BO-BOBO
いい人、悪い人
玄関の戸が開く音が聞こえて瞬時に「まずい」と思った。心当たりは一つある。俺の家を知っていて、遠慮なく出入りできて、さっき俺が出かけた先で置いてきた奴。
玄関から部屋まではわずか数歩で、靴を脱ぐ時間もそれほどかからないはずだ。逃げ場はない。そんなことを考えている間に、勢いよく部屋の戸が開けられて。
「ねえ、ちょっと!」
来たのは予想通り、レムだった。ハンペンも肩に乗っている。
「何だよ」
何でもない風を装って返事をする。だが彼女がそんなので収まるとは思っていない。
つい先ほど、俺はレムに連れられて外をぶらつく羽目になっていた。レムの言い分は「ハンペンの散歩」だが実際ソイツはレムの肩に乗っているだけで歩いてないし、レムには以前もネットで調べたとかいう雑な情報で公園に連れていかれて痛い目に遭わされたことがある。冬の寒い日だというのに思い付きで行って、お目当てだったマスコットのコミュニティとやらは全く見当たらない、完全なハズレ。だから今回も乗り気ではなかったが、どうも自分は彼女のわがままに弱いらしい。いや、実際はわがままなんていう可愛らしいものではなく、突然外に行こうと誘われて断ったらむっとして「ハンペンと行く」とか言い出すから仕方なく同伴しただけだ。
ともかく成り行きで出かけただけだが、そこで思いがけずレムの知り合いらしい奴と出会ってしまって。しかもそれはレムの美大の友人などではなく、オレンジのトゲトゲとしたマスコットとその飼い主らしき中学生複数人。何を話していいか咄嗟には思い浮かばないツートップ。まぁ美大関係の人でも話題に困るものの、レムがいつも迷惑をかけていないかの確認や世話になっていることへのお礼など、何かしら話すことはある。しかし今回のトゲチビは話が通じるのか怪しい上に、中学生たちはどこからどう見ても純粋無垢な子ばかり。結局、レムの知り合いなのだからと無理やりレムに押し付けて、俺はさっさと帰ってきたわけで。
それから小一時間。そろそろ帰ってくる頃で、面倒事を押し付けられたことに対してレムが怒っていてもおかしくはない。自分の家に帰る前に、苛立ちをぶつけるためにわざわざ俺の家に来ることも。
俺としてはこれ以上ハンペンのことで巻き込まれるのは勘弁してほしかったから、間違ったことをしたとは思っていない…が、それで納得するようなレムではない。というか、俺が正論を投げても感情で跳ね返してくる。俺の言うことはだいたい聞かない。だからいつも俺が折れてレムの思い通りに巻き込まれる。対等な関係のはずだがどこか不平等だ。
まぁ、俺が受け入れてやれば案外すぐに機嫌を直すから、気持ちを引きずらずさっぱりとしているその性格は俺も付き合いやすくて嫌いじゃない。今回も結局そうなるのだろう…と覚悟して気だるげな視線を向ける、が。
レムは目を逸らし頬を上気させ、喉から声を絞り出して問いかけてきた。
「私って…いい人なの…?」
「…はぁ?」
思わず間の抜けた声が出る。何を突然言い出すのか。
今までこんなことはなかった。近所のゴミ捨て程度ならパーカーを着ないで外に出る、男の俺を平気な顔で部屋に入れて気にせず寝ることもある、そんなレムが何故このタイミングで照れるんだ。
少しの間観察して、ハンペンに目が留まって気付く。
「…さっきの子供たちに何か言われたのか?意外といい人ですねーとか」
「いっ、いいから答えて!」
図星だったらしい。レムは相当恥ずかしいのか、ばたばたと手を振って答えを催促してきた。真っ赤な顔で視線をさまよわせながら俺の答えを待つその姿は…なんつーか、なかなか見ない表情で、妙に可愛らしくて、面白い。
普段は言葉遣いから動作まで何かと粗暴で勝ち気で、目つきが鋭くて背も高くて、女らしさの欠片もない。…いや、体つきだけは無駄に女のそれだが。それなのに急にこんな様子になって、面白い以外の感想があるだろうか。
俺は笑いを噛み殺して、余裕たっぷりで答える。
「そうだな…レムが『いい人』なら、世の中の奴はだいたい『いい人』になんじゃね?」
「…はぁあっ!?何それ、私が極悪人みたいじゃない!」
「そこまで言ってねぇだろ。ただ初見では当たりが強そうで優しくないだけで」
「そこまで言ってるようなモンでしょ!」
レムは今度はぎゃんぎゃん吠えながら駆け寄り、俺の口を押さえようと手を伸ばしてくる。ハンペンが肩から落ちたが今はそちらに構っていられないらしい。
彼女の猛攻をうまく避けていると、五回目くらいでとうとう断念したのか手を止めた。
「アンタに訊いたのが間違いだった。私帰る!」
捨て台詞のようにその言葉を吐いて、くるりと背を向ける。それをハンペンが心配そうに見上げた。
俺の方から彼女の表情は見えない、が。
「…まぁ、悪い奴ではないな」
このまま喧嘩別れするのも寝覚めが悪い。独り言のような声量だが本当のことを呟けば、レムはちゃんと聞き取ったらしく立ち止まった。
「えっ…?」
振り向いたその表情は意外そうで、でも少し期待も混じっていて、これが彼女の弱点なのだと実感する。
だから俺はにやりと口角を上げて言ってやる。
「何かと不器用だけど」
俺がそう簡単に褒めると思ったか?
例えば俺が年上でコイツが年下で放っておけないとか、それでコイツが常日頃から何かと慕ってくれているとかだったら、そうしたかもしれない。だがそれはあくまで「例えば」の話。「放っておけない」だけはクリアしているが、それ以外は現状どうすることもできない。今のところ甘やかすつもりなんて全くない。
レムにとっては予想外の展開だったのか呆然と固まっている。このままじゃつまらないから、駄目押しのもう一言。
「あと素直じゃない」
「…っ、アンタに言われたくない!」
「まーでもいい奴だよなー」
「棒読み!?絶対そんなこと思ってないでしょ!」
「いや、本当にいいと思ってるって。体とか」
「そっ、そこは感情込めなくていいわよ!」
「はいはい、優しい奴だよな」
「ちょっと何楽しんでんの!?にやにやするな!」
あーくそ、本当に面白い。
笑いの止まらない俺と顔を赤くしたまま怒るレムをハンペンは交互に見上げて、床にへばり付いたままやれやれと溜め息を吐いた。
fin.
(レムが本当は優しくていい奴だってことぐらい、俺は既に知ってるし。何を今更訊いてんだ。)
2018/08/25 公開
玄関の戸が開く音が聞こえて瞬時に「まずい」と思った。心当たりは一つある。俺の家を知っていて、遠慮なく出入りできて、さっき俺が出かけた先で置いてきた奴。
玄関から部屋まではわずか数歩で、靴を脱ぐ時間もそれほどかからないはずだ。逃げ場はない。そんなことを考えている間に、勢いよく部屋の戸が開けられて。
「ねえ、ちょっと!」
来たのは予想通り、レムだった。ハンペンも肩に乗っている。
「何だよ」
何でもない風を装って返事をする。だが彼女がそんなので収まるとは思っていない。
つい先ほど、俺はレムに連れられて外をぶらつく羽目になっていた。レムの言い分は「ハンペンの散歩」だが実際ソイツはレムの肩に乗っているだけで歩いてないし、レムには以前もネットで調べたとかいう雑な情報で公園に連れていかれて痛い目に遭わされたことがある。冬の寒い日だというのに思い付きで行って、お目当てだったマスコットのコミュニティとやらは全く見当たらない、完全なハズレ。だから今回も乗り気ではなかったが、どうも自分は彼女のわがままに弱いらしい。いや、実際はわがままなんていう可愛らしいものではなく、突然外に行こうと誘われて断ったらむっとして「ハンペンと行く」とか言い出すから仕方なく同伴しただけだ。
ともかく成り行きで出かけただけだが、そこで思いがけずレムの知り合いらしい奴と出会ってしまって。しかもそれはレムの美大の友人などではなく、オレンジのトゲトゲとしたマスコットとその飼い主らしき中学生複数人。何を話していいか咄嗟には思い浮かばないツートップ。まぁ美大関係の人でも話題に困るものの、レムがいつも迷惑をかけていないかの確認や世話になっていることへのお礼など、何かしら話すことはある。しかし今回のトゲチビは話が通じるのか怪しい上に、中学生たちはどこからどう見ても純粋無垢な子ばかり。結局、レムの知り合いなのだからと無理やりレムに押し付けて、俺はさっさと帰ってきたわけで。
それから小一時間。そろそろ帰ってくる頃で、面倒事を押し付けられたことに対してレムが怒っていてもおかしくはない。自分の家に帰る前に、苛立ちをぶつけるためにわざわざ俺の家に来ることも。
俺としてはこれ以上ハンペンのことで巻き込まれるのは勘弁してほしかったから、間違ったことをしたとは思っていない…が、それで納得するようなレムではない。というか、俺が正論を投げても感情で跳ね返してくる。俺の言うことはだいたい聞かない。だからいつも俺が折れてレムの思い通りに巻き込まれる。対等な関係のはずだがどこか不平等だ。
まぁ、俺が受け入れてやれば案外すぐに機嫌を直すから、気持ちを引きずらずさっぱりとしているその性格は俺も付き合いやすくて嫌いじゃない。今回も結局そうなるのだろう…と覚悟して気だるげな視線を向ける、が。
レムは目を逸らし頬を上気させ、喉から声を絞り出して問いかけてきた。
「私って…いい人なの…?」
「…はぁ?」
思わず間の抜けた声が出る。何を突然言い出すのか。
今までこんなことはなかった。近所のゴミ捨て程度ならパーカーを着ないで外に出る、男の俺を平気な顔で部屋に入れて気にせず寝ることもある、そんなレムが何故このタイミングで照れるんだ。
少しの間観察して、ハンペンに目が留まって気付く。
「…さっきの子供たちに何か言われたのか?意外といい人ですねーとか」
「いっ、いいから答えて!」
図星だったらしい。レムは相当恥ずかしいのか、ばたばたと手を振って答えを催促してきた。真っ赤な顔で視線をさまよわせながら俺の答えを待つその姿は…なんつーか、なかなか見ない表情で、妙に可愛らしくて、面白い。
普段は言葉遣いから動作まで何かと粗暴で勝ち気で、目つきが鋭くて背も高くて、女らしさの欠片もない。…いや、体つきだけは無駄に女のそれだが。それなのに急にこんな様子になって、面白い以外の感想があるだろうか。
俺は笑いを噛み殺して、余裕たっぷりで答える。
「そうだな…レムが『いい人』なら、世の中の奴はだいたい『いい人』になんじゃね?」
「…はぁあっ!?何それ、私が極悪人みたいじゃない!」
「そこまで言ってねぇだろ。ただ初見では当たりが強そうで優しくないだけで」
「そこまで言ってるようなモンでしょ!」
レムは今度はぎゃんぎゃん吠えながら駆け寄り、俺の口を押さえようと手を伸ばしてくる。ハンペンが肩から落ちたが今はそちらに構っていられないらしい。
彼女の猛攻をうまく避けていると、五回目くらいでとうとう断念したのか手を止めた。
「アンタに訊いたのが間違いだった。私帰る!」
捨て台詞のようにその言葉を吐いて、くるりと背を向ける。それをハンペンが心配そうに見上げた。
俺の方から彼女の表情は見えない、が。
「…まぁ、悪い奴ではないな」
このまま喧嘩別れするのも寝覚めが悪い。独り言のような声量だが本当のことを呟けば、レムはちゃんと聞き取ったらしく立ち止まった。
「えっ…?」
振り向いたその表情は意外そうで、でも少し期待も混じっていて、これが彼女の弱点なのだと実感する。
だから俺はにやりと口角を上げて言ってやる。
「何かと不器用だけど」
俺がそう簡単に褒めると思ったか?
例えば俺が年上でコイツが年下で放っておけないとか、それでコイツが常日頃から何かと慕ってくれているとかだったら、そうしたかもしれない。だがそれはあくまで「例えば」の話。「放っておけない」だけはクリアしているが、それ以外は現状どうすることもできない。今のところ甘やかすつもりなんて全くない。
レムにとっては予想外の展開だったのか呆然と固まっている。このままじゃつまらないから、駄目押しのもう一言。
「あと素直じゃない」
「…っ、アンタに言われたくない!」
「まーでもいい奴だよなー」
「棒読み!?絶対そんなこと思ってないでしょ!」
「いや、本当にいいと思ってるって。体とか」
「そっ、そこは感情込めなくていいわよ!」
「はいはい、優しい奴だよな」
「ちょっと何楽しんでんの!?にやにやするな!」
あーくそ、本当に面白い。
笑いの止まらない俺と顔を赤くしたまま怒るレムをハンペンは交互に見上げて、床にへばり付いたままやれやれと溜め息を吐いた。
fin.
(レムが本当は優しくていい奴だってことぐらい、俺は既に知ってるし。何を今更訊いてんだ。)
2018/08/25 公開
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