Phi-Brain
一緒なら、幸せだ
たとえば、大切な人を初めてのデートに誘うのはこんな気持ちなんだろうか。
パズルで追い詰められた時とはまた違う妙な緊張感と、それでも日常にいることへの安堵感を覚えながら、密かに深呼吸を一つ。
これまで俺たちは数え切れないほど多くの言葉を交わしてきた。隣に並んで、向かい合って、またある時にはパズル中、ずっと遠くからでも。その内容は日常の何でもないやり取りから、口喧嘩、強がり、心配、励まし、照れくさい感謝の言葉まで。目の前の幼なじみじゃあるまいし、いちいち覚えてなんていられない。
だけど今から話すのは、それらのどれよりも簡単で、それでいて最も難しい言葉だ。
「なぁ、ノノハ。…一緒にパズル、解かねぇか?」
告げた瞬間、ノノハは丸い目をさらに大きく見開いて、ぽかんとした表情になった。
最終決戦に赴く直前「必ず帰ってきてね」と約束を交わした幼なじみ。実際の時間はそれほど経っていないはずだが、ついさっきまで様々な過去を行き来していたせいか、もう随分前にした約束のように思える。…そしてその神のパズルの最中、あったかもしれない時空で、俺は最後に出会ったノノハと新たな約束を結びつけた。
もちろん今のノノハは、そんなもしもの話など、まったく知らない。時の迷路の中でそれを一緒に見たわけでもないし、以前オルペウスが見せた幻影にもそういった場面はなかった。むしろ、ノノハはあの時きっぱりと「パズルの解ける今」を拒否したくらいだ。自分はパズルが解けなくてもいい、だってつらくないから、パズルを解く俺たちを見てるだけで幸せだから、と。
…だから、これは俺のエゴだ。俺の心の中にも存在する、変えたい過去に気付いてしまったから。ノノハ自身が望んでいなくても、俺はノノハにもパズルを解く楽しさを知ってほしい、解けるようになってほしいと思った。自覚してしまった。分かっていてなお、俺は時の迷路での約束を手放せずに、今こうして目の前にいるノノハにもそれを押し付けようとしている。
まだ近くで集まったまま、思い思いに話す皆の声が、賑やかなはずなのにやけに遠く聞こえる。俺たちが神のパズルから戻ってきた直後、真っ先に俺のところへ駆け寄ったキュービックは、今は作戦の功労者であるイワシミズ君と虫メカを入念に労っている。その横で軸川先輩は、珍しくほっとした表情を見せて、ルークと何やら言葉を交わしていた。ギャモンの元には真っ先にエレナが駆け寄り、それと同じくらい心配した様子のピノクルがフリーセルにあれこれ声をかける。そんな彼らとは対照的に、腕組みをしてゆっくりと歩み寄るメランコリィ。不意にアナの腕からひらりと黒猫が飛び降り、一度振り向いてから走り去る。アナも納得した顔で頷き、微笑んだ。この場にレイツェルがいないこと、しかしそれは敗れたのではなく彼女も心身共に生きていることは、黒猫も完全に理解しているようだ。光に包まれた未来。人の本当の強さ。守り抜いた「今」をようやく実感し、視界の隅で眺めていると、ふとノノハが口を開いた。
「神のパズルから戻ってきて、早速それ?」
どこか咎めるような、呆れ混じりの口調とは裏腹に、ノノハは目を細めて笑う。
「もう、本当にパズルバカ」
罵られているはずなのに優しい声音で言われて、いやそれ以前にもっとこう、口より先に手が出るかと思ったのにそれすら無くて、思わず拍子抜けしてしまう。
「…怒らねぇのか?」
「なんでそんなことで怒るのよ」
「だって、オルペウスの幻影で俺がパズルに誘ったら、違うって怒っただろ。お前」
セリフや場面の詳細までは覚えていないけれど、突如かけられた技の痛みは嫌というほど覚えている。あの幻影ではルークもフリーセルもジンも、普通にパズルを楽しんでいた。おそらく俺の両親も健在で、そして隣には今と変わらずノノハもいる。「解いてみるか」とパズルを差し出せば、喜んで受け取ってくれる…その瞬間を今のノノハに拒否されたのだ。その後の彼女の主張も鑑みるに、正直今回の話は断られることも覚悟していた。だから柄にもなく緊張していたし、これまでしてきた約束のように一方的なものではなく、あくまでノノハに選択を委ねた。
断ってほしかったのでは決してない。それでも、予想外の反応にふてくされた気分を持て余して弁明すれば、ノノハもすぐに思い至ったらしく小さく声を上げた。そして、困ったようにくすりと笑う。
「それは、昔カイトと約束したからでしょ。カイトが私のぶんまでパズルを全部解いてくれるって。過去を変えたら、それがなくなっちゃう気がしたの。…でも、カイトが今言ってるのは、そうじゃないんでしょう?」
だって神のパズルから帰ってきてもまだパズルバカだもの、と追い討ちのように付け足される。バカを繰り返されてさすがにむっとするけれど、実際、世界一難しいパズルから戻った直後に次のパズルの約束を取り付けようとしているのだから反論できない。
きっとノノハは、俺が告げた言葉の意味の半分も理解できていないだろう。当然だ、時の迷路でのことはまだ話していないし、もう済んだことだからわざわざ話すつもりもない。自分にもパズルが解ける可能性があることすら、たぶん分かっていない。
それでも、過去を変えない「今」の延長線上として、まだ知らない約束を受け入れてくれる。パズルを解いてくれる。言葉にしなくてもその意思がなんとなく伝わった。
俺がパズルを楽しみ、パズルを好きでいる限り、ノノハもきっとそうなのだ。解くか解かないか、解けるか解けないかは些細な違いでしかなく、俺たちがパズルを楽しんでいれば、どちらを選んでもノノハは幸せでいる。ただそれだけのこと。
きっとノノハの言う「解けなくてもいい」は、「解かない」や「解きたくない」ではない。本当の答えは「一緒なら、解けてもいい」だったんだ。
「…ったく、敵わねぇな」
そばにいて、数え切れないほど言葉を交わしてきたはずなのに、今になってようやくその思いに気付く。あまりにも簡単なのに見落としていて、それどころかいらない心配までしていた自分に、もう呆れて笑うしかない。俺が急に笑い出したせいか、ノノハは訝しげな目でじとっとこちらを見てくるけれど。
もはや格好はつかないがせめて忘れないうちにと、お決まりの言葉を真正面から口にすれば、ノノハも気持ちを切り替えて、満面の笑みで返してくれる。
「ただいま、ノノハ。パズル、解けたぜ」
「ふふっ。おかえり、カイト!」
約束は無事に果たされた。さぁ、一緒に次の約束を始めようか。
パズルを解く時、人は誰かと一緒なのだから。
fin.
(3期18話の「私、パズルが解けなくてもいい」と3期25話ラストの展開は両立すると思ってます。)
2020/08/20 公開
たとえば、大切な人を初めてのデートに誘うのはこんな気持ちなんだろうか。
パズルで追い詰められた時とはまた違う妙な緊張感と、それでも日常にいることへの安堵感を覚えながら、密かに深呼吸を一つ。
これまで俺たちは数え切れないほど多くの言葉を交わしてきた。隣に並んで、向かい合って、またある時にはパズル中、ずっと遠くからでも。その内容は日常の何でもないやり取りから、口喧嘩、強がり、心配、励まし、照れくさい感謝の言葉まで。目の前の幼なじみじゃあるまいし、いちいち覚えてなんていられない。
だけど今から話すのは、それらのどれよりも簡単で、それでいて最も難しい言葉だ。
「なぁ、ノノハ。…一緒にパズル、解かねぇか?」
告げた瞬間、ノノハは丸い目をさらに大きく見開いて、ぽかんとした表情になった。
最終決戦に赴く直前「必ず帰ってきてね」と約束を交わした幼なじみ。実際の時間はそれほど経っていないはずだが、ついさっきまで様々な過去を行き来していたせいか、もう随分前にした約束のように思える。…そしてその神のパズルの最中、あったかもしれない時空で、俺は最後に出会ったノノハと新たな約束を結びつけた。
もちろん今のノノハは、そんなもしもの話など、まったく知らない。時の迷路の中でそれを一緒に見たわけでもないし、以前オルペウスが見せた幻影にもそういった場面はなかった。むしろ、ノノハはあの時きっぱりと「パズルの解ける今」を拒否したくらいだ。自分はパズルが解けなくてもいい、だってつらくないから、パズルを解く俺たちを見てるだけで幸せだから、と。
…だから、これは俺のエゴだ。俺の心の中にも存在する、変えたい過去に気付いてしまったから。ノノハ自身が望んでいなくても、俺はノノハにもパズルを解く楽しさを知ってほしい、解けるようになってほしいと思った。自覚してしまった。分かっていてなお、俺は時の迷路での約束を手放せずに、今こうして目の前にいるノノハにもそれを押し付けようとしている。
まだ近くで集まったまま、思い思いに話す皆の声が、賑やかなはずなのにやけに遠く聞こえる。俺たちが神のパズルから戻ってきた直後、真っ先に俺のところへ駆け寄ったキュービックは、今は作戦の功労者であるイワシミズ君と虫メカを入念に労っている。その横で軸川先輩は、珍しくほっとした表情を見せて、ルークと何やら言葉を交わしていた。ギャモンの元には真っ先にエレナが駆け寄り、それと同じくらい心配した様子のピノクルがフリーセルにあれこれ声をかける。そんな彼らとは対照的に、腕組みをしてゆっくりと歩み寄るメランコリィ。不意にアナの腕からひらりと黒猫が飛び降り、一度振り向いてから走り去る。アナも納得した顔で頷き、微笑んだ。この場にレイツェルがいないこと、しかしそれは敗れたのではなく彼女も心身共に生きていることは、黒猫も完全に理解しているようだ。光に包まれた未来。人の本当の強さ。守り抜いた「今」をようやく実感し、視界の隅で眺めていると、ふとノノハが口を開いた。
「神のパズルから戻ってきて、早速それ?」
どこか咎めるような、呆れ混じりの口調とは裏腹に、ノノハは目を細めて笑う。
「もう、本当にパズルバカ」
罵られているはずなのに優しい声音で言われて、いやそれ以前にもっとこう、口より先に手が出るかと思ったのにそれすら無くて、思わず拍子抜けしてしまう。
「…怒らねぇのか?」
「なんでそんなことで怒るのよ」
「だって、オルペウスの幻影で俺がパズルに誘ったら、違うって怒っただろ。お前」
セリフや場面の詳細までは覚えていないけれど、突如かけられた技の痛みは嫌というほど覚えている。あの幻影ではルークもフリーセルもジンも、普通にパズルを楽しんでいた。おそらく俺の両親も健在で、そして隣には今と変わらずノノハもいる。「解いてみるか」とパズルを差し出せば、喜んで受け取ってくれる…その瞬間を今のノノハに拒否されたのだ。その後の彼女の主張も鑑みるに、正直今回の話は断られることも覚悟していた。だから柄にもなく緊張していたし、これまでしてきた約束のように一方的なものではなく、あくまでノノハに選択を委ねた。
断ってほしかったのでは決してない。それでも、予想外の反応にふてくされた気分を持て余して弁明すれば、ノノハもすぐに思い至ったらしく小さく声を上げた。そして、困ったようにくすりと笑う。
「それは、昔カイトと約束したからでしょ。カイトが私のぶんまでパズルを全部解いてくれるって。過去を変えたら、それがなくなっちゃう気がしたの。…でも、カイトが今言ってるのは、そうじゃないんでしょう?」
だって神のパズルから帰ってきてもまだパズルバカだもの、と追い討ちのように付け足される。バカを繰り返されてさすがにむっとするけれど、実際、世界一難しいパズルから戻った直後に次のパズルの約束を取り付けようとしているのだから反論できない。
きっとノノハは、俺が告げた言葉の意味の半分も理解できていないだろう。当然だ、時の迷路でのことはまだ話していないし、もう済んだことだからわざわざ話すつもりもない。自分にもパズルが解ける可能性があることすら、たぶん分かっていない。
それでも、過去を変えない「今」の延長線上として、まだ知らない約束を受け入れてくれる。パズルを解いてくれる。言葉にしなくてもその意思がなんとなく伝わった。
俺がパズルを楽しみ、パズルを好きでいる限り、ノノハもきっとそうなのだ。解くか解かないか、解けるか解けないかは些細な違いでしかなく、俺たちがパズルを楽しんでいれば、どちらを選んでもノノハは幸せでいる。ただそれだけのこと。
きっとノノハの言う「解けなくてもいい」は、「解かない」や「解きたくない」ではない。本当の答えは「一緒なら、解けてもいい」だったんだ。
「…ったく、敵わねぇな」
そばにいて、数え切れないほど言葉を交わしてきたはずなのに、今になってようやくその思いに気付く。あまりにも簡単なのに見落としていて、それどころかいらない心配までしていた自分に、もう呆れて笑うしかない。俺が急に笑い出したせいか、ノノハは訝しげな目でじとっとこちらを見てくるけれど。
もはや格好はつかないがせめて忘れないうちにと、お決まりの言葉を真正面から口にすれば、ノノハも気持ちを切り替えて、満面の笑みで返してくれる。
「ただいま、ノノハ。パズル、解けたぜ」
「ふふっ。おかえり、カイト!」
約束は無事に果たされた。さぁ、一緒に次の約束を始めようか。
パズルを解く時、人は誰かと一緒なのだから。
fin.
(3期18話の「私、パズルが解けなくてもいい」と3期25話ラストの展開は両立すると思ってます。)
2020/08/20 公開
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