Phi-Brain

宝石の女王とアントワネット

ガリレオは呆れたような視線を向けたまま、私を見送った。
扉を閉める直前、私がちらりと振り返ると彼はすぐに目を逸らした。そのまま窓のほうを向いて、遠くの一点を睨む。余裕のないぴりぴりとした空気に耐え切れず、私は逃げるように背を向けて、扉を後ろ手に閉めた。

部屋には壁に沿ってハンガーパイプが取り付けられていて、そこに綺麗な洋服がたくさん掛かっている。いわゆるウォークインクローゼットだけど、のびのびと着替えられるくらいには広い。
用意されている服はざっと眺めただけでも、裾が大きく広がったドレス、上品ながらも華やかなロングスカート、見るからになめらかな質感のブラウス、更には靴やアクセサリーまである。色もピンクに青に黄色に緑、どんな好みを持つ人でも満足できそうなくらい豊富だ。
私も今まで仕事でいろいろな服を着たけれど、アイドルの衣装は番組や歌う曲でだいたい決まっているし、雑誌の撮影の時は読者が真似しやすい服装が多い。こんなにきらびやかな服を目の前にしたら、きっと可愛いものが好きな女の子なら誰でも目移りしてしまうだろう。
…けれど、今は何回も試着する気にはなれなかった。せっかくこんなに用意してくれたんだから何か着てみたい、とさっきまでは思っていたはずなのに、今は不安な気持ちが胸に溜まって淀んで、苦しい。

洋服は男性用のスーツやジャケットも用意されていた。
でもガリレオはそれを拒否した。柄じゃない、というのもあるかもしれないけれど、それ以上に彼が纏っていた空気は、日常に戻ることを拒否していた。
呑気に笑っていたら足元を掬われる、オルペウスの出すパズルは愚者のパズル以上に挑戦者を試してくる、油断した途端に命を落とす。
それは分かっていたけれど、アムギーネに近付くにつれて彼は笑わなくなり、かといって私の観光気分のような行動に怒るわけでもなくなった時から…私の中の不安は増していく。
いつもと違うことへの不安。ガリレオが考えていることを信じたい気持ちと、それによってガリレオが犠牲にはならないでほしい我が儘。無事にパズルを終えてほしいという、何かにすがりたくなるような心細い祈り。これから挑むパズルに対する、漠然とした嫌な予感。

ぶんぶんと首を振って、ネガティブな考えを追い払う。
ガリレオが戦う気でいるのに、一緒にいる私が不安がっていたら足手まといになる。しっかりしなきゃ。これでもPOGのアントワネットなんだから、万が一ガリレオが手こずったり何かを見落としたりしたら私がサポートしないと。女の子はおしゃれをすると気分も変えられるってこの前の雑誌の撮影で特集組んでたじゃない、その言葉にあやかるわけじゃないけど、少しでも気分を上げるために着替えにきたんだから。
深呼吸のように息を吐いて顔を上げる、と。
一着のドレスが目に留まった。



ルビーのような鮮やかで深い紅色。
私の誕生石の色。ガリレオの髪の色。
持ち主を災いから守り、勝利を呼ぶ石の色。

迷わずそれを手に取り、体に合わせてみる。丈は今着ているワンピースと同じくらいで動きやすそう。でもスカートの後ろは長くて動くとひらひら揺れて、軽やかだけど華やかに見える。一目惚れした勢いのまま、早速着替えてみることにした。ドレスに合わせて靴も華奢なデザインの赤いそれに変える。
鏡に写った私は、どことなく晴れやかな笑顔を浮かべた。



きっとガリレオは「似合ってる」とも「綺麗だ」とも言ってくれない。普段でさえ素直に褒めてくれるか怪しいのに、今はオルペウスとの対決が待ち構えている。アムギーネに来てからずっと、ガリレオの頭の中は誰よりも早くファイ・ブレインになることでいっぱいだ。

…だけど。
今は褒めてもらえなくてもいい。
ガリレオがこの先も無事でいてくれるなら。

オルペウスの腕輪を身に付けること、神のパズルを解くこと、ファイ・ブレインになること…そのどれもが危険を伴う。それは今までカイトやルーク様やオルペウス・オーダーを見てきて知っていた。
それでも私はガリレオを連れてきた。カイト達と同じファイ・ブレイン候補に選ばれ、カイト達が先に挑む中、カイトをライバル視してPOGに入るまでの行動力を持つガリレオが、そのくせ「パズルをやってる奴は仲間」なんて言って私を助けるような仲間思いのガリレオが、おとなしく待っているわけがないと思ったから。
でも、ルーク様の指示を破ってまで連れてきてしまったからには。
連れてくるだけ連れてきて後はどうなったか知りませんじゃ済まされない。私にはガリレオの戦いを最後まで見届ける責任がある。
それはつまり、一緒にいるということ。

ルビー、別名「宝石の女王」。
その色に身を包んだ私と、そのすぐ隣にいるガリレオを、どうか勝利へ導いてくれますように。
そっと祈って、優しく微笑んで。
私はこの何でも着こなす現役アイドルの姿をガリレオに見せるべく、扉を開けて勢いよく駆け出した。



fin.

7月の誕生石:ルビー

2018/07/05 公開
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