Phi-Brain

続いていく旅の合間に

静かな部屋に、お馴染みのスイーツの甘い香りと、木でできたパズルのピース同士が不規則に当たる音がする。まだ冷ましている最中で装飾のないシンプルなクッキーと、既製品のスライドパズル。世界を巡る武者修行の旅の途中、今度作るパズルの参考にと俺が土産物屋で買ったものを、追いかけてきたノノハが見つけて、今は次のクッキーが焼き上がるまでの間に挑戦中というわけだ。真剣な表情で試行錯誤する彼女と奪われた参考資料を横目に見ながら、先程焼いたノノハスイーツはそろそろ食べてもいい頃合いだろうと皿に手を伸ばす。

「それにしても、」

口に入れてサクッと小さな音がした瞬間、さすがに気付いたらしくノノハが手元から顔を上げた。つまみ食いを怒られるかと思ったが彼女の声音はそうでもなく、そのまま雑談でもするみたいに言葉を続ける。

「私がパズルを解いて、カイトがノノハスイーツを食べる日が来るなんてね」

高校生になりたての私たちが見たらびっくりするわよ、と冗談めかして笑う。確かにあの頃はこんな未来が待っているなんて思ってもみなかった。当時のノノハがパズルを解けなかったのも、俺がノノハスイーツを受け付けなかったのも、今思えばそれなりの理由が互いにあったのだが。

「仕方ねぇだろ、あの時は本当にマズいと思ったんだから」
「ふーん?」

どこか棘のある相槌と共に、パズルを解く手を止めたノノハの目が据わる。弁解するつもりが余計なことを言ってしまったと気付いて、思わず目を逸らす。ついでに、今は美味しく食べているんだから問題ねぇだろ、という意味も込めて手元のクッキーをまた一口。いつも通り、口の中でほろほろと崩れて優しい甘さが広がる。
実際のところ、腕輪が外れてから食べるノノハスイーツは美味しかった。それ以前は絶賛する周りの味覚が変だと思っていたが、徐々に賛同者が増えるにつれて、おかしいのは自分のほうなのだと考えを改めるようになった。高校生になるタイミングで日本に戻って以降、初めてノノハスイーツを食べた時には、俺の腕には既にオルペウスの腕輪が嵌まっていて、たぶん俺自身も気付かぬうちに思考が歪められていたから。幼少期、おそらくノノハが料理に不慣れだった頃の思い出も相まって、本来大切なものが余計にマズいと感じたのだろう。軸川先輩がレプリカ・リングを嵌めた際、リンゴジュースの味を感じないと証言したことで、それは確信へと変わった。
そのことに気付いてからは、神のパズルに挑む前など、自身が飲み込まれていないか確認する上でノノハスイーツの美味しさを基準にしていた。美味しく感じれば大丈夫、そうでなければ俺はファイ・ブレインの負の側面に飲み込まれている。
もちろん、それを素直に白状しようものなら変に心配されるか、もう過ぎたことだと補足すれば今度は調子に乗られるか、というのが目に見えているので今後もノノハには言わないけれど。
ノノハが再びパズルに着手する。解き始めてからだいぶ時間が経っているが、一向に進んでいない様子で、そこだけを切り取れば高校生の頃とほとんど変わらない。

「…お前こそ、初めて見るパズルはなかなか解けないんだな」

つい口を挟めば、ノノハは慌ててピースを乱雑に動かし始めた。焦っても思考が速くなるわけでもなく、ますます混乱するだけだろうに、というか勢い余って壊しやしないか、と呆れた視線を向けると、すかさず返ってくる泣き言混じりの反論。

「仕方ないじゃない、カイトが教えてくれないんだもの!」
「俺が教えたらノノハは解き方丸ごと覚えちまうだろ」

だからノノハが追いついても、今みたいにパズルタイムが始まっても、俺はなるべく解く手順を全部は示さないように心がけていた。代わりに、試作品ができた時は二人で納得いくまで練習する。練習して作り直して、また練習して、それから本番のパズルを置いていく。幼いノノハがパズルを解けなくなったきっかけの、その埋め合わせを今更するようにつきっきりで教えた後、やがて残すパズルでは試作品の記憶を組み合わせてノノハに解いてもらう。
ノノハにも自力でパズルを解いてほしい俺と、俺がパズルを解くところを見られればそれで幸せで自分は解けなくてもいいと言うノノハの、中間地点が今の形だ。ノノハがどう思っているかは分からないけれど……と考えた瞬間、ふいにノノハがこちらを見て得意げに微笑む。

「でも、カイトの作るパズルは私、ちゃんと解けるでしょ?」

ノノハが本命のパズルに挑戦する時、俺は次の場所へ旅立っていて、肝心の解く瞬間には立ち会えていない。だけど今、こうしてノノハが俺の隣にいる。その事実こそが、ノノハがパズルを解いて追いかけて追いついた、何よりの証。もちろんいつかは世界一難しいパズルでも楽しんでほしいけれど、今は今で充分幸せだ。

「…そうだな。それでいい」

晴れ晴れとした心地で頷き返しながら、次のクッキーを手に取る。ノノハスイーツは美味しく、彼女の手元のパズルは解けないまま。当時から変わらないものと、離れたり近付いたりしながら変わってきた二人の関係。
大切なそれらを手放さない限り、きっと未来はより良いほうへ向かっていく。



fin.

(ファイブレ10周年おめでとう!今日のオンライン配信楽しみです!本当にありがとう!という気持ちを込めて。)

2021/12/19 公開
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