Phi-Brain
財と夕焼け
賢者のパズルには、満たすべきいくつかの条件がある。
必要なヒントがあり答えがある、解けるパズルであること。考えて答えを導き出せるだけの、少なくとも最低限度の時間があること。財が用意されていること。
そもそも賢者のパズルは依頼者の求めに応じて製作し、部外者から財を守る一方で、財を受け継ぐに相応しい者には財を託す、という性質がある。だからパズルも、万人に理解される必要はないけれど、ヒントや時間設定に明らかな不足があって破綻している状態では意味がない。また、財がなければそれはただ危険なだけのパズルだ。ファイ・ブレイン育成用の愚者のパズルとして扱われるものもあるけれど、どちらにせよ賢者のパズルとは言えない。
もちろんどの賢者のパズルも、登録された当初は財もルールも答えも正当な手続きを経て用意され、その通りに記録に残っている。けれど、ファイ・ブレイン育成に偏った上層部の体制や現場で管理するギヴァーの交代、その者の心境の変化によって、実態が伴わなくなったものも数多くあった。賢者のパズルとして作られたはずのものが、財が取り払われ、罠がより過激に人の命を奪うよう変えられて、愚者のパズルになり果てたもの、更にはルールも変わりパズルですらない何かになってしまったものもある。
そういうわけで、新生POGとしての建て直し業務の中には、これまでに登録された賢者のパズルが本当に賢者のパズルとして相応しいか再確認することも含まれていた。
今も財が残り、賢者のパズルとして正しく機能するものは、今のギヴァーに引き続き管理を任せる。既に解放済みで財は無くなったがルールや解き方が正当であるパズルは記録に回し、ゆくゆくはPOGの端末でいつでも挑戦できるようにする。パズル自体が作り変えられて解けないものになっている場合は、改良し再びパズルとして蘇らせる。
悪いのは悪用した人間、僕たちはパズルを信じる。親友と約束した原点に立ち返り、パズルと向き合うこの業務が、ルークは存外好きだった。
とはいえ、賢者のパズルとして成立しているか否かを一つ一つ確認するのは、容易なことではない。信頼している幹部や上層部の人間で手分けし、得意分野を割り振ってはいるものの、その登録数は膨大だ。さらに、ある者から見ればルールが破綻している、ヒント不足だと思えても、別の者から見れば十分に解ける、といったことがパズルでは往々にしてある。…幼い頃、白衣の研究員たちからは全く理解されなかったルークのパズルを、カイトはすぐに理解し、解いてくれたように。
より高度なパズルを作るギヴァーとして、簡単に解かれたくはないが、一方で誰にも理解されず不成立なパズルだと見なされるのは寂しい。ちゃんと解けるパズルを作っているのだから、誰かには解いてほしい。できればその誰かは、このパズルと財の価値が分かる相手であってほしい。パズルに込められたギヴァーの思いに触れながら、けれど思考は冷静に、そこに潜む危険因子だけを取り除いていく。
「ルーク様、こちらはいかがいたしましょう」
ルークの着手していたパズルの解読が一区切りついたタイミングで、同じくパズルの選別作業をしていたビショップが、隣から声をかけた。差し出されたタブレットに目を向ければ、写真付きで概要が載っている。
パズルナンバー『J99G5』。かつてカイトが解放した、公園のパズルだった。
「爆弾の起爆装置は解除しており、解かれてもなお爆破しようとしたギヴァーには既に処分が言い渡されています。ルールと解答に破綻は見られません。ただ、財が…」
タブレットを操作しながら、ビショップが言い澱む。財の欄には『高台から一望する景色。日没前にタイミングを見計らって開始すれば、夕焼けも見える』とのこと。
「具体的な物としての財がない以上、賢者のパズルと見なして良いものかどうか」
なるほど、彼が引っ掛かっているのはそこか。確かに以前のガリレオのように、財を得て稼ぐことを目的にパズルに挑む者は一定数いる。言い方は悪いが、売り飛ばせないものを財として良いのか。それに、こうした例を認めてしまえば、それこそ鬼の手姫のパズルのように「財は人間の命」とした、愚者のパズルに近いものが次々に紛れ込んでしまいかねない。彼女のパズルに関しても、財を人の命としながらもソルヴァー自身の命ではないこと、神職という性質上金銭よりも命こそが真の財なのだという信念があること、などを踏まえて愚者のパズル入りはしなかったのだが、それでもギリギリの判断となった。ビショップはそういったルークの心労や、皆を説得するための業務が増えることも心配しているのだろう。
言ってしまえば平和な景色なんて、紛争地帯ならばともかく日本ではありふれた光景なのだから。絶景というほど秘境にあるわけでもなく、むしろ生活の中にある開かれた公園だ。別にパズルを解かなくても、普通にそこで日暮れまで遊んでいれば、見られる光景ではある。
けれど、何てことのない概要欄を読み終えたルークの結論は違った。
「いいじゃないか、夕焼け」
口にしたのは本心からの評価だった。ビショップはわずかに驚いたが、否定や反論はせずに、真意を探る眼差しで次の言葉を待つ。ルークの身の回りのことは何でも知っている、ルークに忠誠を誓う直属の部下でも、まだまだ知らないことはあるらしい。
ルークが世界の広さを知らなかったのと同様に、ビショップにもまた知らないことがある。その事実を面白く思いながら、ルークが脳内で呼び起こすのは、ビショップとも出会っていなかった頃の記憶――初めて見た夕焼けの光景だ。
協会の地下迷路でカイトと共に迷って、ジンに助けられた日。いつもなら戻っているはずの時間なのにまだ外にいたから、研究員に気付かれていたらと思うと怖くて、胸はずっとどきどきしていた。だけど迷路から出た途端、開けた視界には今まで見たこともないような綺麗な景色が広がっていたから、不安なんて忘れてしまうくらいにはその日一番どきどきした。太陽が、あんなに周りを染め上げるなんて。
世界の広さを知ったのは、たぶんあれが初めてだ。檻の中と、抜け出してもせいぜい研究所の周囲しか歩いたことのない自分にとって、世界はその先にもずっと続くのだと初めて知った日。帰っても研究員には見つかっていなくて、更にあれは晴れた日にしか見られないのだと後から知って、なんて運が良いんだと思っていた日のこと。
…もしかしたら、あの日をきっかけに研究員は脱走に気付いて、確証を得るためにわざと泳がせていたから、その後のグレートヘンジでの決定的な別れに繋がったのかもしれないと、今ならば予想がつくけれど。
それでも、運が良かったわけではなくても、あの景色は間違いなく宝物だ。
「爆破の危険はなく、パズルそのものも作り変えられていないんだろう?だったら、誰でも気軽に挑戦できる賢者のパズルとして承認しても、僕はいいと思う」
「そうでしょうか」
「ああ。皆に愛されるPOGを目指すなら、未来のソルヴァーに対する敷居は低くしておきたい。…それに、夕焼けを財にするなんて、なかなか粋だよね」
パズルと同様に、財にもギヴァーの思いは込めることができる。何を財と見なすか、どんな形で残すか。POGのギヴァーは依頼を受けてパズルを作ることもあるけれど、依頼人の思いに共感して作られたパズルは皆、財と関連した良い姿形をしている。
ルークが目を細めながら、静かに微笑む。ビショップはまだどこか腑に落ちない様子だったが、物としての財が無くともルークの話した内容だけで役員の説得には事足りると判断したらしく、ふいに表情を和らげた。結局のところ彼は、ルークがこのパズルを気に入った、その意思と成長を尊重したいのだ。
「ねえ、ビショップ。このパズルに挑戦した子どもは、どんな反応をするかな」
楽しそうだと笑う?駆け回ってヒントを集める子、計算が得意な子、皆で協力して解こうとする?顔を上げて財を見つけて、綺麗だね、面白かったねと言い合う?
初めて遅くまで帰らずにいて夕焼けを見た、あのどきどきを感じてくれるだろうか。
「そうですね…きっと、大切な思い出になりますよ。ルーク様」
従者の優しい相槌に、子どもの頃のルークが心の奥で、嬉しそうに笑った気がした。
fin.
(2期5話からのPOGに町造課長がいるのはなぜだろう、1期3話でギヴァーの権利を剥奪されたはずでは?ギヴァーの活動はできないけど事務の手腕を買われた?…と考えた結果できた話。パズルナンバーは1期5話から。)
2022/10/18 公開
賢者のパズルには、満たすべきいくつかの条件がある。
必要なヒントがあり答えがある、解けるパズルであること。考えて答えを導き出せるだけの、少なくとも最低限度の時間があること。財が用意されていること。
そもそも賢者のパズルは依頼者の求めに応じて製作し、部外者から財を守る一方で、財を受け継ぐに相応しい者には財を託す、という性質がある。だからパズルも、万人に理解される必要はないけれど、ヒントや時間設定に明らかな不足があって破綻している状態では意味がない。また、財がなければそれはただ危険なだけのパズルだ。ファイ・ブレイン育成用の愚者のパズルとして扱われるものもあるけれど、どちらにせよ賢者のパズルとは言えない。
もちろんどの賢者のパズルも、登録された当初は財もルールも答えも正当な手続きを経て用意され、その通りに記録に残っている。けれど、ファイ・ブレイン育成に偏った上層部の体制や現場で管理するギヴァーの交代、その者の心境の変化によって、実態が伴わなくなったものも数多くあった。賢者のパズルとして作られたはずのものが、財が取り払われ、罠がより過激に人の命を奪うよう変えられて、愚者のパズルになり果てたもの、更にはルールも変わりパズルですらない何かになってしまったものもある。
そういうわけで、新生POGとしての建て直し業務の中には、これまでに登録された賢者のパズルが本当に賢者のパズルとして相応しいか再確認することも含まれていた。
今も財が残り、賢者のパズルとして正しく機能するものは、今のギヴァーに引き続き管理を任せる。既に解放済みで財は無くなったがルールや解き方が正当であるパズルは記録に回し、ゆくゆくはPOGの端末でいつでも挑戦できるようにする。パズル自体が作り変えられて解けないものになっている場合は、改良し再びパズルとして蘇らせる。
悪いのは悪用した人間、僕たちはパズルを信じる。親友と約束した原点に立ち返り、パズルと向き合うこの業務が、ルークは存外好きだった。
とはいえ、賢者のパズルとして成立しているか否かを一つ一つ確認するのは、容易なことではない。信頼している幹部や上層部の人間で手分けし、得意分野を割り振ってはいるものの、その登録数は膨大だ。さらに、ある者から見ればルールが破綻している、ヒント不足だと思えても、別の者から見れば十分に解ける、といったことがパズルでは往々にしてある。…幼い頃、白衣の研究員たちからは全く理解されなかったルークのパズルを、カイトはすぐに理解し、解いてくれたように。
より高度なパズルを作るギヴァーとして、簡単に解かれたくはないが、一方で誰にも理解されず不成立なパズルだと見なされるのは寂しい。ちゃんと解けるパズルを作っているのだから、誰かには解いてほしい。できればその誰かは、このパズルと財の価値が分かる相手であってほしい。パズルに込められたギヴァーの思いに触れながら、けれど思考は冷静に、そこに潜む危険因子だけを取り除いていく。
「ルーク様、こちらはいかがいたしましょう」
ルークの着手していたパズルの解読が一区切りついたタイミングで、同じくパズルの選別作業をしていたビショップが、隣から声をかけた。差し出されたタブレットに目を向ければ、写真付きで概要が載っている。
パズルナンバー『J99G5』。かつてカイトが解放した、公園のパズルだった。
「爆弾の起爆装置は解除しており、解かれてもなお爆破しようとしたギヴァーには既に処分が言い渡されています。ルールと解答に破綻は見られません。ただ、財が…」
タブレットを操作しながら、ビショップが言い澱む。財の欄には『高台から一望する景色。日没前にタイミングを見計らって開始すれば、夕焼けも見える』とのこと。
「具体的な物としての財がない以上、賢者のパズルと見なして良いものかどうか」
なるほど、彼が引っ掛かっているのはそこか。確かに以前のガリレオのように、財を得て稼ぐことを目的にパズルに挑む者は一定数いる。言い方は悪いが、売り飛ばせないものを財として良いのか。それに、こうした例を認めてしまえば、それこそ鬼の手姫のパズルのように「財は人間の命」とした、愚者のパズルに近いものが次々に紛れ込んでしまいかねない。彼女のパズルに関しても、財を人の命としながらもソルヴァー自身の命ではないこと、神職という性質上金銭よりも命こそが真の財なのだという信念があること、などを踏まえて愚者のパズル入りはしなかったのだが、それでもギリギリの判断となった。ビショップはそういったルークの心労や、皆を説得するための業務が増えることも心配しているのだろう。
言ってしまえば平和な景色なんて、紛争地帯ならばともかく日本ではありふれた光景なのだから。絶景というほど秘境にあるわけでもなく、むしろ生活の中にある開かれた公園だ。別にパズルを解かなくても、普通にそこで日暮れまで遊んでいれば、見られる光景ではある。
けれど、何てことのない概要欄を読み終えたルークの結論は違った。
「いいじゃないか、夕焼け」
口にしたのは本心からの評価だった。ビショップはわずかに驚いたが、否定や反論はせずに、真意を探る眼差しで次の言葉を待つ。ルークの身の回りのことは何でも知っている、ルークに忠誠を誓う直属の部下でも、まだまだ知らないことはあるらしい。
ルークが世界の広さを知らなかったのと同様に、ビショップにもまた知らないことがある。その事実を面白く思いながら、ルークが脳内で呼び起こすのは、ビショップとも出会っていなかった頃の記憶――初めて見た夕焼けの光景だ。
協会の地下迷路でカイトと共に迷って、ジンに助けられた日。いつもなら戻っているはずの時間なのにまだ外にいたから、研究員に気付かれていたらと思うと怖くて、胸はずっとどきどきしていた。だけど迷路から出た途端、開けた視界には今まで見たこともないような綺麗な景色が広がっていたから、不安なんて忘れてしまうくらいにはその日一番どきどきした。太陽が、あんなに周りを染め上げるなんて。
世界の広さを知ったのは、たぶんあれが初めてだ。檻の中と、抜け出してもせいぜい研究所の周囲しか歩いたことのない自分にとって、世界はその先にもずっと続くのだと初めて知った日。帰っても研究員には見つかっていなくて、更にあれは晴れた日にしか見られないのだと後から知って、なんて運が良いんだと思っていた日のこと。
…もしかしたら、あの日をきっかけに研究員は脱走に気付いて、確証を得るためにわざと泳がせていたから、その後のグレートヘンジでの決定的な別れに繋がったのかもしれないと、今ならば予想がつくけれど。
それでも、運が良かったわけではなくても、あの景色は間違いなく宝物だ。
「爆破の危険はなく、パズルそのものも作り変えられていないんだろう?だったら、誰でも気軽に挑戦できる賢者のパズルとして承認しても、僕はいいと思う」
「そうでしょうか」
「ああ。皆に愛されるPOGを目指すなら、未来のソルヴァーに対する敷居は低くしておきたい。…それに、夕焼けを財にするなんて、なかなか粋だよね」
パズルと同様に、財にもギヴァーの思いは込めることができる。何を財と見なすか、どんな形で残すか。POGのギヴァーは依頼を受けてパズルを作ることもあるけれど、依頼人の思いに共感して作られたパズルは皆、財と関連した良い姿形をしている。
ルークが目を細めながら、静かに微笑む。ビショップはまだどこか腑に落ちない様子だったが、物としての財が無くともルークの話した内容だけで役員の説得には事足りると判断したらしく、ふいに表情を和らげた。結局のところ彼は、ルークがこのパズルを気に入った、その意思と成長を尊重したいのだ。
「ねえ、ビショップ。このパズルに挑戦した子どもは、どんな反応をするかな」
楽しそうだと笑う?駆け回ってヒントを集める子、計算が得意な子、皆で協力して解こうとする?顔を上げて財を見つけて、綺麗だね、面白かったねと言い合う?
初めて遅くまで帰らずにいて夕焼けを見た、あのどきどきを感じてくれるだろうか。
「そうですね…きっと、大切な思い出になりますよ。ルーク様」
従者の優しい相槌に、子どもの頃のルークが心の奥で、嬉しそうに笑った気がした。
fin.
(2期5話からのPOGに町造課長がいるのはなぜだろう、1期3話でギヴァーの権利を剥奪されたはずでは?ギヴァーの活動はできないけど事務の手腕を買われた?…と考えた結果できた話。パズルナンバーは1期5話から。)
2022/10/18 公開
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