3期25話カイノノ
それぞれが選ぶ道
もうすぐ来る春を思わせるような、麗らかな日差しが降り注ぐ。木々の間から覗くのは、気持ちの良い晴天。門出には相応しい日和だ。
今日は第六十八回√学園高等部卒業式の日。もっとも、今はもう式が終わって、卒業生は後輩たちと言葉を交わして送り出された頃だろうか。
そんなことを思いながら車の外で待っていると、聞き慣れた声と共に、ぞろぞろとこちらに向かって歩く集団が見えてきた。√学園所属の仲間たちだ。
今日高等部を卒業した者、まだ高等部に在籍する者、√大学に所属する者、そして√学園の学園長。僕とビショップの姿を見つけると、嬉しそうに手を振ったり、部下として恭しく会釈したり、反応は立場によって様々だ。
「ルーク君!ごめんね、待たせちゃって」
「いいや。後輩との挨拶はもう済んだのかな?」
「うん。アイリちゃんには泣かれちゃったけど…」
僕たちの近くまで来たノノハさんは、照れ笑いを浮かべながら話す。√学園の制服を着ているけれど、卒業生の右胸につけられたという花飾りは既に取られていた。
…と、卒業生は彼女だけではないことを思い出して視線を向ける。その人物もやっぱり普段通り、式典には似つかわしくない真っ黒なライダーススタイルだった。
「…その格好で卒業式に出たのかい?」
「こんな時だけ制服着てお利口にすんのも、ガラじゃないんでなぁ」
ガリレオが不貞腐れたように言うと、すかさずアントワネットが呆れた視線を向ける。
そんなやり取りを交わす間にも、ビショップは車の後部座席から用意した白百合の花束を取ると、皆に一つずつ渡していく。
ここにいる人数よりも一つ少ない数。理由は口に出さなくても分かっていた。その証拠にビショップが目配せをすると、ノノハさんは察したのか申し訳なさそうに一礼し、そして制服のポケットからパズルを取り出す。
「さ、行こうか」
ソルヴァーの集中を乱さないように、それでいて彼女が「気を遣われた」と気にしてしまわないように、極力自然に皆を促す。皆もすっかり慣れたのか、その状況に疑問を呈することもなくそれぞれ歩き出す。
僕の右側で、ソウジ君が何気なくキュービック君へ問いかけた。
「キュービック君、少し背が伸びたかい?」
「えー?そうかな?」
「9.5ミリ、9.5ミリ」
つまり、あと0.5ミリあれば1センチということか。問われて満更でもなさそうなキュービック君の気持ちを台無しにするイワシミズ君の言葉に内心で苦笑する。態度に出してしまえばキュービック君が怒って皆が騒ぎ出すのは目に見えていたから、ここは静観が最善の手だろう。
そのまま素知らぬ顔で僕が話題を向けた相手は、左隣で花束をやや乱暴に肩に担ぐガリレオ。
「これから、どうするんだい?」
彼が覆面パズル作家「地堂刹」であることは知っている。その上で問いかけた。
彼が望むのであれば、ミノタウロスのように正式にPOGへ加入させることもできる。実力は既に証明されているし、アントワネットや三幹部といったPOGギヴァーとの独自の繋がりもある。かつてはカイトを育てる使い捨ての駒として引き入れたが、今はそうではなく共にオルペウスの脅威と戦った仲間として、改めて認めたいと思ったのだ。
けれど、彼はまるではぐらかすように曖昧に答える。
「別に。今まで通り、パズルを作って解く…それだけだ」
確かにこれまでもそれで生活してきたのだから、妥当な選択と言える。少なくとも彼の妹が高校を卒業するまでは…場合によってはその先の進学まで見据えてやがて安定するまでは、妹の手前「地堂刹」としてやっていくつもりらしい。
ただし、「作る」だけではなくて「解く」ことも今の彼の視野には入っている。つまり、これまでカイトたちに依頼してきた愚者のパズルの安全な解放作業には、引き続き協力してくれるということ。地堂刹としての活動も、皆と解いたパズルも、彼は案外気に入っているということ。
それだけで意思表示としては十分だ。腑に落ちるように静かに、そう思えた。
すると、今度はガリレオの方が問い返してくる。
「そっちはどうなんだよ」
「ルーク様のもと、これからも、POGの職務に専念するだけです」
答えたのは僕の一歩後ろを歩くビショップだった。ほとんど事務的に淡々と答えているけれど、そのシンプルな言葉の中にどれほどの思いがあるか、僕はかつての戦いで知った。
と言っても、当時はまさに「敵を欺くにはまず味方から」という状況で、僕がその思いを知ったのは後からだったけれど。僕を救えなかったカイトに対し激昂したと聞いて、作戦とはいえ二人に申し訳なかったと思う一方で、彼の忠誠心を改めて実感したのを覚えている。
そして、ガリレオの更に左ではアントワネットが、こちらも久しぶりに会ったらしいダ・ヴィンチに問いかけていた。
「どう?美術留学は。確かパリだったわよね?」
「ううん、ンジャメナー!」
「って、どこ…?」
まるで名前で決めましたと言わんばかりに無邪気な返答のダ・ヴィンチに、アントワネットは分かりやすくたじろぐ。すっかり打ち解けているその様子に、安堵と微笑ましさを覚えた。
腕輪をつけていた僕が言えたことではないけれど、彼女たちも僕が存在を認知した当時と比べて、印象が随分と変わった。パズルの楽しさを知って、積極的に周りと関わるようになった。笑顔が増えるのは、絶対に悪いことではないはずだから。
そうして歩いていると、一段高いところにそれは見えてきた。
緑に囲まれた景色の中で舗装された一区画、小さな階段を数段上がった先。お守りだという猫のブローチを埋め込んだ、まだ新しいお墓。
墓石に刻まれた名前は「JIN MAKATA」 …真方ジン。
それを目の当たりにすれば、日頃はあまり気にしないようにしていた思いが、どうしても胸の奥からこみ上げてくる。当然だ、死の受容には時間がかかる。共に過ごした大切な人なら尚更。
…けれど、悲しさを身近に感じる日だからこそ、今を生きる僕たちは楽しむ心を忘れてはいけない。それが人間の強さだから。それに、悲しむだけの未来なんてジンが望まないだろうから。
一人ずつ順番に花束を供えて、手を合わせる。花束を一人一つ用意したせいで最終的に墓前は山盛りになってしまったけれど、そんなやり過ぎなところも含めて、ジンは笑って受け入れてくれるような気がした。
最後に√学園の学園長でありセクションΦの責任者、そしてジンの親友でもある解道バロンが、感慨深く報告する。
「約束を、果たしたぞ…!終わりだ、本当にすべて終わった」
ファイ・ブレインと神のパズルを巡る戦いは僕たちの幼い頃、更にオルペウスに関して言えば僕たちが生まれるよりもずっと前から続いてきたから、ジンやバロンの抱えてきた思いを完全に知ることはできない。それでも、神のパズルへ挑むジンから後のことを託されて、そして実際にかかった時間の長さを思うと、そこには計り知れないものがあるだろう。抱えた責任も、ファイ・ブレインとして力になれない無力感も、犠牲に対するやりきれない感情も。
だけど、今ここで親友に報告する彼の背中からは、どこかしゃんとして清々しいものを感じた。
それはきっと、かつてのジンにパズルを作って、解いてもらって、共に過ごした思い出があるから。カイトと過ごした日々が僕の光だったように、彼らにもそんな思い出があったから。
悲しい日でも、皆でパズルを解けば、悲しい思い出も楽しい思い出に変わるから。
今はクロスフィールド学院にいるフリーセルとレイツェルも、きっと今日をパズルを楽しむ日にしてくれていることだろう。かつて親友がジンへ言った言葉を思い出しながら、遠く海の向こうへいる友人へ思いを馳せる。
と、そこへ聞こえてきたのは困ったような唸り声。
「うーん…」
「ノノハ。まだ解けねぇのかよ?」
ガリレオが呆れたように振り返る。それをきっかけに、皆もノノハさんの方を振り向いた。
彼女の手には、数パターンの幾何学模様が綺麗に並んだ、立方体の組み木パズル。
「それ、カイトがジンのために作った…」
直接見るのはこれが初めてだけど、事前にカイトから話を聞いて知っていた。
――ギヴァーの依頼を受けてパズルを管理し、ソルヴァーのサポートをすること。POGとして、カイトの親友として、ジンを慕う人間の一人として…「ギヴァー・大門カイト」から話を打診された時、僕は一も二もなく引き受けた。解くのはノノハさん、それを身近で支えるのは気心の知れた皆。だとしたら、そんな皆を俯瞰で眺めて滞りなく配置するのは僕の役目だ。
だから、せっかくならこの機会に解いて有終の美を飾ってほしい。きっとここにいる誰もが思っていることだろうけれど、皆があえて言わないのは、ノノハさん自身が一番その思いを分かっているから。
そして、彼女に関しては特に、プレッシャーを与えればパズルが解けるというものでもない。そんな彼女の性質を分かっているからこそ、キュービック君がどこか不安そうに尋ねる。
「カイトと一緒に、ずっと練習してたんだよね?」
「何が武者修行の旅よ!私たちに黙って行っちゃうなんて」
何も答えずパズルを弄るノノハさんの代わりと言わんばかりに、今度はアントワネットが腕組みをして怒る。√学園高等部の制服をきっちり着こなしている様は、カイトに対して怒るかつてのノノハさんとそっくりだ。
「卒業式出てからでもいいのにねー?」
「今頃どうしているんだか」
間延びした調子で相槌を打ったダ・ヴィンチに合わせるように、ソウジ君もどこからかリンゴジュースを取り出した。
しかしノノハさんはそれらに反応も返さないまま手を動かして、時には唸りながら悩み続ける。
「やっぱお前にはパズルは…」
このパズルに時間制限は無いけれど、それでもジンに捧げるパズルで、ずっと前から挑戦していて、お墓参りの時になってまで解けないのは、さすがにこれ以上続けさせる方がかわいそうな気もしてくる。
ガリレオが言いにくそうに言葉を濁す…が、それを遮って「あ、」と小さな声が聞こえた。
思わずおうむ返しに「あ?」と返した彼が、そして僕たちが目にしたのは。
「とっ…解けたー!」
気持ちの良いほどはつらつとした笑顔で、両手にパズルを半分ずつ持っている「ソルヴァー・井藤ノノハ」の姿だった。
「ほえ!?」
「ノノハが!」
「パズルを!?」
「解いただとぉーっ!?」
独自の反応を返すダ・ヴィンチ、声音にどこか嬉しさの混じるキュービック君、純粋に驚いた様子のアントワネット、そして盛大に叫ぶガリレオ。傍から見れば失礼にも思える反応だけどノノハさんは全く意に介さず、解いたばかりのパズルをキューブ型に戻して墓前に置くと、ゆっくりと一礼した。元はと言えばジンに捧げるパズルとして作ったものだから、そうするのが最適だと判断したのかもしれない。
次に解く人が、最初から楽しめるように。
パズルを一つ解けたからといって一概に「パズルが得意になった」とは言えないだろう。まだ出会っていないパズルはこの世界にたくさんある。だけど、今解いたパズルをすぐに元の形に戻せる彼女の姿に、確かな成長を感じた。偶然なんかではなく、本当に考えて、楽しんで解いたのだ。
「ジンさん、ありがとうございました!」
言い終えるまでは丁寧な所作でジンと向き合っていた彼女だけど、一呼吸ついた次の瞬間には、くるりと体の向きを変えて駆け出した。道の中央を開けていた皆の間を難なくすり抜けて、あっという間にお墓の出入口まで到達してしまう。
「あっ、おい、ノノハ!どこ行くんだよ!?」
思わず呼び止めたガリレオの声に、彼女はちゃんと止まってくれた。けれど体はそのまま、首だけ振り向いていつもの強気な笑顔を向ける。
「決まってるでしょ!カイトを追いかけるのよ!」
「でも、カイト君はどこにいるのか…」
「行き先ならここに!」
ソウジ君の言葉に、ノノハさんは得意げに自身の右手に持った紙を突き出して見せた。
文字を読み取るには短すぎる時間。だけど、その行動には全員が思い当たる。簡素なメモの切れ端にも見えるそれは、けれど確かにカイトのパズルに仕込まれていた「財」だった。
「待ってなさい、今行くからね、カイト!」
楽しそうに宣言したソルヴァーは、その言葉を言い終えるよりも先にまた走り出す。
その行動力に、三年間を共に過ごしてもなお呆気にとられる天才たち。一方で僕とビショップとバロンは、驚きよりも納得をもって、晴れやかな気持ちで見つめていた。彼女がパズルを解いたことを「よくあること」で済ませるのはあまりにも雑すぎるけれど、ギヴァーとソルヴァーを見守る立場として、この瞬間に立ち会えるのは何物にも代えがたい喜びだ。
「ふふっ。楽しい旅になりそうだね、カイト」
遠く離れた親友を思って呟けば、理解したようにガリレオも動き出す。
「んじゃ、俺様もそろそろ行くか。このままだとノノハ、海を泳いで渡りかねないぞ」
茶化して言っているけれど、彼女にはその前科があるというから末恐ろしい。
するとその横では、キュービック君がすかさず白衣のポケットから小型の虫メカを取り出す。
「ノノハがパズルを解いたってことは、僕もカイトを追いかけていいってことだよね」
彼が得意げに虫メカを飛ばすと、ダ・ヴィンチはそれを見て何かを思いついたのか、楽しそうにぴょんぴょんと跳ねる。
「アナもー!鳥友に連絡ー!」
…鳥友って、渡り鳥の友達でもいるんだろうか。
頭の冷静な部分で疑問が浮かんだけれど、ダ・ヴィンチなら本当にそんな友達がいてもおかしくないと思えてくるから、僕もすっかり皆のペースに飲まれているのだろう。
「ふふっ、それなら私はレイツェルに報告するわね。彼女に伝えておけばフリーセルたちにも届くでしょ」
「彼らもそのうち、カイト君とノノハ君を追いかけそうだね。どうですか?ルーク管理官もご一緒されては」
「そうだね、考えておくよ」
すっかり適応したPOGの部下二人にこちらも冗談で返すと、澄み渡る青空を見上げる。
…彼女がパズルを解けただけであっという間にこんなに賑やかになるなんて、カイトの旅は本当に楽しい旅になりそうだ。
さぁ、進もう。それぞれが選ぶ道を。
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もうすぐ来る春を思わせるような、麗らかな日差しが降り注ぐ。木々の間から覗くのは、気持ちの良い晴天。門出には相応しい日和だ。
今日は第六十八回√学園高等部卒業式の日。もっとも、今はもう式が終わって、卒業生は後輩たちと言葉を交わして送り出された頃だろうか。
そんなことを思いながら車の外で待っていると、聞き慣れた声と共に、ぞろぞろとこちらに向かって歩く集団が見えてきた。√学園所属の仲間たちだ。
今日高等部を卒業した者、まだ高等部に在籍する者、√大学に所属する者、そして√学園の学園長。僕とビショップの姿を見つけると、嬉しそうに手を振ったり、部下として恭しく会釈したり、反応は立場によって様々だ。
「ルーク君!ごめんね、待たせちゃって」
「いいや。後輩との挨拶はもう済んだのかな?」
「うん。アイリちゃんには泣かれちゃったけど…」
僕たちの近くまで来たノノハさんは、照れ笑いを浮かべながら話す。√学園の制服を着ているけれど、卒業生の右胸につけられたという花飾りは既に取られていた。
…と、卒業生は彼女だけではないことを思い出して視線を向ける。その人物もやっぱり普段通り、式典には似つかわしくない真っ黒なライダーススタイルだった。
「…その格好で卒業式に出たのかい?」
「こんな時だけ制服着てお利口にすんのも、ガラじゃないんでなぁ」
ガリレオが不貞腐れたように言うと、すかさずアントワネットが呆れた視線を向ける。
そんなやり取りを交わす間にも、ビショップは車の後部座席から用意した白百合の花束を取ると、皆に一つずつ渡していく。
ここにいる人数よりも一つ少ない数。理由は口に出さなくても分かっていた。その証拠にビショップが目配せをすると、ノノハさんは察したのか申し訳なさそうに一礼し、そして制服のポケットからパズルを取り出す。
「さ、行こうか」
ソルヴァーの集中を乱さないように、それでいて彼女が「気を遣われた」と気にしてしまわないように、極力自然に皆を促す。皆もすっかり慣れたのか、その状況に疑問を呈することもなくそれぞれ歩き出す。
僕の右側で、ソウジ君が何気なくキュービック君へ問いかけた。
「キュービック君、少し背が伸びたかい?」
「えー?そうかな?」
「9.5ミリ、9.5ミリ」
つまり、あと0.5ミリあれば1センチということか。問われて満更でもなさそうなキュービック君の気持ちを台無しにするイワシミズ君の言葉に内心で苦笑する。態度に出してしまえばキュービック君が怒って皆が騒ぎ出すのは目に見えていたから、ここは静観が最善の手だろう。
そのまま素知らぬ顔で僕が話題を向けた相手は、左隣で花束をやや乱暴に肩に担ぐガリレオ。
「これから、どうするんだい?」
彼が覆面パズル作家「地堂刹」であることは知っている。その上で問いかけた。
彼が望むのであれば、ミノタウロスのように正式にPOGへ加入させることもできる。実力は既に証明されているし、アントワネットや三幹部といったPOGギヴァーとの独自の繋がりもある。かつてはカイトを育てる使い捨ての駒として引き入れたが、今はそうではなく共にオルペウスの脅威と戦った仲間として、改めて認めたいと思ったのだ。
けれど、彼はまるではぐらかすように曖昧に答える。
「別に。今まで通り、パズルを作って解く…それだけだ」
確かにこれまでもそれで生活してきたのだから、妥当な選択と言える。少なくとも彼の妹が高校を卒業するまでは…場合によってはその先の進学まで見据えてやがて安定するまでは、妹の手前「地堂刹」としてやっていくつもりらしい。
ただし、「作る」だけではなくて「解く」ことも今の彼の視野には入っている。つまり、これまでカイトたちに依頼してきた愚者のパズルの安全な解放作業には、引き続き協力してくれるということ。地堂刹としての活動も、皆と解いたパズルも、彼は案外気に入っているということ。
それだけで意思表示としては十分だ。腑に落ちるように静かに、そう思えた。
すると、今度はガリレオの方が問い返してくる。
「そっちはどうなんだよ」
「ルーク様のもと、これからも、POGの職務に専念するだけです」
答えたのは僕の一歩後ろを歩くビショップだった。ほとんど事務的に淡々と答えているけれど、そのシンプルな言葉の中にどれほどの思いがあるか、僕はかつての戦いで知った。
と言っても、当時はまさに「敵を欺くにはまず味方から」という状況で、僕がその思いを知ったのは後からだったけれど。僕を救えなかったカイトに対し激昂したと聞いて、作戦とはいえ二人に申し訳なかったと思う一方で、彼の忠誠心を改めて実感したのを覚えている。
そして、ガリレオの更に左ではアントワネットが、こちらも久しぶりに会ったらしいダ・ヴィンチに問いかけていた。
「どう?美術留学は。確かパリだったわよね?」
「ううん、ンジャメナー!」
「って、どこ…?」
まるで名前で決めましたと言わんばかりに無邪気な返答のダ・ヴィンチに、アントワネットは分かりやすくたじろぐ。すっかり打ち解けているその様子に、安堵と微笑ましさを覚えた。
腕輪をつけていた僕が言えたことではないけれど、彼女たちも僕が存在を認知した当時と比べて、印象が随分と変わった。パズルの楽しさを知って、積極的に周りと関わるようになった。笑顔が増えるのは、絶対に悪いことではないはずだから。
そうして歩いていると、一段高いところにそれは見えてきた。
緑に囲まれた景色の中で舗装された一区画、小さな階段を数段上がった先。お守りだという猫のブローチを埋め込んだ、まだ新しいお墓。
墓石に刻まれた名前は「JIN MAKATA」 …真方ジン。
それを目の当たりにすれば、日頃はあまり気にしないようにしていた思いが、どうしても胸の奥からこみ上げてくる。当然だ、死の受容には時間がかかる。共に過ごした大切な人なら尚更。
…けれど、悲しさを身近に感じる日だからこそ、今を生きる僕たちは楽しむ心を忘れてはいけない。それが人間の強さだから。それに、悲しむだけの未来なんてジンが望まないだろうから。
一人ずつ順番に花束を供えて、手を合わせる。花束を一人一つ用意したせいで最終的に墓前は山盛りになってしまったけれど、そんなやり過ぎなところも含めて、ジンは笑って受け入れてくれるような気がした。
最後に√学園の学園長でありセクションΦの責任者、そしてジンの親友でもある解道バロンが、感慨深く報告する。
「約束を、果たしたぞ…!終わりだ、本当にすべて終わった」
ファイ・ブレインと神のパズルを巡る戦いは僕たちの幼い頃、更にオルペウスに関して言えば僕たちが生まれるよりもずっと前から続いてきたから、ジンやバロンの抱えてきた思いを完全に知ることはできない。それでも、神のパズルへ挑むジンから後のことを託されて、そして実際にかかった時間の長さを思うと、そこには計り知れないものがあるだろう。抱えた責任も、ファイ・ブレインとして力になれない無力感も、犠牲に対するやりきれない感情も。
だけど、今ここで親友に報告する彼の背中からは、どこかしゃんとして清々しいものを感じた。
それはきっと、かつてのジンにパズルを作って、解いてもらって、共に過ごした思い出があるから。カイトと過ごした日々が僕の光だったように、彼らにもそんな思い出があったから。
悲しい日でも、皆でパズルを解けば、悲しい思い出も楽しい思い出に変わるから。
今はクロスフィールド学院にいるフリーセルとレイツェルも、きっと今日をパズルを楽しむ日にしてくれていることだろう。かつて親友がジンへ言った言葉を思い出しながら、遠く海の向こうへいる友人へ思いを馳せる。
と、そこへ聞こえてきたのは困ったような唸り声。
「うーん…」
「ノノハ。まだ解けねぇのかよ?」
ガリレオが呆れたように振り返る。それをきっかけに、皆もノノハさんの方を振り向いた。
彼女の手には、数パターンの幾何学模様が綺麗に並んだ、立方体の組み木パズル。
「それ、カイトがジンのために作った…」
直接見るのはこれが初めてだけど、事前にカイトから話を聞いて知っていた。
――ギヴァーの依頼を受けてパズルを管理し、ソルヴァーのサポートをすること。POGとして、カイトの親友として、ジンを慕う人間の一人として…「ギヴァー・大門カイト」から話を打診された時、僕は一も二もなく引き受けた。解くのはノノハさん、それを身近で支えるのは気心の知れた皆。だとしたら、そんな皆を俯瞰で眺めて滞りなく配置するのは僕の役目だ。
だから、せっかくならこの機会に解いて有終の美を飾ってほしい。きっとここにいる誰もが思っていることだろうけれど、皆があえて言わないのは、ノノハさん自身が一番その思いを分かっているから。
そして、彼女に関しては特に、プレッシャーを与えればパズルが解けるというものでもない。そんな彼女の性質を分かっているからこそ、キュービック君がどこか不安そうに尋ねる。
「カイトと一緒に、ずっと練習してたんだよね?」
「何が武者修行の旅よ!私たちに黙って行っちゃうなんて」
何も答えずパズルを弄るノノハさんの代わりと言わんばかりに、今度はアントワネットが腕組みをして怒る。√学園高等部の制服をきっちり着こなしている様は、カイトに対して怒るかつてのノノハさんとそっくりだ。
「卒業式出てからでもいいのにねー?」
「今頃どうしているんだか」
間延びした調子で相槌を打ったダ・ヴィンチに合わせるように、ソウジ君もどこからかリンゴジュースを取り出した。
しかしノノハさんはそれらに反応も返さないまま手を動かして、時には唸りながら悩み続ける。
「やっぱお前にはパズルは…」
このパズルに時間制限は無いけれど、それでもジンに捧げるパズルで、ずっと前から挑戦していて、お墓参りの時になってまで解けないのは、さすがにこれ以上続けさせる方がかわいそうな気もしてくる。
ガリレオが言いにくそうに言葉を濁す…が、それを遮って「あ、」と小さな声が聞こえた。
思わずおうむ返しに「あ?」と返した彼が、そして僕たちが目にしたのは。
「とっ…解けたー!」
気持ちの良いほどはつらつとした笑顔で、両手にパズルを半分ずつ持っている「ソルヴァー・井藤ノノハ」の姿だった。
「ほえ!?」
「ノノハが!」
「パズルを!?」
「解いただとぉーっ!?」
独自の反応を返すダ・ヴィンチ、声音にどこか嬉しさの混じるキュービック君、純粋に驚いた様子のアントワネット、そして盛大に叫ぶガリレオ。傍から見れば失礼にも思える反応だけどノノハさんは全く意に介さず、解いたばかりのパズルをキューブ型に戻して墓前に置くと、ゆっくりと一礼した。元はと言えばジンに捧げるパズルとして作ったものだから、そうするのが最適だと判断したのかもしれない。
次に解く人が、最初から楽しめるように。
パズルを一つ解けたからといって一概に「パズルが得意になった」とは言えないだろう。まだ出会っていないパズルはこの世界にたくさんある。だけど、今解いたパズルをすぐに元の形に戻せる彼女の姿に、確かな成長を感じた。偶然なんかではなく、本当に考えて、楽しんで解いたのだ。
「ジンさん、ありがとうございました!」
言い終えるまでは丁寧な所作でジンと向き合っていた彼女だけど、一呼吸ついた次の瞬間には、くるりと体の向きを変えて駆け出した。道の中央を開けていた皆の間を難なくすり抜けて、あっという間にお墓の出入口まで到達してしまう。
「あっ、おい、ノノハ!どこ行くんだよ!?」
思わず呼び止めたガリレオの声に、彼女はちゃんと止まってくれた。けれど体はそのまま、首だけ振り向いていつもの強気な笑顔を向ける。
「決まってるでしょ!カイトを追いかけるのよ!」
「でも、カイト君はどこにいるのか…」
「行き先ならここに!」
ソウジ君の言葉に、ノノハさんは得意げに自身の右手に持った紙を突き出して見せた。
文字を読み取るには短すぎる時間。だけど、その行動には全員が思い当たる。簡素なメモの切れ端にも見えるそれは、けれど確かにカイトのパズルに仕込まれていた「財」だった。
「待ってなさい、今行くからね、カイト!」
楽しそうに宣言したソルヴァーは、その言葉を言い終えるよりも先にまた走り出す。
その行動力に、三年間を共に過ごしてもなお呆気にとられる天才たち。一方で僕とビショップとバロンは、驚きよりも納得をもって、晴れやかな気持ちで見つめていた。彼女がパズルを解いたことを「よくあること」で済ませるのはあまりにも雑すぎるけれど、ギヴァーとソルヴァーを見守る立場として、この瞬間に立ち会えるのは何物にも代えがたい喜びだ。
「ふふっ。楽しい旅になりそうだね、カイト」
遠く離れた親友を思って呟けば、理解したようにガリレオも動き出す。
「んじゃ、俺様もそろそろ行くか。このままだとノノハ、海を泳いで渡りかねないぞ」
茶化して言っているけれど、彼女にはその前科があるというから末恐ろしい。
するとその横では、キュービック君がすかさず白衣のポケットから小型の虫メカを取り出す。
「ノノハがパズルを解いたってことは、僕もカイトを追いかけていいってことだよね」
彼が得意げに虫メカを飛ばすと、ダ・ヴィンチはそれを見て何かを思いついたのか、楽しそうにぴょんぴょんと跳ねる。
「アナもー!鳥友に連絡ー!」
…鳥友って、渡り鳥の友達でもいるんだろうか。
頭の冷静な部分で疑問が浮かんだけれど、ダ・ヴィンチなら本当にそんな友達がいてもおかしくないと思えてくるから、僕もすっかり皆のペースに飲まれているのだろう。
「ふふっ、それなら私はレイツェルに報告するわね。彼女に伝えておけばフリーセルたちにも届くでしょ」
「彼らもそのうち、カイト君とノノハ君を追いかけそうだね。どうですか?ルーク管理官もご一緒されては」
「そうだね、考えておくよ」
すっかり適応したPOGの部下二人にこちらも冗談で返すと、澄み渡る青空を見上げる。
…彼女がパズルを解けただけであっという間にこんなに賑やかになるなんて、カイトの旅は本当に楽しい旅になりそうだ。
さぁ、進もう。それぞれが選ぶ道を。
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