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イリコと『もみじ』

その夜、自宅に帰ったイリコは、わくわくしながら姉に電話をかけていた。
今日は姉に話したいことが沢山ある。クロトガとの決着のこととか、戦勝会のこととか、あの後結局クロトガがナワバリバトルに付き合ってくれたこととか。
彼は忙しいと言いながらも、反省会にも付き合ってくれて、イリコの悪いところをいっぱい指摘してくれた。そのたびアオがフォローし、イリコが直し、今日で結構上手くなったんじゃないか……と思う。
それでも、先輩たちには、まだまだ及ばないけれど。
何から話そうかな、と考えながら電話をかけると―――電話からは、話し中のアナウンスが流れ始めた。
『おかけになった電話はお話し中のため、現在電話に出ることができません。後ほどおかけなおしください……』
「…………」
驚きつつもちょっとしょんぼりしながら、イリコは電話を切る。
伯父さんか伯母さんが、今は一人暮らしの姉を心配して、電話をかけてきてくれたのかもしれない。
そうだとしたらしょうがないな、とイリコは気を取り直して、テーブルに置いておいたブキケースに向かった。
今日一日、ずっと酷使してしまっていたもみじシューターが、そこには大切に仕舞われている。
「……今日はありがとうね」
そう呟きながら、イリコはもみじシューターを持ち上げた。
―――このブキで勝てて良かったと、イリコは心の底からそう思った。
これから先、どんなブキに出会ったとしても、このブキが自分にとって特別であることは、きっと変わらない。
「……これからもよろしくね」
そう言って、イリコはもみじシューターをブキケースに仕舞いなおした。
明日は、このブキをメンテナンスに出す予定だ。その間は、何か他のブキの練習をする予定だったのだけれど……。
「…………」
例えば、スプラチャージャーなんか、いいかもしれない。
買ってからほとんど可愛がれていないブキを見て、イリコはなぜか、モミジのことを思い出した。



***



その日、ウルメは妹からの電話を、今か今かと待っていた。
いつもあの子との電話は楽しみにしているけれど、今日の話はちょっと訳が違う。
期待と、不安と、様々な思いが胸のなかでぐるぐるしているなか―――突然、着信音が鳴った。
気付いた瞬間、急いでイカフォンを取り上げ、電話に出る。
だが……。
「もしもし?!」
『やぁ、久しぶり』
電話から聞こえたのは、最愛の妹の声―――ではなかった。
似ても似つかない男性の声、それどころか……。
『もしもし、ウルメ?……あれ、電話番号間違えたかな』
「……ま、間違えてないわ……」
久しぶりに聞く、とぼけた声に脱力しながら、ウルメは取り落としかけたイカフォンを持ち直す。
「お願いだから、電話をかけてくるなら名前を名乗って……名乗りたくないなら、私に分かるように言ってくれれば、それでいいから」
『ごめんごめん。久しぶり、ホクサイベッチューの妖精だよ』
全く悪びれていない声の主に対して、ウルメはまず、溜め息を返した。
「そうね、本当に久しぶり……急にどうしたの?まさか、ウベンが私がいない寂しさに耐えきれなくなってついにホクサイに持ち替えたとか?」
『いや、あの子は相変わらずパブロ専だよ』
そう言って、電話の相手はころころと笑う。
『でも、そうだね。万が一そういうことがあったら、君には連絡しなきゃいけないな』
「要らないわ。興味ないもの」
『相変わらずあの子には冷たいね……』
「それで……どうしたの?」
ウルメは話を元に戻す。
「あなたから連絡してくるなんて、珍しいわね」
『いや。先日、君の妹に会ってね』
「イリコに?」
ウルメはちょっと驚いた。イリコからそんな話は聞いていなかったはずだが。
『あれ、聞いてないかい?あの時は、確かもみじシューターの妖精って名乗ったんだけど』
「……相変わらず、色んなブキの妖精になるわねえ……」
呆れていいのか、懐かしめばいいのか。
自分と彼が出会った頃のことを思い出しながら、ウルメは複雑な気分になった。
彼が自分の本名を嫌っているのは知っている。
だから今も名前を呼ばないよう、ウルメは十分注意していた。
『まあ、それはいいんだ。妹さんのことは、君に電話をかける口実だからね』
……しれっとこういうことを言い出すから、油断ならない。
ウルメはちょっと眉をしかめて、
「あなた、そういうところよ……それで、何なの?用件を言わないなら切るわよ」
『ごめんごめん、ちょっと気になる話を聞いてね』
電話の向こうの声が、少しだけ真面目になった。
『君の方で、妹さんから何か聞いてないかな?』
「何かって……例えば?」
『そうだね、例えば―――オクタリアンのこととか』
ウルメは一瞬、口をつぐんだ。
電話の向こうの気配を探るようにしながら、ウルメは慎重に言葉を選ぶ。
「……あの子はタコのことは知らないはずだわ」
『認識していないという意味で捉えていいかい?』
「少なくとも私は聞いていないわね」
『そうか、ふむ……』
黙り込んでしまった電話の相手は、何事かを考えているようだった。
ウルメは少し待ってから、悩むようにして問いかける。
「……ねえ、……ホクサイ」
『ん?』
「何か……あったの?」
自分がいなくなったあとのハイカラスクエアを、ウルメはよく知らない。正確には、あえて知ろうとはしていなかった。
かつて自分が青春を謳歌した、愛すべき街。
それがどう変わったのか―――変わっていないのか。
知るのは少し、躊躇われた。
『……不安にさせたならすまない』
いつものとぼけたような声色とは違う、少し低めの大人らしい声で、彼は言った。
『私が勝手に気にしていただけなんだ。ウルメが心配するようなことは、何もないよ』
「……なら、いいんですけど」
心配したところで、今の自分には何もできない。
ウルメは小さく溜め息を吐いた。
「……まあ、いいわ……みんなは元気?」
『ああ、相変わらずさ』
電話口の声が、柔らかくなる。
『ラキアは相変わらず働き過ぎだし、アイナは相変わらず寂しがってる。そうだね……サジータが、ちょっと心配かな。最近ウデマエを燻らせてるみたいだ』
「そう……」
かつての仲間やライバルの近況に、ウルメは少しだけ表情を曇らせた。
自分がいなくなってしまったあとに、色を変えてしまった、大事な友人たち。
(……私のことなんか、もう忘れていいのに)
だって、あれからもう、二年も経っている。
でも、あれからまだ、二年しか経っていない。
『あ、あとウベンが……』
「彼はいいわ。あれは放っておいて」
『……相変わらず、あの子にだけは冷たいね』
「私は好きな女の子に優しくできるひとが好きなの」
苦笑する相手に対して、ウルメはきっぱりそう言ってから、「そういえば」と、強引に話題を変えた。
「あなたから見て、イリコはどう?見込みがありそうかしら」
『そうだね。さすが君の妹といったところかな』
「……一つ忠告しておくわね」
ウルメは真面目な声で言った。
「その言い方、イリコには絶対しないでね。あの子はそういうの、物凄く嫌がるから……」
『……なるほど。わかった、気を付けるよ』
彼は真剣に受け取ってくれたようだった。ウルメは少し、ほっとする。
「ありがとう。……あの子には、私のことは気にせず、思いっきりバトルを楽しんでほしいのよ。できればみんなにも、そう伝えておいて」
『わかったよ。……でも、いいのかい?』
電話の向こうからは、気遣わしげな声がした。
『君がスクエアでも有名なナワバリプレイヤーだったと知ったら、きっとあの子は喜ぶと思うけどな』
「……ほんの一時期の話よ。それに、私のウデマエは、あの子には関係ないわ」
ウルメはそう言って、スクエアのある方角を向いた。
妹は、あそこでどんなバトルを楽しんでいるのだろう。
……本当なら、今頃電話でそれを聞いているはずだったのだが。
電話の相手をちょっと恨めしく思いながら、ウルメは続けた。
「……私の存在が、あの子の足かせになるようなことにはなって欲しくないの。だから……」
ウルメは視線を戻してから、悪戯っけを込めて言った。
「妹のこと、よろしくね。『モミジ』さん」
『……君に頼まれたら断れないな』
困ったように笑う彼に対して、ウルメはふんと鼻を鳴らす。
「妻子持ちの男性じゃなかったら、ときめていたわね」
『あっはっはっはっは!!!』
電話の向こうから、愉快そうな笑い声がした。
『いや、相変わらず君には敵わないなぁ……うん、まあ、君が元気か確かめたかったっていうのも、本音の一つではありはするんだけどね』
「……心配しなくても、私は大丈夫よ」
彼の言葉を、ウルメは素直に受け取ることにした。
食えない『イカ』だが、彼がウルメを心配してくれていることが、本当なのは知っている。
そして、恐らくウルメの大切な妹のことも。
『うん。何かあったら、いつでも連絡しなさい。僕と僕らは、いつだって君の味方だよ』
「……うん。ありがとう、『ホクサイ』さん」
相手の温かな声に、ウルメは礼と尊敬を込めてそう答えた。
会話を終え、短い挨拶をかわしてから、どちらからともなく電話を切る。
妹から電話がかかってきた時に、話したいことが増えてしまった。
『モミジ』の話をどう切り出そうか、ウルメが考えていると―――またもや、電話が鳴る。
「はい、もしもし……イリコ!」
……今度の電話の相手は、間違いなく、最愛の妹だった。



<つづく>
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