Cells at Work

信頼の形

アニサキスの襲来を好酸球が無事食い止め、彼女がたくさんの細胞たちからその活躍を称えられたその後。
勝利に盛り上がる好酸球たちから離れ、無機質な支柱が見える通路の方に立っていた俺へ、知り合いの好中球が追い越しざま声をかけてきた。

「さっきめっちゃ吹っ飛ばされてたなー、お前」
「う…」

おいおい、すぐ隣には赤血球もいるのに今それを言うのか。まぁ、吹っ飛ばされた場面は赤血球にも間違いなく見られていたから、今更ごまかせるものでもないのだが。
ばつが悪くなって赤血球に背を向ける。あの時は緊急事態だったため気にしていなかったが、平和になった今言われると、赤血球にカッコ悪いところを見られた実感がじわじわと襲いかかってきた。
好中球の仕事は雑菌の駆除。細菌だろうと昔仲間だった感染細胞だろうと容赦なく殺す、殺し屋だ。それゆえ俺たちを怖がる細胞も多い中、この赤血球は怖がるどころか俺を頼りにしてくれている。それなのに今回は頼りにならないと思われていないか、にわかに不安になった…その時。

「…ふふっ」

後ろから赤血球の笑う声がした。困ったような、でも楽しそうな声。落胆や失望の色が見えないことにほっとして振り向くと、赤血球は一瞬きょとんとした後、はっと青ざめて勢いよく頭を下げた。

「あっ!?ごめんなさい笑ってしまって!すみませんすみません!」
「…いや、いいんだ…」

正直、笑われたことよりも平謝りされていることの方が傷付く。まるで許してもらえなければ殺されてしまうかのようで、それはつまり信頼してもらっていないようで。もっとも、この必死に謝る健気さが彼女らしさでもあるけれど。

「ごめんなさい、ごめんなさい!」
「いやその、本当に大丈夫だから…」
「本当ですか?本当に怒ってないですか?」
「あぁ。怒ってないから」

両手を軽く上げて宥めると、涙目だった赤血球は再び笑顔を見せてくれた。さっきは信頼されていない気がしたのに、何度か言い聞かせたら納得するあたり素直というか…やっぱり怖がられてはいないのだと心底安心する。
思えば今こうして二人でいるのも、元はといえば一緒に胃の見学に来たからだ。道を覚えることに精一杯であまり胃を見たことがない彼女をせっかくだからと案内したのが始まりで。案内することを俺が提案した時だって彼女は特に迷わず嫌がらず、むしろ知り合いと一緒で助かると言わんばかりに目を輝かせてついてきた。…正確には彼女のことだから「知り合いと一緒で助かる」というより「道に迷わなくて助かる」と思っていたかもしれないが。
それでも、子どものようにガラスに張り付いて水槽の胃酸を眺めたり興奮気味に話したりする赤血球を見守っていると、何度か来ている場所だが意外と楽しくて新鮮に感じられたほどだ。

「…そういえば、胃の見学はもういいのか?」
「はい!案内していただいて、ありがとうございました!」

ちょっと尋ねたはずなのに、今度は元気良くお礼を述べられた。今回は細菌から助けたのではなくただのお節介で付き添っただけなのだが、助けた時のように感謝されるのは少しむず痒い。
そもそも細菌から助けることでさえ、俺たち好中球にとっては仕事だから、わざわざお礼を言われた時には戸惑った。今では彼女がお礼を言うのは「彼女の性格・癖」だと割り切ってこちらも素直に受け取るようにしている…が、その小さな温かさに慣れることはなく、毎回じんわりと心を満たしていく。

「白血球さんは心残りないですか?見逃した場所とか…」
「いや、俺は何度か来たことがあるからな。外敵のいない時にまた見に来ることもできるし」
「そっか、そうですね!私も仕事でこの辺りを通る時があったら、また見よーっと!」

早くも次を楽しみにしているのか、赤血球は弾む声で言う。好中球の仕事は突然で、場所も時間も予め定められてはいない。そして白血球も赤血球も数が多いから、またここで偶然会って一緒に見学できるかは分からない。
…だが、いつかはそうなればいいと思う。
穏やかな心地で結論付けて…リラックスして頭が冴えたのか、ふと気になることを思い出した。胃の見学で見逃した場所はないが、聞き逃したことは一つある。

「ところで、赤血球はあの時何を言おうとしたんだ?」
「えっ?あの時って…」
「レセプターが反応して俺が仕事に戻った時だ。『続きは後ほど聞かせてくれ』と言っただろう」
「あぁ、あの時の…!いえいえ、そんな大層な話じゃないので!」

今度は赤血球が両手を軽く上げて、首を横に振った。正直な彼女のことだ、何かを隠している様子ではない…が。

「じゃあ、大層な話じゃなくていいから、さっきの続きをしないか」
「続き…ですか?」

食い下がってみると、赤血球は数秒のタイムラグの後、理解したように「はい!」と明るく返事をした。嬉しさを前面に出して快諾され、彼女の空気感に引っ張られるように俺も自然と口角が上がる。

「あのですね、私、胃は近くを通り過ぎるだけであまり見たことなくて、今日初めて見たんですよ」
「うん」
「胃液は黄色いのに透明で、すっごく深くて広くて!」
「あぁ」
「栄養の塊がじゅわーって溶けてて、すごいなーと思ってですね!」
「そうだな」
「えーっとそれから…!」

赤血球は大きな身振り手振りを交えながら話し出した。こんなに楽しそうな赤血球に「隣で見ていたから知っている」と伝えるのは野暮だろう。胃の見学をしていた時と同じく相槌を打ちながら聞いていると。

「ぎゃあぁぁーっ!」
「何だ、どうした赤血球!?」

突如、赤血球は悲鳴を上げて俺の後ろに隠れた。細菌でも見つけたのかと思ったがレセプターは反応していない。何事かと赤血球を見やり、次に彼女の視線の先を見る。
…そこには、長袖長ズボンで頭にフードのようなものを被り、口元も布で覆っていて目元だけしか見えない男が立っていた。

「あっ、あの目の前の人…!怪しい細胞さんじゃないですか!?」
「あぁ…あの人は好塩基球さんだ。好酸球とよく一緒にいる人で、悪い人じゃない」
「なんだ、そうなんだ…」

ほっとして一気に力が抜けたのか、赤血球はへなへなと座り込んだ。腕を取って助け起こしてやると、俺たちのいる場所から少し先にいた好塩基球さんが遠くを見て一言。

「招かれざる客によって穿うがたれた穴から、群衆の心に光が差し込むとは…皮肉なものだな、我ら細胞の運命というものは」

好酸球ではないが彼の言いたいことが今だけは直感的に分かって、答えを確認するように呟いた。

「…つまり、一件落着ってことですね」

赤血球が不思議そうに好塩基球さんを見た後、その視線を俺に向けた。



fin.

(好塩基球さんの言葉はアニメバージョン。)

2018/08/05 公開
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