はたらくハロウィン

06 少しずつ成長する日

なんとか肺へ辿り着いた私は、そこから更に肺胞へ行ってガス交換をした。
二酸化炭素を機械に預けて、少し待つと今度は酸素の詰まったボンベが何本も出てくる。それを黒い籠ごと受け取って台車に乗せたら肺胞の小部屋を出る。そうすれば後ろの人もすぐに肺胞に入ることができて、列を作っちゃうこともないからね!
肺胞から肺の出入口の辺りまで来て酸素の箱を組み立てていると。

「…あっ、先輩!」

私が見つけたのは、小腸でハロウィンのバスケットを渡してくれた先輩だった。今はちょうど酸素を箱に詰めている途中だ。先輩の配達先は分からないけれど、どうやら私が細菌の仮装に驚いたり道に迷ったりしている間に先輩は循環を済ませてきたみたい。
先輩は私の声に気付くと安心したように微笑んで、それから台車を押して近くまで来てくれた。

「アンタ、大丈夫だった?ちゃんと渡せた?」

先輩はちらりと私のバスケットを見て尋ねる。いつも通り酸素を渡せたかもそうだけど、今日限定の仕事については特に気にしていたみたい。
でも大丈夫!私は自信満々に報告する。

「はい!細胞さんにお菓子を渡して、細胞さんからも貰って…そうそう、その時の細胞さんの仮装が本格的だったんですよー!こう…ニョロニョローって!」

細胞さんの仮装のすごさを伝えたかったけれど良い表現が見つからなくて、私は右手の指をぐにゃぐにゃと動かしてみせた。先輩はそれを見てくすりと笑う。

「そう。驚かなかった?」
「あ…すこーし驚きました…」
「少し?」
「…いえ、本当は結構…かなり…」
「ふふっ、相変わらずね。まぁ、私も伝えそびれちゃったんだけど」
「いえいえそんな、私も飛び出して行っちゃいましたし!それに私も次は驚かないですよー。もうだいぶ慣れましたから!」

胸を張って堂々と言ってから、急いで酸素を黒い籠ごと箱に入れる。…よし、準備完了!

「おっ、ガス交換の作業は手慣れてきたみたいね」
「はい!早速次の循環に行ってきます!」
「そうね、私も出発しなきゃ。渡すお菓子が少なくなったら、ちゃんと小腸に寄るのよ?」
「はいっ!」
「仕事は仕事でやるものだけど、今日はハロウィン。アンタも楽しんでね」
「はい!もちろんですっ!」

先輩の言葉に笑顔で返す。まだ仮装には驚くものの一度循環して勝手が掴めたというか、最初にバスケットを渡された時よりも余裕のある返事になったのが自分でも分かった。
先輩とまた別れて肺を出発。まず通るのは、私と同じように酸素を持った赤血球が多い肺静脈。それから心臓を通って、今度は心臓に押し出されるせいで床がとっても速く動く大動脈。心臓はいまだによく分からないまま流されるけれど、この辺りの道が一方通行なのは最近少しずつ分かってきた。そこから毛細血管へ入って、ここからは自分の足で配達先を目指す。
台車を押して歩いていると、ふと一人の赤血球が目に留まった。私よりも背の高い女の子、肩につくくらいの長さのまっすぐで綺麗な黒髪。

「後輩ちゃん!」
「先輩」

声をかけると後輩ちゃんはハッとした様子で振り向いた。新人研修を担当した時は失敗ばかりの私よりも断然落ち着いていたのに、今は何だか焦っているようにも見える。…まぁ、それでも私が慌てる時よりは断然落ち着いているんだけど。
不思議に思って駆け寄って…そこでようやく私は後輩ちゃんの近くに立つ人影に気付いた。黄色い防護服にガスマスクのその人は。

「単球さん!こんにちは!」
『コホー』

単球さんは私の方を見ると、なんだか嬉しそうに片手を振った。後輩ちゃんが状況を説明してくれる。

「この人、さっきから何か言いたそうなんですけど、よく分からなくて…通ろうとしても立ち塞がってくるし…」
「そうなんだ…。単球さん、何か困り事ですか?」
『コホホ、コホ、コホー』

後輩ちゃんに代わって問いかけると、単球さんはガスマスクから声にならない音を出しながら、ひょこひょこ動いてみせる。手をうねうねと動かしてくすぐるようにした後、自分の頬を両手で包んでとろけそうなポーズ。なるほど、これは後輩ちゃんでなくても難しい。

「あの、本当に急ぐので…」

後輩ちゃんは少し苛立ちながら、でも困ったように言う。ふと見れば後輩ちゃんの台車にも酸素の箱が乗っている。そしてその上にハロウィンのバスケット。私の持つバスケットと色は同じだけど顔の模様は少し違う。今日限定の仕事…。

「…あっ、もしかして『トリック・オア・トリート』ですか?」
「えっ!?」
『コホー』

後輩ちゃんが珍しくぎょっとする中、単球さんは親指を立てて「グッ」とポーズを決めた。以前私がお礼を述べた時にも向けられた、単球さんの合図。正解…ってことだよね?

「えへへ。単球さん、ハッピーハロウィンです!」

バスケットから紫色の包み紙のチョコレートを一つ取り出して渡す。単球さんはぴょんぴょん跳ねて喜びを表現すると、ズボンのポケットに大切そうにしまった。それを微笑ましく思って見ていると、後輩ちゃんがこっそり尋ねてくる。

「先輩、なんで分かったんですか…?」
「え?うーん…なんとなく?」
「なんとなくって…いくら先輩が免疫系と知り合いだとしても、あんな風に分かるものなんですか?」

後輩ちゃんは今度は呆れたように言葉を繰り返した。でも本当になんとなくっていうか、ピンときたっていうか…言葉が見つからないけれどそんな感じだったんだよ…!
どう言えば伝わるのかうんうん唸って考えていると、ちょんちょん、と単球さんから肩をつつかれる。驚いて顔を上げれば、目の前に差し出される二つの可愛い袋。

『コホー、コホホー』
「あっ、お返しですか?ありがとうございます!」
「わ、私の分まで…ありがとうございます」

後輩ちゃんと二人で受け取ると、単球さんは満足そうに頷いて走っていってしまった。落ち着いてから改めて単球さんのくれたお菓子を見れば、ころんと可愛くてとっても甘そうなピンク色のマカロンだ。後輩ちゃんもこのお菓子はあまり見たことがないのか、まじまじと見つめている。

「良かったね、後輩ちゃん」
「まぁ、はい…」

後輩ちゃんの返事を聞いて私も嬉しくなる。確か前に後輩ちゃんは「栄養分の運搬は本来の赤血球の仕事ではなくオマケでやっている」って言っていたけれど…年に一回甘いものがもらえるなら、栄養分の運搬も悪くないよね!
一人で納得しながらマカロンを鞄にしまう。ついでに地図をこっそり確認。…あ、私はこの先の角を左だ。

「それじゃあまたね、後輩ちゃん!」
「はい。…ありがとうございました、先輩」

何度か振り向きながら手を振って、左の道へ曲がる。細胞さんたちだけじゃなく後輩ちゃんにとっても、幸せなハロウィンになるといいな。そんなことを思いながら、私はまた配達先へと急いだ。



2018/10/31 公開
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