Cells at Work

またいつか

「また、会えますか?」

そう訊いたのは、私だった。
思わず呼び止めてしまった手前、なんでもないですと取り下げるのも変な気がして、意を決して放った言葉だった。

新人赤血球として一人での循環を始めた日。酸素の配達こそできたものの、帰り道は一方通行の弁に引っかかり、正しい道を探して工事中の迂回路を通るうちに現在地すら分からなくなり、脾臓やリンパ管に迷い込みかけて、挙げ句の果てに肺とは反対方向の腎臓にまで行ってしまった。静脈の赤血球たちは少しゆっくりできるとはいえ、これはあんまりだと自分でも思う。
研修で先輩と一緒に循環した時も、私は違う角を曲がりそうになったり、血流の中ではぐれそうになったりしたけれど、ここまで困難ではなかったはずだ。先輩のすごさを改めて実感しながら、本当に一人でやっていけるのか、そもそも肺に辿り着けるのか、不安がどんどん膨らんでいく。
そんな中で偶然会った白血球さんは、最初の印象よりもずっと優しかった。他の赤血球の仲間たちのように近辺の道を教えて、それでお別れでも充分ありがたいはずなのに、白血球さんは行き先が同じだからと先導してくれた。細菌を前にした時の鬼気迫る姿には驚いたけれど、それ以外は他の細胞さんと同じく穏やかに話ができて、私のちょっとした疑問にも端的に分かりやすく答えてくれる。途中では血小板ちゃんの手伝いも申し出て、大勢いる血小板ちゃんからも自然に受け入れられていて…だから怖がるような細胞じゃないんだと、素直にそう思った。
それから肺の入り口で一度別れて、肺胞の一室に着いてから肺炎球菌が出てきて私はピンチに陥ったけれど、その時も助けてくれたのは同じ白血球さんだった。何が何だか分からないまま無我夢中で白血球さんの指示通りに移動したら、細菌が捕獲されて…それでもまだ細菌が目の前にいる状況で緊張を解けずにいる私に、白血球さんはお茶を手渡して、後は見ているだけでいいと言わんばかりに近くのベンチへと促してくれた。
実際その通りで、カプセルに入った細菌が突き破ってこちらに襲いかかってくるなんてことはなかったし、一口飲んでみたお茶もなんだかほっとする味がした。
そうしてくしゃみロケットの発射過程を特等席で見ている時。張り詰めていた緊張や恐怖がなくなって空白のできた私の心に、ふと一つの思いが湧き上がった。

――白血球さんのような細胞がはたらく世界なら、私ももっと頑張ってみたい。

細菌は天敵だからやっぱり怖いし、血管の道は相変わらず複雑で、私はこの先何度も道に迷うと思うけれど。でも、そんな数多くの不安を打ち消すくらいに素敵なことが、この世界にはきっと数え切れないほどある。
それは例えば通ったことのない道とか、毛細血管へ続く扉にあった張り紙、可愛くて頑張り屋の血小板ちゃん、ドリンクコーナーのお茶、体内の素晴らしい仕組みに対する敬礼。私のまだ知らない、だけどこの世界を守るために必要な仕事があって、そこには必ず細胞がいる。もし怖い細菌が現れても白血球さんが見つけて倒してくれるし、道に迷った時も教えてくれる細胞がどこかにいる。
そんな素敵な世界を、私はもっと見てみたい。今の循環だけでこんなに見つかったのだから、この先も赤血球の仕事を続けていけばきっと、もっとたくさんの綺麗なものを見つけられる。そんな世界なら、私は挫けそうになっても頑張れる。
…けれど。ロケットが発射された直後、まだ余韻が残るうちに、白血球さんは再び仕事に戻っていく。細菌を殺すその仕事に助けられたから、もう少し残ってほしいとかゆっくり話してみたいなんてことは言えなかった。
だから、次を望んだ。確実な約束は無理でも、また会えると信じられるなら。一度の循環で三回も会った白血球さんと、また偶然が重なって再会して話ができたら、それはこの世界で一番素敵なことだと思うから。


…☆…


再会を願う問いかけに、俺はすぐには答えられなかった。不安そうな琥珀色の瞳が、まっすぐにこちらを見つめてくる。
おそらく彼女は心からそう思って、何も考えずに言っている。実際に再会する確率も会えずに死ぬ確率も、あるいは白血球への評価が正反対に変わる可能性も、度外視している。それが分かっているから、安易なことは言えなかった。
外敵の襲来時、市民は穴の空いた場所から反射的に距離を取る。細菌に飛びかかってこられたらその距離は簡単に埋まってしまうけれど、少しでも標的にされないように、すぐに逃げ出せるように。中には腰を抜かしたり、体が硬直したりして逃げ遅れる者もいるが、それは不意を突かれたか、細菌と出くわしたことがない新人と相場が決まっていた。今回、助けた後にお礼を述べてきた律儀な赤血球もそうだろうと。
けれど偶然再会した赤血球は、それらの予想を軽々と飛び越えていった。
新人であることには変わりないが迷子らしく、最初の現場からは離れた腎臓で、再び肺炎球菌に襲われていた。助けに入った後も逃げ遅れて共に莢膜をかぶり、肺に行くと言って別方向に走り出し、放っておくにはあまりにも心配な奴だった。幸いだったのは免疫細胞を必要以上に怖がらない点で、道案内は思いのほか気まずくならずに済んだ。
道や風景が変わると感嘆の声を上げ、血小板を見るのも初めてで、途中でキラーTに脅された時は素直に怖がる。けれど決して仕事を投げ出すことはなく、そんな選択肢はそもそも存在していないようだった。
彼女の責任感を垣間見たのは、肺炎球菌が肺胞で姿を現した時だった。俺が到着するまでの間、赤血球は血管の道を塞ぎ、仲間を巻き込まないようにしていた。肺炎球菌が壁を壊して他の赤血球に飛びかかっていった時も、彼女は自ら現場に飛び込んできた。普通は細菌の標的から外れた時点で、他の赤血球が襲われようと素知らぬ顔で逃げてもいいはずなのだが。新人ゆえにどう動けばいいのか分からなかったのと、自分のせいで誰かが狙われるのは嫌だと思ったのかもしれない。
結果的に肺炎球菌の狙いは俺たち二人になり、戦いながら彼女に道順の指示を出して気管支へ向かい、細菌の捕獲に成功した。血小板も様々な血管内の様子も知らなかった赤血球だから、機会がなければ壁際のドリンクコーナーにも気付かず、これから起こることも見当がつかないだろう。そう思って目を向ければ、助けに入るのが遅れて怪我をさせてしまった手の甲の赤が目についた。その表情は硬いままで、細菌に対する勝利を確信した自身には、冷や水を浴びせられたような心地になる。
どうしたものかと一瞬考えて…道案内の続きのような顔を装って、飲み物を訊いてベンチに誘った。くしゃみロケットの発射準備が整い、彼女の瞳が煌めきを取り戻していく様子を確認しながら、胸の内でひそかに祈る。

――隣にいる赤血球に対しては、この世界がどうか優しいままであってほしい。

全身に血管が張り巡らされているだけでなく通行止めや迂回路もあり、時には外敵も現れる世界だけど。仕事を続けるうちに、心無い言葉に出くわすかもしれないけれど。
それでも彼女には、今の新鮮な思いを忘れないでほしいと思ってしまった。赤血球が全身に酸素を運ぶのと同様に、工事中の道は血小板が修復して、外敵からは俺たち免疫細胞が守る。どれも貴賤なく互いに代わることのできない、この世界を維持するために大切な仕事だ。そんな仕組み一つ一つに律儀に感動する彼女の瞳が、どうかこれからも濁ったり曇ったりしないように。
…だが、一つの騒動の協力者に肩入れし過ぎるのも変な話だ。ロケットを見届けて一区切りとし、次の仕事へ向かう。そう考えていたのに、当てが外れた。
赤血球から呼び止められる。37兆個もの細胞がはたらくこの世界で、異種細胞同士が再会できる可能性はおそらく低い。下手に期待を持たせるようなことを言うのは酷だと俺も分かっている。
けれど言葉を続けたのは、彼女には希望を持っていてほしいと思ったからだ。一連の騒動で三回も細菌に襲われた赤血球が、それでも挫けず前向きに仕事を頑張れるなら、彼女が望むそのくらいの偶然は起きる世界であってほしい。…俺も、信じてみたい。

「またな」

そう付け加えたのは、俺だった。
確実な約束は交わせない世界で、次もできれば今と同じ自然さで話をしたいと願う、本心からの言葉だった。



fin.

(Eテレでの1期1話放送を見て書きたくなった話。それまでは「また、会えますか?」の印象が強く残ってて「会いたいほう=赤血球ちゃん」と思ってましたが、アニメでの「またな」が久しぶりに聞いたら予想以上に優しくて「赤血球ちゃんと比べると分かりにくいけど、白血球さんも会いたいほうだな!?」と思い直しました。)

2024/04/16 公開
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