はたらくハロウィン

02 怖いものに紛れる日

細胞さんの家の前で深呼吸、そして再確認。細胞さんが出たら酸素を渡して二酸化炭素を受け取って、合言葉を言われたらこのバスケットに入ってるお菓子を一つ渡す。ハッピーハロウィン。明るく笑顔で。よし!
意気込んでインターホンを鳴らす。細胞さんが扉を開けてくれる…ところまではいつも通りだった、のに。

「本日分の酸素をお持ちしまし…た?」

細胞さんを見た瞬間、私のセリフの最後には不自然にハテナマークが付いてしまった。
だって、何か、細胞さんの頭にトゲトゲニョロニョロした青いものがあって…

「あ、どーも」

細胞さんはにこやかに笑って応対してくれる。けれど私の視線は細胞さんの頭に釘付けだった。
…細菌。
忘れもしない、あれは肺炎球菌の頭だ。それが、細胞さんの頭の上にある。肺炎球菌の歯がちょうど細胞さんの前髪あたりにあって、まるで細胞さんが食べられているような…。

「…っぎゃあああああぁぁぁっ!?」

えっどうしよう!?細胞さんが細菌に食べられてる!?しかも細胞さんはそのことに気付いていない!?食べられても気付かないものなの!?ていうか私が叫んでも平然としてる!?

「あぁ、ハンコだっけ?待ってね、今持ってくから」
「あ、あわ、あわわわわ…」

細胞さんは何事もなかったみたいに部屋の中へ引っ込んでしまう。いやいや、だから食べられてますって!
もしかして寄生されても大丈夫な細菌?だからあんなに動じないの?…でもあれはどう見ても肺炎球菌だよね、この体を乗っ取って破滅に追い込むって白血球さんも前に言ってたよね!?どうしよう、助けた方がいいはずだけど赤血球の私じゃ助けられないし…!とりあえず戻ったら白血球さんに相談しなきゃ、でもその前に私が生きて戻れるんだろーか!?肺炎球菌は栄養分を運ぶ赤血球を狙うって聞いたことあるし…まさか私たちの待ち伏せ!?
しかし私の考えがまとまらないうちに、細胞さんは頭の上の細菌と一緒に戻ってくる。

「はい、ハンコ。いつもありがとうねー」
「あっ、いえ、仕事ですから!?いやそんな事よりも!」
「ん?」

細胞さんは相変わらず穏やかな表情で首を傾げた。その動きに合わせて細菌の触手がだらりと垂れ下がる。こちらに向かってくる気配はない…けれど、このまま細胞さんを放っておくわけにもいかない!私にできることなんて、細菌の注意を引き付けること程度だけど…!震える右手を持ち上げて、おそるおそる指をさす。

「それ、その頭…なんか、細菌に食べられてますよ…!?」

細胞さんは不思議そうな顔をしたけれど、特に驚きも怖がりもせず頭に手を当てて…その後、困ったように笑った。

「…あぁ。いや、これはただの仮装だよ」

そう言うと、その細胞さんは帽子でも脱ぐようにあっさりと細菌の頭を外してみせる。
…いや、実際それは帽子だった。脱いだ殻はぴくりとも動かないし、質感も見たところほとんど布、後頭部から伸びた触手や爪は別の固そうなものでできている。しかもその帽子は細菌の頭だけで、体までは付いていない。
いくら細菌でも頭と体を切り離されたらそれ以上は動けないことくらい、私にも分かる。…実際は私が何度も細菌に襲われそうになって、白血球さんに何度も助けてもらっているからなんだけど。
目の前の出来事に呆然とした私は、細胞さんの言葉をそのまま繰り返すので精一杯だった。

「か、仮装…?」
「うん。ハロウィンには悪い細菌やウイルスの霊が来て害を及ぼすから、僕たちはその霊のふりをして襲われないようにするんだよ」
「…細菌の、霊?幽霊ですか?」
「そうだよ。免疫細胞たちが一度は退治した細菌が、今日は幽霊になって仕返しに来るかもしれないって言われているんだ。まぁ、迷信みたいなものだけどね」
「そうなんですか…」

うーん、聞けば聞くほど分からなくなってくる。
確かにこの世界で「外から来て害を及ぼす」のは細菌やウイルスだ。だけどどうして幽霊になってまで来るのか、どうして退治するのが白血球さんたちじゃなくて細胞さんたちなのか。…幽霊だからナイフが刺さらないのかな?
一つだけ分かったのは、この肺炎球菌は偽物で、細胞さんは襲われていたわけではなかったということ。出会い頭に叫んだり思いっきり動揺したりしたけれど、とりあえず細胞さんが無事で一安心。気を取り直して酸素を渡す。
と、細胞さんが二酸化炭素の箱を用意しながら何気ない口調で尋ねてくる。

「もしかして君、ハロウィンになって初めての配達先だった?」
「あっ、はい!そうです!お菓子についてはバッチリ聞いてたんですけど、仮装までは知らなくて!」
「そうなんだー」

正直に答えると、細胞さんは私の話を聞きながらにっこりと笑ってくれる。野暮なことをしてしまったけれど、気分を害してはいないようだ。あぁ、優しい細胞さんで良かった…。
私がほっとしていると細胞さんは私の腕の辺りをちらりと見て、はにかみながら言う。

「じゃあ、言われるのは初めてかな?…『トリック・オア・トリート』」
「!」

ピンときた。これは私知ってる!お菓子をもらえる…じゃなくて、私たちが言われたら細胞さんにお菓子を渡す、合言葉!

「はっ、はい!『ハッピーハロウィン』です!」
「うん。ありがとう」

慌ててお菓子を一つ差し出す。よく見ずに取ったものだけど、私が持ったのはバスケットに描かれたものと同じ顔の模様のクッキーだった。透明な小袋入りのそれを、細胞さんは嬉しそうに受け取ってくれる。
先輩のようにスマートには渡せなかったけれど…喜んでくれるのはやっぱり嬉しくて、「合言葉を言われるか」や「何を渡すか」でドキドキするのが楽しくて。文字通りの『ハッピーハロウィン』だなぁ、なんてことを思う。そこにはたぶん、少しだけ期待する気持ちも含まれていて。

「あの…私からも、言っていいですか?」
「ん?あぁ、そうだね。どうぞ」
「じゃあ、いきますね…『トリック・オア・トリート』!」
「ハッピーハロウィン。いつも配達お疲れ様」

おずおずと申し出て合言葉を言うと、細胞さんはにっこりと微笑みながら、ワックスペーパーに包まれたキャラメルをくれた。手のひらの上でころんと転がせば、それだけで元気になれそうな甘い香りがほのかに漂ってくる。

「わぁ…!ありがとうございます!」
「いえいえー」
「それでは失礼しますね!またご利用お願いしまーす!」

お礼と挨拶を言い、キャラメルを腰の鞄に丁寧にしまってから、二酸化炭素の箱とバスケットを持って細胞さんの家を後にする。甘いものと珍しいイベントに胸が高鳴って、重い箱を持っているはずなのに走る足はなんだかとても軽かった。



2018/10/20 公開
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