。
 元太が持っていたかゆみ止めに入っているアンモニアはレシートの文字を消すことが出来る。



「文字を消して…corpse、死体…それからこの車のナンバーだけを残せば…きっと安室さんなら気づいてくれる。後はこのレシートをぐしゃぐしゃにして大尉の首輪に挟んでおけば…たとえ奴らに捕まってレシートに気づかれてもこれがメッセージだとは気づかないはずだ…。」

「すごいです…!」



 これで安室さんならすぐに気づくはずだ…。
 もしも仕事で今すぐ助けには来られなくとも、スコッチに連絡を取って確認に行かせることだって可能なはず…。
 そうして大尉を放ち、暫く待つことにした。
































「…安室さん、大尉の牛乳どこでしたっけ?」

「ああ、それならここに用意してますよ。」

「ありがとうございます。…大尉~、お待たせ。」



 牛乳を持って大尉と呼ばれる、最近ここに通い始めた野良猫の元へと嬉しそうに歩いていく梓さんの後ろ姿を見送り、皿洗いを再開する。



「…あ、安室君。梓さん呼んでくれるかい?」

「え? ああ…はい。」



 皿洗いを急いで終わらせ、手をエプロンで拭きながら外に出れば、梓さんが小さな紙きれを凝視していた。



「梓さん、マスターが呼んでますよ?」

「あ、ほんとですか? じゃあ…。あ、そうだ安室さん。」

「はい?」

「これ、なんだか暗号っぽくないですか? 大尉の首輪に挟まってたんです。」



 差し出された紙…レシートか。の表面に目を落とす。
 不自然に消された文字…Corpse。死体…?
 番号もいくつか消されているな…車のナンバーか?



「…。大尉がこのポアロに来ることを知っている人物ってそう多くありませんよね?」

「え? ええ…。大尉が来るようになったのは最近だから、ポアロの従業員とコナン君ぐらいかしら…。」

「(コナン君、か。) …他に何か気になることはありませんでした? 大尉の様子とか。」

「うーん…。首輪がすごくひんやりしてたぐらいですかね? 今日はそんなに寒くないのに。」



 ひんやりしていた首輪、corpse の文字…。
 下の数字が車のナンバーだとしたら考えられるのは冷凍車だが…そういう特殊な用途で用居られる車のナンバーは8から始まるはず。
 だが記されている番号は8から始まっていない…となると、宅配業者のクール便か…。



「…梓さん、僕今から上がります。」

「えっ、きゅ、急ですね⁉」

「すみません。マスターには体調不良だと伝えておいてください。今日のお給料ももう大丈夫ですので。…頼みます。」

「わ、わかりました…。」




























「(くそ…、まだ安室さんはこの車を見つけられてないのか…⁉ それとも、レシートがうまく届かなかったか…。)」

「さ、寒い…」

「こっちにこいよ歩美、皆で集まってたらまだあったけーし…!」



 子供たちの体力も限界に近付いているのが見て取れる。
 それに黒凪さんも…。



『…ぅ』

「! は、遥さんっ」

「え、遥さん…⁉」



 俺の声に反応して灰原が立ち上がって黒凪さんの元へと駆け寄った。
 灰原の声に黒凪さんが顔をしかめ、その目を開く。



『…ぁ、れ…しほ…』

「遥さんっ…」

『(あれ、なんでコナン君が組織に…? え、まって…今ここ何処…?)』



 本格的にやばいかもしれねー…。
 黒凪さん、俺の顔見て混乱してる…! 記憶障害か? それとも意識障害…。



『…ごめん、志保…お姉ちゃん、ジンのとこ、に』

「しっかりしろ遥さん…!」



 震える腕で体を持ち上げようとする黒凪さんが、床に落ちた自分の血をぼうっと眺めている。
 その尋常じゃない状況に焦ることしかできない俺と灰原を子供たちが遠目に怯えて見つめていた。
 この距離なら黒凪さんの消え入りそうな声なんて聞こえていないから、それはよかったけど…どうする…⁉



「…やっぱりな。」



 コンテナの扉が開かれ、配達員たちの目と俺と灰原の視線が交わった。



「荷物の配置が微妙に変わってるから、猫の他に何か紛れ込んでると思ったんだ。これほど大所帯だとは思ってなかったがな。…この女が起きたのは予想外だったが。以外にも石頭か? あんた。」

『……(頭、いたい…)』

「…ま、頭の傷は効いてるらしいな。」



 配達員の1人が黒凪さんの身体を蹴り飛ばした。
 いとも簡単に倒れ、また立ち上がろうとする黒凪さんについに灰原が泣き出した。
 やばい、やばい…! どうする…⁉
 この寒さで博士の道具は使い物にならねえし、こんな子供の身体じゃ…!



「…あの。」



 車のクラクションが鳴り、肩が跳ねる。
 そして顔を上げれば…そこには車から下りた安室さんが立っていた。



「すみません、この路地狭いので…譲ってもらえませんか? 傷つけたくないので。」

「あっ、安室さんー!」

「助けてください! 遥さんが…遥さんが死んじゃいますっ!」

「(遥さん…⁉)」



 安室さんの顔色が変わり、その視線が蹲っている黒凪さんに向かった。



「テメェ…このガキたちと知り合いか⁉」

「…ええ…まあ。」

「見られちまったら仕方ねえ…ガキを殺されたくなければアンタもコンテナの中に…」



 安室さんが一瞬で構え、拳を下から配達員の男のみぞおちに振り上げた。
 す、すげえ…ちょっと浮いてたぞ、配達員の身体…。



「が、あぁ…⁉」



 もちろんそんな一撃を受けた配達員が立っていられるはずもなく…地面に沈んで蹲る。
 それを見たもう1人は「貴方もやります?」と笑顔で高速シャドーを披露する安室さんに両手を挙げてその場にへたれこんだ。



「す、すげー!」

「安室さんすっごく強いんだねっ!」

「僕、あのパンチ見えなかったです…!」

「ははは、ありがとう。…それより、遥さんは…?」



 黒凪さんの傍から動こうとしない灰原の手を引いて安室さんが入ることが出来るように道を開く。
 ああは言っていても、灰原も不安なようで…安室さんが黒凪さんを抱え上げると俺の服をぎゅっと握りしめた。



「…酷い傷だ…。急いで病院に連れて行くから、君たちはこの事を警察に…。」

「あ、でも俺らの携帯が使えなくて…」

「ああ、なら…」

「近所の人に助けてもらうから、大丈夫だよ。」



 俺がそういえば、安室さんがこちらに目を向けた。
 視線が交わる。…頼む。その人を悪いようにはしないでくれ、バーボン。
 そんな意味を込めて安室さんの目を見返せば、安室さんは小さく笑って黒凪さんを後部座席に乗せ、どこかへと走り出した。



























「(さて、病院に連れていくと乗せてきたはいいが…。)」



 どうしたものか。路地に車を止めてバックミラー越しに動かない神崎遥を見る。
 コンテナで傷口を見た時…すぐにその違和感に気づいた。
 血が乾き始めていたことで顕著に見えたそれは、傷口というよりも…切り口のようで。
 そう、ベルモットの変装をちぎった先のような、人工物か何かの切り口。



「…。」



 路地に車を止め、後部座席の扉を開いて…動かない神崎遥の額に手を伸ばす。
 この切り口を広げて…この人工物の下を見れば、何が出る?
 俺が探し求めたものか…?



『…ん』

「っ、」



 動きを止める。神崎遥がゆっくりと身じろいで、額に手を添えた。



『…っ~、ぅ』

「…、」



 なんと声をかけようか迷って…。俺は、かけに出ることにした。



「…黒凪、」



 ぴくりと彼女の肩が跳ねる。
 そして彼女の視線がこちらに向きそうになったところを…肩を掴んで固定して、阻止した。



「…何も言わなくて、いい」

『…』



 一瞬で彼女が放つ空気が緊張したのが分かった。
 …ああ。彼女だ。
 彼女の意識が俺に向いているのが分かる。どう切り抜けようか、考えているのが、分かる…。



「…頭が痛むのは、分かる。…けど、少しだけ聞いてほしい。」

『……』



 彼女の肩の力が抜ける。
 そして何も言わずこちらの言葉を待つようにした彼女に甘えて、続けさせてもらうことにした。



「小学生のころ…エレーナ先生と急にどこかへ引っ越していって…それからずっと探していた。…まあ、同じことを警察学校で言ったけど…。」



 警察学校で再会した時は、信じられなかった。…何より君がまるで別人みたいになってて…確信が持てなかった。
 …けど。萩原や松田を命がけで守る君を見て…そして、組織で見かけて…確信した。
 君が、ずっと探していた宮野黒凪ちゃんだって。
 声が震える。ずっと、伝えたかったんだ。ずっと…。



「俺は、この瞬間のためにずっと頑張ってきたんだ。…だからもう、これ以上なんて言わないでくれ…。頼む…。」



 沈黙が落ちる。自分の腕を見た。震えていた。
 彼女の肩を固定していた震える手を放して、距離を取る。
 …彼女が、神崎遥がゆっくりと身体を起こして、額を抑えて背もたれにもたれかかった。



『…今まで…ごめんなさい。レイ君。』



 その言葉に、緊張が一気に解けたのが分かった。
 ああ、俺は…怖かったんだ。また彼女に拒否されたらどうしよう、と。



『ずっと私を助けようとしてくれていたのに、無下に扱って…ごめんなさい。』



 改めて神崎遥の顔を見る。
 その顔は彼女のものではない。けど…表情は、彼女のもので。



『…改めて話をしましょうか、レイ君。…もし必要なら…諸伏君もこの場に呼んでくれて構わない。』



 俺は、柄にもなく…泣きそうになった。































 信じられない気持ちでいっぱいだった。
 宮野さんが、俺たちと話をしたいだって?
 本当なのか? ゼロ…。



「…ゼロ、」



 そうして指定された場所にたどり着いてゼロの車へと向かえば…血だらけの脱脂綿を車内に散乱させて宮野さんの額の傷の応急処置をしているゼロを見つけた。



「ヒロ、悪い…言ってた消毒液と絆創膏はあるか?」

「あ、ああ。ここに…。」

「助かる。」



 血を吸って赤く染まった脱脂綿をどけるゼロ。
 その傷口を覗き込めば、きれいにぱっくりと切れていた。



『諸伏君もごめんね、迷惑ばかりで…。』

「ぃ、や…」

「…さっきから謝ってばかりだな…、」



 眉を下げて呆れたように言うゼロと、そんなゼロにムッとする宮野さん。
 そんな2人を見て、なぜか一周回って気持ちが落ち着いた。
 そして、きっと…本来の宮野さんとして俺と話すのは初めてだからだろうか、宮野さんを前になんだか不思議な気分だった。



「…よし、これで良いだろう。」

『ありがとう。』



 ゼロが張り付けた絆創膏を抑えてそうお礼を言った宮野さんが改めてこちらに、俺に目を向ける。
 ゼロは散乱した脱脂綿やらを片し始めていた。



「…宮野さん、なんだよな。」

『…うん。今までご迷惑をおかけしました。』



 頭を下げて言った宮野さんになんと返していいか、本気で分からなかった。
 俺が知る黒凪さんはずっと無表情で、ロボットみたいで…。
 何を考えているのか分からなくて。こんなやわらかい表情なんて、それこそライにだけ…。



「中に入れ、ヒロ。誰かに聞かれるとまずい…。」

「あ、あぁ…」



 そうして俺が助手席、ゼロが運転席…そして後部座席に宮野さんが座った。



「まず、黒凪…。今は話せることだけを教えてくれればそれでいい。」

『…まあ、貴方なら…私が話さなくともいずれ自分でたどり着くことばかりでしょうけど。』

「なら、全部ここで話すか?」

『ううん。…様々な人の、様々な事情が絡み合っていることもあるから私の独断では話せないことが沢山ある。こんなことを言って信じてもらえるか分からないけど…志保にも、貴方たちのことはギリギリまで隠していたの。』



 志保…宮野さんの妹の、シェリーか。
 ゼロに目を向ければ、宮野さんのそんな回答は予想の範囲内だったのだろう、動じた様子もなくこちらを見て小さく頷いた。



「…なら、ここで聞くのは黒凪のことだけにしておく。」

『…ありがとう。』

「今、誰かの助けを得られているか?」

『…ええ。』



 その額の傷を見せられる相手…協力者はいるか?
 そんなゼロの問いにもまた「ええ」と宮野さんが答える。



「…俺たち公安に、身をゆだねるつもりは?」

『…正直、迷ってる。』

「…何故?」

『…。…危険が、伴うから。』



 その人が危険に晒されることが分かっていて…とても頼る気にはなれないから。
 あなた達2人とも、私にとっては大切な人たちだから。
 FBIから離脱したのも、同じ理由…。
 俺たちの反論を恐れてか、宮野さんがぽつり、ぽつりと補足するように言う。



『私の協力者は皆、いわば同じ穴の狢なの。だから不可抗力だと割り切れているかもしれない。』

「…そう、か。」



 ゼロも俺も重々承知している。
 あの組織にはまだまだ謎があること。正直、俺たちもまだ組織が何のために存在しているのか…。
 その真の目的は何なのか、何もつかめてはいない。
 黒い噂もたくさんある。現実のことなのか、信じられないようなことも聞く。
 そして間違いなくこの人は…宮野さんは、その中枢にいくらか接していて、それが故に命を狙われている。



「(ゼロ、どうする…?)」



 ゼロとの過去の会話を思い返す。
 共に組織に侵入することになって、幹部に上り詰めて…宮野さんと組織で顔を合わせて。
 それを受けたゼロから初めて彼女について詳しく聞いた、あの日のことを…。



《本当に黒の組織のメンバーとして堕ちてしまったなら、公安として逮捕することも辞さない。…だが、もしも…もしも、彼女が俺の知る黒凪なら。》



 俺は黒凪を、公安で保護したい。
 協力してくれないか? ヒロ。
 …それからゼロの願いをかなえるために必死に宮野さんとの接触を図った。
 彼女は警察学校にもいた。こちらの正体はばれている。
 玉砕覚悟で、公安への保護の提案も何度もした。それでも断られ続けていた。
 …彼女が俺たちの誘いを断る理由に、やっとたどり着いた今…ゼロ。お前は一体どうしたい…?



「…。分かった。」

『…』



 ぎし、とゼロが肘置きに体重をかけて後部座席を覗き込み…宮野さんとゼロの視線が交わった。



黒凪が俺たちを信頼できるように、手を尽くす。それを見ていてくれ。」

『…レイ君…』

「それから吟味して…決めてくれればいい。」



 ゼロがシフトレバーを握り、ドライブに入れて車を発進させる。
 その行き先が神崎遥が住む工藤宅へと向かっていることに気づいた俺は、何も言わずシートベルトを締めた。



「(…それでいいんだな、ゼロ。)」

「(…ああ)」



 視線だけでそう会話を交わして…工藤宅の手前で車を止めたゼロがバックミラー越しに宮野さんへと目を向けた。



「トランクにジャケットが入ってる。顔を隠すのに使ってくれ。」

『…ありがとう。』

「ああ。」



 ジャケットを頭からかぶり、車を出た宮野さんが一度振り返り、俺とゼロで二人して片手を挙げて答えた。
 そうして中へと入っていった宮野さんを見送って、ゼロがへなへなとハンドルにもたれかかる。
 


「…悪い、ヒロ。ちょっとだけ待ってくれな…。」

「…いいよ。待つよ。…俺たち同期はみんな慣れてる。」



 そんな俺の冗談に「はは、」とゼロが笑みをこぼした。


































「――お姉ちゃんっ…!」

『ご、ごめんね志保…。あ、泣いた? ごめんごめん…』



 玄関へと駆け付ければ、おろおろと志保を慰める黒凪を見つけて心底ほっとした。
 思えば最近、よく志保を慰める黒凪を見るように思う。



「か、帰ってこないから僕もうダメかと…。」



 俺に続いて玄関にやってきたコナン君も顔を青くさせてそう言えば、黒凪が困ったような顔をコナン君にも向けた。



『まあ、ダメということはないけど…しっかり正体はばれちゃったんだけどね…』

「でも戻ってこられたってことは、」

『うん、理解は得られたって感じ…?』



 そこまでを聞いて、あのベルツリー急行でのバーボンとスコッチを思い返す。
 あの状況下でもあれだけ黒凪を保護しようと必死だった彼らだ…俺は正直無理にでも彼女を奪い去ってしまうのではないかと内心不安で仕方がなかった。



『…昴、』

「…よかった」



 志保の驚いたような目が俺を射抜く。
 沖矢昴である今は…こんなふうに彼女を抱きしめるべきではないのは分かっている。
 だが今回ぐらいは許してほしい。本気で心配したんだ、俺も…。
 それが分かってか、黒凪も眉を下げて俺の背中をぽんぽんと撫でる。















「――ゼロ、」

「ん?」



 先ほど工藤鄭の傍に宮野さん…いや、黒凪を降ろして車で走ること、約10分。
 ずっとぼうっとどこかを眺めていた様子のヒロが口を開いた。
 信号で車を止め、ちらりと助手席に乗るヒロを見れば、ヒロと目が合う。



「いや、ホントなんとなく思ったんだけどさ…」

「うん。」

「宮野さんを執拗に追いかける理由を聞いてなかったな、って。まあ…小学生の時に仲良かったのは知ってるけど。」

「…、」



 ゼロと同じく外国の血が混ざってるから?
 孤立してたゼロを助けてくれたから?
 それとも…好きなの?
 なんと答えていいか分からず沈黙を落とした俺に助け舟を出すようにそう、何度か自身が思う候補をあげていくヒロ。
 信号が変わり、アクセルに足を乗せて車を発進させる。



「…好き、か。そうなのかもな…。」

「!」



 ヒロが少しだけ驚いたような顔をした。
 そう言えばこういう話を面と向かって話すのは初めてかもな。
 学生時代に…確か松田にはそれとなく話したことがあったかもしれないけど。



「俺が黒凪のことで一番覚えているのは、ガイジンってからかわれていつも暴れてた俺の手を、なんてことないように掴んで一緒に歩いてくれたこと。」



 彼女にとっては本当に特別なことでもなんでもないんだろう。…けど。だけど。
 黒凪は俺に居場所をくれたんだ。学校にいる全員が自分を傷つける敵だと思っていた、あの頃。
 俺が一番望んでいたものを、一番にくれたんだ。



「…嬉しかった。俺を “ガイジン” じゃなくて、俺として見てくれたんだ。」

「ゼロ…」

「…中学でヒロが俺にやってくれたことだよ。」

「…いや、ゼロが独りになりがちだった僕に声をかけてくれたんじゃないか。あれがなかったら、僕は今頃…」



 あの時は…なんだかヒロが昔の俺に見えて。
 黒凪がやってくれたように、助けたくなった。
 …突然俺の元を去った彼女を忘れたくなくて、思い出の通りに動いてみただけだ。



「はは。それが本当なら、宮野さんは僕の恩人でもあるってことかな。…ま、もう十分命の恩人だけど。」

「…そうだな。組織でヒロがスパイだと疑われた時は本当に、肝が冷えた…」

「うん…」



 けど、その時も彼女は、黒凪は俺を…俺たちを救ってくれた。
 そんな俺の言葉にまたヒロが「うん」と頷く。
 そこまで言ったところで、じんわりと、やっと実感が湧いてきたような気がした。
 ああ、やっと、少しだけでも戻れたのかな。あの頃に…。



 Bourbon.


 (なあ、宮野黒凪。)
 (もしあんたが…俺の知る黒凪じゃないのなら。)

 (どうして公安である俺と、ヒロの正体を組織に黙っている?)
 (教えてくれ。どうして…。)
 (関係ないと、俺のことなど知らないというのなら。)
 (どうして。)


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