Phi-Brain
三手先は闇
広い地下空間の中で、舟の進むモーター音と水音が静かに響く。舟を操縦しているのはカイトで、ギャモンを前に乗せて向こう岸へ向かっている最中だ。向こうで待っているのはアナで、こちらに残っているのは僕とノノハとヨシオ君。八回まで往復できるうちの、二回目の往路だ。
オルペウス・オーダーのアジトに来た僕たちは今、ヘルベルトから出題された論理パズルに挑んでいる。大悪魔は大天使が側にいなければ天使を食べ、大天使は大悪魔が側にいなければ悪魔を食べる。人間は神が側にいなければ全ての天使と悪魔に食べられる。そして舟を操縦できるのは神と大天使と大悪魔だけ。そんな条件とそれぞれの役割を提示されて最初は皆、誰が誰を食べるのかで大騒ぎしたけれど、さすがにパズルは真面目に取り組むのが僕たちだ。
「なるほど。今のところ誰も食べられないね」
僕の隣でノノハが納得したように言う。彼女がパズルを解けないのはもはや周知の事実だから、ギャモンが最初の一手を示して、僕やカイトやアナがそれに応じる形でここまで進めてきた。もっとも、最小のルートで進めるつもりでいる以上、一手目はギャモンとアナが舟に乗るかカイトとノノハが乗るかの二択で、どちらを選んでも解く流れは変わらないから、いつかエレナが出したパズルのように言い争いになることもないのだけれど。
今後の手順をぼんやりと思い浮かべながら舟を見守っていると、突然ノノハが明るい声を上げた。
「あっ、ねぇもしかしたら、次って私とカイトなんじゃない?そうでしょう?」
いや、僕に同意を求められても。
多分ノノハは最初にギャモンとアナが、つまり大悪魔と悪魔役の二人が向こう岸に渡ったのを見て、次は同じように大天使と天使役の二人が渡ればいいと思ったのだろう。
…でも、それだと行き詰まるんだよなぁ。
舟が向こう岸に着く。ギャモンが降りて、カイトが舟に残る。ここでカイト一人が降りると「カイトがアナを食べる」状況になる…という点はノノハも理解できたらしい。
一応、カイトと入れ替わりでアナが舟に乗ってギャモンとこちらへ向かってくるという選択肢もあるけれど、それだと一番最初にアナが渡った意味が無くなるから却下。それに結局は何手か先で立ち行かなくなる。ノノハがそこまで考えたかは分からないけどね。
カイトの操縦で舟が戻ってくるのを見て、ノノハは嬉しそうに頷く。
「うんうん、だんだん分かってきたぞー!私もなかなかやるじゃなーい!」
その声がどことなく弾んでいるのは、カイトが戻ってくるという予想が当たった嬉しさなのか、それともカイトと舟に乗ることを期待するせいなのか。…本人に聞けば前者だと言うだろうからわざわざ聞かないけれど。そもそも後者は自覚すらしてなさそうだ。
どちらにしろ、次の手は違っている。正確には、次の手としてカイトとノノハが舟に乗ることは可能だけど、さらに次の手で行き詰まる。
だってほら、仮にカイトとノノハが対岸に向かったとして、誰が舟から降りるのか。岸にはギャモンとアナがいる。ノノハだけが降りれば「ギャモンがノノハを食べる」し、カイトだけが降りればもっと悲惨で「カイトがアナを食べる」のに加えて舟の操縦をするために乗った「ギャモンがノノハを食べる」。
カイトとノノハが一緒に降りれば誰も食べられないけれど、今度はこちらに舟を持ってくるために誰が乗るのか。舟を操縦できるカイトまたはギャモンが一人で乗れば残された方が事件を起こすし、カイトとノノハで乗って戻ってくるのも一往復分の手を無駄にしたことになる。ギャモンとアナで乗るのも同様で、ただ天使と悪魔の場所を交換しただけになる。
それをノノハに説明しようか少し迷って…やめた。説明している間にカイトが到着しそうだし、話すよりも実際に正解の手順を見せた方が早い。説明したらしたで大騒ぎになりそうだしね、アナは駄目だとか何を選んでもギャモンに食べられるだとか。
ゆっくりとしか進まない舟で徐々に近付いてきたカイトとアイコンタクトをとって、お互いに無言のまま正しい手を示す。カイトが舟から降りたら、ノノハが変な手を打つよりも早く僕とヨシオ君が乗り込んで出発。
まぁ、一手先が予想できただけでもノノハにとっては進歩だよ。
三手先が読めなかった彼女の落胆の声を背中に受けながら、僕はヨシオ君と共に向こう岸へと舟を進めた。
fin.
2018/05/06 公開
広い地下空間の中で、舟の進むモーター音と水音が静かに響く。舟を操縦しているのはカイトで、ギャモンを前に乗せて向こう岸へ向かっている最中だ。向こうで待っているのはアナで、こちらに残っているのは僕とノノハとヨシオ君。八回まで往復できるうちの、二回目の往路だ。
オルペウス・オーダーのアジトに来た僕たちは今、ヘルベルトから出題された論理パズルに挑んでいる。大悪魔は大天使が側にいなければ天使を食べ、大天使は大悪魔が側にいなければ悪魔を食べる。人間は神が側にいなければ全ての天使と悪魔に食べられる。そして舟を操縦できるのは神と大天使と大悪魔だけ。そんな条件とそれぞれの役割を提示されて最初は皆、誰が誰を食べるのかで大騒ぎしたけれど、さすがにパズルは真面目に取り組むのが僕たちだ。
「なるほど。今のところ誰も食べられないね」
僕の隣でノノハが納得したように言う。彼女がパズルを解けないのはもはや周知の事実だから、ギャモンが最初の一手を示して、僕やカイトやアナがそれに応じる形でここまで進めてきた。もっとも、最小のルートで進めるつもりでいる以上、一手目はギャモンとアナが舟に乗るかカイトとノノハが乗るかの二択で、どちらを選んでも解く流れは変わらないから、いつかエレナが出したパズルのように言い争いになることもないのだけれど。
今後の手順をぼんやりと思い浮かべながら舟を見守っていると、突然ノノハが明るい声を上げた。
「あっ、ねぇもしかしたら、次って私とカイトなんじゃない?そうでしょう?」
いや、僕に同意を求められても。
多分ノノハは最初にギャモンとアナが、つまり大悪魔と悪魔役の二人が向こう岸に渡ったのを見て、次は同じように大天使と天使役の二人が渡ればいいと思ったのだろう。
…でも、それだと行き詰まるんだよなぁ。
舟が向こう岸に着く。ギャモンが降りて、カイトが舟に残る。ここでカイト一人が降りると「カイトがアナを食べる」状況になる…という点はノノハも理解できたらしい。
一応、カイトと入れ替わりでアナが舟に乗ってギャモンとこちらへ向かってくるという選択肢もあるけれど、それだと一番最初にアナが渡った意味が無くなるから却下。それに結局は何手か先で立ち行かなくなる。ノノハがそこまで考えたかは分からないけどね。
カイトの操縦で舟が戻ってくるのを見て、ノノハは嬉しそうに頷く。
「うんうん、だんだん分かってきたぞー!私もなかなかやるじゃなーい!」
その声がどことなく弾んでいるのは、カイトが戻ってくるという予想が当たった嬉しさなのか、それともカイトと舟に乗ることを期待するせいなのか。…本人に聞けば前者だと言うだろうからわざわざ聞かないけれど。そもそも後者は自覚すらしてなさそうだ。
どちらにしろ、次の手は違っている。正確には、次の手としてカイトとノノハが舟に乗ることは可能だけど、さらに次の手で行き詰まる。
だってほら、仮にカイトとノノハが対岸に向かったとして、誰が舟から降りるのか。岸にはギャモンとアナがいる。ノノハだけが降りれば「ギャモンがノノハを食べる」し、カイトだけが降りればもっと悲惨で「カイトがアナを食べる」のに加えて舟の操縦をするために乗った「ギャモンがノノハを食べる」。
カイトとノノハが一緒に降りれば誰も食べられないけれど、今度はこちらに舟を持ってくるために誰が乗るのか。舟を操縦できるカイトまたはギャモンが一人で乗れば残された方が事件を起こすし、カイトとノノハで乗って戻ってくるのも一往復分の手を無駄にしたことになる。ギャモンとアナで乗るのも同様で、ただ天使と悪魔の場所を交換しただけになる。
それをノノハに説明しようか少し迷って…やめた。説明している間にカイトが到着しそうだし、話すよりも実際に正解の手順を見せた方が早い。説明したらしたで大騒ぎになりそうだしね、アナは駄目だとか何を選んでもギャモンに食べられるだとか。
ゆっくりとしか進まない舟で徐々に近付いてきたカイトとアイコンタクトをとって、お互いに無言のまま正しい手を示す。カイトが舟から降りたら、ノノハが変な手を打つよりも早く僕とヨシオ君が乗り込んで出発。
まぁ、一手先が予想できただけでもノノハにとっては進歩だよ。
三手先が読めなかった彼女の落胆の声を背中に受けながら、僕はヨシオ君と共に向こう岸へと舟を進めた。
fin.
2018/05/06 公開
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