Cells at Work
再生する細胞
ガン細胞を討伐し終えて、皆も仲直りできて、せっかくだしこれから打ち上げをしようと盛り上がっていた…その傍らで。
白血球さんは「終わり」を見据えていた。
白血球は定量の仕事をこなすと寿命が来る。病気じゃなくても、怪我をしていなくても…動けなくなってからよりも元気なうちに処分されるのがこの世界の仕組みであり、逆らうことのできない掟だった。それは赤血球だって同じで、私も遠い将来には処分されるために脾臓へ行く。当たり前のことで分かっていたはずだった。
でも、その運命が目の前に突きつけられて初めて、私はその残酷さに気付いた。自分のことではないにしろ見知った細胞が…仲良くなった白血球さんが死んでしまうという現実に呆然として、そして初めて抗いたいと思ってしまった。
死んだ血球はまた生まれ変わるから、完全にお別れというわけではない。
だけどそう言われても、今仲良くなった「1116番の白血球さん」がこの世界からいなくなってしまうことには変わりない。それに、死んでしまえばきっと記憶だってすべて消えてしまう。自分の仕事も識別番号も、ガン細胞と戦った時の痛みも…私と話していたことも、すべて。
『生まれ変わっても、ちょっとだけでいいので…私のこと、覚えててくださいね』
そんな約束を交わしても、白血球さんが覚えていられないことは分かっていた。細胞同士の約束なんてこの世界の決まりに比べればとても小さくて無力なものだ。守れない約束をさせてしまった過ちが、胸の奥で今さら後悔に変わっていく。
それに再会できる可能性だって限りなく低い。姿だって変わっているかもしれない。お互いのことなんて、何億分かの一の確率ですれ違ったとしても見つけられない可能性の方が高い。
それはつまり、もう二度と会えないということ。
ペンの貸し借りをすることも、隣に並んで歩くことも、今日のことを思い返しながら笑うことも…もう、二度とできない。
こうなるのなら、もっと怖がらずに話せばよかった。
白血球さんと初めて会った時、その目つきと雰囲気に私は怯えていた。ペンは貸したけれどそれ以上は関わりたくないと思っていて、それなのに次会った時には行き先が同じで、しかも目的地の腎臓は戦場になっているなんて聞かされて。怖くて行きたくないし今日の仕事は他の赤血球に代わってほしいと思ったくらいだ。だけど今思えば、白血球さんはずっと穏やかで優しくしてくれていた。「ペンを貸してくれたお礼に守っててやる」と言ってくれた。血小板ちゃんの手伝いで慌ててしまってもすぐに解決してくれた。戦闘能力を持たない私を現場から逃がしてくれた。私が皆を運んでくると、ビックリしながらもガン細胞の攻撃から守ってくれて、その後皆と協力してくれた。全然怖い人なんかじゃなかったんだ。
だから、私は――
「…がんばらなきゃ」
沈んでいた思考を無理やり現実に戻して、右腕でごしごしと涙を拭う。そろそろ休憩時間も終わるところだ。ネガティブを追い払うように頭を振ると、後ろで一つに結んだ髪も揺れる。
白血球さんがいなくなってしばらくしてから、ふと思い出しては涙が出るようになった。あの時は泣きそうなのを堪えてお礼を言えたのに。白血球さんと一緒にいた時間は、赤血球の人生の中でも少しの間だけだったのに。
だけどいつまでも落ち込んではいられない。赤血球の仕事は酸素を運ぶこと。白血球さんが職務を全うしたように、私もこの世界をたくさん往復して自分の仕事をやり遂げたい。
決意を新たに台車のハンドルを握ったその時、突然スピーカーから警報が鳴って、辺りにヘルパーT細胞さんのアナウンスが流れる。何やらこの近くでウイルスの侵入があったようで、感染してしまった細胞もいるらしい。
赤血球や一般細胞がそれを聞いて慌てて逃げる中…彼らとは逆方向に走っていく二人がいる。以前も同じウイルスが入ってきたことがあるのか「早く」「大量に」をモットーとして二次応答を起こしたらしい記憶細胞さんと、彼の指示を受けて大量の抗体を作り現場へと運んでいくB細胞さん。
少し遠くの方を見れば、天井からヒスタミンが放出されていた。あれはマスト細胞さんの仕事だ。大量のヒスタミンが波になって進んでいく方向はおそらく戦闘現場の最前線で、中にはその波に巻き込まれたような白血球さんたちがたくさんいる。
一瞬もしかして、と思ったけれど確かあの辺りはついさっき酸素を配達してきた場所。幾人かの白血球とすれ違ったけれど皆「彼」ではない白血球だった。ヒスタミンで白血球の遊走性が高まったとはいえ、今もいない可能性が高い…し、今あそこに近付くとずぶ濡れになりそうだ。
この場は一旦諦めて肺の方へ歩き出すと、今度はキラーT細胞さんとNK細胞さんに出会った。彼らもウイルスと戦う現場へ向かうみたいだけど、今までの免疫系たちと違って競い合い、ケンカしながらずんずん進んでいる。ガン細胞討伐の時でさえNK細胞さんはキラーT細胞さんを囮として犠牲にしていたくらいで、そして一時休戦と言っていたのもあり、これではまた元通りのように見えるけれど…彼らの表情は完全に相手を憎んでいるそれではなく、むしろなんだか楽しそうだ。天邪鬼な彼らに思わずくすりと笑ってしまう。
「…さてと、お仕事お仕事っ」
誰に言うわけでもなく呟いてから、また台車を押して歩き出した。
この前まで協力ってものすらできなかった細胞たちが、今ではそれなりに協力して働いている。まぁ、時々ケンカしている場面も見かけるけれど…それでも、以前までよりはずっと良い。きっと彼が戻ってきた時には、私と大切な仲間たちが働くこの世界は今まで以上に良くなっているだろう。
それとも、もうこの世界のどこかに戻ってきているのだろうか。
ポケットの上から大切なペンに触れる。
あの時、白血球さんは私に「俺が守っててやるから」と言って、その後本当にガン細胞から守ってくれた。
だから私は信じている。ずっと覚えている。
あの時の彼の言葉を。優しい笑顔を。
いつか絶対に、また会えるんだ…ってことを。
fin.
(題名は欅坂46の同タイトル曲から。切なくて綺麗な曲で、歌詞的には「傷付いてもその部分(≒細胞)はやがて再生する」といった意味合いなのですが、今回は再生(生まれ変わり)という点から「細胞の話」設定で書いてみました。)
2018/08/18 公開
ガン細胞を討伐し終えて、皆も仲直りできて、せっかくだしこれから打ち上げをしようと盛り上がっていた…その傍らで。
白血球さんは「終わり」を見据えていた。
白血球は定量の仕事をこなすと寿命が来る。病気じゃなくても、怪我をしていなくても…動けなくなってからよりも元気なうちに処分されるのがこの世界の仕組みであり、逆らうことのできない掟だった。それは赤血球だって同じで、私も遠い将来には処分されるために脾臓へ行く。当たり前のことで分かっていたはずだった。
でも、その運命が目の前に突きつけられて初めて、私はその残酷さに気付いた。自分のことではないにしろ見知った細胞が…仲良くなった白血球さんが死んでしまうという現実に呆然として、そして初めて抗いたいと思ってしまった。
死んだ血球はまた生まれ変わるから、完全にお別れというわけではない。
だけどそう言われても、今仲良くなった「1116番の白血球さん」がこの世界からいなくなってしまうことには変わりない。それに、死んでしまえばきっと記憶だってすべて消えてしまう。自分の仕事も識別番号も、ガン細胞と戦った時の痛みも…私と話していたことも、すべて。
『生まれ変わっても、ちょっとだけでいいので…私のこと、覚えててくださいね』
そんな約束を交わしても、白血球さんが覚えていられないことは分かっていた。細胞同士の約束なんてこの世界の決まりに比べればとても小さくて無力なものだ。守れない約束をさせてしまった過ちが、胸の奥で今さら後悔に変わっていく。
それに再会できる可能性だって限りなく低い。姿だって変わっているかもしれない。お互いのことなんて、何億分かの一の確率ですれ違ったとしても見つけられない可能性の方が高い。
それはつまり、もう二度と会えないということ。
ペンの貸し借りをすることも、隣に並んで歩くことも、今日のことを思い返しながら笑うことも…もう、二度とできない。
こうなるのなら、もっと怖がらずに話せばよかった。
白血球さんと初めて会った時、その目つきと雰囲気に私は怯えていた。ペンは貸したけれどそれ以上は関わりたくないと思っていて、それなのに次会った時には行き先が同じで、しかも目的地の腎臓は戦場になっているなんて聞かされて。怖くて行きたくないし今日の仕事は他の赤血球に代わってほしいと思ったくらいだ。だけど今思えば、白血球さんはずっと穏やかで優しくしてくれていた。「ペンを貸してくれたお礼に守っててやる」と言ってくれた。血小板ちゃんの手伝いで慌ててしまってもすぐに解決してくれた。戦闘能力を持たない私を現場から逃がしてくれた。私が皆を運んでくると、ビックリしながらもガン細胞の攻撃から守ってくれて、その後皆と協力してくれた。全然怖い人なんかじゃなかったんだ。
だから、私は――
「…がんばらなきゃ」
沈んでいた思考を無理やり現実に戻して、右腕でごしごしと涙を拭う。そろそろ休憩時間も終わるところだ。ネガティブを追い払うように頭を振ると、後ろで一つに結んだ髪も揺れる。
白血球さんがいなくなってしばらくしてから、ふと思い出しては涙が出るようになった。あの時は泣きそうなのを堪えてお礼を言えたのに。白血球さんと一緒にいた時間は、赤血球の人生の中でも少しの間だけだったのに。
だけどいつまでも落ち込んではいられない。赤血球の仕事は酸素を運ぶこと。白血球さんが職務を全うしたように、私もこの世界をたくさん往復して自分の仕事をやり遂げたい。
決意を新たに台車のハンドルを握ったその時、突然スピーカーから警報が鳴って、辺りにヘルパーT細胞さんのアナウンスが流れる。何やらこの近くでウイルスの侵入があったようで、感染してしまった細胞もいるらしい。
赤血球や一般細胞がそれを聞いて慌てて逃げる中…彼らとは逆方向に走っていく二人がいる。以前も同じウイルスが入ってきたことがあるのか「早く」「大量に」をモットーとして二次応答を起こしたらしい記憶細胞さんと、彼の指示を受けて大量の抗体を作り現場へと運んでいくB細胞さん。
少し遠くの方を見れば、天井からヒスタミンが放出されていた。あれはマスト細胞さんの仕事だ。大量のヒスタミンが波になって進んでいく方向はおそらく戦闘現場の最前線で、中にはその波に巻き込まれたような白血球さんたちがたくさんいる。
一瞬もしかして、と思ったけれど確かあの辺りはついさっき酸素を配達してきた場所。幾人かの白血球とすれ違ったけれど皆「彼」ではない白血球だった。ヒスタミンで白血球の遊走性が高まったとはいえ、今もいない可能性が高い…し、今あそこに近付くとずぶ濡れになりそうだ。
この場は一旦諦めて肺の方へ歩き出すと、今度はキラーT細胞さんとNK細胞さんに出会った。彼らもウイルスと戦う現場へ向かうみたいだけど、今までの免疫系たちと違って競い合い、ケンカしながらずんずん進んでいる。ガン細胞討伐の時でさえNK細胞さんはキラーT細胞さんを囮として犠牲にしていたくらいで、そして一時休戦と言っていたのもあり、これではまた元通りのように見えるけれど…彼らの表情は完全に相手を憎んでいるそれではなく、むしろなんだか楽しそうだ。天邪鬼な彼らに思わずくすりと笑ってしまう。
「…さてと、お仕事お仕事っ」
誰に言うわけでもなく呟いてから、また台車を押して歩き出した。
この前まで協力ってものすらできなかった細胞たちが、今ではそれなりに協力して働いている。まぁ、時々ケンカしている場面も見かけるけれど…それでも、以前までよりはずっと良い。きっと彼が戻ってきた時には、私と大切な仲間たちが働くこの世界は今まで以上に良くなっているだろう。
それとも、もうこの世界のどこかに戻ってきているのだろうか。
ポケットの上から大切なペンに触れる。
あの時、白血球さんは私に「俺が守っててやるから」と言って、その後本当にガン細胞から守ってくれた。
だから私は信じている。ずっと覚えている。
あの時の彼の言葉を。優しい笑顔を。
いつか絶対に、また会えるんだ…ってことを。
fin.
(題名は欅坂46の同タイトル曲から。切なくて綺麗な曲で、歌詞的には「傷付いてもその部分(≒細胞)はやがて再生する」といった意味合いなのですが、今回は再生(生まれ変わり)という点から「細胞の話」設定で書いてみました。)
2018/08/18 公開
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