Phi-Brain

憧れていた日常

テレビ局近くのゲームセンター。特別欲しい景品があるわけでもなく、心惹かれるゲームがあるわけでもない。けれど、私は最近よくここに来る。
…正確には「逃げ込んで来る」のほうが正しいかしら。
芸能界なんて見た目は華やかだけど、実際の仕事は酷なものや自分の意に沿わないことも多い。それでも選り好みしないで頑張る?…そんな嫌々やった仕事で本当の私を見せることなんか、できるわけないじゃない。

はぁ、とため息が零れる。
帽子を深くかぶって変装してきたから、私が姫川エレナだと一般人にバレることはない。だけどおそらく全員、アイドルとしての「姫川エレナ」は知っているだろう。
私は、彼らのことを何も知らないのに。そして彼らも誰一人として、本当の私を知ろうとしないのに。
…もう考えるのも嫌になって、ちょうど後ろにあったUFOキャッチャーの台に思い切り寄りかかった、その瞬間。

「あぁーっ!?」

まるでこの世の終わりみたいな叫び声が背後から聞こえた。
気になって回り込んでみれば、真っ赤な髪に真っ黒なジャケット、見るからに絡まれたくないタイプの男が何も掴んでいないキャッチャーの先を眺めている。…ちなみに景品は、可愛らしいうさぎのマスコット。彼の怖そうな見た目とはどう考えても不釣り合い。

「気持ち悪っ…」
「あ゙ぁ!?」

ギロリ、と効果音でも付けられそうな勢いでこっちを見る男。やば、つい漏れ出た独り言が聞こえてた!?
威嚇するような視線と声に一瞬怯むけれど、こっちだって悪気があったわけではない。景品を落としたのは事故でもっとしっかり捕まえておけばよかっただけの話だし、奇抜な見た目や行動をしていたらそれに対して何か言われるのも自業自得。そんな世界の中で、それでも成功したければ覚悟を持って出る杭になるしかない。
少なくとも私は、そうやって今まで生きてきた。こんなことでいちいち叫んだり絡んだりするほど、お気楽ではいられないのだ。それなのに目の前の男はなんて器が小さいのかしら。

「その程度の景品も取れないなんて、本当に哀れよね」

アイドル活動の鬱憤を晴らすように言い放った言葉は、奇しくも「パズルキングダム」の時のように相手を挑発する響きを持った。何を言われたのか分かっていないような唖然とした表情は、意味を理解した次の瞬間、みるみる豹変する。

「テメー、何様のつもりだぁ!?だいたいテメーが勢いよく揺らしたせいで取れなかったんだろうが!」
「何よ、ただ寄りかかっただけじゃない。自分の力不足を人のせいにするなんて男として最低ね」
「そっちこそ人のせいにしてんだろうが!二百円、払ってもらうからな」
「え、二百円?」
「そうだよ、さっきテメーが揺らして無駄にしたぶん!」

そう言って、彼は左の手のひらを突き出してくる。
…あぁもう、何なのこの無礼な男は!普通、UFOキャッチャーくらい「別にいいですよ、また挑戦しますから」で済むでしょう!?二百円くらいすぐ出せるけれど、この男に払うのはどうも納得いかない。さりげなく周りを見渡すと…あった、あれなら絶対私に勝ち目がある。

「それなら、あのパズルゲームで決着を付けるっていうのはどう?負けたほうがさっきのUFOキャッチャーとパズルゲームの代金を支払うの」
「あぁ?何でそんな二度手間…」
「あら、怖いのかしら?」

最近の仕事でよく使う妖艶な笑みで再度挑発すれば、予想通り彼は提案に乗った。私が誰かも知らないで、本当に哀れで間抜けよね。

姫川エレナの「アイドル」以外の肩書き。
それは「アントワネット」。

これは一部の人にしか知られていない二つ名だけど、同時に優秀な頭脳を持っている証でもある。そんな私にパズルゲームで勝とうだなんて、無鉄砲もいいところ。特別に名前くらいは聞いてあげようかしら。

「…ちなみにあなた、名前は?」
「何だよ突然」
「いいから教えなさいよ」
「仕方ねぇな…俺様はガリレオの称号を持つ天才、逆之上ギャ」
「ガリレオの称号!?」
「最後まで言わせろよ!」

まさか、そんなまさか。こんな最低でバカみたいな男が、称号持ちだなんて。
その称号はどこから与えられたものなのか…私が把握していないだけで私と同じPOGに所属する人間か、それともパズルワールドカップアジア予選第八位のパズル王のように誰かが勝手に言い始めたものなのか、それは分からないけれど「ガリレオ」という偉人をモチーフにしているあたり相当頭は切れるほうだろう。
動揺を表に出さないように抑えていると、ふいに向こうが口を開いた。

「で、そっちは何なんだよ。俺様だけ教えてそっちは黙秘権行使なんて許さねぇからな」
「あら、素直に『どこかで見たことがあるような…』とでも言ったら?」
「あ?知らねぇな」

彼はまるで興味が無いように言い放つ。他の人に見られて騒がれないように気を付けながら帽子を取っても、その反応が変わることはなく。
…もしかしてこの人、本当に「姫川エレナ」を知らない?

「…それで、結局誰なんだよ?」

周りに騒がれる危険を冒してまで正体を見せてやったというのに、彼は相変わらず本当に失礼な奴…だけど。

「…私は、アントワネットよ。悪いけど勝たせてもらうわ、ガリレオ」
「へぇ、称号持ちか。だが俺様に勝てる奴なんかいねぇよ、アントワネット」

…だけど、心の奥ではこんな関係を望んでいたのかもしれない。
私についてほとんど知らない人と、アイドルとか芸能界とか一切関係なく、普通にパズルで対戦する。それは新鮮な出来事で、どんな仕事よりも楽しんでいる私がいた。



fin.

2011/01/20 公開
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