Phi-Brain

仲直り

退屈な午前の授業が終わり、多くの生徒が校舎から食堂へと流れる。その様子をぼんやりと眺める俺様も行き先はほぼ同じだから、流れに逆らわず、だからといって特段急ぎもせず、人波を漂うように歩みを進める。ここ最近気の張った非日常が続いていた身からすれば、あくびが出るほど緩くてありきたりな学園生活だ。
だが食堂に着いてからは少し違って、カウンターへの注文よりもまずは階段を上がっていく。食堂の中でも特に見晴らしのいいテラス席、通称天才テラス。特に約束しているわけでもないのに自然と称号持ちが集まり、一種の特権のようになっていたこの場所。ガリレオの称号を持つ俺様も当然我が物顔で利用できる…のだが、階段を上りきる数歩手前でその自信は少しだけ失われた。
視界の先では、天才テラスのバルコニーに続く大きな扉が開かれている。その向こうに小さく見える、紫のブレザーと特徴的なポニーテール。半袖のワイシャツが快活な印象を与えていた彼女だが、いつの間にかもう衣替えの時期だ。

「よぉ、皆はまだ来てねぇのか」
「ギャモン君」

先程の一回り小さくなった気持ちを悟られないように、くだけた調子で声をかけて近付く。ノノハはあっさりと俺の名前を呼んで振り向いた。きっとキュービックやアナが声をかけても同じ動作をしただろうと思わせるほどにそれは自然で。

「カイトは授業が終わった後、用事があるから先に行ってろーって。キューちゃんとアナももうすぐ来るんじゃないかな」
「そうか。じゃあもう少し待ってから注文すっかな、今はカウンターも混んでんだろうし」
「ふふっ。カイトもギャモン君もたくさん注文するもんね」

ノノハの右隣、バルコニーの欄干に寄りかかりながら続ける、当たり障りのない会話。端から見れば以前と変わらない仲間同士に見えるだろうか。変わらず笑顔を見せてくれるノノハは、この会話を本心でも楽しめているのだろうか。内心そんなことを考えてしまうのは、きっとノノハとの他愛もない話が久しぶりだからという理由だけではない。
その証拠に、オルペウス島で投げられた言葉は数日経った今でもはっきり思い出せる。

『裏切り者』

ノノハが強い口調で言い放ったそれには、俺に対する不信感が込められていた。ずっとカイトと一緒にいたノノハにとって、俺は仲間だったはずなのに敵に回った裏切り者だと。
もっとも、その言葉を言われた時にはカイトとルークが既にパズルの中で対峙していてそれどころではなかったから、裏切ったことは否定しないまでも「POGに捕まった学園長を連れてきてやった」とか何とか弁解してそれっきり、うやむやにしてしまったが。

しかし…カイトやルークについていたオルペウスの腕輪が壊れ、POGも再出発を決め、俺たちに平和な日常が戻ってきても、人の気持ちはそう簡単には切り替えられないものだ。
うやむやのまま流したからといって、あの説明でノノハが納得しているとは限らない。実際、俺はPOGに入ってまでカイトを潰そうとしたのだから。

「…ノノハ」

会話が途切れて間ができたタイミングで、それまでよりも真剣なトーンで彼女の名前を呼ぶ。風が吹いてポニーテールを揺らしたのと、彼女がはっとした表情を見せたのはほぼ同時だった。
そのまま、ノノハは首を横に振る。乱れた髪を整えるのとは違う、明確な意思表示がそこにはあった。それを遮ってでも俺が裏切ったという真実を改めて伝えるべきか…しかし俺も特にセリフを決めていなかったから、続く言葉が出てこない。俺が逡巡していると、ノノハの声がぽつりと耳に届く。

「私、全然分かってなかった…」

少し前にもそんなセリフを聞いた。カイトがルークの誘いに乗ってイギリスへ行き大怪我を負った時だ。カイトの楽しそうな顔を初めて見た、カイトの親友は良い子だと信じて疑わなかったと自分を責める、つらい声だった。
そして今も、笑い話にするみたいに声色は明るいけれど、その中にどこか自嘲を含んだ切ない響き。そんなふうにノノハの言葉と態度が不自然に合致しなくなる相手はだいたい決まっている。

「カイトのことか」
「ううん、カイトだけじゃなくて」

ノノハが話しやすいようにと先手を打って聞いたはずなのに、それはあっさりと否定される。不思議に思う俺の視界の中心で、ノノハはこれまでのことを振り返るように優しく目を細めながら、学園の向こうにある街を見つめて続きを話した。

「キューちゃんもアナも、それからギャモン君のことも。皆のことをまだよく知らないままなのに、いつの間にか一緒にいて、それが当たり前になって。いつしか、皆のことはもう分かってると思い込んで、それ以上知ろうともしなくなってた」

徐々にPOGの存在とその企みが明らかになり皆がカイトから離れる中で、唯一離れずカイトを一人にしなかった彼女。カイトの過去やパズルの重みを知り、研究室や美術室に閉じこもるキュービックとアナをなんとか引き留めようと説得していたことも知っている。
そして俺も当時、喫茶店でノノハから説得を受けた。だが俺は俺で思うところがあり…結果的にカイトと敵対する決意を固めた、あの日。

「仕方ねぇよ。ノノハがノノハの意思でカイトの側にいたように、あの時は皆それぞれの意思で動いたんだ。どれだけ相手のことを知っていようがいまいが、結局は重いものを自分も背負うと思えるかどうか、それだけだ」
「それは、そうだけど…。私、ミハルちゃんに会うまでギャモン君に妹がいることも知らなかった」
「あぁ、そういやミハルが世話になったんだって?まぁ話す機会も無かったからな、そんなもんだろ」

ミハルの件に関してはもちろん感謝している。俺の普段の会話から推理してノノハたちを探し当てたのはさすが俺様の妹と言いたいところだが、それを受け入れてくれたのはノノハの面倒見のよさが一役買ったに違いない。実際ミハルからも「ノノハの家で夕飯をごちそうになった」といった話を聞いている。
とはいえ、こんな異常事態に巻き込まれでもしない限り、お互いの家族構成を知ることはまず無かったはずだ。天才テラスの話題はパズルだの研究だの芸術だのスイーツだの学校行事だの、各々の興味のあることについて話すのが普通だったから。だから仕方ない…と俺は思っているがノノハはどうやら違うらしく、まだ晴れない表情のまま次の言葉を口にした。

「ねぇ、√幼稚園の子どもたちとパズルをしたこと、覚えてる?」
「あ?廃病院の賢者のパズルのことか?ナイチンゲールの…」

何問か出題されたが、パズルの目玉となる最後の問題はナイチンゲールの色塗りパズル。ノノハの記憶力と子どもたちへの優しさで解いたパズルだ。あれがどうかしたのだろうか。疑問を抱いたままノノハの横顔を見つめると、彼女は眉を下げて申し訳なさそうに告げる。

「あの時はカイトも私も財にはいまいち興味なくて、ギャモン君が財に執着する理由も分からなかったから、財は恵まれない子どもたちに寄付!って勝手に決めちゃって…。ごめんね、ギャモン君」
「…謝んなよ。そんな前のこと」

別に、それほどあの財に執着していたわけでもない。そりゃあ、あの時もったいないと思う気持ちがあったのは事実だが、当時カイトが宣言した通りあのパズルを解いたのはノノハで、財をどうするかも彼女の勝手。それで構わないとカイトも俺も納得して、あの場にいた。

「異論があったらその場で文句言って止めてんだろ。それに『恵まれない子どもたちに寄付』なら、昔の俺とミハルみたいな奴らに届くから問題ねぇよ」
「でも…」
「心配すんな。今は幸せだからよ」

それだけは迷わず断言できる。ミハルと何不自由なく暮らせていることはもちろん、パズルと称号とスイーツの出てくるこの学園生活だってなかなか悪くはない。
カイトを気に食わねぇと思ったり愚者のパズルを作ったりと色々あったが、あのパズルバカはそれすらも飛び越えて、俺やPOGが予想だにしなかった答えを示したから。ただ解くだけじゃない、楽しんで工夫を凝らして、これこそがパズルの醍醐味だと突きつけられたから。そんな挑戦状、受け取らないわけにはいかねぇだろ?
カイトにはできたことだ、俺様にもできるって証明してやんよ。

しかしノノハの表情は晴れないまま、どこか釈然としない様子だ。おいおい、まだ信用されてねぇのか?それか妙な罪悪感を持っちまっているとか。さてどうしたものか…と思考を巡らせて、ひらめいた。

「そうだ。どうしても納得いかないってんなら、ひとついいか」
「えっ…うん、私にできることなら」
「これからは、できる限りでいいから俺様のこともカイトと同じように扱ってくれよ」
「そんな…」

俺の申し出に目をそらして戸惑うノノハ。まぁそれも仕方ないか。むしろ以前はカイトの動向を無自覚のままで気にしていたのに、今はノノハにとってカイトが特別だとはっきり自覚できているだけ、彼女の成長を喜ぶべきだろう。ノノハと出会って間もない頃、それこそナイチンゲールのパズルに挑む直前のことが懐かしく思い出される。なぜそんなにカイトのことを気にするのかとこちらが尋ねたはずが、逆になぜなのかしらと至極真面目に問い直された、あの時に比べればノノハも前に進んでいる。
やっぱりさっきの申し出は冗談で済ませて撤回すべきか…と思った瞬間、ノノハが迷っている理由を告げた。

「だってカイトと同じ扱いなら、ギャモン君にも蹴ったり技かけたりして雑に扱っちゃうかもしれないじゃない…!」
「…はい?」

ノノハからの予想外の答えに、言おうとしていた言葉は俺の脳からすっかり抜け落ちてしまった。
だが彼女の真面目に悩む様子を見る限り、カイトを好意で特別扱いしている自覚は無かったらしい。「幼馴染みでお目付役だからカイトが何かしたら遠慮なく制止していい」という、俺の想定とは違う意味での特別扱いはノノハもさすがに自覚していたが。というか、蹴られたり鞄を投げられたりといった扱いは俺も既に何度か受けているがそこは意識の外か。
思わず苦笑しながら、だがそれならそれで好都合だと思いながら、俺はもう一押しの言葉を投げてやる。

「いいんだよ、それでも。つーか、遠慮されるほうが他人行儀だ」
「そ、そうかな?」
「あぁ。だからもし今度俺様が間違えそうになったら、その時はしっかり止めてくれよ」

片目を半分ほど閉じて、ノノハのほうを軽く指差す。そうやって決めたつもりだったのに、彼女は不意にいたずらっ子の笑みを見せた。

「ふふっ。でも、カイトと同じように応援もさせてね?」

ったく、どこまで自覚的でどこからが無自覚なんだか。俺の言葉に込められた意図を違わず理解したノノハに、心臓がどきりと高鳴る。頬に集まる熱を冷ますように、また秋風が吹いた。



fin.

(1期25話で再会してから、1期ラストで日常に戻ってきた場面があるとはいえ2期1話で特に後腐れもなく接しているのを見て、嬉しいけれど飛躍している感もあったので私なりに補完してみました。1期と2期の間というのを強調するためにノノハを長袖制服で書いたせいで、以前自分が書いた話(1期後設定で普通に仲良く会話してる作品)とは時系列が合わなくなりそうだけど…!あと、ミハルが登場して以降ずっと1期7話に絡めたギャノノを書きたいと思っていたのでそれも含めて。)

2017/08/24 公開
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