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イリコとガチマッチ

今から遡って、数時間前のこと。
「イリコと仲良くしてあげて」
「……は?」
アオの一言に、クロトガは眉をしかめてみせた。
「テメェ……まさか、オレに頼みたいことってそれか?」
「それだけじゃないけれど」
アオは紅茶に砂糖を溶かしながら、淡々と言った。
「強いて言うなら、これはお願いと言ったところね……。あの子は、あなたと仲良くなりたがっているようだったから」
そう言ってから、アオは軽く目を伏せる。
「……そうね、余計なお世話だとでも思ってちょうだい」
「チッ……検討しといてやるよ」
ふと、二人がいるテーブル席に、エプロン姿のタコガールがやってくる。
二人は会話をいったん切り上げた。
「……お待たせしました」
タコガールがコーラの入ったグラスをテーブルへと置き、クロトガはそれを自分の方へと引き寄せた。
「……ごゆっくりどうぞ」
店員はそう言って頭を下げると、伝票を置いて立ち去っていく。
彼女の背中が店の奥に消えるのを確かめてから、アオはクロトガに向き直った。
「……ここは他人に聞かれたくない話をするには、ちょうどいい店なの」
裏通りの奥まった場所にある、小さな喫茶店。
無口なカニのマスターと、無口なタコガールの店員がひっそりと営んでいる、隠れた名店だ。
……隠れ過ぎて、ほとんど客がいないのだが。
「店員が聞いてんじゃねえのか?」
「問題ないわ」
アオはそう言い切った。
「ここの店主も店員も、信用できるひとだから……そこは、保証するわ」
「……ふん」
「そろそろ、本題に入りましょうか」
アオは紅茶を一口飲んでから、クロトガを真っ直ぐに見据えた。
「あなた―――タコゾネスと同等の訓練を受けているわね?」
「!」
クロトガは驚き、とっさにアオの顔を見る。
彼女の表情はどこまでも冷静で、何を考えているのかは読めない。
「……テメェ、」
眉根を寄せ、クロトガはアオを睨みつける。
「オクタリアンを知っていやがるのか?」
「諸事情でね」
アオは小さくうなずいた。
「あと知っているのは、マサバと……言うまでもなく、ハチもよ」
「……もみじと、あのセイゴってやつは」
「セイゴはわからないわね……元々、何を考えているかわからないひとだから。イリコは……変わった髪型ですねって言ってたわ」
「…………」
更に眉をしかめるクロトガを見て、アオは軽く肩をすくめる。
「……あなた、本当にイカが嫌いなのね」
クロトガは何も言わない。
アオはまた、紅茶で唇を湿らせる。
「……地上に出てくるタコは、みんなシオカラ節を聞いてやって来ているのだと思ってたわ」
「あんなもの……」
クロトガは忌々しげに何か言おうとしてから、溜め息を吐いた。
「……そんなこと、どうだっていいだろ。何が聞きてえんだよ、お前は」
「あなたの目的」
アオは静かに、だがはっきりとそう言った。
「シオカラ節を聞いて来たわけじゃないのなら、あなたは一体、何が目的でこの地上にやって来たの?ここまで来るのは―――大変な、道のりだったでしょう」
オクタリアンが地上に出てくることは許されない。いや―――地上に逃げ出してくることは、許されていない。
地上はイカのもの。タコは、地下に住む者。
だから……今地上にいるタコたちは、みんな地下から『逃げてきた』存在だ。
例外は、あるとしても。
「何でお前がそんなことを……いや、」
クロトガは舌打ちをひとつする。
「……オレに聞く権利はなかったな」
アオは黙って顎を引いた。
クロトガは何かを悩むように、しばらく黙っていたが、やがて真剣な表情で話し始める。
「オレの目的は……『3号』と呼ばれるイカを、倒すことだ」
「!」
「今は、まだそいつを探してる最中だがな……」
クロトガは、驚いた様子のアオをじっと見つめながら言った。
「ウデマエを上げてるのはそのためだ……凄腕と呼ばれているイカなら、さぞかし大層なウデマエだろうからな。お前らに構っている暇がねえと言ったのもそのためだ」
「……なぜ、そのイカを倒そうと?」
「そこまで話す必要があるか?」
回答を拒否され、アオは軽く眉をひそめる。
「……仕方ないわね」
……彼の言う通り、ここまで答えてくれたのなら十分だろう。
オクタリアンが、インクリングのヒーローである『3号』を狙う―――それは。
タコからイカへの宣戦布告と受け取っても、おかしくはない。
……のだが。
「……タコワサ将軍は知っているの?あなたが3号を……そう呼ばれるイカを、狙っていることを」
「……お前、やけに詳しいな」
クロトガは鋭い目付きでアオを見つめる。
「もしかして、3号のことを知っているのか?」
「回答を拒否するわ」
アオは内心ひやりとしながらも、動揺を押し隠してそう答える。
自分が3号だと知られれば、味方を呼ばれる可能性がある。
タコゾネスとの戦いには、慣れているとはいえ―――複数人に囲まれたうえで、彼のような強者を相手どるのは、アオにも辛いものがあった。
クロトガはしばらくじっとアオを見つめていたが、やがて「まあいい」と、その鋭い視線を緩めた。
「『バトルで負けた方が、勝った方の言うことを聞く』……だったな。先に言った通り、オレは元々の目的と、もみじとの約束が守れる前提なら、あとはテメェの好きにして構わねえ……いつまでそうするつもりだかは知らねえがな」
「そういえば……期限は決めていなかったわね」
アオがふと気がついたように言うと、クロトガは呆れたように首を傾げる。
「今更だな……なら、オレが地下に帰るまでは付き合ってやるよ」
「いいの……?」
「その代わり、何度も言うがオレの邪魔はするなよ」
クロトガの視線が、再び鋭くなる。
「今日は負けたが、オレの邪魔をするなら容赦はしねえ……手を出させなくする方法は、ステージ外にだってあるわけだからな」
「……わかったわ」
アオは素直にうなずいた。
確かに、腕力では彼には敵わないだろう……とはいえ、クロトガがそんな暴力的な手段を取るとは、アオには思えなかったが。
「……最初の話に戻るけれど」
アオは軽く首を傾げながら、クロトガの様子を窺うようにして訊ねる。
「あなた、イリコのことはどう思っているの?」
「は?どうって……」
「仲良くしてくれる気はあるのかしら」
アオの問いかけに、クロトガは何とも言えない顔をした。
「……なんでそんなこと聞くんだよ」
「以前にも言ったでしょう」
カップの底に溶け残っていた砂糖をティースプーンでかき混ぜながら、アオは言う。
「あの子は、ただあなたとフレンドになりたかったわけじゃないわ。それに……」
ぴたりと手を止めて、アオは言い淀む。
クロトガは、黙ってアオの言葉の続きを待っていた。
「……わたしが、あの子にバトルを教えているのは知っているわね?」
「こないだの反省会とやらに付き合わされたからな」
クロトガはそう言って片眉を上げてみせる。
「物好きな奴だぜ。初心者イカの面倒見るより、テメェのウデマエを磨き上げた方が、よっぽど役に立つんじゃねえのか」
「あなたにも、あの子の指南役をしてもらえないかしら」
「……オレがぁ?」
アオの申し出に、クロトガは思わず素っ頓狂な声をあげた。
「空いた時間で構わないわ」
アオは急いでそう言った。クロトガの時間を必要以上に奪うつもりはないと、そう伝えたかった。
「ただ……わたしは、その……」
ティースプーンが、かちゃんと音を立てる。
アオはうつむきながら、零れるような声音で、
「……誰かと話すのが、あまり……上手くはないから……」
「…………」
「あの子への指南も、上手く出来ているか、……わからなくて」
「……だからオレに頼りたいってか?」
クロトガは呆れたように言いながら、頬杖をつく。
「少なくとも、この間の反省会でも不自然な点はなかったがな。むしろ、よく他人をあそこまで見てやがるな……軍の教官でさえ、あんなに細かくは見てねえぞ」
「……あなたは……」
アオはおずおずと、クロトガに向かって訊ねる。
「……わたしと話していて、不愉快にはならないの?」
「はあ?テメェがイカだという前提を忘れてねえか?」
クロトガは気に入らないと言いたげに眉をしかめてみせた。
「テメェに負けてなかったら、今頃欲しい情報だけ絞り取ってさっさとおさらばしてるっつうの。イカじゃなかったら、別に……普通だろ」
「普通……?」
目を丸くするアオに、クロトガは眉根を寄せる。
「なんだよ。テメェなんか、どこにでもいるイカとそう大して変わんねえだろが」
「…………」
「……そんな話はどうだっていいんだよ」
アオにじっと見つめられているのが落ち着かず、クロトガは誤魔化すように言った。
「大体、何をそんなに気にしてやがる?もみじだってこないだ、アオさんアオさんってうるせーぐらいになついてただろうが」
「わ、わたしは……」
アオはまたもやうつむいてしまった。
彼女の表情が、悲痛なほどに歪む。
「……本当は、あんな場に……いていいような存在じゃ、ないから……」
「…………」
―――見ていられない。
クロトガはわざとらしく舌打ちをしてから、大きく溜め息をついた。
「はーっ……ったくよぉ……」
面倒臭いと切り捨てたくなるのを堪えてやりながら、クロトガはポケットからメモ用紙とペンを取り出し、さらさらと何かを書き付ける。
「おらよ」
「……?」
乱暴に投げ出された一枚の紙を、アオはきょとんとしながらも受け取った。
「……これは?」
「オレの連絡先だ」
クロトガはそう言いながら、氷が溶け始めたコーラを、ようやく飲みはじめる。
「もみじには教えんなよ。チョーシに乗るからな」
「……どうしてわたしに、これを?」
「何でも言うこと聞くっつったろーが」
クロトガはそう言って、何度目になるかわからない舌打ちをした。
「何かあったら呼べ。約束を違える気はねえからな。テメェも、オレが言った条件は忘れんなよ」
「…………」
クロトガが何故連絡先をくれたのか、アオにはわからない。
それでも、なんとなく彼の不器用な優しさと気遣いを感じて、アオはそっとそれを受け取った。
「……ありがとう……」
「……ふん」
礼を言われるほどのことじゃない。
クロトガはそう言いたげだった。
「……んで?これからどうすんだ。何も用がねえなら、オレはまたガチマに行くが」
「そうね……」
アオは少しだけ考える。
クロトガの目的のことを考えると、彼を野放しにしておくのは、やや危険なように感じる。
自分の傍にいてもらうことこそが、危険かもしれないが……それでも、目の届かない場所にいられるよりはいいだろう。
「もう少し、付き合って貰えるかしら。色々と話がしたいし……イリコのことも、あらためてお願いしたいのよ」
「本気だったのかよ……」
「ええ、もちろん」
アオはうなずいてみせる。
「わたしに教えられることも、限度があるわ。あなたの視点から学ぶこともあるでしょう。特にあの子は、塗り意識は高いけれど、キルにおいての立ち回りがまだまだよ」
イリコはあれからも成長している。成長し続けてはいる。
けれど、アオから見たらまだまだだ。まだまだ、伸びしろがある。
「……一つ、聞いていいか?」
不意に、クロトガが真剣な表情をした。
その様子に、アオは少しだけ眉をひそめる。
「……答えるかは、内容によるわよ?」
「何であのもみじに、そこまで入れ込む?」
思いがけない質問に、アオは思わず目を丸くした。
「オレに勝った事実は、まあ認めてやってもいいが……しょせん、バトルに関しちゃド素人だ。オレのように戦いを叩き込まれてきた奴でも、お前みたいに『本物の戦い』を知ってる奴でもない」
―――レーザーサイトのような、赤い瞳。
イリコの比喩が、アオの脳裏にも過ぎる。
クロトガは、まさしく真っ直ぐ射し抜くように、アオのことを見目手いた。
「目をかけるなら、もっとマシなやつがいるんじゃねえのか?」
「……あなたは……」
アオは言葉を選びながらも、けれど迷わずに、クロトガに向かって言った。
「イリコと戦っていて、何も感じなかったの?」
「……?」
「わたしは……」
アオは一瞬だけ目を伏せてから、青い瞳で、真っ向からクロトガと向き合う。
「わたしは、あの子といつか、肩を並べて戦いたい」
「……あいつと?」
「上手く、言えないのだけれど……」
自分の想いが、彼に伝えられるかどうか。
そのことについて、自信はなかったけれど
何となく、アオは、クロトガになら自分の本音を話してもいいと思えた。
少なくとも、彼は―――マサバやイリコと同じように、自分の話をちゃんと聞いてくれるひとだと、そう感じていた。
「……イリコは、わたしにとって……太陽と同じなの」
アオの比喩に、クロトガは拍子抜けしたような表情を浮かべる。
アオは緊張しながらも、一生懸命に言葉を紡いだ。
「明るくて、温かくて……眩しいけれど、なくてはならない存在。わたしにとって、イリコはそういう……そういう存在なの」
「…………」
「確かにあの子のウデマエは、未熟でしかないわ……でも、いつかきっと、もっと大きく、より輝くでしょう」
少なくとも、アオはそう信じている。
アオが信じれば、イリコはきっと応えてくれる。
まだ短い付き合いのなか、根拠なんて、何にもないけれど……アオは、そう信じていた。
「だからわたしは、あの子が強くなることに期待している。あの子と共に、戦いたいから。同じステージで、同じ目線で物を見て、共に戦いたいから」
「…………」
「わたしの答えは……他にはないわ」
クロトガは、しばらく黙っていた。
ただ黙って、アオの言葉を反芻するように、目を伏せていた。
……アオが不安になってくる頃、ようやくクロトガは視線を上げて、
「……わかったよ」
と、小さな声で言った。
「なら、まずはあいつがもみじ……ブキの方な。あれしか扱えねえことをどうにかしねえとだな……もみじシューターは優秀なブキだが、使い手がどうにもなんねえと『塗りブキでしかない』範囲で収まっちまう。なら、他のブキの扱い方も学ばせた方がいいだろ」
「……手伝ってくれるの?」
「テメェが頼んできたんだろうが……」
驚いたように確かめるアオに、クロトガは呆れた表情で返した。
「テメェももみじも、どうしてオレが迎合しようとするたびにいちいち驚くんだよ……オレがそんじょそこらのインクリングみてえに、約束を反故にするやつに見えるか?」
「そ、そういうわけじゃ、なかったのだけど……」
アオは慌ててそう言ってから、
「……あの……ありがとう」
おずおずと礼を言うアオに、クロトガはまた眉をしかめてみせた。
「だから、礼を言われるようなことじゃ……」
「話を聞いてくれて……」
「そっちかよ……」
クロトガは大きく溜め息を吐く。
……バトルにおいては自信満々なくせに、妙なところで自信を無くすアオのことが、いまいちわからない。
バトルステージに立っていたアオの凜とした佇まいからは、今の彼女の様子は、想像もできなかった。
「……何度も言ってるが、負けたのはオレだろうが」
クロトガはアオに対して、言い聞かせるように言う。
「テメェはもうちょっと図太くなれよ……アホで脳天気なインクリングらしくもねえ。イカってのは、もっとバカだと思ってたがな」
「……もしかして、褒めているの?」
「うるせえよ」
不思議そうに訊ねたアオに、クロトガはぶっきらぼうにそう返す。
少なくとも、否定はされていない。
……やっぱり、彼はそう悪いタコでもないようだと、アオは想った。
「ったく、とんだ誤算だぜ……イカにもテメェみたいなやつがいるなんてな」
氷が溶け、味の薄くなったコーラを飲み干しながら、クロトガはぼやくように言う。
「3号とやらがどんなウデマエなのか、考えたくもねえな……」
「…………」
―――わたしが、その3号なのだけれど。
そう言えないことを、アオは何となく後ろめたく思いながらも、残った紅茶を飲み終えた。
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