復帰

 唐突ではあるが、うちのこれまでを振り返ってみようと思う。
 まず、最初に立っていた場所は長鴨神社。そこで出会ったあの白い毛並みのワンコは、十中八九コロマルだろう。
 コロマルはこちらの予想以上に人の感情に敏感だった。少しビビった。
 次に、街を歩き回っていたところで影時間に突入。理由は不明だが、うちには適性があったらしい。深くは考えない、ぶっちゃけ面倒だ。
 けれど、うちのアレは“自然覚醒”に入るだろうか。S.E.E.Sのメンバーは、荒垣先輩を除いてペルソナに寝首を掻かれる心配は無い……よな?
 ……気にはなるが、今は保留にしよう。
 この後で姐さんに保護されて、月光館学園に転入。
 もしこの世界に神様がいるなら、随分粋な計らいをしてくれたものだ。組み分けがF組になっただけでなく、席まで向こうと同じとは。
 それにしても、勧誘を断るのも楽じゃなかった。美鶴先輩には早い段階で感づかれていたし、ボケ眼鏡……幾月に追及される事が嫌でペルソナ使いだとバラしてしまった。
 どの道、遅かれ早かれ知られるだろうから構わないという気持ちもあったが。
 そういえば、モノレールでのプリーステス戦がどんな戦いだったのか詳細を知りたい。刈り取る者にやられて昏睡状態だったし、内容は桜に聞こう。
 こうやって振り返ると、結構カオスだ。刈り取る者の時は、何気に死亡フラグ立てていたし(クラッシュしたからいいものの)、さてこれから本格的にどうしようか。
 ……ん? そういえば何か引っかかる。矛盾している……のか?

 *

「ふー……、なんか帰ってきたーって感じだな」

 6月4日。午前中に退院許可を貰った夏帆は、難しい手続きを店主に任せ、一足先にアパートへ帰っていた。
 1ヶ月ぶりの部屋は相変わらず殺風景だが、以前より温かみが溢れている。
 荷物の入ったバッグを窓際に置き、窓を全開にしてから窓枠に腰掛けた。凝り固まった首をほぐしながら、入院生活中の中でノートに書き出した“記憶”を読み返す。
 5の満月は『女教皇・プリーステス』、6月の『皇帝&女帝・エンペラー&エンプレス』、7月は『法王&恋愛・ハイエロファント&ラヴァーズ』。
 ここで順平の不満により桜との関係がグダグダする。
 8月が『正義&戦車・ジャスティス&チャリオッツ』。ストレガとの邂逅もある。9月は『隠者・ハーミット』。唯一荒垣先輩が戦闘メンバーとして入るかもしれない戦い。
 んで、ターニングポイントの10月。倒すべきシャドウは『運命&剛毅・フォーチュン&ストレングス』。……この時どうしようか?
 ラスト、11月は『刑死者・ハングドマン』。アレはプロペラさえぶっ壊せばフルボッコに出来るから多分問題なし、と。
 ……本命がこれからだけれどね。

「……我ながら計画性皆無」

 ぽいっとノートをベッドに放り、自分も続いてベッドに沈む。可能であれば、幾月の裏とストレガの裏を突きたい。ストレガ連中は説得などでどうこうなる問題でもないが。

「うーむ……。すると何が最善の手になるのやら、皆目見当もつかん」

 ごろごろとベッドで寝返りを打つ。10月の件も、荒垣と天田の間に入るのは容易だ。止める事だけに焦点を当てるとすれば、どちらかを足止めしてしまえばいいのだから。
 もっとも、根本的な解決には至らないという問題が残る。両者の溝が深まるだけだ。

(復讐を果たすまで、天田が考えを改めないのは目に見えてる。かと言って他人が首突っ込んで事態が収集する筈もない。いっそ、先輩が死なない程度に殴らせるか?)

 青春モノでは、殴り合って和解もしくは意思疎通のパターンが王道だ。こんなのリアルに当てはめる気はないが、気の済むようにやらせるのが1番ではないかと思えてしまう。
 タカヤを押さえておけば、時間稼ぎにはなる。当事者の他に第三者(真田)が到着するまで足止めするというのも手だ。
 天井を見ながらぼんやり思案していると、携帯の着信音が鳴り響いた。音源は荷物の中。探り出して画面を開くと、相手は同じ階に住む男子学生からだった。

「五十嵐先輩ですか。どうしたんです?」
《森本さんから、メールで高野が退院したって知ってな。退院祝いに電話してみた》

 昼休み特有のガヤガヤとした生徒達の声をバックに、男子学生――五十嵐栂夜はそれに負けない声量で話す。
 時刻は昼休みの真っ只中である為、夏帆はふと気になった事を訊ねてみた。

「してみたって、この時間だと昼休みですよね。先輩、昼は?」
《ああ、昼はダチに食われた。無しだ》
「……また食われたんか、アホ」

 少年には聞こえないよう電話と顔の距離を広げて、呆れ100%の呟きを漏らす。
 これまで何度か会話した中でも、事ある毎に弁当を奪われていると話していたが、対策を打つ気はないのか。

《聞こえてるからなー。俺が弁当持って行くと、絶対に嗅ぎつけられるんだよ。堪ったモンじゃないぜ》

 電話の向こうで、はぁーっと溜め息を吐く栂夜。夏帆はわざとそれより大きな溜め息を吐き、電話口を指でコツコツと叩いた。

「先輩の弁当事情はぶっちゃけどーだっていいんです。なので、訊きたい事があります」
《……接続詞がおかしい上に、俺の弁当が絡むとホント辛辣だよな、オマエ。で、何が知りたいんだ?》
「それは――」

 質問を投げかけようとした夏帆の耳に、5限開始の予鈴が届く。机や椅子が動く音を聞いていると、栂夜はかき消されないように声を大きくした。

《時間切れだな。晩飯の時でいいか?》
「珍しくコッチで食べるんですか? いつもは適当なのに」
《馬鹿言え、後輩の疑問をすっぽかすほど落ちぶれちゃいないぞ。じゃな》

 返事をする前に、ブツッと通話が切られる。ツー、ツーと虚しく通話音を繰り返す携帯を折り畳み、ジーンズのポケットにねじ込もうとしたところで夏帆は手を止めた。
 もう一度携帯を開き、操作する。表示された画面はメールの受信履歴。そこに残っていた一通の既読メールを表示させたまま、窓から身を乗り出した。

「……物は試し、行ってみるか」

 カチカチとボタンを押し、メールに保護のロックを掛ける。封書の左上に南京錠のマークが付いた事を確認すると、改めてポケットにねじ込で立ち上がった。
 午後の予定で、最初に片付ければならないのは復学手続きだ。私服から制服へ着替えようとクローゼットを開けた途端、ひらりと中から1枚のメモ用紙が出てきた。

「ほいよっ」

 空中でキャッチして、二つ折りのメモを開く。そこには手書きでこう書かれていた。

“退院おめでとう、夏帆ちゃん。帰ってきたら、おばさんはここで1番に夏帆ちゃんの顔が見たいです”

 文面を読んだ夏帆は、この手紙の送り主が誰かピンと来た。安息庵でこんな事が可能な人物は、1人しかいない。

「森本さん、わざわざ……。2時、今なら食堂だろうなぁ」

 引っ越してから、何かと夏帆を気遣ってくれていた大家の顔が浮かぶ。ふくよかな体とお団子にした髪型、今時は誰も着ない割烹着を着た、昭和の雰囲気を纏った女性。
 大家の彼女は、全ての部屋の鍵を開錠可能なマスターキーを所持している。1ヶ月以上部屋を放置していたにも関わらず清潔なのは、彼女が掃除してくれていたからだろう。
 手早く制服に着替えて、通学用の鞄に筆記用具と学生証、財布、携帯を入れる。最後に襟を整えれば、準備は完了だ。
 階段を下りると、その右手に安息庵の食堂は存在する。備え付けの大型ブラウン管テレビでは昼の特別番組が流れている。
 目的の人物はすぐに見付かった。夏帆が軽く会釈しながら入ると、森本は点いたテレビをそのままにこちらにやってきた。

「森本さん、ただいま。部屋の管理、ありがとうございました」
「――お帰りなさい、安心したわ。交通事故に巻き込まれたって聞いた時は、おばさん生きた心地がしなかったもの」

 まるで夏帆が自分の子供だと言うように、森本は頭を優しく撫でる。
 むくむくと湧き上がる懐かしさに、奥歯を噛みしめる事で蓋をする。そうして大きく深呼吸した後で頭のスイッチを切り替えて、森本に笑顔を向けた。

「森本さん、お昼って残ってますか?」
「あるわよ。昨日の夕飯がカレーだったの、だから残飯処理になるけど」
「全然構いません。貰っていいですか?」

 空腹を訴える胃を押さえる。栄養価を調整された病院食ではいい加減物足りなかったのだ、カレーくらいが丁度良い。
 準備してくるわー、と割烹着をはためかせながら厨房に引っ込んだ森本は、数分もしないうちに山盛りのカレーライスを持ってきた。
 福神漬けの入った瓶を手に取り、小さじ3杯分の福神漬けを盛り付けて胸の前で手を合わせた。

「じゃっ、いただきます!」
「はい、召し上がれ」

 大人数用のテーブルにたった2人。以前の夏帆ならそれを寂しいと感じただろう。
 しかし、今は違った。世界が異なっても、そこで生きる事が出来る有り難みを実感しつつ、夏帆は大口でカレーを頬張った。

*

「――はい、手続き終わり。高野さん、休んで日が経ってるから、試験勉強とかはしっかりね」
「先生、ありがとうございました。明日からは普通に登校していいんですよね?」
「ええ、全然OKよ。頑張って」

 放課後、高等部の職員室では夏帆と鳥海のやりとりがされていた。手続きと言っても、医師の許可書を提出し、復学手続きの書類に夏帆が直筆のサインを入れるだけであったが。
 鳥海に励ますように肩を叩かれ、夏帆は再び頭を深く下げる。昼食時に食べたカレーが逆流しかけたのは秘密だ。

「よし! なら、高野さんの意欲を汲んで、今までの現国の授業プリントをあげる。穴埋めに使って」

 単元ごとに作成されたプリントの束を、鳥海は夏帆に差し出す。ざっと目を通すと、漢字の書き取りや抜き出された単元の文章を穴埋め形式で答える問題が載せられていた。
 ホチキスで纏まったプリントの右上には小さく手書きで“高野さん”と名が入れられており、鳥海が夏帆用に残しておいた事が窺える。
 現国ならそこまで苦ではない。今日中にでも終わらせるか、と考えていた夏帆は、鳥海の隣が空席である事に気付いた。
 本来そこにいるべき人間はおらず、机の上は新品同様に綺麗さっぱりしている。

(……ああ、あの席、江古田だったっけ)

 あの男は自業自得だ。同情など塵ほどもする気は無い。内心で自己保身の見本市め、そう毒づいていると、鳥海が不思議そうにこちらを見ている事に気付いた。

「鳥海先生。江古田……先生はどうかされたんですか?」

(あっぶなー……危うくセンセの前で呼び捨てるとこだった)

 つい呼び捨てにしかけた江古田に、なんとか敬称を付ける。問われた鳥海は、隣の席に視線を向けると露骨に顔をしかめた。

「さぁ? もういない奴に興味なんかないわ。飛ばされたんじゃないかしら」

 鳥海はそう吐き捨てると同時に、拳を握った状態で親指を立て、それで首を切る動作をする。鼻を鳴らす担任は、清々したわと呟いた。
 夏帆は思う。……果たして、あの古典教諭に仲の良い同僚は存在したのだろうか。

「それとね、高野さん。最近学校の生徒が“神隠しに遭う”って噂、知ってる?」
「神隠し……ですか?」
「ただの噂みたいだけどね、あんまりにも生徒の間で有名だし。……あ、立ったままじゃいい加減辛いかしら。そこ、使っていいわよ」

 直立したままの夏帆を見かねたのか、鳥海は座る人間の居なくなった椅子を指差す。夏帆が躊躇いがちに半分だけ腰掛けると、話が再開された。

「江古田の首チョンパの理由は、多分ソレじしゃないかと先生は睨んでるの」
「(首チョンパて……古い)桜……神路さんから似たような話は聞きました。E組の山岸風花さんが行方不明なんですよね?」
「あら、先に本題入られちゃった。高野さんてば情報早いのねー。先生も心配なの。だのにアイツってば、ろくに動きもしないで……」

 江古田の顔を思い出したのか、鳥海の眉間の皺がさらに深くなる。触れてはいけない部分に触れてしまった、と肌で感じた夏帆は、慌てて話を戻す事にした。

「山岸さんが居なくなって、何日くらいなんですか?」
「1週間は経ってるわ。本来なら警察沙汰よ」

 そこまで話すと、鳥海は軽く唸ってから壁に掛けられた時計に目をやった。つられて夏帆も時計を確認すると、時刻は6時を回っている。

「……って、あらやだ、もうこんな時間?」
「(……まんま主婦のセリフっぽい)先生、そろそろ帰ります。貴重なお話、ありがとうございました」

 椅子を丁寧にしまい、鳥海に一礼する。江古田の椅子というだけで若干嫌な気もしていたが、学校の備品に傷を付ける訳にはいかない。
 ついでに、椅子に罪は無いのだ。八つ当たりはシャドウ相手にすれば良い。

「ま、そんな訳だから、帰り道は気を付けて。用心するに越した事はないのよ」
「はい。失礼しました」

 最後にまた一礼して職員室を出る。栂夜との約束を思い出して、小走りで廊下を駆けだした。安息庵の夕食は7時、まだ時間はある。
 鞄から携帯を出して、午前中にロックを掛けたメールに再度目を通す。
 目が覚めた時は混乱していたが、落ち着いて考えると、夏帆にはこのメールの送り主に心当たりがある。真意を確かめる為にも行ってみよう。

 ――目指すは、ポロニアンモール。


 *

 学校から急ぎ足でやってきたポロニアンモール路地裏。人目に付かないよう注意を払い、夏帆は訪れた。
 しかし、いくら探しても目当ての扉は見付からない。路地裏の奥に行き当たっても、それらしいものなど影も形も視認出来なかった。

「……確率的に半々な気はしたけど、こっちに傾いたか」

 何も無いコンクリート製の壁を一撫でして、まーそりゃそうだよなー、と一人ごちる。

「帰るか」

 遠くの方で流れる子どもに帰宅を促す音楽に耳を澄ませながら、夏帆は路地裏を後にする。
 と、路地裏を出たところで店先を掃除している店主に出くわした。片手を挙げてきた彼女に、同じく片手を挙げて歩み寄る。

「どうだった、手続き?」
「滞りなく終わりましたよ。明日から普通に学生再開です」

 オマケにこんなん貰いましたー、と現国のプリントを見せる。店主はそれに薄く笑みを零してから、箒を持ったまま店に戻った。

「夏帆も来な、面白い物があるからさ」

 奥の方に引っ込んだ保護者に誘われ、ついて行く。店舗の最奥、関係者以外立ち入り禁止の札が掛けられた扉の前で、2人は立ち止まった。

「はい、明かりね。中は都合上電灯が点けられないんだ」

 無造作に手渡されたのは、1本のロウソク。何故に……と目を点にする夏帆を余所に、店主はライターで手早く夏帆と自分の分に火を灯した。

「ミョーな空気が漂ってくるんですけど、一体姐さんは、ここにナニしまい込んでんですか?」

 鍵を開ける保護者に、疑問の目を向ける。向けられた店主は、大したものじゃないけどね、と前置きして扉を静かに開けた。
 そこに広がっていたのは、夏帆の予想の斜め上をいく光景だった。幻想的な光景に、思わず息を呑む。
 壁紙には蛍光塗料が塗られており、部屋全体がぼんやりと光を放っている。その中で照らし出されているのは、店主が過去に集めた骨董品の数々だった。

「私の趣味は、こうした骨董品集めだって知ってるだろ?」

 ロウソクと、蛍光塗料の明かり。暗がりの中、完全に足下が見える訳ではないので、夏帆は店主の言葉を聞きながら膝を曲げた。
 床上十数センチの高さでロウソクは燃える。歩く先に骨董品が置かれていない事を確認して、再び火を消さないよう慎重に立ち上がる。

「……持ち続けるのは危険だね、これを使いな」

 差し出されたのは、中世に作られたような印象を感じさせる古めかしい燭台。全体が錆び付いているが、持ち手の部分はまだしっかりしている。
 使え、と渡されたものの、部屋を見渡せばここが店には並ばない骨董品の倉庫である事は分かる。それを無造作に渡されては、戸惑う。

「姐さん、コレも姐さんのコレクションじゃないんですか?」

 縦長の部屋の両脇に並ぶ骨董品を、一つ一つチェックする店主に問いかける。返された答えは、さっぱりしたものだった。

「そいつは値段もつかないオンボロだし、構わないよ。あげるさ」
「いやいや、うちなんかじゃ直ぐに壊すのがオチですって。今はお借りしますけど」

 とりあえず、燭台にロウソクを立てて安定感を確かめる。根元から折れる心配も無さそうなので、この場では有り難く使わせてもらう事にした。
 会話が途切れる。店主は骨董品に集中して、話しかけられる雰囲気ではない。ひとまず、目のついた壷を眺めて暇を潰す。
 壷の種類は様々だった。壷といっても、三角フラスコに似た形やペットボトルのように筒形のもの、逆三角錐じみた見るからに危ういバランスの壷もある。
 これら全てを売った場合、総額は幾らかなのか。などと考える夏帆。しかし直後に、何馬鹿げた事を、我に返る。

「これだけあったら、個展開けるんじゃないすか?」
「そこまで多くないよ、コレはあくまで私の趣味。でも……そういうことになったら、それはそれで楽しそうだ」

 薄闇の中から響く小さな忍び笑いに、思わず頬を緩める。大小様々な壷や骨董品に囲まれる。そんな貴重な時間は、思いの外早く過ぎていった。

「……よし、一旦出よう。ロウソクもだいぶ短くなったし」
「うちのロウソク、残り1センチってとこです。まさに風前の灯火」

 溶けた蝋は燭台に張り付き、燃え滓同然の芯は先端を垂れさせながらも懸命に火を灯し続けている。
 廊下に出た夏帆はロウソクの健闘を称えた後、あっさりと火を吹き消した。燃えたロウソク特有の甘い匂いが廊下に漂う。

「甘ったるぃ……」
「あれ? 夏帆。ひょっとして、この匂い苦手かい?」

 何とも言えない甘い匂いに、つい鼻をつまむ。そんな夏帆の様子に気付いた店主に問われ、彼女は素直に肯いた。

「なんかダメなんですよ、コレばっかりは。小中学校でロウソクを使った理科の実験とか、消す時はいつも他の班員任せで」
「へぇ、意外。夏帆の弱点発見だ」
「げっ、姐さん悪い顔しないで下さいよ……。こっちは切実なんです……」

 眼鏡を光らせた保護者に、無意識に半歩後ずさる。ケーキに刺さる細いタイプならまだ平気だが、市販のロウソクやそれ以上のサイズは、夏帆にとってある意味天敵だった。


 *

 ――5日。桜、ゆかり、順平は帰宅後、寮のラウンジに集まっていた。いつもは掛けっぱなしになっているテレビも、今日は点いていない。
 今から行われるのは、“怪談”に関する報告会。主に喋るのはゆかりになるが、彼らは一切気にしていない。

「はい、じゃあ先週言った通り、報告会を始めます。まずは病院送りになった被害者3人についてね」

 取材に使用したノートを開き、それをぺしぺしと裏手で叩く。桜はノートの内容に興味津々で、順平はゆかりの手の動きを目で追っていた。

「住んでる場所もクラスも別、一見すると何も共通点はないの」

 いつの間にか、ゆかりは伊達眼鏡を取り出して装着している。気分はさながら、利発的な女教師だろう。
 似合わねー、とうっかり呟いた順平の鼻先で手刀が振り下ろされる。ペルソナで強化された運動神経をフルに活用した一撃に、順平は恐怖でフリーズした。
 その光景を見ていた桜は純粋に驚く。ビッ! と風を切る音が聴こえた次の瞬間、順平がテーブルに置いた漫画本が、ゆかりの手刀を受けて僅かに凹んでいたのだから。

「ちょっ! ゆゆ、ゆかりッチ凶暴すぎんだろ!」
「別にいいじゃない。中身が破けたワケでもないんだし」

 しれっとした表情の彼女は、被害に遭った漫画本の損傷を騒ぐ少年を気にせず報告に戻る。
 桜は桜で、この光景には既に馴れたと言わんばかりに“我関せず”と1人でお茶を啜っていた。
 順平への制裁が下り、すっきりとした顔でゆかりは話を再開する。ソファの背もたれにもたれ掛かった順平は、目に見えて落ち込んでいた。

「オレの漫画本……、新刊だったんだぞ……」

 表情はさながらミイラである。順平が凹んでいる間にも、話は続く。

「実は被害者の3人は、意外なところで共通点があったのです。その共通点とは、一体何でしょうか?」

 ゆかりの口調は、すっかりクイズ番組の司会だった。桜は出題者から正確を貰うべく、顎に手を当てて考えこむ。
 静かな時間が経過する中で、閃いたと言いたげに桜が顔を上げる。年相応の笑顔は小動物を連想させ、ゆかりはつい頭を撫でようと手を上げて――

「よく出家していた!」
「出家じゃなくて、家出!」

 そのまま、スパンッと彼女の頭をはたいた。いたい~、と口を尖らせる桜と、頭を抱えたい気持ちになるゆかり。

「桜、家出と出家じゃ意味が根本的に違うじゃない。しかも“よく”ってなに、そんなに出家したら破門されるっての」
「変わんないよ~……」
「変わります。ボケにしても空気を読んでボケて」

 「いい?」と念を押すゆかり。桜は素直に返事をしながら、未だに凹む少年の手を軽く掴んで揺さぶった。

「次、順平。アンタは?」
「へ、オレ? ………どっかのワルとつるんでる……とか」
「お、半分アタリ。その子達は、山岸さんを苛めていたグループの一員だったみたい。不良の溜まり場にも顔を出していて、路上オールとかしてたんだって」
「質問、路上オールってナニ?」
「そりゃオールとか言うなら、不良とたむろって一晩明かす…とか………うぉおっ、夏帆ッチ!?」

 さりげなく会話に割り込んでいた夏帆に無意識で返事をしてから、順平は弾け飛ぶバネの勢いでソファから飛び上がった。
 順平を驚かせた夏帆は目に見えてご機嫌で、桜やゆかりと「GJ!」などとハイタッチを交わしている。
 彼女達は夏帆が寮の玄関を開けた時から気付いていたが、“静かに”という夏帆のジェスチャーに従い黙っていたのだ。
 結果、玄関に背を向ける位置のソファに座っていた彼だけが、彼女の気配に気付かず喋り続けて、このリアクションを取る羽目になった。
 バクバクと早鐘を打つ心臓の鼓動を感じつつ、どうにか順平はソファに座り直す。それを対面で、にまにまと楽しそうに眺める夏帆。

「夏帆ッチ、た、退院したのか? ってか、来るなら来るって、一言くらい言ってからにしろよ……!」
「♪~~」

 恨めしそうな声と表情をする順平を、夏帆は口笛を吹いて素知らぬ顔でスルーする。

「なんか面白そうな話してたけどさ、結局ナニ? 路上オールとか。不良の溜まり場なんて、オススメしない場所上位だし」
「え。夏帆、行った事あるの?」

 身を乗り出したゆかりに、うん、と肯く。

「こっちに来て日が経たない頃に、不良の引ったくりに遭った人を見かけてさ。逃げた奴を追ったら、ポートアイランドの路地裏常連でしたってオチ」

 背景はこう。その時の夏帆はお使い中で、偶々現場に遭遇。考えるより先に体が動いていた。
 全力で逃げる犯人に、背後から体当たりの奇襲。盗られたバックを取り返して即座に引き返した。捕まる前に被害者と交番へ駆け込んだ記憶がある。
 お礼に諭吉を差し出された時は、首が痛くなるほど振り続けた。結局押し切られ、渡されたが。

「夏帆ッチ、ポートアイランドの路地裏って……確か、相当……ヤバいよな?」
「ああ、パッと見だけど、ヤバいもヤバい。あーゆーのって、二次元より二次元のワルって感じがする」

 胡座をかいて座る少年少女達。煙草の匂いが充満し、街灯の明かりも届かないような場所で騒ぐ彼らは、一般人ならまず寄りつかない雰囲気を醸し出していた。
 徐々に表情が堅くなる順平。話した夏帆もあの場の状況を思い出したのか、不快そうに足を組み、頬杖をつく。

  ――と、そこへ。更なる爆弾が投下された。

「なら話は早いじゃない。行ってみようか?」

 さらっとゆかりが放ったセリフに、ズダダンッ! と派手な音を立てて順平がソファごと後ろへひっくり返った。
 む、と不満そうにする彼女をよそに、夏帆はやれやれ、と腰を上げてひっくり返った順平を助け起こす。夏帆がソファを戻す間に、順平はゆかりに全力で異議を申し立てていた。

「ゆかりッチ正気!? あんなトコ行ってなんの得があるの!?」
「得も何も、そいつらに話を聞けば、少しは山岸さんに繋がる情報が手に入るんじゃない?」
「いやいや、それならもっと別の方法で調べようぜ! あそこ激ヤバだって!」
「なんで不良にびびるの。シャドウなんて常識外れのモノ相手にしてるのに」
「不良のが怖いって! バットとか、光りモンとかさぁ!?」
「どーどー、順平落ち着け。言いたい事は分かるけど腕を振り回すな。あとゆかり、見たから言える。あそこに行くのはやめた方が良い」

 ぽん、と順平の肩に手を置いて宥める。こちらが本気でペルソナ能力を行使すれば被害を被るのは向こうだが、影時間外に使用するのは最終手段だ。
 と、そこで姿を消していた桜が何やら盆を持ってキッチンから戻って来る。どうやら、2人を落ち着かせる為にホットミルクを用意していたらしい。

「2人とも、これでも飲んで落ち着いて。夏帆の分もあるよー」
「桜ッチ……!」
「気が利くじゃん。ありがとね、桜」
「ご好意に甘えて。いただきまーす」

 適当にマグカップを取り、口につける。牛乳の甘さに混じって、微かに蜂蜜の味がする。

「うん、うまい。蜂蜜の他には何か入ってる?」
「グラニュー糖をちょびっとね。甘過ぎたりしない?」

 カップを手に、それぞれが笑顔を返す。好評を貰い、桜も安堵してこくりとホットミルクを飲んだ。
 マグカップが空になって数分後。ゆかりと桜が溜まり場へ行く準備を整える間に、夏帆は順平をラウンジの隅へ呼び寄せた。

「順平、ちょっといいか」
「?」

 来い来いと手招きする彼女の方へ向かう。すると、

「おわっ!」

 近くまで来た途端、一瞬で首に腕を回された。そのせいで順平はバランスを崩しかける。顔を上げれば目と鼻の先に夏帆の顔があり、順平は思わず限界まで仰け反った。
 だが、ラウンジの隅ともなれば近くには壁がある。そこで仰け反ればどうなるかは明白だ。
 当然の帰結として、ゴン! と鈍い音を響かせた順平がうずくまる。後頭部を押さえる彼の前に、呆れ顔で夏帆はしゃがみこんだ。

「何してんだ……」
「夏帆ッチのせいだっての! オレに恨みでもあんの!?」
「いや、無い。第一恨みを持つほど、うちはあんたを知らん。つまり持ちようがない」

 けろっとした夏帆に、順平は脱力してその場にへたり込む。段々、彼女のキャラが掴めてきた気がする。

「それは兎も角。順平、溜まり場には行きたくないんだろ?」
「ああ…。だけどゆかりッチの様子じゃ、オレらまで強制連行しかねないよな……」

 だろうな、とあっさり夏帆は肯定した。ゆかりと桜はソファに座ったまま何か話しており、こちらまで目が届いていないようだ。
 夏帆は彼女達を一瞥してから顎に手を当てて考え込み、ぽん、と手を打った。にまっと笑う彼女に、順平は背筋が凍るような嫌な感覚を覚える。

「よぉーし、全員で行くかぁっ!」

 両手でメガホンを作り、わざと全員に聞こえるように大声を出す。その口を、順平が大慌てで塞いだ。……が、時既に遅し。

「うん、いいアイデア! 行こっか!」
「えぇええええ!? 夏帆ッチ、さっきゆかりッチを止めたのは何の為だよ!!」
「♪~~♪~~」
「口笛で誤魔化そうとしないっ!」

 順平の全ての魂をかけたツッコミを意に介さず、意気揚々と外へ繰り出す女性陣。その後ろを、焦った順平は早足で追いかけた。
 ……その場所の第一印象は良いものではなかった。少なくとも、溜まり場に集う少年少女の素行は一般的な学生から敬遠されるものである。

「なんちゃって」
「? 夏帆、どうかした?」
「んにゃ、何でもない。……はい、目的地周辺です。音声案内を終了します」
「いきなりカーナビ口調にならない。で、あいつらがそうなの?」

 報告会からおよそ1時間後、2年メンバーは全員で初めての溜まり場を訪れた。順平は寮の玄関を出た時点で既に腰が引けており、半ば夏帆とゆかりに引きずられる形で同行している。
 道中の光景を見ながらのんびりとついてきていた桜は時折順平からSOSを受けていたらしかった。
 元々精神がタフなのか、その度に“頑張ろう!”とガッツポーズでエールを送っているのが雰囲気で伝わってきたが。

「嫌だぁぁ……、オレッチ行きたくねえ、帰ろーぜー……」
「だーかーらー、ごちゃごちゃ言わない!」
「最悪のパターンにならないようにお祈りでもしとくか? うちらは制服だし、向こうからすれば鴨が葱背負って来た感満載だし」

 なおも駄々を捏ねる順平をゆかりは一喝。続けて夏帆が、諦めろと言いたげな視線と共に追加攻撃を加える。
 文字通りの四面楚歌、孤立無援。最近の女子はたくましさが異常だ、とほろりと涙を流す順平であった。

(……女子力(物理)とか考えてそうだな、順平)

 元の世界での動画サイトでのネタを思い浮かべる。それにしても、沈んでばかりはさすがに不憫だ。ここは安心要素の1つや2つを挙げておこう。

「こーいうのって、大概どうにかなるもんだって。メンドーな方向に突っ走らなければな」

 夏帆自身、何も無策なわけではない。保険を二重に掛ける用心さは備えている。その1つは荒垣だが、こちらは一切関与していない。2つ目が彼女の“保険”だ。

(頼みますよ、センパイ)

 *

 前日の夕食時、昼間の電話の相手を食堂で待っていた夏帆はぼんやりとテレビを見ていた。
 テーブルでは、夏帆ともう1人分のシチューが湯気を立てているが、約束の少年が現れる気配はまるでない。

「シチュー冷めかねないな……、いつになったら来るんだあの人は」

 壁の時計を見上げれば、もう2時間近く経とうとしている。何度も温めなおしていた2人分の夕食をまとめて平らげようかと思い始めた頃、少年が慌ただしく食堂に駆け込んで来た。

「ッ……、悪い、忘れてた!」
「先輩のシチューは、うちの胃に収まる事がたった今決定しました」
「俺の分ナシ!?」

 対面に座った少年が、驚きながら急いで自分の夕食を引き寄せる。謝罪もそこそこにスプーンを潜り込ませた様子に、夏帆は特大の溜め息を吐き、改めて両手を合わせた。

「後片付けお願いしますよ」
「あ、ああ。それはいいんだけどよ、訊きたい事ってなんだ?」
「そうでした、じゃあズバッと」

 スプーンを置いて正面から栂夜を見据える。夏帆の視線を受けた栂夜も、何となく居住まいを正した。

「この辺で有名な溜まり場って、どこか知ってますか?」
「溜まり場? ひょっとしてポートアイランド裏のコトか?」
「話が早くて助かります。実は、明日そこに友達と行く事になる可能性大でして」
「……馬鹿か、お前? 月高の生徒はまず近寄りもしないぞ」
「ですね。でも今回は込み入ってるんです。なんで、先輩には緊急時のセーフティになって頂きたいな、と」
「つまりは、俺をもしもの身代わりにするってか?」

 本当に話が早くて助かります、と遠慮なく夏帆は肯定した。取り繕う気もない彼女に、今度は栂夜が呆れる。

「そうか、俺の柔道有段の腕があれば、複数対俺の状況でも時間稼ぎが出来るって魂胆か」
「ついでに合気道は独学でも結構な腕でしたよね? 念には念を。頼めますか?」
「はあ……、頼めますかって、断らせる気ないだろ」

 付き合いは短い後輩。だが、いざとなったら強行策も辞さないと、栂夜は理解している。夏帆のこの相談は、彼の自分への理解を逆手に取っていた。
 それでも、後輩に頼られて悪い気のする先輩は全国でも稀だろう。そう聞いた夏帆は、してやったりと言わんばかりに微笑み、頭を下げた。
「確率で言えば、先輩が出るのは……10パーセントでしょうか。用心するに越した事ないんですがね」
「明日か。俺はどうすればいいんだ?」
「友達の寮を出る直前に、メールします。うちの指定する場所で待機してて下さい、不良からは見られない死角です」

 了解、と席を立つ栂夜。2人分の食器をシンクへ持って行こうとした彼は、テーブルから少し離れた位置でUターンし、夏帆の所へ戻って来た。

「……?」

 椅子に座る夏帆は、自然と栂夜を見上げる形になる。その頭を、彼は力任せに撫で回した。

「うわわっ、先輩ストップ、ストップですってば!」
「先に言っとくぜ。お前も短気だろうが、俺もだ。似たもん同士、類は友を呼ぶってな!」
「まったくもって意味不明です」

 栂夜の言いたい事は要領を得ず、夏帆は首を傾げるばかり。後の夏帆は語る。五十嵐栂夜という先輩を、甘く見ていた、と。
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