Phi-Brain

奇跡の夜を君と共に

今晩、お月見でもしようか。
ノノハがそんな突然の誘いを受けたのは、1月31日に入ってからだった。
最初に言い出したのは彼女の幼馴染みでよく一緒にいるカイトで、その時はノノハも「カイトがわざわざ言うなんて珍しいな」程度にしか思っていなかった。しかし登校した時に通りがかったキュービックからも招待状をもらい、アナからも擬音語・擬態語たっぷりで誘われ、さらに昼休みにはギャモンからも同じことを言われて、ノノハはさすがに首を傾げた。
放課後になると、遊びに来たらしいルークとフリーセルが同じ用件を告げて…その時点ではもうノノハもその内容には慣れて驚かなくなっていたが、そのお月見はてっきり天才テラスで実施するものだと思っていたのに当たり前のように連れ出された。外で待ち構えていたティルトローター機にはビショップだけでなくソウジやエレナもいて、乗り込むのはカイトたちも一緒だったのでノノハも警戒心は抱かなかったけれど、そのまま皆でやって来たのがここ…愚者のパズルだった。

「いくらお月見だからって愚者のパズルに来なくてもいいでしょ…!?」
「仕方ねぇだろ、√学園じゃ天気が悪くて見えないかもしれねぇし」
「現在の√学園上空の雲の量、90%」

カイトの言い分に根拠を持たせるかのように、イワシミズ君が天気予報を告げる。他の皆も愚者のパズルにはすっかり慣れたらしく、何の違和感も持たずティータイムの準備を始めていた。こうなったらもう誰も言うことを聞いてくれないのを察して、ノノハは溜め息をついた。

「でもどうして突然…」
「アナが思うにー、今夜は特別な日!」

ノノハの呟きに、アナはテーブルクロスを広げながら明朗な声で答える。以前は愚者のパズルの中にバーベキューセットを持ち込んだくらいだ、折り畳み式のテーブルくらい持ち込むのは彼らには容易いことだった。
アナの横ではキュービックがしゃがみこんで、イワシミズ君の設定を変えるべく作業しながら言葉を繋ぐ。

「そう、今日は特別な天体ショーがあるからね。『スーパーブルーブラッドムーン』さ」
「何それ?」

まるで必殺技のように長くて噛みそうな名前だ。ノノハが疑問符を浮かべると、フリーセルがにこりと笑ってノノハに歩み寄る。

「月が地球に最も近付いて大きく見えるのが『スーパームーン』だよ」

言いながら、フリーセルはまるで自分が月になったみたいにノノハの周りを歩いて楕円軌道を描いた。フリーセルが彼女の正面で立ち止まる時、その距離は最も近くなる。
そんなフリーセルにギャモンが気付き、自分も負けじとノノハに向かって歩み寄る。

「普通、満月は一ヶ月に一回だが、それが一ヶ月に二回見られるのが『ブルームーン』って奴だ。別に青くねぇけどな」

自信ありげに説明を繰り広げたギャモンの独特のイントネーションに、ノノハの視線がフリーセルからそちらへと移る。ギャモンはもう一歩踏み出そうとしたが、反対方向からそれより早く次の説明がされる。

「皆既月食で月が赤く見えるのが『ブラッドムーン』。月は太陽の光を受けて輝いているように見えるからね、地球の影に隠れたら光の届き方も変わるんだ」

これは僕の担当だとでもいうように話すのはルーク。彼は近付きこそしないものの、その視線はまっすぐノノハに向けられている。そしてその隣から、ルークの出題したリトゥンパズルを手に持ったカイトが声を上げる。

「それらが全部いっぺんに見れるってことだよ、今夜は」
「う、うーん…?」

そう言われても正直ピンと来ない。それぞれの名称と特徴を覚えるくらいノノハの記憶力なら容易いことだが、すべての条件を一度にクリアするとなると、ノノハにとってはまるで論理パズルを解くみたいで、どんな月になるのか見当もつかない。
戸惑うノノハに、アナがダンスでもするみたいに大きな身振り手振りでぴょこぴょこと寄ってくる。

「大きくてー、真ん丸でー、でもちょっとずつ欠けてー、赤くなってー、それから元に戻っていくの!」
「とにかく見れば分かるよ。イワシミズ君も望遠鏡モードにしたしね」
「準備完了」

イワシミズ君を弄っていたキュービックも立ち上がり、さらりとノノハに声をかける。ノノハは尚も理解できていなさそうな顔をしていて、そこへカイトが呆れた視線を向けた。
ソウジはそんな彼らを見て、宥めるように笑って言う。

「まぁ、珍しいものだから見ておいて損はしないんじゃないかな」
「寒くないようにお茶の用意もありますよ」
「夜に甘いものなんて美容の敵だけど、今回は特別よ?」

こちらもいつの間に持ってきていたのか、ビショップがポットから湯を注いで紅茶を淹れる準備をする。その横でエレナも皿にスイーツを並べながら、ノノハに向けてぱちりとウインクをした。
POG主催のお茶会の様相を呈する光景にノノハが感心していると、それまで親友とパズルをしていたPOGのトップが静かにそこへ歩み寄ってきた。ビショップから紅茶を受け取り、時計を確認すると、合図のように告げる。

「さぁ、もうすぐ時間だ」

その声にカイトもパズルを解く手を止め、ノノハの隣まで来た。
そして、皆で夜空を見上げる。



そこには、明るく輝く満月。
それを、影がじわりじわりと侵食していく。
最初は肉眼では分かりにくく、なんとなく欠けた気がするくらいで、イワシミズ君に搭載された望遠鏡の映像をモニターで確認してようやく納得する程度。思わずギャモンが「おい、こんなもんか?」と疑念を抱き、それに対してキュービックが「これからだよ!今始まったばかり!」と抗議の声を上げたほどだ。
しかし時間が経つにつれて、月の欠けは徐々に大きくなっていく。パズルタイムとティータイムを挟みながらのんびりと待っている間に月は部分月食に入り、そうなれば肉眼でも欠けているのが認識できる。それに伴い月の光量も落ちて、白く光っていたはずの月は気が付けば赤黒く変わっていた。

…そして、皆既月食。欠けたはずの月は本当は形を変えておらず、ただ赤い満月としてそこにあった。

「すごい…」
「あぁ、そうだな」

思わず零れ出たノノハの感想を、隣に並んで立つカイトが肯定した。
続いて彼女の近くにいたフリーセルも、ぽつりぽつりと感想を述べる。

「一晩の、それも数時間のうちに月がこんなに変わるとはね。昔の人が不吉な予兆だと思うのも無理ないよ」
「でも、月は丸いままなんだな。欠けたように見えても影になっていただけ」
「そうだね。変わっているのは月と太陽と地球の位置関係、それだけだ」

アナのシンプルな言葉にルークが答える。それを聞いて、エレナが感嘆の溜め息を漏らした。

「そう聞くとなんだか、地球が動いてるって実感するわね…」
「…なんかそれ、俺様の称号っぽいな」
「ギャモンは何もしてないけどね」
「うるせー黙ってろキュー太郎!」
「ギャモン、煩い。ギャモン、煩い」

キュービックとイワシミズ君が揃ってギャモンにツッコミを入れるのを見て、ソウジが軽やかに笑う。つられてノノハも笑えば、楽しさはすぐに皆に伝染していく。
そうしてしばらくの間、全員で月を見ていた。夜空を見上げて、それに飽きたらイワシミズ君の画面に映る月を見て。疲れたら紅茶とスイーツで休憩して、それからもう一度見ると赤銅色の月はやっぱり幻想的で「もう少し見ていよう」という気を起こさせる。ここが愚者のパズルの中だということも忘れるくらい、月食は神秘的なものだった。



やがて皆既月食が終わりの時刻を迎え、先程とは逆側が部分月食として欠け始めた頃、ノノハは満足げに皆へ声をかけた。

「それじゃあ夜も遅いし、帰ろっか!」

明日も平日でそれぞれの予定があるだろうし、と気遣ったはずの言葉だったが、そこにいる全員が意外そうにノノハを見た。嫌な予感がする。

「え、帰らないの…?」
「夜はこれからだろ」

至極当然といった様子で答えるカイトに、ノノハはくらりと目眩を覚えた。天体ショーはもう終盤に入っているというのに、このパズルバカは人間らしい生活に戻る気がないのか。
しかしノノハの思いとは裏腹に、ルークとギャモンもカイトに同調する。

「だってせっかく集まったのにこれだけじゃあ、ねぇ?」
「あぁ。とりあえず時間までパズルでもするか」
「それいいな!早速作ってくれよ!」
「えぇーっ!?夜中なのに、愚者のパズルの中なのに!?」
「ノノハ、一人で帰ろうとすんなよ。変なところ押せば罠が発動するからな」

カイトは既に気持ちをパズルに向けながら、思い出したようにノノハへ忠告を投げた。一方のノノハはその物騒な内容に思わず身を固くする。愚者のパズルとは聞いていたが、きっちり罠まで用意されているなんて聞いていない。

「ちょっとルーク君ビショップさん!?罠って何!?スイッチとか切ってないの!?」
「ご安心を。命までは奪いませんので」

ビショップはいつも通りの丁寧な物腰だったが、遠回しに罠があることを示されてノノハの笑顔は引きつった。そんな彼女の肩を優しく叩いて、フリーセルがにこやかに告げる。

「今夜は夜更かしコースだね」
「そんなぁ…」

先程までの感動はどこへやら、落胆してその場にへたり込むノノハ。それを見て、アップルジュースを飲んでいたソウジが彼女に同情しながら言う。

「ふふ。皆、君を帰したくないんだよ」

その言葉に、アナも朗らかな笑顔でうんうんと頷いた。

「もう少しの辛抱なんだな♪」
「…どういうこと?」
「鈍いわねー、もうすぐあなたの特別な日でしょ」
「もうすぐ…?」

エレナの言葉を反芻して、ノノハはあっと声を上げた。
もうすぐ日付が変わる。ノノハの、特別な日――。

「気付いたみたいだね」

パズルの鍵に気付いたソルヴァーを見守るような穏やかさで、ソウジが柔らかく微笑む。彼の一言を聞いて、パズルに夢中になっていたはずのカイトやギャモンもちらりと顔を上げた。
珍しい天体ショーが気になるのも嘘じゃないけれど、彼らの本当の目的はこっちで。平日だから学校で会った時にお祝いしてもいいし、ルークやフリーセルだって気軽に√学園へ遊びに来てもよかったけれど。それでも偶然彼女の誕生日の直前に皆既月食があって、それを彼女と一緒に見れるのならば、そのまま一緒に過ごして真っ先にお祝いしたいと思うのは彼らにとって当然のことだった。

「だからって、こんな大がかりにしなくても…」
「仕方ないよ。皆、その瞬間を君といたいんだから」

戸惑うノノハを立ち上がらせながら、フリーセルが優しく告げる。そのまま辺りを見回せば、にこにこと嬉しそうなアナ、仕方ないなぁといった表情のキュービックとエレナ、凛々しい佇まいでノノハを見つめるルークとビショップ、どこか照れくさそうなギャモン、そして快活な笑顔を向けるカイト。
言葉に出さなくても全員、ノノハが誕生日を迎える瞬間を楽しみに待っていた。

「本当は月くらい、僕の発明があれば√学園からでも中継で見れるんだけどね!」
「素直じゃねぇなぁ。発明があっても使わねぇのは、結局のところノノハと一緒に見てぇからだろ?」

どこか上から目線のキュービックにギャモンが鋭い指摘を投げると、キュービックは途端に頬を上気させて反論する。

「なっ!それはギャモンでしょ!」
「んあっ!?いやいや、おおお俺は別にそんなんじゃ…」
「じゃあ帰れ。お前なら罠があっても平気だろ」
「誰が帰るかバカイト!」

口を挟んできたカイトにギャモンが噛み付いて、あっという間にいつもの天才テラスの雰囲気だ。ノノハもいつも通り彼らを止めようと一歩踏み出すが、フリーセルが彼女をやんわりと制止して、一言。

「ノノハ、月が綺麗だね」
「あっフリーセルずるい!抜け駆け!」

ルークがフリーセルを咎めている隙に、今度はアナが両手を伸ばしてノノハに飛びつく。

「ノノハだいすきー!」
「きゃっ!?」

驚いたノノハの声にカイトがぎょっとした表情でアナを見たが、時既に遅し。ノノハを抱きしめるアナをなんとか引き剥がすべく、カイトが二人の間に割って入ろうとし、フリーセルはノノハの肩を抱き寄せ、ルークがそれを邪魔するようにノノハの腕を引き、ギャモンは彼女に触れないまでも大声で抗議し、キュービックはそんな皆の中でもみくちゃになる。
残されたPOGの三人とイワシミズ君もこの騒動に積極的には入っていかないものの、ファイ・ブレインの子どもたちの生き生きとした笑顔と、その中心にいる少女のくるくる変わる表情を微笑ましく見守っている。

「まったく、全員レディーに対する扱いがなってないんだから!ノノハがいちばん困ってるでしょうが」
「もっとも、この賑やかさが彼ららしいですけどね。ルーク様も楽しそうで何よりです」
「ははっ。人気者だねぇ、ノノハ君」
「日付が変わるまで、カウントダウン、スタート」

イワシミズ君が正確に時を告げる。まだまだこの喧騒は止みそうにないが、きっと彼の刻む数字がゼロになった瞬間、賑やかな声は一つにまとまって響くだろう。楽しそうな少年少女の姿を、月は次第にその光を増しながら優しく照らしていた。



「ノノハ、ハッピーバースデー!」



fin.

(偶然にも前日の夜(2月1日になる夜)がスーパーブルーブラッドムーンだったので、全力で便乗。カイノノもギャノノもフリノノもルクノノも好きだ!アナやキューちゃんやエレナもノノハを慕っていたらもっと良い!)

2018/02/01 公開
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