3期25話カイノノ
誰かを笑顔にできたら
中等部グラウンドから東へ少し逸れたところ、かつ高等部校舎の斜め後ろ。近代的な建物の揃うこの学園の中で、この一角だけは時間が止まったかのように手付かずのままだ。
だが、アナにとってはこれくらい静かで自然の溢れる環境が良いらしい。よく分からないけれど猫友や鳥友と会うには適しているそうだ。そして、僕にとってもここは研究に没頭できる空間だ。そんなわけで、大学へ進学したアナも高等部へ進学した僕も、放課後は専らこの旧校舎で過ごしている。
そのことをカイトも知っているのだろう。虫メカによるとノノハを部活の助っ人に行かせ、教室からまっすぐ研究室へと向かってくる。薄暗い廊下から足音が聞こえ、そろそろかと思ったところで扉が開いた。
「キュービック、ちょっといいか?」
「カイト。そろそろ来ると思ったよ」
「また虫メカかよ…」
研究の成果を素直に口にすると、カイトはげんなりした表情をした。視界の隅ではイワシミズ君がいそいそと来客用の折り畳み椅子を広げている。
「オモテナシ、オモテナシ」
「ん?あぁ、サンキュー」
カイトはイワシミズ君の持ってきた椅子に腰かけると、早速本題に入ろうと口を開く。
しかし、その内容は僕にとってショッキングなものだった。
「…旅に出ようと思うんだ」
「えぇーっ!?」
「ドクトル、落チ着イテ」
「落ち着いてなんかいられないよ!」
せっかく僕も高等部の仲間入りをして、もっとカイトを調査できると思っていたのに。
いや、研究対象としてではなくても、友達としてもっと一緒にいたいのに。
だがカイトはそんな僕の反応も予想していたらしい。眉を下げて目を細め、申し訳なさそうに微笑む。
「悪いな、キュービック」
「どうして…?POGからの依頼?」
「いや、俺が決めたことなんだ。キュービックは、俺がノノハにパズルを教えていることは知ってるだろ?」
「うん…それと関係があるの?」
確かに最近のカイトは、自分で作った組み木パズルをよくノノハに解かせていた。しかも一度解き方を教えた組み木パズルはそれっきり使わず、毎回違うギミックの組み木パズルを作ってはノノハに教え、それが解けたらまた新しいものを…という具合だ。
おそらくノノハの記憶力対策だろうけれど、彼女が一人でパズルを解けるようになりそうな兆候は未だ見られない。まだまだカイトの助けが必要なのに、なぜカイトがこのタイミングで旅に出る決意をしたのか、カイトを研究し続けてきた僕にも理解不能だった。
「まぁな。ノノハがパズルを解くために、俺ができることはここまでだ」
「もうカイトのすることがないから、離れるってこと?」
「それだけじゃねぇよ。ガキの頃の俺やルークや、出会ったばかりの頃のキュービックたちのように、パズルの楽しさを知らない奴が世界にはまだまだいる。ジンが昔そうしてたように、俺もパズルを通して誰かを笑顔にできたらって思ったんだ。POGに正式に所属して活動するって手も考えたけど…」
「武者修行、武者修行」
「ははっ、そんなところだな」
唐突に口を挟んだイワシミズ君に、カイトは笑い声で返す。
たとえ僕がどんなに引き留めたところでカイトの意志は変わらないことは、これまでの経験からよく分かっていた。
「…皆には、話したの?」
「ルークには言った。学園長にも話は通してある」
「ノノハは?」
「…そのことで、頼みがあってさ」
どうやら真の本題はこっちのようだ。カイトは真剣な表情で僕に告げる。
「ノノハには、俺が旅に出たこと以外言わないでほしい。俺の居場所も、パズルの解き方も」
「それは、ノノハにパズルを解かせるため?」
「あぁ。…ノノハは、俺がノノハのぶんのパズルも解くなんて言ったからこうなっただけで、パズルの才能がまったく無いわけじゃねぇんだ」
どうしてそう言い切れるのだろう。疑問符は残ったままだが、カイトには何らかの確信があるらしい。カイト自身のことになると無茶をしてパズルに挑む場合は多々あったけれど、カイトが意図的にノノハを危険にさらすことは無かったから。
すぅ、と深呼吸をして、酸素と一緒に僕の気持ちも体の奥へ流し込む。
そして。
「…分かった。気をつけてね、カイト」
本当は寂しい。遠距離用の虫メカを作って追いたい。
だけどその気になればPOGの情報網でも何でも使って探せるだろう。それに僕たちは天才同士だから、研究を進めていった先でひょっこり再会できる確率も普通より高い。
「ありがとな、キュービック」
そう言って研究室を去る背中が、僕には滲んで見えた。
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中等部グラウンドから東へ少し逸れたところ、かつ高等部校舎の斜め後ろ。近代的な建物の揃うこの学園の中で、この一角だけは時間が止まったかのように手付かずのままだ。
だが、アナにとってはこれくらい静かで自然の溢れる環境が良いらしい。よく分からないけれど猫友や鳥友と会うには適しているそうだ。そして、僕にとってもここは研究に没頭できる空間だ。そんなわけで、大学へ進学したアナも高等部へ進学した僕も、放課後は専らこの旧校舎で過ごしている。
そのことをカイトも知っているのだろう。虫メカによるとノノハを部活の助っ人に行かせ、教室からまっすぐ研究室へと向かってくる。薄暗い廊下から足音が聞こえ、そろそろかと思ったところで扉が開いた。
「キュービック、ちょっといいか?」
「カイト。そろそろ来ると思ったよ」
「また虫メカかよ…」
研究の成果を素直に口にすると、カイトはげんなりした表情をした。視界の隅ではイワシミズ君がいそいそと来客用の折り畳み椅子を広げている。
「オモテナシ、オモテナシ」
「ん?あぁ、サンキュー」
カイトはイワシミズ君の持ってきた椅子に腰かけると、早速本題に入ろうと口を開く。
しかし、その内容は僕にとってショッキングなものだった。
「…旅に出ようと思うんだ」
「えぇーっ!?」
「ドクトル、落チ着イテ」
「落ち着いてなんかいられないよ!」
せっかく僕も高等部の仲間入りをして、もっとカイトを調査できると思っていたのに。
いや、研究対象としてではなくても、友達としてもっと一緒にいたいのに。
だがカイトはそんな僕の反応も予想していたらしい。眉を下げて目を細め、申し訳なさそうに微笑む。
「悪いな、キュービック」
「どうして…?POGからの依頼?」
「いや、俺が決めたことなんだ。キュービックは、俺がノノハにパズルを教えていることは知ってるだろ?」
「うん…それと関係があるの?」
確かに最近のカイトは、自分で作った組み木パズルをよくノノハに解かせていた。しかも一度解き方を教えた組み木パズルはそれっきり使わず、毎回違うギミックの組み木パズルを作ってはノノハに教え、それが解けたらまた新しいものを…という具合だ。
おそらくノノハの記憶力対策だろうけれど、彼女が一人でパズルを解けるようになりそうな兆候は未だ見られない。まだまだカイトの助けが必要なのに、なぜカイトがこのタイミングで旅に出る決意をしたのか、カイトを研究し続けてきた僕にも理解不能だった。
「まぁな。ノノハがパズルを解くために、俺ができることはここまでだ」
「もうカイトのすることがないから、離れるってこと?」
「それだけじゃねぇよ。ガキの頃の俺やルークや、出会ったばかりの頃のキュービックたちのように、パズルの楽しさを知らない奴が世界にはまだまだいる。ジンが昔そうしてたように、俺もパズルを通して誰かを笑顔にできたらって思ったんだ。POGに正式に所属して活動するって手も考えたけど…」
「武者修行、武者修行」
「ははっ、そんなところだな」
唐突に口を挟んだイワシミズ君に、カイトは笑い声で返す。
たとえ僕がどんなに引き留めたところでカイトの意志は変わらないことは、これまでの経験からよく分かっていた。
「…皆には、話したの?」
「ルークには言った。学園長にも話は通してある」
「ノノハは?」
「…そのことで、頼みがあってさ」
どうやら真の本題はこっちのようだ。カイトは真剣な表情で僕に告げる。
「ノノハには、俺が旅に出たこと以外言わないでほしい。俺の居場所も、パズルの解き方も」
「それは、ノノハにパズルを解かせるため?」
「あぁ。…ノノハは、俺がノノハのぶんのパズルも解くなんて言ったからこうなっただけで、パズルの才能がまったく無いわけじゃねぇんだ」
どうしてそう言い切れるのだろう。疑問符は残ったままだが、カイトには何らかの確信があるらしい。カイト自身のことになると無茶をしてパズルに挑む場合は多々あったけれど、カイトが意図的にノノハを危険にさらすことは無かったから。
すぅ、と深呼吸をして、酸素と一緒に僕の気持ちも体の奥へ流し込む。
そして。
「…分かった。気をつけてね、カイト」
本当は寂しい。遠距離用の虫メカを作って追いたい。
だけどその気になればPOGの情報網でも何でも使って探せるだろう。それに僕たちは天才同士だから、研究を進めていった先でひょっこり再会できる確率も普通より高い。
「ありがとな、キュービック」
そう言って研究室を去る背中が、僕には滲んで見えた。
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