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未来への記憶
幼い子どもの発言は恐ろしい。純粋無垢でストレートで、オブラートに包むということを知らないからだ。
俺は視線を合わせようとしないノノハを見て、その原因となった今朝の出来事を思い出してはため息をつく。
今日も昨日までと同じ一日が始まるはずだった。多少暴力的な方法だがノノハに起こされ、ノノハと一緒にマンションを出て、スクールバス乗り場までは徒歩で移動。
その途中で√幼稚園の子どもたちに会うことも、今まで何度かあったため予想できていた。ノノハは子ども好きであり、子どもたちからもよく好かれる。バスの時刻まで余裕のある時はよく構ってあげるし、俺はそんな彼女を少し離れたところから見守るのがデフォルトになっていた。
だが今朝は子どもたちの中の数人が俺のほうに駆け寄ってきて、そして一言。
「ナイチンゲールのお姉ちゃんの彼氏も一緒に遊ぼうよ!」
子どもが近くにいる大人や一人でいる子に声をかけるのはよくあることだし微笑ましい。それはいいんだ。問題はその呼び方だ。
「あー、その…せめて『お兄ちゃん』にしてくれねぇかな…」
ノノハが『怪獣のお姉ちゃん』と呼ばれてやんわり否定していた時のように、俺も苦笑いしながら代替案を示す。
どうやらノノハが怪獣からナイチンゲールに格上げになったことに伴い、俺の呼び方も『怪獣のお姉ちゃんの彼氏』から『ナイチンゲールのお姉ちゃんの彼氏』に変わったらしい。賢者のパズルに挑戦する前はギヴァーとなったマドカさんと話すのに夢中で呼び方なんて二の次だったが、平和な今となってはどうにも気になる。だから『お姉ちゃん』の対義語の『お兄ちゃん』というわけだ。正確には『ナイチンゲール』に対し『アインシュタイン』だが、難しいだろうと思い割愛した。
しかし子どもたちはそれでは納得しなかったのか、ますます勢いを増す。
「えー、彼氏じゃないの?」
「好きじゃないのー?」
「じゃあ結婚もしないの?」
いやいや飛躍しすぎてるから!
天才テラスの面々が相手なら迷わずそうつっこんでいただろう。しかし目の前にいるのは十歳以上も年下の子どもたち。下手に強い口調で言って泣かれても困る。助けを求めてマドカさんに視線を送ってもニコニコ笑顔で返された。もちろん助けは無し。
結局、少し早いがバスの時刻だからと理由をつけて逃げるように登校したのだが…
それから昼休みの現在に至るまで、ノノハはずっと不機嫌だ。
正確には「俺に対してだけ不機嫌」。さっきまでいたギャモンやキュービックには笑顔だったのだから。もっとも、雰囲気は怒っている時のそれだったが。
「いい加減、機嫌直せよ」
ぶっきらぼうに声をかけると、ノノハは少し考えてから言葉少なに返答した。
「…カイトは、マドカさんがいいんでしょ」
「まだそんなこと言ってんのかよ。あれはラブレターじゃなく賢者のパズルの招待状だってノノハも分かってるだろ」
「そんなことって…!だってカイト、昔『大きくなったらマドカ先生と結婚するー!』って言ってたじゃない!抱っこされたら泣き止んだ時もあるし!」
「それはガキの頃の話だろ」
「そういえばアナも、大好きなイヴに抱っこされた時、ほわほわふわふわしたんだな」
呆れる俺とムキになるノノハとの会話に、唯一テラスに残っていたアナが突然口を挟む。それを聞いたノノハは「ほらね」と言わんばかりにそっぽを向いた。アナは自分の味方だと解釈したらしい。
だが俺の解釈は違っていた。
アナの言葉は、ヒントだ。
「ノノハ」
昔と変わらず勝ち気な幼馴染みの名前を呼び、手を伸ばして。
「何よカイ…きゃっ」
彼女がこっちを向く瞬間に包み込んだ。
「か、カイト?」
俺の名前を呼ぶ小さな声が耳元で聞こえる。不機嫌さは消えて、今はただ戸惑っているような、あるいは緊張しているような声。
「悪い。余計なことした。ただの幼馴染みなのにあんな呼び方されて、お前は迷惑なんじゃないかって、それで…」
周りが俺をどう呼ぼうが俺は構わないけれど、ノノハに迷惑をかけるのは避けたい。そう思ってした行動が、逆にノノハに誤解を与えていた。そこに幼少期の無責任な言動が加わり、ノノハをさらに苦しめていた。まるで解き方を間違えた組み木パズルのように、俺たちは噛み合っていなかった。
「私は、平気だよ」
不意に聞こえた穏やかな響き。それは決して無理をしているわけではなく、今朝の行動の理由が分かって納得した、そんな自然なニュアンスで俺の耳に届く。
「ありがとうね、カイト。ただちょっと不器用だけど」
「うっせぇ」
「カイトがマドカさんのほうを見た時、マドカさんにそう思われたくないからなのかと思ったじゃない」
「そこまで噛み合ってなかったのかよ…」
「ふふっ、でも嬉しい。そっか、そうだったんだ」
ノノハはそこまで言うと、安心したように全身の力を抜いた。彼女の笑う声が、息が、なんだかくすぐったい。
すると、傍らにいたアナが仲直りできてよかったと言わんばかりににっこりと笑う。
「思うに、過去は変わらない。でも、今を幸せにして塗り重ねることはできる」
「…あぁ。そうだな」
少しだけ、気恥ずかしいけれど。
近い将来、彼女の思い出す記憶が幼い頃の出来事ではなく、素直になれた今のそれであるように。ノノハの記憶に強く残るように、俺はノノハをもう一度ぎゅっと抱きしめた。
fin.
前サイト10000hit記念リクエスト。さくや様へ。
2014/03/27 公開
幼い子どもの発言は恐ろしい。純粋無垢でストレートで、オブラートに包むということを知らないからだ。
俺は視線を合わせようとしないノノハを見て、その原因となった今朝の出来事を思い出してはため息をつく。
今日も昨日までと同じ一日が始まるはずだった。多少暴力的な方法だがノノハに起こされ、ノノハと一緒にマンションを出て、スクールバス乗り場までは徒歩で移動。
その途中で√幼稚園の子どもたちに会うことも、今まで何度かあったため予想できていた。ノノハは子ども好きであり、子どもたちからもよく好かれる。バスの時刻まで余裕のある時はよく構ってあげるし、俺はそんな彼女を少し離れたところから見守るのがデフォルトになっていた。
だが今朝は子どもたちの中の数人が俺のほうに駆け寄ってきて、そして一言。
「ナイチンゲールのお姉ちゃんの彼氏も一緒に遊ぼうよ!」
子どもが近くにいる大人や一人でいる子に声をかけるのはよくあることだし微笑ましい。それはいいんだ。問題はその呼び方だ。
「あー、その…せめて『お兄ちゃん』にしてくれねぇかな…」
ノノハが『怪獣のお姉ちゃん』と呼ばれてやんわり否定していた時のように、俺も苦笑いしながら代替案を示す。
どうやらノノハが怪獣からナイチンゲールに格上げになったことに伴い、俺の呼び方も『怪獣のお姉ちゃんの彼氏』から『ナイチンゲールのお姉ちゃんの彼氏』に変わったらしい。賢者のパズルに挑戦する前はギヴァーとなったマドカさんと話すのに夢中で呼び方なんて二の次だったが、平和な今となってはどうにも気になる。だから『お姉ちゃん』の対義語の『お兄ちゃん』というわけだ。正確には『ナイチンゲール』に対し『アインシュタイン』だが、難しいだろうと思い割愛した。
しかし子どもたちはそれでは納得しなかったのか、ますます勢いを増す。
「えー、彼氏じゃないの?」
「好きじゃないのー?」
「じゃあ結婚もしないの?」
いやいや飛躍しすぎてるから!
天才テラスの面々が相手なら迷わずそうつっこんでいただろう。しかし目の前にいるのは十歳以上も年下の子どもたち。下手に強い口調で言って泣かれても困る。助けを求めてマドカさんに視線を送ってもニコニコ笑顔で返された。もちろん助けは無し。
結局、少し早いがバスの時刻だからと理由をつけて逃げるように登校したのだが…
それから昼休みの現在に至るまで、ノノハはずっと不機嫌だ。
正確には「俺に対してだけ不機嫌」。さっきまでいたギャモンやキュービックには笑顔だったのだから。もっとも、雰囲気は怒っている時のそれだったが。
「いい加減、機嫌直せよ」
ぶっきらぼうに声をかけると、ノノハは少し考えてから言葉少なに返答した。
「…カイトは、マドカさんがいいんでしょ」
「まだそんなこと言ってんのかよ。あれはラブレターじゃなく賢者のパズルの招待状だってノノハも分かってるだろ」
「そんなことって…!だってカイト、昔『大きくなったらマドカ先生と結婚するー!』って言ってたじゃない!抱っこされたら泣き止んだ時もあるし!」
「それはガキの頃の話だろ」
「そういえばアナも、大好きなイヴに抱っこされた時、ほわほわふわふわしたんだな」
呆れる俺とムキになるノノハとの会話に、唯一テラスに残っていたアナが突然口を挟む。それを聞いたノノハは「ほらね」と言わんばかりにそっぽを向いた。アナは自分の味方だと解釈したらしい。
だが俺の解釈は違っていた。
アナの言葉は、ヒントだ。
「ノノハ」
昔と変わらず勝ち気な幼馴染みの名前を呼び、手を伸ばして。
「何よカイ…きゃっ」
彼女がこっちを向く瞬間に包み込んだ。
「か、カイト?」
俺の名前を呼ぶ小さな声が耳元で聞こえる。不機嫌さは消えて、今はただ戸惑っているような、あるいは緊張しているような声。
「悪い。余計なことした。ただの幼馴染みなのにあんな呼び方されて、お前は迷惑なんじゃないかって、それで…」
周りが俺をどう呼ぼうが俺は構わないけれど、ノノハに迷惑をかけるのは避けたい。そう思ってした行動が、逆にノノハに誤解を与えていた。そこに幼少期の無責任な言動が加わり、ノノハをさらに苦しめていた。まるで解き方を間違えた組み木パズルのように、俺たちは噛み合っていなかった。
「私は、平気だよ」
不意に聞こえた穏やかな響き。それは決して無理をしているわけではなく、今朝の行動の理由が分かって納得した、そんな自然なニュアンスで俺の耳に届く。
「ありがとうね、カイト。ただちょっと不器用だけど」
「うっせぇ」
「カイトがマドカさんのほうを見た時、マドカさんにそう思われたくないからなのかと思ったじゃない」
「そこまで噛み合ってなかったのかよ…」
「ふふっ、でも嬉しい。そっか、そうだったんだ」
ノノハはそこまで言うと、安心したように全身の力を抜いた。彼女の笑う声が、息が、なんだかくすぐったい。
すると、傍らにいたアナが仲直りできてよかったと言わんばかりににっこりと笑う。
「思うに、過去は変わらない。でも、今を幸せにして塗り重ねることはできる」
「…あぁ。そうだな」
少しだけ、気恥ずかしいけれど。
近い将来、彼女の思い出す記憶が幼い頃の出来事ではなく、素直になれた今のそれであるように。ノノハの記憶に強く残るように、俺はノノハをもう一度ぎゅっと抱きしめた。
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2014/03/27 公開
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