BO-BOBO

眠り姫

部屋の戸を開けて、代わり映えのない光景に溜め息をついた。

「コイツ、まだ寝てんのかよ…」

飲まず食わずで眠り続けてもう半日以上。普通の人間ならばいくら疲れていても腹が減って起きるか、どうしても起きなければ何らかの病気を疑うところだろう。だが彼女の場合は原因がはっきりしている。病気などではなく彼女の持つ真拳の影響、副作用みたいなもので、それゆえ仲間たちは皆さほど心配していない。ただあまりにも寝過ぎることに呆れるだけだ。
部屋の戸を後ろ手に閉めてから、特に静かにするわけでもなく、かといってわざと音を立てるわけでもなく普通に歩み寄る。寝ている人に気を遣って静かに、なんて彼女に限っては無意味だ。それどころか大きな音を立てても彼女は起きない。だから気を回す必要はないし、騒音で起こす作戦ですらとっくの昔に諦めた。

「……」

ベッドのすぐ横、レムの寝ている右側まで来て見下ろしても、彼女は幸せそうな寝顔を晒したまま。
実のところ眠っている彼女から漏れ出る力は強力で、平隊員レベルなら近付いただけであっという間に眠りの世界へ引き込まれてしまう程だ。旧毛狩り隊の隊長格だって油断すれば同じ目に遭う。もちろんそれは敵味方問わず発揮されるため、彼女が寝ている隙にここまで接近できる奴はそうそういない。レムにしてみれば、多少無防備にしていても敵が勝手に眠ってくれるわけだ。
とはいえ、いくらなんでも警戒心が無さすぎる。ヨダレを垂らしてイビキを掻いてその上強くて、それだけなら色気とは無縁なのに、彼女の服装と体形が女であることをしっかり主張してくる。しかも本人はそのことに無自覚。周りの女たちも水着だのミニスカートだのとそれなりに露出度の高い格好をしているせいで慣れてしまったのか、それとも男どもがどう思うかなんて考えたこともないのか。
…起こしてやるのが俺だってことも、気にしたことがないのか。

「おい、そろそろ起きろ」
「Zzz…」
「今日起こしに来るの三度目なんだが?」
「Zzz…Zzz…」
「…襲うぞ」
「うーん…?えへへ、この子ふわふわしてて可愛いですよー…Zzz…」
「……」

試しに言ってみても、全く噛み合っていない寝言で返された。それと同時に跳ね返ってきた恥ずかしさを一人耐える。どうしてコイツは共有してくれないのか。
さっきの言葉は、別に本気で言っているわけではない。同意もないのに手を出すのはさすがに良心が咎めるし、眠り込んで反応のない奴にどうこうしたところで面白みは全くない。だから言葉だけなのだが、その脅しすらも彼女の深い睡眠には効果がないらしい。

「ったく…少しは自覚しろ」

無防備にしているが結局は女だということに。起こしに来るのが俺だということに。
相変わらずベッドの上で仰向けのまま寝る彼女。へにゃりとだらしないその顔に呆れてもう一度溜め息を吐いた。そうだこれは溜め息だ、決して深呼吸などではない。

「…レム」

名前を呼んで、彼女の顔の横に右手を突く。俺の中で脈打つ鼓動が煩い。できればこの段階で起きてほしいのに、起きない。
左手で頭を撫でるように彼女の髪をく。さっき寝言を言ったのだから今は夢を見るような浅い眠りのはずだが、それでも起きない。
そのまま左手を彼女の耳へ、頬へ。俺より少し低い体温と柔らかな感触。規則的な寝息がやけに鮮明に聞こえた。
こんなに近くにいるのに、彼女はまだ起きない。

「…いつまで寝てんだよ」

自分で思っていたよりも苦しげな声が出たことに内心驚く。別に構ってもらえなくて寂しいなどではない。この俺に限ってそんなことはあるはずがない。
ただ、眠り続ける彼女を見ていたら、ずっと昔に見た童話の挿し絵がふと思い出されてしまって。

――童話の眠り姫は幼い頃に死の呪いを受けた。
その呪いは取り除けないが「死」を「眠り」に置き換えることはできた。
やがて呪いが発動し、彼女は百年眠り続けた。
その力は周りにも波及し、周囲の家臣や兵隊も眠ってしまった。
そして最後は――

…ただの童話だ。しかしあまりにも似通っている。
死と眠りが地続きにあること。すなわち睡殺。
周りの者も眠らせてしまう、彼女の真拳。
百年に渡るコールドスリープ。
もちろん彼女自身が自分の真拳で死ぬことはないし、コールドスリープ計画だってもう済んだことだ。それに彼女はボーボボとの対戦中にしっかり目覚めた。今は百年の眠りとは何の関係もない、ただの長すぎる睡眠。それは十分に分かっている、が。

撫でていた手を止め、左腕もレムの顔の横にそっと突く。そして左膝をベッドに乗り上げ、上半身をぐっと彼女の方へ倒すと、自身の枝垂しだれた横髪が視界の隅に入った。
もちろん視界の中央にいるのは、眠り続けるレム。いつでもどこでも気が付けば寝ている彼女が、こんなので起きるとは思っていない。
…でも、起きてほしい。

顔を近付けて、静かに唇を重ね合わせる。
優しく触れるだけのキス。
それでも彼女の柔らかさを、生きている体温を感じ取る。

彼女の気持ちを知らない頃ならもっと普通に起こしてやっただろう。それでちゃんと起きるのかは別だが。
でも今は違う。彼女の俺に向ける思いを知っているから、強気になれるし優しくもなれる。
顔を離して数秒。レムの瞼がゆっくりと開いた。

「んん……う…?ランバダ、さま…?」

まだ完全には覚醒していないのか、舌足らずな調子で名前を呼ばれた。ようやく俺の存在に気付いたくらいだ、おそらくさっき何が起きたかなんて理解もできていないのだろう。とろんとした眠そうな目は今にも閉じられてしまいそうで。
彼女の強い眠気はいつも迷惑で厄介なだけなのに…今だけは、酷く可愛いと思えてしまって。

「いい加減、起きろよ」

言いながら少し苦笑する。そこでやっとレムもお互いが至近距離にいる今の状況に気付いたのか、眠気を引きずっていたはずの目を普段以上に見開いて耳まで真っ赤になった。

「えっ、ランバダ様!?なんでここに!?ていうか近い!?なんで!?」
「いや別に?」
「じゃあなんでこんな…!あの、もしかして何かしましたか!?」
「何かって?」

意地悪くにやりと笑ってとぼけてみせると、レムは俺の言葉を素直に受け取ったのかほうけたように指先を自身の唇に当てた。それからはっと気付いて「なんでもないです!」なんて主張するけれどもう遅い。この体勢からでは、俺の下にいるレムは逃げられない。

「…おはよう」

穏やかに囁いて再び顔を近付ける。彼女を起こすという目的は果たしたが、どんな物語もお姫様が目覚めて終わりではなく、ハッピーエンドの後日譚が付き物なのだから。
腕の中の眠り姫は今度こそ察してくれたらしい。少し恥ずかしそうに微笑んで、目をつむった。



fin.

(キスで目を覚ます話を書きたかったのに完成したのはおはようのキスだった。)

2018/09/09 公開
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