日記

折れた先には何がある

2023/01/22 00:23
お久しぶりです。毎年、年末年始にその年書いた作品を振り返ってるから2022年もやらなきゃなーと思いつつ、気乗りしなくて先延ばしにしていたのですが…(とはいえランレムではオンライン上のエアイベントに参加して絵や小説を仕上げたり、白赤ではそれこそ久しぶりに小説を書いて「やっぱりこの二人好きだなぁ、原作6巻はたびたび一緒に行動してたり、互いを認め合ってると公然と指摘されたりしてて特に好き」と再認識したり、ファイブレでは11周年絵で自分の好きなものが描けたり、ひとつひとつ思い返すと確かに挑戦して書いてはいるのですが)。
ちょっとしたことがあって、なんだか気持ちが振り返りどころではなくなってしまったのと、今後についてもどうしようかな…となっているので、ここに書きます。
いや、前回の日記がファイブレ11周年の話で、ファンクラブがなくなってもずっと好きでいると思う、変わらず12周年も祝ってると思う…みたいな前向きな話をした後に数か月でこれって我ながらどうなのとは思いますが(笑)
ネガティブな話なので、読み飛ばすか読まずに戻るか、読むなら元気な時に…という内容です。たぶん私も後で読み返した時に心が削られるので、反転しておきます。

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さて、更新履歴の文言でも触れた通り、ちょっと思うところがあって、先週ツイッターアカウントを一旦消しました。
先に言っておくと、誰かに悪意を向けられたとか攻撃されたとかではないです。ただの価値観の違いの話です。

まず、元々の前提として、
・自分の絵や小説に納得がいかない、なかなか書き進められないことが続いていた
(上で挙げたように自分で好きな作品もあるけれど、次の作品に取りかかろうとした時に同じような表情や構図の絵しか描けない、塗りが分からない、言葉が続かない…と自分の中で思う日がここ最近多かった。いいねや感想はめちゃくちゃ嬉しいしありがたいけれど、問題の根幹は「自分の作品の一番のファンは自分!でやってきた人間が自分の作品を好きになれなくなった」という点なので自分が納得して乗り越えるしかない状態)
・サンフェスでファイブレの上映会があったが私は不参加
(以前までの日記にも書いてある通り、私は仕事柄子どもと接する機会があったり、接する相手の家族に高齢者など重症化リスクのある方がいたりして、無症状でも媒介していたら嫌なので、私はまだ旅行できない。でも、どんなに予防してもかかる時はかかるので、かかった人を責める気はない。遠出や参加できる人を責める意図も無くて、仕事での融通が利くなど行ける環境下にある人はぜひ楽しんで!というスタンス)
・今のツイッター、少し使いにくいな…と思うことが増えた
(@付きのリプライを頂いても通知されない現象が発生+アプリ未更新なので私は見ていないが閲覧数が誰にでも表示されるようになった、あたりが特に困るし嫌だ…他にも細かな不便はあった)
…というのがあります。

で、そんな中、前日まで体調が優れなかった人の当日参加の呟きを見てしまいまして。
なんか、それで心がぽっきり折れてしまったんですよね。
いやそれ完全に他人じゃん、何も関係ないじゃんと思われるかもですが「私だったら、コロナが陰性だとしてもインフルエンザの可能性とか、ただの風邪でも症状が出るなら周囲に移してしまわないか心配をかけてしまうとか、あとは風邪だとしても万が一の時の仕事上での手間とか心労とか、色々考えてしまう。でも世の中の多くはそうじゃないんだ…。近ければ行くし、楽しければ集まるんだ…」「私は遠くても元気なのにな…。私はここで何をやってんだろう…」と考えてしまって。
イベント参加者が浮かれるのも楽しそうに呟かれるのも別に構わないし「楽しそうでいいな〜」っていつもは思うんだけど、体調が怪しくても自身の楽しさを優先させて解熱剤服用して熱が下がってるなら行けると見なす感覚、(お会いしてそれなりの時間一緒にいた方々も含めて)楽しければそれで良しとしている感覚が、私の中では丸ごと全部だめになってしまった。
それで、「私がこの場にいる必要ないのでは?今は作品を満足に作れなくて呟くこともないし、作品ができたとしてもここ(ツイッター)には載せたくない…この人たちを喜ばせたくない…」と思うようになりました。
たぶんこういう時、正しくは「ごめんね、考えが合わない」でミュートやブロックを使うなり、私がもっと優しければ事前にDMで「本当に行って大丈夫?」と言葉を尽くすなり、方法はいくつかあるんだろうなーとは思いました…が、私は変に波風を立てるよりは自分がさくっと消えたいタイプなので、自分が消えるほうを選びました。
自浄作用といっても、言葉選びや感情に相当気を付けないと私が攻撃側になりかねないし、心が折れた状態でそこまで気を配る余裕はないので…。この文章も憤りか失望か分からないものをなんとか説明しようと書いているので、ツイッターのような公の場に表明したり意見の違う相手と話したりするなら、もっと冷静にならないといけないよなぁ…手間だからそこまで私の心を砕いてやりたくはないな…といううんざり感のほうが今は強いです。
だから本当に、客観的に見れば「ちょっとしたこと」で、ただの価値観の問題で、慎重すぎる私から見れば誠意に欠けた言動だけど、たぶん相手側とは誠意や倫理観の形が違うね、ってだけの話なんですよね。私の中の価値観では「前日まで体調不良で熱があるなら解熱剤で下げたとしてもアウトでしょ、そりゃ入場時の検温は通過できるかもしれないけど」と判断して誠実さや倫理観に結びつけがちだけど、当事者を含めた多くの人にとっては別に問題だとも思ってない、本当に些細で「ちょっとしたこと」で、誠実さや倫理観に結びつくとは思ってもいないんだろうなぁ、と。
それで、前々から自分の中で創作が不調気味だったところに、偶然その出来事があって最後のひと押しになってしまったという…。

一応そうなる直前、これではまずい、ネガティブに引きずられるぞ!と思って、留守番組として楽しく過ごすためにその時間には絵を描いていようかなとか、当日のわくわくした空気に感化されて、普段は人見知りであまりしないけどその日は作業通話に踏み出してみようかなとか、自分なりに自分の機嫌をとることも試みてみたのですが…いざスケッチブックを前にすると、何も描けなくなって、あ、もう無理だなと。
あと、公式からも何か新情報あるかな(T-FANが始まった時に留守番組にもその情報が出されて爆弾落とされたみたいに)…と思って見ていた面もあるけれど、そういった動きも特になかったので、じゃあ少し不便だけどたまに公式サイトを確認しに行くのでもいいかな、と思ったのもあります。

今回の話に全然関係ないフォロワーさんも当然いるし、大好きなフォロワーさんとのやり取りが消えてしまうのは寂しい(し、そこが唯一の引き止めポイントというか、今もアカウントを戻すかどうかそこで一番迷ってる)けれど、復活可能期間が30日あるので消してから迷おう…とも思ったり。
現に一週間経ってもまだ少し迷ってて、ここにつらつら考えを書いているわけですが。時々ふと「やっぱり私が消える必要なくない?」と思い直したり、だけど一方では「行く先がイベントではなく学校や職場でも、その人は同じ行動をしたの?」と再び怒りが湧いてきたり、その後「…いや、やめよう。作品を載せるのは当サイトでもできるし、最悪の場合ネット上に載せなくてもいいし」と考えたり…我ながらまだ気持ちが不安定だな、と思っています(笑)凛とした人になりたい。
なんだかこの調子だと、30日って長いようであっという間な予感がしますね。


ここからは今後の話になるので、反転なしで普通に書きますね。
もうすぐ最推しのノノハ誕、4月には主人公のカイト誕があるので、それまでには何か描けるように気持ちが元気になって何か作品を作れればいいなーと思う一方、本当にそうできるかも分からないのが現状です。
ここまで書いといてアレだけど、シンプルに仕事がある!日常生活もある!創作に向ける時間があまりない!(笑)
それこそ去年、余裕が無かった時には当サイトのトップページにも「更新停止中」の文言を載せましたが、それをまた書くべきか…しかしノノハ誕やカイト誕には気持ちが復活してまたすぐ更新できてるかも…いや分からないけど…と地味に迷いながら自分の心の調子を観察しています。
2023年どうなるんだろう。もういっそのこと、丸一年何も書かない期間を作ればそのうち書きたくなるんじゃない!?という暴挙も頭の隅には置いていますが、まぁ細く長く、原作を好きでいられたらいいなと思います。

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