文豪ストレイドッグス×僕のヒーローアカデミア
なら、俺から話すよ。
俺は3歳のときに個性が出たんだ。
その日は大雨だった。
雷もひどくて怖がりだった俺は部屋に閉じこもっていた。
ふと、雷も聞こえなくなり、雨の様子を見ようと窓を開けた。
そのとき、俺に向かって雷が落ちたんだ。
両親は慌てて俺の部屋に来た。
けど、俺は何一つ怪我なんてしてなかった。
吸った電力が大きすぎてぶっ倒れたけど。
お母さんは、それに驚いて救急車まで呼んだみたい。
それからというものの、雨が降れば俺んちに雷が落ちる。
そんな生活が続いた。
俺の両親は父親家族から結婚を反対されて、駆け落ちしたらしい。
そんなお母さんの個性を継いだ俺。
お母さんは毎日のように父親家族から怒鳴られていた。
幼いながら聞いたけど今でも覚えているよ。
「なんであんな個性の子供を産んだんだ。」
「お前の責任だ。子供とともにどこかで死んでこい。」
俺がお父さんの個性継がなかったから、怒ってたんだ。
でも、小さいうちはかばってくれたんだ。
俺が幼稚園に入るくらいの歳になったとき、お母さんが突然倒れたんだ。
理由は自殺未遂だそう。
大量に薬を飲んでそのまま倒れたんだ。
お母さんがうつ病だったって知ったのはもう少し後だけど。
そのとき、おばあちゃんはお父さんに何度も離婚を勧めてたよ。
お母さんがいないのをいいことにね。
でも、お父さんはそんなことはしないって言ってくれたんだ。
どんなにおばあちゃんに言われても。
けど、その日から罵倒する対象がお母さんから俺に変わったんだ。
「貴方さえいなければ。」「可哀想な両親。」
そう言われた。
俺は本気にした。
俺がいなければお母さんは倒れずに、お父さんも罵倒されなかったと。
幼稚園には行かなかった。
そんな親不孝の俺は行ってはいけないと思ったから。
小学校に上がって、クラスではいじめられるようになった。
いじりに近いもので、俺も中学までいじめって気づかなかった。
クラスで発言するとバカにされた。
だから、アホを演じるようにした。
そうすればまじめくんなんかよりも親しみやすいだろ。
アホを演じてからは、いじられるのも当たり前になった。
先生にも何度も怒られた。
けど、そんなの怖くなかった。
俺は、嫌われて、一人になる方がよっぽど怖かった。
小学校3年生のとき、お父さんも自殺未遂をした。
遺書まで残して。
その遺書には当時の俺でもわかるようにこう書いてあった。
個性を継がせられなくてすみませんでした。こんな個性の子供を作ってしまいすみませんでした。こんな個性の子が生まれるような女と結婚してしまうすみません。個性を継がせられなくてすみませんでした。こんな個性の子供を作ってしまいすみませんでした。こんな個性の子が生まれるような女と結婚してしまうすみません。個性を継がせられなくてすみませんでした。こんな個性の子供を作ってしまいすみませんでした。こんな個性の子が生まれるような女と結婚してしまうすみません。個性を継がせられなくてすみませんでした。こんな個性の子供を作ってしまいすみませんでした。こんな個性の子が生まれるような女と結婚してしまうすみません。個性を継がせられなくてすみませんでした。こんな個性の子供を作ってしまいすみませんでした。こんな個性の子が生まれるような女と結婚してしまうすみません。個性を継がせられなくてすみませんでした。こんな個性の子供を作ってしまいすみませんでした。こんな個性の子が生まれるような女と結婚してしまうすみません。個性を継がせられなくてすみませんでした。こんな個性の子供を作ってしまいすみませんでした。こんな個性の子が生まれるような女と結婚してしまうすみません。
別に本当の馬鹿じゃないから、漢字くらい読めた。
そうでなくとも、同じことが書いてあることくらいわかった。
それからというものの、祖父母からの虐待は激しくなった。
「お前は我々の孫ではない」
と、食事を渡されなかった。
料理ができない俺は、缶詰とか野菜とかを隠れて食べた。
バレると、閉じ込められるから。
外には出させてもらえなくなった。
学校にも行けなくなった。
お母さんもお父さんも病院で帰ってこなかった。
おじいちゃんとおばあちゃんは働いていないので、夜だけが自由な時間だった。
ある日、おじいちゃんとおばあちゃんが、昼からいなかった。
夜になっても帰ってこなかったので、家から飛び出した。
行く宛なんてなかった。
とにかく明るい方に走っていった。そして気づいたよ。
そこは、子供が行く場所じゃないってことを。
夏にもかかわらず、暑そうなスーツを着た男性や
露出が多い服を着た女性がいっぱいいた。
すぐに引き返そうと思ったとき、誰かに捕まった。
おじいちゃんかおばあちゃんか。そう思ったけど違った。
もっと若い、おじさんが立っていた。
俺もそういう仕事系の人と思ったみたいだった。
それを助けてくれたのが、清嶋 亮仁さんだった。
彼は、子供を若いうちに失って、家から逃げ出した子を一時的に育てていると言っていた。
俺がいちばん最後に出会ったみたい。
哀採と啓人はもうこの人と生活してた。
始めはなれなかったよ。
急に普通の生活に戻って、学校に行けるようになって。
でも、俺は行かないことにした。
いじめられるのが怖いというよりは、もう、思い出したくなかったから。
中学校に入るとき、哀採と啓人を紹介された。
三人で顔を合わせるのはこれが初めてだったよ
哀採はずっとやばいものでも見るように睨んでた。
啓人は笑ってた。何ていうか、俺より年上だからずっと大人っぽくて俺からしたら怖かったけど。
中学に上がったとき、前まで通っていた小学校の地元中じゃないところに行った。
啓人と同じ中学だった。
そこでは始め、転校生みたいなノリでよく話しかけられた。
でも、もう友達グループはできていて、入れなかった。
そんな俺は無視されるようになった。
けど、そんな俺とも話してくれるやつがいた。
啓人じゃないよ。啓人は別のクラスで、あんまり関わらないように清嶋さんに言われたから。
モブ男☆だぜイェーイyheaだ。
ずっと昔から仲良くしてくれていたみたく、すぐに馴染んだ。
そして、こいつになら親のこと言えるんじゃないかって思った。
清嶋さんにはいうなって言われたけど、一人では抱えきれなかったんだ。
だから話した。
自殺未遂のこと、祖父母からの監禁のこと、逃げ出して知らない人に育てられていること
そして、祖父母への恨み、怒りも全部。
引かれると思った。
急に同級生から「祖父母を殺したい」なんて、怖いだけだ。
けど、あいつは違った。
「じゃあ、殺せばいいんじゃね?」
普通にそう言った。
あいつもあいつでなにか抱えてたんだろう。
今はもう、わからないけど。
でも、そう言ってもらえて嬉しかった。
あいつはヴィランになること。ヴィラン連合に入ることを勧めた。
あいつがどうしてそう言ったかわかんないけど、
殺すならそっちのほうがやりやすいし、いい気がした。
これは、俺が14歳になったとき。
ちょうど俺の誕生日だったよ。
そして、次の日清嶋さんはいなくなっていた。
啓人が稼いでくれたから、生活はできたし学校にも行けた。
でも、どうしていなくなったのか。
急な失踪で頭は混乱しっぱなしだった。
そこから、哀採と啓人は俺をヴィラン連合に誘った。
だから、俺はその誘いに乗った。
そして、入ったその日に祖父母を殺した。
それで、自由になったわけじゃない。
でも、心が楽になったんだ。
潜入捜査でお前らとも楽しかったし、一緒にいるの好きだった。
だからこそ、もっと早くそう思えたらって思う。
まあ、もう遅いけど。
俺は今でも祖父母に言われたことを思い出すよ。
そして、いつも思う。
「こんな個性なんて、欲しくなかった。」
俺は3歳のときに個性が出たんだ。
その日は大雨だった。
雷もひどくて怖がりだった俺は部屋に閉じこもっていた。
ふと、雷も聞こえなくなり、雨の様子を見ようと窓を開けた。
そのとき、俺に向かって雷が落ちたんだ。
両親は慌てて俺の部屋に来た。
けど、俺は何一つ怪我なんてしてなかった。
吸った電力が大きすぎてぶっ倒れたけど。
お母さんは、それに驚いて救急車まで呼んだみたい。
それからというものの、雨が降れば俺んちに雷が落ちる。
そんな生活が続いた。
俺の両親は父親家族から結婚を反対されて、駆け落ちしたらしい。
そんなお母さんの個性を継いだ俺。
お母さんは毎日のように父親家族から怒鳴られていた。
幼いながら聞いたけど今でも覚えているよ。
「なんであんな個性の子供を産んだんだ。」
「お前の責任だ。子供とともにどこかで死んでこい。」
俺がお父さんの個性継がなかったから、怒ってたんだ。
でも、小さいうちはかばってくれたんだ。
俺が幼稚園に入るくらいの歳になったとき、お母さんが突然倒れたんだ。
理由は自殺未遂だそう。
大量に薬を飲んでそのまま倒れたんだ。
お母さんがうつ病だったって知ったのはもう少し後だけど。
そのとき、おばあちゃんはお父さんに何度も離婚を勧めてたよ。
お母さんがいないのをいいことにね。
でも、お父さんはそんなことはしないって言ってくれたんだ。
どんなにおばあちゃんに言われても。
けど、その日から罵倒する対象がお母さんから俺に変わったんだ。
「貴方さえいなければ。」「可哀想な両親。」
そう言われた。
俺は本気にした。
俺がいなければお母さんは倒れずに、お父さんも罵倒されなかったと。
幼稚園には行かなかった。
そんな親不孝の俺は行ってはいけないと思ったから。
小学校に上がって、クラスではいじめられるようになった。
いじりに近いもので、俺も中学までいじめって気づかなかった。
クラスで発言するとバカにされた。
だから、アホを演じるようにした。
そうすればまじめくんなんかよりも親しみやすいだろ。
アホを演じてからは、いじられるのも当たり前になった。
先生にも何度も怒られた。
けど、そんなの怖くなかった。
俺は、嫌われて、一人になる方がよっぽど怖かった。
小学校3年生のとき、お父さんも自殺未遂をした。
遺書まで残して。
その遺書には当時の俺でもわかるようにこう書いてあった。
個性を継がせられなくてすみませんでした。こんな個性の子供を作ってしまいすみませんでした。こんな個性の子が生まれるような女と結婚してしまうすみません。個性を継がせられなくてすみませんでした。こんな個性の子供を作ってしまいすみませんでした。こんな個性の子が生まれるような女と結婚してしまうすみません。個性を継がせられなくてすみませんでした。こんな個性の子供を作ってしまいすみませんでした。こんな個性の子が生まれるような女と結婚してしまうすみません。個性を継がせられなくてすみませんでした。こんな個性の子供を作ってしまいすみませんでした。こんな個性の子が生まれるような女と結婚してしまうすみません。個性を継がせられなくてすみませんでした。こんな個性の子供を作ってしまいすみませんでした。こんな個性の子が生まれるような女と結婚してしまうすみません。個性を継がせられなくてすみませんでした。こんな個性の子供を作ってしまいすみませんでした。こんな個性の子が生まれるような女と結婚してしまうすみません。個性を継がせられなくてすみませんでした。こんな個性の子供を作ってしまいすみませんでした。こんな個性の子が生まれるような女と結婚してしまうすみません。
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外には出させてもらえなくなった。
学校にも行けなくなった。
お母さんもお父さんも病院で帰ってこなかった。
おじいちゃんとおばあちゃんは働いていないので、夜だけが自由な時間だった。
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夏にもかかわらず、暑そうなスーツを着た男性や
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すぐに引き返そうと思ったとき、誰かに捕まった。
おじいちゃんかおばあちゃんか。そう思ったけど違った。
もっと若い、おじさんが立っていた。
俺もそういう仕事系の人と思ったみたいだった。
それを助けてくれたのが、清嶋 亮仁さんだった。
彼は、子供を若いうちに失って、家から逃げ出した子を一時的に育てていると言っていた。
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哀採と啓人はもうこの人と生活してた。
始めはなれなかったよ。
急に普通の生活に戻って、学校に行けるようになって。
でも、俺は行かないことにした。
いじめられるのが怖いというよりは、もう、思い出したくなかったから。
中学校に入るとき、哀採と啓人を紹介された。
三人で顔を合わせるのはこれが初めてだったよ
哀採はずっとやばいものでも見るように睨んでた。
啓人は笑ってた。何ていうか、俺より年上だからずっと大人っぽくて俺からしたら怖かったけど。
中学に上がったとき、前まで通っていた小学校の地元中じゃないところに行った。
啓人と同じ中学だった。
そこでは始め、転校生みたいなノリでよく話しかけられた。
でも、もう友達グループはできていて、入れなかった。
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ずっと昔から仲良くしてくれていたみたく、すぐに馴染んだ。
そして、こいつになら親のこと言えるんじゃないかって思った。
清嶋さんにはいうなって言われたけど、一人では抱えきれなかったんだ。
だから話した。
自殺未遂のこと、祖父母からの監禁のこと、逃げ出して知らない人に育てられていること
そして、祖父母への恨み、怒りも全部。
引かれると思った。
急に同級生から「祖父母を殺したい」なんて、怖いだけだ。
けど、あいつは違った。
「じゃあ、殺せばいいんじゃね?」
普通にそう言った。
あいつもあいつでなにか抱えてたんだろう。
今はもう、わからないけど。
でも、そう言ってもらえて嬉しかった。
あいつはヴィランになること。ヴィラン連合に入ることを勧めた。
あいつがどうしてそう言ったかわかんないけど、
殺すならそっちのほうがやりやすいし、いい気がした。
これは、俺が14歳になったとき。
ちょうど俺の誕生日だったよ。
そして、次の日清嶋さんはいなくなっていた。
啓人が稼いでくれたから、生活はできたし学校にも行けた。
でも、どうしていなくなったのか。
急な失踪で頭は混乱しっぱなしだった。
そこから、哀採と啓人は俺をヴィラン連合に誘った。
だから、俺はその誘いに乗った。
そして、入ったその日に祖父母を殺した。
それで、自由になったわけじゃない。
でも、心が楽になったんだ。
潜入捜査でお前らとも楽しかったし、一緒にいるの好きだった。
だからこそ、もっと早くそう思えたらって思う。
まあ、もう遅いけど。
俺は今でも祖父母に言われたことを思い出すよ。
そして、いつも思う。
「こんな個性なんて、欲しくなかった。」