一期一会の出逢い

「――えっ…と……リボン良し、スカートのほつれ無し、ロケットも持ったし寝癖も無いっと。これなら大丈夫か」

 今日――4月6日。この世界に来て、丁度1ヶ月半が経つ。怪我もすっかり完治して、生活に支障は出なくなっていた。
 その頃には夏帆も落ち着きを取り戻し、未来の事を考えてこれ以上居候を続ける訳にいかないと言い続けた。結果、彼女は店主が紹介したアパート『安息庵』に住む事が決定した。
 店主に勉強を見て貰い、転入試験に挑んだ夏帆。数学では最初から四苦八苦した挙げ句、残り10分のところで漸く半分解答し終えるというギリギリっぷり。
 最後は数学を捨てる気持ちを全面に出し、勘で問題を解くという無茶ぶりを発揮した。
 だが、一応他の教科でカバー出来たらしい。合格すれすれのラインで無事にパスした夏帆は、店主の遠縁の親戚という設定で月光館学園に入学する決意を固めた。

 安息庵は学生もそこそこ住んでおり、1階には書斎程度の規模ではあるが様々な分野の専門書が並ぶ図書室も存在する。特殊な造り故に、割と受けは良いらしい。余談ではあるが、店主も一時期住んでいたとの本人談。
 夏帆に割り当てられたのは、2階の南側奥の部屋だった。最低限の家具しかない部屋に、大家の配慮で等身大の鏡が入れられた。それでも、殺風景には変わりない。

「…………」

 そんな部屋の中央で、早めに出なければ入学式に遅れてしまう。そう分かっていても、夏帆は鏡に映った制服姿の自分が別人のように思えて仕方なかった。

「……拾われただけ、本当に幸運、だったよな……」

 この1ヶ月半を思い出しながら、スカートのポケットに手を当てる。しゃらんと鎖の擦れる音を聞き、力の限り布ごとロケットを握り込んだ。
 もしもあの時、店主に拾われていなければ。自分の起こした粉塵爆発で大怪我する前にペルソナに目覚めなければ。間違いなく、自分は“爆発事故"で死んでいた。

「あー…ったく、凪と一緒の時みたいな図々しさと度胸はどこに行ったってんだ! しっかりしろ高野夏帆!」

 ぶんぶんと頭を振り、雑念を払う。はぁ……、と沈んだため息を零した時、無意識なのか、足下にペルソナ召喚の陣が出現した。横に現れた気配は、今はもう慣れ親しんだ存在。

「…はよ、アストライア」

 ペルソナ『アストライア』。追い込まれた夏帆を護った、ギリシャ神話の女神であり、夏帆の半身。腰まで伸びた銀髪、腰には鞘に何やら文字の刻まれた細身のサーベルを提げており、左手には黄金に輝く天秤を携える。
 彼女は滞空したまま、澄んだ金色の瞳で静かに主人を見つめていた。

「ん~~……、言いたい事は分かる。でも現実問題、これしか無いんだしさ。鬱憤はシャドウで晴らすって」

 夏帆は、ペルソナ使いとして覚醒した以上、S.E.E.Sとの邂逅は避けられないだろうと感じていた。そして……もう1つ気がかりな事があるが、今は――

「ヤバ、モノレール遅れる!」

 学校に急ぐのが、最優先なのだった。



《――まもなく、月光館学園行きが発車します。お乗りの方は……》

「ふぃーーっ、セフセフ。休み中にジョギングしてて正解だった……。これからも欠かせないや」

 滑り込みでモノレールに乗った夏帆は、軽く車内を見回して空いていた席に座る。鞄を網棚に置いた時、アナウンスの声と共にモノレールは駅構内から発車した。
 加速する世界は、すぐに構内の閉鎖的空間から姿を一変させる。車窓から見えた風景に、夏帆は感嘆の声を上げた。

「絶景……」

 眼前に広がる風景は、アストライアで飛んだ時や安息庵の自室から見たものとは比べ物にならなかった。
 すぐ下を見下ろせば、ミニチュアのように並んだ建物の間を通勤又は通学ラッシュで急ぐ人や車が行き交っている。続いて顔を上げれば、朝日に照らされた広大な海が光を反射して輝いていた。
 元の世界ではまず目にしない絶景に僅かに気分が高揚するのを感じる。やはり世界は変わろうと、自然は雄大だ。

(こっちに来てから……迷ってばっかだ、うちは)

 約1ヶ月もの間、くすぶり続けてきた自分を思い出す。スカートのポケットに手を当てれば、固い感触が伝わってくる。
 帰りたい気持ちは消えない。恐らく、これからもずっと消えないだろう。でもそれでいい、そうでないと嫌だと心のどこかで叫ぶ自分が居る。

(絶対に帰る。それまでは……)

 少しくらい、変わった経験として楽しんでみよう。うだうだ悩んでも、何も変わらないのだから。
 アナウンスが月光館学園への到着を知らせる。慌てて鞄を取って、他の生徒達に倣い外へ出る。自分が最後なのか、後から下車する人間はいない。

 ――夏帆。

 新たな学び舎を前にした夏帆の横を、ざあっ、と風が駆け抜ける。風が鳴ったのか、何か聴こえた気がして夏帆は首を傾げた。

「そこの生徒ー、門閉まるわよー」

 呆けていた夏帆の鼓膜を女性教諭の声が揺さぶった。はっとしてすぐに門を目指して走り出す。

「お早う御座います!」
「はいお早う。……て、貴方ひょっとして高野さんよね?」
「そうですが……?」

 夏帆が門を通ったところで鍵を閉めた女性教諭は、首を傾げる夏帆に笑いかけた。

「覚えてないかしら、貴方の転入試験で試験官をした教師よ。名前は鳥海って言います」
「……あ、」

 そう言われれば、と夏帆は記憶を掘り返す。数学の試験中に焦って落とした消しゴムを拾って貰った事があった。

「思い出した?」
「は、はい! すみません、あの時は緊張してて……!」
「頭下げなくてもいいのよ? 素直な態度で大変よろしい!」

(イエ、素直というより緊張しまくっているだけデス)

 内心で夏帆はぶんぶんと首を横に振る。……が、そうしたら思考が伝わる筈もない。
 今時、そういう素直な子って少なくてねー。鳥海はにこにこしながら、顔を上げた夏帆の背中を押す。夏帆は突然の衝撃によろけ、バランスを保つ為に一歩足を踏み出す。
 そのままの体制で夏帆が首だけ振り返ると、正面玄関をぴしりと指差した後に鳥海は軽く手を振って職員玄関へと去って行った。

「じゃあね高野さん。クラスを確認したら、職員室にいらっしゃい」

 じゃあね、と去り行く背中。夏帆は呆然としながらも、緊張を解してくれた鳥海を見送り、姿勢を正して感謝の意を込めた礼をするのだった。



「――……広っ」

 玄関ホールに足を踏み入れた第一感想は、それに尽きた。元の世界の学校ではホールは大した広さもなく、如何にも年代物だと自己主張する木製の下駄箱が並ぶだけだった。
 しかし、この月光館学園はまだ築10年。汚れなど無いに等しい床、磨かれた窓ガラスは燦々と降り注ぐ太陽光を暖かく迎え入れる。

(――ここで1年、か……。向こうはどうなるのかな)

 元の世界を気にしつつ下駄箱を通り過ぎ、掲示板に掲載されたクラス分け表を確認する。
 ――あった。2年生に振り分けられた夏帆の名前は、あるクラスに所属する事を示している。目を眇めて確認した自分の名前の横には

(……2―F。転入生、神路桜、高野夏帆)

 ドクンドクンと鳴る心臓の鼓動が煩い。知らず知らずの内に緊張し始めた自分を、深呼吸する事で制御する。一向に掲示板から離れようとしない夏帆を、他の生徒は怪訝そうに見ているが、夏帆自身は全く気付かないでいた。

 *

 教室へ案内する鳥海に、てくてくと夏帆はついて行く。

(落ち着け、深呼吸だ深呼吸……)

 ひっひっふー、と何か違う気のする深呼吸した後に、とにかく挨拶でテンパらない事を念頭に置いて歩を進める。ここまで緊張するのは、中学の卒業式以来だ。
 本来、夏帆はそこまで緊張しない方である。ところがつい十分前、彼女はベタ過ぎるミスをしてしまった。穴があったら潜って永眠したくなる程に。
 その証拠は、夏帆の鼻にある。目立たないよう小さくカットされた絆創膏が、鼻の頭に張られているのだ。

「高野さん、大丈夫だった?」

 隣を歩く少女が、気遣うように小声で問うてくる。視線は控えめに夏帆の鼻に向けられていて、先の出来事を思い返している事は容易に感じ取れた。

「……初っ端からマジあり得んし、ビバ黒歴史。神路さん、アレは秘密にしてください、いやホントーにお願いします」

 胸より少し高めの位置で両手を合わせ、いわゆる“お願い"のポーズを取る夏帆。転校生は前半を聞き取れなかったらしく、“?"といった表情になるが、すぐに承諾の意を示した。夏帆は彼女の優しさに感謝して、さっさと恥ずかしい黒歴史を記憶から抹消する事に決めた。

 ――言える訳がない。職員室に入ろうとした時、緊張のせいか仕切りに躓き、担任と転校生プラスその他職員の前で盛大に顔面からずっこけたなどと、口が裂けても言えない。

(阿呆過ぎる……ッ!)

 2階に上がれば、さほど時間をかけずに教室へ到着した。扉の前に来た時、学校全体にHR開始を告げるチャイムが鳴り響く。

「2人とも、身嗜みはきちんと整えてよ? 第一印象は大事。いいわね?」

 念を押すように話す鳥海。桜はリボンのズレが無いか確かめ、夏帆は制服の裾を引っ張って形を整える。転校生達を交互に見やった鳥海は、扉の取っ手に手を掛けて

「静かにしなさい、他のクラスもHR中よ!」

 スパンッ! と音がしそうな勢いで扉を開いた。

「ほら、ちゃちゃっと席に着く。……さて、今日から仲間が増えます。しかも一気に2人。――コラそこ、騒がない!」

 転校生に色めき立つ室内で、鳥海が本日3度目となる叱責を飛ばす。生徒が静かになったところで、鳥海は転校生を呼んだ。

「神路さん、高野さん、入ってらっしゃい」

 廊下で突っ立ったままの転校生に、鳥海は来い来いと手招きを繰り返す。夏帆は桜に先を譲り、今度は躓かないよう注意を払って教室に入った。
 クラスの反応は3つに分かれた。大多数の男子は夏帆達を見留めるや否や、再度うぉお、可愛いぃぞーっと騒ぎ出す。女子はいらっしゃーいと歓迎する声や、割と普通と容姿に評価を点ける生徒。

(……洗礼乙)

 クラスメート達の声を夏帆は極力気にしないように務めて桜の隣に立つ。カツカツと手早く鳥海が2人分の名前を黒板に記し、

「じゃあ、自己紹介して」
「――神路桜です。これから1年間、このクラスで学べる事を嬉しく思います。よろしくね」

 自己紹介の最後に、ふわっと自然な笑顔を見せる桜。夏帆もそれに続こうと口を開き

「――っ……?」

 突然、首筋にパチッとした刺激を感じた。真冬にドアノブに触れた瞬間、静電気が起きた時の感覚に似ている。
 しかしそれは一瞬の事だったので、さらりと流して自己紹介に移る。

「名前は高野夏帆で、現在友達募集中です。あとは……方向音痴なので、移動教室の際は誰かに案内をお願いするかもしれません。1年間お願いします」

 滞りなく自己紹介も済み、夏帆は鳥海に言われた席に着く。窓際の後部。指定された席に、夏帆は無性にツッコミを入れたくなった。
 偶然か必然か、その席は元の世界で夏帆が座っていた席と同じ位置だったのだから。

「よし、それじゃあ全員講堂に集合。間違っても、始業式で寝ちゃ駄目よ!」

 ガタガタと椅子から立つ他の生徒。最後尾にでも付いて行こうとした夏帆は、ぽんっと肩を叩かれて顔を上げた。

「高野さん、一緒に行こ?」
「…………、そうだね。分かったよ、喜んで」

 声を掛けてきたのは同じ転校生だった。誘いを断るつもりもなく、折角なので快諾した夏帆であった。

「くぁあああ……、ヒマ」

 寝るなと鳥海先生に言われていたが、敢えて言おう。無理だ!
 始業式のお決まりは校長先生の話。ゲームでは冒頭だけ聴いて、残りはカットされていたからそう長くはないだろうと思ってた。ぶっちゃけ嘗めてましたスミマセン。

※ここからは夏帆の言い訳が連なるので全て割愛します。

「――高野さん、寝ちゃうと怒られるよ」

 舟を漕ぎ始めた夏帆を、桜がツンツンとつついて起こそうと尽力する。

「……すぴーー……、だが断るぅ……」

 それでも、夏帆は気が付かず、ピクリと動いて3秒後に再び撃沈。どうしたものかと桜は悩む。けれど、数分もしない内に問題は解決した。

《――続いて、生徒代表挨拶。生徒会長、3年D組桐条美鶴さん、お願いします》

 司会の生徒の言葉が終わると、聞く者の背筋が自然と伸びるような芯の通った声が体育館に響く。
 それだけで、夏帆の眠気はどこかへ消えたらしい。ぱちりと目を開いて1つ欠伸を噛み殺した彼女は、壇上に上がる赤い髪の少女の一挙一動を静かに眼で追っていく。
 凛とした立ち振る舞い。左肩から体の前へ流された赤い髪は何重もの螺旋を描き、生徒会長が歩く度に揺れ動く。
 きりりとした目つきは威厳に満ちて、その眼は対峙した者を圧倒する光を称えていた。
 夏帆の周囲に座る生徒達が、口々に密かな会話を交わしあう。気になって声に集中すると、どうやらこの学校の母体となった存在の話をしているらしい。
 そうこうしている間に、壇上の少女は一礼した後にマイクを引き寄せて挨拶を始めた。

《生徒会長の桐条美鶴です。会長という大役を拝命するにあたり、皆さんに私の抱負をお話しします》

 折角の機会だし聴いとこう、と夏帆は身を乗り出す姿勢をとる。楽しめる事はとことん楽しむ、それが夏帆のライフワークだ。
 およそ5分程で、美鶴の挨拶は終了した。明朗快活、臨機応変、眉目秀麗。まさに生徒会長に相応しい在り方に、夏帆は全校生徒と共に惜しみない拍手を贈った。

 ――始業式が終わり、本日の日程は全て終了。夏帆は座ったまま伸びをしてから、さぁ帰るかと席を立つ。
 クラスには多数の生徒が残っており、桜の席には伊織順平、岳羽ゆかりが集まって何やら会話に花を咲かせていた。
 今からの予定は特にない。しいて言うなら、校内をぶらぶらするくらいだ。

「そんな訳で、来ました屋上~」

 15分掛けて気の向くままに歩いた結果、辿り着いたのは屋上。海の方から吹き上げられた風が、緩やかに髪を揺らして去って行く。
 春の陽気に、自然と足取りも軽くなる。危険防止に付けられたフェンスの傍まで寄ると、見晴らしは更に良くなった。

「――さて、問題はここからどうすっかなんだがな……」

 夏帆は未だに、影時間に居る羽目になってしまった事に抵抗感を感じていた。
 目を瞑れば、今でも鮮明にあの日を思い出す。
 確実に助けが来ない恐怖と、空回りする思考で死を意識した瞬間。そして直面して骨身に染みたシャドウの脅威。
 その全てを忘れようとすればするほど、足首に残った火傷の痕を見る度にそれらを思い出してしまう。

「……1つ目は、クラスメートで関係を保つ選択肢。2つ目が、ペルソナを扱える事を話して巖戸台に転居する選択肢」

 シャドウへの恐怖を思い出した所為か、背筋に悪寒が走る。意地でも意識しない為に、指を折り、声に出して自分に可能な行動を挙げていく。
 3つ目は、陰ながらに彼らを支援する選択肢。現段階において、具体策は考えていない。

「シャドウよりお化け屋敷の方が間違いなく気楽。…………あ、ダメだコレ。どれ選んでも、絶対どっかで詰むぞ」

 すぐに八方塞がりになるだろう未来を想像して重い溜め息を吐く。中途半端に知識があると介入しようか悩んでしまうので、どうすればいいか全く分からない。
 もやもやした気持ちのままベンチに仰向けに転がり、青空を見上げる。

「なんにせよ、体力トレーニングは必須かなぁ……。暫くは関わらないように様子見しますか」

 ぼんやりとした呟きを残してから、夏帆は帰宅の為に屋上を後にした。




 ――トンッ、バサバサ……。

「――わっ!? すみません!」

 帰宅途中にポロニアンモールを通り過ぎて商店街の近くまで来た時、夏帆は通行人にぶつかってバランスを崩した。
 たたらを踏むが、どうにかバランスを保つ。慌てて相手に謝罪し、落ちた物を拾う為にしゃがみ込む。
 相手が落とした物は画材だった。絵筆や絵の具があちこちに散乱し、夏帆は内心真っ青になりながらそれらを拾い集める。
 さほど時間を掛けずに集まった画材に汚れやゴミが付着していないかを確認して、持ち主に返す。

「ごめんなさい、こちらの不注意で。怪我とかは――」

 していませんか、と訊ねようとした夏帆は、相手の顔を見て言葉に詰まった。
 腰まである朱色の髪に、髪に対して映える白のカチューシャ。フリルの付いたワンピースは一般的にゴスロリと呼ばれる服。

(――え、何これフラグ? フラグなのか!?)

「これ……で、全部だと思いますけど……」
「……揃ってる」

 突然話し方がしどろもどろになった夏帆を気に留めず、相手の少女が立ち上がって再び腕に画材とスケッチブックを抱える。
 服の埃を払った彼女は、一瞬だけ夏帆に視線をやって静かに立ち去った。

(うっひゃぁーー……、今のチドリじゃんか)

 額に手を当て、嬉しさとしくじった気持ちが半分ずつ入り交じった複雑な心境で、夏帆は去りゆくゴスロリ姿の少女を見送る。

「……、できる限り主要人物には関わらないようにするつもりだったのに」

 無論これだけで未来が変わるとは考えていないが、影時間中は隠密行動に指針を固めようと考えた矢先だったので“やっちゃった感"が強かった。
 その場で数秒唸ってから、夏帆は帰路に着く道とは異なった方角に足を向けた。

 数十分後、気分を変えた夏帆がゆっくりした歩調でやって来たのは、神社だった。隣接された小さな公園にあるベンチに鞄を置き、自分も腰を下ろす。
 頭上を見上げれば、夕焼けに染まった空を数羽のカラスが横切って行く。何気ない風景を眺めていると、境内に携帯の着信音が鳴り響いた。
 自分の携帯に掛けてくる相手は、今現在では片手で数えられる程度しかいない。
 音源であるスカートのポケットに手を入れて、若草色の携帯を取り出す。画面を開いて見れば、相手は眞宵堂の店主だった。

「――もしもし?」
《夏帆。今、時間空いてるかい?》

 電話の向こうからは、何かの作業中なのか金属が軽くぶつかり合う音が聴こえる。
 何かの作業中かと不思議に思いながら用件を訊ねた。すると

《店を出す時期が早まったんだよ、暇ならちょっと手伝いをしてほしいんだ》
「あれ、元々は6月くらいでしたよね? 出店はいつになったんですか?」
《5月の頭。店の奥に住居スペースを造ろうと思ってね、丸ごと引っ越すから、荷造りを少しずつ始めるのさ》
「分かりました、じゃあ一旦帰って私服に着替えてからお邪魔します」

 納得した夏帆は、すぐに了承の意を示す。それから携帯を折り畳んでポケットにしまい、駆け足で神社から走り去った。
 そして店主の自宅で、荷造りしなければならない品の多さに夏帆が驚愕の悲鳴を上げた事は秘密だ。
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