Cells at Work
狂った世界
※原作には無い、アニメで追加されたネタを含みます。むしろアニメオリジナル要素から考えた捏造しかないです。
転んだ赤血球を助け起こした理由は、端的に言えば一時の気の迷いだった。
ひとつは、僕の一番最初の仲間に似ていたから。容姿の話ではない。危機から逃げる最中に転んでしまえば、それだけで殺されるリスクが高まる。あの時は助け起こそうと引き返したら最後、自分も見つかって殺されていた。だから咄嗟に死角に隠れて、声を押し殺して、彼の悲鳴とむごい仕打ちから耳を塞いだ。その罪滅ぼしじゃないけれど、あの時よりは余裕があったから、似た状況の彼女を助け起こした。
もうひとつの理由は、他の「普通の細胞」なら、こうするのかなと思ったから。皆が細菌から逃げているから同じように逃げた。他の細胞と違っていても、だからといって外敵に強い無敵の存在というわけでは決してない。試したことはないけれど、おそらく細菌に攻撃されたら他の細胞と同じように死ぬ。だから他の細胞と同じように逃げて、他の細胞ならそうすると予想して転んだ血球を助け起こした。…行動に移してから、普通の細胞はそんなことをしないのだと知った。
これはちょっとした誤算だったと思う。けれど、周りで誰が転ぼうが気にしない他の細胞よりも、自分のほうが「いいこと」をしている気になれた。あの凄惨な生まれから必死に隠れて生き延びて成長したのだ、更に仮初めの善意でも他の細胞に手を差し伸べられるなら、自分は普通よりもいい細胞なのではないかと。
けれど、そんな期待はインフルエンザの襲来騒動で綺麗に打ち消された。
ウイルスから逃げる最中、声をかけてきたのは彼女からだった。この先の場所で何が起こっているのかと状況を確認するだけの、たった一言二言の会話だ。親切に教えて、それっきり。劇的なことは一切起こらなかった。
ウイルスの感染で直接被害を受けるのは細胞だ。赤血球はウイルスそのものよりも、感染した細胞から襲われる形で巻き込まれる場合が多い。だから危機感が違ったのかもしれない。それでも危機は迫っていたから、転んではいなくても再会を喜ぶ余裕なんて向こうには無かったのかもしれない。そもそも赤血球と細胞では役割が違うから、一度会っただけの細胞のことはいちいち覚えないのかもしれない。…そうして、あらゆる可能性を順に列挙して、うるさく騒ぐ心を納得させる。
この世界に害をなすことは悪だ。でも、誰かに少しの善意を向けたところで、それが世界全体に対する「身体にいいこと」には直結しない。誰も助けない転んだ細胞に手を差し伸べた自分よりも、そんなドジを見捨てて逃げる細胞のほうが、この世界では根本的なところを見て「善」とされるのだ。ここは、そういう世界だ。
ウイルスはそこら中を漂っていて、騒動はまだ続いている。迷いを振り切るように、必死に足を動かす。ウイルスに感染すればそこで終わりだ。自我が消えて、免疫細胞に殺される。仲間だったはずの奴らに。
遅かれ早かれ自分は死ぬ運命で、結末は同じだとしても、まだ死にたくはなかった。まだ自分は何のために生まれてきたのかも分からない、まだ何も成し遂げていない。
――あの時の細胞さんですか?また会えましたね!危ないところを助けてくれてありがとうございました!
…そんな言葉は望まない。同じ顔のコピーがずっと生まれ続ける細胞を、赤血球はいちいち覚えない。覚えていないから、例えば今生きているかも分からない元の正常な細胞に対しても、彼女は偏見なく配達をして笑いかけるのだろう。がん細胞と同じ顔をしたコピー元の細胞がいても、赤血球の配達からは不利にならないように。
劇的な再会なんて起こらない。この世界は、悲しいほどに残酷で、狂っている。
fin.
(Eテレでの放送を見て浮かんだ、がん赤未満の話。アニメオリジナル要素ですが、一般細胞(に擬態したがん細胞)は2話で印象的に登場して3話で赤血球ちゃんと再会してるのに、白赤のような展開にはならないし、この先のがん細胞回では死体でも怖がられるのか…白赤との違いは何だろう…としばらく考えていました。)
2024/04/27 公開
※原作には無い、アニメで追加されたネタを含みます。むしろアニメオリジナル要素から考えた捏造しかないです。
転んだ赤血球を助け起こした理由は、端的に言えば一時の気の迷いだった。
ひとつは、僕の一番最初の仲間に似ていたから。容姿の話ではない。危機から逃げる最中に転んでしまえば、それだけで殺されるリスクが高まる。あの時は助け起こそうと引き返したら最後、自分も見つかって殺されていた。だから咄嗟に死角に隠れて、声を押し殺して、彼の悲鳴とむごい仕打ちから耳を塞いだ。その罪滅ぼしじゃないけれど、あの時よりは余裕があったから、似た状況の彼女を助け起こした。
もうひとつの理由は、他の「普通の細胞」なら、こうするのかなと思ったから。皆が細菌から逃げているから同じように逃げた。他の細胞と違っていても、だからといって外敵に強い無敵の存在というわけでは決してない。試したことはないけれど、おそらく細菌に攻撃されたら他の細胞と同じように死ぬ。だから他の細胞と同じように逃げて、他の細胞ならそうすると予想して転んだ血球を助け起こした。…行動に移してから、普通の細胞はそんなことをしないのだと知った。
これはちょっとした誤算だったと思う。けれど、周りで誰が転ぼうが気にしない他の細胞よりも、自分のほうが「いいこと」をしている気になれた。あの凄惨な生まれから必死に隠れて生き延びて成長したのだ、更に仮初めの善意でも他の細胞に手を差し伸べられるなら、自分は普通よりもいい細胞なのではないかと。
けれど、そんな期待はインフルエンザの襲来騒動で綺麗に打ち消された。
ウイルスから逃げる最中、声をかけてきたのは彼女からだった。この先の場所で何が起こっているのかと状況を確認するだけの、たった一言二言の会話だ。親切に教えて、それっきり。劇的なことは一切起こらなかった。
ウイルスの感染で直接被害を受けるのは細胞だ。赤血球はウイルスそのものよりも、感染した細胞から襲われる形で巻き込まれる場合が多い。だから危機感が違ったのかもしれない。それでも危機は迫っていたから、転んではいなくても再会を喜ぶ余裕なんて向こうには無かったのかもしれない。そもそも赤血球と細胞では役割が違うから、一度会っただけの細胞のことはいちいち覚えないのかもしれない。…そうして、あらゆる可能性を順に列挙して、うるさく騒ぐ心を納得させる。
この世界に害をなすことは悪だ。でも、誰かに少しの善意を向けたところで、それが世界全体に対する「身体にいいこと」には直結しない。誰も助けない転んだ細胞に手を差し伸べた自分よりも、そんなドジを見捨てて逃げる細胞のほうが、この世界では根本的なところを見て「善」とされるのだ。ここは、そういう世界だ。
ウイルスはそこら中を漂っていて、騒動はまだ続いている。迷いを振り切るように、必死に足を動かす。ウイルスに感染すればそこで終わりだ。自我が消えて、免疫細胞に殺される。仲間だったはずの奴らに。
遅かれ早かれ自分は死ぬ運命で、結末は同じだとしても、まだ死にたくはなかった。まだ自分は何のために生まれてきたのかも分からない、まだ何も成し遂げていない。
――あの時の細胞さんですか?また会えましたね!危ないところを助けてくれてありがとうございました!
…そんな言葉は望まない。同じ顔のコピーがずっと生まれ続ける細胞を、赤血球はいちいち覚えない。覚えていないから、例えば今生きているかも分からない元の正常な細胞に対しても、彼女は偏見なく配達をして笑いかけるのだろう。がん細胞と同じ顔をしたコピー元の細胞がいても、赤血球の配達からは不利にならないように。
劇的な再会なんて起こらない。この世界は、悲しいほどに残酷で、狂っている。
fin.
(Eテレでの放送を見て浮かんだ、がん赤未満の話。アニメオリジナル要素ですが、一般細胞(に擬態したがん細胞)は2話で印象的に登場して3話で赤血球ちゃんと再会してるのに、白赤のような展開にはならないし、この先のがん細胞回では死体でも怖がられるのか…白赤との違いは何だろう…としばらく考えていました。)
2024/04/27 公開
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