勧誘と苦言

「――へぇ、そんな事になったのかい」
「なったのかい……って、アレは姐さんの作戦じゃなかったんですか?」

 帰宅後、私服に着替えた夏帆は真っ直ぐに店主の自宅へ向かった。話の内容は当然、昼間の美鶴との会話。
 店の準備を手伝い、一度休憩を入れる事になったので話したのだ。すると返ってきた予想外の反応に夏帆は目を丸くした。てっきり“シャドウに襲われて”の下りはこの保護者が考えた策だと思っていたが、そうではないのか。

「なら、誰なんですか?」
「私はあんたを見つけた時、あんたが目を覚ます前に1回黒沢って警官に相談してたんだよ。この子を預かって貰えないかって」
「…………マジすか?」
「ああ、マジだよ。そしたら、わざわざあいつは総帥に何を言ったのやら。話が二転三転して、最終的に私が預かるって方向で落ち着いたんだ」

 多分その時に記憶喪失設定が付加されたんだろ、と店主は煙草を蒸かしながら頭を掻いた。

「んで結局、私は後にそれを聞かされてね。夏帆の境遇を考慮したら、それが1番良いだろうって結論に至って先日の話になったって訳さ」
「つまり、その……。総帥さんに話を通したのは……」
「学園生活に関しては私。衣食住云々は黒沢だね。暇な時にでも黒沢に挨拶しといで。少しは慣れただろ?」
「は、はい。そうします」

(黒沢さんに頭上がんないじゃんか!)

 まさか他にも協力者がいたとは。思いもよらない事態に驚き、ぺこぺこと見えもしない交番の方角へ頭を下げる。延々頭を下げる夏帆を見て、店主は何か思い出したように手を打った。

「夏帆、頭は大丈夫なのかい? 昨日は瘤が凄かったろ」
「ひとまず、昨日よりは痛みが引いているので我慢できない程じゃないんです。問題は……」

 一旦言葉を区切り、夏帆はニット帽と包帯を外す。断りを入れた店主が怪我をした部位に軽く触れると、夏帆は傷が痛むのか、ギャゥと悲鳴を上げて肩を跳ね上がらせた。

「でも良かった。話を聞いた時はもっと重傷かと思ったんだよ」
「あはは……悲鳴はスルーですか。けど、不幸中の幸いッスね。内出血とかしてないですか?」
「あんたね、それは今朝の登校前に気にする事だ。言うのが遅いよ」
「ぅぐ……、仰るとおりで」

 背後からの正論に、夏帆は反論の余地もなく、ぐうの音も出ない。黙った夏帆を気にせず、店主は湿布を交換して新しい包帯を頭部に手際良く巻いていく。

 ――ピンポーン。

「姐さん、誰か来たみたいですよ?」
「はいよ。夏帆、ちょっと待ってるんだよ」

 ぽんぽん、とまるで犬を宥めるように頭を撫でられた。初めて会った時より分かり易く過保護になっている。

「うちはワンコじゃないですよー」

 既に玄関へ消えた店主に一言残し、夏帆は不貞寝する為にソファへごろりと横になった。

 *

 それから何日か過ぎたある夜、夏帆は私服から制服に着替えてある場所に向かっていた。今では夜の街を歩く事にも慣れ、足が止まることはない。

「……ここだっけ」

 呼吸を整えてから、がちゃりと目的の扉を開ける。玄関の先に広がるラウンジでは、1人の少女が自分を待っていた。

「あ、やっと来た! みんな待ってるよ」
「ごめんね、遅れて。けど、何の話なのかな?」

 巖戸台分寮。ここに呼び出された理由は百も承知。夏帆は首を小さく傾げて、自分を待っていた少女――岳羽ゆかりに問う。ゆかりは上で話すから分かるよ、て階段を指差した。
 彼女はとにかく来い、と言わんばかりに夏帆の手を掴み、上の階へ続く階段を上っていく。
 初めて入ったS.E.E.Sの本拠地……と言うのも大袈裟かもしれないが、ゲームのグラフィックより精巧に造られた内装に夏帆の口から時折へー、ほー、なるほどなー、と言った感嘆の声が洩れる。

「そんなに驚くほどじゃないよ?」
「いやいや、びっくりするからね。壁の模様とかなにコレ、ペルシャ絨毯?」

(まさかここまで金をかけるとは……!)

「……げに恐ろしきかな、桐条の経済力」
「高野さん、着いたよ」

 興味津々で内装を見回している内に、目的の部屋へ着いたようだ。夏帆の前には両開きの扉があり、ゆかりはノックすると躊躇いなく扉を開けた。こうなれば後は自分で蒔いた種だ、自分でどうにかしなければならない。



「――つまりは、少なからず命の保証は出来ない。そういう事ですね?」
「言い方は悪くなるが、君の考えは正しい。我々は人知れずの戦いに身を置くんだ。何が起きてもおかしくはない」

 一通りの話は終わり、S.E.E.Sの部長である桐条美鶴は夏帆の問いを苦々しく表情を歪めて肯定した。やっぱりこの人は、無関係の人間を巻き込む事に抵抗感があるのか、と顎に手を当てて考える素振りを見せる。そして出した夏帆の結論は、

「申し訳ありませんが、お断りします」

 首を横に振る。何故と聞かれれば、理由はこうだ。
 痛い思いも怖い思いも、どうでもいいのだ。我慢すればいいのだから構わない。だがその結果、この世界で命を落とすかもしれない。この結末だけは嫌なのだ、御免被りたい。

(結論としては、死ぬような目に遭いたくないだけなんだが)

 彼らが自分をどう思うかは知らない。印象を悪くなる事は承知の上での返答だ。
 既にテーブルにはアルミ製のトランクが置かれており、こちらに向けて開けられたトランクの中には召喚器とS.E.E.Sと書かれた深紅の腕章が収められている。
 夏帆はそれらを一瞥した後、出された紅茶に口をつける。唇を湿らせる程度でカップを離して、ふぅと一息吐いた。

「そうすると高野君、君はシャドウと戦うのが嫌なのかい?」

 高級そうだから勿体ない、と思いつつちびちびと紅茶を味わう夏帆。そんな夏帆にあくまで冷静に問いかけてくるのは、学園の理事長でありS.E.E.Sの顧問でもある幾月修司。
 しかし、夏帆は彼の発言にほんの微かな違和感を感じた。どことなく“君は”を強調しているように聞こえたのだ。この言い方だと“他のメンバーはシャドウと戦う事を容認している”と捉えて良いのだろうか。

「普通はNOと言います。なんせ“一般人”ですから。……これだからこのオッサンは」

 なのでひねくれ者の夏帆は、お返しにわざと“一般人”を強調する。敢えて揚げ足を取るような言い方でもしなければ、ここで会話を続ける自信が無い。幾月と会話を成立させている時点で、自分を褒めたい気分だ。
 にこにこと笑う幾月と、明らかな嫌悪感を示す夏帆。その温度差のある空気を漂わせる2人の耳に、コホンと咳払いが聞こえた。

「理事長、お話の途中に申し訳ありません。高野、実は君を呼んだ理由だが、もう1つあるんだ」
「それも、先日のお話と?」

 先日の話――巖戸台分寮がマジシャンによる襲撃を受けた次の日、美鶴に呼び出されたアレだ。むむ、と夏帆の眉の皺が深くなる。個人的にはスルーして貰えると有り難かったのだが。
 他のメンバーが何の事だと僅かに身を乗り出す。

(そこまで食いつくのか、この人は)

 なんというか苦手なタイプだ。声には出さず、嘆息する。こうなればさっさと話して帰らせてもらおう。

「寮がシャドウに襲われたあの日、君はその時から覚醒していたのか?」
「ええ、そうです。時期的には3月頃にはもう」
「3月? 高野さんって、そもそもどうしてペルソナ使いになったの?」

 ゆかりの顔には、分かり易く“疑問だ”と書かれているようだった。そして、それはここにいる全員の疑問でもあるらしい。それを感じた夏帆は、ごそごそと体ごと彼女の方へ向きを変えて疑問に答える。

「街をふらふらしていたらイレギュラーに襲われて、殺されかけた。冗談抜きで結構キたよ」

 あはは、と軽く笑う。今だからこうして話せるが、あの時は堪ったモンじゃなかった。桜が高野さん眼が全然笑ってないよ、むしろ恐いよと呟いたのは聴こえなかったことにしよう。
 ついでに、それは壮絶だねぇと眼鏡が何かほざいていたが、これも綺麗ににガン無視する。

「なるほど、だから君は嫌がるのか。我々とて力になってくれれば嬉しいが、無理強いは出来ない」
「なんだ、そのくらいで怖じ気づくのか高野」

 美鶴はこちらの理由を理解したようだ。それに安堵した直後。自分の斜め前から聞こえた全く空気の読めていないセリフに、夏帆は内心ビキッと青筋を立てた。
 ついでに表情にも出ていたらしい。視界の隅にて桜とゆかりが「うわぁ……」という感じの顔をしたのが映った。

「一度くらい俺達と戦ってみないか? 人数が多ければ、その分負担も減るだろう」
「明彦、よせ」

 美鶴の真田を咎める声に紛れて、カチャリ、と無機質な音が室内に響いた。音の正体はカップとソーサーがぶつかり合って生まれた衝突音。美鶴達がカップを置いた人物に目をやれば、彼女は既に帰り支度を整えていた。

「ごちそうさまでした。用事を思い出したので帰ります」

 紅茶、美味しかったです。そう言って会釈し、退室しようと腰を上げる。

「おい待て、話は終わって――」
「どうあれ、先輩方のご希望には応えられません。回答は保留とさせていただきます」

 止めようとした真田の言葉を問答無用と言わんばかりに夏帆はぶった切る。スカートを軽くはたき、では、と残して夏帆は出て行った。
 残ったS.E.E.Sのメンバー達は、あまりにもあっさりと話を切り上げた夏帆に驚きを隠せない様子だ。

「これは困ったぞ」

 唐突な幾月の呟きに、全員の視線が集中した。当の本人はコーヒーカップを持ち上げたまま、目を細めて作戦室の扉から視線を外さない。困ったと言いつつ間延びした声といい、彼の表情はどこか嬉しそうだ。

「……あ、どうしよう」
「どしたの、桜?」

 何かを思い出したのか、桜がポンと手を打つ。ゆかりの問い掛けに桜は視線をさまよわせ

「高野さんに、助けて貰ったお礼言い損ねちゃった」
「また明日にでも言えばいいじゃない? 学校で会うし」
「そうだね」

 ゆかりの提案に納得し、桜はテーブルに残された腕章と召喚器をおもむろに手に取る。実を言えば、桜は夏帆が仲間入りを断った事はそう残念でもなかった。夏帆の言葉には、何か別のやる事がある――そんな予感がしたから。
 誰にも告げていなかったが、あの夜に寮の屋上から落下した時の記憶は残っている。
 受け止められた直後は激突しなかった安心感により意識を手放してしまったが、それでも夏帆が決死の覚悟で自分を助けてくれた事が嬉しかった。

「さて、今日はもうお開きにしようか。神路君も疲れたろう?」

 それでは、と幾月が解散の号令を出そうとしたところで、彼らは部屋の外から近付いてくる足音に気が付いた。
 バタバタと慌ただしく駆けてくるソレは、今し方帰った少女ではないだろう。ならば新たに入寮した人物としては、桜を除いて該当者は1人。

「まーたやってんの?」

 ゆかりが溜め息混じりに愚痴り、扉のノブに手を掛ける。足音が部屋の前に来た瞬間、彼女は躊躇いなく扉を開いた。
 ちなみに、ここの扉は寮内で唯一の外開きだ。当然、廊下にいる人物が被害を被る訳で……。

「あいだぁっ!?」

 顔面に扉のアタックを受けた少年の口から、悲鳴が上がる。一方で扉を開け放したゆかりはもう一度溜め息をついて、すたすたとソファに戻った。

「……順平?」
「いででで……、ん? 桜ッチ!?」

 桜の意外そうな呟きに、鼻の頭を赤くさせた少年――伊織順平は素っ頓狂な声を上げた。
 順平は鼻を押さえながら、こっちこっちと手招きする桜に従い、先程まで夏帆が座っていたソファに腰を下ろす。

「オレ、もしかして遅刻?」
「もしかしなくても、ね。もう終わっちゃったわよ」
「えぇっ!?」

 ゆかりの言葉にオーバーリアクションで驚いた後で、順平は座ったまま背後の扉を指差した。

「そーいや部屋出た時に、誰かラウンジから出てった音がしたけどよ……誰だったんだ?」
「高野さんだよ。話を聞いただけですぐに帰っちゃったんだけど」
「は、夏帆ッチ? てーことは、夏帆ッチもペルソナのお仲間?」
「彼女、初めから随分と険しい顔をしていたからねぇ。あれだと、今後勧誘しても徒労に終わりそうだろう?」

 幾月のもっともな見解に、メンバー達は各々頷く。その中で、真田がスッと挙手した。

「だけど幾月さん、あいつに口止めはしておいた方がいいんじゃないですか?」
「あ、なら私達が明日話します。桜、順平、手伝って?」

 桜と順平は互いに目配せする。その後幾月の解散を号令に彼らは、就寝前の時間を自由に使う為に部屋を出て行った。

 *

 一方その頃。巖戸台分寮を出た夏帆は、道に転がる石を蹴ってストレスを発散させていた。

「ああは言ったものの……どうすりゃいいんだか……」

 カンッ、カンッと足はせわしなく石を蹴飛ばす。1メートル転がしては蹴って、転がしては蹴っての繰り返し。アパートが見えたところで一際足を大きく引き、思いきり振り抜いた。

「それにしても、空腹がやばい……。今なら姐さんテナントにいるかな……」

 アパートに帰ったとしても、苦手な自炊で満足の行く夜食が作れるわけでもない。精々インスタントにお湯を注ぐことが限界だ。店主の元で何かありつかせてもらおうと決めて、夏帆はアパートに背を向けて走りだした。

「……で、あんたには一から料理、教えた方がいいのかい?」
「ほんほにふみはへん、ほうへふほいひいへふ。
(ほんとにすみません、オムレツ美味しいです)」
「ちゃんと飲みこんでから言いな。口の端、オムレツの欠片が付いてるよ」

 夏帆はこくこくと頷いてから、ごっきゅんと口の中に詰め込んだオムレツを飲みこむ。連絡無しで押しかけたにも関わらず、余り物の食材で作ってくれた夜食は美味だ。
 オムレツにベーコンとコーンのコンソメスープ。
 もきゅもきゅもきゅと無言かつ高速でフォークとナイフを動かす夏帆の頭からは、美鶴や幾月への苦手意識は消えていた。人間、美味しいものを食べている時は幸せなのだ。

「しっかし、夏帆も物好きだねぇ……」
「?」

 テーブルの向こうから聞こえた独り言を、夏帆の耳は聞き逃さなかった。店主は視線をこちらに向けたままコーヒーに口をつけて

「度胸がある、と言い直しておくよ。あんた、お化け屋敷とか平気かい?」
「お化け屋敷は……苦手かと訊かれればそれほどでも。ですけど、度胸があるってどういう意味スか?」

 余談ではあるが、夏帆は初めてのお化け屋敷で一騒動起こした過去を持つ。

(ただ単に、作り物のお化けを反射で破……撃退しただけなんだが)

 ビバ、黒歴史。スープ用のスプーンを上下に揺らしながら、夏帆は思い出に耽る。ほどなくして、食事を綺麗に完食した夏帆は店主に礼を言い、流し台へ食器を運ぶ。

「……んぁ?」

 夏帆の足が止まる。流し台の上に飾られた写真立てが気になったからだ。
 その写真には、桐条の研究員だった頃と思われる若い店主と一組の男女が写っていた。白衣を着た女性が写真の中央に立ち、店主と私服姿の男性が両脇に佇んでいる。

「姐さーん。この写真って何ですかー?」

 夏帆はリビングとキッチンを隔てる流し台からひょっこりと身を乗り出し、サッカーの試合を観ている店主に訊ねる。

「そいつかい? 一言でいうなら、若気の至り……かな」
「はい?」

 つい、目が点になってしまった。しかし、“若気の至り”とはどういう意味か。夏帆にはどう見ても、仲の良い3人にしか見えないのだが。
 そんな夏帆の困惑が分かるのだろうか。店主はくすりと笑みを零してから、テレビを観たまま、とつとつと語りだした。

「写真の真ん中に、緑の髪したのがいるだろ。私の記憶、殆ど風化しちまってね。明確に彼女を思い出せるのは、もうソイツしか遺ってないのさ」
「…………」
「緑の方は君嶋、隣のボサボサ頭が相沢だ。もう何年も連絡をとってないんだよ」

 店主の言い方に、夏帆は微かな引っかかりを覚えた。しかしそれは、喉に魚の小骨が刺さった程度でしかない。違和感に首を捻りながらも、今は沈黙を貫く。
 この写真が何を意味するのか、この時の夏帆には憶測しか浮かばなかった。
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