Cells at Work

練習の成果

戦闘時を想定した練習を、骨髄球の頃から今まで真面目にやってきて本当に良かったと思う。キラーTに殴られた左頬がまだズキズキと痛みを主張するが、それには知らん顔で今は赤血球の話に耳を傾ける。

彼女は今さっき、この広い世界を一人で循環してきたところだ。赤血球だから循環は当たり前のことではあるが、彼女は道を覚えるのが苦手でよく迷子になる。今までは先輩の赤血球が助けてやり、時には俺も道案内をしたが、彼女はそのままで良いとは思わなかったらしい。今回は自分の力だけでやり遂げてみせると決意し、様々なトラブルがありながらも無事に一人での仕事を終えたのだ。
キラーTはようやく一人で仕事ができたことに対して「とんでもねー無能」と言ったが、俺はそうは思わない。むしろ、苦手なことがあっても諦めず努力する彼女はすごいと思ったほどだ。

「それから、今度は足場の悪いところを通って、狭い道を通ってですね…」
「うん」
「そうそう、血小板ちゃんの書いた張り紙が途中にあったんですけど、それが可愛かったんですよー!」
「そうか」

赤血球は本当に嬉しそうな様子でお喋りを続けている。そして俺はそれに相槌を返しながら聞く。
落とし物をしたり、初めて見る光景に感動したり、工事中の道で苦戦したり…あれだけのことがあったのに話の中では流れが早い気がするのは、彼女が興奮して早口になっているからだけではないだろう。話を聞きながら脳裏に思い浮かぶのは、赤血球に胃を案内した時のこと。あの時も赤血球は楽しそうに話していたが、話の途中でレセプターが反応してしまったため中断せざるを得なかった。それが俺の仕事だと赤血球も理解を示してくれているが…理解しているからこそ、話の展開を無意識にでも早くしているのかもしれない。

「赤血球」
「はい?」

レセプターが鳴ったら、仕事に戻らなければならないけれど。
でも、今は。

「もう少し、ゆっくり話さないか」

なるべく優しい声音で提案すると、赤血球は一瞬きょとんと目を丸くした。それから、はたと気付いたらしく両手をばたばた動かして焦りながらまた口を動かす。

「あっそうですよね、すみません!白血球さんは私たちの仕事のことを聞きたいのに、つい早く喋ってしまって!」
「あぁ、いや、大丈夫だ」

左手を軽く上げて気分を害していないことを伝えれば、赤血球はすぐに安心した表情になった。単純さゆえに周りからアホだと思われることもあるが、それはきっとこの分かりやすさと表裏一体で、それが彼女の魅力なのだろう。そのまま赤血球は一瞬考えた後に、言葉を選ぶようにしてゆっくり話し始めた。

「えーっと、じゃあ…私たちの仕事は細胞さんたちに酸素や栄養分を届けることなんです。全身を回って…」
「あーいや、そういう意味ではなくてだな!?」

確かに赤血球たちの仕事のことを聞きたいとは言ったが、そういった仕事の概要はもう知っている。思わずツッコミを入れてしまってから、その行動が間違いだったと気付く。
案の定、赤血球は顔を俯かせてしゅんと小さくなった。

「あ…そうでしたね、白血球さんは知ってるんでした…」

まずい。このままではいけない。赤血球がせっかく一人で循環して自信をつけたのに、今の流れですべて台無しになってしまう。
背中に嫌な汗を流しながらも表面上は平静を装って、何とか続きの話題を探す。なるべく考え込むことなく答えが出そうなものを、赤血球が楽しく話せそうな事柄を。

「…じゃあ、一人前の赤血球になるためにどんなことをしたんだ?子どもの頃でも、もちろん今のことでも構わないから」
「あ、えっと…子どもの頃は、細菌から逃げる避難訓練をして、地図も覚えるように何度も見て…今に活かせてるかは分からないですけど…」
「一人で仕事してきたんだから大丈夫だ。他には?」
「それから、今日はメモを取りました!心臓は何度来てもよく分からない場所なので、看板を見て念入りに確認しました!」

尻すぼみになっていった語尾を間髪入れずに励ましてやると、赤血球はハッと思い出したように背筋を伸ばしてハキハキと答えた。心なしか彼女の一房だけ跳ねた髪もより一層重力に逆らった気がする。それを微笑ましく見ていると、赤血球はそのキラキラとした笑顔のまま続けた。

「白血球さんはどうですか?何か特別な練習をするんですか?」
「ん?あぁ…投げナイフはよく練習したな。周りの細胞たちを傷付けず、相手だけに当たるように…」

そこまで話して気付いた。これを赤血球に話すのはまずいのではないかと。
赤血球が直前に話したメモという単語につられて、すぐに思い付いたのが投げナイフだった。実際よく練習したし、別に好中球の守秘義務などではない。が、つい先ほど赤血球を見守る中でまさにその技を使ったのだ。ナイフの代わりに、彼女の落としたメモで。
心臓で人波に押された彼女が肝心のメモを落としてしまい、そのまま拾うこともできずに流れてしまいそうだった時、俺は咄嗟にそのメモを拾い上げ彼女の帽子に向かって投げた。彼女の位置を見分けるのはぴょんと立った赤い髪のおかげで簡単で、彼女だけに当たるよう的確に投げるのも俺にとっては簡単で。赤血球はメモが飛んできたことを不思議がっていたが、誰がそうしたのか知る術はなかった。
だが今この話をしてしまったら…赤血球は俺がいたことを悟ってしまうのではないか。一人で循環できたと思っていたのに実は俺が手助けしていたのだと知ったら、自信をなくしてしまうのではないか。

何と言ってごまかせばいいか分からない。しかも不自然に言葉を途切れさせてしまった。焦りが募る。左頬の痛みが増す。
しかし赤血球は俺の顔を少しの間じっと見てから、ふわりと笑った。

「へー、そうなんですかぁ!やっぱりすごいなぁ、白血球さんは」

…これは気付いていないな。俺が投げたということに。
のほほんとした調子で返してきた赤血球に内心ほっとする。まぁこんな風だからこそ細菌にも狙われやすいわけだが…それでも赤血球が何も知らないまま笑っていてくれるなら、彼女のいる世界が平和で幸せな空間ならばそれでいい。
そしてそれを守っていくのが、俺の仕事だ。落としたメモを投げた時だけでなく、赤血球自身は知らないだろうが彼女を狙っていた細菌を素早く殺した時も実感した。

投げナイフも、細菌を一撃で殺すことも、長い間ずっと積み重ねてきて良かった。
好中球として赤血球を最後まで見守ることができて、本当に良かった。



fin.

(「血液循環」回は、メモがすっ飛んでいく場面が特に好きです。原作だと勢い良く投げてるのが何度見ても笑うし、アニメだとソフトに投げてあまり痛くなさそうなのが可愛い。)

2018/09/02 公開
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