Cells at Work
暗い夜道は
インフルエンザウイルスとの激しい戦闘を終え、少し経った現場。マクロファージさんによって死体がすぐさま片付けられていき、キラーT率いるT細胞戦闘員は互いの健闘を称え合う。俺たち好中球もその様子と仲間の無事を確認し、洗い場のホースを伸ばして返り血を落としていた。
そんな免疫細胞の集団を遠巻きに眺めるのは、無事だった一般細胞たち。自分が巻き込まれなくて良かったと安堵する者もいれば、仲間だった奴が感染し無情にも殺される事実に複雑な表情を浮かべる者もいる。それ自体はいつものことで、気にすることもない。
だが、今日は違っていた。「それ」はウイルスの残骸が掃除されていくにつれて、より鮮明に存在を訴えてくる。並び立つマンションの一室、もう部屋の主はいないであろうそこの開け放された窓から見える、小さなクリスマスツリー。棚の上にちょこんと飾る程度の大きさなのに、その悲しげな光の点滅に思わず目が行く。
「あっ、白血球さーん!お疲れ様です!」
「…赤血球」
どれほどの間眺めていたのだろうか、ふと明るい声が耳に届いて俺は我に返った。
視線を移せば、よく交流している赤血球がこちらへ向かってくるところだ。呑気とも言えそうな口振りから察するに、彼女は戦闘の一部始終を見ていたわけではなく偶然ここを通りかかっただけらしい。よく細菌と遭遇したりトラブルに巻き込まれたりする赤血球だが、今回は全て解決した後だから良い方なのかもしれない。
いつもは、細菌を倒した後に彼女と話すと穏やかな心地になる。何が何でも外敵を殺さなければという緊迫感も、決して美味しいとは言えない貪食の味も、返り血を浴びながら戦っていたことも忘れるくらいに。そして彼女から無邪気な笑顔と労りの言葉を向けられて、俺は今日もこの世界を守れて良かったと実感するのだ。いつもは、それで良かった。
だが、今回俺が殺したのはウイルス感染細胞だ。元はこの世界の一員で、平和に暮らすことが仕事で、その一環としてクリスマスもきっと楽しみにしていて、それなのに運悪くウイルスに感染してしまった一般細胞たち。
駆け寄ってきた赤血球は何かを感じ取ったのか、俺の方を不思議そうに見上げてくる。
「白血球さん…?どうかしましたか?」
「…いや。今回の戦闘は長引いてな、それで少し疲れただけだ」
嘘だ。実際はウイルスの増殖が進む前に仕留めた。くしゃみロケットは何発か使用したが、マクロファージさんが言うには咳や喉の腫れはそれほど酷くないらしく、一般細胞がヤカンを持ち出すこともなくて、いわゆる不顕性感染で済んだ。
ただ…目立った症状が無くとも、俺たちがウイルス感染細胞を殺したのは事実で。
それが俺の仕事だ、この体のためだ。分かっていても、無念だっただろうという思いは消えない。
「…白血球さん!」
暗い思考に陥りそうな俺を、赤血球の呼びかけが引き上げる。
彼女に心配はかけたくない。何でもない風を装って無表情のまま目を向けると、赤血球は両腕を大きく動かしながら興奮気味に話し始めた。
「あの、私もさっき仲間から聞いただけなんですけど、樹状細胞さんのところが今すっごく綺麗なんだそうですよ!白血球さんも一緒に行きましょう!」
…「行きませんか?」ではなくて。
その言葉と摘まむように引っ張られた袖に赤血球の意志を感じて、俺は促されるままに歩き出した。
「えーと確か…あっ、この道をまっすぐです!」
「…いや、樹状さんのところならこっちの道だったはずだが…?」
「えっ!?…あっ。えへへ…」
意志はあっても方向音痴は相変わらずらしい。顔ごと真っ赤になって照れ笑いを浮かべる赤血球にほんの少し呆れつつ先導する。彼女が袖だけ握っている方の腕は、なるべく後ろに固定したまま振らないようにした。
しかし思ったよりも道案内は簡単だった。血管の通りを幾つか過ぎて高い建物がまばらになれば、俺もすぐにそれを理解した。彼女の言う「樹状細胞さんのところ」…ツリーハウスになっている大樹は、遠くからでもその場所が分かるほど光っていたのだから。今日のために用意したのか、いわゆるイルミネーションだ。
「わぁ…!すごい、ピカピカしてて綺麗ですね!」
「あぁ」
「白血球さん、もっと近くまで行ってみましょう!」
赤血球はまるで子どものようにはしゃいで、今度こそ先頭に立って走り出す。俺も自然と腕を引かれる形になる。というか、この体勢を樹状さんに見られたら後で大変なことになるのでは…?
故にこれ以上あの場所へ近付くのはどうかとも考えたけれど、思えば樹状さんは俺たち免疫細胞がどこにいようが望遠レンズで狙ってくるのだ。近くても遠くても結局は変わらないのだ…と吹っ切れてしまえば後は早かった。
楽しそうな赤血球のリズムに合わせて走り、彼女が止まりかけたところで隣に並ぶ。赤血球が見上げた先を俺も視線で追えば、大きな木の枝を彩るように付けられた飾りの数々。遠くから見えていた電飾以外にもメタリックな赤や金色の球状のオーナメントや、クリスマスらしい形のものが間隔を空けて吊るされている。
「サンタクロースか…」
骨髄球の頃に見た絵本を思い出して呟くと、赤血球は首を傾げて俺の方を見た。
「サンタクロース、さん?」
「ん?赤血球、聞いたことないのか?サンタクロースはクリスマスの夜にプレゼントを運ぶんだそうだ。ほら、あの赤い飾りだ」
指をさして教えれば、赤血球も再び頭上のイルミネーションを見てサンタクロースの飾りを探し、やがて笑顔になって同じく指をさす。
「あっ、あれですね?」
「うん。ちなみに、その隣の飾りはトナカイだな。サンタクロースはトナカイの引くソリに乗って、一晩で世界中を回るらしいぞ」
「へー…!」
いかにも初めて知ったという様子で相槌を打つ赤血球。
しかし赤芽球たちはこの類いの話を聞かないものなのだろうか。子どもたちがプレゼントに心躍らせる一方、「良い子にしていないとプレゼントはもらえない」というのは育てる側にとっても有益なはず。赤芽球を哺育するマクロファージさんならこの機会を活用しそうなものだが、教えない方針だったのか?…と、俺が思ったその時。
「じゃあ、サンタクロースさんもヘモグロビンをたくさん含んでいるんですかねぇ」
「いや、そこまで聞いたことはないが…」
苦笑すると同時に理解した。いずれ赤血球になる赤芽球たちにとっては、サンタクロースは単にプレゼントを届けてくれる存在ではなく、どちらかといえば同業者や目標に近いのだろう。赤芽球の頃から「運搬するのは赤血球」というのが根付いていれば、サンタクロースは存在を信じる信じない以前の問題になってしまう。
彼女の発言もおそらく赤血球と同じ赤い服から連想したためだろうが、そもそもヘモグロビンは酸素を運びやすくするためのタンパク質だ。酸素ではないプレゼントを運ぶサンタクロースには関係ない気がする。
…けれど。
「でもまぁ、確かに赤血球と似ているな。赤い服で、皆に酸素や栄養分を届ける…」
赤血球と交流するようになって、赤血球の仕事の大変さを知った今の俺には、彼女の物の見方も一理あるような気がした。
運ぶ物や期間こそ違えど、確かに彼女はいつか絵本で読んだサンタクロースと似ている。届け先の一般細胞が和やかに荷物を受け取るところも、免疫細胞か血球かなんて関係なく皆に受け入れられるところも。
しみじみと頷いていると、ふいに赤血球が楽しそうなトーンで声を上げた。
「それなら、白血球さんはトナカイさんですね!」
「…俺が?」
「はい!白血球さんたちが一生懸命戦って平和を守ってくれているから、私たちは安心して酸素を配達できるんです」
細菌の駆除が終わった後のように、改めて向けられる優しい微笑み。「それが俺の仕事だから」で片付けられるのに、今はそんな一言で片付けてしまうには惜しいほどの言葉。
残念ながら実際に光るのは赤い鼻ではなくダガーナイフの切っ先で、皆の笑い者どころか逆に怖がられているけれど。それでも彼女が望んで、慕ってくれるのならば、こんなに誇れることはないだろう。
なおもキラキラと純粋で期待に満ちたその顔につられて、俺の表情も柔らかくなっていくのが分かった。くすりと笑って、からかうように告げる。
「お前の場合は、トナカイの仕事にもれなく道案内も加わるな」
「えっ!?あっ、すみません勝手にトナカイにして!迷惑でしたよね!?」
「いや、別に構わないよ」
慌てて謝ろうとする赤血球を軽く制止して、正面から見つめる。戦闘後に感じていた、暗く悲しくどうしようもない申し訳なさに似た思いは、彼女のくれた光によって既に塗り替えられていた。
「ありがとう、赤血球」
「…はい!」
fin.
2018/12/25 公開
インフルエンザウイルスとの激しい戦闘を終え、少し経った現場。マクロファージさんによって死体がすぐさま片付けられていき、キラーT率いるT細胞戦闘員は互いの健闘を称え合う。俺たち好中球もその様子と仲間の無事を確認し、洗い場のホースを伸ばして返り血を落としていた。
そんな免疫細胞の集団を遠巻きに眺めるのは、無事だった一般細胞たち。自分が巻き込まれなくて良かったと安堵する者もいれば、仲間だった奴が感染し無情にも殺される事実に複雑な表情を浮かべる者もいる。それ自体はいつものことで、気にすることもない。
だが、今日は違っていた。「それ」はウイルスの残骸が掃除されていくにつれて、より鮮明に存在を訴えてくる。並び立つマンションの一室、もう部屋の主はいないであろうそこの開け放された窓から見える、小さなクリスマスツリー。棚の上にちょこんと飾る程度の大きさなのに、その悲しげな光の点滅に思わず目が行く。
「あっ、白血球さーん!お疲れ様です!」
「…赤血球」
どれほどの間眺めていたのだろうか、ふと明るい声が耳に届いて俺は我に返った。
視線を移せば、よく交流している赤血球がこちらへ向かってくるところだ。呑気とも言えそうな口振りから察するに、彼女は戦闘の一部始終を見ていたわけではなく偶然ここを通りかかっただけらしい。よく細菌と遭遇したりトラブルに巻き込まれたりする赤血球だが、今回は全て解決した後だから良い方なのかもしれない。
いつもは、細菌を倒した後に彼女と話すと穏やかな心地になる。何が何でも外敵を殺さなければという緊迫感も、決して美味しいとは言えない貪食の味も、返り血を浴びながら戦っていたことも忘れるくらいに。そして彼女から無邪気な笑顔と労りの言葉を向けられて、俺は今日もこの世界を守れて良かったと実感するのだ。いつもは、それで良かった。
だが、今回俺が殺したのはウイルス感染細胞だ。元はこの世界の一員で、平和に暮らすことが仕事で、その一環としてクリスマスもきっと楽しみにしていて、それなのに運悪くウイルスに感染してしまった一般細胞たち。
駆け寄ってきた赤血球は何かを感じ取ったのか、俺の方を不思議そうに見上げてくる。
「白血球さん…?どうかしましたか?」
「…いや。今回の戦闘は長引いてな、それで少し疲れただけだ」
嘘だ。実際はウイルスの増殖が進む前に仕留めた。くしゃみロケットは何発か使用したが、マクロファージさんが言うには咳や喉の腫れはそれほど酷くないらしく、一般細胞がヤカンを持ち出すこともなくて、いわゆる不顕性感染で済んだ。
ただ…目立った症状が無くとも、俺たちがウイルス感染細胞を殺したのは事実で。
それが俺の仕事だ、この体のためだ。分かっていても、無念だっただろうという思いは消えない。
「…白血球さん!」
暗い思考に陥りそうな俺を、赤血球の呼びかけが引き上げる。
彼女に心配はかけたくない。何でもない風を装って無表情のまま目を向けると、赤血球は両腕を大きく動かしながら興奮気味に話し始めた。
「あの、私もさっき仲間から聞いただけなんですけど、樹状細胞さんのところが今すっごく綺麗なんだそうですよ!白血球さんも一緒に行きましょう!」
…「行きませんか?」ではなくて。
その言葉と摘まむように引っ張られた袖に赤血球の意志を感じて、俺は促されるままに歩き出した。
「えーと確か…あっ、この道をまっすぐです!」
「…いや、樹状さんのところならこっちの道だったはずだが…?」
「えっ!?…あっ。えへへ…」
意志はあっても方向音痴は相変わらずらしい。顔ごと真っ赤になって照れ笑いを浮かべる赤血球にほんの少し呆れつつ先導する。彼女が袖だけ握っている方の腕は、なるべく後ろに固定したまま振らないようにした。
しかし思ったよりも道案内は簡単だった。血管の通りを幾つか過ぎて高い建物がまばらになれば、俺もすぐにそれを理解した。彼女の言う「樹状細胞さんのところ」…ツリーハウスになっている大樹は、遠くからでもその場所が分かるほど光っていたのだから。今日のために用意したのか、いわゆるイルミネーションだ。
「わぁ…!すごい、ピカピカしてて綺麗ですね!」
「あぁ」
「白血球さん、もっと近くまで行ってみましょう!」
赤血球はまるで子どものようにはしゃいで、今度こそ先頭に立って走り出す。俺も自然と腕を引かれる形になる。というか、この体勢を樹状さんに見られたら後で大変なことになるのでは…?
故にこれ以上あの場所へ近付くのはどうかとも考えたけれど、思えば樹状さんは俺たち免疫細胞がどこにいようが望遠レンズで狙ってくるのだ。近くても遠くても結局は変わらないのだ…と吹っ切れてしまえば後は早かった。
楽しそうな赤血球のリズムに合わせて走り、彼女が止まりかけたところで隣に並ぶ。赤血球が見上げた先を俺も視線で追えば、大きな木の枝を彩るように付けられた飾りの数々。遠くから見えていた電飾以外にもメタリックな赤や金色の球状のオーナメントや、クリスマスらしい形のものが間隔を空けて吊るされている。
「サンタクロースか…」
骨髄球の頃に見た絵本を思い出して呟くと、赤血球は首を傾げて俺の方を見た。
「サンタクロース、さん?」
「ん?赤血球、聞いたことないのか?サンタクロースはクリスマスの夜にプレゼントを運ぶんだそうだ。ほら、あの赤い飾りだ」
指をさして教えれば、赤血球も再び頭上のイルミネーションを見てサンタクロースの飾りを探し、やがて笑顔になって同じく指をさす。
「あっ、あれですね?」
「うん。ちなみに、その隣の飾りはトナカイだな。サンタクロースはトナカイの引くソリに乗って、一晩で世界中を回るらしいぞ」
「へー…!」
いかにも初めて知ったという様子で相槌を打つ赤血球。
しかし赤芽球たちはこの類いの話を聞かないものなのだろうか。子どもたちがプレゼントに心躍らせる一方、「良い子にしていないとプレゼントはもらえない」というのは育てる側にとっても有益なはず。赤芽球を哺育するマクロファージさんならこの機会を活用しそうなものだが、教えない方針だったのか?…と、俺が思ったその時。
「じゃあ、サンタクロースさんもヘモグロビンをたくさん含んでいるんですかねぇ」
「いや、そこまで聞いたことはないが…」
苦笑すると同時に理解した。いずれ赤血球になる赤芽球たちにとっては、サンタクロースは単にプレゼントを届けてくれる存在ではなく、どちらかといえば同業者や目標に近いのだろう。赤芽球の頃から「運搬するのは赤血球」というのが根付いていれば、サンタクロースは存在を信じる信じない以前の問題になってしまう。
彼女の発言もおそらく赤血球と同じ赤い服から連想したためだろうが、そもそもヘモグロビンは酸素を運びやすくするためのタンパク質だ。酸素ではないプレゼントを運ぶサンタクロースには関係ない気がする。
…けれど。
「でもまぁ、確かに赤血球と似ているな。赤い服で、皆に酸素や栄養分を届ける…」
赤血球と交流するようになって、赤血球の仕事の大変さを知った今の俺には、彼女の物の見方も一理あるような気がした。
運ぶ物や期間こそ違えど、確かに彼女はいつか絵本で読んだサンタクロースと似ている。届け先の一般細胞が和やかに荷物を受け取るところも、免疫細胞か血球かなんて関係なく皆に受け入れられるところも。
しみじみと頷いていると、ふいに赤血球が楽しそうなトーンで声を上げた。
「それなら、白血球さんはトナカイさんですね!」
「…俺が?」
「はい!白血球さんたちが一生懸命戦って平和を守ってくれているから、私たちは安心して酸素を配達できるんです」
細菌の駆除が終わった後のように、改めて向けられる優しい微笑み。「それが俺の仕事だから」で片付けられるのに、今はそんな一言で片付けてしまうには惜しいほどの言葉。
残念ながら実際に光るのは赤い鼻ではなくダガーナイフの切っ先で、皆の笑い者どころか逆に怖がられているけれど。それでも彼女が望んで、慕ってくれるのならば、こんなに誇れることはないだろう。
なおもキラキラと純粋で期待に満ちたその顔につられて、俺の表情も柔らかくなっていくのが分かった。くすりと笑って、からかうように告げる。
「お前の場合は、トナカイの仕事にもれなく道案内も加わるな」
「えっ!?あっ、すみません勝手にトナカイにして!迷惑でしたよね!?」
「いや、別に構わないよ」
慌てて謝ろうとする赤血球を軽く制止して、正面から見つめる。戦闘後に感じていた、暗く悲しくどうしようもない申し訳なさに似た思いは、彼女のくれた光によって既に塗り替えられていた。
「ありがとう、赤血球」
「…はい!」
fin.
2018/12/25 公開
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