3期25話カイノノ
大切にしている人
気分転換を兼ねた女子会から数日後、今日も気持ち良く晴れた√学園。
「うぅ、前が見えない…!とにかく慎重に、慎重に…!」
私は積み上がった段ボール箱に視界を奪われながらも、なんとか一回で運びきろうと奮闘していた。
バランスを崩さないように、慎重に。中身までは確認していないけれど、きっと大切な物だから。学園の中心にある総合管理塔から高等部へ戻る途中、学園長室でついさっきしたばかりの会話を思い出す。
今思えば荷物運びのお手伝いの依頼と共に、カイトの残したパズルの進み具合を聞くことも学園長の用事の内に入っていたらしい。私がパズルを苦手としていることを知っている学園長は柔和な口調で尋ねた。
「カイト君のパズルは解けましたか」
「あ、はは…。まだまだです…」
「そうですか…。あぁ、焦らなくても大丈夫。じっくり解いてもらったほうが、ジンも嬉しいでしょうから」
慈しむような眼差しはパズルの奥に戦友を重ねて見ているようで、私は自然と身が引き締まった。カイトに『解いてみてくれよ』と指名されたとはいえ、これはカイトがジンさんと約束して作ったパズルなのだ。急ぐ必要は無くても、解放する責任は大きい。
本音を言うともう少しヒントが欲しいところだけど、うっかり教えてしまうのを防ぐためかギャモン君もキューちゃんもアナも軸川先輩も、皆私がパズルと格闘していても何も言わない。…いや、教えてもらったところで指示通り動かせる自信は無いんだけど。いつぞやのアムギーネ共和国での女子会でメランコリィやエレナちゃんが周りでせっかく指示を出してくれたのに混乱してパズルを壊してしまったことを思い出す。
「…運んでほしい荷物というのは、その箱です」
余計なことまで考え始めた私を現実に戻すように、学園長は本棚を指差した。棚の前に大きめの段ボール箱が三つ並んでいる。
「カイト君が学園に残していった荷物です」
「カイトが?」
あのパズルバカ、しばらく留守にするのに学園に私物を置いてどうするのよ…!と心の中で悪態をつきながらもお目付け役として謝ろうとすると、学園長はあぁそうじゃなくて、と言葉を訂正した。
「正確にはカイト君がジンやソルヴァーたちのために残した荷物、でしょうか。ジンの部屋にあったのですが、あそこもそろそろ片付けようと思いましてね。一旦高等部の倉庫に移動しようかと」
「そうなんですね。わかりました。じゃあ早速運びますね!」
「おっと、そんな一気に持って大丈夫ですか?」
「平気ですよー。それでは、失礼しました!」
箱を縦に重ねて一気に持つ。大きさの割に中身は重くないから、何度も行き来するより一度に運んだほうが手間が省けるだろう。驚いている学園長に振り向いて退室の挨拶をして、さぁ行こうという瞬間ふと本棚の写真立てに目が留まった。
アインシュタイン。
オルペウスの腕輪や賢者のパズルの存在をまだ知ったばかりの頃、カイトが呼び出されて一緒に学園長室へ来た時も、ここに飾られていた写真だ。舌を出しておどける姿は、カイトが気にくわない相手にするポーズとよく似ている。
カイトのことを思い出したらまた気持ちが揺らぎそうで、私は急いで学園長室を後にしたのだった。
…そして、今。私は考えなしに一度に運ぼうとしたことを後悔している。カイトがいなくなった直後よりは落ち着いたとはいえ、ふとした時に揺らいでまだ完全には整理しきれていないカイトへの思いを見ないように…逃げるように出発したけれど、積み上げた箱が予想以上に不安定だったおかげで、奇しくも運びきること以外のあれこれを考える余裕は無くなっていた。
「慎重に…う、わっ!?」
しまった、と思った時には既に遅く、小石につまづいて視界がぐらつく。もちろん目の前の箱も一緒に傾きそのまま向こう側に倒れていく。
すぐに訪れるだろう衝撃に身構えて目を瞑った…けれど。
「…あれ?」
倒れない。
いや、正確には向こうから誰かが押さえてくれた…?
「あ、ありがとうございます…?」
助かった、けれど誰だろう。疑問符を浮かべながら箱の向こうへお礼を述べる。
すると至近距離で現れたのは、特徴的なピンク色の癖っ毛。
「どういたしまして」
「えっ、レイツェル…!?どうしてここに!?」
「それより一旦その荷物を下に降ろしてくれる?私もひとつなら運べるし、手伝うわ」
驚いて投げかけた質問は保留にしたまま、レイツェルは私に指示を出していちばん上の箱を持つ。視界が開けて再会の驚きも少し収まると、そういえば以前もこんなことがあったと頭の片隅で記憶が呼び戻された。あの時はレイツェルが転校してきて制服を着ていたけれど、今回は√学園の制服ではない。ロングコートに首元のボウタイはどちらかというとクロスフィールド学院のそれに近い。まじまじと見てしまったからか、レイツェルは改めて先程の質問に答える。
「ちょっとルークに呼ばれてね。といっても、私が学院に慣れたかの報告はフリーセルから聞くだろうし、抜け出してきちゃった。短い時間でもジンと過ごしたこの場所のほうがPOGよりも馴染み深いもの」
抜け出してきた、って軽く言っているけれど良いのかしら。でも、今までも突然√学園に転校してきたり突然ジンさんを連れて旅に出たりしたレイツェルだから、これくらい彼女にとっては平気なのかもしれない。それにルーク君やフリーセル君も何かあれば√学園に立ち寄るはずだから、レイツェルの動きはそこまで見越してのものだろう。一人で納得したところで、今度はレイツェルが私に尋ねる。
「カイト、旅に出たんですってね」
「え?うん…」
「それで、あなたにパズルを残していった」
「うん…。『私に』というより、カイトはジンさんと約束したって言ってたけど」
どうして知っているんだろう、誰かから聞いたのかしら…なんて思う間もないまま、レイツェルは続ける。
「どうするの。あなた、確かパズルは苦手だったわよね」
「…解くよ。どれだけ時間がかかっても、必ず」
「それは、大門カイトのため?」
「ううん。それだけじゃなくて…背中を押してくれたアナや軸川先輩、見守ってくれるキューちゃんやギャモン君やエレナたち…それと、カイトを追いかけたい自分のため、かな」
パズルの答えは見つからないけれど、時々気持ちも揺らぐけれど、その質問の答えだけは自信を持って返せる。
カイトはパズルを解く時にいつも、パズルが解かれたがっていると言っていた。逆に、パズルが解かれてほしくないと言うことは絶対に無かった。私はまだカイトのように温かいパズルと挑戦的なパズルの違いまでは感じ取れないけれど…私がパズルの声を聞くとするなら、きっと「解いてみてほしい」って言っているはずだから。
そして、それを解けばきっと「追いかけてきてもいい」ってことだから。置いていかない約束をした以上、きっとカイトは進んだ先で待っていてくれる。
私が今パズルと向き合うのは、そう信じたい自分のため。そして、そこまで支えて導いてくれた皆のため。
「…あなた、やっぱり…」
「え?」
「ううん、なんでもない」
少しだけ驚いた表情をしたレイツェルは、その理由をはっきりとは教えてくれないまま、並んで歩く。だけど噴水の横を通りながら、ぽつりぽつりと言葉を溢した。
「…ひとつだけ、ヒントをあげるわ」
「うん」
「パズルを解く時、人は誰かと一緒なの」
「…うん」
「『私の鏡合わせの存在が大切にしている人』からの言葉よ」
さあさあと降り注ぐ水音に紛れて、レイツェルの声が届く。彼女がヒントとしてくれた言葉はもうすぐ解けるという暗示かもしれないし、反対に、作った人のことをもっと考えて解きなさいという忠告かもしれない。そうではない別の意味があるのかもしれない。
その正確な意図までは分からないけれど、横顔はカイトたちとパズルバトルをした頃の凛としたものとは違って、何かを懐かしむように切なく儚い。思い出しているのはジンさんのことか、最後の戦いを共にしたカイトのことか。どちらだとしても、そうでなくても、レイツェルの言葉には何か感じるものがあって。
「ありがとう、レイツェル」
こみ上げてくる気持ちを言葉にすると、彼女はまるでカイトのように目を細めて優しく微笑んだ。
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気分転換を兼ねた女子会から数日後、今日も気持ち良く晴れた√学園。
「うぅ、前が見えない…!とにかく慎重に、慎重に…!」
私は積み上がった段ボール箱に視界を奪われながらも、なんとか一回で運びきろうと奮闘していた。
バランスを崩さないように、慎重に。中身までは確認していないけれど、きっと大切な物だから。学園の中心にある総合管理塔から高等部へ戻る途中、学園長室でついさっきしたばかりの会話を思い出す。
今思えば荷物運びのお手伝いの依頼と共に、カイトの残したパズルの進み具合を聞くことも学園長の用事の内に入っていたらしい。私がパズルを苦手としていることを知っている学園長は柔和な口調で尋ねた。
「カイト君のパズルは解けましたか」
「あ、はは…。まだまだです…」
「そうですか…。あぁ、焦らなくても大丈夫。じっくり解いてもらったほうが、ジンも嬉しいでしょうから」
慈しむような眼差しはパズルの奥に戦友を重ねて見ているようで、私は自然と身が引き締まった。カイトに『解いてみてくれよ』と指名されたとはいえ、これはカイトがジンさんと約束して作ったパズルなのだ。急ぐ必要は無くても、解放する責任は大きい。
本音を言うともう少しヒントが欲しいところだけど、うっかり教えてしまうのを防ぐためかギャモン君もキューちゃんもアナも軸川先輩も、皆私がパズルと格闘していても何も言わない。…いや、教えてもらったところで指示通り動かせる自信は無いんだけど。いつぞやのアムギーネ共和国での女子会でメランコリィやエレナちゃんが周りでせっかく指示を出してくれたのに混乱してパズルを壊してしまったことを思い出す。
「…運んでほしい荷物というのは、その箱です」
余計なことまで考え始めた私を現実に戻すように、学園長は本棚を指差した。棚の前に大きめの段ボール箱が三つ並んでいる。
「カイト君が学園に残していった荷物です」
「カイトが?」
あのパズルバカ、しばらく留守にするのに学園に私物を置いてどうするのよ…!と心の中で悪態をつきながらもお目付け役として謝ろうとすると、学園長はあぁそうじゃなくて、と言葉を訂正した。
「正確にはカイト君がジンやソルヴァーたちのために残した荷物、でしょうか。ジンの部屋にあったのですが、あそこもそろそろ片付けようと思いましてね。一旦高等部の倉庫に移動しようかと」
「そうなんですね。わかりました。じゃあ早速運びますね!」
「おっと、そんな一気に持って大丈夫ですか?」
「平気ですよー。それでは、失礼しました!」
箱を縦に重ねて一気に持つ。大きさの割に中身は重くないから、何度も行き来するより一度に運んだほうが手間が省けるだろう。驚いている学園長に振り向いて退室の挨拶をして、さぁ行こうという瞬間ふと本棚の写真立てに目が留まった。
アインシュタイン。
オルペウスの腕輪や賢者のパズルの存在をまだ知ったばかりの頃、カイトが呼び出されて一緒に学園長室へ来た時も、ここに飾られていた写真だ。舌を出しておどける姿は、カイトが気にくわない相手にするポーズとよく似ている。
カイトのことを思い出したらまた気持ちが揺らぎそうで、私は急いで学園長室を後にしたのだった。
…そして、今。私は考えなしに一度に運ぼうとしたことを後悔している。カイトがいなくなった直後よりは落ち着いたとはいえ、ふとした時に揺らいでまだ完全には整理しきれていないカイトへの思いを見ないように…逃げるように出発したけれど、積み上げた箱が予想以上に不安定だったおかげで、奇しくも運びきること以外のあれこれを考える余裕は無くなっていた。
「慎重に…う、わっ!?」
しまった、と思った時には既に遅く、小石につまづいて視界がぐらつく。もちろん目の前の箱も一緒に傾きそのまま向こう側に倒れていく。
すぐに訪れるだろう衝撃に身構えて目を瞑った…けれど。
「…あれ?」
倒れない。
いや、正確には向こうから誰かが押さえてくれた…?
「あ、ありがとうございます…?」
助かった、けれど誰だろう。疑問符を浮かべながら箱の向こうへお礼を述べる。
すると至近距離で現れたのは、特徴的なピンク色の癖っ毛。
「どういたしまして」
「えっ、レイツェル…!?どうしてここに!?」
「それより一旦その荷物を下に降ろしてくれる?私もひとつなら運べるし、手伝うわ」
驚いて投げかけた質問は保留にしたまま、レイツェルは私に指示を出していちばん上の箱を持つ。視界が開けて再会の驚きも少し収まると、そういえば以前もこんなことがあったと頭の片隅で記憶が呼び戻された。あの時はレイツェルが転校してきて制服を着ていたけれど、今回は√学園の制服ではない。ロングコートに首元のボウタイはどちらかというとクロスフィールド学院のそれに近い。まじまじと見てしまったからか、レイツェルは改めて先程の質問に答える。
「ちょっとルークに呼ばれてね。といっても、私が学院に慣れたかの報告はフリーセルから聞くだろうし、抜け出してきちゃった。短い時間でもジンと過ごしたこの場所のほうがPOGよりも馴染み深いもの」
抜け出してきた、って軽く言っているけれど良いのかしら。でも、今までも突然√学園に転校してきたり突然ジンさんを連れて旅に出たりしたレイツェルだから、これくらい彼女にとっては平気なのかもしれない。それにルーク君やフリーセル君も何かあれば√学園に立ち寄るはずだから、レイツェルの動きはそこまで見越してのものだろう。一人で納得したところで、今度はレイツェルが私に尋ねる。
「カイト、旅に出たんですってね」
「え?うん…」
「それで、あなたにパズルを残していった」
「うん…。『私に』というより、カイトはジンさんと約束したって言ってたけど」
どうして知っているんだろう、誰かから聞いたのかしら…なんて思う間もないまま、レイツェルは続ける。
「どうするの。あなた、確かパズルは苦手だったわよね」
「…解くよ。どれだけ時間がかかっても、必ず」
「それは、大門カイトのため?」
「ううん。それだけじゃなくて…背中を押してくれたアナや軸川先輩、見守ってくれるキューちゃんやギャモン君やエレナたち…それと、カイトを追いかけたい自分のため、かな」
パズルの答えは見つからないけれど、時々気持ちも揺らぐけれど、その質問の答えだけは自信を持って返せる。
カイトはパズルを解く時にいつも、パズルが解かれたがっていると言っていた。逆に、パズルが解かれてほしくないと言うことは絶対に無かった。私はまだカイトのように温かいパズルと挑戦的なパズルの違いまでは感じ取れないけれど…私がパズルの声を聞くとするなら、きっと「解いてみてほしい」って言っているはずだから。
そして、それを解けばきっと「追いかけてきてもいい」ってことだから。置いていかない約束をした以上、きっとカイトは進んだ先で待っていてくれる。
私が今パズルと向き合うのは、そう信じたい自分のため。そして、そこまで支えて導いてくれた皆のため。
「…あなた、やっぱり…」
「え?」
「ううん、なんでもない」
少しだけ驚いた表情をしたレイツェルは、その理由をはっきりとは教えてくれないまま、並んで歩く。だけど噴水の横を通りながら、ぽつりぽつりと言葉を溢した。
「…ひとつだけ、ヒントをあげるわ」
「うん」
「パズルを解く時、人は誰かと一緒なの」
「…うん」
「『私の鏡合わせの存在が大切にしている人』からの言葉よ」
さあさあと降り注ぐ水音に紛れて、レイツェルの声が届く。彼女がヒントとしてくれた言葉はもうすぐ解けるという暗示かもしれないし、反対に、作った人のことをもっと考えて解きなさいという忠告かもしれない。そうではない別の意味があるのかもしれない。
その正確な意図までは分からないけれど、横顔はカイトたちとパズルバトルをした頃の凛としたものとは違って、何かを懐かしむように切なく儚い。思い出しているのはジンさんのことか、最後の戦いを共にしたカイトのことか。どちらだとしても、そうでなくても、レイツェルの言葉には何か感じるものがあって。
「ありがとう、レイツェル」
こみ上げてくる気持ちを言葉にすると、彼女はまるでカイトのように目を細めて優しく微笑んだ。
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