Cells at Work

いつでも君を思う

※2019~2020年のアプリゲーム「いつでも はたらく細胞」に出てきた用語や、それを使った捏造設定を含みます。
※死ネタ注意!この時点で嫌な予感がした方はお戻りください。




細菌の襲来を知らせるアナウンスが街のそこかしこで流れる。現場が近くだと聞いて慌てて逃げ惑う細胞たちの中、私は両手で段ボール箱を抱えて、力の限り走る。
いつもみたいに逃げるためではない。むしろ足は戦場へ、周囲の流れとは逆方向へと向かっていた。早く、早く。急かされる気持ちと使命感を胸に、ひたすら足を動かす。
現場に近付くほどにすれ違う赤血球は少なくなり、周囲の景色もどんどん荒れ果てていく。恐怖心も静かにこみ上げてくるけれど、配達を待つ相手の姿を心に思い描いて、走りながら荷物を抱え直す。張り詰めて息苦しいほどの空気感と土煙の匂いに、戦場の入り口に立っていることを実感して、それでも挨拶は大事だからと声を張り上げた。

「失礼します!物資のお届けに参りました!」

今回お届け先に指定されたのは、平和に暮らすことが仕事の細胞さんたちではなく、今まさに戦っている最中の、戦場にいる免疫細胞の皆さんだった。
戦う術を持たない赤血球にとってここは危険な場所で、箱の中身もいつもの酸素ではなく、戦闘に役立つ物資。当然、本来の仕事ではない。だけど樹状細胞さんから「免疫細胞の皆が苦戦しているようだから届けてほしい」と頼まれて、リスクも分かった上で引き受けた仕事だった。何よりも、私がそうしたいと思ったから。
細菌が攻めてきた時、私たち赤血球は逃げることしかできない。免疫細胞の皆さんは敵と戦って、時には身を挺して傷つきながら、この世界を守っているのに。もちろん、私たちが早く逃げることで免疫細胞の皆さんが戦いやすくなったり、戦場ではない他の場所では私たちがいつも通りに酸素を運んで恒常性を維持したり、細胞にはそれぞれの役割があるのだと分かってはいるけれど。それでも、いつも助けてもらってばかりで、お礼を言うしかできないのはもどかしい。私にも何かもっとできることはないのかな、とずっと思っていた。
だから、今回の樹状細胞さんからの申し出は、むしろありがたいくらいだ。その上、引き受けてくれたお礼にと甘くて美味しいコス糖を八個も貰ってしまって、もはや私に断る理由なんてない。
そうして意気込みは充分に、戦場の支援に来たのだけれど。

「赤血球!?…くっ!」

やはり戦場に赤血球が配達に来ることは珍しいのか、白血球さんが一瞬驚いたようにこちらを向く。いつも何かとお世話になっている、1146番の白血球さんだ。だけど隙を狙った細菌から鉤爪が飛んできて、白血球さんはそれをナイフではじきながら再び敵のほうへ向き直った。
ここは戦場だ。いつもの、私一人が細菌一体に追われる状況とは違う。一体を倒せばあとは安全、とはいかないのだ。白血球さんに限らず、周囲で一緒に戦っている同僚の皆さんやキラーT細胞さんも、最前線に立って細菌やウイルス感染細胞を倒していて、それでも敵は続々と傷口から侵入してくる。
当たり前だけど、皆受け取る余裕なんてない。今回の配達は受領印を貰う必要はないけれど、だからといって比較的安全な後ろのほうに箱だけ置いておく、というのも今は悪手に思えた。置いても、前で戦う皆さんが後ろまで取りに来られる保証はない。箱を開けて中身を確認する間にも敵は増えて、どんどん侵攻してきそうな勢いだ。
だから…意を決して、私も戦場へと飛び込む。箱を抱えて必死に駆け抜け、細菌と対峙する白血球さんのすぐ後ろまでたどり着く。戦場に安全な場所なんてないけれど、ここが一番安全だと即座に判断して、足元に箱を置くと自分もしゃがみ込んだ。
危険で勝手な行いを許してください、と内心で謝りながら、用件だけを手短に叫ぶ。

「白血球さん、私のほうで開けますね!?」
「ああ、頼む!」

了承の返事を貰うと、私の行動の意味が伝わっていることに少しだけ嬉しくなった。
大丈夫、相手の攻撃は白血球さんが絶対に止めてくれる。そう信じて、白血球さんの後ろで手早く箱を開ける。もしも攻撃がすり抜けてきたら、という恐怖はないけれど、変にもたついて迷惑になりたくない気持ちは常にある。
…けれど。開けた瞬間、箱の中から現れたのは、もくもくと立ち昇る黒い煙。

「ぎゃあああっ!?」
「なっ、どうした赤血球!?まさか細菌に…!?」
「あっ違います、すみません!そうじゃなくて、間違えたみたいです!?」

予想外の事態に悲鳴を上げてしまって、そんな私の声に白血球さんが首だけ勢いよく振り返る。ちょうど組み合っていた細菌を一体倒したところだったらしく、その形相は慣れていない相手が見れば恐ろしく見えたのかもしれない。だけどそんなのはどうでもいいぐらいに、私はパニック状態に陥っていた。白血球さんに対してではなく目の前の黒い煙に、半泣きになりながら状況を整理する。
そういえば樹状細胞さん、積まれた箱を眺めながら申し訳なさそうに「もしかしたらハズレの箱もあるかもしれないけど…」って言ってた!見るからに戦闘で使う物資じゃないし、まさかこれがハズレってこと!?
戦場にいることも一瞬忘れて一人で混乱する中、別方向から飛んできたのは、ドスの効いたキラーT細胞さんの怒鳴り声。

「テメー、戦えないくせに中身の無い箱持ってくんじゃねー!」
「ひいいすみません!急いで次の持ってきますー!」

半ば強制的に現実に引き戻された私は、素早く立ち上がって、リンパ管から引き返す時のようにダッシュで来た道を戻る。
箱の外見では分からなかったとはいえ、間違えて持ってきてしまった…!いや、それよりも、キラーT細胞さんに一部始終を見られてた…!
危険を冒して飛び込んだわりに何もできなかった申し訳なさやら恥ずかしさやらで、顔に熱が集まるのが自分でも分かる。箱の中身が分からないとはいえ結果的にご迷惑をおかけしてしまった、これじゃあ無意味に戦場を見に来たのと同じじゃないか…!
現場の出入り口まで走ったところで、そういえば白血球さんに守ってもらったお礼もお詫びも言っていない、と気付いてちらりと後ろを見れば、白血球さんはなおも呆然とこちらを見ていた。視線がぶつかった途端にまた顔が熱くなって、どうして振り向いてしまったんだとすぐさま後悔する。何度も道に迷って助けられていても、失敗した姿をばっちり見られるのは未だに慣れない。
けれど、それもわずかな間のことだった。遠くなった距離で今更お互いに何かを言う暇もなく、直後に聞こえたナイフと鉤爪のぶつかる音を合図に、白血球さんは戦闘へと再び向かっていく。仕事人の顔に一瞬で切り替えた姿を見届けながら、私もやらなきゃと思い直してまた走り出した。


…☆…


樹状細胞さんのところへ戻り、次の箱を手に取って抱えると、今来た道をまた走っていく。一度通った道で、ほとんど避難し終えたのかすれ違う細胞たちもいない。いくら私が方向音痴でも、見通し良好でさすがに迷いようもなかった。
それよりも今、頭の中を占めるのは、最前線で戦う皆さんのことだ。私が支援物資を届けられなかったことで、戦況が不利になっていたら。もしもさっきの箱が煙ではなくちゃんとした物資で、あれによって戦いやすくなるはずだったなら。私の仕事で本当にそこまで戦況が左右されるかは分からないけれど、嫌な可能性ばかり浮かんでは焦りに変わっていく。
ちなみに物資の入っている箱を選ぼうにも、積まれた箱の中身はやっぱり見た目では分からなかった。用意してくれた樹状細胞さんにも分からないみたいで、困ったように笑顔を返されてしまった。それなら、迷って選ぶ時間のほうがもったいない。一回でも多く行き来して数を運ぶしかないのだ。

「白血球さーん!」

戦場の入り口に立って、大きな声で呼びかける。つい先程離れたばかりの白い姿は、立ち位置をそれほど変えないまま、また別の細菌と戦っていた。違うのは、その制服が血の色に染まっていること。返り血であってほしいけれど、戦場ではそんな願いを口にするのも憚られて、嫌な予感をぐっと飲み込む。
この支援物資は明確に誰宛てとは決められていない。免疫細胞だったら誰に届けても使える、と樹状細胞さんは言っていた。だから白血球さんでなくてもいいのだけれど、足はまた同じように彼の元へと向かう。一番安全で、物資が必要な場所。
今度こそ入っているといいな…これで不発だったら不運にもほどがある!
細菌の攻撃や、それと戦う免疫細胞の皆さんの動きにもできるだけ気を配りながら、1146番の白血球さんを目指して走る…けれど。

「うわっ!?」
「わあぁっ!?っと…4989番さん!?」

目の前に突然、白い背中が迫ってきた。ぶつかりこそしなかったものの、思わず足を止める。白血球さんのお友達で同僚の4989番さんが、敵の攻撃を受け止めた拍子に後ろへ下がったのだ、と一拍遅れて理解した。

「あっ赤血球ちゃんごめん、道塞いじゃった!?」
「いえ、私は大丈夫です!4989番さんこそ、怪我は…」
「平気平気…おらっ!」

言いながら、4989番さんは組み合っていた細菌にナイフを刺す。とどめの一撃で細菌は恐ろしい悲鳴と血しぶきを上げ、動かなくなった。
こちらの安全を確認するように、4989番さんが振り向く。それは免疫細胞として当然の動きなのかもしれない、けれど…目が合った。合ってしまった。
私を見てほっとした表情になって、それから一瞬だけ目線を下に向けて、私の手元に気付いた途端、それまでの笑顔がわずかに強張って…。

「…あっ、よろしければどうぞ!」
「え?あー…」

4989番さんが気まずそうに視線を泳がせる。免疫細胞が目の前にいるのに物資を渡さないのも変な気がして、思わず手元の箱を差し出したけれど、私のこの判断は何か間違えているのだろうか。
受け取りを渋る4989番さんの視線が、自身の斜め後ろを気にしながら、ぴたりと横のある一点で止まる。不思議に思ってそちらを覗き込む…と、敵を倒したばかりの白血球さんが私たちを見つめたまま、不自然な体勢で動きを止めていた。左手に掴んだ細菌は息の根が止まっていて、何なら右手に持ったナイフからずるりと抜け落ちている最中なのに、それすら気にせずに刺し殺した瞬間の体勢そのままのような。
…そういえば私、ここへ来た時、白血球さんに大声で呼びかけていたんだった。
この場には白血球が多くいるとはいえ、今更それでごまかせる間柄でもない。実際、私も「白血球さん」と呼びかけながら、ただ一人だけを思い描いて、無意識に彼の元へ向かおうとしていたのだから。…それなのに今、実際に荷物を渡そうとしているのは4989番さんという現実。いや、不可抗力で偶然そうなっただけで誰も悪くないのは白血球さんも4989番さんも分かっているとは思うんだけど!
今の状況を認識できた途端に、またしても熱がぶわあっと上がってくる。申し訳ないような恥ずかしいような、誤解ですと叫びたいけれど叫んでしまったら余計にこの場が悪化するような、いたたまれない気持ちが内側から襲いかかる。

「…つ、次の持ってきますー!」

半ば強引に、目の前にいる4989番さんに荷物の箱をぐいっと押し付けて、素早く踵を返す。そう、まだまだ箱はある。今は一つでも多く運ぶしかないのだ。無我夢中で走りながら、頭の中ではもっともらしい理屈が仕事人の顔をしてぐるぐると回り出す。

「えーっと、じゃあ、仕方ないから、俺が受け取っておくか…」

おそらく白血球さんにも状況が分かるようにわざとらしく、だけど少し棒読み気味に言った4989番さんの声が、離れてもやけに鮮明に聞こえる。その後の白血球さんの様子も正直気になるけれど、さっきの二の舞になるのも嫌なので、今回は振り向かずにそのまま血管の通路を駆け抜けていく。なぜか遠くのほうから、カメラのシャッターを切る音が聞こえた気がした。


…☆…


戦場を後にして走るうちに、徐々に頬の熱は冷めていった。樹状細胞さんのところへ着く頃には頭も冷静になって、仕事への使命感だけが心の真ん中に残る。
…今はとにかく運ばないと。たとえハズレの箱でも、気まずい思いをしても、運ぶことが私にできる唯一のことだから。山のように積まれている箱の一つを手に取ると、休む間もなくまた走り出す。何度も行き来する通路は先程と変わらず、細胞さんたちはいないけれど敵の侵攻が進んでいる気配もない。まだまだ油断できない状況とはいえ、最悪の事態は免れているらしい。その事実に心を落ち着かせながら、けれど足は止めず走り続ける。
戦場の入り口まで来た時、何と声をかけるべきか少しだけ迷った。最初は誰宛てとも決まっていない挨拶。前回は無意識に呼んでいた、届けたい相手の名前。…意識してしまった今は、どうしよう。今更変えるのも、何事も無かったみたいに変えないのも、どちらでもぎこちなくなりそうだ。無言で入って、戦えない自分がいつの間にか戦場にいるのも皆さんにご迷惑をかけそうな気がする。
でもそんな心配は、現場を見た瞬間に吹き飛んだ。侵入経路はほぼ塞がり、敵の数も減っているものの、最前線で戦う白い制服は全身が真っ赤。目を凝らしてよく見ると、ところどころが刺し傷や切り傷の跡に沿って破れている。当の本人は痛みを感じる暇もないのか、変わらない身のこなしで戦い続けているけれど、それは責任感と心の強さによるもので、あの怪我はいつ倒れてもおかしくないものだと直感で分かった。

「…白血球さん!」

声に出した瞬間、足は一直線に駆け出していた。一番安全だとか絶対に守ってくれるなんて理由ではなく、ただこの人を助けたい。誰よりも仕事熱心で、それゆえに自分を犠牲にしてしまう、優しいこの人を。1146番の白血球さんを。
白血球さんが細菌を二回、ナイフで切りつける。血しぶきが飛んで、細菌の断末魔が聞こえる。ぐらりと傾きそうになった体のすぐ後ろに滑り込んで、素早く屈んだ。

「待っててください、今開けますから…!」

嫌な予感に視界がじわりと滲む中、無我夢中で箱に手をかける。早く、早く。どうかこの箱がハズレじゃありませんように。
その時、何の前触れもなく、天井からアナウンスが響き渡った。

「駆除完了。繰り返します、侵入した細菌の駆除完了――」

淡々としたセリフに続けて、軽快なファンファーレが流れる。戦場には似つかわしくない音楽に思わず顔を上げれば、振り向いた白血球さんと目が合った。表情こそあまり変わらないものの、黒い瞳からは一瞬で闘志が消え、帽子に付いたレセプターが自動で折り畳まれる。…なんだか、やっといつも通りに白血球さんと向き合えた気がする。
こちらの無事を確認したらしい白血球さんが、続けて周囲をゆっくりと見回す。私もつられて目を向けて、ようやく落ち着いて状況を把握した。建物や道路はボロボロで、血小板ちゃんの修理はまだこれからだけど、敵の気配は一切ない。免疫細胞の皆さんも戦闘時の緊張を一斉に緩めて、代わりに任務完遂の喜びと達成感を分かち合っていた。キラーT細胞さんたちは拳を上げて讃え合い、4989番さんたちは無線機でどこかに連絡した後、満足そうに頷いて現場を眺めている。アナウンスにあった「駆除完了」が急にすとんと腑に落ちて、せっかくなら私も両手を挙げて皆さんと喜びに行きたいのにうまく体に力が入らない。でも、せめてこの嬉しい気持ちだけでも分かち合いたくて、白血球さんを見上げて心から笑いかける。

「よかったですね、白血球さん!」
「…そうだな」

そう言って白血球さんは静かに片膝をついた。しゃがみ込んでいた私と目線の高さが揃って、だけどわずかに俯いた彼の表情は、帽子の鍔に隠れてよく見えない。

「白血球、さん…?」

最初は、白血球さんも安心して気が抜けたのかと思った。それから一瞬遅れて怪我のことを思い出して、支援物資と手当てが必要だと思い至る。
けれど。その直後、彼は淡い光に包まれた。

「えっ、白血球さん!?どうしたんですか!?今、治療を…」
「赤血球」

予想外の事態に急いで手元の箱を開けようとするけれど、私の右手首は白血球さんの左手に掴まれた。そのまま白血球さんは何も言わず、光の中でただ首を横に振る。
たったそれだけで、理解できてしまった。白血球さんが今どういう状態で、これからどうなるのか。さっきまで嬉しかったはずの心が、途端に灰色になって重さを増す。
…彼は治療を拒否しているのではなく、もう必要ないのだと。
アポトーシス。私たち細胞は、治療すればまだ動ける段階でも、決められた一定量の仕事をこなすと「寿命」として処分される。それがこの世界を元気に回していくための仕組みだ。赤血球として新人の私にはまだ遠い未来の話で、それよりも敵に襲われての溶血や体外流出で一生を終える可能性のほうがずっと高いものだから、ぼんやりとした知識でしかなかったけれど…それが今、目の前に迫っている。別れには似つかわしくない音楽と、危機を乗り越えた世界の中で。

「…無事で、よかった」

何も言えずにいる私に向かって、白血球さんがぽつりと零す。こんな状況でも仕事や相手のことを優先する白血球さんに、怒りたいような泣きたいような気持ちになって、だけどそれは違う、とすぐに思い直した。
治療すればまだ間に合うかもしれない、生きることを諦めないでと願っても、仕事をこなした以上、世界の仕組みの前ではどうにもならない。別れが怖いのは白血球さんもきっと同じで、それを言葉にしても困らせるだけだ。私の右手首を力なく掴んだままの彼の左手が、言えないわずかな未練を伝えてくる。

「…守っていただいて、ありがとうございました」

結局私も、口にできたのは月並みなお礼の言葉だった。さよならを意識すると視界が滲みそうになってきて、それでも涙は見せたくない、最後はいつもみたいに笑った顔でお別れを…と思いを巡らせていると。
ふと、以前にマクロファージさんから聞いた話を思い出した。まだ赤芽球だった頃、血球の一生という授業で教わった、運良く最後まで溶血や体外流出をせずに寿命を全うできた時のみ与えられる、この世界のおとぎ話のような仕組みについて。
体外に流出した血球を救うことはできないけれど、体内で死んだ血球は、骨髄でまた分化されて生き返る――そうして生まれるのが細胞の素となる「カクノタネ」だと。
だから、死に方は選べないものだけど、できるなら体外流出は避けるように。
体外流出したぶんの欠員は前駆細胞から育つから、全体を見れば出生が前駆細胞でもカクノタネでも変わりないけれど、それでも。また会える可能性が限りなく低くても、体内にさえいれば、完全にお別れというわけじゃないから――。
こんな生まれ変わりの話を、白血球さんが知っているかは分からない。だけどあの時祈るように教えてくれたマクロファージさんの言葉を、今の私は信じてみたい。きっと大切な誰かを思う気持ちが重なって、カクノタネの話がこの世界に生まれたのだと思うから。未だ離れずにいる白血球さんの左手の甲に、自分の左手を上から重ねる。

「私、これからもたくさん運んで…細胞さんの酸素も、戦場の支援物資も、それからカクノタネの栄養も配達しますから!だから…」

顔を上げた白血球さんと正面から向き合って、笑う。ぎこちない笑顔になっていたとしても、ほんの少しでいいから、こんな赤血球がいたと覚えていてもらえるように。

「だから、いつかまた、私と会ってくださいね」
「ああ。…またな」

白血球さんは私の言葉に一瞬だけ目を見開いた後、すぐに了承の返事と、不器用さの残る微笑みを返してくれた。最後に見れたのが大好きなこの表情で本当によかったと、泣き笑いの心で静かに思う。
柔らかな光に包まれた彼の輪郭が、徐々に薄くなって消えていく。重ねた手の感覚もいつしか無くなっていた。事態に気付いてこちらに駆け寄る4989番さんの足音や、気付いても何も言わないキラーT細胞さんの視線を後ろのほうで感じるけれど、彼らに罪悪感や心配はかけたくなくて、ただ一言を正面の空白へ小さく呟く。今までのお礼と未来への祈りを込めた、なるべくいつも通りの別れの挨拶を。

「白血球さん、お疲れ様でした」



fin.

(原作の「また、会えますか?」、細胞の話の「生まれ変わっても…ちょっとだけでいいので、私のこと覚えててくださいね」を、いつでも設定で書いてみたくてできた話です。生まれ変わるとカクノタネになる設定はゲームには無いので捏造ですが、メインシナリオが原作やアニメをなぞった形で、赤芽球と骨髄球の章もあったので、それだと成長する時に前駆細胞ルートもカクノタネルートも存在する世界になるな…と思ったので今回このような形にしました。アプリゲームのチュートリアルでは赤血球ちゃんが樹状細胞さんからもらった白血球のタネを育てて、しれっと1146番が登場&普通に「白血球さん!」と受け入れてるので、なんかこの話の後がチュートリアルに繋がっていけばいいな、みたいなことも書いていて考えました(笑)

以下はゲームでの設定を簡単にまとめたメモ。
・白血球:防衛。コスト3ですぐに出せる。「体」と「守」の数値が高い壁役。
・キラーT細胞:前衛。コスト5。「攻」の数値が高い攻撃役。「守」の数値も高いが「体」の数値は低いため、壁役の白血球を先に置いてから出撃させるのが定石。
・赤血球:支援。コスト8。支援に成功すると味方一体のパラメーターを上げ、全体の活性化ゲージが上昇する。敵への攻撃はできない。
・コス糖:細胞を場に出撃させる上で必要。時間経過で貯まる。
・カクノタネ:細胞の素となるタネ。育成すると細胞になる。ゲーム独自のもので実際には存在しない。アプリゲーム内のガチャ要素。)

2023/05/24 公開
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