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イリコとガチマッチ


イリコが家に帰ってまずしたことは、使い慣れないパソコンを立ち上げることだった。
イリコの家にテレビはない。だがパソコンはある。
「せめてパソコンはあった方がいい」からと、姉が買ってくれたのだ。
イリコが憧れていた選手の動画がいつでも見られるようにと、ブックマークまでしてくれた。
(―――そういえば、最近見てないな)
あとでまた見返そうかなと思いつつ、ブラウザから検索サイトを開き、セイゴに教わった単語を打ち込む。
調べるだけなら、イカフォンでも良かったのだが……なんとなく、姉が買ってくれたパソコンで調べたかった。
ウルトラハンコ。ウルコ。
(……そういえば、ウルトラハンコって……)
確かブキのスペシャルで、そういう名前のものがあったはずだ。
イリコはまだ使ったことがないが、何度かバトルで見たことがある。
巨大なハンコをばんばんと振り下ろしながら塗り進む、豪快なスペシャルウェポン。
塗り効率良さそうだな、と思ったことだけは覚えている。
そんなことを考えているうちに、検索結果はとっくに表示されていた。
画像欄に現れたのは―――ひとりのイカガールだった。
「あ……」
ウルメ=イワシ。
そのまたの名を、『ウルコ』。
ホクサイベッチューをこよなく愛し、ウルトラハンコで縦横無尽に駆け抜けた、『伝説のナワバリプレイヤー』。
(……お姉ちゃんが?)
イリコはどきどきしながら、検索結果に表示された動画を一つ、開いてみることにした。



***



巨大なハンコが、地面に叩きつけられる音がする。
『で、でたーッ!!!ウルコのウルトラハンコ!!!発動したが最後、もう誰にも止められなーい!!!』
実況の興奮した声が、歓声の中に割って入るように響く。
けれど、ウルメは知っている。
動画の中では聞くことができない、仲間たちの声が、この時、自分の耳に届いていたことを。

―――後は任せろウルメ、背中は俺が守るよ。

サジータ。

―――やっちゃえウルメちゃん!!!ぶちかませー!!!

ラキア。

―――塗りは僕に任せて。君は好きに暴れてきて、ウルメ。

ミカド。

「…………」
この後どうなるか、ウルメはよく覚えている。
かつてない振りを見せたウベンのパブロをミカドが止め、カバーしようとしたライコをサジータが的確に撃ち抜き、ラキアはアイナを牽制し続け、ウルメのハンコは―――

ジンベイの特攻で、あの時、初めて止められた。

「…………」
一瞬の静寂。歓声。実況者の興奮した声。
『とっ……とっ、とっ、とっ、止まったぁー!!??!ウルトラハンコの女王!!!!!ウルコのハンコが!!!!!ジンベイ選手によって!!!!!!止められましたーーーーーーっ!!!!!』
「……ふふ」
楽しかったなあ。
この動画を開くたびに、そう思う。
ウルメが落ちた瞬間、味方も敵も、みんな呆然としていた。
底知れぬ実力はあれど、観客には人数合わせとしか思われていなかった無名のボーイが、ウルメを止めるなんて……きっと、誰も想像していなかっただろう。
(……今頃、みんなどうしているのかしら)
彼は、ミカドの話はしていなかった。
思うところはあるものの……今のウルメでは、どうしようもできない。
「…………」
ウルメはもう、ハイカラスクエアにはいない。
病気になって、バトルが出来なくなり、引退した。
そのせいで、大事な妹は自分の助けになろうとアルバイトを始め、楽しみにしていたバトルデビューも、あんなに遅らせてしまった。
(……イリコも、いつかこの動画を見るのかしら)
『優勝!!!!!優勝です!!!!!』
動画内の実況者が、興奮のままに叫ぶ。
『優勝は、ウルトラマリネ!!!!!ハンコの女王率いる、伝説のチームが!!!!!今!!!!!ライバルを打ち倒し、優勝を飾りましたー!!!!!』
……このバトルは、伝説のチームと謳われた『ウルトラマリネ』が、最初で最後の大会優勝を飾った、伝説のバトルとして知られている。
でも、そんなことはもう、昔の話でしかない。
失われた青春。
失われた輝き。
本当なら、今頃自分はまだ、戦えていたはずだ。
この目さえ―――光を、失わなければ。
「…………」
動画から溢れる歓声に向かって、ウルメは見えない画面を、そっと指でなぞった。



***



「よっ」
「……うわ、男装しとる……」
待ち合わせ場所にやってきたマサバの第一声に、セイゴはけらけらと声を上げて笑った。
「男装って何~?言い方は合ってるけどさあ」
「いやだって、最近ずっと女装しとったやん……」
「昔はずっとこのギアだったろ?」
セイゴの一言に、マサバは口をつぐんだ。
親友からの眼鏡越しの視線に、セイゴは意味ありげな笑みを返すだけだ。
「……なんかあったんか?」
「うん、ちょっとねー」
なんか飲み物買おう、と、セイゴは近くの自販機を指さす。
セイゴはカフェオレを選び、マサバがホットコーヒーを選ぶ。
近くにあったベンチに二人並んで腰掛けて、飲み物のプルタブを開けながら、セイゴが言った。
「ピーニアに会ってきた」
「……!」
マサバは信じられないと言いたげにセイゴを見る。
「なんでだよ……」
「ちょっと気になることがあってな」
飲み物を一口飲んでから、セイゴは真面目な顔をしてみせる。
「なあ、マサバ」
「……なんだよ」
「イリコちゃんに肩入れしてんのって、アオのフレンドだから?」
急な話題に、マサバは眉をしかめた。
「なんだそれ……ピーニアの話するんじゃないのか?」
「これからするから、その前の確認だよ」
「…………」
マサバは軽く唇を尖らせてから、少し俯く。
セイゴが黙って待っていると、マサバはやがて、もごもごと言った。
「……クロくんに、イリコちゃんが拒絶されたの見たとき」
マサバは、軽く眼鏡を押し上げる。
「昔の俺を思い出した。俺は……あんなに、真剣じゃなかったけど」
「…………」
「それで、なんていうか、あれ……あれやねん……」
マサバはわなわなと手を震わせてから、ぎゅっと缶コーヒーを握り叫んだ。
「ほっとけないやろあんなん!!なんっっっっっっっであんなド地雷男に突っ込んでくねん!!!!!ドMか?!!!?!」
「あはは……まあわかるよ」
セイゴはあくまで冷静にうなずいてから、にっと笑ってみせる。
「でもあの子、多分お前よりはメンタル強いぜ」
「……そんなんわかってるよ……」
「この街出てけっつっても、揺れ動きもしなかったし」
「……はぁあ!?」
セイゴの何気ない一言に、マサバは危うく缶の飲み物をこぼしそうになった。
「お前何やってんだよ!?いや、ピーニアに会いにいったんじゃないのか?!」
「今日口調ブレブレじゃねえか、大丈夫か?」
セイゴはからかうようにそう言ってから、「心配すんなって」と、また飲み物を一口飲んだ。
「ちゃんと和解したからさ。俺ももう、あの子に意地悪すんのはやめるよ」
「意地悪してたんかーい……ほんまに何してんねんもう……」
「でもさ、だからこそ心配っつーか……」
セイゴはちょっと眉をしかめた。
「こう……強いものって、受け流すのが上手かったらいいけど……折れたら戻れないだろ。俺は正直、あの子のそういうとこが心配」
「イリコちゃんの?」
「そそ」
セイゴは軽く缶を振ってみせる。
「今はアオやお前がいるからいーけどな。あと、クロトガくんだっけ?あいつももう危害加えたりはしないだろ。あとはハチだな」
「ハチコーなぁ……」
マサバは缶コーヒーを一口あおってから、うーんと唸った。
「イリコちゃんのこと、気になってはいるみたいやけどな」
「お前と違ってハチは誠実だからな~」
そう言ってセイゴはにやにやと笑う。
「ま、そこら辺はとやかく言わないぜ俺は。他人の色恋沙汰に首突っ込んで大けがすんのは、もうごめんだね」
「…………」
セイゴの言葉に、マサバは黙り込んでしまう。
セイゴも、しばらく黙って缶を揺らしていた。
「……なあ」
マサバの持っていた缶コーヒーが冷める頃、彼はようやく口を開いた。
「なんでピーニアに会いに行ったんだよ」
セイゴはちょっとマサバの横顔を見やってから、おもむろに言った。
「あいつ、最近若いの集めてなんかしてるって」
「なんかって……?」
セイゴは軽く肩をすくめる。
「さあね。親父さんもそこまで把握してないらしい……あのひともなんだかんだピーニアに甘いからなぁ。強く言えないんだろ……」
「親父さんにも会ってきたんか?」
マサバが驚いたように聞き返すと、セイゴは軽く片眉をあげてみせた。
「ていうか、親父さんに呼ばれてったんだけどな。めちゃくちゃ緊張したわ……」
「ああ……ていうか、それでそのギアやったんか……」
納得したように言うマサバに、そうそう、とセイゴはうなずいた。
「お元気そうやった?タイヤキの親父さん」
「相変わらずだよ。お前のことも心配してたぜ」
そう言って、セイゴは小さく溜め息を吐いた。
「あいつとチーム組んでたのなんて、もう何年も前の話なのにな」
「…………」
またマサバは黙り込んでしまった。
セイゴも、あえて何も言わない。
彼女の―――ピーニアの話になると、いつもこんな空気になる。
楽しかったあの頃が、二人の間を通り抜けていって、いつも無言になる。
「……セイゴはさ」
マサバは、ぽつりと素の口調で言った。
「また、誰かとチーム組んで戦いたいって思う?」
「ぜんぜん」
セイゴの返事は即答だった。迷うことのない、即答だった。
「俺のバトルは、あの大会が最後だよ」
「…………」
マサバには、何も言えなかった。



***



なんて―――なんてものを、セイゴは教えてくれたんだろう。
「凄い……」
気が付けば、そんな感想が口から漏れていた。
イリコが開いた動画は、ウルメがリーダーをしていたチーム『ウルトラマリネ』が、初の優勝を飾った動画だった。
イリコは、この大会を知っている。よく覚えている。
ウルメが大会に出るというので、どうしても見に行きたいと頑張ったのだが、どの試合もチケットが取れず、泣く泣く諦めたのだ。
あの時ほど泣いたことはなかった……多分、伯父も伯母も覚えているに違いない。今更ながら申し訳なくなってきた。
けれど、あの時どうしてチケットが取れなかったのか、ようやくイリコは理由を知った。
こんなバトル、誰だって見たいに決まってる。
今や伝説と謳われるチーム、『ウルトラマリネ』。
そしてそのライバルとして知られてきた強豪チーム、『バーミリオン・レッド』。
この2チームが本気でぶつかり合う、優勝決定戦。
こんなの―――誰だって、見たいに決まってる。
「すごい……すごい……!!」
画面の前で、イリコはわくわくしっぱなしだった。
止まないアメフラシのなか、インクを浴びることも気にせずにぶつかり合うインクリングたち。
けれども決してデスをしないよう、状況判断は的確に、正確に。
どの選手も、とにかく強くて凄い。
いったいどうしたらそんなに強くなれるのか、イリコは感嘆するばかりだった。
でも、何よりも凄かったのは―――ウルメだ。
あの重いホクサイを軽やかに振り回しながら、的確な位置にキューバンボムを投げ、そして―――ウルトラハンコで、敵を薙ぎ倒していく。
「わああ……!!!」
『で、でたーッ!!!ウルコのウルトラハンコ!!!発動したが最後、もう誰にも止められなーい!!!』
実況の歓声がイリコの興奮を煽っていく。
このバトルでウルメによるウルトラハンコが止められたのは、たった一度だけ―――クロトガと同じ髪型をしたボーイによる、決死の特攻によるものだった。
「かっ、かっこいい~……」
ひたすらに感想が止まらない。
3分間のバトルは、長いようで短くて、あっという間だった。
『優勝!!!!!優勝です!!!!!』
動画内の実況者が、興奮のままに叫ぶ。
『優勝は、ウルトラマリネ!!!!!ハンコの女王率いる、伝説のチームが!!!!!今!!!!!ライバルを打ち倒し、優勝を飾りましたー!!!!!』
「………………」
凄い。
こんなバトルがあったなんて、ずっとずっと知らなかった。
ウルメが病気で引退して以来、イリコとウルメは、バトルの話をできるだけしないようにしていた―――いや。イリコがウルメにバトルの話をすることを、ずっと避け続けていたのだ。
大好きなお姉ちゃんが大好きだったバトルを止めざるを得なくなってしまったことを、気に病ませたくなかった……だけではない。
イリコのバトルデビューが遅くなったことを、イリコは姉に気にさせたくなかった。
でも―――でも。
「お姉ちゃん……」
もっと、もっといっぱい、姉とバトルの話をしておけば良かった。
こんなバトルを経験してきたのなら―――きっと、きっともっと、色んな話が、沢山聞けたはずだ。
「…………」
イリコはイカフォンを見た。
もうすっかり夜は更けている。今電話をかけるのは、さすがに躊躇われた。
(……お姉ちゃん……)
ウルメのバトルは凄かった。
強くて、凄くて、何より―――戦っている時の彼女は、楽しそうだった。
ホクサイを振っているのが、ボムを投げるのが、ウルトラハンコで暴れ回るのが、楽しくて楽しくて仕方ないと、全身がそう言っていた。
「…………」
自分も―――あんな風に、強くなりたい。
ウルメのような戦い方をしたいわけでも、アオのようになりたいわけでもない。
あんな風に自分らしく戦えて、あんな風にバトルを心から楽しめる、そんな強さが欲しい。
「……よしっ」
イリコは一人でうなずく。
自分にとっての憧れの選手に、もうひとり、大切なひとが追加された。
そのことをウルメに伝えるのは、次の電話の機会にしよう。
……どんな風に戦えばいいのかは、まだわからない。
けれど、少なくともイリコの心には、大事な目標がまた一つできた。
あとは、それに向かって進むだけだ―――。
(……明日も頑張ろう)
でも。
興奮して、眠れないかもしれないなと、イリコはちょっとだけ思った。
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