Cells at Work

第一印象

最初は素直な子だなと思った。
俺たちがすり傷および細菌を探していた時、彼女だけは怖がらずに「あっちです」と答えてくれたから。
たぶん、赤血球たちに悪気はない。免疫系は味方だと分かっていても、自分たちを襲う敵を倒してくれる奴らだと理解していても、目の前で惨劇が繰り広げられれば遠巻きにもしたくなる。
その上、ついさっきまで平和に過ごしていたのが一変して細菌に狙われ、そうかと思えば俺たちがそれに対処して、張り詰めていた緊張が急に緩んだのだから。目まぐるしく状況が変わる中、すり傷の場所を落ち着いて答えられる非戦闘員はそうはいない。
…まぁ彼女は全く現状を怖がっていないわけじゃなくて、どちらかというと「訊かれたから反射的に答えてしまった」みたいな様子だったけれど。

その時はそんなふうに少しだけ印象に残ったものの、まだ大勢いる赤血球のうちの一人でしかなかった。
俺たちの問いにすぐ答えてくれたという点では優しいけれど、偶然出会ってすぐ別れただけの赤血球。声で女性だというのは分かるけれど、髪の色や長さまではきっと覚えていない、次にどこかの道ですれ違ったとしてもたぶんお互いに気付かない程度の認識。

そもそも俺だって好中球として仕事をする以上、細菌や傷口の目撃者らしき細胞に話を聞くことはあるけれど、協力者について特徴をずっと覚えていられるかどうかは怪しい。まずは外敵の駆除が第一だから、戦闘中は思いを巡らす暇はないし…そんなことをしている間にどんな細胞だったかなんて、余程印象に残る出来事でもなければ、ほとんど忘れてしまう。
それに仮に協力者を覚えていたとして、細菌を倒し終わって礼を言おうとその場へ戻ってきても、赤血球たちは配達に向かったのかもういないことの方が多い。仕事場が重なりやすくたびたび共闘する免疫細胞ならともかく、数の多い赤血球たちに関しては基本的に一期一会だ。
その感覚はおそらく赤血球たちも同じで、だからあの赤血球だってわざわざ「大勢いる好中球の中でも今回のすり傷で駆けつけてくれた好中球、少しだけ話した好中球」みたいな判別はしないだろう、できないだろうと思っていたんだ。

だけど。
できたばかりの血栓の上に一人だけ先に降りてきた赤血球は、まぎれもなくあの素直な協力者だった。血小板ちゃんによって1146番のすぐ隣に降ろしてもらった彼女は、何の躊躇いもなく1146番の近くに座る。
そういや1146番、すり傷の発生時には俺たちよりも早く現場に到着していたもんな。その時にでも一度会ってたんだろうか、どうやら1146番も彼女を認識しているらしい。
彼女が呼びかける「白血球さん」が、好中球全体を指しているのか、それとも1146番だけを指した呼び方なのか、今のところはまだ確定できないけれど…。でも、大勢の好中球の中から、彼女は「今回のすり傷で戦っていた好中球」を認識して、そこに1146番が確実に含まれていることだけは感じ取れた。
俺の予想では、おそらくこの子は1146番を個人として認識しているんだろうな。「好中球」に用事があるだけなら、血栓に辿り着くまでの間に2048番や2626番がいたはずで、でもそいつらではなくわざわざ1146番のところへ来たということは、そういうことなんだろう。
その証拠に、彼女は俺のほうには気付いてすらいないのか見向きもしない。…まぁ、血栓付近で必死にガラクタにしがみついてる情けない好中球がいるなんて、普通は考えないだろうけどさ。

ぽつりぽつりと話し始める二人。俺のいる位置からは距離がある分よく聞こえない…と言いたいところだけど、ここはさっきまで傷口だった場所で、一般細胞も赤血球も皆避難した後だから、静かすぎて大体のことは聞こえてしまう。
まずはお互いの安否を確認して…あ、今1146番、強がってカッコつけたな。「こんなの、かすり傷だ」って。でもその後の「すり傷だけに」は余計だったような…うん、微妙な間ができてる。慌てて取り繕ってるようだけど珍しいな、1146番が他の細胞の前で冗談を言うなんて。
つーか、そんだけ血まみれなら、絶対かすり傷じゃないだろ。そのほとんどが返り血だとしても、どれだけの数の細菌と戦ってたんだって話だ。いくら仕事とはいえもう少し考えてくれ。
残念ながら俺のほうからは、彼女の背中しか見えなくて、その表情までは読み取れない。だけど、聞こえてくる声の雰囲気は、泣きたくなるくらいの切なさが混じったものだった。
とても純粋で、綺麗な思い。本当に心から1146番を心配していたんだって、手に取るように分かる。
…話の内容はもっと一般化された「戦う白血球たちと逃げるだけの赤血球たちの話」だから、堅物の1146番にどこまで通じてるのかは分からないけれど。

あーあ、手を放すタイミングを見失っちゃったな。もう血栓はできてるから、俺が手を放しても落ちることはないんだけど。ここで俺まで血栓の上に着地して、二人に存在を主張するのは…1146番はともかく、あの赤血球の子に申し訳ない気がする。
1146番は気にしないだろうけど、あの綺麗な心の子は素直に驚いて、慌てるだろうから…。彼女に免じて、もう少し耐えてやる。感謝しろよ、1146番。
それほど遠くない場所から、ざわざわと大勢の声が聞こえる。きっともうすぐ、血小板ちゃんに捕まってしまった二次血栓要員が連行されてくる。
それまでの間、本当にわずかな間だけでも。頑張りすぎる真面目な友人に、一時の安らぎと幸せがもたらされればいいなと、ひそかに願う。
異業種の細胞同士で、たとえ一期一会だったとしても。1146番を1146番として認識してくれた赤血球がいる、その事実だけで、アイツには救いになると思うから。
こんなことが目の前で起こるから、この世界もまだまだ捨てたもんじゃない。あぁ、今回も世界を守れて良かった。



fin.

(すり傷回の白赤の場面、あそこに4989番もいたんだよな…という思いで書いた作品。「こんなの、かすり傷だ。すり傷だけに」はアニメネタです。)

2020/05/31 公開
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