過去編【 子供時代~ / 黒の組織,警察学校組 】
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
17年前のあの頃 with RUM
組織に身を置いて1年が経った。
人間とは不思議なもので、この1年で私の思考回路、反射神経…何もかもが組織に染まった自覚があった。
人の死も、人を傷つけることも…数えられないほどに見てきた。やってきた。
それでもまだまだ私は10歳にも満たない子供で、任務先に連れていく組織の人間なんて…私の世話を焼いているジンぐらい。そのはずだった。
『…何、次はアメリカに行くの?』
「ああ。便は5時間後…地下の駐車場に白人の男がいる。そいつについていけ。」
『え、待って…貴方は?』
「俺は行かねェ。今回お前はラムの命令に従って動け…」
ラム。聞いたことのないコードネームだった。
「予想以上に標的のボディガードが多く苦戦してるらしくてな…その標的が慈善団体にも多額の寄付をする子供好きという情報を掴んでお前に白羽の矢が立った。」
煙草の煙を吐き出し、話はここまでだというように顎で地下駐車場へのエレベータを差すジン。
私は口をつぐみ、エレベータへと歩いていく。
今日はまだ志保に会えていないのに、いつ日本に帰ってこられるんだろう。
そもそも、ジンがいない現場で万が一にも死んだら、どうしよう。
「…失態は許されねえぞ。」
『!』
「お前が死ねば、妹も同じく死ぬと思え。」
心臓が跳ねて、手先が冷えた。
正直、子供相手になんて脅しをかけるのかとジンには呆れかえったが…かえって助かった。
今の一言で私の覚悟が決まったからだ。
『…分かってる、そんなこと…。ここに来て、志保が生まれた時から。』
その私の言葉にジンが小さく笑みを浮かべたような、そんな気がした。
アメリカにたどり着き、私は1つの高級ホテルへと連れていかれた。
移動中に服を着替えさせられ、今の私はどこからどう見ても金持ちの子供といったところだろう。
通された部屋の中にはモニターが大量に並んでおり、大柄な男たちが取り囲むパソコンの前でモニターをじっと見つめている男が1人。
男はこちらに目を向けず、私に話しかけてきた。
「…来たか。大体の作戦内容は聞いたかね?」
『…はい、標的はアマンダ・ヒューズ。彼女がやがて友人である日本棋士、羽田浩司の部屋へと移動する…その最中で、迷子を装って接触。部屋に入り…貴方の指示で標的を人質に取り、制圧する。そうですよね、ラム』
「ああ。完璧だね。あの方が作戦に君を急遽組み込むわけだ。」
ではそろそろ標的が移動する。行ってくれるかな。
ピスコのような、穏やかな口調。
こういうタイプは正直ジンよりも怖い。その真意が読めないから。
『…はい』
そうして部屋を放り出され、耳に取り付けたイヤホンの音声を頼りに指示された場所へ向かう。
そして奥から歩いてきた標的…アマンダ・ヒューズの元へと歩いていく。
両手で目元を覆って、泣きながら。
『うっ、うぅ…』
「 Ah, what happened? (あら、どうしたの?) 」
かかった。
顔を上げる。標的がこちらを見て腰をかがめた。
さすがに子供相手に睨みを利かせても無駄だと判断したのだろう、彼女の周辺のボディガードたちが道を開ける。
「 Where’re your parents? Do you speak English? (ご両親は? 英語は分かる?) 」
『 I can’t find my mom… (お母さんがどこかへ行っちゃったの…) 』
「 Oh ok, then I will ask a … (そうなのね、分かったわ。じゃあ…) 」
『 I don’t wanna go anywhere! Please don’t leave me――! (嫌だあ、私を放っていかないでおばあさん――!) 』
と大声で泣いてみる。
あらあら、と困ったように眉を下げたアマンダ。
どうかこのまま連れて行ってくれ、と願うばかり。
ここで連れて行ってくれないとラムが立てた作戦なんて意味を持たないのだから…。
「...She is like your past self, Asaka. (…ふふ、子供の頃の貴方みたいね。浅香。) 」
「 Umm, really…? (そんなこと…) 」
「 Ok then, stay with me until you find your mother. Hey, look for her parents, someone. (いいわ。貴方のご両親が見つかるまで私と一緒にいなさい。…誰か1人、この子のご両親を探しに行って。) 」
「 Sure. (はい。) 」
そうしてボディガードの1人がアマンダの傍を離れ、私は彼女と手をつないで部屋の中へ。
中に入ると日本人の男性がにこりと笑みを向けた。
そうか、彼が羽田浩司。日本人棋士…。
「早速始めましょうか。」
「おや…随分と日本語が流ちょうになられましたね。」
「ええ。貴方の母国語を話してチェスを打ちたかったから…この浅香に付き合ってもらって猛特訓したのよ。」
そんな風に会話をする2人を眺めながら、ただただラムの指示を待つ。
今頃はアマンダに張り付いていないボディガードたちを着々と片付けているであろう、彼ら。
ただの子供を装い続けるのも辛いし、この人たちを陥れているこの状況も…とても、長時間耐えられるものではなかった。
『(特に、こうして人間味あふれる部分を見てしまうと…)』
「彼女はレイチェル・浅香。彼女の御父上が私のボディガードでね…ある日、私の盾となって凶弾に倒れ亡くなってしまった。」
「…。」
静かにアマンダの話に耳を傾けているだけの彼女…レイチェル・浅香。
「なんの偶然か、その事件の日…まだ幼かった浅香が犯人を目撃していた。そのおかげで犯人は無事に確保され、彼女は証人保護プログラムで名前を変え、平和に暮らすだずだった。でも…。」
御父上の背中を見て育ったのね。
父と同じボディーガードになりたいと懇願され、ほどなくして彼女の母が病死したのもあり…ボディーガードとして鍛えて傍に置いたの。
「そのせいか、誇れるのは武器の扱いや格闘技だけでいい男が寄って来ないのが最近の私の悩み。」
「そうですか? 自分には好みの女性なんですけどね…。」
「…」
そんな羽田浩司の言葉にも、無言。
全く警戒心を解かない彼女の様子から、その警戒を潜り抜けてアマンダにたどり着くのはそう容易ではない…。
この状況を伝えるすべはないが、失敗しても仕方がないと言ってくれるだろうか。
それとも…失敗は失敗だと、組織は志保を…。
「...Wanna see? It’s chess. (…見てみる? チェスというのよ。) 」
じいっと眺めているのが分かったのか、それともアウェイな場所に連れてこられた私を心配してか…アマンダがそう問いかけてくる。
その問いかけに顔を上げれば、いい機会だと思ったのあろう、羽田浩司がこちらを見て口を開いた。
「そういえば、その少女は?」
「貴方の部屋に向かう途中で出会ったの。迷子らしいわ。」
日本語で問いかけてきた彼に流ちょうに日本語で返すアマンダ。
「先ほどから我々の会話を理解している様子ですし、日本語が少しわかるんじゃないかな? お嬢ちゃん…。」
『…うん。パパが日本人なの…』
「お名前は?」
『…黒凪。』
鋭い指摘に、逆に隠す方が危険だと判断して羽田浩司の指摘に頷き日本語を話せば、アマンダがにっこりと微笑んだ。
「じゃあ最初から日本語でお話をすればよかったわね。私の勉強にもなったし。」
「ははは、確かに。」
と和やかに話す中でも、静かに窓の外を見て警戒している様子のレイチェル・浅香。
「浅香? 何かあるの?」
「…いえ。今日は朝から右目がざわついて…妙な胸騒ぎが。それも徐々に…強くなっていて。」
『…。』
「結局チェスは終わったけれど、まだご両親は見つからないわねえ…」
『うぅ、はい…』
「不安でしょうし、私の部屋で一緒に休みましょう。大丈夫、何か怖いことがあっても…この浅香が守ってくれるわ。」
『…、』
浅香を見上げる。彼女は私を見下ろし、笑顔1つも見せない。
羽田浩司も、この人もどこか鋭いから…下手な行動に出ることが出来ずにいた。
それにまだラムからの指示もない。
アマンダの部屋に入り、ソファに案内してもらう。
そして紅茶を入れたアマンダが私の傍に座って、私の気を紛らわせようとしているのだろう…簡単な世間話を始めた。
「貴方、ご兄弟は?」
『妹が、1人…』
「お名前は?」
『…志保、』
そう、綺麗なお名前ね。
その言葉に頷く。そうなの。母と父は…綺麗な名前を妹にあげたの。
一緒に家族4人で…暮らしていくはずだったの…。
『…っ、』
「あらあら、どうしたの?」
焦ったアマンダの声に、窓の外を見ていた浅香が振り返ったのが分かった。
私は何をしているんだろう、こんなに優しくしてくれる人たちを傷つけるために、騙して。
すべてを打ち明けて、逃げてもらえればどんなにありがたいだろう。でも、志保を人質に取られている以上そんなことはできない…。
『ごめんなさい…』
「…いいのよ、すぐにご両親が貴方を見つけてくれる…。」
見つけてはくれない。もう一生、2人は帰ってこない…。
「…アマンダ」
「うん?」
「部屋の外に待機しているはずのボディガード達と連絡が取れない…。何かあったのかもしれない。」
途端に耳元のイヤホンが音を立てた。
≪外のボディガードはあらかた仕留めた…標的を人質に取るんだ。≫
『――!』
「…浅香。悪いけれど、浩司の部屋に忘れ物をしたらしいわ。見てきてくれるかしら。」
「え…ですが、」
お願い。大事なものなの。
そう言ったアマンダを見上げると、彼女の視線が私のものと交わった。
「それから浅香。」
「はい?」
「戻ってきたら、貴方が主体になってこの子の面倒を見てあげて。同じ日本人の血が流れているのだから…。」
「…、」
お願いね、浅香…。
その言葉に頷いて、浅香が部屋を出ていく。
それを見送り、アマンダが私に目を向けた。
「突拍子もないことを聞くけれど…貴方、自由の身ではないのね。」
『え…』
「この世界中の様々な子供を見ているとね、なんとなくわかるのよ…。大人に強要されて、血にまみれた道を歩くことになった子供がどんな目をするのか。」
『…』
「自分のために生きなさい。私はもう十分生きた…。私のことはいいから、大切なものを守るために…今は鬼になって。」
大丈夫。いつか貴方を助けてくれる人が現れるわ。必ずね…。
またイヤホンが音を立てる。
≪標的の拘束は終えたか? 合図を。≫
『…ごめんなさい、アマンダさん』
「――いいのよ。」
ポケットに入れていたペンを取り出し、ペンの先をアマンダの首元へ。
途端に部屋にいたボディガードが焦ったようにこちらを見たと同時に、イヤホンのマイクを作動した。
『標的、拘束完了…』
≪――了解≫
途端に先ほどモニター室で見た男たちが部屋に押し入り、ボディガードたちが対処に動こうとしたとき…私は声を張り上げた。
『 Don’t move! I’ll kill her! (動かないで! 殺すわよ!) 』
「っ…!」
ボディガードたちが苦い顔をし、その隙をついてラムの部下たちが場を制圧する。
そしてカツ、とかかとが床を打つ音がして…空気が一変する。
ラムだ。奴が来た。
「招いてもないのに、こんなに大勢で…失礼な人たちね。でも、最も失礼なのは後ろに隠れている貴方…。」
「制圧完了。標的を放せ…。」
『…はい』
ラムの指示にアマンダの首からペンを離し、彼女の傍で待機する。
そんな私には目を向けず、ただただ部下たちの後ろに立つラムへと視線を送るアマンダ。
「日本の大富豪の誕生パーティーで50年ぐらい前に会ったことあるわよね。貴方はまだ子どもだったけど…妙なあだ名で呼ばれていたわ..確か .”ラム” だったかしら。」
「昔のことをよく覚えているものだ…」
「それにしても、この部屋にいたボディガードを制圧するための策はこの小さなお嬢さんを使ってのことだったとしても…このホテル中に信頼できるボディーガードを10数人配置してたはずだけど、彼らを一体どうやって?」
「信頼しているからダメなんだよ。」
ラムの言葉に眉を寄せるアマンダ。
「私のこの左眼は一度眼に焼き付けた物は忘れはしない…」
あんたが四六時中連れまわしていた “信頼できる” ボディガードの顔なんて、嫌になるほど焼きついているんだよ。
変装させていたはず? それじゃあ足りない…この眼は仕草や癖までも記憶する。
昔は両方ともそうだったんだがな、年のせいか片目だけとなってしまった…。
「そうやって集めたネタで脅して政財界の大物を操り、大きくなろうとしているということね…」
「脅す? とんでもない。」
「はあ…今夜は日本の警察と貴方たちを迎え撃つ算段をと思っていたけれど、この様子じゃ彼ももう…。」
「ちなみに、貴方が要請していたSWATも諦めた方が良い。」
SWAT…アメリカ合衆国の警察など、法執行機関に設置されている特殊部隊。
そんな組織とも面識があるのが、この女性…アマンダ・ヒューズ。
確かに組織としては取り込んでおきたい人物なのだろう。
「我々のメンバーに変装と人の声帯模写が特異な女がいてね…。すでに貴方の声で通報を取り消す電話をかけてある。」
「…、」
ちらりと、一瞬だけアマンダがこちらを見た。
その視線を受けて振り返ると、ラムが鼻で笑う。
「彼女は違う。その立ち振る舞いや言動から年相応ではないとそう思う人間は多いが…流石に大人が子供に変装するすべまでは持ち合わせてはいない…」
「…彼女が本当にただの子供だというのなら、こんなことをさせて…よっぽど人手不足なのかしら。」
「こう見えてもうちのボスが随分と目をかけていてね。経歴がオールクリアな分、どんな組織にでも順応できる。例えば一国の国家公務員、だとか。」
「…そんなことに子供を巻き込んで…」
アマンダの声が微かに震えたような気がした。
「さて、話を本題に戻しましょうか。貴方に残された選択肢は1つ…我々に協力すること。出来なければ、貴方が娘のように育てたあの浅香という日系人を殺す。」
「…」
『(ああ、この組織はまた大切な誰かを人質にして…人を操ろうとしている。)』
「黒凪。」
『! …はい』
部屋の照明で帽子をかぶったラムの顔はよく見えないまま。
それに前の方にガタイの大きな男たちも立っているから、ほとんど声で彼を認識している状態だった。
「浅香の行き先は聞いていないか?」
「…、」
アマンダの目がこちらに向く。
私はまっすぐにラムの方向を見て――こう言った。
『いえ…。標的が忘れ物を取りに行くようにと指示は出していましたが、場所までは…』
「…そうか。ならばやみくもに探すしかあるまい。君は羽田浩司の部屋に向かいなさい。」
背中が冷えた。
この男は私の嘘を見破ってわざと言っているのか? それとも…。
「あれも頭の切れる男らしい…君のような子供ならば警戒心も少しは解けるだろう。」
『は、い』
体が震える。いけない。震えを止めなければ。震えを…
「さて…私の部下が浅香を探している間に、脅迫用の映像でも撮っておきましょうか? 組織が開発したこの毒薬を使って貴方を殺すという脅しの動画を…」
ラムが私に目を向けることなく、その指に毒薬と呼ばれた薬を持ってアマンダへと近づいていく。
私はそれとは逆に、扉へと歩いて行っていた。そしてドアノブに手をかけたところで、
「なっ⁉」
『っ⁉』
ラムの声が響き、肩が跳ねた。
そして振り返れば…ラムの腕を引き寄せて、自分から毒薬を口に含んだアマンダが見える。
彼女と目が合った。彼女は一瞬だけこちらに微笑みかけ…そして顔色を一変させた。
即効性がある毒薬だったのだろう、喉が焼けるような痛みでもするのだろうか、喉を抑えてその場に蹲ってしまう。
「くそっ!」
「ど、どうしますか? ラム…」
「ダメだ、この毒薬を飲めばもう助からない。…黒凪、早く羽田浩司の部屋へ行きなさい。」
『は、はい』
そうか、あの人は浅香を守るために死んだのね…。
私にもそうできればいいけれど…志保はまだ子供だから…私が、私が生きて戻らないと。
命令されたことを成功させて、組織に戻らないと…。
「――ここでお別れとは残念です...最後に誤りを正しておきましょう。”RUM” というのはただのあだ名ではない…。長年あの方に仕えた父から受け継いだコードネームですよ…」
そんなラムの言葉が、扉を閉める直前に聞こえた。
扉が閉まる音がして…私は羽田浩司の部屋へと向かう。
涙が溢れてきた。私を守ろうとしてくれた人が、死んだのだ。
今まで見てきた死とは違った。人となりをほんの少しでも知った人が死ぬというのは、今までのものとは全く…。
『きゃっ』
「っ⁉ す、すまないお嬢ちゃん…」
しまった、前をほとんど見ていなかったから…。
顔をあげると眉毛の濃いガタイの良い男が立っていた。少し焦っている様子で。
「って、泣いてるじゃないか…! そんなに痛かったのか⁉」
『う、ううん…そうじゃなくて…ごめんなさい…』
「…君、ハーフか何かかな? 綺麗な瞳だ。」
『は、はい…母が日本人じゃなくて…』
そうか…。なら、小綺麗な白人女性を見なかったかな? もうおばあさんなんだが…おじさん、探してるんだ。名前はアマンダさん。
そう言った男に微かに目を見開く。この人、アマンダを探している…?
途端に彼女の言葉がフラッシュバックする。
”今夜は日本の警察と貴方たちを迎え撃つ算段をと思っていたけれど、この様子じゃ彼ももう…。”
『…お兄さん、警察官の人…?』
「えっ? あ、あぁ。よくわかったね…。」
『だって人を探すのは探偵さんか、警察さんでしょ?』
「な、なるほど。ははは。確かにそうだな。うん…。」
周辺へと目を走らせる。
奴らはいない…ラムもモニタールームから出ているし、この角度ならぶつかった私が何かいいわけをしてこの場を離れようとしているようにしか見えないはず。
『帽子をかぶった綺麗なおばあさんなら見たよ…バーから一番近い客室階の、一番奥に入っていったの…』
「本当かい⁉ ありがとう! …あ、怪我はしていないんだよね?」
『うん。大丈夫…お兄さん、気を付けて行ってね。』
「うん? ありがとう。君もちゃんとご両親のところに戻るんだよ。」
うん、と頷いて部屋へと走っていく男を見送って、羽田浩司の部屋へと向かう。
そしてインターホンを鳴らすと、羽田浩司さん本人が扉を開いた。
「おや…君は…」
『さっきお邪魔した時に忘れ物をしたような気がして…中に入ってもいいですか?』
「…ああ。もちろん。」
中に入り、羽田浩司が扉を閉めると物陰から浅香が姿を見せた。
「どうやらアマンダを襲った人間ではなかったらしいですよ。」
「! 貴方…」
『あ…浅香さん』
「どうして貴方だけがここに⁉ アマンダは⁉」
途端にものすごい形相で私の両肩を掴み、そう浅香が怒鳴った。
それを聞いた私は何も言えずにいたが、泣いていたせいで赤みがかった目と、涙の後を見つけたのだろう…浅香が私の頬を撫でる。
「…何故、泣いていたんだ…?」
『……浅香さん、逃げて。』
「っ!」
「やはり他のボディガードと連絡が取れなくなったということは、そう仕向けた連中がアマンダのところへ行っているはずですからね。この子は身体が小さいから隠れていられたんでしょう。」
羽田浩司が私の頭に手をのせる。
途端にその手の温かさに涙がまたこぼれた。
『アマンダは殺された…。奴等、貴方を探してる。逃げて…お願い。私じゃどうようもないの、こんな子供の姿では…訓練もまだロクに受けていない、こんな私じゃ…』
「黒凪…」
「逃げるとは言っても、恐らく奴らがホテル中貴方を探しまわっているこの状況で外に出るのはまずい。このままここに隠れていてはどうです?」
「ダメだ! 奴らは最近アマンダの周りの人間の家族を殺すと脅しをかけてきて…何人も辞めさせてるんだ。辞めることを拒んだ人間の中には、実際に家族を殺された奴もいる…私をかくまえば貴方も殺される…!」
僕は彼らと無関係だ。殺すなんてリスクの高い方法は取らないはず。
そう言った羽田浩司だったが、浅香は首を横に振った。
「奴らは見境がない! 私をかくまった時点で奴らにとって貴方は十分関係者なんだよ…殺す理由が…!」
バチッと音が響き、焦げたような臭いが香る。
どこからか出したスタンガンで羽田浩司が浅香を眠らせたのだ。
浅香が崩れ落ち、彼女を抱えて本棚の裏へと彼女を移動させる羽田浩司を私は見ているしかできない。
「すまないね、こんな場面を見せてしまって…君も混乱しているだろうに…。」
『う、ううん…』
「だめ…見つかったら、貴方も殺される….」
消え入るような声でそう訴える浅香に羽田浩司は笑顔を見せた。
「大丈夫。僕のとっておきの御守りを貴方に託しますから。遠見の角に好手あり、ってね。」
これを持っていれば敵に見つかりにくいし、ずっと睨みを利かせていれば、いつか反撃もできるんですよ。
そう言って ”角行” と書かれた将棋の駒を浅香に渡し、羽田浩司が本棚の奥に彼女を隠した。
途端にイヤホンが音を立てる。
≪浅香は見つかったか?≫
イヤホンに手をかざした私を見て羽田浩司が片眉を上げる。
その表情を見て、私は静かにラムに答える。
『…いえ、それらしき姿は見ていません…』
≪了解…一応のため私もそちらに向かう。≫
『…了解。(私を信用していないんだろう…結局こっちに来るのか…)』
「…黒凪ちゃん。」
羽田浩司が少し体をかがめて私の顔を覗き込んだ。
『…羽田さん。もうすぐ警察がやってくるはずです…』
そう。ここに来るまでに出会ったあの男が本当に警察官なら…きっと今頃アマンダの死体を見つけて警察を呼んでいるはず。
あと少し、あともう少しだけ耐えきれば浅香もこの人もきっと逃げられる。
『それまで奴らをあまり刺激しないで…』
「君は…初めて会った時から、随分と暗い目をしていると僕は常々思っていたんだ。」
『え…?』
「だからきっとアマンダも君を放っておけなかったんだろうね…。」
チャイムが鳴り響く。
ラムが来たのだ。
羽田浩司が扉を開き、ラムが口を開いた。
「こちらに日系人の女性がお邪魔していませんか?」
「いえ…そのような方はこちらには来ていませんよ。」
「なるほど。…ちなみにこのホテル、同じルームタイプの部屋の間取りは全て同じでね…。」
「ほう? それが何か?」
本棚の位置が若干前に出ている。
わざわざ本棚を動かすなんて事、人を隠す以外に理由が思いつかないものでね…。
確認させていただいても?
そんなラムの言葉にも全く動揺する様子を見せない羽田浩司。ものすごく強い心臓を持っているのだろう…何故なら私は、ラムが今まさに浅香の隠れる本棚を気にしているというその事実だけで、こんなに心臓が早く跳ねているから。
「これでも棋士をしていましてね…本棚はよく使うもので。」
「そうだとしても、一応のためにね…要人を探しているもので。」
「お引き取りください。」
「確認すればすぐにでも出ていきますよ。…行け。」
部下に指示を出し、大柄な男が中に入っていく。
そして本棚に伸びようとしたその手を見て…羽田浩司が覚悟を決めた顔をしたような、気がした。
「烏丸蓮耶…」
「⁉」
ラムの部下が動きを止める。
「偶然ネットで記事を見かけたんです。30年ぐらい前の国際経済フォーラム年次総会に出ていましたよね? 体調不良で欠席した烏丸会長の代理として。貴方たち、烏丸蓮耶氏と何か関係ありそうですね。こんな違法行為、許されるんですか?」
ここで、ラムの標的が今この瞬間、浅香から羽田浩司に移ったのが分かった。
彼の、ラムの手が胸元に伸びる。そう…アマンダに使った毒薬を入れていたポケットに。
「その名前が出た以上…生かしておくわけにはいきませんね。何、貴方がいなくとも部屋は捜索できる。」
ラムの部下たちが羽田浩司を拘束し、その口を無理に開けさせた。
そしてラムは何の躊躇もなく毒薬を口に放り込み、無理にそれを飲ませる。
途端に苦しみ始めた羽田浩司を一瞥し、部屋の捜索を指示するラムを見ているしかできない私は、不思議と涙も出ず…絶望感で心が死んでいくのが分かったような気がした。
「…警察がホテルに乗り込んできたようです。」
「何? チッ…アマンダの死体が見つかったか。」
「誰のタレコミか、ここ…羽田浩司の部屋に向かっているそうです。」
「…仕方がない。ずらかるぞ。来なさい、黒凪。」
そうして私は、これ以上子供が作戦に必要ではないと判断されたためか…またはその仕事のできなさに愛想をつかされたか、逃走用の車に入れられすべてが終わるのを待っていた。
ラムたちが戻ってくるのを待っている途中、横腹を気にした様子で手に大きなスーツケースをもって駐車場にやってきた…あの男を見た。
警察官の男。名前は分からない。
『(あの人は無事だったのね…私が巻き込んだようなものだし、せめてあの人は生き延びて…)』
「――急げ!」
「どっちへ行ったか確認したか⁉」
男が乗った車が出た途端に、ラムの部下たちが車に戻ってきた。
随分と焦った様子に何があったのかと思ったが、すぐさま出された車の後部座席で状況を見ているしかできない。
ただ状況を見て分かったのは、先ほどの男が浅香を連れて逃げているということで、我々はやむなく追跡しているということで。
「なんとしても止めろ!」
「拳銃は⁉」
「ここだ!」
随分と焦っているらしい。
今回、組織はどれも後手に回っていた印象があるし…この状況ではほとんど計画も失敗に終わりかけている状態だ。
焦る気持ちもわからないでもない。
…そして私は、
『ぁ、』
前を走っていた、男が乗っていた車が事故を起こして炎上したのを見た。
これで、すべての望みが絶たれた。
生きていてほしいと一瞬でも願った人は、皆…全員、死んだ。
特にあの男に関しては十中八九私のせいだろう。私が巻き込まなければこんなことにはならなかった。
Beretta
(ここで私は心に決めたのだ。)
(もう、誰も頼らない。誰も巻き込まない…。)
(これは全て私1人だけで頑張るべきことなのだ。)
(誰かを巻き込めば、きっとその命をいつか…奪ってしまうから。)
.