Cells at Work

白血球さんは意地悪です!

※原作には無い、アニメで追加されたネタを含みます。


今日もこの世界は平和だ。ここ数日は怪我やそれに伴う血液の流出も無く、ウイルスの流行や不審な細胞がいたという報告も入っていない。細菌だけはこの体が生きている以上どうしても気管などを通じて侵入してくるが、それも被害に繋がる前に俺たちで駆除できていた。
こんな日がずっと続けばいい。穏やかに暮らす一般細胞たちを見て心からそう願う一方、本音を言えばどこか物足りなさもある。それは俺が好中球だから…何かあれば真っ先に現場へ向かい戦うことが俺の仕事だから、だろうか。常に戦っていたいと思うほど戦闘狂ではないつもりだが、仕事柄いつでも戦えるように気を張っておく必要はある。だから平穏すぎる日々を物足りないと思ってしまうのだろうか?
そんな漠然とした疑問を抱きながらも、それを仲間に話せば「休め」だの「過労でおかしくなっている」だの「自分を大切にしろ」だのと咎められるのは目に見えているため特に相談することもなく、全身のパトロールを自ら買って出たのはつい先程のこと。

「…あ、」

多くの赤血球や一般細胞たちが往来する広い通路。平和そのものといったそれの前方に何気なく目を向けて、思わず声が漏れた。
後ろから見ても分かる、赤いシルエットの中で一房だけぴょこんと横に跳ねた赤い髪。仕事が順調なのかルンルンと跳ねるような足取り。制服のジャケットは濃い赤色、台車には二酸化炭素の段ボール箱。俺がよく交流している赤血球だ。
そういえば最近彼女とは会えていなかった。彼女はどこか抜けていて細菌からも狙われやすく、これまではトラブルの渦中で遭遇することが多かったのだが、最近はそんな事件自体が起きていない。会えなかったのはそのせいだろう、彼女の周りが平和な印とでも言うべきか。
だがまぁ、たまには非常時以外に会ってもいいはずだ。以前も時々そういうことはあったし、現にこうして会えたわけだし…と、まだ少し距離はあるが声をかけようとしたその時。

「あっ、先輩ー!」

赤血球はさらに前方に先輩赤血球を見つけたらしく、嬉しそうに片手を上げて駆け出した。俺が先に赤血球を見つけたとはいえ、さすがに彼女の行く手を後ろから邪魔するわけにもいかず、俺は人混みの中に一旦紛れる。
幸い彼女の先輩は足を止めてくれているし、このまま二人が合流してゆっくり立ち話でもしていれば、俺も血流に乗って自然に合流できるだろう。少しだけ遠のく赤血球を視界の片隅に入れながら、俺は内心でそんな算段を立てていた…が。

「あっ、アンタ!どう?ちゃんと配達できてる?」
「はい!最近調子いいんですよー、あんまり迂回路に当たらないですし、工事中の穴にも落ちてないんです!」
「アンタいつもそんな目に遭ってんの…?」
「えへへ、まぁ…。あっ、でも…うーん?」
「ん?どうしたのよ?」

照れ笑いの直後、不自然に言い淀んだ赤血球の顔を先輩が覗き込む。最初はただ不思議そうに、気遣いのつもりで…しかし赤血球がなかなか話そうとせず一人で唸るだけなのを見て、先輩の視線や纏う空気は次第に訝しげなものへと変わっていく。
俺のいる位置からでは、残念ながら赤血球の表情は分からない。だが楽しそうだった赤血球が急に黙り込んでしまって、心配を抱かないはずがない。お節介だとは思いながらも少し急ごうと人波を掻き分けた瞬間、赤血球の先輩がふと思い出したように口を開いた。

「そういえばアンタ、あの好中球とは今も仲良くしてるの?」
「!」

突然話題に出されてハッとしたのは俺だけではない。赤血球も何故かビクリとしながら背筋を伸ばして、跳ねている一房の髪を更に逆立てた。
そして。

「う…うわぁ~ん!せんぱぁーい…!」

泣きついた。
赤血球が、先輩に、泣きついた。
赤血球の大きな泣き声と変貌ぶりに、俺と先輩だけでなく通りすがりの赤血球や一般細胞も皆、思わず彼女の方を向いた。しかし赤血球は自分が注目を集めていることなど知らず泣き続けている。むしろ慌てたのは先輩の方で、赤血球の両肩を掴みながら大急ぎで尋ね始めた。

「ちょっと、いきなりどうしたのよ!?アンタあの好中球と何かあったの!?」
「うぅ…。は、白血球さんと…ぐすっ、う~…」

「好中球」というキーワードに、周囲にいた他の赤血球たちからの視線がちらちらと向けられる。ただ幸いなことにそのどれもが知らない顔だ。おそらく俺と赤血球がたびたび交流していることを知ってのものではなく、単に白血球がそこにいたから、同じ免疫系なら彼女らの言う「好中球」についても何か知ってるんじゃないか…と疑うだけのもの。
だが、はっきり言って俺もどうして彼女が泣き出したのか全く分からない。何かあったのかと訊かれても、そもそもここ最近は会っていなかったのだから心当たりすら見つからない。一瞬、二人の言う「あの好中球」が俺以外の好中球である可能性も考えたが、それは赤血球が泣きながら口にした「白血球さん」というセリフですぐに消えた。彼女が「白血球さん」と呼ぶのは俺に対してだけだ。
ということは、やはり俺が原因なのか?自覚が全く無いのだが、俺が何か…赤血球が泣くほど嫌がるようなことをしてしまったのか?
嫌な汗が全身を伝う。しかしそんなことを考えている間にも俺の乗った血流はいつもと変わらず流れていく。まずい、このままでは最悪のタイミングであの二人に追い付いてしまう。せめて今だけはこの辺りの血液だけでも逆流してほしい、なんてこの世界の平和とは真逆のことを思いかけたその時、先輩が赤血球の手を引いた。

「そうだ、一旦休憩しましょう。ここじゃ人通りも多いし、込み入った話ならゆっくり聞くから」
「うぅ、ずみまぜん…ぐすん、白血球さぁん…!」

俺の呼び名を口にした瞬間また嫌なことを思い出したのか、ぐずぐずと涙の止まらない赤血球。先輩はそんな赤血球を誘導しながら、毛細血管の多い入り組んだ路地の方へと走っていく。
それを目で追いかけてから、俺も血流から外れて近くの遊走路に飛び込んだ。





程なくして二人は見つかった。人通りは少ないがそれほど狭くもない道の、川沿いに備え付けられたベンチに並んで座っている。どうやら来る途中で自販機に寄ったらしく、二人の手にはアイスが握られていた。持っているのは二人とも薄いピンク色…苺味だろうか。落ち込んだ時こそ少し奮発して美味しいものを、という赤血球の先輩の心遣いに感心する一方、バニラは好中球の制服の白を連想するからあえて避けたのか、などと頭の片隅で邪推しそうになる。
ちなみに俺が今いる場所は建物と建物の間にある遊走路だ。その狭さゆえに俺たちも余程の緊急時でなければ通らないが今はほとんど緊急時のようなものだし、ここならば赤血球たちからはうまいこと建物の陰になって俺の姿は見えない。赤血球を心配して追いかけてきたのは事実だが、だからといってここで何も知らないかのように無遠慮に出ていく図太さは持ち合わせていなかった。
だから少しの間見守って、赤血球の泣き出した理由が分かったら謝りに行こう。俺が何をしたかも自覚できていないのに形だけ謝っても意味がないだろうから…と、この状況に対して言い訳じみた理屈を考えていると。
先輩に背中をさすられ宥められていた赤血球が、嗚咽混じりの一言を発した。

「白血球さんは、意地悪です…!」

それが聞こえた瞬間、俺の中で血の気が引く感覚がした。まぁ、この場も血球が少なくて血の気が無いようなものだけど…いや今はそんなことどうでもいい。
それよりも、意地悪って。俺が?赤血球に?意地悪?
そんなはずはない。自分で言うのも何だが、俺は赤血球には人一倍優しくしてきた、はずだ。それは顔見知りだからというのもあるが、何よりも彼女が俺たち免疫系を怖がらず、分け隔てなく接してくれるから…助けた後は律儀に礼を言ってくれるから、偶然会った時には声をかけてくれるから、俺を頼りにしてくれるから。だから俺も、彼女からもらった厚意を少しでも返すような気持ちで接してきたつもりなのに。それなのに俺が意地悪、って。俺がいつそんなことを。
…そりゃまあ、俺だって自分が完全に善人だとは言い切れないけれども。殺し屋の仕事が善か悪かというのを抜きにしたとしても、例えば好酸球の役割も知らないまま彼女を悪く言う奴がいた時は、好酸球の仕事仲間としてその不勉強な細胞たちに聞こえるようチクリと皮肉を言ったことがある。
もしかして赤血球が指摘したのは俺のそういう一面のことなのか?いや、しかし…その時の言葉が赤血球に向けられたものではないことくらい彼女は分かっているはずだし、そもそも彼女はいろんな細胞の仕事に興味と理解を示しながら日々努力しているわけで、不勉強とは真逆と言ってもいい。そんな赤血球に意地悪だなんて…やはり何度考えてもあり得ない。キラーTならともかく、この俺に限って意地悪なんて。そんなことするはずもないのに、意地悪って。
覚えの無い単語がぐるぐると頭の中を回り始めた頃、赤血球の方も少し落ち着いたのか、先輩が事実確認を始めた。

「何、アイツにいじめられたの?」
「いじめられ…てはいないですけど。でも、意地悪なんです!」
「はぁ?どういうことよ」

先輩が疑問符を浮かべる。いじめられることと意地悪されることの何が違うのかと言いたげな、そして赤血球の返答次第では相手が好中球だろうと関係ない、先輩として彼女を守らなければという意志が垣間見える相槌だ。赤血球がある事ない事言うような奴でないことは知っているし俺もやましいことは何もないが、それでも空恐ろしい。
一方、赤血球の中では「いじめられる」と「意地悪される」の間に明確な線引きがあるらしい。これはあれか、言葉の持つニュアンスで判断しろということか。以前、赤血球が肺胞のすごさを「ポコポコ」と表現していたことをふと思い出して、つい溜め息が出そうになる。
だがそこに飛び込んでくる、赤血球のはっきりとした声。少し怒っているようなトーンで発せられたそれは、彼女が俺を「意地悪」と評した明確な理由だった。

「白血球さん、私と会った時に『もしかして、また道に迷って…』って言ったんですよ!」

声真似のつもりなのか、赤血球はセリフの部分を普段よりも低い声で再現した。言葉自体に心配が含まれているものの、どこか楽しそうというか、からかうような口調で…なるほど、確かにそれは覚えがある。出血性ショックの危機が去った後、動脈の大通りで偶然会った時のことだ。
その時も俺はパトロール中で前方に赤血球が見えて、しかも彼女は焦った様子で地図と周囲の光景とを見比べていたから、知り合いだし避ける理由もないだろうと声をかけたのだ。特に大きな事件やトラブルが起きたわけではないが、赤血球と少しだけ会話を交わした直後にレセプターが反応し目の前を緑膿菌と仲間の好中球が通り過ぎていったため、会ったばかりなのに別れざるを得なくなったのが残念で妙に印象に残っている。
件のセリフが原因だと主張し終えた後も、真剣な表情を崩さない赤血球。しかし対する先輩は苦笑にも似た言葉を返す。

「あー…まぁ、道に迷いやすいアンタだからね…」
「う…それはそうですけど…」
「でも私だってアンタを見かけた時、困ってるようだったら『また迷子?』ってよく訊くじゃない。それと同じようなものじゃないの?」
「うーん、それもその通りなんですけど…!でもでも、先輩は心配してくれてるじゃないですか?白血球さんのはもっとこう…なんていうか…意地悪な言い方だったんです!」

結局「意地悪」に全て集約されてしまった彼女の説明に、物陰で拍子抜けする。どうやら他に良い語彙が見つからなかったらしい。
だがそんなことは当然お構いなしに、赤血球は持っていたアイスの棒をぎゅっと握り直して言葉を続ける。

「それに、その時は私ギリギリセーフだったんですよ!?」
「は?ギリギリセーフって何よ?」
「届け先の前まで来てて、そこでちょーっと怪しくなって地図を見てただけなんです!」
「あぁ、そういう意味…。そうね、それは確かにあの好中球が悪いわ。前のアンタはまず届け先の近くにさえ辿り着けなかったもの」
「うぅ…」

「ちょーっと」を強調した赤血球に、先輩の容赦ない指摘が降りかかる。まさに一喜一憂といった状態でしゅんと項垂れた赤血球だったが、先輩はそれには構わず確認の言葉を投げる。

「で?アンタはちゃんと否定したの?」
「はい!『成長しましたよー!』って」

赤血球はその時の気分になりきっているのだろうか、今度は自信満々に胸を叩いてみせた。が、すぐに視線を下に逸らすと言いにくそうに小声で付け加える。

「でもその後すぐ、地図が逆だって指摘されちゃったんですけど…」
「アンタねぇ…。決まらないというか、アンタらしいというか…」

これまでサクサクと話を進めてきた赤血球の先輩も、さすがに呆れた様子でアイスを一口食べた。しかしすぐに気持ちを切り替えたらしく、赤血球に向かって優しく諭す。

「でも。されて嫌なことは、なるべく早めに相手に伝えといた方がいいわよ?」
「うーん…。嫌、ではなかったんですよね…」
「は?」
「あっ、だからといって積極的に言われたいわけではないんですけど!気にかけてくれてる、って思うとそんなに嫌な気はしないっていうか…白血球さんも悪気があって言ったわけじゃないと思いますし!」
「あぁ、そう…」

先輩の相槌が投げやりなものへと変わった。俺のことを意地悪だと言い出したのは赤血球なのに今では俺を庇うような発言までしていて、この話をどこに着地させたいのかが全く見えないと言わんばかりの表情だ。
多分、俺も今は似た表情をしているのだろう。からかうような俺の発言が結局のところ嫌じゃないなら、じゃあ赤血球はどうしてさっき泣いたんだ。
すると、赤血球が思い出したように再び声を上げる。

「あっ!それと、もう一つあるんです!」
「もう一つ?意地悪なこと?」
「はい!白血球さん、時々笑えない冗談を言うんですよ!?」
「ふーん…。一応聞くけど、例えば?」
「『こんなの、かすり傷だ。…すり傷だけに』って!」
「それは…笑えないわね」

再び低めの声を出して俺の真似をした赤血球とその直後の先輩のジャッジに、俺は思わず胸の辺り…具体的には骨髄球だった頃に核のあった辺りを押さえた。いや、赤血球が核を攻撃できるはずはないのだが…正直グサッときた。確かにあの時、言った直後に赤血球が何の反応も返さなかったあの瞬間はものすごく居たたまれなくて、しかし背中がフィブリンにくっついている以上逃げ出すこともできずにただあの微妙な沈黙を耐えるしかなかったが…!そうか、笑えなかったのか…。
だがそんな俺の落ち込みなどやはり知らずに、赤血球はまた涙目になって主張する。

「だって、すり傷の時はあんなに大きな穴が空いて、細菌がいっぱい来たんですよ!?それに、私は運良く白血球さんが引き上げてくれて助かりましたけど、あのまま落ちて二度と戻ってこられなかったかもしれないのに…!」

赤血球はそこまで言うと、一旦落ち着こうとアイスを口に含んだ。ぐすん、と鼻をすする音がわずかに聞こえる。
すり傷はこの世界全体としてみれば本当に些細な、不運な事故でしかない。だが細胞一人一人に目を向ければ確かに赤血球の言う通りで、被害がゼロだからいくら怪我しても良いというものではないだろう。あの時傷口に吸い込まれた血球は大勢いる。
この世界において、傷口に近い一部の細胞が犠牲になることはもはや仕方のないことで、それがこの世界を維持する仕組みだと俺は割り切っている。が、もしもその中に顔見知りの血球がいたら…「また会えるかもしれない」と思っていた血球が目の前で落ちてしまって、もしも助けきれなかったとしたら、俺は少なくともあんな呑気な冗談を言う気にはなれなかったはずだ。そう考えるとあのセリフは、すり傷を初めて経験した彼女にとっては不謹慎に聞こえたかもしれない。胸の内で人知れず反省する…けれど、赤血球の真意は別のところにあった。

「だから、白血球さんの言う『かすり傷』も、何でもないように言ってましたけど本当はすごく大きかったんじゃないかって思って…!」

赤血球は泣きそうになりながらその言葉を絞り出す。「すり傷」がこの世界にとって何でもないことでも実際の現場は凄惨だったように、俺の言った「かすり傷」も何でもないように見えて実は酷いものなのではないか。すり傷の現場を間近で目にして、自身も流出しそうになった彼女だからこそ、思い至った結論だった。
…そんな心配、しなくてもいいのに。それも好中球である俺なんかに対して。
答えを言ってしまえば、赤血球の指摘は当たらずとも遠からずといったところだ。戦っている最中は痛みを気にする暇などないが完全に無傷というわけにもいかず、周りの細菌を殺し終えて仲間の加勢に向かう時には俺も痛みを自覚していた。だが、かすり傷だというのも嘘ではなく、好中球にとってはその程度の怪我は本当に「何でもないこと」なのだ。あの時お礼を述べに来た彼女の、自分が怪我をしたわけでもないのに痛々しく歪んだ表情が、それが俺たちの仕事だというのに申し訳なさそうな声が、目尻にうっすらと涙を浮かべた赤血球が反射的に思い出される。
一方、赤血球の先輩もようやく腑に落ちた様子で、ふっと柔らかく微笑んだ。

「…そう。大体分かったわ。つまりアンタが言いたいのは、あの好中球が心配だーってことでしょう?」
「そうなんです!それなのに白血球さん、私に心配さえさせてくれないんです!」
「で、それを寒い冗談でごまかすのがアンタにとっては意地悪だと」
「その通りですっ!」
「じゃあ、さっき泣きついてきたのもそのせい?」
「う…。そのせい、と言うか…うーん…」

赤血球はばつが悪そうに目を逸らし言い淀んだ。しかしそれも今更だと思ったのか、ぽつりぽつりと内面を吐露する。

「最近、私、白血球さんと会えていなくて。だから名前を出された時、つい色々思い出しちゃったんです。また話したいなぁ、どこかで戦ってるのかなぁ、白血球さんは大丈夫だって言うけど無理してないかなぁ…って。それで、私が鈍くさいのに自分のことを棚に上げて白血球さんの心配ばかりしちゃってるから、白血球さんも嫌になって会ってくれなくなったのかなぁ…なんて、つい変な方向に考えちゃって…」

赤血球も白血球もいっぱいいるし、これまで何度も会えたこと自体すごいことのはずなんですけどね!…と赤血球は言葉を続けてから困ったように、けれど爽やかに笑う。彼女の目の縁に溜まっていた涙は結局零れることはなく、照れ笑いの陰に隠れた。

「でも、先輩に聞いてもらって気持ちの整理がつきました!ありがとうございました!」
「…まぁ、アンタが良いならそれで良いけど。どうするの?これから」
「そうですねぇ…。ひとまずは白血球さんが嫌になってしまわないように、鈍くさいのを直します!」
「それだと下手したら一生会えなくなるわよ。もう少し手の届きそうな目標にしなさい」
「えっ!?うーん…じゃあ、自分の仕事に集中して一人前の赤血球になって、白血球さんのことを考えないようにします!」
「さっきよりはマシだけどまだ極端ね…。考えないようにするって、それアンタにできるの?」
「うぐっ…難しいです…」
「でしょうね。せめて感情を溜め込みすぎないとかにしたら?」
「じゃ、じゃあ、どうしようもない時はマクロファージさんや好酸球さんに聞いてもらって…それでまずは一循環から、穴に落ちたり細菌に遭ったりしないように平和にやり遂げます!」
「そうね、それぐらいがいいわ。アンタが会えるようにこっちで配達先を調整しようにも、相手が好中球じゃあ私たちには場所も特定できないしねぇ…思い詰めるのは良くないって気付けただけでもいいんじゃない?」
「はいっ!先輩のおかげです、あんまり愚痴を言うわけにもいかないと思ってたんですけどすっきりしました!」
「まったく、結構心配したんだからねー?」
「えへへ、面目ないです…」

二人の話が穏やかに終わっていきそうな気配に、俺も物陰でほっと息をつく。
改めて整理すると、赤血球が不安になったのは俺となかなか会えていないことや、心配すらさせてくれないことに対してで。俺は最近会っていなくて心当たりがないと思ったけれど、本当はそれ自体が間違いで原因だった。そして、それが引き金になってこれまでのやり取りを一気に思い出し、ちょうどいい言葉が見つからなくて「意地悪」という言葉に落ち着いた、と。
全てを理解したところで、俺はようやく遊走路から抜け出た。通りに出れば人の少なさゆえに、赤血球の先輩はすぐさま俺を発見する。しかし隣に座る赤血球は話し終えた達成感からか手元のアイスに夢中なようで、俺が堂々と通りを歩いて近付いても全く気付かない。先輩も多少呆れているけれど事前に俺の存在を教えるつもりはないようで、静かに見守っている。
仕方がないから彼女の前に立ち…そして。

「赤血球」
「はいいっ!?」

声をかけた途端に、赤血球はびくりと跳ね上がった。死角から話しかけていないはず、というか思いっきり真正面なんだが…と思ったのも束の間、彼女は俺の姿を認めると普段の調子を思い出して言う。

「あっ、白血球さん!お久しぶりです!」

挨拶と共に向けられたのは、さっきまで泣いていたことなど微塵も感じさせないような人懐っこい笑顔。そのことに複雑な思いを抱くよりも早く、赤血球の先輩がベンチから立ち上がった。

「それじゃあ、私は先に仕事に戻ってるわね」
「えっ!?先輩、それなら私も…」
「アンタはもう少し落ち着いてからでいいわよ。しばらく仕事してたんだからこんな時くらいゆっくりしなさい」
「あっ、ありがとうございます!」

まだ半分ほど残っているアイスを片手に持ちながら歩く先輩に、赤血球は反射的に立ち上がってお礼を述べた。彼女はそのまま先輩の背中を見送り…やがて先輩の姿が曲がり角の先に消えると、今度は俺の方に向き直る。
そして、目が合うと幸せそうにはにかんだ。

「えへへ、白血球さんとこうして話せるのも久しぶりですね。私、白血球さんに聞いてもらいたい話がいっぱいあるんですよ!」
「あぁ。だが、その前に一ついいか?」
「うん?何ですか?」

いつもならば彼女の話を止めることなど、レセプターが鳴った時以外ではほとんどない。だから余計に不思議なのだろう、こちらをじっと見つめて小首を傾げた赤血球に、俺は深呼吸を一つして向き合う。
…彼女ならば、今回の騒動の大元である「会えていない」が消えた今、他の不満も合わせて帳消しにしてくれそうだけれど。俺としては聞いてしまった以上、有耶無耶にするわけにはいかない。
伝えなければならないと、伝えたいと思ったんだ。他の細胞より再会する確率が高くても、「また会える」のが当たり前になってきたとしても、今回赤血球が泣きながら話したことで初めて俺が彼女の考えに気付けたように、俺の考えだって言葉にしないと赤血球には伝わらないのだから。
だから――赤血球の素直さには敵わないけれど、俺も素直な思いを一つ一つ伝えよう。

「余計な心配をかけてすまなかった、赤血球」
「…はい?」
「お前が成長したのは俺もよく知っているが…あの時は珍しく迷っているようだったから、手助けついでに少しからかってみようかと思ってな」
「えっ」
「すり傷の冗談は…その、赤血球があの時あまりにも心配していたから場を和ませようと思って、つい口が滑ったというか…」
「えっ、え!?」
「だが、俺が赤血球に愛想を尽かすことはないと思うぞ」
「本当ですか!?…ってそうじゃなくて!」
「最近なかなか会えなかったのも、この世界が平和で赤血球がトラブルに巻き込まれていなかったからで、それはお前が成長している証だと俺は思っているんだ」
「あの、白血球さん」
「だがこうして会えたわけだし…」
「白血球さん!」
「ん?」

ふと赤血球に呼ばれて言葉を止めると、彼女はやけに慌てた様子で前のめりに言葉を紡ぐ。

「もしかして、さっきの私の話…聞いてましたか!?」
「あぁ、それがどうかしたか?」
「えっ!?あのっ、それってどこから!?」
「どこって…そこの壁の隙間が遊走路になっているから、そこから」
「そうじゃなくて!話のどの辺りから聞いてたんですかぁ!?」
「あぁ…」

そうか、赤血球が訊きたいのはそういう意味か。さて、どう説明すべきだろう。
少し考えて俺が出した結論は、

「どの話題からだろうな?」
「…っ!?」

含み笑いを交えながら告げた俺の言葉に赤血球は目を見開き、みるみるうちに顔を真っ赤に染めていき…少し経って手に持ったアイスが溶け始めた頃、そんな可愛らしい態度とは裏腹な、説得力のあってないような言葉を勢いよく投げつけた。

「白血球さん、やっぱり意地悪です!」



fin.

(アニメ1期13話「出血性ショック(後編)」ED後、白血球さんのセリフの言い方に含まれるSっ気が好きで浮かんだネタ。でもそれだけだと話が短すぎてまとまらないかと思いアニメ1期2話「すり傷」のオリジナルネタ「こんなの、かすり傷だ。…すり傷だけに」を投入。全体を通して白血球さんがストーカーっぽくなったのは仕様です。)

2019/02/17 公開
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