本編【 原作開始時~ / 映画作品 】
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始まりは突然に
ふと、目が覚める。
ぼーっと白い壁を見つめて寝返りを打てば、隣にいる恋人の元までその振動が伝わった。
朝かあ…。と窓から差し込む光に少し目を細めて、目にかかる赤茶色の髪を右手で払いのける。
そしてふと、日本人よりも幾分か肌の白い右手に目が止まった。
『(…なんだか長い夢を見ていたような気がする…。)』
普段はあまりどんな夢を見ていたのか、夢の中で自分が何をしていたのか…。
そんなことに朝から思考を巡らせるようなことはしないのだが。
何故か今日はそんなことが気になって、思い返してみて、そして。
『!』
ばっと勢いよく体を起こした。
そして自分の両手を見て、傍に偶然置いてあった手鏡を見て自分の顔を確認する。
今まで何度も見てきた顔なのに。髪なのに。
『(本当、自分の間抜けさに嫌気が差すわ…。)』
まだ信じられない、どうして今まで気づかなかったのか?という疑問が頭を駆け巡る。
そんな自分を落ち着かせるように、鏡を睨むようにして言葉に出すことはなく、自分に言い聞かせる。
『(私は宮野黒凪)』
私は黒の組織のメンバーで、宮野志保は妹。両親はもう他界している。
そんな私が生まれる前、私はただの日本人だった。
普通の家庭に生まれて、普通の日本人らしく漫画やアニメをよく見ていた。
この世界は、その中の一つ。名探偵コナンの世界。そして私は…宮野明美だ。
『(そしてこの人は赤井秀一)』
私の、色々と事情を抱えた恋人、みたいな人。
この人と出会って何年経った?
この人今…組織の中でどれぐらいにまで上り詰めていた?
確かこの人、ジンとの初任務で正体、ばれてなかった?
「そう朝から見つめられると、流石に起きるぞ。」
『あ、ごめんね起こした? もう一回寝る?』
「いや…。もう起きるよ。」
少し気だるげに言った彼を横目に徐にベッドから降りる。
『大君、私今日朝から仕事があるから準備するね。洗面所使っていい?』
「二重生活も大変だな。」
『大したことないわよ。私の生活なんてずうっとこんな感じだもの。』
そしていつも以上にてきぱきと準備を済ませて、のそのそと起きてきた赤井秀一…もとい諸星大に目を向ける。
彼は今にも家を後にしようとする私に少し驚いたような顔をして見せた。
「…早いな。寝坊してたのか?」
『ちょっとね。じゃあ大君…任務頑張って。』
怪我しちゃ駄目よ。そう言って扉を開く。
その背中を何も言わずに見送り、赤井秀一は目を細めちらりとベッドの横に無造作に置かれた鏡を見る。
そして徐に時計を確認し、静かに準備を始めた。
『…あ、この住所までお願いします。』
「はい。」
アパートの前でタクシーを捕まえてとある場所へと向かう。
その間にもぼーっと空を見上げて色々なことに思考を巡らせた。
今までの人生のこと、組織のこと…ジンのこと。そして大君のこと。
『(大君と出会えてよかった…。随分と組織内でも自由になれたし、こうしてジンの目をかいくぐることだってできるようになった。)』
まあ、彼のおかげで死亡フラグが立ってるんだけど。
タクシーが止まり、料金を渡して外に出る。
そして暫く歩き、ひっそりとした山奥に建てられた施設へと辿り着いた。
監視カメラがある為、あまり近付くことはせず、誰かが施設から出てくるのを待つ。
そして白衣を着た人物が煙草をくわえて出てきた。
『(よし、彼とは顔見知り。)』
「ん? あ、黒凪さん。」
『おはようございます。…志保は今忙しいかしら?』
「いや、今は休憩時間なので大丈夫だと思いますよ。どうぞ。」
私のためにと自分のIDを使って扉を開いてくれた彼に頭を下げて長い廊下をまっすぐに進む。
監視カメラを完全にかいくぐることは無理だし、さっさと予定を済ませていかないと。
「…お姉ちゃん?」
視線を巡らせていると、自動販売機でコーヒーを買ったらしい、妹…宮野志保が私を見てそう声をかけてきた。
そちらに目を向けると彼女は嬉しそうな顔をしつつ、人の目から隠れるようにしてこちらに走ってきた。
「1週間ぶりぐらいね…。ジンは?」
『今日はジンには秘密で来たの。』
「え、どうして?」
ちらりととある毒薬の開発をしている実験場へと目を向ける。
先ほどまでその中にいたのだろう、白衣を着ている志保もそちらに目を向けた。
「…実験のことで、何かあった?」
『あ…ううん。そういうことではないんだけれど…。』
「…。」
志保の瞳がじっとこちらを見つめる。
私の真意を測ろうとしているのがわかる。
両親がいた時とは違って、今となってはお互いに随分と立場が違ってしまった。
「…薬が必要? まだ実証実験は数回しかしていないから効果に自信はないけど…とりあえず完成はしてるわよ。」
何も言わない私に背を向けて、実験室の中へ向かった志保が薬を一粒半透明のケースに入れてこちらに差し出した。
『…よく分かったわね。薬が必要だったって。』
「大方、ジンに暗殺でも命令されたんでしょ? でも今回はジンの言うやり方ではやりたくないとか?」
あの人、お姉ちゃんには特別そう言うやり方とか厳しそうだから。違う?
そんなふうに言ってこちらを見た志保に笑顔を見せる。
『…悪いようには使わないわ。ありがとうね。』
「いいわよ。お姉ちゃんにならいくらでもあげるから。」
ということで、志保からの助けもあり今後の保険としてAPTX4869を取得することに成功。
これを足掛かりに、まだ見ぬ未来(死亡フラグ)に向けて対策を練っていこう。…そう決意した、数日後のこと。
「黒凪、明後日ジンと任務に行く事になった。」
「はい。頑張って…、え?」
「…なんだ、何か予定があったのか?」
「あ、ううん。そうではないけど…心の準備がね。」
「?」
薄暗い廃墟の中を、前を進むジンとウォッカの後を追う形で進んでいく。
どんどん暗い方向へと進む様を見て、私は不安げに脈を打つ自分の心臓を必死に落ち着かせようと必死だった。
恋人…のような関係だった赤井秀一がジンを捉えそこね、逃げるように組織を抜けたのが約2年前。
『…こんな所へ連れてきて、何の用?』
そう声をかけてみる。
暗がりへと進むジンの足取りは途切れない。
「分かり切ったことを聞くんじゃねえよ。」
それ、安心させるときに言うべき言葉だと思うんだけれど。
そんなジンへの文句は口には出さず、静かにジンの背中を睨む。
それを感じてか、ジンが続けて口を開いた。
「お前には失望したぜ…。お前、いつから “そう” なった?」
『…。そう、とは?』
「チッ」
反抗的になりやがって。
そんな地を這うような声を発して、ついにその胸元に収められていたベレッタがこちらに向いた。
「お前もこの世界での経験は長い…殺される理由はわかってるはずだ。」
『…大方、諸星大の事かしらね。』
「ああ、それもお前にしちゃあ酷い失態だったな。」
FBIの犬にまんまと利用されるとは…、俺の面目も丸つぶれだ。
…全く情けねえ。
『(まあ、その意見には同意するけれど。)』
そんな風に考えて、あの日のことを思い返す。
そう、あれは大…赤井秀一がジンとの任務に向かう1日前のこと。
珍しく公園でのデートなんてものを提案されて、大人しく彼についていってみれば、案の定の別れ話。
その上、彼にとっては言う必要のない…いや、寧ろ言うとかなりのリスクを伴う情報まで含めて。
《俺はFBIだ。明日の任務でジンと決着を付けに行く。》
《…。》
《…何故驚かない? お前まさか…》
ああ。こういう時どういう反応をすればいいのだろう?
いざ別れ話を正面から持ちかけられると、心が痛い。思っていたより、辛い。
《黒凪!》
応えろ、と。彼の焦ったような声が掛けられる。
珍しく焦っている。きっと彼のことだから、今日私にこの話をするまでの間にも沢山のことを考えたに違いない。
ジンとの任務の時間が近くなるにつれ、考えることも多くなっていった事だろう。
《大君、私ね、貴方のこと気づいてた。》
《いつから…!》
《そんなに焦らなくても大丈夫よ。誰にも話していないから。》
でもそうね…。
貴方、私にそんな情報を伝えてどうするつもり?
よほど自信があるの?
《それとも何? 私のために密告の機会をくれたのかしら。》
確かにもし貴方が明日失敗すれば、私は裏切り者を組織に招き入れたただの間抜けだものね。
でも貴方の存在を先に密告できれば罪は軽くなるかもしれない。
彼は何も言わない。
《ふ、結局貴方って、いつも中途半端。組織に入り込む事だけが目的なら…私に罪悪感を感じる程入れこまなければいいのに。》
《…。》
《…先に愛してるって言ったのは貴方よ、大君。それがなければ私だってきっと貴方と付き合わなかったのに。》
本当、馬鹿ねえ。そう言った時の彼の顔は忘れられない。
滅多に表情を変えない彼が思わずその表情を歪ませてしまった様な表情。
そして静かに彼の両腕がこちらに伸ばされて、初めて本当の彼に…赤井秀一に抱きしめられたような気がした。
「――…何か言い残す事は?」
『…そうねえ。しいて言うなら、志保のことだけ。』
「その心配はいらねえよ。まだ暫くそっちには行かねえだろうさ。…悪く思うなよ。」
『貴方のことを悪く思わなかった日なんてない。』
そんな私の憎まれ口に口の端を少し引き上げて、そのまま引き金へと指を持っていく。
それを見て私は走り出し、ジンがすぐに引き金を引く。
背中に当たった。赤い血が噴き出す。
傷口を咄嗟に抑えるようにしながらそれでもコンテナが積まれた暗がりへと飛び込む。
その後をゆっくりと追いかけてくる、冷たい足音が耳に届いた。
『(まあ、背中の傷だけで放っておいてくれるほど優しくないわよね、)』
暗がりの中で目を凝らす。
これだけ古いんだから、どこかに穴とかないの?
せめて子供が通れるぐらいの何かがあれば、何もできないことはない…。
ポケットに入れて持ってきているAPTX4869へと手を伸ばす。
背後からのジンの足音は止まらない。
「…フン、本当に逃げるだけか?」
『…。』
「情けねえ。」
ジンの銃口が再びこちらに向けられる。
そしてその指が引き金に掛かったとき、ジンがふと左の方へと視線をやった。
それからウォッカが焦ったようにジンの後を追いかけてくる。
「兄貴、ポリが…!」
「…チッ、殺されるぐらいなら捕まった方がマシか。」
銃声が届くことを考慮したのだろう、ベレッタを胸元に戻し、ジンが傍に落ちていた鉄パイプを持ち上げる。
その様子を見て眉を寄せる。やばい。その対策はしていない。
パトカーのサイレンが近づいてくる。もうすぐ傍まで。
「兄貴…!」
『私みたいな下っ端を殺すことに固執するなんて、貴方らしくないわね。』
「…。」
「兄貴、奴等がもうすぐそこまで…!」
あたしのことなんて、最初から信用してなかったくせに。
何も情報なんて与えなかったくせに。
それでも私を殺そうとするのは…自分の責任を果たすため?
それとも。…私が怖い?
途端にジンが鉄パイプをこちらに投げつけてきた。
それを右腕で受け止め、彼を睨む。
「逃げられると思うなよ…。」
そう吐き捨ててジンとウォッカが足早に去っていく。
私はその背中を見送り、すぐに手元のAPTX4869を口元に運んだ。
『(本当はこれを使わず、逃げ切ることが出来れば最適だったんだけれどね…。)』
一思いに薬を飲み込み、上着を脱いで中に来ていた血のり入りの防弾チョッキを脱いで背中に目を向ける。
撃たれた場所は青くなっていた。
『(防弾チョッキがあっても全然痛かったなあ…)』
ドク、ドクと心臓が徐々にその速度を速めていく。
後々警察に調べられても大丈夫なように血のりには自分の血を使ってある。
血のりを絞り上げ、中に入れてあった血を床に落としていく。
きっとこれだけあれば致死量だと判断されて殺人として報道されるはず。
『(ま、それをジンが信じるかは分からないけど…)』
心臓の音がもう聞こえてくるようなほどまでその速度を上げていた。
そして服などすべてを抱えて足早に廃墟を出ていく。
パトカーの光がもうそばにまで迫っていた。
どうにか人目につかない場所を通って止めてあった自分の車の中へ。
そしてやっと大きく息を吸って、吐いた。
『(それにしてもAPTX4869、効くの遅くない…?)』
ふとそう思った途端に携帯が着信を知らせた。
その相手は志保…妹。
『っ、もしもし…』
「もしもし? 忙しかったの? 何度か電話したんだけど…」
『ううん、大丈夫。どうしたの?』
「あのね…前に渡したAPTX4869、もう使った?」
嫌な質問だと思った。
え? と返すと、志保が申し訳なさげに言う。
「ちゃんと効き目、あった? 配合を間違えた分の薬を同僚が私のデスクに置いておいたってさっき聞かされて…。もしかしたらそっちを渡したかもしれないの。」
『っ、く…っ』
胸の痛みが一気に増した。
やばい。嫌なタイミングでのこの激痛は、色々とやばい。
「お姉ちゃん? ねえ…大丈夫?」
『っ、あのね志保…』
多分そのうちジンがそっちに行くと思うけど、
そう前置きをすると、志保が言葉を止めたのがわかった。
『お姉ちゃん、今日ジンと色々あって…もう、会えないかも』
「え? ねえ、どういう意味?」
そんな不安げな声になんと返そうか、と言葉を飲み込んだ途端、それだけで勘の良い妹は色々と想像できてしまったらしい。
「…あのお姉ちゃんの恋人の所為?」
『志保、』
「彼が裏切り者だったからって、まさかジンに殺されかけたなんて、言わないわよね」
『まあ、そんなところ…。ごめん…』
「噓でしょ…!? 今どこ!? 迎えに行くから!」
もう呻くのを抑えられそうにない。
ごめん、と一言添えて通話を切り、携帯の電源を切った。
そして車に積んである子供用の服を見て、脂汗に目を細めながら、かつての恋人を…赤井秀一のことを考えていた。
「――シュウ!」
「…ジョディか」
ガコン、と今しがた購入した缶コーヒーが自動販売機の取り出し口に落ちる音が響く中、同じく自身が履いているヒールをカツカツと鳴らしながらこちらにやってくるジョディへと目を向ける。
「聞いた? 東京でのニュース…」
不安げにそうかけられた言葉に嫌な予感がした。
いや? と首を横に振れば、しばし視線を泳がせてからジョディが口を開く。
「…東京の廃墟で致死量の血液が発見されたらしいわ。通報を受けて向かった警察によると、通報者は"黒づくめの男"に追われている"、と言っていたそうよ。」
すぐに彼女の顔が脳裏を過った。
黒ずくめの男たち。奴らを逮捕するため、潜入していたあの頃を共にしていた彼女の顔が。
「うちのエージェントが秘密裏に入手した話によると、組織が関係している可能性が非常に高い上、入手した血液のデータベースを調べたところ…宮野黒凪のものと断定…。」
「…ふ、断定、か。確かに彼女のデータなら、データベースを調べれば一発だろうしな…。」
おそらく若干声が震えていたことだろう。
自分の耳にも届くほどに心臓が大きく波打っているのが分かった。
身体に出るほど、ショックを受けたか。とどこか他人ごとのように考えている自分がいた。
「…あれから彼女との連絡はまだ…?」
「…いや、取れていない。」
「…シュウ、」
「少し出てくる。」
これ以上聞きたくない。これ以上、現実を見たくはない。
そんな一心でジョディのもとを離れ、車に乗り込んだ。
「あれから、連絡はまだ?」そんなジョディの言葉が頭の中を回る。
「(そんなこと、聞かれるまでもない。毎日考えているさ。)」
連絡はまだか、なんてことは。
連絡を寄こすとしたら、メールか? 電話か?
毎日何度携帯を開いてはなんの音沙汰もないことに気を落としていることか。
《…大君? 私…黒凪。》
あの日の、あの電話を思い返す。
非通知の電話番号だった。それを迷わず取ったのは、やはり組織に置いてくる形となってしまった黒凪のことが忘れられなかったから。
本当はもしも自分に何かあれば、彼女も組織から連れ出すつもりでいた。
だがやはり現実はそううまくはいかないもので。結局、無理だった。
《ごめんね、急に電話を寄こすことになって。貴方が組織から抜けてからあの携帯を没収されて…。》
《…そうか。あれから変わりないか?》
《大丈夫よ。組織の方も貴方が相手なら仕方がないって、なんだかそういう空気だから。》
口ではなんとでも言える。
俺は深く追及することが怖くなって、結局「そうか」とあたりさわりのない返答しかできなかった。
そんな俺に、少しだけ言い淀んで彼女が静かに息を吸ったのが聞こえた。
《あのね大君。…もし私が貴方のもとに生きて帰ってこられたら、》
《…”生きて帰ってこられたら”? お前、何を…》
《貴方がもしも話が嫌いなのは知ってる。…でもね、その時は…貴方の本当の彼女にしてくれる?》
彼女の言葉に一気に思考をめぐらせた頭が、真っ白になったのがわかった。
こんなことを言われるなんて全く、ほんの少しも予想をしていなかった。
《…シュウ?》
俺の声が震えた為か、俺とともに出先に出ていたジョディが怪訝にこちらを覗き込んできたのがわかった。
ジョディの声に「ああ、出先なのね。」と黒凪が言う。
ふいにこの通話を切られてしまいそうな気がして、途端に口をついて声が出た。
《お前は、》
《、うん?》
《…ずっと前から、俺にとってはそうだ…。》
少しの沈黙の後に「ふふ」と黒凪が笑ったのが分かった。
そして。
《ありがとうね、大君。》
そうして流れた電子音に携帯を耳から離し、ポケットにそれを押し込んで。
俺は力任せに目の前にある車のハンドルを左の拳で殴りつけた。
途端に助手席に座るジョディが肩を跳ねさせて、また俺を覗き込んでくる。
《ちょっと、本当にどうしたの?》
《…いや、何も…》
《…今の人、例の…黒凪さんじゃないの?》
《ジョディ》
また彼女がびく、と肩を跳ねさせる。
そんな彼女に目を向けて、極力怖がらせないようにと細心の注意を払って「あまり話したくない話もあるものでな…」と無理に会話を終わらせた。
≪――シュウ、例の現場検証の結果だけど…見つかったのは致死量の血痕だけ。死体はどこにも見つからなかったそうよ。≫
「…そうか。」
それぐらい俺に譲ってくれても良いだろうに。
ジョディからの電話を切って、徐に自分が組織を抜ける前まで住んでいたアパートへと向かった。
彼女もよくここに来ていた。もう2年も前のことだ。すでに空き家になっている。
アパートを車の中から見上げ、煙草に火をつけた。
「…?」
途端にサイドミラーにフードを目深にかぶった子供が移りこむ。
子供の周囲に目を向けるが、親や友達のような姿はない。
というか、今は子供は学校に行っている時間のはずだ。
その子供はしばらく地面を見つめて歩いていたが、少し顔を上げて自分が乗る車を見て、ふらりとこちらに近付いてきたのが分かった。
そして背伸びをして運転席側の窓をこんこん、と何度か叩いてくる。
背丈の所為か俺の姿は見えないらしい。窓を開けて子供を覗き込んでやる。
『…あ。』
「…お嬢ちゃん。迷子か?」
思わずその、茶色がかった瞳に言葉が遅れた。
よく彼女に似ている。きっと子供のころはこんな感じだったはずだ。
そんなことを考えていると、
『来てくれるかなあって思ってたけど…貴方追われる身でしょう? 何してるのよこんなところで。もう。』
「、」
なんと返せばわからなくなって、言葉が止まった。
そして脳裏に1つの可能性が浮かび上がる。だがそれは、とても現実的ではない。
そんなことありえない。きっと彼女を失くした反動で、こんなバカげた妄想を繰り広げているのだ。そうに決まっている。じゃないと、
『大君、信じられないかもしれないけど…私。黒凪。』
こんなこと、ありえない。
そう考えている間にも無意識に伸びていた右手が、少女の頬をつかんで、そしてそのフードを下ろす。
赤みがかった髪が見えて、そして次に飛び出した彼女の言葉に、俺の妄想がそうではないのだと、確信した。
『ただいま。』
「……。…とりあえず中に入れ。場所を移そう。」
『あら、意外と物分かりがよくて助かったわ。』
車の後ろを通って助手席側に回ろうとしたその小さい身体を、運転席を開いて引き寄せて中に引き込んだ。
「え」と驚いたような声を漏らした彼女を助手席に座らせ、シートベルトを着けて車を走らせる。
仕事を中抜けしてきて良かったと、ふと思った。
この出来事がプライベートだったなら、きっと自分の感情は今よりもごちゃごちゃしていたことだろう。
「どうやって逃げてきた? …まあ、見当はつくが…」
『血は時間をかけて集めていけばいいものね。』
「ああ。…あれをジンが信じるかは疑問が残るがな。」
『多分ダメでしょうね。』
なんて軽く会話を交わす中で表情が自然と緩んだのがわかる。
我ながら単純だ。今まで落ち込んでいた気分が一気に持ち上がったのがわかるほどだ。
きっとしばらく彼女はFBIで事情聴取を受けるだろうが、悪いようにはされない。
あの組織に放っておくよりは随分とマシだろう。
「これからFBIの日本支部に向かうが、構わないか?」
『ええ。…でも情報に関しては期待しないでね。貴方も知っている通り私はコードネームさえも持っていない下っ端なんだし。』
「それはこちらも承知の上だ。俺もお前は保護対象だと説明してある…何せ犯罪歴もオールクリアだろうしな。」
『犯罪歴は、ね…』
「…まあ、大丈夫だ。俺たちは日本の警察じゃあないからな。」
心配せずに…。
そこまで言いかけて、すぐに車を路肩に寄せて黒凪の顔を覗き込む。
「おい、大丈夫か? どうした?」
『だ、だいくん…、服、ある…?』
「服?」
顔を真っ青にさせて胸元を抑えながら言うことが、服?
全く理解できない彼女の言動に思考停止していると、目の前で起きた信じられない光景に今度こそ言葉を失った。
体が徐々に膨らむ…というか、成長している。まるでテレビで見る成長過程のDVDを早回しで見るような光景だった。
そして子供用の服が圧迫されていき、そこでやっと彼女の言っていた意味を理解した。すぐに車の後部座席から毛布を出して、彼女の体の上にかける。
『っ、い、痛かった…。』
「…大丈夫か? 」
『ほんっとうに痛かった…』
半泣きで言う彼女を見て本気で痛かったのだろう、そんな風に思って肩をなでる。
そしてその懐かしい感触に、思わず彼女を抱きしめていた。
「…よかった…」
そんな俺に驚いたように固まっていた彼女の肩の力が抜けて、その両腕が俺の背中に回る。
その感覚に、本当に、本当に良かったと長い長い息を吐いた。
よかった。
(そういえば髪の毛、切っちゃったの?)
(…むしゃくしゃしてな)
(むしゃくしゃ!? 貴方が!?)
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