推敲前(イリコとガチマッチ④)
バトル終了の合図が、軽やかに鳴り響く。
ガチマッチはナワバリバトルと違い、バトルの制限時間は5分……いや、場合によっては延長戦にもなる。
たった2分ちょっと違うだけなのに、5分間走りきった後の疲労は、ナワバリバトルの比ではない。
特に、ガチエリアのルールでは、一瞬も気が抜けなかった。
ロビーから出たイリコは、大きく息を吐く。
(……楽しかったぁ……)
楽しかった。楽しかったけど、ミスも多かった。
特にエリアの上でデスするのが、一番まずかった。ボムもかなり踏んでしまったし。
なんとかBまで上がれたとはいえ、やはり悪いところはしっかり見直して、次に繋げないと。
「…………」
思い返せば思い返すほど、自分の良くなかったところばかりが頭に浮かぶ。
強くなりたい、という思いとは裏腹に、自分の実力不足が身に染みて、何だかとても気分が落ち込んでしまった。
(……こんなんで、アオさんたちに追いつけるのかな……)
「イリコサン」
「わひゃあ!?」
突然声をかけられて、イリコは思わず飛び上がる。
慌てて後ろを振り返ると、そこには―――
「は、……ハチくん!」
「ス、スミマセン……」
申し訳なさそうな顔をしたハチが、おずおずとイリコに会釈した。
「わーびっくりした……ハチくんもバトルに来たの?」
「あ、イエ、エエト……」
ハチはちょっと視線を泳がせてから、
「チョーシはイカガカナと思いマシテ……」
「あ……もしかして、心配して様子見に来てくれたの?」
イリコはぱっと顔を輝かせた。
「ありがと!さっきエリアでBに上がってきたとこだよ!」
「そうデシタカ!お疲れサマデス」
良かったデスネ、と、ハチは安心したように笑う。
相変わらず笑顔が可愛いなぁと、イリコはなんとなく感心した。
「アノ、少し休憩挟みマセンカ?飲み物、奢りマス」
「えっ!そんな、悪いよ……」
「Bへのランクアップお祝い、デス」
そう言ってくれたハチの厚意に、イリコは甘えることにした。
ハチの買ってくれた缶ジュースを片手に、二人はロビー前のベンチに腰掛ける。
「エリアはドウデシタ?」
「すっごい楽しかった!」
訊いてくれたハチに対して、イリコははしゃぎながら興奮ぎみに話し始める。
「塗りを意識するってナワバリでも同じことだけど、エリアってナワバリとは全然違う立ち回りが要求されるんだね!塗ってる間でも油断しちゃいけないし、ステージごとに塗る場所が違うし、ちゃんとさんぽで確認しておかないとなーって思った!」
「イリコサンには合っているルールかもしれマセンね」
「でも、やっぱりキルも取れなきゃだめだなって思って……」
イリコは眉をしかめて、手元のブキケースを見下ろす。
「もみじは塗りブキだっては言われてるけど、ちゃんとエイムを合わせればキル取れないわけじゃないんだよね……取れればだけど……」
「フム……」
ハチは考えこむように、少しうつむいてみせる。
「……イリコサン、これからずっともみじを使うンデスカ?」
「えっ?」
イリコはぱちぱちとまばたきしてから、悩むように首を傾げた。
「……うーん……アオさんには、ランクが低いうちに色んなブキを使った方がいいって言われてて、ちょこちょこ色んなブキを使ってはいたんだけど……」
「しっくり来ナイ、デス?」
「うん……」
イリコはこっくりとうなずいた。
「やっぱり塗れないブキはしっくりこなくて……チャージャーとブラスターは物足りなくなっちゃうんだよね。パブロは振りの速さが課題だし、ローラーは先にやられちゃうことが多くて……ただホクサイはちょっと楽しかったかな。難しいけど……」
「スロッシャーや、スピナーは?」
「スロッシャーはね!楽しかった。インク消費量がネックだけど、エイムが合わなくても何とかなるの有り難いなって……あ、ちなみにスピナーは私、多分向いてないなって……前に出てガンガン塗りたいから……」
「なるほど……もみじ以外のシューターブキは、イカガデス?」
「えっと」
相談に乗ってくれるハチを有り難く思いながら、イリコは話を続けた。
「私もまだ、全部のブキを試したわけじゃないんだけど……黒ザップはやっぱりいいよね。あと気になってるのはおちばシューターかな、サブスペがいまいちよくわかんないんだけど……もみじのインクタンクに慣れちゃうと、他のブキのインク消費量が多く感じちゃって……」
「ふむ……」
ハチは真剣な表情で自分の顎をつまみながら、ぽつりと言う。
「銀モデ、は……ヤグラには向かナイカ……」
「あ、エリアになら銀モデいいかもね!」
イリコは感心して言った。
「カーリングボムラッシュでびゅーってエリア塗れるし!今度持って行こうかな?」
「はい、良いと思いマスヨ」
ハチはちょっと微笑んで、うなずいた。
「金モデもいいデスネ。銀モデとは違う立ち回りにナリマスが、スプリンクラーは慣れておくと良いデス」
「金モデって、えーと……」
「スペシャルはイカスフィア、デスネ。コロコロ楽しいデスヨ」
ハチの表現に、イリコは思わずふふっと笑ってしまう。
「ハチくん、もしかしてイカスフィア好きなの?」
「好きというか……」
ハチは何故か、一瞬だけ遠い目をした。
「……マア、楽な方ダッタノデ……」
「楽?」
「ア、イエ……スミマセン、何でもナイデス」
話が逸れマシタネ、と、ハチは話題を元に戻す。
「ヤグラの時にもお伝えシマシタが、ルールやステージごとにブキを変えるのは、戦法の一つだと、ボクは思いマス」
「ルールやステージによっては、ブキにも向き不向きがあるもんね」
メインだけではなく、サブやスペシャルも、ルールやステージによってはイカし切れない。
ならば、それらに合わせてブキを変えた方が、イカした戦いができるというものだ。
「デスガ」
と、ハチは真剣な表情で言った。
「好きなブキがあるのなら、それを極めるのも、悪くナイと思イマス」
「でも、ヤグラにもみじは向いてないって話したじゃない?」
「ロボットボムやアメフラシは、ヤグラに乗った相手の牽制に使えマスヨ」
眉尻を下げるイリコに、ハチは穏やかに微笑んでみせた。
「もちろん、投げ方は考えないとデスガ……メインも、イリコサンが言ってイタヨウニ、しっかりと対面を考えレバ、十分にキルが狙えマス。デスガ、『わざわざもみじを使うクライナラ、他のブキを使う』……と言った方が、多いヨウニ感じマスネ」
「ブキも考えようってことだね……」
自分のほっぺたを両手で揉み込みながら、イリコはうーんと唸ってしまった。
やっぱり自分には、根本的にスキルが足りない。経験が足りない。
もっと早くバトルに参加できていたら、今頃みんなともっと対等に戦えていたのだろうか。
とっても歯がゆい。歯がゆく思っても、仕方ないのだが。
「……そういえば」
ふと、イリコはアオのことを思い出して、ハチに訊ねてみる。
「アオさんって、シャプマネオで全ルールXになったんだよね?」
「そう聞いてマス」
「……すごいなぁ……」
イリコの口から、思わず小さな溜め息が漏れた。
「アオさんのバトルスキルが、才能だけだとは思わないけど……やっぱり、凄いよね……」
颯爽と敵陣に切り込み、どんな対面でも相手より先にキルを取り、決してデスをせず、インクを塗り広げながら、味方のフォローもこなす。
彼女に嫉妬したイカたちが、『青い悪魔』と呼ぶのも、不本意ながら納得してしまう。
一度バトルステージに立ったアオは、バトルにおいてはまさしく、恐るべき強さを誇る存在だった。
「……アノ」
―――と。
ハチが恐る恐ると言った様子で、イリコの顔を覗き込んでくる。
「ん?なぁにハチくん」
「イリコサンは……」
ハチは一瞬、言葉に迷ってから、言った。
「……アオサンみたいに、ナリタインデスカ?」
「……え?」
唐突な問いかけに、イリコは思わずびっくりしてしまう。
「私が、アオさんみたいに……?」
そんなこと、思ったことない―――とは、正直、言い切れない。
アオのウデマエとバトルスタイルは、イリコにとって、憧れだった。
あんな風に戦えたら、どんなに良いだろう。
イカしたバトルスタイルに、イカしたウデマエ。
強いだけでなく、かっこいいアオの姿を、イリコは何度も何度も見ている。
……でも。
「私は……アオさんみたいには、なれないよ」
つい、弱音が溢れてしまう。
ハチはちょっと目を丸くしながらも、イリコの本音を、黙って聞いてくれた。
「エイムなんか全然ダメだし、立ち回りもほんとまだまだだし……こないだアオさんからキル取れたのだって、作戦勝ちっていうかなんていうか……」
「……」
「私……バトルが好きだけど、」
ブキケースの持ち手をいじりながら、イリコはぽつりと言った。
「好きなだけじゃ、ダメなんだよね……もっと上手く、強くなりたいのに……」
「…………」
「あ!ご、ごめんね、弱音吐いちゃって……」
「……イエ」
ハチはゆるりと首を振ってから、ふと微笑んだ。
「……アオサンは、太陽ミタイナひとデス」
「え?」
唐突なハチの言葉に、イリコは思わずきょとんとしてしまう。
ハチは微笑んだまま、静かな声で続けた。
「強い光と、温度を放つひとダカラ……みんな目が眩んでシマウ。眩しクテ、熱クテ、近づケナイ」
あのひとは強いひとだから。
誰もがみんな、真っ直ぐには見られない。
―――でも。と、ハチは言う。
「アオサンだって、インクリングデス。インクを当てレバ倒セマス」
ハチはそう言って、にっこり笑った。
「ボクらとオンナジ、デス」
「……そ、そうだけど……」
そうかもしれない。
でも、イリコには―――他のイカには、そのインクが当てられないのだ。
戸惑った様子のイリコに、ハチは微笑んだまま続けた。
「イリコサンは、どんなバトルがシタイデスカ?」
ハチの問いかけに、イリコはまたもやきょとんとしてしまう。
「どんなバトルが……したイカ?」
「アオサンは、眩しくて、強くて……だから憧れチャウの、とっても分かリマス」
ボクもそうだったから、と、ハチはそう言った。
「デモ……ボクは、イリコサンがイリコサンらしいバトルをスルところ、とても見てミタイデス」
「……私らしい、バトル……?」
ハチの言葉に、イリコは思わず考えこんでしまう。
私らしいバトルって、なんだろう。
いつもがむしゃらで、必死で、塗ることだけを考えて、インクだらけで走り回っている。
そんな自分はmかっこ悪くて、イカしてない―――と、イリコは思っていた。
アオみたいに、かっこよく、イカした立ち回りができたら……どんなにいいだろう。
でも―――でも、だ。
イリコがしたいのは、『かっこよくてイカしたバトル』―――じゃ、ない。
強い相手と戦いたい。
びりびりするような刺激のなかで、ひりつくように真剣なバトルがしたい。
そんなバトルをするために、自分は―――。
どんなバトルをしたら、いいんだろう。
「……ありがと、ハチくん!」
イリコはとっさに、勢い良く立ち上がった。
それから持っていた缶ジュースをぐっとあおり、一気に飲み干す。
「……っぷはぁ!!ごちそうさま!」
驚くハチに向かって、イリコはにぱっと笑った。
「バトル、行ってくる!」
「バトルに?」
「うん!」
空き缶をゴミ箱に放り込んでから、イリコはハチに向かって、元気良くうなずいた。
「私らしいバトルってなんなのか、まだよくわかんないけど……それを探すために、ガチマッチに行ってみようかなって!」
ブキケースを抱えて、イリコは言った。
「私、強いひとと戦いたい。アオさんやクロトガくん、それからハチくんみたいに強いひとと、もっともっと、たくさん……」
名前を出されて、ハチはちょっと驚いたようだった。
イリコはそれに気付かないまま、ブキケースを見下ろす。
「でも、そのためには、アオさんみたいに強くならなきゃなあって、思ってたのかも」
「……ガチマッチは同じウデマエ同士が戦いマスカラ、間違いではナイデス」
「うん!でも、『アオさんみたいに』って思ってばっかりでもダメってことだよね!」
そう言って、イリコはまたぱあっと笑う。
「いいアドバイスありがとね、ハチくん!私らしいバトル、見せられるように頑張るね!」
「……はい。応援してマス」
イリコの笑顔に釣られて、ハチも笑った。
「うん!それじゃあ、行ってきます!」
イリコはうなずいてから、勢い良くロビーに駆け出す。
今度のルールは、ガチアサリ。
どんなバトルができるのか、今から楽しみで仕方なかった。
***
「行ってラッシャイ」
ロビーに駆け出していくイリコの背中に、ハチは呟くように声援を送る。
「……頑張ってクダサイネ、イリコサン」
彼女にはきっと、この声は届かなかっただろう。
それでも、少なくともハチの想いは、届けばいいと思った。
(……結局、謝れなかったな……)
……以前、まるでイリコがアオのおまけかのような扱いをしてしまったことを、ハチはずっと後悔していた。
そんなつもりはなかったし、ハチがイリコに興味があったのは本当だったのだ。
あのクールなアオと親しくなり、フレンドにまでなったイカガール……実際の順番は逆だったらしいけれど、それはともかく。
イリコの魅力には、ハチもすぐ気がついたし、もっと仲良くなれたらいいとも思った。
だからこそ、最初の交流の失敗を、ハチはずっと引きずっていたのだが。
(……でも、イリコさんにとって良いアドバイスができたなら、良かったかな……)
心の中の幻影と戦うのは、辛くて苦しくて、先が見えない。
なかなか結果が見えない戦いなら……尚更だ。
ハチの戦った幻影と、イリコがこれから戦う幻影は、似て非なるものだけれど……だからこそ、ハチはイリコに、自分を見失っては欲しくなかった。
ハチにとっての『3号』に憧れる、多くのイカや、タコのように。
……ふと、目の端を青いものがよぎったような気がして、ハチはとっさに振り返る。
そこにいたのは……。
(……3号と、クロトガ……くん?)
間違いない。
ストレートのゲソをなびかせ、アオがクロトガを伴うようにして歩いている。
二人は何かを話しながら、ハチには気付かないまま、どこかへと行ってしまった。
……あの方向なら、恐らく試し撃ち場に向かったのだろうが、それにしても。
(なんで、あの二人が一緒に……?)
気になりはしたが、追いかけていくわけにもいかない。
それに、クロトガならアオに害を成したりはしないだろう……多分。
「…………」
―――少なくとも、4号には言わないでおいた方がいいな。
何とも言えない気持ちになりながら、ハチはそう思った。