BO-BOBO

ハルシオン

その提案が投げかけられたのは、新皇帝決定戦から数日後のことだった。

「ランバダ様、私と戦ってください」

部屋を訪ねてきて、しばらく無言で立ち尽くしていたかと思えば、意を決した声音で放たれた言葉。おそらく宣戦布告ではなく、単なる練習試合の申し込みなのだろうが、それにしては似つかわしくないほどの深刻さが妙に気にかかった。居眠りすらしそうにない緊張感を携えて立つレムを、横目で見やる。

「また突然だな…何を考えている?」
「なんにも。ただ、私は強くなりたいんです」

――闇の奴らとの戦いで、それを思い知ったので。
小さな声で付け足された理由は、けれど静かな部屋で聞き取るには充分だった。先の戦いで力が及ばなかった、だから実戦形式で試合をしたい。理屈は通っている。
百年前ならばそのセリフを額面通りに受け取って、それ以上追及はせずに練習試合に移っただろう。味方が強くなるのは隊全体の利益だが、各個人の強くなりたい理由には関与しない。そんなものに踏み込んだところで、例えばかつて理解してもらいたい人に理解されなかっただの、食品ならば食べてもらえなかっただの、今更どうしようもない話に繋がるだけだから。味方だからと傷をわざわざ見せる必要はなく、戦う理由なんて強くなりたい、より優位に立ちたい、力を持ちたい、ただそれだけでいい。
だが今に限っては、それだけではいけない危うさがレムから感じられた。もっともな理屈の裏に間違いなく何かを隠している、ぎくしゃくとした雰囲気と、そのくせ一歩も引かない強気を装った目。闇の奴らとの戦闘および実力不足、それらは本当だろうが、前向きな鍛錬というよりも、もっと切羽詰まった何かがある。

「…思い詰めて死ぬ気なら、俺は手伝わねぇぞ」
「まさか。あの時のランバダ様でもありませんし」

一応忠告すれば、即座に余裕のないカウンターが返される。俺だって思い詰めてあの選択をしたのではなく、ただ共倒れになるよりは事情を知る奴が片方でも生き残るのが最善だと判断したに過ぎない。けれどそう反論したところで彼女は納得しないだろう。レムは特に人を眠らせることに固執した時など、妙に頑なになるから、これ以上下手に言い合いをするよりは試合に付き合ってやったほうが早い。

「分かった。演習場は空いているよな」
「はい。…絶対に、あなたを眠らせます」
「勝手に言ってろ。病み上がりだと思ってると痛い目見るからな」

旧Bブロック隊長と旧Dブロック隊長、銀バッチと銅バッチ。客観的に見た力の差はあるが真拳使い同士だ、本格的な戦闘になる。レムが今何を抱えているかは知らないが向こうの覚悟と気迫は上々、こちらも闇の奴らとの戦いで力を吸われたとはいえ、数日経って体力も気力もすっかり戻っている。相手の意図を探ろうとする少しの警戒心と、それを上回る戦闘への高揚感を胸に秘めながら、俺たちは部屋を後にした。




演習場に先客は誰もいなかった。互いに適度な距離を取って対峙した後、一瞬の間を置いて戦闘が始まる。

「爆睡真拳奥義、ねむりん粉!」

レムは開始早々、全力で技を撃ってきた。かざした右手の上に淡く光る粒子が現れ、大きな動きでフィールド上にばら撒かれる。相手の強さが分からないうちは、あるいは雑魚相手なら、彼女は眠気に任せて比較的簡単な技のイビキを撃つのが常套手段だが、今回はその手順を省略してきたのだと悟る。
ねむりん粉は吸い込んでしまえば眠りに落ちる厄介な技だ。もっとも、彼女の狙いは眠らせたその先にあり、そうさせないためにオーラで手早く一掃することもできるが、ここはあえて別の手を取る。

「ポリゴン真拳奥義…ポリゴニック・クラッシャー!」

唱えながら右腕を鋭い剣に変え、振り下ろして衝撃波を発生させる。粒子の混じった空気を切り裂いて目の前の道を拓き、一気に踏み込んで間合いを詰めた。近距離の打撃対決に持ち込もうというわけだ。
右腕を引いて勢いをつけ、目の横をめがけて突く。ぎりぎりで気付き剣先をかわしたレムが、不安定な体勢ながらも反撃でこちらの足を狙う。
相手の攻撃から飛び退いて、けれど攻撃後の隙を逃さず距離を詰めて、打撃や蹴りを繰り出す。先に体力を消耗し、相手の速度についていけなくなり、判断を誤ったほうが攻撃を食らう、純粋な力比べ。それだけならば俺に分があるが、きらきらと光る粒子が空気中を漂っている。下手に長引けば、ねむりん粉を吸い込んで一気に不利になる。

「ポリゴン真拳奥義、オーラ・オブ・ポリゴン!」

触れるとポリゴンになるオーラを放出し、相手に距離を取らせる。レムもその効果は充分に知っているため、意図通りに離れて身を守った。
一般的に、ポリゴンは枚数が多いほど表面の描写がなめらかになり、現実の姿に近くなる。逆に言えば、大きく複雑な構造をした物を枚数の少ないポリゴンにすることで、よりダメージを与えられるのがこの真拳だ。
ねむりん粉も小さな粒だが実体はある。牽制と同時に、周囲のねむりん粉も淡く光る小さな板に変えていく。そのことに気付いたレムが、フィールド上のねむりん粉を回収するべく右腕を上げて自身の元に集める…ところまではよかったのだが。

「…っ、爆睡真拳奥義、ドラゴン・スリープ!」

レムの声と共に、ねむりん粉が大きくうねり、竜の形になって向かってくる。それは決して弱い技ではなく、何も知らない奴が相手ならばただその勢いに飲まれて、やがて眠りに落とされていただろう。
けれど今は違う。彼女の真拳を知っていて、彼女も俺の真拳を知っているはずだからこそ、この技を選んだことに違和感を覚えた。
ポリゴン真拳はその性質上、的が大きいほうがまとめてポリゴンにしやすい。レムが俺の真拳の原理をどこまで理解しているかは不明だが、それにしたって現時点でこれは悪手だ。何か作戦があるのか、それとも。
ねむりん粉で形作られた竜が目前に迫る。不自然さが残らない程度まで引き付けて、直前でオーラを消し、左腕だけを出して防御姿勢を取る。
レムの驚く声が遠くで聞こえた気がしたけれど、目を開けて確認するより早く、俺は緩やかな眠りに落ちていった。




目が覚めると周囲の景色は変わっていた。曲がりくねってどこまでも続く一本道と、普通とは違うもやもやとした色の空。未だに見慣れないが全く知らないものではなく、似たような練習試合では何度か見覚えがある。
爆睡真拳究極奥義、レム・スリープワールド。レムの技の中では最大の武器であり、いわゆる寝ている時に見る夢の中だ。そしてこの世界で再び眠ってしまうと、現実では二度と目覚められなくなる。抜け出すには、現実世界で眠るレムにどうにかダメージを与えるか、この世界でもなお眠らせようとしてくるレムを正攻法で倒すか…一対一の今は後者しかない。
ひとまず仰向けの状態から体勢を立て直すべく、上体を起こそうとして――ぴたり、と。真正面に気配を感じて、それ以上動くに動けなくなった。
技で強制的に止められたわけではない。ただ、喉元に手刀が突き付けられている。
その腕をたどって視線を向ければ、地面に両膝をつき、足の間にまたがるようにしてこちらに身を乗り出すレム。髪の色は赤紫、この世界の効果で凶暴化している証だ。

「動いたら、撃ちます」
「…寝撃か」

新しい技を編み出しでもしない限り、互いの手の内は把握している。これは近距離の打撃のように見えて、技が当たった箇所を眠らせて使えなくする技。相手の腕に当てて動きを封じる程度なら可愛いもので、今みたいに首を狙えば致命傷に繋がる。それだけ本気で仕留めにきているのだろう、状況は圧倒的に俺のほうが不利だ。
指先がぎりぎり首元に触れるか触れないかの位置で止まったまま、張り詰めた空気が流れる。目を逸らさずまっすぐにこちらを睨みつけるレムが口を開いた。

「どうしてわざと受けたんですか」
「…何のことだ」
「さっきの、レム・スリープワールドに入る直前の攻撃…ランバダ様なら避けるなり相殺するなり、できたでしょう?防御姿勢も甘かったですし」

冷静な分析に、よく見ているな、と状況に似合わず呑気なことを思った。そのほうが練習になるから、なんて言い訳をするのは簡単で、けれどそれも今の彼女にはすぐさま嘘だと見破られてしまうだろう。あの瞬間に感じた違和感の正体は、彼女のほうからはまだ見せてくれそうにない。

「…私は、そんなに弱いですか?」

震えを精一杯押し殺したような声で、レムが重く尋ねる。それさえも彼女にとっては勇気が必要だったのだろう、言葉の端々に拭いきれない憂いが纏わりつく。けれど瞳は戦闘の意志を貫いたまま、鮮やかな赤紫色がじっとこちらを見つめる。返答によってはいつでも仕留める気でいるのだ、とその凶暴性が主張する。

「…お前こそ、なぜあそこでドラゴン・スリープを使った?」

彼女の質問には答えず、こちらも質問で返す。首筋の気配に注意を払いつつ、しかし目は決して真正面から逸らさずに、言葉を続ける。

「あれは本来、この世界に入ってから、二十倍下で使ったほうが威力を出せる技だ」

お前も分かっていたんだろう?と言外に含ませる。通常のねむりん粉よりも効果が強いぶん、一度ねむりん粉で相手を眠らせてこの世界に引き込み、その上で更に強力なドラゴン・スリープを使ったほうが、確実に睡殺できるはずだ。今回は練習試合だから殺すまではいかなくとも、実力差がある相手にわざわざ手加減をする必要はない。仮にそんな余裕があったとするならば、それは俺に対して手加減が必要だと見なしたという意味で、相当失礼な話だ。
技の影響で攻撃的になっているはずの、レムの表情が気まずそうに歪む。その様子を見れば、もはや答えは明白だった。あの違和感が確信へと変わる。
二十倍下でもないのに切り札となり得るドラゴン・スリープを使ったのは、そうでもしなければ俺を眠らせられないということ。――究極奥義、レム・スリープワールドを発動できないということだ。
そしてその理由も、俺が格上だからとか、実力差があるからではない。彼女は以前、それこそ百年の眠りから目覚めた後の戦いで、己よりも強いボーボボをレム・スリープワールドに引き込んだ。つまり本来この技は格上の相手にも発動できるはず。そして、あの時は発動できたのに今は発動できない、なんてのは明らかにおかしい。
動揺したらしいレムの瞳がわずかに揺らぐ。それを変わらない距離で見据えながら、俺は自身の左腕を素早くポリゴンの剣に変える。
そうして何ひとつ表情には出さずに、寝撃を構え続けるレムの手刀へと自ら当てた。

「あっ…!?」

彼女の口から、驚きと戸惑いの混じった声が漏れる。ポリゴニック・クラッシャーとしての威力を込めていない、見かけ倒しの剣だから、レムにはダメージがいかないはずだった。むしろこの場合、攻撃を食らうのは俺のほうになる。彼女も分かっているはずで、隠しきれなかった小さな悲鳴はそれを恐れてのものだと容易に想像がつく。
だが、寝撃は貫通しなかった。ポリゴンが剥がれて剣の形を保てなくなっただけで、当てたはずの左腕は何事もなく通常通り動く。証明するつもりでわざとらしく目の前で振ってみせれば、レムは一瞬だけ安堵の表情を浮かべた後、すぐに試合中だと気付いて飛び退いた。寝撃が無効だと判明した今、その判断は正しい。物理的に身を守るという意味でも、彼女の精神的な意味でも。
しかし俺も逃がす気はない。ゆっくりと立ち上がりながら、追撃の一言を加える。

「本当はお前、真拳が安定して使えなくなっているんじゃないか?」

だからやけに深刻な様子で練習試合を申し込んだ。闇の奴らとの戦いから数日経ち、俺が完全に回復して真拳も使えるようになったタイミングをあえて選んで。
例えば俺も彼女も真拳を以前の通りに使えなければ、それは闇の奴らと戦ったせい、ということにできる。けれど現実はそうではない。その確認も兼ねていたのだろう。
開始時と同様、互いに距離を取って対峙する。戦闘は仕切り直しだ。ただし、互いの技を知っていて、レムの力の限界が垣間見えた今、勝機はこちらにある。

「…そうだとしても、私はあなたを倒します」
「そうかよ」

曖昧な、けれどきっぱりと否定をしないレムの返答は、ある意味正直だ。それ以上の追及はせず、ぶっきらぼうに応じて出方を待つ。実力差が明らかな上に技が不調でも、彼女は諦めていなかった。やはり旧毛狩り隊の隊長格だ、そのくらいの闘志と向上心を持ち合わせているほうが断然いい。

「眠らせろ、デビル羊!」
「ポリゴン真拳奥義、メテオ・ポリゴン」

一本道の先から羊の群れが駆けてくる。引き付けて一匹ずつ対処するよりは、遠くにいるうちからまとめて足止めしたほうが簡単だと判断して、流星を模したポリゴン状の立体を形成し一気に降らせる。羊たちにも意思があるのか、各々の判断で避けて直撃は免れたけれど、足止めには成功した。…と、思った直後。

「捕らえよ、ねむりん粉!」

レムの声が響く。その技名から推測して、またばら撒く気かと周囲を見回した瞬間、小さな竜のような形を成した粒子の集まりが伸びてきて、俺の左腕に絡みつく。
本来のドラゴン・スリープほどの威力はなくとも、こちらの動きを封じる一手。技の新たな使い方だと気付いて、現状は倒すべき相手同士だが、湧き上がる高揚感に思わず口角を上げる。次の出方が分かりきっている単調な戦闘よりも、新しい手を編み出して必死に向かってくる奴のほうが面白い。
一方のレムは笑っていなかった。俺を捕まえた程度では油断しないと言えば聞こえはいいが、竜の尻尾の先を自身の右手首に絡めて固定し、俺を睨みつけながらも、どこか戸惑った表情を見せる。

「…なんでお前が傷ついた顔してんだよ」

レムは俺の指摘に驚きも否定もしない。代わりに、ぽつりぽつりと言葉を零す。

「ランバダ様はいつもそうです。相手の技の引き出しをすべて開けさせて、そのために時にはわざと相手に捕まって」
「それを破ってみせるほうが、相手に屈辱を与えられるからな」

どうせ勝つのならば、今後歯向かう気も起きなくなるほど相手に屈辱を与えて勝つ。その価値もない雑魚相手では瞬時に倒すこともあるが、どちらにせよ圧倒的な力の差を思い知らせてやるのが、百年前の世界で三大権力者の一人と呼ばれた俺の戦い方だ。

「ランバダ様は昔からそうです…そうだと信じたかったんです。だけど、闇の奴らと戦った時はそうじゃなかった」

レムの声に、わずかに揺らぎが混じる。少し逡巡した後、意を決したように続ける。

「あの時計盤に生け贄として据えられて、捕らえられたまま眠ったみたいに動かない、反撃も復活もしないあなたを見るのがつらかった」
「…要するに、失望したってか?」

表情は笑みの形を作ったまま、心の奥から湧いてくる苛立ちを自ら鼻で笑う。無様に捕まり生け贄として力を吸われたのは事実だが、捕らえられた情けない姿のまま彼女の中で印象に残っていることは気に食わない。触れられたくないところに踏み込まれたと思ったが、レムはその問いには首を横に振る。

「違います。ただ、逃げる選択肢を与えられたことがショックだったんです」

赤紫色に染まったレムの瞳が、まっすぐにこちらを見据える。新皇帝決定戦での闇の奴らとの死闘、戦い抜いてボロボロになって生け贄候補だと言われたあの時、それでも共倒れを避けて自分だけ逃がされるのは嫌だった、少なくとも先にやられるのは格下の自分のはずだったのにと、好戦的な目が訴えてくる。

「失望なら、不甲斐ない私自身に嫌というほどしています」

…まったく、こちらの気も知らないで。
ねむりん粉で繋がった左腕を、思い切り後ろに引く。こちらの予期せぬ動きに右腕を引っ張られたレムが、前に大きく数歩進みながらも堪えきれずによろめく。レム自身はこんな戦闘中に俺のほうには倒れたくないだろうが、お構いなしで右腕を彼女の背中に回して引き寄せた。表情は見えず、普段とは違う色の髪が視界に入る。

「だったら、強くなればいいだけの話だ」

抱き留めたレムの耳元に、今の俺が言えるだけの言葉を紡ぐ。弱ければ意味がないと言うつもりも、おとなしく守られていろと言うつもりもない。
守られるのが嫌だと言うのなら、強くなって並び立つしかない。人を眠らせることができないから爆睡真拳を習得したように、彼女が自身の不甲斐なさに失望するのなら、それを力にするのが最適解だ。

「爆睡真拳はお前の真拳だろう?なら、やり方は身体が覚えてる」

ボーボボとの対戦後に聞いた話では、ボーボボはレムの邪悪な精神を浄化することで彼女の戦意を喪失させた。布団の子だというのに人を眠らせられなかった彼女が、人を眠らせることに固執するあまり無意識で醸成した負の感情。
百年前の俺たちもその歪みに気付いていないわけではなかったが、彼女が望むなら、強くなるためならばと見逃し、利用した。当時はそれでよかった。それ以上のお節介は必要ない、彼女自身も救済を望むどころか自覚すらしていない。それに、下手なことをして強い力が消えてしまえば、戦乱と侵攻の時代だった百年前の毛狩り隊には居場所はなかった。
…そして、今。邪悪な精神を浄化されてもなお、当時と同程度に奥義を使いこなす原動力になり得るものは、彼女の内側にある。俺にとっては不名誉で忌々しい記憶だが同時に誇りでもある、「あの時彼女を逃がすために捕まった」という事実。
幼い悲しみが邪悪な精神にまで成長するのなら、今度はあの屈辱と絶望を糧にすればいい。

「…眠らせてみろよ」

静かに囁き、にやりと不敵に笑う。はっと息を飲む気配が腕の中からした後、周囲に不穏な空気が揺らめく。ほとんど泣き叫ぶように、レムが技の名前を唱える。

「…爆睡真拳超奥義、速睡殺時計!」

俺たちの頭上に一つの大きな時計が現れ、針がぐるぐると回り出す。
彼女の超奥義。レム・スリープワールドの時を急激に早め、永遠の眠りに落とす技。すぐ近くに密度の濃いねむりん粉があることも作用して、この俺でもさすがに瞼が重くなる。うっかり気を抜いてしまえば最期だ。
速睡殺時計を見上げたレムの表情が、泣きそうに歪む。闇の奴らが地上に解放される際に必要とした生け贄は十二人、奇しくも時計の文字盤と同じ数だ。針の無い時計盤に囚われ俺が意識を失った、あの忌々しい光景と重ねているのだろう。
…だとしたら尚更、負けるわけにはいかない。

「ポリゴン真拳究極奥義、ポリゴニック・ルシファー!」

一息に叫んで、魔王ルシファーを召還する。大きな角と鎌を持った魔物は、時計盤にゆっくりと手を伸ばしてオーラを浴びせた。その凶悪なオーラに触れた物は一枚の薄いポリゴン板に変わる、危険かつ俺の最大の奥義だ。
針の動きが止まり、文字盤と周りの装飾が丸みを失って、無機質な板に変わる。更に時計盤だけでは止まらず、この空間にあるものすべてをポリゴンに変えていく。術者の俺を一枚のポリゴンにするような反逆はありえないが、レムが敵と認識されて致命傷を受けてしまわないよう、右腕に力を込めて一層強く抱き締める。
そうして世界が変化に耐えきれなくなった瞬間……ガラスがひび割れるかのように、レム・スリープワールドが砕け散った。




現実世界では、夢の中での記憶とダメージは蓄積されても、物理的な距離や立ち位置までは引き継がれないらしい。はっと目が覚めてすぐに体勢を立て直し、相手の位置を確認する。
髪色が普段通りに戻ったレムは、呆然と立ち尽くしていた。実際の敵との戦闘ならばそうも言っていられないが、今は究極奥義のレム・スリープワールドが破られた直後にまで抵抗する気はないらしい。隙だらけの彼女の正面に一足跳びに近付き、先程されたのと同じく、今度は俺がポリゴンの剣を喉元へ突き付ける。

「…参りました」

その言葉を引き出してから、俺も真拳の発動を止める。レムは力なく座り込み、俺を見上げて困ったように笑った。

「はは…やっぱり敵いませんね、まだまだ…」

当然だろう、俺を誰だと思ってんだ。…なんて言いたいところだが、実際はレムが自己評価で判断しているほどの弱さではなかった。確かに戦闘の途中で不安定な場面はあったが、少なくとも最後、俺がルシファーで対処する程度には、レムの真拳は強力なものに仕上がっていった。
けれど、それを長々と説明してやる必要もない。試合前の切羽詰まった姿を思い返しながら、なおも自信がなさそうに目を伏せるレムに一言。

「力は元通り使えるようになったんだろう?」
「あ…」

レムは言われて初めて気付いたのか、胸元に手を当てて目を閉じ、やがて晴れやかな表情になって小さく頷いた。彼女なりに何か感じるものがあるらしい。
百年前の負の感情、邪悪な精神すら自覚できていなかったレムだから、今回、邪悪な精神がなくてもその「代わり」になる感情で原動力を置き換えたことにも、しばらくは気付かないままかもしれないけれど。レムの心の根幹と、互いにあまり思い出したくもない痛みと、あとは俺のプライドにも関わる事柄だ、そんなのは俺だけの秘密でいい。レム本人が知らずとも、俺だけが知っていればいい。

「…帰るぞ」

レムが居眠りを始める前に声をかけ、背を向けて演習場を後にする。これもわざわざ伝えるつもりはないが、俺だって究極奥義を使った直後だ、一応疲労が溜まっている。こんなところで眠られて、俺が運ぶ羽目になる展開はさすがに避けたい。
後ろからヒールの靴音が響く。ちゃんと立ち上がって、追いかけてきているらしい。駆け足で近寄って、遠慮がちに少し後ろを歩いてから、また少しだけ駆けて今度は隣に並ぶ。
ちらりと見やれば、彼女の外はねの髪、薄い青の色素を持つ毛先が、歩みに合わせて静かに揺れる。戦闘が終わり心配事も片付いてほっとしたのか、彼女の口からあくびが漏れる。頼むから少しだけ眠気は待ってほしい。そんな願いもむなしく、レムは器用に歩きながら目をとろんとさせていく。
日常に戻ったのを妙に実感しながら、二人で並び歩く時間は緩やかに過ぎていった。



fin.

(非公式のファン企画「エアでボーボボオンリー'22」にて初お披露目した話です。
せっかくのオンラインイベントだから原作要素多めで濃い話を、でも他CP推しの方や普段の私の書く話を知らない方も多いだろうから、一応誰でも読める程度には甘すぎず…とか考えながら書いたら「見るからに地の文が詰まってるので、心身が元気な時に読んでくれ」「書き手の私は未だに生け贄盤にめちゃくちゃになってます」みたいな作品になりました…場違い感がちょっと申し訳ない。
題名は、当日は未定のまま載せましたが迷いに迷った結果、書きながらずっと聴いていたポルカドットスティングレイの同タイトル曲から。さらにその曲名の元になったのが睡眠薬の名前で、眠れないなーって時の曲なので、勝手にランレムとの親和性を感じています。「君のためなら死ねるなんていう妙とその声」「逃げてもいいよと笑って」などの歌詞がランレムと重なって、すごく好きです。)

2022/02/22 ツイッターで公開
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