Phi-Brain

オレンジ色の世界

水平線に太陽が沈んでいく中、海風が髪を揺らし、波の音が静かに響く。ここは俺たちの住む街から最も近い港。もうすぐ出航する船を背にジンとレイツェル、そして幼い俺とノノハが立っていた。リュックを背負いジャケットを着ていかにもこれから探検という格好の俺たちと、何も持たず普段着のノノハ。どちらが置いていく側でどちらが残される側かは明らかだった。

「本当に、行っちゃうの?」

まだそれほど髪の長くないノノハが心細そうに訊いてくる。俺がクロスフィールド学院へ留学すると知った時もこんな表情をしていた。本来の過去ならノノハとの別れはその一回だけで高校生になる頃には再会できたけれど、今の別れは本来なかったはずのもの。幼い俺は遠慮がちに、暗く沈んだ表情で頷く。

「また、会えるよね…?」
「……」

俺がジンと出会う前にレイツェルがジンと出会い、そしてジンがレイツェルだけでなく俺のことも旅に誘った時点で、過去は変わってしまっていた。ここから先は俺の知らない時間だ。再会できる保障なんてどこにもない。

「…カイト!」

俯いて黙る俺を見て、ノノハは不意に明るい声で名前を呼んだ。思わずつられて顔を上げると、ノノハはにっこりと笑う。

「私、幸せだよ。カイトがパズルを解く旅に出ること」
「えっ…?」
「カイトはパズルが好きなんでしょ?だったら、この旅はすごく幸せなはずだよ。カイトが幸せなら私も幸せ。だから、大丈夫!」

今にも泣き出しそうな顔と声で、それでもノノハは明るく言い切った。どこからどう見てもそれは強がりなのに、嘘つきだと指摘する気にはなれなかった。その代わり、幼い俺はずっと気にかかっていたことをおずおずと口にする。

「でも、僕、ノノハのぶんまでパズル解くって約束したのに…」

ノノハがパズルを解けなくなった時に交わした約束。オルペウスにその場面を見せられた時、ノノハは俺がパズルを解くところを見るのが好きだと言っていた。だとしたら、今離れてしまえばその約束は果たされなくなってしまう。
最後のほうはほとんど言葉にならなかったけれどノノハには伝わったようで、彼女はハッと気付いた後…さっきよりも真剣な面持ちになって言う。

「…じゃあ、私もパズル解く!」

えっ、と驚いた声が重なった。幼い俺と、それを俯瞰して見ている俺自身のものだった。

「でもノノハ、パズル解くとお腹痛くなるって…」
「解けるもん、私にだって!カイトが解いてたところ思い出すもん!」
「思い出すって…。僕が解いたことのないパズルはどうするの?」
「う…。練習する…」

なんだそりゃ。徐々に自信が無くなりながらも決して折れるつもりはないノノハを微笑ましく思ったのと、幼い俺が笑い声を上げたのは同時だった。

「あっははは…!パズルは気合いじゃ解けないよ」
「笑わないでよカイトー!私もパズル頑張るから、カイトも絶対パズル続けてよね!?今度会ったらまた一緒にパズル解くんだからね!?」
「ふふっ、分かった分かった」

客観的に見ても適当にあしらったと思うような幼い俺の言葉に、ノノハは少しの間むっとしていたけれど、幼い俺がジンに呼ばれてノノハから目を離した瞬間、彼女は柔らかく笑った。カイトはもう大丈夫、そう言いたげな目だった。
もう時間だ。出航まであとわずか、そろそろ乗らないといけない。最後の挨拶をしようと振り返った幼い俺の元にノノハが駆け寄ってくる。俺が言葉を紡ぐより早く、ノノハは念押しするように言う。

「私、今度会う時まで、絶対パズル、うまくなってるからね!だから…」
「あぁ。世界でいちばん難しいパズル、一緒に解こうな!」
「約束ね?絶対、約束だからね!」

二人の小指が絡まる。以前病室で約束の指切りをした時は声を合わせて歌まで歌って二人とも希望に満ち溢れていたのに、今回はぎゅっと繋いで上下に数回揺すっただけだった。
パズルの解けないノノハとそんな約束をしたらいつまでも会えなくなってしまう。そのことに内心気付きながらも俺はこの時間の流れを変えようとはしなかった。これはオルペウスの出題したパズル、何度も見せられた幻影のように都合よく過去を変えようとすれば心を取り込まれてしまう。
ノノハに果たせない約束を押し付け、ノノハと過ごす世界も捨てて、それでもノノハが信じている未来を俺も願ってしまいそうになって、その気持ちを必死に隠して…指がほどけたのを名残惜しく思うことも無いままに、俺は船に乗り込む。
船が動いて引き返せないことが確定した瞬間、オレンジに染まる景色は幻想の一部として儚く霧散していった。



fin.

(ノノハがカイトを励ますセリフは1期20話を元にしました。カイノノはお互いが相手のことを思っていて、様々な約束で繋がっているところが好きです。)

2017/10/02 公開
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