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イリコとガチマッチ

あの日から、何だか普通のバトルじゃ満足できなくなってしまった気がしてならない。
(……そんなこと考えるの、贅沢なのはわかってるんだけど)
ステージへと転送され、リスポーン地点に立ちながら、イリコは内心を引き締めるように、ぎゅっともみじシューターを抱えた。
今のステージはチョウザメ造船。今日はハチが一緒にレギュラーマッチに参加してくれている―――のだが、今回は敵同士のようだ。
残念。でも、実は嬉しい。
(ハチくん強いんだよね)
強敵との戦いは楽しいと、体が覚えてしまった。
アオとの戦い。クロトガとの戦い。あれらのような、ひりつくような感触が―――気を抜いたら絶対に押し負けるような。
そんな戦いの感触を、イリコの肌は、ずっとずっと求めていた、のだが―――。
「……え?」
バトル開始から、数十秒。
イリコは、信じられないモノを目の当たりにすることになった。



「……んで、野良で入ったその部屋がお遊びイカオンリーで……」
マサバは苦笑いしながら、テーブルに突っ伏しているイリコを見やった。
「イリコちゃんがご機嫌斜めと」
「だってぇ……」
イリコはふて腐れたまま、ちらっと視線をあげながら言った。
「バトルしたかったんですようバトル……」
「フレンドで部屋を埋めてイタのだと思いマスガ」
拗ねるイリコを気遣うように、ハチはおずおずと言った。
「そこにボクらが入ってシマッタようで」
「だとしてもプラベでやれって話やね。災難やったね~イリコちゃん」
「うう~……」
マサバにぽんぽんと頭を撫でられるも、イリコは唸るばかりだった。
「よしよし。今日は奢ったげるから好きなの食べ。ハチコーも好きなの買ったるから」
「ありガトウゴザイマス。イリコサン、注文しに行きマショウ」
「うん……ありがとうございます、マサバさん……」
ハチに連れられ、イリコは一緒に注文カウンターへと向かった。
ファストフード『クラーケンバーガー』……の、姉妹店である、『ダイオウイカバーガー』。
かつて同じ名前のスペシャルウェポンが実在したという話だが、イリコはよく知らない。噂によると、店長がそのスペシャルウェポンが好きすぎて、店名にしたとかなんとか。
すっかりイリコたちの行きつけとなっているこの店は、メニューの豊富さもさることながら、とにかく量が多くて安くて美味い。
ガッツリとバトルを楽しんできたイカたちが、たっぷりハンバーガーやサイドメニューを楽しめる、若者たちの味方と言っても過言ではない店なのだ。
マサバに遠慮しなくていいと言われ、イリコは名物ダイオウイカバーガーセットを注文。ハチは照り焼きタマゴバーガーセット、マサバはエビチリサンドセットにするらしい。
いつもなら大きなバーガーを見るだけでテンションも上がるのだが、今日のイリコはそうもいかなかった。
胸の奥底が不完全燃焼なまま、どうにもやるせなくて、しょんぼりしてしまう。
「……大丈夫デスカ?イリコサン」
ハチに気遣われて、イリコはちょっと申し訳なく思いながら微笑んだ。
「あ、うん……ごめんねハチくん。さっきはバトル付き合ってくれてありがとう」
あのバトルのとき、ハチだけが一緒に真面目にバトルをしてくれた。彼が持っていたのはスクイックリンαだったので、さすがに塗りはイリコが勝ってしまったが。
「イエ……ボクも、イリコサンとバトルがシタカッタので」
そう言って、ハチは残念そうに苦笑いした。
「ちょっとザンネンデス。また、一緒にバトルシマショウネ」
「うん!」
二人のやりとりを、マサバは優しい目で見ていた。
ハチは、これまであまり周囲と交流を持ってこなかったらしい。その理由をイリコは知らないが、こうして彼が自分と交流しているのが、マサバさんも嬉しいんだろうと、イリコは何となく思った。
「……正直、今日はアオさんいなくて良かったなって、少し思っちゃいました」
ハンバーガーにかぶりつきながら、イリコがぼやくように言う。
「いたら、絶対に私と同じくらい怒ってたと思うので……」
「ああ……アオちゃんならせやろね」
マサバがコーヒーを飲みつつうなずいた。
「お遊びイカなんて考えられへんやろしなぁ……だからこそ、アオちゃんはアオちゃんなんやろけど」
「そういえば、さ……アオサンはドチラへ?」
「用事があるってしか聞いてないんだよね。マサバさん、何か聞いてたりします?」
イリコがマサバに向かって聞いてみると、マサバは小さく首を振った。
「ん……いや、おれも特には聞いてないかな」
「そっかー」
イリコはポテトをつまんで、もぐもぐと咀嚼する。
「たまに、用事があるからって言っていなくなっちゃうんですよね……いえ、いつもいて欲しいというわけではないんですが……」
「寂しい?」
マサバがふと微笑むと、イリコはちょっとだけ唇を尖らせてみせた。
「……ちょっと」
「あはは。正直者やねえ」
「でも、私にばっかり時間を使ってもらうわけにもいかないので……」
アオにはアオの時間がある。ここ最近は多くの時間をイリコとのバトルに割いてくれているようだったが、だからといってわがままはいけない。
イリコがそう思っていると、ハチがふと思いついたような顔をして、
「ソウイエバ、イリコサン」
「なーに?」
「ガチマッチって行ったことアリマスカ?」
ハチの言葉に、イリコはぱちぱちとまばたきしてみせる。
「ガチマッチ?」
「そういや、普段行くのレギュラーばっかりやね」
マサバが頬杖をついてイリコを見る。
「行かへんの?ガチマ」
「ガチマかぁ……」
ドリンクを一口飲んで、イリコはちょっと考えた。
「実は……アオさんから、まだ行く許可貰ってなくて」
「え。そうなん?」
ランク10になったら行けるようになっているのは知っていたが、アオからは、レギュラーに慣れてからにした方がいいと言われていたのだ。
最近になってから行くことも考え始めて、タイミングの相談はしていたのだが。
「いや~、対クロトガくん用の特訓してたせいで、すっかり忘れてたんですよね……」
「アア……」
「めっちゃ真剣やったもんね」
マサバはちょっと苦笑いしてみせた。
「ガチマッチはレギュラーマッチとルールは違いマスが、『ガチ』でバトルしたいイカたちが揃っている……戦場、といっても過言ではないデス」
ハチはそう言って、イリコに向かって微笑んでみせる。
「イリコサンなら、きっと楽しメルと思うのデスガ」
「そう言われると行きたくなっちゃう……」
気になるガチマッチ。だが、アオに黙って行くようなことはしたくない。
イリコの考えに気付いたのか、マサバが言った。
「電話してみたら?アオちゃんに。忙しくなかったら、出てくれるんちゃうかな」
「そうしてみます!」
マサバの提案に顔を輝かせて、イリコはいそいそと電話をかけることにした。



***



フィールドのインクが、乾いていく。
クロトガは床に倒れ込むようにして大の字になったまま、大きく胸で息をする。
肩の髪を払いながら、アオは静かな足取りでクロトガの方へと近づいた。
「勝負あったわね」
「クソッタレ……」
クロトガはそう言って、アオに視線だけ向ける。
「テメェ……あのもみじとは比べものにならねえほど強いじゃねえか……」
「先日イリコが勝てたのは」
アオはクロトガに向かって、軽く首を傾げてみせた。
「あなたの油断と、もみじシューターの塗り性能もあるでしょうね。あなたはイリコを甘く見過ぎた結果、自陣塗りを怠っていた」
アオは表情を動かさずに、淡々と言う。
「でも、今回は実力を存分に出し切ってくれたようね。まさかキルを取られると思ってはいなかったわ」
「ふざけんな……」
クロトガは起き上がり、鋭い目つきでアオを睨みつける。
「近距離ブキで復活ペナとか、オレをどんだけ舐めてんのかと思ったが―――お前は、本物じゃねえか」
「本物?」
「実力が、だよ」
クロトガは大きく息を吐いて、立ち上がろうとする。
アオが手を貸そうとすると、遠慮するように片手を振った。
「普段イカしてるとかイカしてないとか、そういうかっこつけばっかほざいてるやつらとは全然違う……本物のバトルを知ってるやつだ」
「……褒められていると受け取っていいのかしら」
「お前……一体何者だ?」
クロトガの赤い瞳が、アオを射貫くように見つめる。
「……それにわたしが答えるためには」
アオは青い瞳で、静かにクロトガを見つめ返した。
「あなたは条件を満たしていないようね。勝ったのは私だもの」
「チッ……そうだったな」
クロトガは軽く舌打ちすると、腕組みして軽く顎をそらした。
「条件は呑んでやる。ただし、先に言ったように、もみじの奴と交わした約束が覆るような内容はナシだ」
「わかっているわ。わたしだって、イリコの覚悟をふいにしたくはないもの……」
不意に電話がなる。アオのものだった。
「ごめんなさい、わたしだわ……」
クロトガは黙って顎でアオの荷物の方向を指し示す。出ても構わないという意味だと受け取って、アオは急いで荷物からイカフォンを取り出した。
「もしもし……」
『あっ、アオさん!今、大丈夫ですか?』
イリコだった。
アオはクロトガをちらっと見てから、少し声を押さえて返事をする。
「……大丈夫よ。どうしたの?」
『実は……』
イリコからの申し出に、アオはちょっと驚いた。
「ガチマに……?」
『は、はい。そろそろ挑戦してみようかと思って』
アオは少し考えてから、うなずく。
「……いいと思うわ。ナワバリバトルとは勝手が違うから、最初は慣れないかもしれないけれど……今のあなたなら、問題ないでしょう」
そもそも、本来は自分が止める権利もないのだが。
バトルに対しては真摯なイリコのことだ。指南役であるアオに言わないままに行くのが、後ろめたかったのだろう。
『ありがとうございます!アオさん』
「ただし……反省会用のノートはつけておいてね。後で一緒に確認するわ」
『は、はい!』
「それから……」
言いかけて、アオは少し悩んだ。
ガチマッチのルールは4つある。それらを解説していたら、とてもじゃないが時間がかかり過ぎる。
……イリコはもう、自分自身で学べる力があるはずだ。
そう思って、アオは言いかけた言葉を取りやめて、別の言葉を伝えることにした。
「頑張ってね、イリコ」
『……ありがとうございます!』
嬉しそうなイリコの声に、自分まで嬉しくなってしまう。
「後でまた、わたしからも連絡するわ……それじゃあね」
『はい!ありがとうございました!』
電話が切れる。それを見計らったように、クロトガが傍へと近づいてきた。
「終わったか?」
「ええ、時間をくれてありがとう」
アオはそう言うと、軽く首を傾げてみせる。
「それじゃ、ここで話すのもなんだし……落ち着ける場所にでも、行きましょうか」
「わかった」
二人はプライベートマッチを後にして、ロビーから出ることにした。



***



ガチマッチ。
ナワバリバトルでは満足できないイカたちが「ウデマエ」を競い合う、エクストリームでエキサイティングなバトルだ。
ルールは4種類あり、ウデマエはそれぞれで独立している。参加できるルールはレギュラーマッチのステージと同様に、2時間で切り替わる仕組みだ。
マサバとハチから説明を聞きながら、イリコはもう既にわくわくし始めていた。
「ガチマはフレンドとは参加できんけど、そんかわり、リーグマッチってのがあるわけやね」
これはまだイリコちゃんは行けんけど、とマサバは説明してくれる。
「ウデマエがBに上がったら、リグマにも参加できるよ。リグマはランキングで表彰されたりとかもするね」
「へえ~……!マサバさんは行ったことあるんですか!?」
「おれは……」
マサバの表情が、一瞬曇る。
「……最近は行ってないな。ハチコーは?」
「ボクも、リグマはアマリ……」
「えっと、おすすめのルールってあります?」
イリコはとっさに話題を切り替えた。
マサバはちょっと申し訳なさそうな顔をしつつも、ほっとしたようにイリコに答える。
「イリコちゃんへのオススメは、やっぱエリアかなぁ。あれはなんせ塗りが命やし」
「エリアでデスシナイのが大事デス」
「わかった!」
「まあ、まずはやってみたいとこから行くとええよ」
そう言って、マサバはイカフォンでステージを確かめる。
「今のスケジュールはガチヤグラやね。行ってみる?」
「はい!行ってきます!!」
イリコは元気よくうなずいて、テーブルからトレイを持ち上げる。
「マサバさん、ごちそうさまでした!ハチくんも、色々教えてくれてありがとう!」
「はいはーい、頑張ってきなね」
「いってらっしゃい、イリコサン」
イリコは足早にトレイを片付けて、勢い良く店を出て行った。
元気な足取りを見送りながら、ハチはほっとしたように息を吐いた。
「……元気になって良かったデスネ、イリコさん」
「ハチコーはあれで良かったん?」
マサバに聞かれて、ハチはきょとんとした顔をしてみせる。
「何がデスカ?」
「まだまだイリコちゃんとバトル行きたかったんちゃうかなーと思て」
「…………」
ハチはしばらくぽかんとしてから、ちょっと耳を赤くした。
「……マサバサンと一緒にシナイデクダサイ」
「あ、おれと一緒にされてる自覚はあったんや」
からかうように笑うマサバに、ハチはむっと顔をしかめてみせた。
「別に、ボクはそうイウツモリで、イリコサンを気にかけてイルワケデハ……」
「ごめん、ごめんて」
拗ね始めてしまったハチを見て、マサバは笑いながらも慌てて謝った。
「ちゃうねん。ハチコーがあんな感じで誰かと交流するの、珍しいなぁ思てたから」
「…………」
「おれはね、嬉しいんよ」
そう言って、マサバは冷めてきたコーヒーを一口飲む。
「アオちゃんにもハチコーにも友達できてさ。イリコちゃん、ええ子やし」
「……彼女は」
ハチは、ふと表情を曇らせた。
「……3号の顔に泥を塗らないカ……ト、気にシテイテ……」
「……イリコちゃんが?」
マサバは驚いて、思わず聞き返した。
アオといるときは、いつも屈託無く笑っていたイリコが、そんなことを言うとは思ってもみなかった。
「自分が弱いカラ、ト……」
イリコの去った店の出入り口を見やりながら、ハチは言った。
「ボクの言い方モ悪カッタンデスガ…………そのことにツイテ、まだ、謝れてイナクテ」
「……」
マサバは少し考えてから、ハチに向かって、安心させるように微笑みかける。
「……わかった。おれからも気ぃつけて見とく。だからそんな顔せんと、な?」
「……ありがとうゴザイマス」
ハチは励まされたように、少し微笑み返しながらうなずいた。
と、話の区切りを知らせるように、マサバのイカフォンから着信音が鳴る。
「あーいかんいかん、そろそろ行ってこな」
マサバは慌てたように椅子から立つと、トレイを持ち上げた。
「ほんならパトロール行ってくるわ」
「お見送りシマス」
「お、ええの?」
「ハイ」
二人は揃って店を出て、デカタワーの前―――カンブリアームズの前におかれた、金網の敷かれたマンホールの上に向かう。
そこに立ったマサバは、にこっと笑ってハチに手を振った。
「じゃあ、行ってくるな」
「いってらっしゃい」
ハチは微笑みながら、マサバに手を振り返す。
「気をつけて―――4号」
マサバはイカに姿を変えると、ぽちゃんという音と共に、金網の向こうへと消えていった。
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