BO-BOBO

モラトリアム

退屈だ。今日も空は青く晴れ渡っている。俺は教室の中で大勢のかかし共と無意味な授業を受けて、でもいちいち退屈だ無意味だと反発するのも面倒だから、こちらに指図してこないうちはお前ら勝手にどうぞ、俺も構わないからという体で、一番後ろの席に座ってただ聞き流す。面白いことも何も起こらない、ウザいくらいに退屈な時間だ。
先公だというかかしは、教科書に既に書いてある内容をなぞって、時折背を向けては黒板に字を書きつけている。それを黙って聞いてノートに写す周りの生徒も、皆一様なかかし共。授業に参加する気はないが一応開いた教科書には帝国の歴史が載っていて、今からおよそ百年前、ツル・ツルリーナ三世が帝国を統一した旨がほんの数行記されていた。この皇帝がコールドスリープ計画によって百年の時を超越し、その間は一瞬だけ四世が皇帝の座についたが、現在は三世が再び頂点にいるというのだから、かかし共は今度のテストの引っ掛け問題だとか、学生泣かせだとか話している。けれど、それすら俺には退屈で、ウザったいだけで、はっきり言ってどうでもいい。
ここにいるかかし共は何も知らない。
たった数行の文、単語。過去に何か重要なことが起きただけ。人名も地名も年号も、その程度の認識でしかない。そういう名前の偉い人がいて、そういう名前の場所で何か事件があって、そういう大変な時代だっただけ。近いうちにテストで出るから仕方なく覚えるだけで、たぶん奴らにはそれ以上何の実感も湧いていない。
私立ラーメン高校、将来は帝国でケガリーメンとして働く奴らが通う学校。世間から見ればエリートだ、いわば未来の国家公務員で安泰だと言われるが、そんなのは帝国のプロパガンダを信じ込んで勝ち馬に乗りたい奴の言い分だ。俺には何の価値もないが、そのことに価値を見出しているはずのかかし共でさえ、実感が伴わないままのうのうと過ごしている。だからお前らはかかしなんだ、空っぽで何も知らない。
少なくとも、アカデミーにいた頃はもっと張り合いがあった。そこだって帝国の幹部候補を育成する場で、ほとんどの奴は弱くて空っぽなかかし共だったことに違いはないけれど、一部例外もあった。必修指定科目では真拳を扱うのに必要な素養を身に付け、戦闘が常に身近にあり、時々は俺の予想を上回ることも起こった。…まあ、その主な原因となった奴はあれはあれで面倒で、いくら邪険に扱おうが笑顔で纏わりついてきて手に負えない悪夢のようでもあったが。それでも、こんな場で呑気に時間を潰すだけの座学よりも、よっぽど現実に即していた。
…今、ここに集まっているかかし共は本当に何も知らない。帝国がどうやって国を治めようとしているのか、三世が何を考えて次に何を仕掛ける気なのか。かかし共にはどこか他人事で、下手したら戦闘が身近にあることすら、ニュースで見聞きしていたとしても実感は伴っていない。お前ら卒業したらケガリーメンになるんだろ、そうしたら帝国では下っ端だ、任務の最前線に投げ込まれるんだぞ。従わない一般市民への毛狩り程度なら楽だが、最悪の場合、真拳や殺法を持った反乱軍を制圧することだってある。その時になってようやく気付くのか?そこの黒板に書いてある「侵攻」の文字、その意味が分かるのか?
俺が真拳を一度使っただけで怯えるような弱い奴らが、こんな勉強だけで真拳使いを相手にできるのか?仮に真拳使いではなく下っ端同士、敵部隊のザコを相手にするとして、自分と同じような姿形をした敵を撃てるのか?お前らはそのための勉強をしているんだよな、学生泣かせの暗記項目は現実と地続きなんだよ、いい加減学習しろよ。
…なんて、声高に煽って主張する気はないけれど。所詮はかかし共だ、誰が犠牲になったって同じ。俺の目からは区別がつかないように、歴史の中で区別はつけられず、十把一絡げに「市民」だとか「帝国側」だとか名付けられて、ほとんどの場合は個人の生死すら歴史には何も関与せずに、何日も何か月も下手したら何年も続く緊張の日々がたった一行でまとめられて、それで終わりだ。それがかかし共の生き方だ。
ならばと奮起して勝ち上がっていく奴もいるのだろうが、それだって俺にしてみれば所詮かかしだ。帝国という枠組みに縋っている時点で皆同じ。何者かになろうとして、何者でもないまま一生を終える。教科書にはせいぜい一行載るかどうか程度。
そんな将来の道筋が分かりきっているから、俺はアカデミー卒業後、幹部候補の座を自ら蹴った。正義や反抗心からではなく、単純に興味がなかったのだ。この世は強さがあれば渡っていけるもの。あまりにも単純な構造だ。過ごしているだけで周囲は勝手に持ち上げて、反対意見は力で捻じ伏せて、面白いことも何もなく過ぎていく。さすがにこの世を舐めすぎだ、人生はそんなに甘くないんだと言われようが、それはかかし共の理屈だ。そう言ってくる奴に限って、皆似たような人生しか歩んでいない。俺は違う、俺とは何もかもが違う。
それでも俺の前にレールは敷かれたまま、帝国のケガリーメンへの道が決まっているこの高校へと入学させられている。アカデミーで力の扱い方を習得済みな分、下っ端のケガリーメンからの出発でもどうせすぐに幹部候補まで上がってくると思われているのだろう。三世に言われるがまま指示する大人を忌々しく思いながら、それでも在学中はわざわざ歯向かうのも面倒だから放っておいている。裏を返せば俺の強さは認められているのだから、悪い気はしない。興味もないけれど。
黒板に何かを書きつける音が止まる。退屈な授業が終わって、また別の退屈な授業が始まる。窓の外を眺めても、青い空は変わらず晴れ渡ったまま。
戦闘、反乱、制圧、プロパガンダ。日々どこかで何かが起こっているという世界は、俺の周囲ではまだ何も変わっていない。変えようとする奴もいない。皆一様に、直近のテストばかりに気を取られている。アカデミーの頃にさんざん纏わりついてきた黄色を再び思い出してしまったが、お前はお呼びじゃないと即座に脳内から消した。卒業してそれっきり、今頃彼女がどうしているかなんて知らないし、今更知る必要もない。
ウザいほど退屈な日々。面白くも何ともない世の中を変える奴は、まだ現れない。



fin.

(私は普段ランレムばかり書いてますが、今回の話はナメ郎のほうが近いだろうなと思って、書くにあたって真説を読み返しました。
…話が進むにつれてナメ郎の立場や後から出てくる情報がどんどん更新されて、大真面目に設定を整理しようとすると分からなくなるな!?(笑)と思ったので、以下ちょっと長くなりますが、大人になった今読み返してみて考えたことを書いておきます。

まず、ナメ郎自身にとっては帝国周りの事情は当初あまり興味がなくて、だからアカデミーを卒業してもすぐに幹部になる道を蹴って、けれど大人たちの思惑で(本来は力があるから)幹部でなくてもケガリーメンとして育成し実力で上がってくる道を敷かれたのかな…と思いました。
その途中で自分より強いボーボボに出会ったものだから、自分より強い奴は気に食わない→ボーボボを倒すことを目的にする→それには強い力を得る道、ボーボボと敵対する道を選ぶことも辞さない(3巻頃まで一緒に行動はしたものの、それはいつでも倒せるように狙うためで、もともと仲間という立ち位置にこだわってはいなかった)、という流れで結局三世側についてしまったのかなぁと。帝国や三世の思想に共感して染まったからではなく、より強い力を手に入れてボーボボを倒すためには帝国側にいたほうが最短ルートだった、みたいな…。
なんかそう考えると、戦いの最後に三世は絶対悪として描かれて、ナメ郎は更生の余地ありとして描かれたのが、腑に落ちるというか…子どもだからとか未来があるからとかではなく、ナメ郎は本質的には絶対悪ではないんだろうなと思いました。強い力を持ってるけど思想まで悪ではないというか、世界を憎んだり滅ぼしたり掌握したりすることには興味がないというか…。ただ純粋にボーボボを倒すことにこだわった結果、最後に向けて敵対していっただけで、それは強い力の使い方を間違えたという意味では悪いことだけど、何かに執着できるようになったという点では成長なのかも、みたいな。1巻のかかし眼の頃と比べたら、世界の広さや自分より強い者がまだまだ大勢いることを知って、かなり人間的に成長してますよね。

あと、私の中でランレムは「もしランバダが一人だったら、強い力に魅入られて戦闘を追い求めるだけだったけれど、隣にレムがいてくれたから『大切な人を守る』ことを知った」みたいな認識でいるのですが(我ながらだいぶ理想を詰め込んだ拡大解釈ですね!)、ナメ郎もあの最後の時にポコミが手を引いてくれたから世界を憎まずに済んだのかな…みたいな気持ちでいます。「できるよ、全然」って言ったあの場面がすごく好きなんですよ。ナメ郎にとってのポコミも心の支えというか、「一方的にまとわりついてきてウザいだけ(強さは認めているのでかかしに見えない)→強さは充分で共に並び立てる存在(ポコミを帝国側に誘った頃)→真拳の強さとは別に心がまっすぐで強い、帝国側につくかつかないか以外の生き方ができることを教えてくれた(原作ラストシーン)」みたいに認識が変わっていったのかなーとナメポコに夢を見ています。)

2022/10/21 公開
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